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2025.01.10
九州長崎ステイ202410の06
軍艦島の第3見学広場では、1916年に日本で最初に作られた鉄筋コンクリート造のマンションなどを見ることができます。「30号棟」と名付けられたマンションは、築100年を超え、一部で崩落が始まっていながらも、その姿を保っています。敷地内には、住民用のプールの跡などもありました。
ガイドは写真を示すなどしながら、拡声器でわかりやすく説明してくれました。
(崩落が進む建物)
(高度成長期の軍艦島)
(第3見学広場でマンション群を眺める)
(ガイドの説明を聞く)
島を離れる前、第1見学広場で記念撮影です。欲しい人はあとで金を出して買ってねというのではなく、インスタグラムに掲載しておくから見るもコピーするも好きにしてねというやり方をとっていて、好感。自宅でコピーさせてもらいました。
(参加者全員で記念撮影)
戻りの船内では、参加者に「軍艦島上陸記念証明書」が配られました。これも載せておきます。
(軍艦島上陸記念証明書)
大浦の海岸通りに戻って、1230。このまま昼飯に行く前に、ちょっくら「オランダ坂」も眺めていこうと、宿泊ホテル近くの山手へと歩きます。
旧居留地時代につくられた、東山手の石畳の坂道・石段が「オランダ坂」で、その名称は現在、「誠孝院前の坂」、「活水坂」、「活水学院下の坂」の三つの坂の総称とされています。沿道には異国情緒を伝える洋館群が建ち並び、眼下に長崎港を臨む景観に恵まれたロケーションとなっています。
坂の途中には「海星中学校・高等学校」があり、そこに通う生徒らしき制服姿の少年少女が多く見られます。
坂の三つ又には「東山手甲十三番館」があります。カフェが入っている外国人居留地の代表的な洋館で、中まで入って見学させてもらいます。2階のベランダから、さらに上っていく坂が見えます。道路左手の高台にある大きな建物が「海星中学校・高等学校」で、道路右の臙脂色の建物は「昭和会病院」。これらはホテルの客室からもよく見える建物です。
(東山手甲十三番館)
(オランダ坂)
この坂道を上り続けると、右側に「東山手洋風住宅群」があり、下ったところには「長崎孔子廟大成殿」と「長崎孔子廟中国歴代博物館」がありました。
(webから拝借した「東山手洋風住宅群」)
(webから拝借した「長崎孔子廟」)
ガイドは写真を示すなどしながら、拡声器でわかりやすく説明してくれました。
(崩落が進む建物)
(高度成長期の軍艦島)
(第3見学広場でマンション群を眺める)
(ガイドの説明を聞く)
島を離れる前、第1見学広場で記念撮影です。欲しい人はあとで金を出して買ってねというのではなく、インスタグラムに掲載しておくから見るもコピーするも好きにしてねというやり方をとっていて、好感。自宅でコピーさせてもらいました。
(参加者全員で記念撮影)
戻りの船内では、参加者に「軍艦島上陸記念証明書」が配られました。これも載せておきます。
(軍艦島上陸記念証明書)
大浦の海岸通りに戻って、1230。このまま昼飯に行く前に、ちょっくら「オランダ坂」も眺めていこうと、宿泊ホテル近くの山手へと歩きます。
旧居留地時代につくられた、東山手の石畳の坂道・石段が「オランダ坂」で、その名称は現在、「誠孝院前の坂」、「活水坂」、「活水学院下の坂」の三つの坂の総称とされています。沿道には異国情緒を伝える洋館群が建ち並び、眼下に長崎港を臨む景観に恵まれたロケーションとなっています。
坂の途中には「海星中学校・高等学校」があり、そこに通う生徒らしき制服姿の少年少女が多く見られます。
坂の三つ又には「東山手甲十三番館」があります。カフェが入っている外国人居留地の代表的な洋館で、中まで入って見学させてもらいます。2階のベランダから、さらに上っていく坂が見えます。道路左手の高台にある大きな建物が「海星中学校・高等学校」で、道路右の臙脂色の建物は「昭和会病院」。これらはホテルの客室からもよく見える建物です。
(東山手甲十三番館)
(オランダ坂)
この坂道を上り続けると、右側に「東山手洋風住宅群」があり、下ったところには「長崎孔子廟大成殿」と「長崎孔子廟中国歴代博物館」がありました。
(webから拝借した「東山手洋風住宅群」)
(webから拝借した「長崎孔子廟」)
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