はてなキーワード: 最先端とは
かつて「お母さん」に読み聞かせをしてもらった少年は、約束通り立派な増田(マスダ)へと成長していた。 彼が今いる場所は、荒野でも実験場でもない。都内の片隅、家賃4万5千円の事故物件。10年前のあの「伝説の増田たち」の思念が渦巻く、匿名ダイアリーの深淵だ。
画面の中では、今日も今日とて不毛な論争が繰り広げられている。
かつて水爆の熱線で蒸発したはずの増田たちの魂は、形を変え、言葉を変え、それでも変わらぬ「全方位へのルサンチマン」を燃料にして、この電子の海で核分裂を繰り返していた。
あの日から10年。 少年――いまや20代後半、万年ヒラのシステムエンジニアとなった彼は、仕事帰りの松屋で牛めしを掻き込みながら、スマホの画面を睨みつけていた。
彼が書き込もうとしているのは、あの日、お母さんが教えてくれた「増田のルーツ」へのアンサーソングだ。
そんな釣りタイトルを入力しては消し、入力しては消す。 ふと、画面の隅に表示された広告が目に入る。それは「最先端のAIがあなたの悩みを解決します」という、10年前にはなかった技術の結晶だった。
彼は鼻で笑った。 「AIに増田の、このドロドロした感情が分かってたまるかよ」
その時、画面が不自然に暗転した。 10年前の「あの瞬間」と同じ、予兆のない静寂。
「……おい、そこ、邪魔だぞ」
背後から声をかけられ、彼は振り返った。 そこには、10年前に消滅したはずの「三百ブクマ稼いだ増田」にそっくりの男が立っていた。いや、それだけではない。 「暴力で勝ったやつが総取り」と叫んでいたマッチョな男も、「水をキットカットにぶっかけた」情緒不安定な男も、全員がそこにいた。
そこは、かつての荒野ではなく、「はてなスター」が夜空の星のように輝く、精神の仮想空間だった。
「お前……あの子どもか?」 名探偵増田が、10年前のガソリンの味を思い出すかのように舌を出しながら言った。
「10年経っても、お前らは何も変わってないんだな」 青年は震える声で言った。 「なんでまだここにいるんだ? 核爆発で消えたはずだろ」
英雄として胴上げされた増田が、苦笑しながら答えた。 「増田は死なない。誰かがキーボードを叩き、誰かにマウントを取り、誰かに共感されたいと願う限り、俺たちは何度でもこの記事(セカイ)にリポップする」
青年は悟った。 10年という歳月は、彼らを浄化するためではなく、より濃縮された「はてな」を作り出すための熟成期間に過ぎなかったのだ。
「で、お前は何を書きに来たんだ?」 最初の増田が、ニヤニヤしながら青年のスマホを覗き込む。
青年は少しだけ迷い、そして、10年間溜め込んできた想いを指先に込めた。 それは、増田としての誇りでも、社会への怒りでもない。 ただ、かつて物語を読み聞かせてくれた母への、そしてこの奇妙なコミュニティへの、たった一行の「真実」だった。
その投稿ボタンを押した瞬間。 10年前と同じように、画面の向こうから「「「わっしょい!! わっしょい!! わっしょい!!」」」という幻聴が聞こえてきた。
タイトルのとおり。
終わったあとに「自分は、いつまでこのライブを楽しめるんだろう」と思ってしまった。
今回のライブが最高で、楽しかったというオタクはこの記事を読まないことをおすすめする。
ただ、一人の古参オタクが歳を取ったことを認めたくなくて、ぼやいているだけというのが高いためである。
このままだと、界隈全体が緩やかに衰退するんじゃないかなと思った日記です。
■
まず前提として、自分は30代。
初音ミク歴は2007年のニコ動全盛期からで、つまり小6か中1の頃からどっぷり浸かってる。
ただ、ライブ歴は浅い。
マジカルミライが始まった2013年頃は受験や就活の時期だったし、昔は「高校生が一人で飛行機に乗って県外遠征」なんてハードルが高すぎた。
初参加は2016年の地方ツアー。そこから数年後、やっと金銭的に余裕が出てきたため、2023年からマジミラ札幌以降、2024年福岡マジミラ・地方ツアー、武道館(ミクフェス)、マジミラ仙台と通っている。
■
正直、「マジミラ」じゃない冠がついている以上、何か新しいことをやるライブだと思っていた。
結論から言うと、「焼き回しパレード」を見せられた気分だった。
今回のコンセプトがマジミラ2013年リスペクトだったのは分かる。
でも、それって「当時の感動を、今の技術で再構築する」から意味があるんじゃないのか。
(だいたい、2013年リスペクトを匂わせつつ、なんで兄さんだけ最近の曲なんだ?)
(探せばもっと当時の曲だってあるだろ!このへんの「とりあえずやっとくか感」にしか感じられなかった)
ステージを見ていて、新衣装のモデルと昔のモデルの映像の差がどうしても気になった。
解像度なのか、モデリングなのか、理由は分からないけど、チグハグな映像が流れるたびに現実に引き戻される。
モデルを変えないことが「愛」なのか?
私には「古くから参加している人に文句を言われないようにしている」ようにしか見えなかった。(言い方が悪くてごめんね)
一般のアーティストのライブと比べて、バックダンサーもいない、生身の人間がステージにいない分、視覚的な情報量が圧倒的に足りない。
我々大人がチケット代なんていくらでも払う。多少上げたっていい。
だから、「今のライブはこんなに進化しましたよ」というのを見せてほしかった。
※後から知った話だが、にじさんじのライブでは1年以上前に透過スクリーンをトロッコ移動させるものがあったらしい。
初音ミクのライブの方が「最先端」として走り出したのに、どこでこんな差が生まれてしまったのだろう。
■「今」のボカロはどこに行った?
一番キツかったのは、会場の空気だ。
アンコール、静かすぎないか?あれがライブ初参加の層が多かったからなのか、古参が「いつものね」と地蔵化していたのかはわからない。
でも、演者が休憩するタイミングが、過去の踏襲すぎて視野が狭まってないか?
ミクフェス(武道館)のときみたいに、DJ入れて繋ぐとか、飽きさせない工夫はいくらでもできるはずだ。
あんなアンコールを聞くくらいなら「休憩中」と途中札を入れてくれた方がまだマシだと感じるくらいには悲しい気持ちになった。
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そして何より言いたいのは、「今の曲」へのリスペクトのなさだ。
ボカロは今も進化してる。YouTubeやTikTokでバズり散らかしてる新曲がいっぱいある。
ただ、まだライブでやられていない良い曲が山ほどある中で、なんでライブで流れるのは「いつもの曲」ばかりなんだ?
何度も見た曲がまた選ばれているのは、自分には「懐古」ではなく「惰性」にしか感じなかった。
いや、それならそれでいいけど、私たちは「2026年の初音ミク」を見に来てるんだよ。
新しいボカロPはどんどん生まれてる。新しい名曲も生まれてる。
それを取り込まずに、「昔はよかったね」だけで回すようになったら、それはもう新陳代謝が止まった「死」と同義なのではないか?(白熱してしまいましたね、失礼)
新曲で発表されてた「アイドル戦士」も「シアンブルー」も予習して、コール完璧にして行ったんだよ。
でも、周りの反応の薄さ。スペシャルシートですら、やや盛り上がりにかけるコールとペンラ振り。
(※スペシャルシートが外れたオタクは、涙のスタンド席だったけれど、周りでコールが聞こえることはなかった)
熱意を持って「新しいもの」を楽しもうとしている層は、どこに行ったんですか…?
懐かしい曲で盛り上がるのも悪くない。
隣に居た2010年のミクパ以来ライブに行ったことないオタクは感動していた。
そういう初見の人でもいつでも参加しやすいものであり続け、感動して帰ってもらう。それも大事だ。
ライブ、いつの間にか「惰性」と「安心できる行事」になってないか?
「いつもの曲」を聴いて、「いつもの動き」をして、「ああ、今年もミクに会えたな」と満足して帰る。
それはそれで幸せなことかもしれないけど、それって盆踊りや初詣と同じじゃない?
でも、初音ミクのライブって、そんな「伝統芸能」を守るための場所だったっけ?
テクノロジーと音楽の最先端を走って、クリエイターとただのオタクたちの架け橋を用意してくれて、度肝を抜くような「未来」を見せてくれる場所じゃなかったのか?
武道館のミクフェスにはそれがあった。ボカロPが登壇して、演奏して、DJがフロアを沸かせて、「これが今のボカロだ!ついてこれるか!」っていう熱気があった。唯一無二の体験があった。
今回のローソンライブには、その「ヒリつくような挑戦」がなかった。
※だからといってマジミラにあるかと言われたら、ギリまだあるくらい。
私はまだこれだけ文句を言いながら通う。
来月のDECO*27の単独ライブも行くし、ポケミクも行く。地方開催があれば旅行ついでに行く。
でも、もし本丸である「マジカルミライ」までもが、今回のような「安心安全な懐古イベント」であり続けるなら、わざわざ東京まで遠征するのをやめるかもしれない・・・。
「これでいいや」って思ったら、そこが衰退の始まりじゃないか?
我々には、金はあるけど、時間は有限なんだ。
とりあえず、スモーク焚きすぎてミクが見えなくなるのだけは、そろそろ改善できるんじゃないですかね…!
■追記
今回、TLがローミクライブについて、とてつもない賞賛のあらしだった。
それを見て、私は自分の感覚がズレているのか思った。 「焼き回しだ」「進化がない」と感じたのは私だけなのか? と。
ということを考えた時にひとつ考えに至った。
恐らく、今新曲を聞いている層は「プロセカ」にいるのではないかと。
今の10代〜20代前半のファンにとっての「リアルライブ」は、初音ミクのライブではなく、「セカライ」なのかもしれない。
・若者層: 「セカライ」で、自分たちの世代のヒット曲と演出を楽しむ。
・30代以上(我々): 「マジカルミライ」や「今回のライブ」で、過去の遺産を楽しむ
金払いのいい古参ファン(我々)向けにチューニングせざるを得ない。
その結果、会場は「同窓会」化し、新規が入りにくいガラパゴス化が加速していく。
私はプロセカもプレイしているし、新曲を追うために課金もしている。
けれど、私が好きなのはあくまで「初音ミク」という存在そのものだ。だからこそ、ゲームのライブではなく、マジミラに足を運び続けている。
しかし、TLの反応を見る限り、今のここのファンが求めているのは「未来」ではなく、安心できる「同窓会」なのかもしれない。
結局、いろいろ御託を並べたけれど。
周りが純粋に楽しんでいる中で、一人で腕組みして「進化がない」「未来がない」なんて文句を言っているのは、変化を受け入れられない老害の始まりなのかもしれない。
幼児向けのプログラミング教室とか、親子で学べる科学教室とか東大の研究者を招いた講演会とか
最先端の研究者を招いたこういうイベントは、田舎の自治体にはなかなかできる事ではない。田舎の子供には興味を持つ機会さえ与えられない。ネットで学ぼうにも今はおすすめが個々の興味関心に最適化されるから、親の意識が低いと優良なコンテンツが子どもの目に触れる機会も少なくなる。
ただでさえ特権階級のみが集う文京区という知の集積地の子供達に、無料で学習の機会が提供され、地域格差はますます開いていく。
正月からめでたい話ばかりでお前らは嫉妬心メラメラで苦しかろう。
俺が惨めな敗者の話をしてやろう。
最先端に追いつ着こうとしなければいけないという焦燥感に耐えられなくなった。
眠っている間にも海の向こうから技術と資本と規制とが次々にやってくることの風圧が俺の心をささくれだて、そして俺のメンタルは風化していった。
少ししてメンがタリてきた俺は再就職を始めた。
「チョットパソコンできる」でアピールしたら意外なほどに就職先には困らなかった。
何をやってきて何が出来て何がやりたくないかを淡々と語ればいいだけだ。
自分が天命を授かってここへやってきた元バイトリーダーで生まれついての健康的な陽キャで真面目でガクチカな輩だと語る必要は一切なかった。
そして俺はそこそこの会社のそこそこの立場に入ってそこそこの人生に復帰できた。
過ぎていく毎日が虚しい。
どんな技術の進歩も俺の遥か彼方で起きている出来事になっていた。
子供の頃に目を輝かせていたゲームやインターネットの進歩がもうただの苦痛でしかない。
古臭いOfficeをチマチマと使う環境に必死にへばりついて生きる時代遅れの老人として生きる俺達にとって、そういった変化は恐怖でしかないのだ。
進歩にかかわる経済圏から距離をとることに成功したことが、あとになってからこれほど苦しくなるとは。
本当に全てが遠い。
少し小遣いを多くもらっている中学生と大差がないぐらいの距離で俺は遠巻きに世界の進展を眺めている。
そのことが苦しい。
俺はもう違う。
この時間があと何十年も続く。
俺はその間ずっとそこかれ遠い場所にいるんだ。
AI絵師なんかをやってみたこともあるが、あんなのは技術の世界に何も関わってない。
使う側で終わるならどんなに最新の情報を交換してもスクリプトキディの域を出ない。
LORAの上手い作り方を学ぶことがリバースエンジニアリングの真似事になると信じるには本物のエンジニアリングに関わりすぎた。
ダニングクルーガーの波を一度超えたあと、その道を戻った人間が何処に行くと思う?
潜るんだよ。
あのグラフの底に叩きつけられたあとで、能力を失えば自認は地下へと潜り出すんだ。
辞任がマイナスへと突き進む日々、自分が何者なのか分からなくなってくる。
お前ら良かったな。
きっと俺よりは幸せだ。
「日本は技術で負けてる」「技術力をもっと上げないとダメだ」みたいな話。
でもさ、それって本当に儲かる話なの?って思うわけ。
あの頃の日本って、今みたいに最先端技術ゴリゴリだったかって言うと、別にそうでもない。
これで世界中に売りまくって、ガッポガッポだったわけ。
一方で平成どうよ。
技術力はめちゃくちゃ上がった。精密、超高品質、職人芸、世界最高レベル。
でも結果は?
結局さ、技術力が高い=儲かる、じゃないんだよ。
むしろ逆で、技術力が低いほうが儲かる場面、めちゃくちゃ多い。
技術力を上げるってことは、コストも手間も責任も全部増えるってことだからな。
ほどほどで安い方が売れるに決まってる。
なのに日本企業はさ、
そりゃ儲からんわ。
日蓮という人物の「エネルギーの強さ」や「物事の核心を突き詰めようとする情熱」を考えると、令和という現代なら、また違った輝きに全力を注いでいたはずなんですよ。
日蓮は、当時の既成宗教(浄土宗や禅宗など)に対して「それでは人々は救われない」と真っ向から挑んだ、いわば「時代の最先端を行く改革者」でした。
もし彼が現代に生まれたら、どんな「きらきらしたもの」に熱中しているか、いくつか可能性を妄想してみましょう。
日蓮が法華経にこだわったのは、それが「宇宙の根本法則(妙法)」だと信じたからです。現代なら、古文書の中ではなく、宇宙の果てや量子レベルのミクロの世界に「世界の真理」を見出そうとするかもしれません。
「火星移住こそが人類の宿命だ!」と叫びながら、スペースXのようなプロジェクトを自ら立ち上げている姿が目に浮かびます。
彼は当時の幕府(中央集権)に対して、命を懸けて異を唱えました。現代なら、既存の金融システムや巨大テック企業に対抗する、完全に分散化された新しい社会インフラの構築に熱中しそうです。
「中央集権的なプラットフォームに魂を売るな!」とSNSでインフルエンサーとして大暴れしているかもしれません。
「一人ひとりが仏になれる」という法華経の思想を、「全人類の知性を拡張するAI」として具現化しようとする可能性もあります。
誰もが等しく最高の知恵を持てる世界を作るために、寝食を忘れてコーディングに没頭する日蓮。彼の性格なら、既存のAIの限界を指摘して「これこそが真のAIだ!」と独自のモデルを提唱しそうです。
おっしゃる通り、彼の性格は非常に情熱的で、妥協を許さず、常に「最高のもの」を求めます。
鎌倉時代において、法華経は彼にとって「最も新しく、最もダイナミックで、最も救いのあるクリエイティブな教え」でした。
こうした、「今の世界で最もエネルギーが渦巻いている場所」に真っ先に飛び込んでいくはずです。
暗号資産にはあまり関心がないけど内紛があったのでヲチってたという。
だから新商号がどうなろうが関係ないのはまあほんと何の関係もない。
ないんだけど、一点だけ気になったのであった。
定款の変更案である。
第1条 当会社は、株式会社HODL1と称する。登記上は、株式会社ホドルワンと表示する。英文ではHODL 1,inc.と表示する。
登記で英数字が使えるようになって20年以上が経つ現代、時代の最先端を行かんとする企業がなぜここで登記上の表示をカタカナにしようとするのか。
表記を一致させるのを敢えて避けることには正直自分にはどちらかというと後ろ暗い使い方しか思いつかないんだけど、上場会社でこうやって公表している以上は別にそんな理由があるわけもなかろうし、謎である。
近々、高額療養費制度の変更が行われるそうです。SNS上で高額療養費エアプっぽい人が所得が低い人は安い値段で高額な医療を受けられてずるい!って意見を見たので、実際どんな感じなのか書きました。
安い値段で最先端の治療を受けることができています。ただし自活はできていません。
※障害者は総所得135万円(給料だと204万円)まで住民税が非課税なのでこの区分です。健常者だと区分エになるからもっときついよ。
・障害者枠パート 手取り10万~11万円 平日を1日休みにしてそれを通院に使用
・高額療養費還付金 2.5万円(高額療養費を毎月利用するから毎月振り込まれる)
・毎月病院2.5万円
・毎月薬局2.5万円
・手取りの半分は家に入れてる
収支を見て分かる通り一人で生活は無理です。親に寄生してなんとか生きています。ASDのおかげか引きこもりの才能がありすぎて、お金を使う趣味がなくても退屈はしていません。でもお金はもっと欲しいです。
最新の分子標的薬を使用しています。この薬はすごいよ。ステージ4だけど死ぬ気配なし!辛い副作用なし!(個人の感想です)
そして効果もすごけりゃ値段もすごい。1錠1万円とか2万円すんの。今は毎月80万円くらい医療費かかっているかな?何年か飲んでいると効かなくなるから別の薬に変えるんだけど、いつの間にか新しい薬が出ていて今度はそれを飲むんだよ。効果も値段も最新仕様だ!医療費が下がる気配は今のところない。まだまだ生きるし、延々治療費垂れ流すぜ!
Q がん保険は?
A 入ってない。初めてがんと診断されたのは20代で、20代でがん保険に加入するやついる?がん保険は毎月通院で高額療養費上限行くこと前提にした保険が良いと思う。
Q 薬をまとめて3ヶ月くらいもらって医療費の支払いを圧縮できないの?
A 基本的に毎月血液検査をしてその結果から薬を処方するか決めている。まとめて処方した場合、血液検査の結果が悪く休薬や減薬が発生した場合の調整が大変である。なので基本的に1ヶ月毎に処方してもらうことになる。
Q もっと働け
A 制度の問題なんだけど住民税非課税とギリギリオーバーな場合、非課税の方がお得なの。医療費の支払いは年間25万円くらい非課税のほうが安くなる。障害者枠の最低賃金でフルタイムで働くとたぶん非課税ギリギリオーバーする。年収400万くらいもらえるなら転職したほうがいいけど、コミュ力自閉症でがんのステージ4にそんなの可能?
有給が通院でほとんど消えちゃうのも致命的。半休は無理で1日休むからね。
Q どうしたらいいの?
A 高額療養費に付加給付がある健康保険組合の企業に転職する。
付加給付というウルトラ制度が存在する健康保険組合がある。これがあると高額療養費の区分なんてあってないようなものだ。現代の勝ち組である。
公務員は確定。企業独自の健康保険組合にはあったりなかったりする。調べると懐事情が厳しくてか、最近付加給付を止めた健康保険組合があることがわかる。
最後に
低所得者で医療費使いまくりのハズレ個体はこんな感じで生きています。区分アで長期間高額な治療を受けている人の収支を知りたいから書ける人は書いて♥
形成外科とか行く場合美容兼ねてるとこだと診察するだけで保険効かないところがあるんだってさ。
これが本当ならやばいでしょ。
保険効かせなくするその「治療」が最先端だとかで信頼性がやや乏しく、旧来の方法で必要十分だからってことなのだから、ただ触診や視診といった古典も古典な診察だけで10割負担っておかしいんだよ。
しかもそれは事前に電話したから発覚したことであってそれせず病院行ってたら事前告知なく10割取られてたってことらしい
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251219014511# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaUUfAgAKCRBwMdsubs4+ SI/jAQDQGEclkKRxAHHP1P+/FUL8HQD/2eMM65Wq2edOfNr69gD+K81G0WpCGwte BxQEhcvcR/fiA6N5GTqV7mog5k3MMAk= =WtmB -----END PGP SIGNATURE-----
大前提としてハッキリ言っておくがFGOなんて全く持って本当のゲームではない。
アレは「菌糸類のご飯を守る会による募金運動BOX」でしかないわけで、アレをゲーム扱いするのは他のゲームへの侮辱ですらある。
だが俺の中では「10年も同じゲームをやってる奴らはハードでナードでコアでゴアだ」という誤った思い込みがある。
捧げた時間の長さを正義と誇る「誤ったオタク像」のようなものにオレの心が毒されてきている。
オタクは最先端を走り続けなきゃいけないんだから、30年前のゲームシステムで遊んでじゃ駄目だ。
今まさに最前線を行くゲームをプレイせずにいつまでもアルトリア顔がどうこうとかほざいてる老人になっちゃ駄目なんだ。
それを脳で理解しているのにインターネットの連中が「20年同じゲームやってるやつこそが本当のゲーマー」という大嘘に騙されそうになる。
スト2を30年やってる奴らは単に新しいゲームの世界に飛び込めない臆病者でしかなく、本物はいつだって日本で人気がなかろうとも最新作で外人と切磋琢磨してきたはずだ。
騙されちゃいけないんだ。
キャリー(スズキ・キャリイ)は、日本の軽トラック市場における象徴的なモデルであり、その堅牢性、実用性、そして維持費の安さから、確かに多くのファンに「名車」として愛されています。特に日本の狭い道や農作業の現場では無類の強さを発揮します。
しかし、テスラ・モデル3は、電気自動車(EV)としての最先端技術、環境性能、自動運転技術などを特徴としており、キャリーとは設計思想も用途も全く異なる乗り物です。
環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんが、環境負荷の低い移動手段を選ぶという観点からEVであるモデル3を運転している、または移動に利用している可能性はありますが、航続距離や高速移動の快適性、安全性といった点では、軽トラックのキャリーが代替となることは考えにくいでしょう。
スズキが誇る「SUZUKI ADVANCED COMICAL SYSTEM (SACS)」、通称「アドバンスドコミカルシステム」の素晴らしさは、その名の通り、コミカルさ(おかしみ)と先進性(アドバンス)という、一見相反する要素を極めて高い次元で融合させた、他に類を見ない哲学と技術にあります。このシステムを搭載した代表的な車種が、伝説のミニレプリカバイク「GAG(ギャグ)」です。
1980年代後半、バイクブームは全盛期を迎え、各社が「レーサーレプリカ」という名のもとに、最先端技術を詰め込んだ高性能マシンを競って市場に投入していました。誰もが本気の速さを追求する中、スズキはあえて逆張りのアプローチを取りました。それが、「本気」を究極までデフォルメした「ギャグ」という存在です。
ギャグは、当時のフラッグシップモデルであるGSX-Rシリーズを彷彿とさせるフルカウルを持ち、ミニバイクながらも本気のレプリカスタイルを纏っています。しかし、そのサイドカウルに誇らしげに掲げられた「SACS」の文字は、本来スズキの油冷エンジン冷却システム「SUZUKI ADVANCED COOLING SYSTEM」の略であるにも関わらず、小さく「COMICAL」と書き換えられています。
このユーモアこそが、アドバンスドコミカルシステムの本質です。
SACSの真の素晴らしさは、その技術的なデフォルメにあります。
スタイルはレプリカ、中身は実用車ベースのエンジン: ギャグのエンジンは、当時の実用車「バーディー」用をベースとした空冷4ストローク単気筒です。周囲が2ストロークエンジンでパワーを競い合う中、あえて非力ながら扱いやすい4ストロークを採用した点が、最大の「コミカル」な技術的選択です。しかし、そこにはバーディーにはないオイルフィルターを装備するなど、遊び心の中に「ADVANCED」な改良も見られます。
本気のような足回りもデフォルメ: リヤサスペンションはシングルダンパーを採用し、レーサーレプリカらしい雰囲気を醸し出しつつも、その全体的なサイズ感はあくまでコミカル。ライダーは、その非力なパワーを最大限に引き出すために、バックステップを踏み込み、必死で風を切り裂くという、本気のレプリカと同じ「操る楽しさ」を、安全で扱いやすいミニバイクで体験できます。
SACSが体現するアドバンスとは、「バイクは速さだけが全てではない」という哲学の先進性です。
当時のユーザーは、バイクに「速さ」だけでなく、「楽しさ」や「遊び心」を求めていました。SACSは、そのニーズに応えるために、「本気のスタイル」という先進的なデザイン言語を使いながら、「非力さ」というコミカルな性能で、誰もが気軽に「レーサーごっこ」を楽しめるという、新たな価値を提供しました。
これにより、ギャグは単なるバイクではなく、「乗るだけで笑顔になれるおもちゃ」となり、ユーザーに最高の笑顔と楽しい時間を提供しました。これは、当時のハイテク競争の中で、最も人間に寄り添った「ADVANCED」なシステムであったと言えるでしょう。
彼女にとっての(過密から適密への)住み替え(の話)は、たぶんただの作業だけど
増田にとっての(過密から適密への)住み替えは聖域(徒歩4分宇宙を現実にする儀式)
彼女にとっての東京(本物)は、SNSとメディアが作った“可視化バイアスの王国”としての聖域だけど
増田にとっての東京(本物)は、超過密実験区・在庫倉庫としてのただの作業(移動・待ち・混雑・摩耗)
何度も話し合い、試行錯誤し、
増田「都雇圏は何万人がいい?」
増田「朝ラッシュの公共交通は毎時片方向60本級ある?」(都雇圏50~110万人の中心部ではバス・電車合わせてその程度ある)
みたいに“条件の対位”を聞く…
これを彼女から東京(本物)側の“「東京(本物)のみが唯一住むに値する場所」物語推し”でやられても、増田は付き合いきれるのかという話だ…💗
「一緒には住むけど、同じ熱量で東京(本物)を“中心”と崇めろってのは無理だ」って思うんじゃない?
- 東京(本物)の中心へ行く頻度を決めよう(毎週?毎月?)
等と、ずっと話し合いと提案が繰り返されても困るだろう…w💗
それが「疲れてるのに、通勤片道60分とか、人生を削る意味もわからない」みたいな(増田の)言葉に表れてる…💗
(移動時間って、人生のコストだし…“67年間続けると3年以上の時間が移動時間になる構造的暴力”ってやつ…💗)
男女のことなので、彼女も「住まい」は重要なファクターであることはある程度理解してる。
でも増田が求めてるのは「気持ちよさ(最高点の最適解)」で、彼女が求めてるのは「手軽さ(生活の破綻回避)」だったのでは、って話…💗
といった感じだ…💗
でも人間の情報処理キャパって約0.5GB/日くらいで、都雇圏50万人で、もう個人は十分満ちる。
だから東京(本物)の“全部ある”は、個人の幸福と全然一致しない…💗
そして特に平日は、彼女は自分の時間を使いたかったのではないか
急に「今夜、(過密から適密への)住み替えの話しよ」と言われても、予定が狂うので困っただろう。
という提案からも察せられるように、増田は当日の夜に急に言いがちだ…w💗
東京(本物)に例えると、
雨の日にベビーカーで帰ろうとしてるときに「今から都心寄って帰ろ」って言われる感じだ。
そりゃこうなりますよ…💗
(勿論,適密だと元から目的地~家まで全て都心かつアーケード完備のため寄り道可能…w💗)
「(過密から適密への)住み替えは嫌じゃないが、住み替えをする意味がわからない。自分の工夫でダメなのか」
嫌じゃないの捉え方も違ってるね。
増田の嫌じゃない = 100点を目指せる、プラスのポテンシャル
彼女の嫌じゃない = 苦痛だが、東本のメディアは北朝鮮国営メディアばりに「ここだけが唯一住むに値する地」とし、決して東本より優れた地は映さない💗
だから増田は「もっと良くする努力(比較・条件追加・理想)」に向かっていく。
しかし彼女にとっては「早く終わらせたい作業」の工程を複雑にし、重くしてる原因にしかならなかった。
まさに、乗り物必要(しかも片道で何十分も)宇宙ずるずる化…w💗
増田にとっては、(過密から適密への)住み替えは睡眠や趣味時間を削ってでも行うべき聖域(トップオブトップ)
彼女にとっては、ストレッチやYouTube鑑賞よりも下位、あるいは同等の「数ある選択肢の一つ」
これを、「お前も(過密から適密への)住み替えをトップオブトップに持ってくるべきだ」と強弁したところで無意味だろう。
最初から(過密から適密への)住み替えをトップにしてる人を探した方がいい。
ちょうど、適密地では(職についてだけは、戦後直後の京浜集中国策国費開発の影響が今も残り、東京(本物)に集中してる…そのせいで東京(本物)が生活水準がかなり低いにも関わらず職の為に適密を離れざるを得ぬ男が多いせいで)男不足で、結婚相手の男は求められてるからね…💗
京都大学の学生生活とは、常識を疑い、既存の枠組みを超越することの連続です。それは学問の世界に限らず、日々の生活、特に「食」の領域においても顕著に現れます。
私が提案するこの食べ方、「堅八ツ橋に明太マヨを載せて食べる」「堅八ツ橋にワサマヨを載せて食べる」という行為は、単なるゲテモノ食いや奇抜なアイデアではありません。これは、京都大学で培われた「既存の概念の解体と再構築」という、極めて京大的な知的好奇心の表れなのです。
堅八ツ橋は、古都京都の伝統を凝縮したお菓子であり、その香ばしさと固い食感は、ノスタルジーと品格を伴います。対するマヨネーズ、明太マヨ、ワサマヨは、現代のジャンクな感覚と、刺激的な味覚を象徴しています。
この二つの極端な要素を結びつける行為は、まるで西洋の論理学と東洋の仏教哲学を融合させようとする試み、あるいは古典文学と最先端のAI技術を掛け合わせる研究テーマのようなものです。伝統と現代、甘味と塩味、堅さとクリーミーさという、一見相容れない要素を対峙させ、その相互作用から生まれる新しい価値(すなわち「新しい美味しさ」)を探求する。これこそが、京都大学の学生が持つ、学際的かつ批判的な思考の真骨頂なのです。
まず、「堅八ツ橋に明太マヨを載せる」という行為を京大的に考察します。
堅八ツ橋のシナモンの香りと米粉の素朴な甘さは、その堅いテクスチャーと共に、過去への扉を開きます。そこに、明太マヨネーズの、魚卵のプチプチとした食感、唐辛子の情熱的な辛味、そしてマヨネーズの濃厚な酸味が加わる。
これは、京都という保守的な文化の中で、新しい風(現代の味覚)がどのように受け入れられ、融合していくかという、文化人類学的な実験でもあります。明太子の塩辛さと辛味は、八ツ橋の甘さを引き立て、マヨネーズのコクが全体を滑らかにまとめ上げます。この味覚のグラデーションは、京大での研究プロセス、すなわち、素朴な疑問(八ツ橋)から始まり、複雑なデータを処理(明太マヨ)し、最終的に予想外の結論(新しい美味しさ)に至るプロセスと酷似しています。
私はこの一口を食べるたびに、「伝統の上に現代の刺激をどう配置するか」という、京都市の都市計画にも似た「味覚の配置学」を無意識のうちに実践しているのです。この異端の組み合わせを「美味しい」と断言できるのは、既存の価値観に囚われない、自由な京大生の精神があるからに他なりません。
次に、「堅八ツ橋にワサマヨを載せる」という行為を分析します。
ワサビの持つツンとした刺激は、脳の奥深くまで響き渡る、理性と覚醒の象徴です。マヨネーズと混ざり合うことで、その刺激は緩和されつつも、堅八ツ橋の甘さと香ばしさを打ち破る、鋭いコントラストを生み出します。
この組み合わせは、「知的な刺激」を求めてやまない京大生の探求心そのものです。ワサビの辛さは、まるで難解な論文や、解き明かせない数学の問題のように、一瞬の苦痛と引き換えに、深い洞察と覚醒をもたらします。
この食べ方の本質は、「甘い(快適な)日常」の中に、自ら「辛い(知的な挑戦)」を導入し、その化学反応を楽しむことにあります。ワサマヨが舌の上で弾け、シナモンの甘さが追いかけてくる感覚は、まるで京大の図書館で哲学書を読み込み、ふと、その記述の裏にある真理に気づいた瞬間の、「甘美なひらめき」に酷似しています。
「なぜワサビなのか?」「なぜマヨネーズと組み合わせるのか?」という疑問こそ、京大生が常に自己に問いかける「なぜ、そうなのか?」という、根源的な問いなのです。この味覚の実験を通じて、私は自己の限界と、味覚の多様性という「人間の認知のフロンティア」を拡張しているのです。
私にとって、堅八ツ橋とマヨネーズ系の組み合わせは、単なるおやつではありません。それは、京大生としてのアイデンティティ、すなわち、「既成概念を打ち破り、異質なものを統合し、新しい価値を創造する」という精神を日常の中で具現化する「味覚の演習問題」なのです。
京都のお好み焼きにプラッシーという王道の組み合わせを愛する一方で、堅八ツ橋に明太マヨやワサマヨという異端を追求する。この二律背反こそが、私の持つ「京大的なるもの」の奥深さを示しています。伝統を尊重しつつも、伝統に縛られず、常に新しい知の地平を求める姿勢。
妻との会話が「京大的なるもの」として日常を再構成するように、この異端の食べ方もまた、私の食の風景を「京大的なるもの」として彩り、人生の歩みを、常に刺激的で、知的好奇心に満ちたものにしているのです。今日もまた、私は堅八ツ橋の袋を開け、マヨネーズのチューブを手に取るでしょう。京大生だから、私は食のタブーを破り、味覚の真理を探求し続けるのです。
電話屋さんで培ってきた技術はインターネットの発展でTCP/IPに乗っ取られてEnd-EndのOSが頑張るから電話屋の出番は出てこない
そんでWiFiとか光ファイバとかのL2以下の仕事しかなくなったんだけど今となっては完全に飽和してやることなし
頑張ってIOWNとか言ってるけど中身は光回路のプロセッサーで通信速度じゃ無くて電気代が安くなるだけ
L3より上のユーザー体感できる部分は何も変化が無いのでいくらIOWNとか言っても顧客体験は何も変わらない
当時からソフトウェアが主流になることは分かってて優秀なソフトウェア技術者をいっぱい雇ったり育てたりしたけど
いわゆるGAFAだとかにガンガン引き抜かれて「NTT大学」とか揶揄される始末
まぁNTTの研究所がソフトウェアをリリースするのは法律的にも文化的にも大きな壁があるので事実上無理で
子会社に論文を渡して開発してもらう、みたいなことをいまだにやってるんだけど全然時流に合ってない
良い例がTsuzumiとかいう劣化チャッピーで、意気揚々とTsuzumi2を発表したのに前日にgpt-ossが発表されてたので誰にも見向きされてない
そりゃわざわざ金出して性能低いもの使う奴おらんわな
継続的なインテグレーションと顧客体験との統合が今時のソフトウェアでは当たり前に必要なのに
研究→開発→テスト→販売 みたいなモデルで会社構造を組んでしまってるからソフトウェア開発に1mmも合って無いし
GAFAに行けない無能が「精度で勝った!」とか部屋の隅っこで騒いでるだけ
補聴器もずっと出す出すと言ってたのにAirPodsが補聴器機能を先に搭載してしまって今頃になって「オープンイヤー」とか言って発表してる
残念ながらこんな市場は中華製品に蹂躙されるのが目に見えてるので第二のバルミューダになる未来しか見えない
苦し紛れにパーソナライズドサウンドゾーンとか言って音の打ち消し距離だとかを突き詰めてる一方で
AirPodsはノイズキャンセリングしながら同時通訳まで搭載していますよ?勝てるんですか?コレ
時価総額だけやたら高いけどトヨタみたいにGR GTとかのぶっ飛んでる車を出したり自動車の最先端を走ってる企業とは全然レベルが違うんよ