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2026-05-02

「素直な戦士たち」を産み落とす、ある私立小学校の6年間

​ふとした瞬間に、あの卒業式光景を思い出す。

​あれから一体、何年の月日が流れただろうか。

校歌を歌う子供たちの背中を眺めながら、私が抱いたのは感動ではなく、安堵だけだった。

「ああ、やっとこの学校との付き合いが終わる」

喉元まで出かかったその言葉を、マスクの下で飲み込んだあの日

​ここは世間一般では中学受験に強いと持て囃される私立小だ。

だがその実態は、進学実績という免罪符をぶら下げた、どこか窮屈な温室だった。

​もちろん、保護者のすべてがそうだったわけではない。控えめで、人格的にも尊敬できる素晴らしい親御さんもたくさんいたし、そのお子さんも他人を思いやれるいい子だった。彼らとの交流は、この6年間で救いだったと思う。才能溢れる子供たちに囲まれ、我が子も大いに刺激を受けたこともまた事実だ。

何より、どの親も我が子のために精一杯の手間暇をかけていた。日々の勉強進捗管理から、塾への送迎、志望校対策サポートまで。この学校の華々しい進学実績を支えているのは、学校教育のものよりも、親たちのこの凄まじいまでの献身なのかもしれないと認めざるを得ない。

我が家もまた、そのシステムの外側にいたわけではない。夫婦子供の将来を考え、進学実績を求めてこの学校に預けた。そして、その選択に見合うだけの結果は手に入れた。この学校は、絶えず新しい教育活動に取り組む挑戦的な一面も持っていたし、その前向きな姿勢評価していたからこそ、私たちはこの場所子供を託したのだ。

しかし、保護者の集まりに身を置くのは、常に息苦しさが伴った。会話の端々に、夫の社会的地位や我が子の優秀さをそれとなく滑り込ませ、互いの立ち位置確認し合う——。そんな不毛なやり取りに神経を尖らせている自分たち自身にも、嫌気がさすことがあった。

そこに集うのは、小説『素直な戦士たち』のように、狂気とも取れる熱量子供戦場へ送り出す親たちと、その期待に応えようとする子供たちだった。

しかし、その「素直さ」は、あくま受験というゲームルールに対してのみ発揮されるものだ。ひとたび授業参観に足を運べば、そこには一部の子供たちではあるが、大人他者冷徹に値踏みする姿があった。授業が始まっても席に着かず、与えられたタブレットを使いこなして授業そっちのけで自らの関心事に没頭する。彼らにとって、目の前の教師や教えはもはや、自らの目的を果たすための重要な要素には映っていないようだった。要領の悪い子や立ち回りが下手な子には「え、まだそんなことやってるの?」と冷ややかな視線を浴びせる。親の前で見せる従順さの裏で、彼らは他者存在を驚くほど淡々と、選別するように突き放す二面性を持ち合わせていた。

​この学校には、卒業生の親が在校生の親に向けて、自らの体験を語る場がある。壇上で語られるそれは、あまり特殊成功事例に過ぎず、凡庸我が家にとっては正直、何の参考にならなかった。しかし、その成功を崇める熱狂こそが、この場所正義だった。

​忘れもしない出来事がある。中学年の頃、我が子がしょんぼりして帰ってきたことがあった。理由を尋ねると、通学路で受験の終わった6年生に、親しみを込めて声をかけたら、「死ね」と言われたのだという。下級生からの親しみを込めた声かけに「死ね」と答える彼らの心はどうなっているのだろうか。偏差値と引き換えに、彼らは何を捨ててしまったのか。

さらに耐え難かったのは、そのだらしなさだ。足元を見れば靴紐が解けていても気にせず引きずって歩き、机の周りは整理整頓もままならない。

何よりも勉強が優先されるという家庭教育の延長線上で、日々の立ち居振る舞いへの意識希薄になってしまったのではないか、と感じることもあった。

AIが当たり前のように思考代替していくこれから未来最後人間に求められるのは、情報の処理能力ではなく、人間としての気持ちの良さや、他者を慮る品格ではないのか。偏差値という歪な鎧を脱いだとき、彼らの中には何が残るのだろう。

​何より、あの甲斐甲斐しく子供勉強管理する親たちには、学校でのあの子たちの顔が見えているのだろうか。

家で見せる顔と、学校で見せる顔。

果たして、どちらが子供の本当の顔なのか。私にはもう、それがわからない。

卒業式の会場で証書を受け取る子供は、誇らしげな表情で前を見つめていた。親の葛藤とは裏腹に、子供にとってはここが、仲間と笑い、学び、葛藤した、かけがえのない母校なのだという事実に胸を突かれた。

大人たちに翻弄されながらも、筒井康隆が描いたあの「愛らしいこぶ天才たち」のように、大人が設けた壁やハードルを軽々と踏み越えていく彼らにとっては、ここが唯一無二の楽園だったのかもしれない。

​この学校を選んだことが正解だったのか。十分な結果と、挑戦的な教育環境を得た今でさえ、私はまだ、その問いに答えを出せずにいる。

あの日を境に、もうあの鼻息の荒い親たちの顔色を伺う必要はなくなった。

会場を出て、三月の少し冷たい風を吸い込んだ瞬間、ようやく家族全員で肺の奥まで空気が入った気がした。

​今はもう、あの制服の掛かっていない空のハンガーを眺めることもないが、時折、深く息を吐き出したくなる。

2026-04-05

そもそもオナニーってどういう経緯でシコり始めるのだろう

僕は学校性教育で「マスターベーション」という単語が出てきたけど意味説明がなかったのでインターネット検索した日にシコり始めた。

その時の参考文献がふたなりロリコン小説だったのでそういう性癖になってしまった。

僕は被害者だ。

現代性教育は歪んでいる。

そうだ、あの時しこり始めなければ中学受験志望校に受かっていたし、今頃は公務員なんてしてないでもっと真っ当な、サービス残業なんて誰もしてないような仕事についてたんだ。

2026-02-26

anond:20260226104612

あくまでも大学等の女子枠の話だったので、その点勘違いさせてたらごめんね!)

結果は必ず付いてくるって考える/信じているのがそもそも大きな間違いだと思うな~

思う結果が得られないのは当然で、その可能性が高いなら始めから志望校を変更すれば良い。

その受け皿となる学校はたくさんあるんだから

それでも頑として変更できないなら、何回でも浪人すべき。

もし

「私はこの大学入りたい!でも合格できない!それは不満!女子枠!女子枠!」

ってなっているなら、それは間違いだぞい

2026-02-13

中学受験をするかどうか迷っているなら

新しい中学受験シーズンが始まるところなので、過年度の入試の終了者の個人的雑感。

・もし中学受験をすることにするなら、模試クイズ大会)の偏差値子供ランク付けされ、無意識に煽られて志望校への進学を熱望し、多くの子供が不合格と言う形で、自分努力否定される経験をすることになる。その経験12の子供にさせる意味があるかは考えた方がいい。一旦中学受験準備を始めると、子ども時間を費やした後で中途撤退判断するのは、相当に難しい。

受験の伴走本や、塾選びのサイトがあるが、ああいう表面的な知識に惹かれる親なら、すでに不利な状況。子どもが自走できる場合を除き、中学受験子どもに合わせた実効的な対策を立てられる受験スキルが親に求められる競争でもある。子供に合わせた対策を立てるのは、受験クイズ大会)が得意な親でないと難しい。そういう親にはノウハウ本は不要(本の内容が自明か、的外れ)。

・本当に受験が得意な人が塾の先生になるとは限らないので、塾にお任せでうまくいくとは限らない。塾のアドバイス結構表面的で実効性がないことも多々ある。また、宿題が多すぎることも多い。後者場合、親(か、実力のある個別指導先生)が、宿題を取捨選択する必要がでてくる。実力のある個別指導先生を事前に見分けてお願いすることも結構難しい。

・(個人的印象に過ぎないが)東京都財政に余裕があるので、公立中は荒れていなければ、そんなに悪くない印象。都立高は楽しそう。(一方、他の首都圏自治体事情不明東京都より財政力は大きく落ちる。その場合、(都内を含む)私立中高一貫校の方がいいということはあるかもしれない。)

高校受験都立入試が単願制なので、それはそれで大変厳しい。また、公立中の教員が付ける内申点がフェアである保証がないという問題もある。(普段の授業での観察から内申点をきちんとつけるには、教師に高い能力必要だが、皆が同じ能力を持つわけではない。)その意味では、中学受験の方が楽。

勉強が得意な子で、小学校で話が合う友達が少ない、あるいは孤立気味なら、中学受験するといい。

・親が偏差値に囚われない自信があるなら、素晴らしい私立中高一貫校は多い。(生徒がその環境を活かせるかは別の話。学校そっちのけで友達と遊んでしまうのが普通。)ただ、偏差値の魔力は強い。

中学受験をすることに決めたなら、演習問題模試過去問で間違えた問題の解き直しがとても重要模試の結果が返ってきたら、正答率が一定数(50%とか)以上の問題で間違えた問題を、すべて正答したと仮定して、点数を足し合わせて子どものその模試での偏差値がどれだけ上がるか見ると、難しい問題ができなくても、基本問題を抑えれられば偏差値結構大きく上がることが分かって、子供のやる気が出るのでおすすめ

2026-02-04

中学受験おわったーーーー

子供第一志望合格したぞーーー。

各校の偏差値自分中学受験した頃とは全く違うし、

理数系が重視される試験も増えてきたりと色々違う中で、

子供もよく頑張ったと思うし、塾のカリキュラムもきちんと家でもこなせたと思う。

中学受験は親がどれだけ頑張ったかということはよく聞くけど、

家での過去問の解き直しや、テキストのまとめ会の解き直し手伝ったり、

からない問題教えたりということを夫婦で分担してやったけど、

親子総力戦で挑んだ感じ。

1月の併願校複数受かって油断したりして、

2月の本試験で予想外に落ちた志望校もあったりしたけど、

結果的には第一志望受かって良かった。

2026-01-29

女子枠に反対する男子受験生

もっと勉強して合格ラインボーダーを卓越する成績になるか、志望校レベルを下げれば気にならなくなるんじゃない?

結局、全力出してボーダーすれすれの大学高望みするから女子枠が気になるだけ

女子枠に文句言うなら成績上げろ

大学入試女子枠とかジェンダー枠に文句言ってる男子学生。なんか「不公平だ!」とか「逆差別だ!」とか叫んでるけどさ、冷静に考えてみろよ。もともと大学入試にそんな枠がなかっただけで、中学高校受験なんて、男女の成績差でバンバン合否決めてるとこがいっぱいあるじゃん

俺の知ってる限りで言うと、私立中高一貫校とか、男子女子校別じゃなくても、共学のとこで偏差値見てみろよ。女子の方が全体的に点数高い場合男子合格ラインが低く設定されてるなんてザラだぜ。いや、逆ももちろんあるけど、要は「成績に大差つけて合否決める」システムが、もう何十年も前から普通に存在してるんだよ。大学けが特別純粋な実力勝負だったみたいに言うなよな。

文句言ってる男子学生さ、結局のところ「自分が不利になるかも」ってビビってるだけじゃね? 女子枠ができたって、全体の枠が増えてる場合もあるし、そもそも本気で志望校狙うなら、良い成績取って確実に受かるライン超えろよ。それで落ちるなら、それはもう自分の実力不足だろ。女子枠のせいにする前に、勉強しろよ。俺だって受験の時、偏差値ギリギリで落ちたけど、誰も文句言わなかったぜ。社会に出たらもっと不公平なこと山ほどあるんだから、こんなところでグチグチ言ってんじゃねえよ。

まあ、ジェンダー平等観点議論するのはいいけど、ただの被害妄想で叩いてるやつはダサいわ。女子が不利だった時代もあったんだし、バランス取るための施策なんだよな。

anond:20260129093130

2026-01-18

予備校浪人してたとき

同じクラスにいわゆるオタサーの姫っぽい女子とその取り巻き数人がいたんだけど

姫だけ第一志望の国立受かってあとの取り巻き志望校よりワンランク、下手したらツーランクスリランク下の私立に行ってた

いや、行ったかどうかは知らないんだけど

直前期になんか桃山学院大がどうのこうの言ってたか

京大志望のクラスなのに!?と当時びっくりした

でもその子たち、クラスグループLINEでもなんか痛い話ばっかしてたし

詳細は知らんけどずっと恋愛のことで揉めたりしてた

女子の方は要領よくやってたんだろうね

でも取り巻き男子は言っちゃあ悪いけど元々ちょっとぼんやりした感じで

ナイキのゴツいスニーカーとか履いてるけど猫背でなんか似合ってなくてさ

そういう冴えてない子が振り回されておかしなっちゃったって考えると、

なんだかその女子のこと許せなくなるな まあキモさで言うと取り巻き男子の方がキモいんだけど

2025-12-28

家族という呪いの話

私には3人の家族がいる。父・母・兄。

父が東大に、母が医療系の専門学校に通っていた頃ふたりインカレサークルで知り合って、20代の終わりに結婚した。その頃父はまだ博士課程にいて、国家資格持ちの医療従事者となった母が支えたらしい。それから父は博士号を取り、大手企業研究職に就き、兄が生まれ、私が生まれ、母は専業主婦になって、家族みんなで父の海外赴任について行ったこともある。家を買って、"家族4人"で暮らしていた。料理上手で家庭的な母と、頭が良くて順調なキャリアを歩む父。兄も私も健康で、大きな問題を起こすこともなかった。絵に描いたような家庭。

私たち問題がなんなのか、いつどのように始まったのかわからない。

母は「お父さんも結婚する前は優しかったの」と言う。でも結婚してすぐ手をあげられたことがあって、親にも誰にも言えなかったらしい。幼い私から見ても、偉いのは父で、母は従う人。父は家ではなにもせず、母は頼まれる前からお茶飲む?」と聞いて、「いい」と言われてもなお「あったかいの淹れることもできるよ。この間○○さんにお土産でもらったのがあるの」と言いつのって「要らないって言ってるじゃん!」ときつく言われ黙り込むような人だった。いま30代となった兄の振る舞いは、この父によく似ている。私も内心で母に苛立つ。

しかった思い出もある。夏のキャンプとか、塾でいい成績を取れたら遊園地に連れて行ってもらえたこととか。

ふれあい動物園が好きで、小学生の私の"将来の夢"は獣医だった。父が言った言葉からそういうことになった。

でもどこかに向かう車内の何気ない会話で父が激高して、そのまま気まずい沈黙が流れたり、Uターンして家に帰ったりした記憶も同じくらいある。

父が声を荒げたり物を壊したりするのが怖かった。されるがまま、言われるがままで、ただ黙って父の壊したものを片付ける母がもどかしかった。

から小学校卒業する頃、父が単身赴任すると聞かされた時は嬉しかった。私の中学受験が終わった頃で、「せっかく受かった志望校を諦めさせるのはかわいそう」というのが家族で引っ越さない"言い訳"だったらしい。私たち子供意見は聞かれなかった。この頃の父は激務なのか家庭の不和なのか、メンタルクリニックに通っていたらしい。"職場に近いところで寝泊まりしたいから"一人暮らし用の部屋を借りていた時期もあった。でも父が辛そうにしていた記憶も、幸せそうにしていた記憶もない。父が私のマグカップを使ったことがあって、それが気持ち悪くて二度と使わないと心に決めたことだけを覚えている。

そうして家族3人での生活が始まって、私は母の選んだ中高一貫校に進学した。

ふたつ上の兄は地元公立。兄も中学受験のために塾通いをしたけれど、本人のやる気が足りないからと父が打ち切ったらしい。後の大学進学を含め、"お父さんのお気に入り"である私の学費は父が、"お父さんはお兄ちゃんに厳しい"から兄の学費は母が捻出したらしい。母は資格を活かして復職し、一人で兄と私を育て、家事をし、仕事もしていた。朝は6時前に起きて朝ご飯とお弁当をつくってくれて、電車通学の私を駅まで送ってそのまま自分も出勤する生活

かに父は、兄より私のことが好きだと思う。母より兄より私の方が父の物の考え方を理解できるという感覚が、幼心にもあった。父が母に向かって声を荒げる前にそれを予測できたし、単純に兄より私の方が勤勉で、成績がよく、いわゆる"優等生"だった。父と私は似た者同士なのかもしれない。私は父のことが嫌いだったし、父も私たちにさほどの関心はないようだったけれど。単身赴任を始めて以来、父と会うのは年に数回、話すのは数分になって、それが今日まで続いている。

対して母のお気に入りは兄だと思う。兄は今も母と実家暮らしている。月5万を家に入れて、当番制でときどき食事を作り、母はそれを褒める。掃除洗濯も家の修繕費負担も母で、「お兄ちゃんが作ってくれておいしかった」と聞かされるのは大概がパスタの話だけど、兄は"いい息子"、私は"手がかかる娘"。実家を出て自立していても、兄より収入が多くても、"昔は全然家のこと手伝わなかった"から、私は永遠に手のかかる娘。だって兄よりは手伝っていたけれど、母は男尊女卑の根強い家庭で育ったのだと思う。身内を貶すことも文化のうちなのだと思う。

兄と遊んだのは小学生中学年くらいまでで、まだランドセルを背負っていた頃に「恥ずかしいから外で話しかけないで」と言った記憶がある。共通趣味話題もなかったし、兄の自意識が透けて見えるような言動が恥ずかしかった。でも、ひどい言葉だ。私の方から関係を壊したのかもしれない。その頃には既に一緒に遊ぶような関係ではなかったけれど、兄はより話しかけてこなくなった。

兄が高校3年、私が高校1年だったか、その1年前か、その年のセンター試験をそれぞれ解いて、いくつかの教科は私の方が成績がよかった。兄の能力を低く感じ始めたのはこの頃かもしれない。でも兄は、受験プレッシャーもあっただろうに、「すごいね」というようなことを言ってくれた。そう言える兄のことをすごいと思った。兄のことを尊敬したのはこれが最後になる。

その頃の私たち兄妹はろくに会話せずそれぞれの自室にこもって過ごしていて、物の貸し借りはなかったし、用があるときはドアをノックする関係だった。

でもある夜、ふと気配を感じて目覚めたらベッド脇に兄が立っていた。驚いて「何?!」と聞いたら兄は無言で出て行った。いま思えば、次の日にでも「なんだったの?」と聞けばよかった。聞ければよかったのに、どうしてできなかったのか、なにが問題なのかわからなくてこれを書いている。私は聞けず、兄はなにも言わず、ただただ気持ち悪く思いながら寝て、その後も何度か夜中に兄が部屋に入ってくることがあった。ただそこに立っていて、一度は布団に触った。物を持っていったことはなかったと思う。

母には相談した。相談しているときに兄が帰ってきて、母はそのまま私の前で「○○の部屋に入ってるの?」と聞いた。兄は否定して立ち去って、母は「入ってないって」と私に言って、話はそれで終わった。一度じゃないのに。入ってきてるのに。それで私はいよいよ兄のことが気持ち悪くなって、食器バスタブも兄の触れたものは使いたくなくて、夕食と入浴を捨てた。水道を止めるために蛇口を触ると、その手をまた洗いたくなって困った。その手を拭くタオルも兄とは別のものを使いたかったし、それでも同じ洗濯機で洗っていると思うと気持ち悪かった。夕飯を食べない生活なのに今より随分ぽっちゃりしていて、なのに生理は2~3カ月に1度しかこなかった。でもそういうことは、我が家では問題として扱われず、兄が遠方の大学に進学して家を出た。2年後に私も出た。

家を出て本当によかった。高校までと大学からで、自分を違う人間のように感じる。連続した人生とは思えない。高校までの記憶ぼんやりしていて、本当にあったことのように感じない。

大学で、回し飲みができるようになった。学校生活を生き抜くために必要から無理して維持しているだけじゃない、本当に好きな友達ができた。次に会うのを楽しみにできて、泊まり複数日一緒にいることができる。大切な思い出、というのができた。私のことを大切にして尊重してくれる恋人もできた。一人でいるより一緒にいる方がいい、と思っていることに気づいて驚いた。

その人たちから本当に多くのことを学んだと思う。

関係が近いからと言ってその人を貶す必要はないということ。嫌なことがあったら話しあった方がいいこと。伝えたら聞いてもらえるということ。行動に移してもらえるということ。私も聞きたいし、行動を変えたいし、それは案外簡単で、延々と不満を溜めこむほどのことではないということ。好きな人がいると幸せだということ。いろいろな形の幸せがあること。お互いを思い合う夫婦もいること。家族はなんでも話せる相手、と思っている人もいるということ。

そうして月日が経って、生活人間関係が安定するにつれ、家族のことが嫌いになった。高校までの自分のことも、あまり思い出せないけれど、思い出せたら嫌いになる気がする。

男尊女卑、人を見下す視線、高い要求幸せの形を押し付ること、人の気持ち無視すること。

母は"いい母"として"いい家庭"を築くことに一生懸命だった。本当にすごく努力して、くれた?と思うし、その努力根性尊敬している。でも母が見ていたのは理想家族像であって、私たちではなかったと思う。父と結婚したのは東大生だったからじゃないのか。父が声を荒げて物を壊しても、抵抗しなければ嵐は止むから、私が内心でどんなに兄を気持ちわるがっていても、「気にするな」と取り合わなければ黙るから、そうして"穏やかな家庭"を得ることにしたみたい。「お父さんとは話合いにならない」「なにか言ったらもっと荒れる」と母は言うし、父の気が荒いことは事実だけれど、一方で父は非常に論理的な人でもある。

話し合いを諦めたことは、なにを諦めたことを意味したんだろう。"かわいそうな被害者"として父への不満を言い続けた母は、なにを得たんだろう。

復職してから家計折半になり、生活ももらっていないらしい。母はそのことを誇りに思っていて、それが私には、自立を誇っているというより父なしで生きていけることを誇っているように見える。父は、父としても夫としても、基本的に不在だった。今でも不在で、お互いの退職後にどこでどう暮らすのかは、楽しみな計画というより悩みの種となっている。

母が口癖のように言うこと。

専業主婦とき社会に認められていると思えなかった」「資格を取りなさい」「子供を産みなさい」「毎月25日はATMが混んでてなんでかなって思ってたら給料日にはすぐ生活費をおろすって人が結構いるみたいなの。生活に余裕があるって有難いことだなぁってしみじみ思った」

私はどうしても子供がほしいと思えない。

結婚したいと思える人が

2025-12-20

anond:20251219110851

塾というのは具体的な成果を求めて行くところ。

志望校に受かる、学力試験の結果を向上させるetc

そのためのテクニックを学ぶところ、点数をどうやって向上させるのかを学ぶところ

対して学校というのは成果ではなくて自分学力を高めるところ

例えば数学なら解き方を学ぶだけで満足せずに、どうしてそうなるのかを?

理解する」のを学ぶところ。

塾は成果を求めるところ

学校は成長を求めるところ

2025-12-15

息子の志望校が、成績的に本来狙えるレベルよりかなり低い偏差値高校なんだよ

でも息子は明確にやりたいことがあってその学校に行きたいって言ってて、親としても応援してやりたいわけ

でもなんか、先生とかよその親からもったいないって言われんだよね

なんというか、実力より低い偏差値学校に行くのをもったいないっていうの、なんか違う気がするんだよ

でもなんで言えばいいかよくわからんからモヤモヤしてる

荒れてるとか不良ばっかりの底辺校なら流石に止めるけど、普通に国公立大学目指せる地域では並以上の学校だし

本人が希望してるのにもったいないとかなんか違くないか

2025-12-08

小学生の時に新興宗教を作った話

毎年クリスマス正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。

とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。

はいくらでもあるが、当時小学生お子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。

まり

増田が6年生だった頃のことである

当時通っていた小学校お受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強関係ない授業が多い日は学校休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である

そんな雰囲気学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配から大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。

当然、遊びたい盛りの子供は不満である

から晩まで勉強で楽しくないし、学校教師子供達に学校勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。

小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。

そうだ、宗教を作ろう。


友人について

当時の増田立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。

とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強スポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。

入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャ性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである

表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。

友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。

友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。

増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。

ズブズブに共依存している闇のズッコケ三人組である

そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。

宗教を作ろうと思う」と増田は言った。

いいね、やろう」と友人Aは言った。

信者100人くらい欲しいね」と友人Bは言った。

増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。

そうして、宗教を作ることになった。

宗教を作ろう

増田キリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。

そこで「神」不在の「思想」の宗教を作ることにした。

思想宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田信仰は深くなかった。ただ、人間熱狂宗教になりうる、と子供心に感じていた。

小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。

発端

どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。

その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである

これは単純だが、小学生承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票シールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。

増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。

それと同時に、「これは使えるな」と思った。

まり、「人の善意は操れる」と知ってしまったのだ。

増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。

どうせ宗教を作るなら、ハッピーな方がいい。

3人の意見はまとまった。

その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校コンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。

日中調べて回って、以下のことを決めた。

小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。

そしてそれを実行に移した。これが6月の頃である

〇〇〇〇教の立ち上げ

結論から言うと、〇〇〇〇教はバカウケした。

結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。

友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。

3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生拡散力を舐めていたのである

拡散組織化

夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。

だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である匿名投票匿名性は失われ、よく知らない人間善悪判断しなければならない。

3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである

それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営テコ入れをすることにした。

まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者シールとお札のデザイン一新させた。毎月シール図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。

また、情報屋も雇った。告解で得た情報さら価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。

支部長の下に秘密内部監査官も置いた。これは支部長の不正信者との癒着告発させるためである

組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田

夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。

そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである

お叱り

〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。

当然である人間の口に戸は立てられない。小学生なら尚更だ。

つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。

夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。

説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたかである

そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ

教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的要求押し付けてお開きになった。

応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。

馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。

子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!

受験用に詰め込まれ知識であるキリシタン気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである

〇〇〇〇教は密教と化し、いよいよ肥大化していた。

隠語で呼ばれ、ミサと称した会合秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。

教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校掲示板mixi日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。

知らないデザインシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。

秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。

祭りの後

冬季講習の最終日、いつもの公園ジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュース乾杯をした。

「そろそろやめよっか」と増田は言った。

教祖しかったなぁ」と友人Aは言った。

卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。

正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である

教祖司祭裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。

でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手物事は進んでいくし、勝手教祖を名乗るものも出てくるし、勝手布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。

だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。

色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。

あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。

教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。

こうして、我々の宗教活動は終わった。

最後

友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。

友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。

増田中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。

それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近オンライン飲み会なるものを開催している。

この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。

最近子供ランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」

友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。

この歳になると涙腺が緩くなって困る。

キリシタン、まだいるのかぁ。

2025-11-28

中受の思い出

もう20年近く昔のこと。

オチはありません。

私が通っていた小学校は、学年の2/3くらいが中学受験をするところだった。

授業が終わったら公園に行って遊ぶなんて生活はまるでなくて、家に着いたらランドセルを置き、リュックを背負い直して塾に通う毎日

学校カーストは塾のランククラスで決まっていて、SAPIXのαがトップ、次いでアルファベットの上位、アルファベットの中位と日能研の上位が同列…という具合。

受験しない子たちも1/3はいるわけだけど、みんなサピやNのクラスけがどれだけ熾烈なのかはよく知っていて、共通認識として染み付いていた。

でも別にこれを理由にしたイジメや蹴落とし合いがあったわけではない。(小学生同士にありがちないさかいくらいは普通にあったけど。)

ただの日常として、当たり前に、"そういうもの"という空気を吸って吐いて過ごしていた。

平日の朝は時事問題対策日経新聞の一面を読んで、学校に行けば授業なんて聞かず塾の宿題をやり、学校が終われば塾に行く。毎日がこの繰り返しだった。

(そういえば、ちょうどこの頃の日経には『愛の流刑地』が連載されていて、うちの学校では『愛の流刑地』『僕妹』『恋バナ(Yoshi)』が3大エロ本みたいな扱いだった。)

私たちのパパは医者社長エリートサラリーマン(あの土地に戸建てを持てる位に貰えてる)な一方で、ママ殆ど専業主婦だった。そしてみんなヒステリックだった。

塾の成績があんまり良くないからという理由学校に乗り込んできたママに、踊り場で怒鳴りつけられている子。ご褒美に買ってもらえたちゃおをズタズタに切り裂かれた子。家に帰ったら勉強机に包丁が刺さっていた子。成績が悪いと、ミスがなくなるまで寝させてもらえない子。

みんな自分ママのヤバエピソードを沢山持っていて、それをネタにして話すのも日常だった。

振り返って見れば虐待だろうというものもあったけど、警察もあまり介入してくれない時代だったし、それより周りのみんなも同じだったから、ママっていうのはそういうものなんだくらいの感覚だった。

大人になってから気づいたが、彼女らのほとんどが大した学歴ではなかった。

泣くし怒鳴るし頭が悪いママが多かったから、ハナから狂ってるか発達障害が多かったんだろうなと今では思う。

そういえば、PTA内のいじめが酷いと有名で、バカみたいだと子どもの間でも話題だった。そういうレベル人間私たちママだった。

パパは、たぶんどの家庭も無関心だったんだと思う。そもそも仕事が忙しくてあまり家にいれないパパが大半で、関心以前に時間がなかったんだろう。

同じクラスの二人は志望校に落ちて病んでそのまま引きこもりになった。

一人はサッカーやってる陽キャ男の子、もう一人はオタクっぽいけどきっぷのいい女の子だった。

二人とも明るくて、誰とでも仲良くできる良い子だった。男の子の方はスポーツ万能だったこともあって結構モテていたし、女の子の方もいつも友だちに囲まれていた。

二人が今どんな風に生きているのか、そもそもちゃんと生きているのかすら知らない。

一度だけ、男の子の方が地元中学イベントに顔を出していたという話を聞いた。きっと教師に無理やり引っ張られて来たんだろう。

集合写真に写る彼を見せてもらったが、小6の頃と何も変わっていなかった。悪い意味で。

中学生にもなると男女共に大人びてくるものだけど、彼だけは時が止まったまま、なんだかとても幼く見えた。

女の子の方は、小学校卒業式にも現れないまま、その後のことは全くわからない。

今は楽しく生きていてくれたら嬉しいなと、心から思う。

合格組のその後も書いておこう。

華やかなキャリアを送っている子もいれば、アラサーになってまだ人生迷子自分では何も決断できず一生ママ共依存やってる子もそこそこいる。

おしまい

2025-11-20

親と無関係無能なんだけどそれはそれとして毒親

高校で碌に勉強しなかったか中高一貫から浪人してまで私文のカスなんだが、最近親が俺と会話する際に我々の育て方が悪かったという謝罪をしてくる。

かに俺の親は酷いもんだった。

幼稚園徒競走で一位じゃなかったら両方から死ぬほど怒られたし、3歳からピアノ練習では横でずっとキレて殴ってくるもんだから、俺は泣いて全く上手くならずまた殴ってきた。

祖母と一緒に、俺に聴こえる所で俺の友人やその親に罵詈雑言を浴びせかけ、何も分かってない俺がそれを幼稚園で復唱しようもんなら、お前はどうしようもないクズ嫌われ者でお前なんかと友達になろうとするやつはいないって丁寧に教えてくれた。

小学校入る前に分数の掛け算やらされてよく分からないままに、間違えると五時間ぐらい母親は泣き喚いてキレ散らかして俺を殴るし、その癖私は俺からみたおばあちゃんもっと酷いことされたって自慢しながら泣く俺と妹に悲劇のヒロインぶってんじゃねぇって言いながら殴ってきた。

インフル喘息かで病院に行ったら待合室で泣くまできれられたし、小学校二年生の頃に、入院がつらかったって家で母親に自慢したら、お前なんかよりよっぽど辛い境遇のやつが周りには入院してたのにわざわざそんな事を親に自慢するなんてお前はなんて気色の悪い野郎なんだって死ぬほど怒られた。

もう何が原因だったかも忘れたけど、俺と妹に包丁突きつけてどっちかがどっちかを刺し殺したら許してやるって選択余地をくれた。

あと、子供の夢を叶えようと俺の軽口の代わりに翌朝の朝ごはんが全部お菓子になって、泣いて食べれない俺の代わりに口に詰め込んでくれた。

小学校に入ったら、工作の授業のレースに使うためのまつぼっくり集めなんかに専業主婦で大変忙しい母親を駆り出したから、その上でおれが友達の葉っぱかなんかとそのまつぼっくりを交換してその上おれが工作センスがまるでなく貧相なリースを作ったもんだから、私はお前の友達奴隷なんだなって言ってきた。

当然いじめられた俺が相談しようものなら、相手の家と校長にキレ散らかして電話をかけて無事俺はキチガイの息子になった。

テストで百点取らなかったら怒るのは序の口で、演奏会お遊戯会で何の役にもなれなかったらそんな事で怒られた。

普通に不仲で、旅行先でちょっと体調悪くなったからって子供おいて喧嘩するぐらいで止めずに勝手に帰ったりお前のせいでせっかく面倒くさいのにこんな事してやってるのが無駄になったとか公衆面前で叫んだりするのはやりすぎだと思う。

サピックスに入ってからは、テストの点が悪かったら当然キレるし、俺が勉強出来なかったら俺なんかよりよっぽど勉強ができた山本丈(偽名)の家庭教師になってそいつを受からせてお前を落としてやるって言った。多分そうなってたら丈は志望校落ちてたのでお互いに良かった。

小6の秋にマジで一回俺を脅すためにサピックス退会して、入会金払い直したのはマジでバカだったと思う。

あと、何かにつけて俺の大事もの破壊する癖があって、ジョウト地方での俺の冒険ケチャップ醤油漬けになったし、お気に入りのコップは粉々にしようとしたけど高いやつだったから惜しかったのか洗面台に隠してあった。おじいちゃんに買ってもらったゴーオンジャーロボット母親が地面に叩きつけるからパーツが欠けたり折れたりしてダメージ感が増してかっこよくなった。後、スヌーピーの毛布的な大事にしてた布に挟み入れたり妹のイルカぬいぐるみバラしたのはマジで許してない。

中学に入っても碌に分かりゃしない馬鹿のくせに昔とった杵で俺と妹に英語教えようとして邪魔しまくってた。

でも、俺がある程度でかくなって俺のこと殴って殴り返されたら負けるようになってからは相変わらずヒスッたりキレたりするけど俺のこと殴らなくなったね。だからといって子供の前で笑いながら、熱したフライパンで殴れば言うこと聞かせられるとか言うもんじゃないよ。

から、俺が高校部活に馴染めなかったり友達いなかったり数学マジで出来なかったりその癖無駄に本ばっか読んでたか無駄知識があるとか言いながらその読書中途半端ゲームとか寝たりで中高無駄にして文化祭かにコンプレックスがあって、その癖浪人失敗して、私文なんかに入って高校の元友達には馬鹿にされて、大学だと周りはみんな俺より人生上手だからなんか浮いてサークルも怖くて入れなくて文化祭も参加せず、バイトも怖くてバイト先で全く打ち解けられてないのは俺が怠惰無能なせいであってマジで親が悪いわけじゃねぇんだ。どうしよ

最初はここに吐き出すつもりだったけど承認欲求に駆られたのでnoteかにコピペしようかな

2025-11-10

自己肯定感がない。

自己肯定感が低いのは生来のものかと思ってたけど

思い返せば、小学生くらいまではそんなことなかったんだよね。

さな失敗を、何回も何回も何回も繰り返してたら、

いろんなことに怯えて過ごすようになった。

社会人適応障害になったあたりからからかな?

それとも志望校に落ちたころ?

思い出せない

そういう駄目な自分を一つずつ許す作業必要だったのに、許さないままここまできてしまった。

もっと早くに気付けてたら少しはマシな人生を送れてたかもしれない。

2025-10-22

なにかを頑張らないといけない焦燥感がすごい

中学高校生の頃は1週間のほとんどが学校部活で、テストがあればテスト勉強を頑張り、部活大会があれば練習を頑張った。受験があれば志望校合格に向けて塾に通って勉強を頑張った。

大学生の頃も周りの怠けたいわゆる「ウェーイwww大学生にはなりたくなくて、授業では良い評価を狙うために勉強したし、部活にも所属した。怠けたくないというよりかは、「怠けた自分なんて評価されない」とか「どうしようもない人間になってしまう」とかそういう気持ちの方が大きかったかもしれない。かといって就活自分がやりたいことが分からなくてそこまで頑張れずにブラックではないところに入ることができればと思い、大手とは言えないけど上場はしていて社員数も多め、資本金多め(日本語の使い方が間違っているかも)の会社入社を決めた。

ここまでは何かしら人生に「頑張らないといけない理由」があった。学校には行かないといけないし、部活にも行かないといけない。(行きたくないなら辞めなさいと言う人もいるが、辞めるのが怖くて辞められなかった)就活もしないといけない。

でも今はいわゆる普通会社員として日々働いているだけで、特に頑張ることができていない。頑張らないといけない環境にないからだと思う。(自分が本当は怠けた性格なのに、今までは無理やり頑張らないといけない環境にいられたから頑張れていた?)

資格を取るとか、何か勉強するとか、副業するとかが完全自由で、成長するもしないも自分次第な環境になってしまった。 

最近冷笑系がどうのこうのという話題があるが、いわゆる冷笑される「意識高い系」の人がめっちゃ羨ましい。社会人になって、色んなことに挑戦して自分を高めていく姿ってかっこいい。自分も何かやれば良いだけなんだけど、何をすれば良いかからないし何かしたいこともない。

そもそもしたいことがないんだよなー。小学校中学校は義務教育で行かなきゃいけないし、高校大学も「普通は行くよね」だったし、就活も「普通企業には就職するよね」というような環境だったからどうにか普通レベルはこなしたくて、やりたいというより「やらなきゃ!」でやってこれた。

でも社会人になった今、やらないといけない仕事をやっているだけでは足りないのでは?と急に不安になってきている。自己研鑽は勿論、結婚とかそういうライフスタイルの変化も含めて。恋愛に関しても今まで興味なく過ごしてきてしまって、今も結婚をしたいとか子育てをしたいとかいう思いもない。正直何にもしたくなくて全然人生を断たれても良い。(病気の方とか生きたくても生きられない方がいるよ!とかいお話承知の上で)でも痛い思いをして死にたくないし、首吊り後遺症が残るとかいう話を聞いてから怖くてできないし、本当にわがままなんだよね。

頑張りたいけど何をがんばれば良いかからない。なんで頑張りたいのかというと、頑張っている人はかっこいいから。はー。何をすれば良いんだろう。

なにかを頑張らないといけない焦燥感がすごい

中学高校生の頃は1週間のほとんどが学校部活で、テストがあればテスト勉強を頑張り、部活大会があれば練習を頑張った。受験があれば志望校合格に向けて塾に通って勉強を頑張った。

大学生の頃も周りの怠けたいわゆる「ウェーイwww大学生にはなりたくなくて、授業では良い評価を狙うために勉強したし、部活にも所属した。怠けたくないというよりかは、「怠けた自分なんて評価されない」とか「どうしようもない人間になってしまう」とかそういう気持ちの方が大きかったかもしれない。かといって就活自分がやりたいことが分からなくてそこまで頑張れずに、大手とは言えないけど上場はしていて社員数も多め、資本金多め(日本語の使い方が間違っているかも)の会社入社を決めた。

ここまでは何かしら人生に「頑張らないといけない理由」があった。学校には行かないといけないし、部活にも行かないといけない。(行きたくないなら辞めなさいと言う人もいるが、辞めるのが怖くて辞められなかった)

でも今はいわゆる普通会社員として日々働いているだけで、特に頑張ることができていない。頑張らないといけない環境にないからだと思う。(自分が本当は怠けた性格なのに、今までは無理やり頑張らないといけない環境にいられたから頑張れていた?)

資格を取るとか、何か勉強するとか、副業するとかが完全自由で、成長するもしないも自分次第な環境になってしまった。 

最近冷笑系がどうのこうのという話題があるが、いわゆる冷笑される「意識高い系」の人がめっちゃ羨ましい。社会人になって、色んなことに挑戦して自分を高めていく姿ってかっこいい。自分も何かやれば良いだけなんだけど、何をすれば良いかからないし何かしたいこともない。

そもそもしたいことがないんだよなー。小学校中学校は義務教育で行かなきゃいけないし、高校大学も「普通は行くよね」だったし、就活も「普通企業には就職するよね」というような環境だったからどうにか普通レベルはこなしたくて、やりたいというより「やらなきゃ!」でやってこれた。

でも社会人になった今、やらないといけない仕事をやっているだけでは足りないのでは?と急に不安になってきている。自己研鑽は勿論、結婚とかそういうライフスタイルの変化も含めて。恋愛に関しても今まで興味なく過ごしてきてしまって、今も結婚をしたいとか子育てをしたいとかいう思いもない。正直何にもしたくなくて全然人生を断たれても良い。(病気の方とか生きたくても生きられない方がいるよ!とかいお話承知の上で)でも痛い思いをして死にたくないし、首吊り後遺症が残るとかいう話を聞いてから怖くてできないし、本当にわがままなんだよね。

頑張りたいけど何をがんばれば良いかからない。なんで頑張りたいのかというと、頑張っている人はかっこいいから。はー。何をすれば良いんだろう。

2025-10-19

追記

ブコメにあった「単願制見直し公立高校入試DAアルゴリズムを用いた併願制についての情報ページ」

https://www.mdc.e.u-tokyo.ac.jp/news/6531/

ありがとう🙏全部読みきれてないけど、まさにこれだ

議論が進むといいな

追記2

昔の総合選抜制度を詳しくは知らないけど(wikiも全部は読めてない)、

自分イメージとしては、選択した志望校入試の成績順に上から割り振られていくので、高校レベル低下にはならないんじゃないかなと。高校の平均化を求めるものではない。

(いろんな要因が絡んでくると思うので過去経験は参考にするとして)

家計を気にせずに誰もが公立高校チャレンジできるといいなっていう素朴な発想です。

追記3

デジタル併願制】公立受験「単願制」見直し複数校の志望可能に 石破首相検討指示

https://x.com/livedoornews/status/1914816490500690347

進んでた!立ち消えないようがんばってほしい!

公立高校受験志望校複数選択して成績※で割り振るとかできないんだろうか。

(たしかチームみらいの動画でそんな話題が出ていたような)

(※追記 ブコメを読んで。これは入試の成績のつもりでした。通知表内申点ではなく)

私立の滑り止めがあったとしても、家計の状況で私立は避けたい場合公立はかなり安全圏に落とすしかなくなる。

(2次募集ではそもそも枠が少なかったり、定員割れするような偏差値がかなり下の高校になる)

政府総支出に占める教育費の割合: 日本OECD加盟国中で低い水準にあります

日本:

7.1%(2022年)、OECD加盟国中3番目に低い (2022年)

OECD平均: 約

15%(2022年)

高等教育への公的支出:

日本: OECD平均の半分程度

家計負担: 日本高等教育費の家計負担率は高く、他の先進国よりも顕著です。

日本:

53.4%

米国:

36.1%

スウェーデン:

0%

なんで公教育に金かけず、私立や塾に金回すようなことばっかしてるんだろうか。

2025-09-27

不登校ガキから大学生になったけど、昔の方が気楽だった

小中ほぼ不登校高校進学校受験してなんとか卒業し、勉強はできたけど特にやりたいことがなかったか進振りのある東大に入った。

小さい時は社会とか人生に対する解像度が低いから、社会は未知の恐怖ではあったけど未知すぎて想像がつかず、我が子の将来を悲観する親の語り掛けにも心は動かず、とにかく学校に行かないで済めばそれで良かった。どうして学校行きたくないのかを自分でもうまく説明できなくて、親を怒らせたり悲しませたりするのは辛かったけど、自分の将来はどこか他人事で、自分大人になることも親が先に死んでいくことも現実味がなかったように思う。

学校に行ったり行かなかったりだったけど勉強はできたか義務教育後も進学して、進学校に行った。最初案の定全然行けなかったけど、授業は進学校だけあって面白かったし、勉強に集中していれば意外と学校も辛くなくて、高校にもなれば生徒も周りの子にそんなに興味ない上に真面目な校風ということもあって、いつのまにかちゃん毎日学校に通えるようになった。高校生の時は、あれだけ不登校だったのに毎日学校行けてるだけで十分だと考えていて、将来については相変わらず特に考えておらず、勉強に追いつけないとか親のプレッシャーとかで泣いている友達にあまり共感できなかった。一応自分毎日朝早くて嫌だなとか塾嫌だなとか当時は悩んでた気がするけど、今思えばそれほど大した悩みではなかったと思う。親が志望校にあれこれ口出してきたのはかなりストレスだった覚えはあるけど、それも今となってはほとんど忘れている。

勉強はできたし都内住みだから東大に入った。色んな授業を受けられるのが楽しかったし、同級生も大体みんな頭が良かったから話すのが楽しかった。交友範囲も行動範囲も広がって、一人旅に出かけたり、運転免許取ったり、アルバイトしたり、自分もまともな人間じゃんと思えるようになった。小中の時は学校に行かなくて済むならそれで良かった。高校生の時は不登校だった時に比べれば高校行けてるだけで偉いじゃんと思えていた。大学生になって、普通人間になれたと思った途端、将来が不安になってきた。しっくりくるサークルがなくて何にも入っていない。勉強楽しいけど研究別にきじゃないか研究者にもなれない。アルバイトガクチカになるようなものではない。自分の強みになるような、特別好きなこともやりたいこともない。不登校だった時に比べれば、という免罪符効果は完全に失われて、同級生と比べて劣った自分に気がついてしまった。

将来のことを考えたり、自分の状況を他者比較できるようになったりするくらい精神的に成長したということなんだろうが、こんなに不安で苦しい今より、現実逃避していることにも気付けないような不登校ガキの頃とか、元不登校免罪符勉強だけしていた高校生の時の方がよっぽど気楽に生きていた。学校に行くという当たり前のことすら出来ずに親を悲しませていた時より今はよっぽどマシな状況で、もし過去に戻れるとしても絶対戻りたくないけど、過去自分はどうしてあんなに将来の不安を感じられずにいたんだろう。高校生の時の悩みを今の自分は忘れているんだから、今の自分の苦しみも将来の自分は忘れているんだろうと思って耐えているけど、悩みのスケールが今後どんどん大きくなっていくんだとしたらそれはそれで苦しい。

不登校に比べたら偉いじゃんという無敵の理論がまだ使えたらフリーターだろうがなんだろうが働いて自立しているだけで偉いと思えただろうけど、普通人間しか東大生になってしまった今は、それなりに稼げる安定した職に就かなければならないという強迫観念のようなものを抱いてしまっている。新たな無敵理論を生み出せない限り、いざ良い仕事に就けたとしても、また出世とか成果に焦って不安になるんだろう。むやみに学歴を積まずに中卒なり高卒で働いていた方が、免罪符効果が続いていたのかもしれないと可能性ばかり考えて現実逃避を試みているが、いまいち効果は薄い。

2025-09-02

今週の僕ヤバ読んで「この中では市川が一番頭悪いのかー」って言ってる人がいた

「いや模試の判定は志望校難易度によって変わるだろ」とは言わずにおいた

2025-08-23

鬼滅の刃の雷なやついきなり真面目になっててツマンナイ

なんか受験前になると急にガリ勉なってちゃっかり志望校受かるやつとかみたい

2025-08-21

anond:20250821010405

これどーせ元の志望校日東駒専レベルの附属中高の話だろ。下手したら妻中とかかもな。女子だし。

で、だとしたら中学受験時代の塾が戦犯だな。

中学受験の塾は経験的に中学受験時代にそのレベル偏差値の子高校受験じゃ同じレベルに届かないことがわかってる。

さらに親が「安心して勉強しなくなるかも」ってタイプ安心しなくてもたいして勉強しないし、したところでたいして伸びない。

から附属大学以上の大学にはどーせいけない。よっぽど勉強したいこと見つけて覚醒したりすりゃ別だけど。

から中学受験の時の塾はその子人生を考えるなら親をなんとしても説得して附属中高にいれさせるべきだったんだよ。

現に不合格合格数も落としてるわけだし。

知恵袋民「娘に『一生恨んで生きていく』と 言われました。」

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14134679189

知恵袋

「娘に『一生恨んで生きていく』と

言われました。

中学三年生の娘をもつ母です。

娘は高校受験の真っ只中で毎日塾の講習やテスト対策に追われています

娘は1度中学受験第一志望に落ち、

公立中学への進学を決めました。

中学に入るときに、もう失敗はさせたくないという思いか地域でも有名な厳しい大手塾に通わせ、できる限り環境の良いところで学べるよう私も主人も色々考えてやってきました。

ただ今になって周りが必死になって頑張っている中、娘は志望校も見つからず『なんのために勉強しているのかわからない』と最近になってよく言うようになってしまい、『あのとき中学受験合格してたら‥』と口癖のように言うようになりました。

娘がそういう理由は、実力が届かなかった自分に対しての怒りではなく、

私たち両親に対しての怒りです。

娘が本当に受験たかったのは、大学までエスカレーターで行ける名門校で、娘の偏差値的にも模試の結果からも十分届くラインでした。ただ私たち夫婦は『安心して勉強しなくなるのでは?』という不安で結局私たちが望んでいた私立中学に受験させたんです。

娘の今の成績からは、本当に行きたかった中学高等部合格するのはかなり難しいです。

娘は『行けてたかもしれない、もっとしかったはずの中学生活がこんな切羽詰まったものになるなんて思わなかった』『一生恨んで生きていく』など、

毎晩毎晩涙を流して怒鳴り散らされ、

私も主人も後悔してもしきれないという感じです。

あのとき娘の望む学校に進学さしてあげていたら‥と考えると娘に申し訳なくて仕方ないです。

でも今更どうにかなる話でもなく、

娘には割り切って受験勉強に専念してほしいと思う気持ちもあります

いけていたはずの学校が届かないものとなって、行きたい高校も見つからない‥。どうするのが娘のためで、どうしてあげられるのか、もう分かりません。

私たち家族にとって

どうすることが大切なんでしょうか。

教えてください。


ベストアンサー

「何を子どもにすまながっているのですか?

そんな態度だからいつまでも過去の事を言われて子どもは成長出来ないんじゃないですか。

両親は子どものためを思ってその中学でないところを勧めたんですよね。

高校受験必死になるのはどこの中学生も同じです。

自分1人が被害者みたいに言って甘えているだけです。

中学受験に失敗したのは自分です。

受かっていたらまた違った中学生活だったかもしれませんが、そろそろビシッと言ってやった方がいいですよ。

今更何を言っても時間は戻せないし、これから人生のために自分の進路をきちんと探しなさい、一生恨んで生きていくのもいいが、親は一生あなたの面倒は見られないから、

って。

今ここで立ち止まって振り返ってばかりいたら本当に後で後悔します。

高校大事です。」

2025-08-18

anond:20250817111659

見ず知らずのネット上の人間がこういうの書くの良くないんだけど、たぶん増田は何も知らないし既成概念で凝り固まってそうなので割とハッキリめに書きますね。

他のトラバでも複数指摘がある通り、娘さんは発達障害の疑いが強いです。

おそらく不注意優勢型ADHD孤立ASDの併発です。

以下、典型的障害特性と感じる点を書いていきますね。

私は医者ではないし、生身の人間を見ないとわからないので、お医者さんに持っていく前の検討材料として読んでください。

・何もしない=過集中(頭の中が常に考え事でいっぱい)

忘れ物が多い=注意欠陥

生理イレギュラータスク処理が苦手

・机の周りが汚い=片付けが苦手

・移動教室が苦手=外的刺激による思考の切り替えが苦手(何もしない原因にも通ずる)

・日に当たるのが大嫌い=感覚過敏

創作活動にのめり込む=過集中

・人前で堂々としている、孤立しても平気、人目が気にならない、悪口を言わない=周囲への関心が希薄

○これからどうする?

医師正式な診断を受けないと何も始まらないので、精神科を予約して初診を受けてください。

おそらく知能検査を受けることになるし、その検査結果のIQの高さに驚くことになります。それはそれとして発達障害の診断が下りたことに安堵もするし、総合的にどう受け止めたらいいのか、この検査結果が良いのか悪いのかわからなくて困惑すると思います。私もそうだった。

増田も娘さんを評している通り、「ずば抜けた得意も、ずば抜けた不得意も、どっちもある」のが高IQ特有発達障害なので、一般的障害当事者とは似て非なる傾向が多く、一般論は参考になったりならなかったりって感じですけど、やることは同じです。

時間をかけてゆっくり障害受容していく。それだけです。

あと娘さんは障害特性強めなので、薬の効きがよさそうです。

薬物療法行動療法で、今の困りごとの大半は解決するんじゃないかな?

療法に慣れるまで時間かかるし、慣れるまでの間は特に二次障害に気をつけないといけないけど、それでも今よりはマシになるはず。

○進学・自立について

地域トップ校なら、卒業後は大学に行く前提だと思います

「診断を受けてしまったら受験に影響するのでは?」と心配されると思いますが、おそらく影響しないです。

願書に発達障害のことを書く欄はないです。たぶんね。昔はなかった。

それと、教育学部心理学部のある大学なら、たいてい発達心理相談センター設立されていて、在籍する学生も、そうでない一般人も、心理士の相談を受けることができます

というか、娘さんの場合は、高校卒業まで障害対策を整えておかないと、大学入学後は高確率単位を落とすので、心理センターがあるかどうかで大学を選ぶのも悪くないと思います偏差値高いとこでいうなら例えば京大にもあります

志望校心理センターがなくても、近隣の大学にあれば、そこを利用させてもらうという手もあります

発達障害者にとっては受験よりも大学生活のほうがよっぽど難関なので、傾向と対策は入念に、そして楽しく勉学に励んでください。

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