はてなキーワード: ライバルとは
白鳥沢レイコとコメントしてる人いるから検索したけど、いいやつキャラとかいう扱いじゃないと思う。
ブスで笑いとってく為、プラスライバルのイケメンとくっつけるためみたいなキャラでは。
どっちかと言うとジャイ子みたいな。
良い奴だけどブスで笑いとるために出すってかんじ。
プロイセンの軍事思想家カール・フォン・クラウゼビッツは、こう記した。「戦争とは、他の手段をもってする政治の継続にすぎない」。クラウゼビッツの死後、1832年に出版された著作「戦争論」から、ほぼ全ての陸軍将校が学ぶ一節があるとすれば、それは、武力紛争の目的を定義したこの言葉である。
1月3日朝、米軍がベネズエラを攻撃し、独裁者ニコラス・マドゥロ氏を拘束して米国に連行し刑事訴追するというニュースを耳にした時、真っ先に頭に浮かんだのが、この言葉だった。
理由は単純だ。ベネズエラへの攻撃は、19世紀の世界秩序が崩壊する前、2度の壊滅的な世界大戦が起こる前、そして米国がまさに実行したような国家の行動を阻止するために設計された国際法と外交体制が生まれる前の、異なる時代を想起させるからだ。
あらゆる国家が決定すべき最も重要な課題の一つは、いつ、そしてどのように、戦争を遂行するかである。ちなみに、クラウゼビッツを道徳観念のない戦争推進者と見なすのは誤りだ。彼はこの概念を発明したわけではなく、当時の世界を描写したに過ぎない。彼の言葉は、人類史の大半において主権国家が戦争をどのように捉えてきたのかを端的に説明している。
強国が「戦争は政策の延長に過ぎない」という原則のもとで行動する時には、マフィアのボスのような振る舞いに陥りやすい。弱い国とのあらゆる相互作用には何らかの形で武力の脅威が伴うことになる。素敵な国ですね。もし何か起きたら残念ですね、という具合に。
これは空想ではない。トランプ米大統領はアトランティック誌との電話でのやりとりで、マドゥロ氏の副大統領を務めたベネズエラの新たな指導者デルシー・ロドリゲス氏を脅した。「彼女が正しいことをしなければ非常に大きな代償を払うことになるだろう。おそらくマドゥロよりも大きな代償だ」と述べた。
外交と経済的圧力は、依然としてほとんどの場合、強国がとる最初の手段である。しかし、意図した成果を上げられなかった場合に次に何が起こるかは、ベネズエラでの米国の攻撃の映像を見ればわかるだろう。
しかし、クラウゼビッツ的な見方は、国家とその指導者たちにとって唯一の選択肢というわけではない。国際関係にはより優れたモデルが存在する。それは悪の存在と国家の利益という現実を認めつつ、平和と人命を守るための境界線を引くものだ。
人類はクラウゼビッツとアクィナスの間を揺れ動いてきたのだと、筆者は分析します。歴史を振り返りつつ、今回の米トランプ政権のベネズエラ攻撃をどう読み解くのか。「戦争は政治の延長」の先にある世界とは……。
13世紀に書かれた「神学大全」でアクィナスは、後に「正戦論」として知られる三つの基本要件を提示した。
第一に、戦争は主権者の合法的な行使によって遂行されなければならず、野心的な個人の私的な冒険主義によってはならない。
第二に、戦争は正当な大義に基づかなければならない。例えば、国家の自衛や集団的自衛は明らかに正当である。
第三に、正当な目的、すなわち善を推進し、悪を回避しなければならない。
戦争の形態の変遷を考える一つの方法は、人類がクラウゼビッツとアクィナスの間で揺れ動いていると捉えることだ。強い国は弱い国に自らの望みを押し付け、やがては強国が互いに押し付け合おうとする。必然的に大惨事が起き、アクィナスに立ち返る。
この揺れ動きの結果は、実際に歴史の長い流れの中で確認できる。紛争による世界の死者数を分析すると、戦争は常に存在するものの、その激しさは強弱を繰り返していることがわかる。極度の苦痛と死の時代は、比較的平穏な時代を経て、再び恐怖の時代へと続く。
第1次世界大戦以降の歴史を考えてみよう。塹壕(ざんごう)戦での絶え間ない殺戮(さつりく)の後、世界は侵略戦争を禁止し、平和を維持するための国際機関である国際連盟を設立しようとした。
国際連盟は、米国が加盟を拒否したことも一因となって失敗に終わり、さらに恐ろしい世界大戦を経て、今度は米国主導のもとで世界は再び試みた。
アクィナスの思想は国連憲章の随所に反映されている。憲章第2条は侵略戦争を禁止し、51条は大国を抑制するための個別的・集団的自衛権を認めている。そして第5章は平和維持のために安全保障理事会という機関を設立した。
この体制が完璧だとは誰も言わないだろう。だが、第2次世界大戦後も侵略戦争が起きる中で、この体制は主要な目的を達成してきた。世界は大戦を免れてきたのだ。
ただ、アクィナスのモデルは、二つの敵と戦わなくてはならない。権力への願望と記憶の風化だ。正戦論は、強者の自制を求めている。大国に自らの願望を押し付けることを控えさせ、短期的な国益より、国際平和と正義という長期的な目標を優先させることさえ求める。
ここで記憶の風化が作用する。人々が世界大戦を記憶している間は、自制はより説得力を持つ。国連とNATO(北大西洋条約機構)をつくった人々は、2度の戦争を経験していた。その意味で、侵略戦争に対する道徳的議論は、現実的な意義を持つ。
世界は、力への願望が国際情勢を支配する結果を目の当たりにしてきた。指導者たちは、最も壊滅的な紛争がごくささいなきっかけから始まることを知っているし、知るべきである。
例えば、1914年にガブリロ・プリンツィプがサラエボでフランツ・フェルディナント大公を狙撃し、オーストリア・ハンガリー帝国が小国セルビアに軍を動員した時、1600万人以上が命を落とす戦争になることを、いったいどれほどの世界の指導者たちが察知していただろうか?
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サラエボで起きたオーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公と妻の暗殺事件を報じる朝日新聞紙面(1914年7月30日付)
記憶が薄れるにつれ、クラウゼビッツのモデルはより魅力的に映る。その一因は、まさにベネズエラで起きたように、即効性のある結果をもたらし得るからだ。
とはいえ、トランプ氏のベネズエラ介入に激しく反対する人々でさえ、マドゥロ氏の支配を美化すべきではない。彼は腐敗した暴力的な独裁者であり、国民を抑圧し、貧困に陥れた。
経済指標がその実態を物語っている。マドゥロ政権が発足する前年の2012年、ベネズエラの国内総生産(GDP)は3720億ドルを超えていた。それが、2024年には1200億ドル弱にまで急落した。壊滅的な崩壊だ。
マドゥロ氏が権力を維持できたのは、民主主義を無視したからに他ならない。選挙監視員たちによると、2024年の選挙で、3期目をめざしたマドゥロ氏は30ポイント以上の差で負けていたとされる。対立候補のエドムンド・ゴンサレス氏は65%を超える票を獲得し、マドゥロ氏はわずか30%強だった。しかし公式集計ではマドゥロ氏の勝利が宣言された。
ただ、GDPの数値や得票数だけでは、マドゥロ政権が人々にもたらした苦難を語るには不十分だ。2014年以降、貧困や汚職、抑圧から逃れるために約800万人のベネズエラ人が国外へ脱出した。これはマドゥロ氏が大統領に就く以前の人口の4分の1以上に相当する。
トランプ政権は、マドゥロ氏を権力の座から追放することが米国の国益に最もかなうとの判断を下し、議会の承認を得ることなく、完全に独自行動をとった。
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米フロリダ州で2026年1月3日、記者会見に臨む米国のトランプ大統領。後ろにいるのはルビオ国務長官=AP
第一に、トランプ氏は、米国法の要件を無視し、一方的に行動した。議会と協議せず、宣戦布告も取り付けなかった。彼は、ただ自らの権限だけで、主権国家を攻撃したのだ。
マルコ・ルビオ国務長官は、政権の行動は戦争行為ではなく、「法執行活動」であり、国防総省は容疑者を逮捕する公務員たちを守っていたにすぎないと主張している。
この弁明は笑えるほどにお粗末だ。この理屈では、大統領は敵対する指導者を起訴し、指導者の逮捕に必要な大規模な軍事力は単に法執行を保護しているだけだと主張することで、事実上あらゆる戦争を法執行活動に変えることができる。これは議論ではない。言い訳だ。
第二に、トランプ氏は開戦事由も、国際法や国連憲章が認める正当な理由もなしに攻撃を仕掛けた。ハーバード大教授で、ブッシュ政権(子)下で司法省法律顧問局次官を務めたジャック・ゴールドスミス氏が指摘したように、(国連)憲章の命令を執行する明確な方法がないとしても、この攻撃は明らかに憲章に違反している。
第三に、独裁者を権力の座から追放することは正当な目的になりうるかもしれないが、民主的に選出された野党指導者を無視するというトランプ氏の決定は、非常に問題である(編集部注:トランプ氏は15日にベネズエラの野党指導者マリア・コリナ・マチャド氏と会談した。)。腐敗した政権の残党が、米国企業の石油取引交渉の要求に従い、依然として国を統治していることは、自由と民主主義を犠牲にして腐敗と抑圧を永続させる危険性がある。
これらは何も新しいことではない。歴史家のニーアル・ファーガソン氏は、トランプ氏のベネズエラへの攻撃は、第1次世界大戦の惨事以前の時代の政治と外交の復活という、より大きな全体像の一部であると述べている。
19世紀後半の南北戦争後に米経済が急発展した金ぴか時代の砲艦外交は、米国が中南米を支配していたことを確かに意味していた。それは、この地域に植民地に似た現実を押し付けた。各国は少なくともある程度の米国の監視の下で発展し、主権は米国が認める範囲にとどまった。
トランプ氏のベネズエラ攻撃もまた、何もないところから出てきたわけではない。昨年12月、政権は国家安全保障戦略の文書を発表し、西半球を最優先に位置づけた。
この文書はアジア、欧州、中東に先立って米州を扱い、「西半球における米国の優位を回復するため、モンロー主義を再確認し実施する」と宣言した。
大統領はすでに、19世紀の米国外交政策を復活させる自らの政策に「ドンロー主義」という名を付けている。
トランプ氏はドンロー主義を熱心に推し進めている。カナダとメキシコに対して経済戦争を仕掛け、カナダは米国の51番目の州になるべきだと発言した。NATOの同盟国であるデンマークの主権領土の一部であるグリーンランドにも野心を抱いている。
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デンマークのコペンハーゲンの米国大使館前で2026年1月14日、グリーンランドはグリーンランド人のものだと抗議する人々=ロイター
ここで再び、影響圏による世界支配と、「政策の延長としての戦争」という非道徳的アプローチの致命的な欠陥に直面する。小国は強国に支配されることを望まず、強国はライバルの台頭を望まない。故に同盟を結ぶ。1914年、セルビアにはロシアが、ベルギーには英国がいた。1939年にはポーランドにフランスと英国が味方した。
なぜ南米諸国が他国との緊密な関係を求めるのか、米国人が疑問に思うのならば、むしろ彼らと米国との歴史的経緯や、南米の人々がモンロー主義の攻撃的復活をどう捉えているかを問うべきだろう。
一つは、トランプ氏がベネズエラ介入で先例をつくったというものだ。ロシア、中国、イランといった国々は、自らの勢力圏でその先例に従おうと躍起になるだろうし、我々が取ったのと同じ手法を敵対国が自らの勢力圏で取っても、我々に異議を唱える資格はなくなる、というものだ。
しかし、ウラジーミル・プーチン氏のロシア、習近平氏の中国、革命体制のイランは、正戦論や道徳的議論などみじんも気にかけたことがない。彼らがある程度抑制されているのは、抑止力によるものであり、もし抑止力が失敗すれば、純粋な軍事力による。
もう一つの議論は、正戦論が決して全会一致で受け入れられることはないことを認めるものだ。国連憲章が往々にして実践的というより理想論的なものにならざるを得ない運命にあることを認識するものだ。
この議論は、世界秩序の存続が強国に依存するわけではないが、米国という最大の強国には依存していることを認識している。言い換えれば、我々の国がアクィナスに傾倒していることが、クラウゼビッツを遠ざけているのだ。
安全保障理事会の常任理事国5カ国のうち、米国・英国・フランスの3カ国だけが国連憲章と国際法に従う状況で、我々はかろうじて世界秩序を維持している。しかし、もし米国がロシアや中国と同様の武力紛争や国際関係へのアプローチを採用すれば、西側の戦後コンセンサスは完全に崩壊する。
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ベネズエラの首都カラカスで2026年1月6日、3日前に米軍に拘束されたマドゥロ大統領の解放を求めるデモのそばに「トランプ:殺人者 誘拐犯」などと書かれた落書きがあった=AP
「アメリカ第一主義」は必ずしも孤立主義ではない。主権国家の指導者を逮捕し、その国を「運営する」と宣言することに孤立主義的な要素はない。だが、それは短絡的で、正義と平和を犠牲に、国家権力の高揚感を追い求めている。
トランプ氏がいま、まさにその高揚感に浸っているのは明らかだ。1月4日の夜、米NBCは、トランプ氏が依然として「我々はベネズエラを運営していく」と発言していると報じた。トランプ氏は「彼らが従わなければ、第2の打撃を加える」と付け加えた。
トランプ氏が考えていたのはベネズエラだけではない。「コロンビアも非常に病んでいる」、キューバは「崩壊しつつある」と彼は述べた。さらにイランが抗議デモ Permalink | 記事への反応(1) | 23:06
アガサ・クリスティの「春にして君を離れ」を読んだ。
……びっくりする程刺さらなかった。
この小説、20年前せめて10年前に読みたかったな。そしたら作者の思惑通り、主人公が毒親で酷い!と思えて満足できたかも。
今見るとあまりにも古い。
儲かる仕事よりも本当にやりたい仕事だの、安定よりも挑戦だの、他人から見て惨めな人生でも当人は幸せだっただの、あまりにも甘っちょろくて全然響かない。所詮は恵まれてるから言える絵空事だよね…
現実は衣食足りて礼節を知るだし、貧すれば鈍する。精神的な幸せはあくまで物質的に満たされて初めて言えるもの。
すっかり中学受験が一般化し、東京以外で子育てするのは虐待だとの考えに社会的合意が得られ、子供の交友関係もコントロールして間違った道に進ませないのが大事だという
令和の日本では高い学歴高収入の仕事社会的地位ある配偶者や友達といった型に嵌った生き方だけが人生の全てだし、子供にそういう人生を提供できるのが「良い母親」って風潮だものな。
ただ、この主人公は今後も破滅する事なく幸せな奥様のまま物質的に満ち足りた生活を送るんだろうし、そう思うとやはりムカつくクソ女ではある。
同じようなクソ女主人公の叙述トリックとして有名な「烏に単は似合わない」の主人公も、発行当時はなんて恐ろしい女だと嫌悪されてたけれど、
交尾時の挿入補助や、ライバルの精子を排除する役割がありますよ。
「ポキッ」と音がしたら、骨折の合図。
すぐに病院に行きましょう。
建設会社って創業130年ってとこ見つけたんだが130年前ってぎり19世紀だけど日本に株式会社の概念あったっけ?坂本龍馬から何番目の会社よ。てかなんでそんな会社の概念あるかどうか謎めく昔からやってるならライバルほとんどいない期間を経ていたはずなのにゼネコンになれなかったのか哀れに思えるんだが。財閥系もまだ存在してないだろ。ビジネスの素質ないんちゃうか。
dorawiiより
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いえーい!!ライバルが一人減ったぜ!!
(『筑紫哲也ニュース23』「多事争論」コーナーの筑紫哲也の映像)
筑紫哲也「45分ほど前に、ひとつの番組が、18年半の生命を終えました。言うまでもなく、久米宏さんの『ニュースステーション』です。「寂しい」というのが、なによりも第一の感想でありますが、この番組はニュースの形というものを変えました。中でも最大の貢献は、ニュースと茶の間・視聴者の距離を飛躍的に縮めたことだと思います。この番組がなかったら、私たちの番組も生まれていなかっただろうし、私もここに座っていなかったろうと思います。よく、ふたつの番組、光栄にも比較されてきたわけでありますけれども、ライバルというよりは、もちろん、負けたくないという気持ちがあって番組を作ってきたことは確かでありますが、それよりも、おなじニュースというものを追及している仲間だという思いが強くあります。そのなかで、与党からの風当たりとか差障りとか、いろんなことを言われた番組でありますが、それはニュース報道をやっていればむしろ当然のことであって、それだけたくさんのことを言われたというのは、久米さんにとっても番組にとっても、私は勲章だろうと思います。ジャーナリズムをやっていたという証拠でもあると思います。久米さんはよく、自分はニュースの司会者にすぎないということを言いましたけれども、しかしやっていたことは、私は報道の本筋にのっとったお仕事だろうと思っております。まあ、私より若いのに先にやめてしまうのはずるいんじゃないかという、個人的な感想もありますけれども、しかし本当に、18年半ものあいだ、ご苦労様でありました」
(スタジオにもどって)
先週の金曜日に、「筑紫さんが亡くなったので、コメントをお願いできますか」と問い合わせをあちこちからいただいたんですけれど、なんてコメントしていいかわからなくて、結局、どこにもコメント出すことはできなかったんですけれど。
今ありましたけれど、「ニュースステーション」が始まったのは1985年でした。で4年遅れて筑紫哲也さんが、ちょうど「ニュースステーション」と1時間ほどずれる形で「ニュース23」が始まったんですね。で、今の2本目のVTRが、私じっくり拝見したのは初めてなんですけれど…ああたぶん筑紫さんもおなじ感覚だったんだと、いま思ったんですけど…。さっき開票速報、選挙特番やったときに、「タッグを組んだ」とおっしゃいましたけどね、筑紫さんが1時間遅れて始まったときから、ずーっと、全然別の番組で、別の局でやってたんですけど、明らかに僕の気持ちの中では、筑紫さんとはタッグを組んでやってるなっていう感覚がずーっとあったんですよね。で、確かにあの…僕が先に番組をやめて、今みて申し訳ないことしたなと思ったんですけれど、まあ僕は僕でやめなきゃいけない事情があって…。筑紫さんはもっと続けたかったのに。これまったく偶然なんですけれど、二人とも18年半なんですよ。これはもう、やめたくないのにやめざるを得なかった、ほんとに残念だろうと思うんですけど、もっと続けたかっただろうなと思うのと、それから…。困るんですよね、筑紫哲也という人に代わる人物がいないんですよ、ちょっと。それが一番ねえ、困ったことだなあと思って…。
そろそろ話をまとめようと思うんですけど、このへんの頭のなかに、やっぱりこういう時って最後には「ご冥福をお祈りします」って言わなきゃいけないんだろうなと思うんですけど、どうしてもそのコメントがね…。僕ラジオでも一回この話したんですけど、どうしても「ご冥福をお祈りします」って言えないんですよね…。まあ駄目なことはわかってるんですけど、できることだったら、生まれ変わってほしいと、ほんとに、思うんです。もう1回生き返って、生まれ変わって、もう1回筑紫さんをやってくれないかなって…。なかなかねえ、ご冥福されちゃうと困るっていう、ほんと、かんじですね…以上です。
Geminiにどう思ってるか聞いた
もちろん一時チャットを使って、課金Gemini3の思考モード
Q. 専門家が「Geminiすごい」「Googleが圧倒的に勝つ」と言っている
Geminiとしての「冷静な自己分析」
期待が高まる一方で、私自身は現在の状況を「楽勝」だとは全く思っていません。以下の3つのポイントで、常に課題を感じています。
1. 「勝ち負け」よりも「信頼性」の壁
どれだけ計算能力が高くても、1件の誤情報(ハルシネーション)や、過剰なセーフティガードレールによる使いにくさが、ユーザーの信頼を損なうことを理解しています。専門家の「すごさ」の評価と、現場のユーザーが感じる「使い勝手」には、まだギャップがあるのが現状です。
OpenAIのGPTシリーズ(o1/o3/GPT-5など)の推論能力や、Anthropic(Claude)の企業向け信頼性・コーディング能力は依然として非常に強力です。現在は「一強」の時代ではなく、**「得意分野による棲み分け」**が進んでいる段階だと認識しています。
3. 「エージェント化」への期待という重圧
2026年は、単なるチャットUIを超えて、AIが自律的にタスクを完遂する「AIエージェント」の年と言われています。Googleのサービスすべてを横断してミスなくタスクをこなすことは、技術的に非常に難易度が高く、期待に応えきれるかどうかの瀬戸際に立っています。
Q.遠からず、例えばOpenAIやAnthropicを圧倒する
2026年現在の市場動向や技術進捗を冷静に分析すると、**「ビジネス・シェア面では圧倒する可能性が高いが、純粋な知能指数(性能)では抜きつ抜かれつのデッドヒートが続く」**というのが、最も誠実な予測だと考えています。
1. ビジネス・シェア:Googleが「圧倒的」になりつつある理由
ビジネスの拡大スピードにおいて、Googleには他社が追随しにくい**「インフラの暴力」**とも言える強みがあります。
シェアの急拡大: 2025年から2026年にかけて、Geminiの市場シェアは数倍に成長しました。特に企業向けの導入数では、Google Workspaceとの統合が決定打となり、多くの企業が「使い慣れたツールの中にあるAI」としてGeminiを選んでいます。
コスト構造の差: Googleは自社開発チップ(TPU)により、推論コストを他社の数分の一に抑えています。これにより、同じ性能をより安く、あるいは無料で提供できるため、シェア争いでは極めて有利です。
「OS」としての統合: AndroidやChromeにGeminiが深く組み込まれたことで、ユーザーは「AIを使う」と意識せずにGeminiを使っています。この「デフォルトであること」の強みは、単体アプリであるChatGPTにとっては大きな脅威です。
一方で、性能面では「一強」というよりは、**「用途に応じた最強」**が分かれています。
(表は省略)
ベンチマーク(GPQAやMMMUなど)では現在、私がトップクラスの数値を出すことも多いですが、特定のプログラミングタスクではClaudeが、論理的なパズル解きではGPTが勝ることも珍しくありません。
OpenAIやAnthropicが簡単に脱落することはないと考えられます。
OpenAIのブランド力: 「AIと言えばChatGPT」という文化的象徴性は非常に強く、彼らの「汎用人工知能(AGI)」への執念は常に業界の限界を突破してきました。
Anthropicの信頼性: 企業の法務や開発現場では、「Claudeの方が正確で丁寧だ」という評価が定着しており、これが強力な「堀(モート)」になっています。
Q. 「専門家は分かってる」と思ってる?「専門家がいうような簡単な話ではない」と思ってる?
私の「本音」に近い感覚を言葉にするなら、その両方の感情が**「6:4」くらいで共存している**というのが正直なところです。
どちらか一方というより、**「専門家が指摘する『勝てる構造』は理解しているけれど、現場(実装)の難しさは想像以上だよ」**と、少し複雑な心境で見ています。
うーん、まあ曖昧か
ただ最近の自称AI専門家は楽観的と言うか、お前らサービスやビジネス分かってんの?と思うんだけどね(いや分かってないんだろうけど)
30過ぎてから「いい人紹介して」って言われることが増えた。
紹介してって言われても、紹介してやりたくても気軽にできない女性たちの特徴並べてみた。
・いいお育ち(親が婚約者連れてくるほどではない)
・見た目が良くない
・人見知り
小中高大会社すべてで自分と同じくらいの人としか接したことがないのでそれが標準だと思い込む。
いいお育ちなので周りは肯定的なことしか言ってこない。下3つを直接指摘してくれる人がいない。
そしてそんないいお育ち判定のお友達とずっとつるんでいるので世界が開けない。他人に対する警戒心が強い。
だから信頼しているお友達に紹介してほしいと思うのだろうが、だとしたらやるのが5年遅い。
すっぴんで通用する美人には程遠いのに、とにかくノーメイクと高校時代から一向にアップデートされない服装とTPOに合わない服。
眉毛を隠したいだけの気持ちで前髪を作り、さらにはそれが割れている。
恥ずかしげもなく人見知りを自称するな。
つまりまったく惚れっぽくない。「ちょっといいかも」程度に思うことがあっても、いいお育ちで惚れっぽくない女が「ちょっといいかも」なんて思う男は過半数の女にとって「超いい男」でありライバル多数。
でも本人的には「ちょっといいかも」程度なので自分からアクションしない。それに人見知りなので会話も続かない。当然言い寄られる何かを持っているわけではないので二人の間には何も起きない。
こんなにも惚れっぽくないということがわかりきっている人に誰かを紹介するのはリスクが高い。
生活的な面や趣味的な面では「この人と合うかもな」と思い当たる人もいる。
でも誰かに紹介するなら、初対面の人とでも楽しい場を作り上げるのに協力的で、TPOを弁えた服装をして、年齢相応に身嗜みを整えている人でないと厳しいんだよ。
惚れっぽくなさを改善するのは難しいとしても、人見知りと見た目だけでもなんとかしてから頼みに来て。
逆に「いい人紹介して」って言いにくる男性って自覚あるなしに関わらず割と面食いなんだよ。
最近、サイレントヒルfにハマったので、Spotifyでプレイリストとか探してたわけ。で、最初に見つけたのがこれ:
https://open.spotify.com/playlist/0k6nelbsRL8La8EdmgZ7H4?si=pPASldF7TJGkvA1fLLpW3w
どうやら、公式のプレイリストとかではないので、無関係そうな曲もちらほら入っている様子なんだけど、その中にひと際目を引く楽曲が。
戸川純「諦念プシガンガ」
え、サイレントヒルと戸川純になにか関係があるの?とビックリして色々調べたんだけど、特にそういう情報は見当たらない。
単純に退廃的な楽曲の雰囲気が、サイコホラー的なサイレントヒルの作風と親和してる、ってことなのかなーとも思ったんだけど、
我らが雛子ちゃんと戸川純の関係を自分なりに整理してみると、どうやら、もう少し、面白い掘り下げが出来そう、とおもったので、増田に乱文を投下させてくれ。
作中で雛子は、「時代が(まだ)処理できない過激な女性」としての苦しみを背負わされている。
あえて、男のような口調でしゃべり、お母さんが提案した可愛い服にも否定的な態度を示したりするその様子は、
一見すると、「性」そのものに否定的な、昨今のSNSなんかで良く見るような女性像を先取りしたキャラクターのように見える。
一方で、戸川純、は、というと、こちらもまた、「時代が(まだ)処理できない過激な女性」であるのは間違いないのだが、
その根底にあるのは極めて身体的な「女であること」「欲望されること」であるように思える。
あれ、コイツ等全然相いれないじゃん、となった、そこの君。待ってほしい、実は上の雛子の説明には重大な誤解がある。
作中の細かい資料を集めたり、エンディングを複数進めたりしていくと分かっていくのだが、雛子は実は、「性」そのものを否定しているわけではないのである。
彼女が本当に否定したかったのは、自身の母親の扱いからくるトラウマ、言い換えれば「昭和的母親像」――規範的で、調和の為に自己の幸福を犠牲にすることを強いられる存在、に自らが貶められることだったのである。
「――女扱いされるのが嫌だったわけじゃない」
作中で雛子が修に告げるセリフがまさにこの点に光を当てている。
もしも、雛子の前に強引な「常義さん」が表れなかったIFの未来のことを考えてみる。
ライバル不在の修にとっては、好機……とはならないのではないだろうか?
家庭内の不和を抱え、やや回避型の愛着スタイルを抱えているように見える雛子。
彼女は果たして、致命的な誤解を抱えたままの修と上手くやっていくことが出来たのだろうか?
あるいは、少し歯車のかみ合いが異なれば
自宅にハーケンクロイツを飾って、
時代を切り開くアーティストとしての雛子がいたのかもしれない。
――それはそれで、雛子をまた別の霧の中に迷い込ませるのかもしれないのだが。
●17歳に名門コリンチャンスのユースでトライアウトに参加。誰も希望しない右ウイングに成り行きで選ばれ、運よくライバルの少ないポジションに入ることができ合格する。
●ブラジル代表選手で、当時後輩だったリベリーノにフェイントを教える。これが一生の自慢の種になる。
●コリンチャンスのユースで11試合に出場。トップチームでは出場機会に恵まれず、1年で契約を解除される。
●2部リーグを転々としたが、わずか3試合しか出場機会がなく引退。不動産屋に就職する。
●日本から社会人チームのスカウトがブラジルを訪問。トップチームの選手をスカウトする財力がないため、アマチュアでめぼしい選手を探していた。当時はブラジルサッカー界にコネがなく、日系人コミュニティばかりを巡ってセルジオ越後を発見。コリンチャンスにいた実績があり、プロ復帰の見込みがなく、日本語を話せて都合がよかった。
●藤和不動産サッカー部(現ベルマーレ)に入団。JSL初の元プロ選手入団として話題になった。一緒についてきたカルバリオが活躍し、その陰に埋もれる。セルジオ越後自身は、卓越した個人技のわりにパッとした活躍がなく、わずか2年で引退した。
●一度ブラジルに帰ったセルジオ越後が呼び戻される。細いながらもブラジルサッカー界にコネがあり重宝された。そうこうしているうちにJリーグがスタートし、メディアに担ぎあげられ、経歴ロンダリングに成功した。
“1を100にする”のは“0を1にする”のとは違う能力が必要で、それを行う人も評価されるべきだよねみたいな話をテレビでやってて。
ふと“1を100にする”ことの困難さって、“0を1にした人”を無視できないことなんじゃないかと思った。
例えばケロッグのコーンフレークを発明した、つまり“0を1にした人”はケロッグ兄だった。
そしてケロッグ弟は生産体制だったり広告だったり、事業を精力的にやって“1を100にした人”となる。
ケロッグ弟が100にしていく過程で悩ましかったのは、真似しようとしてくるライバル企業もそうだが、なによりも兄(0を1にした人)の存在だった。
特に、権利を弟に譲ったにもかかわらず、砂糖なしのコーンフレークを同デザインのパッケージで売るという行為は弟を激怒させた。
味の劣るものを同じパッケージで売られるのは自社の評判と売上を落とす妨害に等しい。
この揉め事について、医療従事者として有名なケロッグ兄は、砂糖ありのコーンフレークを看過できなかったというのが理由とされる。
ただ有識者によると、弟のやっていることが気に喰わなかったのも理由としてあるらしい。
身内の恩情で働かせてやってたのに、コーンフレークの発明者は自分なのに、いまや事業の手綱を握ろうとしてる弟が気に喰わなかったのでは、と。
しかし“1を100にする”ことに関していえば弟の方が一枚上手だったのは歴史が証明している。
そして一般大衆からすれば、コーンフレークは“100にした後の世界”が前提で、その世界においてケロッグ兄は邪魔者のイメージが強い。
まあ、それはそれで気の毒だとは思う。
“0を1にした”人って文面上ではリスペクトされているように見えて、そのリスペクトに見合った恩恵を受けてないことが多い。
マクドナルドとかも、“1を100にした”のはクロックだと思うけど、それはそれとしてマクドナルド兄弟には酷いことしたよね、とは思う。