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はてなキーワード: 誤読とは

2025-01-15

メルカリクーポン出品者に押し付け騒動(誤解)

エックス見てたらクソワロス


メルカリ規約改定してクーポンの割引を出品者負担にしたという誤情報が出回る

規約改定事実だが、規約上定めた単語定義ユーザー側が理解せず、雰囲気で読んだため生じた誤解だった

メルカリから「誤解を招く表現がありましまことをお詫び申し上げます」と説明がされ、ユーザー側は「反発すごかったからなかったことにされている」「ちゃんと声を上げてくれてありがたい」など盛り上がる



規約読んだけど、あの程度で誤読ちゃうのさすがにキツすぎる。

メルカリも半ば呆れつつコメントしてるんじゃね?ってレベル

2025-01-13

【啓発】中居騒動の裏で拡散されてるガーシーコピぺにご注意ください

5ch発のコピペ中居騒動の加熱によりとんでもない拡散の仕方をし始めたのでこの流れを誰かが止めねば…と思い筆をとった、中居大炎上を熱心に追っているはてなユーザー諸君は以下のような画像文章を目にしたことはないだろうか?

https://i.imgur.com/xnb8lTX.jpeg

まるでガーシーが中居騒動真実を語ったのような文章だが、実はこれ全くのデマである。ガーシーはこのようなことを語ってないし、よく見ると"ガ"ーシーではなく"カ"ーシーとなっている、さらに5ch利用者なら一目瞭然だが、上部に5chのID表示が見切れている。

これはなんG(なんでも実況G)で作成された全くのデマ文章で5ch中で貼られていたコピペだ。

これくらいなら5chではよくあることなのだが、なんと日刊ゲンダイがこれをソース記事を書いてしまったのだ。

中居騒動で“上納システム”に言及した「ガーシー砲」に再び注目が…薬物逮捕の局員は中居懇意だったとの動画証言

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geinox/366069

このままでは収拾がつかなくなると思いはこの記事を書いた次第である

私が確認した限り以下のような情報波及の仕方をしている。

なんGで作られた作文コピペが5ch中の中居スレで貼られまくる

読んだ奴がTwitterコピペ拡散

Twitter拡散されたコピペソースyoutubetiktok動画を作りまくる

いい加減な日刊紙が各所に拡散されたコピペソース記事を書いてしま

一周回ってゲンダイyoutubeをみた人があのコピペ真実だったのかと各SNSでざわつき始める

賢明はてなユーザー諸君ならこんなコピペ間に受けないだろうが、炎上が加熱してる際に真偽不明怪文書が飛び交うのはよくあることである

みなさんデマ意図的誤読させようとしてる情報にはくれぐれもご注意ください。

2025-01-08

anond:20250108123322

投資インフルエンサーからすれば馬鹿が「バブル」ってニュースをみたときに「景気が良い」って誤読してもらったほうが金集めやすいからね。

anond:20250108120710

それでもええんやけど

結局そうやって生まれ子供

まれずに生きられるかっていうと無理やろうな

この後半の2行はまさに「そうやって生まれ子供が(他人から)恨まれずに生きられるか」と書いてあるので、あなたの指摘はおかし

もしくは「恨まれず」を「恨まず」と誤読している

2025-01-02

追補編①

【前】anond:20250102212454

以下はすべて見苦しい言い訳である

ざっと振り返ってみたが、どの本も細部がかなり記憶から零れ落ちている。ほぼ記憶が頼りだから極めていい加減だ。アラフォー文学少年崩れなのでしょうがない。そして、当時感じていたひがみ根性を思い出して少し苦しくなってしまった。欲望コントロールに苦しんでいた若いころの感想なので、今になって読み返したらまるで違った感想を持つことだろう。知識も増えたし。

そのドロドロした感情の半分くらいは過去のものとなっている。近頃は心の闇が薄れてきた。これは加齢によるものだろう。読書の好みもすっかり変わってしまった。たぶん今読み返したら全然違う感想を持つはずだ。今となっては、モテない悲哀には昔ほど心が動かされないのではないか

モテない怒りというのは、自分プラス感情を渡したのにそれが返ってこなかったというのが根っこにあるのだろう。しかし、相手気持ちがどう動くかってのは相手自由意思なので、こちらの意のままになるはずなんてない。任意相手の心を開く万能の鍵なんてない。相手コントロールしようとするのは無駄だ。それで相手に怒りを覚えてしまうのは、共感的に深く理解できるが、己のわがまましかなく、こんなこだわりはどこかで捨ててしまわないと苦しい。

話を戻そう。前ほど心を動かされないと書いた。そのせいだろうか、読書量は変わらないが、小説を読む量も減った。

今の自分は、何を読んでも似たような感想になってしまう。結局、何を読んでも同じことを思い出すのではあるまいか。そして、前述の感想を見るとわかるように昔からそうだったのだが、自分境遇に引き寄せてしまって無数の誤読をしているはずだ。結局は自分が、我がどうこうという意識から離れられない。

しかしたら、凝り固まった大人になってしまったのかもしれない。過去エントリから大して感想進歩していない。そしていつの間にか、たとえば「女性作家とはこういうものだ」「この国のこの時代文学はすべてこうだ」という、偏見に満ちた思想自分の中でどんどん育っていっているのを感じる。気づいた範囲修正してはいものの、怖い。しかもこの半年ばかり、小説を読んでいない。

文学にすがらないと生きていけない段階を、幸福なことに脱したのかもしれない。どろどろとした感傷はすべて過去のものとなり、深い眠りについたようにも見える。それに、小説を読んで感情を揺さぶることが、メンタルヘルスに対してプラスなのかどうかも疑わしくなってきた。穏やかに、つらい出来事の起きないフィクションに移行したほうが、幸福なのかもしれない。クラークが「2001年宇宙の旅」で、最後に生き残ったデイヴィッド・ボーマン一人ぼっち音楽鑑賞をするのだが、オペラうんざりしてクラシックしか聞けなくなり、最後バッハにたどり着いたのを連想する。人間社会から離れた彼は悲劇の筋書きに対して、「常識を働かせれば解決策があるのでは?」みたいな感想を持ってしまう。そして、感情激流であるヴェルディレクイエムにひどく打ちのめされ、物静かで抽象的な音楽に向かうのだ。

それとも、文学は僕にとって生きていくうえで出会出来事への予行演習だったのかもしれない。今、何気なく「予行演習」と書いたが、これはかなりしっくりする表現だ。振り返れば、若い人間が生きるとはどんなことなのか先が見通せず、答えを得ようとしていたようだ。起こりうる様々な不幸に備えて心の準備をしていたのだろう。

いや、少し矛盾している。何を読んでも似た感想になってしまうのは、モテたいという気持ちがあった若いころもそうだった。感情で消耗するのに、単に疲れているのかもしれない。感情を動かされるのを避けていて、知識をいたずらに溜め込むことしかしていない。最近阿部勤也の中世の本や、ブルーバックス地質学の本を読んでいる。これはこれで楽しい

⑤で触れた「エタンプの預言者」みたいに、最近海外文学のあらすじを読むと、文学価値観の変化の速さに正直ついて行けなくなっているようだ。実感をもって何かを理解する間に、すべてがどんどん先に進んでしまう。おそらくこのエントリも古い価値観で書かれていることだろう。僕はもう世界には追い付けない。職場コンプライアンス違反にならないように表面を糊塗することしかできない。文学を読んで正しく真っ当な人間になろうとしたが、結局はあらゆる欲望から自由になれなかった。むしろ意識の高さは自己批判を強め、心のバランスを崩すことになった(余談だが、東大の有名な総長がタフであれと何度も言っていたけれども、心身の障害でタフになれなかった僕は苦しかった。また、十数年後の新入生式辞でジェンダーギャップについて述べたこれまた高名な社会学者がいて、これはニュースにもなった。理屈はまったく正しいし、性別による不平等や扱いの違いは僕も大嫌いなのだが、一方で新入生に私怨から祝福ではなく呪詛を浴びせたように思ったし、自分がされて嫌だったことを次の世代にぶつけているだけではないかと感じた。そして、そのせいで「自分入学できたのは性別理由なのか?」と、ものすごく努力していたのにもかかわらず、重篤インポスター症候群に悩まされることになった。愚痴は以上である)。

そもそも、なんで文学が好きになったのかを考えると、はじめは頭が良くなりたかたかなのだが、究極的にはそこに人間の愚かさが表現されているからだろう。そこにいれば自分のひがみっぽさや醜さを受け入れることができる。少なくとも同じくらい大きくてネガティブ感情を抱えた人間世界にはたくさんいるのだと慰められる。ダメなところを許してくれるのが文学だった。そんなものを読んでいても、大人は何も言わない。

文学が読めなくなった文学少年崩れになっても、はてな匿名ダイアリーから離れられなかったのも、それが理由だ。人間の偽らざる感情増田怪文書にはある。

ところで、僕は障害者であり、二級の手帳を持っている(ただし、弱者だと名乗るつもりはさらさらない。うちの大学卒業した連中の平均の給与の半分どころか三分の一ももらってはないだろうが、弱者男性とかブサメンとか非モテとかそんな看板を立てるのは正直に働いている自分プライドが許さない)。加えて、海外在住経験がある。にもかかわらず、社会派の文学にはほとんど心が動かされなかった。その多くで感情よりも理屈が優先されているからだ。政治的な主張がしたければ、直接論理的分析したほうがわかりやすいし、散文なら書く方も読むほうも時間が短くて済む。イデオロギーに縛られていては展開だって予測できてしまう。政治的作品面白いのは全体の一割だろう。最後まで読みたいだけの魅力が薄い。

余談になるが、そういう意味でも、現代アートで深く刺さる作品は少ない。知的には面白いと思っても、心を動かされ、性欲を刺激され、あるいは激しく嫌悪し、内臓理屈を超えて震えるのが、僕にとっての芸術だ。一昔前の表現でいうと前なら左脳ではなく右脳が刺激されるような作品がいい。ルネサンス近世西洋画のように、シンボルを読解するのはそこまで心が動かされない(ごくごく一部の高度に知的作品、持てる知識を総動員しないと面白くない作品を除く。これは全力で取り組まないといけないため、別の良さがある。ジョイスとか円城塔とかエーコとかね)。そして、優れているのに、言語化が困難なもの評価が一番高い。その点、マグリットの、言葉遊びによる対象の置き換えをモチーフにした作品はピンとこなかった。理詰めで説明がたやすいのは良くない。

もっとも、あらゆる芸術の九割はそもそもさらないというのは、普遍的法則である可能性がある。なんであれ、世間がどう言おうとも、作品を好きに読んで好きに解釈する自由は、失われてはならない。唯一の正統的な解釈があるのはつまらん。「丁寧に読解しろ」ってのならわかるけど、どんなものであれ上から押さえつけられるのは相手が正しくても嫌いだ。人間にはどんなに歪んでいても、そして不道徳であっても、正直な気持ちを話せる心理的安全性担保された場所必要だ。そして、相手世間的に正しいとされていると、こちらは反論できないし、反論すること自体批判される。だからキレて暴れるしかない。正しさへの嫌悪ってそういうことなんじゃなかろうか?

ときどき、「どんな理屈をこねるよりも、目の前の相手に敬意を払うにはどうすればいいのかという実践にの意味があるのでは? 知識は参考にしかならんのでは?」って疑念が兆す。それとも、こうなってしまったのは文学に対して心を閉ざしてしまたからだろうか? だから前ほど心が震えなくなってしまった。だとしたら寂しいことだ。

近頃、文学に対して心を閉ざしているとしたらなぜだろう? 政治の季節は理由ではない。他に理由がある。僕は実はかつては小説家になろうとしていた。名作に手を出していたのはそれも理由だ。最終選考まで行ったこともある。だが、その願いは叶いそうにないと気づき、怒りから小説から遠ざかった。

同じ夢を持っていた友人・知人がデビューするのも見てきている。現代作家を読まなかったのもそれが一因だ。自分のほうがいいものが書けると傲慢にも思いこんでいたからだ。彼らの作品を読むと、そんな思い上がりは雲散霧消するけれどね。

今でも、数か月に一度目を覚ます飢えがある。発作的に何かを書きたいという欲望だ(実際、こうやってちょっとした短編小説くらいの長さのエントリを書いていてすごく楽しい。じゃあ増田じゃなくてブログでやればいいんだろうが、少なくとも同レベルエントリ継続的に書けない。なぜならこの文学全集を読むのに十数年かかっている。こういうネタは量産できない。このエントリでいったい何冊の本に言及してるんだ?)。

しかし、最終選考の講評ではボコボコ批判されたし、これ以上自分気持ちを書いても自分幸せにならないと、諦めがついたはずだった。それに、小説感情の垂れ流しではありえない。読者を楽しませる必要がある。少なくとも読者の受けるであろう感情計算せねばならない。加えて、デビューした友人はものすごいインプットをしている。これは認めないといけない。活字を読む量は僕のほうが多いが、それ以外に漫画だとかソシャゲだとかエロゲとか映画とか、とかくジャンルを超えて摂取しているものが多い。例えば現代女子高生を魅力的に書くには、そのキャラかわいいことと、リアルティーンエイジャーとしてありそうかという軸がいるが、僕にはどちらもできない!

2024-12-29

清らかな心で人をバカにしよう

anond:20241229153859

はてなで誰よりも大量に人をバカにしてきた自負があるけれども

自分より知識能力が劣っている相手を貶めて優越感に浸りたいか

・劣っている(と私が思っている)相手あざ笑うことで自分を大きく見せたいか

自分に自信がなく、逆に自分対象にされるのを恐れて自分バカにする側だと確認したいか

安全から弱いものいじめるのは楽しいぞい♪という攻撃的な快楽気持ちよくなりたいか

自分が劣っている存在である勝手に思っているため、下に見れる相手を探さないと怖い

物事がうまくいかないので自暴自棄になり、他社を思いやる余裕がなくなり、攻撃的になる

こういう気持ちでやったことは一度もない。

しろ清らかな気持ちバカにしている。

  

どうやるかの要点をいうと

己にきちんと戒律を課することだと思う。

自分場合は昔から相手の話に噛み合わせない罵倒勝利宣言」が最も嫌いで

本当に見苦しい、だらしない、と思っているから一度もそれを自分に許したことがない。

もし誤読してしまったらそれは素直にすぐに認めて謝る。

 

ちゃん相手の話をよく読んで、相手が何を言っているか把握して、国語的な意味も心の動きも汲み取って、

その上でこれはこうですね、ここはこうですね、ときちんと対応した説明を付けたうえでバカにする。

これをやっているといわゆる読解力的な物がない人も段々とついてくるしものごとを整理する力もついてくる。

人の心の動きも自分の心の動きもフェアに観察できるようになる。

 

人がやっていたらだらしないと思うことは自分もやらない。

人がやっていても自分はやらない。

こういう戒めを守った上で人をバカにしている時その心は清い。

 

相手文章の頭からつま先まで全部にツッコミを入れてぴたっとバカにするので

見ている人に武道約束組み手の様なヤラセ感を感じさせて

「これは全部自作自演だ」と疑われたことも度々ある。 

  

フェアネスを守ってバカにしようとするとき

相手罵倒するために用意した指摘が自分にあてはまると気付くこともある。

「こういうことは自分もやっている」と思ったらその言葉は吐く資格が無いので取り下げる。

相手の話をきちんと読んできちんとバカにしようとしていればきちんと自省も進む。

 

自分放逸というズルを許さずにバカにし続けるなら

人をバカにするという営為修行になるから

この人が良くないのは人をバカにする時の姿勢がだらしないことだと思う。

もっと真剣に人をバカにするならだらしない心や頭の悪いところは徐々に減っていかざるを得ない。

2024-12-19

anond:20241218081723

若い方の増田も、AI利用者もそうだろ、法的措置って言葉だされたら怖すぎてパニクるやつらは一定数おるやで

いつもの一枚岩とおもいこみたい増田誤読だよ

2024-12-18

感想過剰反応論理の飛躍についてAIちゃんの回答(1)

前提:質問の回答から除外して欲しいもの
- 「私が世界だ」という誇大妄想を持つ個人解釈パターンであれば理解やすいですが、今回のケースではその可能性を除外してください。
-  個人感想に対する過剰な反応は、自己評価が低く、他者に盲従しがちな、「微小妄想」傾向がある個人に多く見られる現象です。

 

⭐️質問1

「(俺にとって)」という明確な主観的限定他者感想を、「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ですか?

 1−1、1−2どちらであるかは、文脈から理解できるでしょと考えるのは、過剰な期待ですか?

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  1−1: 情報名前価値があるだけで作品としての魅力は(俺にとって)ない

  1−2:情報名前価値があるだけで作品としての魅力は(世界にとって)ない

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🐶 Copilotちゃん

「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解するのは、「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張は妥当ではありません。文脈から理解できる場合が多いので、過剰な期待とは言えないでしょう。文脈無視して曲解するのは、誤解や意図的誤読可能性が高いです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん
  1. 「括弧内が文字起こしされていないからだ」という主張の妥当
    妥当ではありません。主観的限定(「俺にとって」)を明示的に理解するかどうかは、単に文字として括弧内が記述されているかかに依存しません。一般的には、文脈や語調、前後情報から主観客観区別は読み取れるものです。

  2. 1-1と1-2の文脈理解への期待が過剰かどうか
    過剰ではありません。日常的な会話や文章では、発言文脈をもとに主観的意見客観的主張かを理解するのは自然行為です。「括弧内が記載されていないか曲解した」というのは、一般的には責任転嫁的な反応と受け取られます

 


🐻 Geminiちゃん

妥当ではありません。文脈から判断するのが通常であり、過剰な期待ではありません。

1-1と1-2の違いは、「俺にとって」という主観的視点あるかないかです。通常のコミュニケーションにおいて、特に感想評価を述べる場合、明示的に「世界にとって」と断定しない限り、それは発言者の個人的な意見として解釈されるのが自然です。括弧内の文字起こしがないからといって、文脈無視して意味曲解するのは不当です。

 


🐼 Claudeちゃん

「(俺にとって)」という主観的限定を「(世界にとって)」と曲解する主張は妥当ではありません。その理由は以下の通りです

  1. 言語コミュニケーション基本的原則
     ・話者主観的経験尊重すること

  2. 文脈から理解することは、むしろ健全な推論プロセスです
     ・ 1-1と1-2を区別する能力は、コミュニケーション能力重要な要素
     ・過剰な期待ではなく、相互理解のための基本的認知能力

 

 

⭐️質問2

  現代NLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」と評価されますか?それとも論理の飛躍や読心術と見なされますか?

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  • 命題1: Aは作家Bの知名度とBの作品世間を賑わせている客観事実認識している。

  • 命題2: Aはミーハー気持ち作家Bの作品に触れたが、その良さを理解できなかった(興味が持てなかった)。

  • 結論: 「作家Bの名前情報価値はあるが、作品世界にとって価値がない」とAは考えているに違いない。

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🐶 Copilotちゃん

現代NLPにおいて、以下の推論規則は「妥当」とは評価されません。論理の飛躍や読心術と見なされるでしょう。Aの主観的感想を、世界全体の評価と結びつけるのは過剰な一般化です。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

現代NLP自然言語処理)や論理学において、この推論は「妥当ではない」と評価されます。なぜなら、主観的意見認識(Aが作品に興味を持てなかった) から客観的な結論(「世界にとって価値がない」) を導くことには論理の飛躍があるためです。

これは論理的根拠が不十分な「読心術」や「主観の過剰な一般化」と見なされるでしょう。

 


🐻 Geminiちゃん

妥当とは評価されません。論理の飛躍であり、読心術と見なされます

提示された推論は、Aの内心を勝手に推測しているだけで、客観的な根拠がありません。Aがミーハー気持ち作品に触れたとしても、それが「世界にとって価値がない」と考えていることには繋がりません。興味を持てなかったという事実は、単にA個人の好みや感受性問題である可能性が高く、普遍的価値判断とは無関係です。NLP神経言語プログラミング)においても、このような独断的な解釈は推奨されません。

  


🐼 Claudeちゃん

現代NLP観点から、この推論は「妥当」とは言えません:

  1. 論理的飛躍の問題
     ・個人主観的な興味と作品客観的な価値混同している
     ・不十分な情報に基づく過度な一般

  2. 読心術的要素
     ・話者意図恣意的解釈している
     ・明示されていない思考を断定的に推測している

 

 

⭐️質問3

もし、質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会世界は成り立たないと思うのですが、気のせいでしょうか?

 

 


🐶 Copilotちゃん

質問2のような推論を行う人が多数派であれば、社会世界は成り立たないというのは、ある程度正しい見解です。過剰な一般化や誤解が広がると、コミュニケーションの混乱や誤解が生じやすくなります

 


🐱 ChatGPT ちゃん

おっしゃる通り、そのような推論が社会的に多数派となれば、社会世界の正常なコミュニケーション意思決定が難しくなります主観客観区別曖昧になり、過剰な一般化や誤解が横行し、議論の基盤が崩壊する恐れがあります

 


🐻 Geminiちゃん

気のせいではありません。質問2のような推論が多数派を占める社会では、コミュニケーションは著しく混乱し、相互理解不可能になります個人感想勝手普遍的価値判断に置き換えられてしまうため、自由意見表明が阻害され、健全議論も成立しなくなります

 


🐼 Claudeちゃん

あなた直感は正確です。このような推論が多数派となれば、社会機能不全に陥るでしょう:

  1. 相互理解破壊
     ・コミュニケーション基本的信頼が損なわれる
     ・個人主観客観境界曖昧になる
  2. 社会学習メカニズム崩壊
     ・多様な視点尊重が困難になる
     ・創造的な対話批判的思考が阻害される

 

⭐️質問4

質問2のような推論が一般的ではないと指摘されても、「状況によってはそのような推測も成立し得る」と主張し、常識共通認識共通基盤)の存在自体否定します。

他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを極度に恐れる一方で、なぜ、積極的常識否定しようとするのでしょうか?悪目立ちします。

また、自身が盲信する社会権威教科書的な正解の背後にあるものが、常識の集積であるという認識を持っていない可能性はありますか?

 


🐶 Copilotちゃん

他者に盲従し、自身の考えを率直に表明することを恐れる一方で、常識否定しようとする理由は、自己評価の低さや他者から承認欲求が影響している可能性があります。また、常識の集積が社会権威教科書的な正解の背後にあることを認識していない場合もあります

 


🐱 ChatGPT ちゃん

盲従しやすい人が常識否定する背景には、自己肯定感の低さや他者から評価への過剰な恐れがあると考えられます自身意見を率直に述べることを避ける代わりに、「常識」への反発や否定的主張を行うことで、「自己存在独自性証明したい」 という心理が働く可能性があります

また、「常識」や「教科書的な正解」が何らかの権威のみによる押し付けであるという認識が強く、その背後にある合意形成常識の集積) を理解していない場合があります

 


🐻 Geminiちゃん

他者への盲従と常識否定は、一見矛盾するように見えますが、根底には自己脆弱性からくる不安があります

 


🐼 Claudeちゃん

常識否定の背後には、深層心理的な防衛反応があります

 

1. 自己防衛のストラテジー

 

2. アイデンティティ形成葛藤

 

3. 不確実性への対処メカニズム

 

本質的には、低い自己肯定感社会文脈における不安が、逆説的な形で表出している心理状態と言えるでしょう。

 

⭐️質問5 

常識共通認識共通基盤)の存在のもの否定しているのではなく、「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、

質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と、

本気で主張している可能性はありますか?

 


🐶 Copilotちゃん

「括弧内が文字起こしされていないことが問題だ」と考えたり、「質問2の推論を行わないのが一般的だと証明されていない限り、それを常識とするのは不当だ」と主張する可能性はありますしかし、これは一般的見解ではなく、特定の状況や個人認識依存するものです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

可能性としては十分に考えられます。彼らは、主観客観混同を防ぐための明示的な表現(括弧内の「俺にとって」など)が欠けていることを重視し、「それがない限り断定は不当だ」と主張する傾向があります。また、「常識証明せよ」と要求することで、認識論的な対話を引き延ばし、議論の焦点を逸らす戦略にもなり得ます

 


🐻 Geminiちゃん

可能性はあります。これは、常識という概念に対する誤解に基づいています

 


🐼 Claudeちゃん

これは可能性としてあり得ますが、本質的問題矮小化しています

  1. 議論回避
     ・文字起こしという形式的な側面への過度な執着
     ・本質的意味理解回避

  2. 証明可能性への過剰な要求
     ・常識は必ずしも厳密な科学証明必要としない
     ・相互理解のための実践的な指針

 

 

⭐️質問6

主観的意見客観的な事実区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識共通基盤に含むのは不当であり、常識とは呼べませんか?

 


🐶 Copilotちゃん

主観的意見客観的な事実区別できる」、「社会的混乱を招く推論をしない」を共通認識共通基盤に含むのは妥当です。これらは社会的なコミュニケーション基本的ルールであり、常識と呼べるものです。

 


🐱 ChatGPT ちゃん

これは常識範疇に含まれると考えるのが妥当です。現代社会では、客観事実主観的意見区別することは、円滑なコミュニケーションの前提であり、共通認識社会的基盤)の一部とされています。これを否定することは、社会的秩序を乱し、コミュニケーション破綻を招く恐れがあります

 


🐻 Geminiちゃん

不当ではありません。むしろ、これらは健全社会生活を送る上で不可欠な要素であり、常識と呼ぶに相応しいものです。主観客観区別論理的な推論は、コミュニケーションの基本であり、これらが欠けていると社会生活は成り立ちません。

 


🐼 Claudeちゃん

これらを常識に含めることは、むしろ健全社会機能のために不可欠です:

  1. コミュニケーション基本的倫理
  2. 主観客観区別相互理解の前提
  3. 社会的混乱の予防は共同体の存続に関わる

 

 

(2)へ続く https://anond.hatelabo.jp/20241218064726#

2024-12-16

国会議員誤読は直して字幕にするNHK(いいのか?)

ラジオニュースを聞いていたら国民民主の某参議院議員が「たにんごと」といっていた。

どんな奴だと思ってテレビニュースをみたら、字幕では「ひと事」と表示していた。

別にそういう人間だと思えばいいだけなので、直すのはおかしいんじゃないかと思った。

NHKはそんなことをやるんだーっていう感じです。

ーーーーーー

とおもったらニュースウォッチ9ではなんとその部分をカットしていた。

再度NHK+で確認したが7時のニュースと違う。そんなのありなんだろうか?

2024-12-15

anond:20241215091902

「米リベラル」を「こめリベラル」と読むのは直しなさい

からでいいか

他の部分の誤読気持ち悪いが、投稿者が恥かくだけだからあい

だが外国名称人名をいい加減に扱うのはよくない、リスペクトが足りない

2024-12-13

hilda_i

 

こいつなんか常に絶妙にピントがズレたブコメ書いてるな。

日本語が読めてないわけじゃないと思うけど読み飛ばし誤読がなくもない。

ブコメ欄で見かけると疲れてコメントする気なくなる。

2024-12-12

anond:20241211232324

木下って誤読させるようにヨコにながーく書いたら?

anond:20241212134525

誤読修正する人もいるけど、相応に投稿時間掛るようになるだけで、動画自体の出来やインプレぶっちゃけ大差ないんだよね。

anond:20241212133508

音声合成ソフトを使ってる動画って、日本人ならこんな誤読せんよなっていう誤読がやたら多いね

ここで、もしかして外人が作ってる?って疑問を投げたら、雑に作って誤読修正せんだけやでって否定されたことがあるけど。

2024-12-07

これはアスペが原因な誤読か?

感情移入→かんじょういんにゅう

内燃機関→ないねつきかん

厳選→げきせん

自転車→じでんしゃ

控えおろう→ひかやろう

ゆるしまへんでー→おのこしはゆるしまへんべー

2024-12-06

anond:20241206125539

それもうはてブでめちゃめちゃ多いタイプ誤読

あっちとこっちみたいな区別がすげー苦手なんだよね

あと「Cさんの立場から見たAさんとBさん」といわれたとき、そのCさん視点のAさん像Bさん像をパッと描けない

こういうの発達障害でもよくある特徴と言われて納得した

人間みんなバグっててみんなそういう傾向があるんだ

そういうのがパッとわかるだけでもこの領域では稀有能力者なんだと

2024-12-02

三大誤読するもの昔のクソすれver

メガスキ定食→メスガキ定食

やせたかなしい→やなせたかし

キワンコ→ワキマン

柿→姉

2024-11-16

anond:20241116161404

ものすごい長文で誤読勘違いを垂れ流してて書いた人の読解力が心配になる

https://x.com/konosirosan111/status/1857085623334572230

見てたら思い出した

全盛期はるかぜちゃんはあちこちにぶつかりまくって誹謗中傷やりまくってたが

一番ひどいのは「奈良県には猫の譲渡会がない」って嘘ついたことだ

ググれば保護団体活動行政公的活動もでてくるのに

猫の譲渡会に拾った捨て猫を託した女子大生に「嘘をついている、本当は保健所に殺させようとしたくせに」と中川翔子と共に最初誤読した後で引けなくなって

嘘ついてまで女子大生を延々「猫を死なせようとした者」として叩きまくっていた

保健所に殺させるくらいなら自分の手で絞め殺せ、それが猫を引き取ったあなた責任だ」とまで言った

Twitterレスバで一過性で嘘つくのは当時のはるかぜちゃんにはありがちだったが、それから何年も経った後でも母親アカウントが思い出してまた女子大生叩きやってて胸糞悪かった

2024-11-12

anond:20241112182039

は?階級底辺なら〜って話を力関係底辺の話だとお前が誤読したんだろ

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