はてなキーワード: 元日とは
最近よく目にするのが、
「量的緩和やYCC以降、金利コントロールが技術的に難しくなっている」
という説明だ。
制度的に複雑化し、運営が困難になっている、という話に見える。
しかし、MMTの視点から見ると、そもそも問いの立て方自体がズレている。
中央銀行は、
この前提に立てば、
「水圧調整が難しい」と言っているようなものだ。
・別の形(国債)に交換して
・また買い戻している
だけである。
だから、
という前提を捨てられないからだ。
国債を発行しないと財源がない。
この物語を維持するためには、
だからこそ、
主流派は長年、
・NAIRU
・自然利子率
といった概念を使い、
失業は「均衡」ではなく、
明確な政策失敗だと考える。
MMTの整理は一貫している。
・マクロ安定化のアンカーは雇用(Job Guarantee)
つまり、
→ 技術を磨こう
ではない。
「金利で何を達成しようとしているのか?」
と問い直す。
それは、
MMTは、
この幻想を取り払った上で、
政策の焦点を戻そうとしている。
その運用が難しくなったと嘆いているだけで、
これ↓に関する内容です
妻に対し、月の中頃に「あんたの所に行ってもいいか?」と打診があったそうだ。
年末年始等であれば、本来こちらが実家へご挨拶に伺うのが筋であろう。
ただ、妻の実家は訪問することが非常に難しい土地柄であり、それを言い訳に訪問をサボれている。
当方の実家は距離的には非常に近いのだが、仏壇に線香あげる程度で、ほぼ接点はなく妻にも「我が実家はキ〇ガイが多いため近づくべからず」と伝えている。
関係なく近づいている様子ではあるが。
と言うことで、両実家や親戚等とはあまり接触することなく日々過ごしている。
前回は、近隣のホテルを予約してそこで一席設けて、お義母さんはホテルに宿泊してはどうか?と妻に提案してみた。
と言うのも、我が家は共有部が極端に少なく、客間どころか、玄関開けたらすぐリビングレベルである。
妻の「我が家には訪問客は現れない」という思想からそのような設計になっており、人が泊まれるスペースがないのである。
あと、来られるのがダルかったから。こちらがメインであることはご賢察ください。
妻母親から「〇〇のスペースあるじゃん、そこでいい」と、ホテル宿泊の提案は一蹴された。
妻はと言うと、仲は悪くないが来られるのは若干めんどくさい、しかし親孝行もせねばならぬ、といったアンビバレントな面持ち。
っていうかさ、俺がおかしいのかもしれんが、そもそも、元日に嫁ぎ先に泊まりに行くってなんかすごくねえか?すごくねえのか?
元日じゃねえけど、そういや妻兄弟の嫁ぎ先にも泊まり行ってたな。
これ、正月の決まりごとにしようとしてねえか?別に死ぬほど来てほしくねえとか行きたくねえって程のもんじゃないけど、なんか、ちょっぴりイヤじゃねえか?
妻は「まぁまぁ、(義父は逝去したため)寂しいんじゃない?たまにはいいじゃん。」、テンプレ回答、おっしゃる通りです。
私も妻母親とは仲はいいと思うんですけど、何て言えばいいんでしょうか。
正月よ?365日分の1よ?そんなん言ったら全ての日が365分の1だけれども。
俺の自身の実家への感覚が異常とも思えることに起因している気もするが、やっぱなんかイヤなんだよねえ。
妻の事を考えて、イヤって思う事も多分ダメなんだろうねえ。
めんどくせえなあ。
元日は何もしない日だよ
「お正月に食べるなら、おせちか?それともダイアン津田か?」を議論して。
A:……正直に申し上げます。これまで、プロレスや野球、さらにはサンタクロースまで、あなたの突飛な比較に付き合ってきました。しかし、今回は看過できません。「おせちか、ダイアン津田か」? 食べるんですよ? 物理的に摂取する話をしているんですか? それとも比喩ですか? どちらにせよ、正月の神聖な食卓に対する冒涜です。
B: 落ち着いてください。もちろん、カニバリズムを推奨しているわけではありません(笑)。これは「正月の朝、何を心に取り込み、何を味わうか」という、精神の栄養学の話です。おせちは確かに美しい。黒豆、数の子、栗きんとん……それぞれに意味がある。でも、それってどこか「保存食」の冷たさを感じませんか? 重箱に詰められた、動かない、冷えた伝統。
A: その「冷たさ」が良いんじゃないですか。火を使わずに神様をお迎えし、保存のきく料理を家族で囲む。そこには先人の知恵と、一年の平穏を祈る静かな時間があります。そこにダイアン津田が入り込む余地なんてありません。食卓で「ゴイゴイスー!」と叫ばれて、喉に餅が詰まったらどうするんですか。
B: むしろ、詰まった餅を吐き出させるくらいの衝撃が、今の日本のお正月には必要なんです。おせち料理は、確かに縁起物です。でも、今の時代、黒豆を食べて「マメに働く」なんて、ちょっと社畜精神が過ぎると思いませんか? そんな呪いのような縁起物よりも、津田さんの「理不尽に耐え、泥臭く這い上がるエネルギー」を摂取する。彼の生き様を五感で味わう。これこそが、激動の1年を生き抜くための最高の「心の栄養」ですよ。
A: 意味が分かりません。食卓は五感で楽しむものです。おせちの彩り、お屠蘇の香り、家族の穏やかな会話。そこに津田さんという「雑音」を置くことが、どう栄養になるんですか。彼は「珍味」ですらありません。ただの「刺激物」です。正月の胃腸には負担が大きすぎます。
B: 刺激物、結構じゃないですか。おせちは甘すぎたり、しょっぱすぎたり、味のコントラストが固定されています。でも津田さんは、いつキレるか分からない、いつ泣き出すか分からない。その「味の予測不能さ」こそが、退屈な正月にスパイスを与える。お重の隅にちょこんと座っている津田さんを想像してみてください。
A: 想像したくありません(笑)。重箱のテロですよ。数の子の隣で彼が顔を真っ赤にして叫んでいたら、せっかくの高級食材も台無しです。おせちには「形式美」がある。津田さんには「形式」も「美」もありません。あるのは「露出」と「騒音」だけだ。
B: 形式美は、時に人を窒息させます。正月の朝から、行儀よくおせちをつつく。その背筋を正すような感覚が、今の若者や疲れた大人には重すぎるんです。でも、津田さんが食卓にいる(あるいは画面越しに食卓を支配している)だけで、「ああ、こんなにグチャグチャでいいんだ」「叫んでもいいんだ」と、心が解放される。これは、どの縁起物にもできない「魂の除夜の鐘」なんです。
A: 除夜の鐘は、煩悩を払うために叩くものです。津田さんは煩悩そのものでしょう。……しかし、確かに認めざるを得ないのは、最近のおせちが「見栄え」や「映え」ばかりを追求し、本来の「家族で囲む喜び」から離れつつある、という点ですね。
B: そうでしょう? カタログから選んだ数万円の冷凍おせちを解凍して食べるのと、生身の津田さんの叫びを浴びて「よっしゃ、今年もバカやって生きよう!」と笑うのと、どちらが「初日の出」に相応しいエネルギーに満ちているか。
A: ……議論の筋道が見えてきました。つまり、おせちが「過去から引き継ぐ安定」なら、津田さんは「未来へ突き抜ける混乱」だと。第2ラウンドでは、もし「おせちの具材」として津田さんを解釈するなら、彼はどのポジションに位置し、私たちの1年をどう予祝(よしゅく)してくれるのか、そこを詰めましょう。
B: いいですね。田作り、チョロギ、そして津田。新しい伝統の誕生ですよ。
(続き)
A: さあ、あなたが提唱する「おせちの具材としての津田」という概念ですが、冷静に考えて無理があります。おせちの具材は、すべてが「静止画」として完成されているんです。エビは長寿、栗きんとんは金運。彼には一体、どんな意味を付与できるというんですか?
B: 彼は「田作り」ならぬ「場作り」ですよ。五穀豊穣を願う田作りに対して、津田さんは、冷え切った親戚同士の集まりや、ぎこちない家族の会話という「場」を、その叫び一発で耕してくれる。彼がそこにいるだけで、正月の「沈黙という名の重圧」が霧散するんです。
A: 場を耕す……。それは単に「荒らしている」だけでは? 数の子の「子孫繁栄」に対して、津田さんはどうです? 彼は常に「独りよがりな叫び」で周囲を困惑させている。一年の計を立てる元日の朝に、そんな無計画なエネルギーを摂取したら、12月まで行き当たりばったりの人生になってしまいますよ。
B: それこそが最高のご利益(ごりやく)じゃないですか! 私たちは、あまりに計画を立てすぎ、正しさに縛られすぎている。おせちを食べて「こうあるべき」という伝統を胃に流し込むのもいいですが、津田さんの「予測不能な生命力」を浴びて、「予定通りにいかない1年」を面白がる余裕を持つ。これこそが、現代における最強の「開運」ですよ。
A: ……なるほど。おせちが「規律」を食すものなら、津田さんは「解放」を食すものだと。確かに、おせち料理はどれも味が濃くて、保存性を高めるために「固め」に作られています。それに対して津田さんの芸風は、常に「柔らかい」というか、どこからでも崩れるし、どこからでも突っ込める。
B: そうなんです。おせちは「過去」を詰め込んだ箱ですが、津田さんは「今」しか生きていない。あの、その場しのぎの「すぐ言う~!」や、冷や汗をかきながらの「ゴイゴイスー!」。あの刹那的な輝きを正月に取り込むことで、私たちのカチコチに固まった「日常」が、一気に生命力を帯びてくる。
A: 認めましょう。もし、家族全員がスマホをいじりながら無言でおせちを突いているような正月なら、いっそ津田さんという「猛毒」を投入して、全員を強制的に笑い(あるいは困惑)の渦に巻き込んだほうが、よっぽど「正月らしい」のかもしれない。
B: そうでしょう! 綺麗に並んだ伊達巻を食べるより、津田さんの乱れた髪と、必死な形相を眺めるほうが、よっぽど「人間っていいな」と温かい気持ちになれる。おせちという「形式」を食べるか、津田さんという「命」を食べるか。
A: 私はやっぱり、静かにおせちを食べていたいですが……でも、お重の端に、隠し味として「津田的な混沌」を少しだけ忍ばせておくのも、悪くない気がしてきました。
B: 来年の正月は、重箱を開けたら津田さんが飛び出す……そんな「びっくりおせち」が日本のスタンダードになるかもしれませんね!
昨年(anond:20241217085132)に引き続いて挙げてみる。今年は元日から今日までのあいだに296冊読みました。いまはアンドリ・スナイル・マグナソン『氷河が融けゆく国・アイスランドの物語』(2019年)とR・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』(2022年)、ジョセフ・ヒース『資本主義にとって倫理とは何か』(2023年)、かまど&みくのしん『本が読めない33歳が国語の教科書を読む』(2025年)を読んでいるところ。
ちなみに上の冊数には漫画は含んでいないのだけれど、漫画は数えてないから何冊読んだのかわからない。とりあえず『微熱空間』『ひまてん!』『うまむすめし』『ルリドラゴン』『祝福のチェスカ』『放課後帰宅びより』『拝啓、在りし日に咲く花たちへ』『桐谷さん ちょっそれ食うんすか!?』あたりが好き。あと最近ようやく『LIAR GAME』と『ナナマルサンバツ』を読んだけど超面白かった。ウマ娘だと、去年はシーザリオに狂っていたけど今年はブエナビスタにどハマリしています。ブエナ、実装されたら絶対引きたいと思ってたから80連で引けてよかった。ビリーヴシナリオもラヴズオンリーユーシナリオも良かったし、ようやくラインクラフトも入手して育成できたし、来年こそカレンブーケドール実装に期待だな!
欧州文学だと、フランス文学のサン=テグジュペリ『人間の大地』(1939年)やアイスランド・ミステリのアーナルデュル・インドリダソン『厳寒の町』(2005年)、バスク文学のキルメン・ウリベ『ビルバオ-ニューヨーク-ビルバオ』(2008年)も非常に良かったのだけれど、どれか1つと言われたら迷った挙げ句にアルバニア文学の本作を推す。ノーベル賞を獲りそこねたアルバニアの国民的作家イスマイル・カダレの作品で、10年以上前に『死者の軍隊の将軍』(1963年)を読んで以来。復讐という因習によってふたりの青年の軌跡が交錯し破滅へと導かれるという、銃声のような余韻を残す一冊だった。エンヴェル・ホジャの独裁政権下という執筆の時代背景もあってか『死者の軍隊の将軍』同様にやたらと雰囲気が暗く、Wikipedia先生とか地球の歩き方先生とかを参照するにいちおうビーチリゾートとかが盛んな地中海の国であるはずのアルバニアをここまで暗鬱に描けるのは逆にすごい。アルバニアの高地に心が囚われていく描写がすごいのよ。こっちも引きずり込まれそうというか。
何年も前に『雪が白いとき、かつそのときに限り』(2017年)を読んで面白かったので本作も買ったのだが長らく積読になってしまっていたので思い切って崩してみた。女と女の重い感情が全編にあふれていて最高だった(粉みかん)。巫女の伝統によって歪められる幾通りもの女と女の関係が胸を裂くような切なさを漂わせていてエモい(語彙力)。古代中国百合ミステリというオタクの好きなものを詰め込んだハッピーセットなので読みましょう。
軍艦が出てきて艦隊決戦とかするみんな大好き宇宙戦争スペオペかと思わせておいて、いやもちろんそういう作品でもあるのだけれど、根本的に異質な知性との交渉過程がセンス・オブ・ワンダーに溢れていて最高だし、高度な知性体だと思ったら実はプランクトンとして生まれ共食いしながら成長していく生物だったというのものすごい発想で驚嘆させられたし、徐々にこの世界の起源が明らかになっていくの面白すぎるでしょ。タイトルの兵站要素は徐々に影が薄くなっていくかと思いきや最後まで割としっかり描写されるし謎のイチャイチャシーンも増える。なぜ。とにかくすごく良いSFでした。
カラオケやウォークマン、ポケモンといった戦後日本を代表する発明品やソフトパワーがどのように作られていったのか、という歴史を掘り起こす書物で、非常にエキサイティングな読書体験だった。町工場のおっちゃんがふと思いついた小さなアイデアが不格好な試作品を生み、それらが徐々に洗練されてやがて日本や世界を席巻するという歴史としての面白さとサクセスストーリーとしてのワクワクが詰まっている。外国出身の歴史家が書いたとは信じられないほどに同時代史料や当事者のインタヴューを積極的に活用していたり、オリエンタリズムに陥ることなく個々の発明家の物語として語られているのも好感度が高い。大満足の一冊。
外国人研究者の日本研究だと、ほかにスーザン・ネイピア『ミヤザキワールド』(2018年)も良かった。日本社会のコスモポリタン性がクリエイターの土壌となっていることを英語圏の読者に向けて解説してるところ、根強く蔓延るオリエンタリズムを駆逐しようという気概に満ちていて好き。ただ『もののけ姫』に関する記述で照葉樹林文化論に触れてくれるのはすごく良いのだけれど網野善彦には言及があっても良かったのでは(旧著では言及してるんだし)。ノア・スミス『ウィーブが日本を救う』(2025年)の提言は非常に面白かった(経済学に疎くてよくわからない箇所も多々あったけれど)。
超・超・超傑作。面白すぎる。いや今更すぎるけど。もうとっくに面白いって知れ渡ってるけど。でも増田が読んだのは今年なんだよ! なんでこれをもっと早くに読まなかったんだろう? SFの面白さを四方八方から浴びせられて読むのが止まらなかった。そしてSFとしてだけではなくバディものとしても100点満点中300点くらいの出来だという。「いまいくからな、バディ。待ってろよ」のシーンほんと大好き。ぼくは洩れやすい宇宙のぶよぶよの塊。ぼくは本作を読む、映画を待つ。よい、よい、よい!
上述のとおり増田は流行についていけないマンなのだが一昨年になってようやく青崎有吾の存在に気づき、『体育館の殺人』(2012年)にはじまる裏染天馬シリーズとか『アンデッドガール・マーダーファルス』(2015年~)とかを昨年までに履修したのだが、今年に入ってから本作と『ノッキンオン・ロックドドア』(2016年)を読んだ。勝負事に対して天才的な嗅覚を持つ女子高生が次々と独自ルールのゲームに勝利していく話なんだけど、詰みに持ってくまでの伏線とロジカルさがすごいというか。しかもほのかな百合要素まであるんだよ。もう最高。毎話クライマックスにさしかかる度に「あれって伏線だったんだ!」と心の中で叫んじゃったもん。ルールには合致していても刑法に引っかかるだろ! みたいな絡め手がバンバン出てきて感覚麻痺してくる。好きな話は表題作と「だるまさんがかぞえた」かなぁ、やっぱり。だーるーまーさーんーがーかーぞーえっ! ……えっ? 漫画版、絵がどっかで見た人だと思ったら『めだかボックス』の人なのね。超納得。
同じく今年履修した『ノッキンオン・ロックドドア』では「十円玉が少なすぎる」が一番好き。タイトルから察しがつくようにみんな大好き9マイルものです。「十円玉が少なすぎる。あと5枚は必要だ」という謎めいたセリフをもとにすごい結論へとたどり着いていてよかった。発想のロジカルな飛躍は9マイルものの醍醐味だよなぁ。
今年読んだ日本の学術書の中ではいちばん面白い。戦後日本のSM雑誌を博捜し、「変態性欲」の論争のなかに分け入りながら、投稿者の正体を暴きエリートたちがSMを通して戦後民主主義を生きようとした姿を浮かび上がらせている。戦後に生まれたSM雑誌の系譜を整理する第1部の時点で既にガッチガチの実証研究すぎて圧倒されてしまうが、第2部以降が本番というか、脳汁ドバドバの快楽を味わえる。女性解放を唱える歴史学者が筆名でSM雑誌に投稿していた、というだけで既に面白いのだが、著者はテクストを丹念に読み込むことで、彼の歴史学者としての女性解放論とSM論が相互に補完しあう関係であり、戦後民主主義の実践とサディズム・マゾヒズムが彼の中では繋がっていたことを明らかにしていく。また、第3部では『家畜人ヤプー』の再評価にも挑み、作者をとある裁判官だと特定したうえで、マゾヒズム小説だと思われていた作品の新解釈を提示する。戦後思想史をSMから読み直すという非常に大胆な本だった。「豚に歴史はありますか」ってそういう意味だったんだ。むっちゃオススメ。
おっさんと少女のバディもの、みんな好きだよね? 増田は大好物だ。ということで本作はバディものとしてもミステリとしても非常に上質だったので最高だった(語彙力)。瀕死の重傷を負い「幽霊」になった主人公と少女がタッグを組んで少女の両親を殺した犯人を追い詰めていく話なのだが、謎解きが二転三転し次々とどんでん返しが襲い来る構成で目が離せない。傑作ミステリですわ。個人的には◯◯さんには生きていてほしかったな……
2015年に始まったシリーズが10年ごしで完結した。めでたいめでたい。姉弟子と一番弟子の怪獣大戦争がついに決着。もう納得するしかない決着でしょうこれは。あと正妻戦争も完全に決着。天衣ちゃんが澪ちゃんに超弩級のデレをかましていてすごい(語彙力)。桂香先生、ギャグ方面に振り切るかと思いきや泣かせてくるのはズルいでしょ。ちくしょうそういえばこの作者はネタキャラ扱いでさんざんイジっておいて最後に泣かせる芸風だったな(山刀伐さんファン並の感想)。そしてラストが美しすぎる。オタクは序盤の再現が好きなので……。いや~、10年続いたシリーズにふさわしい大団円で最高でした! まあ、でも、それはそれとして女流棋士制度は歪んでるので是正(というか廃止)すべきだろなという思いを新たにした。もちろん民間団体だからムリヤリ廃止するなんてことは結社の自由があるのでできないが、将棋連盟からは切り離すべきでは。
百合SFアンソロ『アステリズムに花束を』(2019年)に掲載された短編が長編になったやつで、リアルタイムで読んでいたものがついに完結した。体格差のある百合カップルが男女の婚姻しか認められないガス状惑星社会で漁をしながら関係を築いていく宇宙SFなんだけれども、まず設定がすごい。その漁で獲るのは普通の魚ではなく、ガスの海を泳ぎ回る昏魚(ベッシュ)たち。そして彼女たちが操るのも普通の漁船ではなく、粘土を自由自在に変形させて網を編み上げる船。ガス状惑星に発生した特異な生命といえばやはり著者の代表的な短編の1つ「老ヴォールの惑星」(2003年)が思い浮かぶし、なんなら著者の最高傑作『天冥の標』(2009~2019年)でも描かれてたわけだけれど、それらの設定を超える宇宙生物を出してきていて最高。本作(4巻)はその宇宙を駆ける2つのサイクロンの物語の大団円だ。惑星規模・宇宙規模での繁殖というでかい問いをどーんとぶち上げてくるのさすが小川一水という貫禄だし、宇宙レベルの話と「ふたりの話」を並行してSFと百合を両立させているのはセンス・オブ・ワンダーの極みと言ってよい。非常に良い作品でした。『天冥の標』で従来の小川一水成分を絞り尽くしたと思ったらまた新しい境地に達していて素晴らしい。
最初はXで書こうかなと思ったけど違うクラスタで運用しているし空気読めないポストになるからこっちで書く。5chのテレビサロンは過疎化して荒らしだらけになったし。
なおNHK総合とテレ東は興味ないので省略。てかテレ東の年末年始深夜ニュースが年々遅くなった挙句ド深夜26時台になってて草。アナウンサーが可哀想だろ(苦笑)
【日テレ】
通常版の年内最終は平日帯が12/26、土日はGoingが12/21で早じまいでそれ以外は12/28。
相変わらず12/29-31は朝ニュースなし、いい加減にしろ。ただ1/4のニュースサンデーが5:55-6:30の35分枠になっている。どういうことだ。
しかも元日恒例『新春シューイチSP』が6:00-8:00に短縮されている(なお1/4は休止)。
一方で頑張ったのは夕方。昨年末~今年始は予算の都合か元日のevery.特番に併せて30-31日、2日のニュースが短縮NNNだったのとは対照的。
[短縮版news every.]
1/1 15:10-16:30(能登半島地震から2年の報道特番、まさか今年も放送してしかも拡大するとは思わなかった)
1/3 17:30-18:00
1/4 18:00-18:30(日曜なので『NNNニュース』名義)
2000年10月の独占サンデー改編で年末年始のプラス1放送を止めて25年、遂に日テレ夕方が我を取り戻した。次は朝も頑張れw
【テレ朝】
年内最終は報ステのみ12/25、グドモニが12/30、それ以外は12/29
1/1は編成未確定だが多分モニショー元旦SP、1/4はグドモニ日曜版休止
[短縮版スーパーJチャンネル]
12/21は『M-1グランプリ敗者復活戦』で休止、代替ANNニュースあり。
12/22-25 16:48-18:00
12/26 15:50-16:30(Mステスーパーライブによる)
12/27-28、1/3-1/4 通常通り17:30-18:00
12/29 今のところ通常通り16:48-19:00になってるけど多分変わるはず。
1/1 16:00-17:00(多分日テレ同様能登半島地震絡みでの1時間ver.)
まぁあんまり変化のないいつものテレ朝。逆に言えばそれだけ正月には強いことを表しているか。正直深夜の10分ニュースはいらないと思うけど。
【TBS】
年内最終はnews23のみ12/24、それ以外は12/26。
『報道の日2025』の放送が未確定、去年は21日発表だったから今週末には発表か。
1/1の朝編成も未確定。ここずっと7:30開始だったニューイヤー駅伝中継の前振りが8:30開始になってるので次こそ『THE TIME,』の元日版やってほしいなぁと(希望)
[短縮版Nスタ](あくまで未確定なのでUTYの編成も加味した推測での「予想」)
12/29-30 16:15-16:30
1/1-1/3 16:30-17:00?
1/4 通常通り17:30-18:00
毎年恒例だったNスタ新春SPが、タイムテーブル的に来年はちょっとやらないかも的空気になるとは。
【フジ】
年内最終は平日帯が12/26、土日は12/28(Mr.サンデーのみ12/21)
中居問題と石破前首相退陣で流石に今年はやめるかなと思ってた大晦日の『景気満開テレビ』も例年通り放送。
1/4は『日曜報道THE PRIME』『Mr.サンデー』『すぽると!』休止
[短縮版夕方FNNニュース(『Live News イット!』代替)]
(↑この中途半端な放送時間は『超しらべてみたら』編成のため。因みに同番組はイット特集企画のスピンオフ、それなら普通にイットやれよ…)
1/1 16:50-17:00(ここずっと13:50くらいだった昼夕兼用ニュースがまさかの時間繰り下げ、これも能登半島地震2年の影響ですかね)
1/2 15:25-16:40
1/3 16:00-16:15
https://jp.reuters.com/economy/bank-of-japan/F2XXJNXNUFOFXPPKQZWLCWQBZY-2025-11-17/
[東京 17日 ロイター] - 元日銀審議委員で高市早苗政権が新設した日本成長戦略会議メンバーに就任した片岡剛士・PwCコンサルティング上席執行役員・チーフエコノミストは17日、ロイターの取材に応じ、2025年7-9月期のマイナス成長を踏まえ政府が策定中の総合経済対策は25年度の補正予算で20兆円程度、事業規模で最大28兆円程度が必要と述べた。
金融政策に関しては、金融市場で想定されている25年12月ー26年1月の日銀利上げは望ましくないと主張した。
経済対策の規模を巡っては、17兆円規模との報道が相次いでいる。片岡氏は「17兆円であれば減税効果3兆円を差し引くと正味補正予算の規模は14兆円となり、昨年の石破茂政権の補正予算13.9兆円とほとんど変わらない」と批判。「補正予算は20兆円くらい必要。減税等の措置も含め23兆円、その他もろもろ加え27-28兆円規模が望ましい」と話した。
https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2025-11-19/T5WTPZKK3NY800
政府の日本成長戦略会議のメンバーで元日本銀行審議委員の片岡剛士氏は、来年3月にも日銀が利上げできる環境が整う可能性があるとの見解を示した。大規模な2025年度補正予算の効果で内需が高まることが前提という。
片岡氏は18日のインタビューで語った。日銀は「物価や実体経済の状況に応じて政策正常化を進めていくべきだ」と指摘。経済対策の裏付けとなる補正予算の確実な執行に伴い、来年1-3月にも内需拡大などの効果が出てくるとし、「状況次第では3月にも日銀が利上げできる環境が整う可能性がある」とみている。
近世以前
日本において暦日を用いた新年の概念が生まれたのは飛鳥時代であり、聖徳太子が十七条憲法を制定した604年まで遡る[13]。その後、646年には朝賀が執り行われ、新年の回礼という風習が始まった[13]。これに伴い、畿内には飛脚使が設置され、701年には通信物を運ぶ脚力(かくりき)が定められた[13]。奈良の正倉院に収められている「人勝残欠雑張」には「正月七日のこのよき日、慶びを新にし、泰平が万年続き、寿命は千春を保つことができますように」とする十六文字が記されており、新年の挨拶を伴った年賀状のルーツといえる[14]。
平安時代に入ると貴族間で年始の挨拶を文で取り交わすようになったと見られ、当時の書簡、文例を集積した最古の例と言われている藤原明衡が残した『明衡往来』にも年始の挨拶文例を確認することができる[15]。室町時代に『庭訓往来』が登場し、寺子屋などで読み書きを教えられるようになると識字率の向上が見られるようになった[16]。これに伴って江戸時代には武家社会において文書による年始挨拶が一般化したほか、非武家社会においても口頭の代用として簡易書簡を用いることが年始挨拶に限らず一般的になり、公的郵便手段である飛脚や使用人を使った私的手段により年始挨拶の文書が運ばれるようになった[16][17]。1740年の『書札重宝記』には年始書状のための語彙として「改年、新春、新暦、初春、陽春、祝賀、御慶」などの用語が紹介されている[18]。江戸中期以降は大小暦が大いに流行し、年頭には機知に富んだ摺物の交換が積極的に行われた[19]。
明治維新後になると逓信省の前身として駅逓司が設置され、1870年10月には新年賀詞を示す太政官令が発布された[20]。1871年には郵便制度が確立し、1873年に二つ折りの郵便はがきが発行され、1875年には単面の官製はがきなどが見られるようになった[20]。これにより年始のあいさつを簡潔に安価で書き送れるということで、葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。1887年頃になると年賀状を出すことが国民の間に年末年始の行事の1つとして定着し、その結果、年末年始にかけて郵便局には多くの人々が出した年賀状が集中し郵便取扱量が何十倍にもなってしまった。
郵便事業に携わる人の数は限られているため、膨大な年賀状のために郵便物全体の処理が遅れ、それが年賀状以外の郵便物にも影響し通常より到着が遅れることがしばしば発生していた。しかも年末は商売上の締めの時期にも当たり、郵便の遅延が経済的障害ともなりかねない状況となっていた。その対策として1890年に1月1日からの3日間、年始の集配回数を減らす対応が取られた[20]。それでも、さらに増え続ける年賀状にその対応だけではとても追いついていけなかった。また当時、郵便物は受付局と配達局で2つの消印が押されていた。そこで受付局か配達局の「1月1日」の消印を押してもらうため多くの人がそこを狙って年賀状を出すようになり、12月26から28日あたりと1月1日当日の郵便物が集中するようになった。そこで1899年、その対策として指定された郵便局での年賀郵便の特別取扱が始まった[20]。年末の一定時期、具体的には12月20日から30日の間に指定された郵便局に持ち込めば、「1月1日」の消印で元日以降に配達するという仕組みになっていた。翌1900年には(必要に応じてではあるが)全国の郵便局で実施、私製はがきの使用も認められ、1905年に完全に全国の郵便局で実施されるようになった[21]。この頃の年賀はがきの概数は1億1000万通前後であったが、郵便ポスト投函が可能となった1907年には4億通を突破し、「年賀状ブーム」とも呼べる時代が到来した[21][22]。
関東大震災(1923年)や大正天皇崩御(1926年12月25日)の年は、その年(翌年配達分)の特別取扱が中止された。明治天皇と昭和天皇崩御の年は実施されている。
年々取扱量が増えていくと共に私製はがきの取扱量も増えていったため、1935年(昭和10年)に私製はがきの貼付用として年賀切手の発行が始まった。しかし、時勢の悪化により1938年(昭和13年)に年賀切手の発行が中止。 さらに物資の節約のため1941年(昭和16年)の年賀状から特別取り扱いが廃止[23](廃止決定は同年11月6日[24])。この年の東京中央郵便局が集配した年賀状は1/3に減少した[25]。
終戦後の1948年(昭和23年)12月15日、特別取扱と年賀切手の発行が再開された[26]。この年から年賀切手の図柄が干支にちなんだ郷土玩具のものになる。1949年(昭和24年)、お年玉付郵便はがき(年賀はがき)が初めて発行され(官製はがきとしては初めての年賀はがき)、大きな話題を呼び大ヒットした。そしてこれを機に年賀状の取扱量は急激に伸びていった。1955年(昭和30年)には、アメリカ合衆国による沖縄統治に置かれた沖縄諸島でも琉球郵政庁により年賀はがきが発行され、1956年には年賀切手も発行されている。
お年玉付郵便はがきは当初、寄付金付きの葉書にくじが付いていたが1956年に寄付金なしの葉書もくじが付くようになった。1961年(昭和36年)から年賀はがきの消印が省略され額面表示の下に消印に模した丸表示を印刷するようになり、1968年(昭和43年)には郵便番号導入により郵便番号枠が追加された。
1970年代になるとプリントゴッコの登場と相まってで年賀はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷が盛んになり、1982年(昭和57年)から寄付金付きの年賀はがきにの裏面に絵や賀詞が印刷されるようになった。1989年(平成元年)からはくじ付きの年賀切手も発売されるようになった。
イラストやデジタルカメラで撮った写真などを家庭のパソコンとプリンターで作成・印刷するスタイルが定着し、手間が減った。2005年からは光沢感がありインクジェットプリンターの印刷に適したインクジェット写真用年賀はがきが発行されるようになった。
一方で2000年代からはインターネットの普及が拡大。インターネットと紙を融合した「ネットで届く年賀状」などのサービスも登場したが、年賀状用紙やプリンターが高額、書いたり投函するのが面倒、交流がある人でも自宅住所が不明であるなどの理由で、年賀状を出さずに電子メールなどの紙以外のオンラインの手段で済ませる人が増加。携帯電話を使った「あけおめメール」による通信混乱は2000年代の正月の風物詩となった。
2008年には、郵政民営化を機に「カーボンオフセット年賀はがき」や「ディズニーキャラクター年賀はがき」などの新商品が出た。
2017年6月1日に郵便料金が値上げされ、通常はがきも52円から62円とされたが、2018年用に限り年賀はがき(1月7日までに年賀状扱いとする場合)は旧料金のまま(52円)とした[27]。年賀はがきの発行枚数の減少を食い止める効果を期待しての値段据え置きであったが、結果として総発行枚数は前年比より5.6%減少したほか、1月8日以降に差し出す場合は差額として10円分の切手を貼り足す必要があったことから、利用者からはわかりづらいと不評の声もあった。この取扱いは1年限りで終了し、翌年から通常はがきと年賀はがきは同一の料金となった[28]。
2010年代になるとスマートフォン、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、インスタントメッセンジャー等が普及し、新年の挨拶をオンラインで済ませる人がさらに増えた。LINEが運営する「LINEリサーチ」の2019年のインターネット調査(約59万人対象、複数回答)によると、「葉書を送る」と回答した人は60代以上で71.7%だが、20代は26%であった。一方「SNSで送信する」が30代から60代以上でいずれも60%に達し、20代では72%に上った。IT企業のTB(名古屋市東区)は2017年から、高齢を理由に、今年限りで年始の挨拶をやめること(年賀状じまい)を伝える例文をサイト上で提供している[4]。
また高齢者の増加の他、郵便料金の値上げ、特に2024年10月1日以後は、消費税増税に伴う転嫁分を除けば実質1994年以来30年ぶりの大幅値上げで1枚85円[29]となったこともあり、年賀状終いをする世帯が急激に増え、アスカネットの調べでは、2024年に年賀状を出さなかった人は58.2%に及び、そのうち20代が72.5%、30代でも65.8%が年賀状を出さなかったとする統計がでている。また「年賀状はフタバ」の調べでは、全体の6割が3年以内に年賀状終いをしており、そのさらに半数の3割強が2023年度で終わりにしたという人である。企業においても、葉書をやめて、SNSなどを利用した「ペーパーレス」に移行したところも多いとされる[30
会田卓司氏のこと
会田氏は元日本銀行職員(日銀出身)で、現在はクレディ・アグリコル証券のエコノミストとして活躍しています。彼の経済分析レポートのシリーズ名が「アンダースロー」(Underthrow)で、主に日本経済、金融政策、日銀の動向をテーマにしています。この呼称は、野球の珍しい投球スタイル「アンダースロー」に由来するユニークなタイトルで、金融市場の意外性や独自の視点を示唆しています。例えば、ZUU onlineで公開される彼のコラムでは、日銀の利上げ観測や家計・企業貯蓄率、信用サイクルなどのトピックを扱い、日銀政策に深く関連づけた分析が特徴です。X(旧Twitter)上でも、このレポート名で言及されることが多く、日銀取材者のアカウントから「気合いの入ったアンダースロー」として評価されています。 日銀の現役審議委員や幹部ではなく、元関係者としての専門家分析家ですが、金融界で日銀の「内部事情に通じた声」として位置づけられています。
憶えている人はいるだろうか?
「ガジェット速報」のことを。
アメリカではただのまとめブログに過ぎなかった「BuzzFeed」や「ハフィントンポスト(のちのハフポスト)」がバイラルメディアと呼ばれ、サイトの開設からわずかな期間で時価総額が数百億、数千億になるという不思議な時代だった。
それもこれもスマホの普及とともに会員数を爆発的に伸ばしたSNSのおかげだった。
Twitterやフェイスブックでバズるのは、誰かの投稿した画像や動画と、それを取り上げたニュースサイトの記事ばかりだったから。
遠く離れた極東の島国、ここ日本でもまとめブログ、まとめサイトに億の値がつき、企業に買収されるところが相次いだ。今では閉鎖してしまったTechCrunchの日本語版の”スタートアップ”欄はそういうサイトの売却記事ばかりだった。本家(英語版TechCrunch)はデバイス系のスタートアップの記事がめっちゃ多かったのにね……。
ヨッピーに叩かれて売却ゴールを決められなかった「BUZZNEWS」、無責任な医療記事で炎上した「welq」、Googleのページランクの評価基準が変更されたせいでアクセス数が激減してボロボロになってしまった「転職アンテナ」が日本のスタートアップ界隈で話題になっていたのもこの頃だった気がする。分かる人がいたらコメントで教えて頂戴。
当時のガジェット系のニュースサイトは2ちゃんねるのまとめブログから始まったものが多く、嫌韓の風潮が強かった。日本勢のスマホ事業や半導体事業がボロボロになるなか、価格と性能、そして安定性で圧倒していた韓国のスマホや、躍進が止まらなかったサムスン、LGの半導体事業をフェアに取り上げていたのがここだったと思う。とはいえ、速報性、網羅性ではsmhn.infoのほうが優れていたと僕は思うけどね。
そんなガジェット速報は日本の半導体について取り上げた記事がバズった(30万PVくらい)ことで、メディア化に乗り出した。(この頃、管理人さんは将来的にはサイトを売却することも考えていたと思うよ。)
ギズモードだか、ハフィントンポストだったかで記事を書いていたライターや、日経新聞で働いていた人も転職してきた。
読者からもライターを募って記事数を増やそうとしたけど、記事のパクリが判明して炎上。ブロガーじゃなくて読者から引っ張ってきたもんだから、一つ、二つ、記事を書いて終わるようなやつばかりで記事の質、量が全然足りなくてニュースサイトのメディア化は失敗した。
コメント欄:炎上しない「クーロン」開発 ニュースサイトの導入目指す | 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20140417/mog/00m/040/010000c
ASCII.jp:人工知能で炎上対策 すごいぞクーロン『QuACS』
https://ascii.jp/elem/000/001/047/1047249/
https://www.weeklybcn.com/journal/column/detail/20150915_41577.html
人工知能で“荒れない”コメント欄--「議論の場」醸成めざしメディアに無料提供 - CNET Japan
https://japan.cnet.com/article/35066978/
いつのまにかGGSOKUという名前に変わっていた旧ガジェット速報は、クーロンという名前の人工知能を搭載したコメントシステムを売り込む企業になっていた。スポーツ新聞のウェブサイトでよく見かけた。僕が憶えている範囲だとスポーツ報知とかね。
だけど事業継続が難しい、とかそんな注意書きがコメント欄につくようになって、半年ぐらいでそのコメント欄(クーロン)は使えなくなり、ウェブサイトのリニューアルを期に丸ごと撤去された。ちなみに、そのコメント欄に書き込んでいる人を僕は見たことがなかった。そういうコメントは今も昔も利用者の多いYahooニュースのコメント欄や、手軽に使えるTwitterのほうに書き込むもんね。
この頃、GGSOKUで記事を書いてた元WEBメディアのライターの人は退社してTwitterに「スタートアップはもういい」って、書いてた気がする。元日経新聞の人もいつのまにか転職してた。
そんなころに佐藤由太がnote.muに投稿したのがこの記事だ。
ベンチャーキャピタルから個人破産申立されて4,000万円支払った話
https://note.com/disnism/n/n2fe336df2077
当時のネットの反応は「若者頑張れ!」みたいな、そんな感じだったと思う。
だけどガジェット速報を黎明期から知ってるものとしてはモヤモヤしたよね。だって彼がやっていたのはキラキラ系スタートアップじゃなくて、ただのまとめブログだと知っていたから。もちろん、後期はコメント欄の機能を作っていたみたいだけど、それだってSNS全盛の時代にコメント欄?って感じで、今更感があったし……。
無登録で株を勧誘容疑、役員ら逮捕 「将来は上場」110億円集金か [福岡県]:朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASTCC546WTCCTIPE00WM.html
馬鹿なことしたなー、と思った。
彼みたい人は当時の日本のネットにたくさんいた。彼らはブロガーとしてぶいぶい言わせたあと、みんなユーチューバーになって、コロナ禍で外出する人が減ると、プログラミングスクールを勧めるようになった。手垢のついた情報商材でも、”プログラミングスクール”と言い換えるだけでヒットした。「PCならMacBookがおすすめです!MacBookならMacOSとWindows、両方動きます!」なんてね……。
勧めてる理由は単純で、WindowsPCよりもMacBookのほうが価格が高くて、アフィリエイトで儲かるからなんだけどね。教材だってプログラミングスクールで使っている教材のコピペでいい。実際にそういうサイトがあって炎上してた。プログラミングスクールに入ってそこからプログラマーになって成功したという人を僕は知らないけど、そうやって若者に夢を見せる仕事をやっていれば今頃はお金持ちになれたのにね。