はてなキーワード: 業態とは
定期的にSNSで 「飲まないのは店に迷惑がかかるから飲んでくれ」
「アルコールの利益に頼るな。料理を値上げして適正価格にすればいい。
飲まない人の言い分はわかる。
ご飯が食べたいだけなのに、飲みたくもない原価数十円のウーロン茶に
500円も600円も払いたくはないだろう。
だが、現場で仕込みをして、数値を管理している飲食店の立場から言わせてもらうと、
ドリンクを安くしてフードの値上げで全体利益を確保するモデルは、
実際、酒を飲む層が減る中で「アルコールを頼まなくても利益確保できる居酒屋モデル」を
何度も考えてみたが、どうしても無理だという壁にぶつかった。
なぜ無理なのかを、できるだけ伝わるように解説してみたい。
1. 労働生産性の圧倒的な違い
ビールやハイボールは数十秒で1杯が完成する。圧倒的に人件費がかからない。
それに、原価率もサワー・ハイボール類なら10〜15%、一番高い生ビールでも30%前後。
一方で料理は、仕入れ、下処理、調理、盛り付け、そして廃棄ロスと、
厨房で一生懸命仕込んで丁寧に仕上げた料理が、ビールよりも利益が悪いなんてザラだ。
結局、酒の高い利回りが、手間のかかる料理のコストと店の家賃を補填している。
つまり、ドリンクを頼まないというのは、アルコールを頼む客にフリーライドしているようなものだ。
飲む客の払う酒の粗利が、飲まない客の席代と料理の人件費を肩代わりしている
その肩代わりの上にあるサービスを受けながら、
「飲まない俺たちにも同じような美味しい料理を当たり前に提供しろ」と言うのは、
「じゃあ料理を2倍の値段にして酒の利益をカバーしろよ。それが適正なビジネスだろ」
と思うかもしれない。
酒飲みは「もう1杯」を気軽に頼むが、食事メインの客は「もう1品」とはなかなかいかない。
1人前を2人前頼むことは物理的に起こらない。
同じ2時間の滞在で、飲む客はドリンクを追加で重ねて単価を伸ばすが、
飲まない客は追加注文の弾が極端に少ない。
フード単価を上げても、客単価の伸び代は飲み物の利益を補填するには届かない。
居酒屋は早い話、長い滞在時間をアルコールの粗利で回収するビジネスモデルだ。
ラーメン屋のように10分で食べて、さっさと出てくれる業態とは違う。
ここで必ず出る反論が「カフェは酒なしで成立しているじゃないか」
「ラーメン屋やカレー屋は酒なしで回ってるだろ」というものだ。
カフェのコーヒーの原価は豆・ミルク込みでも50〜80円程度。
提供価格500〜700円なら原価率10〜15%。これはハイボールと同じくらいの利益率。
つまりカフェは「ノンアルコールで酒並みの原価率を出せる唯一の飲み物」を主力商品にしている。
「仕込み済みで出すだけ」が中心で、調理の人件費が圧倒的に低い。
一方、ラーメン屋やカレー店、立ち食い蕎麦が酒なしで回るのは、別の構造が成立しているからだ。
これらは「客単価1000円前後 × 1席あたり1時間に2〜3回転」という超高速回転モデル。
スープやルウは大鍋で一気に仕込んで、注文が入ったら盛るだけ。
要するに、酒の粗利の代わりに「圧倒的な回転数 × 仕込みの集約化」で利益を作っている業態だ。
客は腰を据えて1.5〜3時間滞在し、料理は仕込みがあるとはいえ、一品ずつ作るのが前提。
さらに前菜・揚げ物・焼き物・煮物・〆とメニュー数が圧倒的に多く、
「一点集中の仕込みで一気に捌く」高回転モデルとは、厨房の設計思想もまるごと違う。
「酒なしで回ってる店があるんだから、お前の店もそうしろ」というのは、
フレンチのコース料理人に「サイゼリヤならもっと安く出せるぞ」と言っているのと同じだ。
そもそもの話、客は料理に対して「この内容ならいくら」という強い相場観を持っている。
酒の粗利をカバーするために、今まで1000円だった料理を2000円にしたら、
「高すぎる」と言って誰も頼まなくなるだけだ。
ソフトドリンクを値上げするにしたって、
日本には「水は無料、ソフトドリンクは安い」という呪いのようなアンカリングがある。
コンビニで買えば200円もしないコーラに800円を気持ちよく払うのは難しい。
結局、価格というのは、個人の店が勝手に決められるわけではなく、周りの相場に合わせざるを得ない。
もちろん海外のように、ザクロやハイビスカスを使ったクラフトモクテルが
1杯1500〜2000円で当たり前に出るような文化が日本に根付いてくれれば話は別だが、
現実は、できるだけ安いドリンクで済ませたいという層が大多数だ。
このまま酒を飲まない人の声が大きくなって、
『居酒屋でも飯だけを好きに食わせろ』ということになると、
酒の利益に依存した中価格帯の居酒屋やバルは、ビジネスモデルとして完全に崩壊する。
生き残るための生存戦略は、極端な話、以下の方向に向かうしかない。
利益は確保しやすいが「あれこれ選べる自由や好きな量を食べる自由」は客から奪われる。
席料として2000円〜を取り、しっかりと原価をかけた一品を強制的に提供する。
長居を許さず、時間で締めるか、ファストフードレベルの回転で回す。
実際、この3つはすでに業界の中で進行している。
席料2000円以上の店も現れ始めている。
安い店では60分制・90分制で機械的に回すチェーン業態しか残れない。
「料理を値上げして、ドリンクは頼まなくても良い形にしろ」という主張が世論の主流になれば、
今のような『単品で安価で自由に頼める個人店』は街から消える。
日本の『気軽に飲み食べできる多様な食文化』の危機と言ってもいい。
俺は正直、そんな未来にはなってほしく無いなぁと、思ってる。
<追記>
それは本当にそう。
居酒屋は酒飲むこと前提のモデルなので、今の世の中だと厳しいのを説明したつもり。
ただ「料理に転嫁しろ」とか、「酒無しでもやってる飲食業態もあるだろ」
って意見が散見されたので、居酒屋のモデル誤解されてるなって思ったんよね。
>飯だけでさっさと帰る人は許してほしい
わかる。けど、やっぱり酒と一緒に食べてもらいたくて料理を作ってる店も多い。
単純に、それは居酒屋というコンセプトの話。
美味しい定食屋も沢山あると思うので、そちらを利用して欲しいかな。
>酒を強制するな
飲まない人を批判してるつもりはないんよ。
ただ、居酒屋の仕組み上、飲まないでご飯だけで長時間居座られると、
飲まないスタイルに合う飲食の業態を選んで欲しいだけ。お互い棲み分けよう。
そうなんだよね。
本当に丁寧に料理を作ってくれる素晴らしい居酒屋が沢山あって、
そういうお店ができる限り今に近い形で残って欲しいのよ。
>うるせえ。俺には関係ない。チェーンでいいよ。潰れろよ。
この手の意見が本当に悲しい。
https://togetter.com/li/2690937
この話題でちょくちょく反応にもある、こういうハズレ店が全国どこでもある、のはそうなんだけど東京の繁華街にあるその手の店はちょっと違うんだよね
何で言い切れるかっていうと、うちの会社で調査をしていて定期的にまわってるからわかる
カバーしてる範囲でいうと政令市よりちょい多いくらいの都市を人使って実際に調査してる
友人に話すと羨ましがられるけどグルメレポートでなく調査だから美味しいお店にあたることなんてまずないし…食費が浮くのが助かるくらい
それはともかく、その手の店でも店舗の外観内装の良し悪しと、出てくる料理の良し悪しで業態は似ていてもバリエーションがあるんだよ
発端の話は、多くの人が思い浮かべる雑居ビルにあるテンプレな内装に業務用冷凍食品という組み合わせの店の話じゃないんだと思う
綺麗な店構えに内装も凝っているのに業務用冷凍食品レベルのものすら出てこない店が東京にはちょくちょくあって、こっちの話なんだと思う
ポイントはこうです。
[1] 「注文を受けてから生豆を焙煎する店なんて聞いたことがない」
これは誤りです。
注文後に生豆を焙煎して販売する店は実際にあります。たとえば、店頭で生豆を選び、15〜20分ほどでその場焙煎する形態の店は国内にもあります。検索でも「注文を受けてからその場で生豆を焙煎」「焙煎時間15分」といった店舗例が確認できます。([coffee-roast-yui.com][1])
なので、
「珍しい」
は正しいですが、
「そんな店は存在しない」
「あり得ない」
は言いすぎです。
[2] 「焙煎したては美味しくなく、数日寝かせたころが飲み頃」
これはかなり正しいです。
焙煎直後の豆はCO₂、つまり炭酸ガスを多く含んでいて、抽出が安定しにくいです。一般に、焙煎後しばらくガス抜き、いわゆるデガス・エイジング・レストをした方が、味が落ち着きやすいとされます。SCA系の記事でも、焙煎後のCO₂放出や酸化・劣化の問題が扱われています。([Specialty Coffee Association][2])
目安としては、深煎り・中煎りなら2〜3日、浅煎りなら4〜5日以上、エスプレッソならさらに長めに置く、という説明をしているロースターもあります。別のロースターでは、焙煎後5日以上、7〜21日あたりが良いという説明もあります。([Forebears Coffee Roasting][3])
したがって、
「焙煎直後こそ最高」
という単純な話ではありません。
ここが大事です。
焙煎直後は、香りの立ち上がりが強く、体験としては非常に面白いです。特に深煎りなら浅煎りよりガス抜けが早く、焙煎直後でも飲めないわけではありません。
ただし、抽出中にガスが多く出て湯が入りにくくなったり、味が荒く感じたり、香味がまだまとまっていなかったりすることがあります。
つまり、
「飲み頃としては数日後の方が有利」
「でも焙煎直後をイベント的・体験的に楽しませる店は成立する」
という位置づけです。
[4] 元の一節の読み方としてはどうか
文章には、
「ゆっくり豆が挽かれる」
「20分位待った」
とあります。
この書き方だけなら、客が選んだ豆をその場で焙煎して、挽いて、抽出したと読むのが自然です。20分という時間も、小型焙煎ならあり得る範囲です。
ただし、画像の豆がすでに茶色い焙煎豆に見えるなら、別解釈もあります。
[5] あり得る解釈は3つ
これは文章とは合います。ただし、生豆の香りを嗅ぎ比べても、一般客が「おいしそう」と感じるコーヒー香は弱いので、写真の印象とは少しズレる可能性があります。
[2] すでに軽く焙煎した豆を瓶で保管し、注文後に追加で仕上げ焙煎した
これは「瓶の豆が茶色く見える」「仕上げ」という言葉とは合います。ただし、焙煎済み豆を再加熱・追い焙煎するのは一般的な品質管理としてはかなり特殊で、普通のロースターの考え方では好まれにくいです。
[3] すでに焙煎済みの豆を瓶で選ばせ、抽出前に何らかの加熱・調整をしただけ
これもあり得ます。ただし、文章中の「焙煎が始まり」という表現とはやや合いません。
私の判断では、元の文章だけを見るなら「注文後に少量焙煎した」と読むのが一番自然です。ただし、コーヒーの常識から見ると、その一杯が“理論上の飲み頃”だったかは別です。
結論:
そのコメントのうち、
これはおおむね正しいです。
一方で、
「だからこの話はあり得ない」
なので、この店の評価としては、
「コーヒー豆の保存・熟成理論としては王道ではないが、注文後焙煎という業態自体は存在する。焙煎直後の一杯は、最高の飲み頃というより、焙煎ライブ感と鮮烈な香りを楽しむ特殊な提供方法」
と見るのが妥当です。
[1]: https://coffee-roast-yui.com/?utm_source=chatgpt.com "京都紫明通のコーヒー焙煎所 Coffee Roast Yui"
[2]: https://sca.coffee/sca-news/25-magazine/issue-4/preserving-freshness-race-time-25-magazine-issue-4?utm_source=chatgpt.com "Preserving Freshness: A Race Against Time - 25 Magazine"
[3]: https://www.forebearscoffee.com/brewingtips?utm_source=chatgpt.com "Brewing Tips"
おっジャンプのあの漫画か?と思って見るとタイムスリップもののドラマだった。そして見た感想。
取締役は従業員の「退職」とは扱いが異なり、辞任・解任・代表権の喪失はそれぞれ別の手続になる。少なくとも、代表取締役の一存で「今日で辞めろ」「今日で辞めます」がそのまま通るような描き方は雑である。
また、役員報酬も社長がノリで自由に増減できるものではない。原則として、役員報酬は定款または株主総会で枠が決まり、その範囲で個別配分が決まる。会社によっては取締役会や代表取締役に配分が委ねられていることはあるが、だからといって思いつきで給料を2倍にしたり、退任に際して1億円単位で上乗せしたりできるわけではない。
しかも、期中の大幅変更は税務上もきれいに役員報酬として処理できるとは限らず、別の課税問題を招きうる。
要するに、このドラマは「役員」を、法的にも税務的にも単なる偉い社員のように扱っており、解像度が低い。
役員が直接土地を買うために現地へ赴き、住人を一人ひとり説得するというのも不自然である。
トップが顔を出すこと自体はありうるが、実際に動くのは担当部門や部長職、あるいは外部の関係者であることが多い。自社ビルを建てるほどの会社であればなおさら、経営判断と現場の執行はある程度分離しているはずだ。
また、代表取締役や取締役がその場のノリで新規事業や大型投資を始めるような描写も現実味に欠ける。実際には、会社に不利益をもたらす可能性がある以上、事前に調査、試算、稟議、会議体での整理を経て動くのが通常である。
もちろん、オーナー色の強い中小企業であればトップがかなり前に出ることはある。しかし、自社ビルを建てるほどの規模の会社が、あのテンションで重要案件を回しているように見えるのは、さすがに経営実務を軽く描きすぎている。
銀行を買収したあとで「気づいたら大赤字でした」という展開も不自然である。
M&Aでは通常、仲介会社やFA、弁護士、会計士などが入り、財務・法務・税務などのデューデリジェンスを行う。特に銀行のような業態であれば、一般の事業会社以上に厳しく見るはずであり、買ってから初めて重大な問題に気づく、という描き方はかなり雑である。
もちろん、DDをしていても隠れた問題が後から出てくること自体はある。しかしそれでも、買収前の精査、契約上の表明保証、価格調整、リスク整理といったプロセスが存在するのが普通であり、それらがまるごと存在しないかのような描き方は、M&A実務の解像度が低いと言わざるを得ない。
期間の定めのない雇用契約であれば、退職の申入れから終了まで原則2週間を要する。会社との合意があれば即日退職は可能だが、それでも引継ぎ、有給休暇の処理、貸与物の返却、社会保険や離職票の実務などが発生する。
SNSを覗くと、かつての三省堂書店を重宝していた方々から「もう行かない」「用がない」といったコメントがたくさん出ている。
散々、同書店の「網羅性」の恩恵を受けておいて、それが失われた瞬間に「用がない」と切り捨てる。
自称、本好きの、純粋に利用価値がなくなったから去るという態度、書店への向き合い方の軽薄さにただただ悲しくなった。
なので、自分の思いをここに吐き出しておく。
出版不況において、リアル書店が何を背負っているのか、少し考えてほしい。
※はてなに書くのが初めてなので、うまく書ける自信がないが、読んでいただけると嬉しい。
・創業の地・神保町にあった旧本店は、自社ビルの老朽化による建て替えを理由に、2022年に一時閉店。
・仮店舗での営業を経て、2026年3月にリニューアルオープン。
・新しいビルは地上13階建て。書籍売り場は1〜3階に限定され、4階は集英社が運営するグッズショップ、5〜13階はオフィステナントに。
・書籍売り場の面積縮小に伴い、蔵書数も大幅に減少(旧本店時代の140万冊から、約50万冊へ)
・リニューアル後の三省堂書店を訪問した、長年のファンを名乗る人たちからは、ネガティブな感想が多く上がっている印象
・「専門的な蔵書が減りすぎてて、もう用がない」「網羅性がなくなったなら行く意味がない」など
・気持ちは理解できるものの、なんか都合のいいことばっかり言ってるな~という印象。
・2025年の紙の書籍・雑誌の推定販売金額は9,647億円。
・ピークだった1996年の2兆6,564億円と比較すると、4割以下の水準にまで落ち込んでいる。
・書店の店舗数も同様。ここ20年で半減し、2025年12月時点では実店舗が1万471店。ピーク時の半分以下に減少している。
・一般小売業の平均粗利率が約39%であるのに対し、専業書店は約23%。約16ポイントも低い。
・書店の坪当たり売上高は、2009年から2019年の10年間で約15%低下。
・つまり、昔から「薄利多売」と言われてきた書店が、「薄利少売」に追い込まれているのが現状。
・こうした問題の根底には、再販制度や委託制度などの業界慣行がある。
・構造的な問題の解決には、業界全体での構造改革が必要だが、当然、長い時間がかかる。
「上層フロアをオフィスとして貸し出すことで、新たな収益の柱を作ろうという意図があります。」
「リアル書店を愚直に続けていくために、それを支えられるようなビジネスモデルが実現できればと考えています」
・書籍販売だけでは事業継続ができない。だから、テナント収益で書店を支える構造を作るしかなかった、というのが自分の理解。
・金融機関からの借り入れで建て替えを行い、現実的な返済計画が求められる中で、あんなに大事にしていた書籍フロアを"削る"という選択は、それは苦渋の決断だったと思う。
・「網羅性」に重きを置き、1冊でも多く本が置けるよう棚の配置を工夫していた旧店舗。何度も助けられたし、戻ってきて欲しい気持ちもわかる。。。
・ただ、これらの背景を無視して、「蔵書が減った」「用事ない」と言い捨てるのは、あまりにも一方的ではないかと思う。
・亀井社長は、数年前のインタビューで、三省堂というリアル書店の価値を「網羅性」と「偶発性」という二つの軸で語っていた。
・「網羅性」とは、顧客が求めている本が確実に置かれていること。
・リニューアルが発表された段階では、新しい書店は、どちらもバランスよく追い求めていきたい、という方針だったと記憶している。
・恐らく、当初は、両立を目指していたのだと思う。
・しかし、3フロアという限られた空間の中で、それぞれを高いレベルで実現するのは難しい(というか不可能だと思う)
・ので、割と早い段階で、どちらか選ばざるを得なくなったのではないかと思っている。
・「網羅性」を追求すれば棚はぎゅうぎゅうになり、回遊しながら本と偶然出会う空間は失われる。
・「偶発性」を追求すれば、蔵書数は絞らざるを得ない。
・どちらかを選ぶ必要がある状況で、最終的に優先されたのは「偶発性」
・これは単なる「網羅性の放棄」ではなく、市場のパイを広げるための選択と受け止めている。
・総務省家計調査によると、日本世帯の年間書籍購入額の平均は、わずか1万3千円
・要するに、書店に「網羅性」を求める既存の本好きは、極めてマイノリティ。
・ちなみに三省堂旧本店の顧客で一番多かったのは50〜60代の男性らしい
「読まない人に向けても、本を読むという行為を伝えていくことが、新店舗での使命の一つです」
「本を読まない人に‘0冊→1冊’を届けるのは難しいですが、読書との関係を少しずつ増やせるよう努力してまいります」
・書店が生き残るためには、市場のパイを広げるしかない、という強い危機意識からくる言葉だと思う。
・「偶発性」が優先された事実は、"本をそもそも読まない人に、本を手に取ってもらう機会をつくらないと、リアル書店はなくなっちゃう"という文脈を前提として、受け入れる必要がある。
・「自分が求めていた使い方ができなくなった」ことへの不満は理解できるが、ただそれは、書店を長年利用してきた「本好き」の側が、書店の経営判断を批判する根拠にはならないと思う。むしろ応援しないと。
・付け加えておくと、三省堂書店が「網羅性」を捨て去ったかというと、そうではないと思う。
・亀井社長自身が、三省堂書店の提供価値を「網羅性」と「偶発性」の二軸でとらえていることは、先の通り。
・内装デザインを担当した建築家の長谷川豪氏も「網羅性と遭遇可能性を両掴みする空間を目指す」と語っていた。
・これからも、いろいろ手は入ると思う。
・既存顧客については、仮店舗出店時と同様、クラブ三省堂の購買履歴データを活用しながら、品揃えを継続的に調整していくはず。
・今は新しい書店の形を模索している最中。暖かく見守ってほしい。
出版不況、利益率の低さ、老朽化したビルの建て替え、金融機関への返済義務、そういった重荷を背負いながら、三省堂書店はリアル書店を「愚直に続けていく」ことを選んでくれたのです。
その書店に対して「網羅性がないから用がない」と言い捨てる本好きの皆さん、少し立ち止まって考えてほしいのです。
あなたが長年親しんできた書店が、存続をかけて、未来へのチャレンジを始めたのです。
woltの撤退のあわせて“フードデリバリーはもう終わり”みたいな記事。
フーデリなんてあちらこちらから嫌われて目の敵のようにされている業態なので、“いずれ滅びる”みたいなトーンの記事乗せればアクセス稼げるのかな?と思ったり。
あの筆者は“2020年から初めて8000件以上配達した”のが自慢らしいが、こちとら都内で2020年から初めて1万5000件以上実績はあるので、少しは物申してもいいと思う。
一時期はほぼ専業状態でやってたし。
woltの撤退って、大前提としてさすがに4社も5社もいらんでしょフードデリバリーってのがある。
woltは北欧からやってきて、“サポートが手厚くて配達員に優しい”がウリだったと思うが、そもそも、デリバリー配達員なんて、世間から蔑まれがちな仕事を選んででも、自由気ままに、煩わしい人間関係からできるだけ離れて働きたいような輩にとって、“優しい“”なんてことより、“案件が安定して飛んでくる”と”1件あたりの報酬が高い”が最重要。
自分はウーバーがメインだが、報酬についてはコロナ後の急降下からはかなり持ち直してると思う。
案件数については、都心部についてはなんだかんだで安定している。
今の都心部の高級タワマンには、気が向いたらすぐにスタバから飲み物とか、コンビニのおにぎり数個とペットポトルのお茶たのむとか、そういう使い方に躊躇ない層が存在していて、しかも着実にふえているのだろうな、という実感はある。配達するサイドから見て。
昼と夜、一日に同じ部屋2度とかあるし。
そりゃまぁ、コロナ期のような興隆は、またなんかのパンデミックでもない限りはあり得ないだろうが、少なくとも都心部の富裕層居住地域ではフーデリなくなることはないね。
人が運ばなくなる未来はあるかもしれないが。
マックデリバリーやセブンナウ、ドミノ・ピザあたりも普通にウーバーに配達の一部を丸投げしてるし、最近はスーパーの案件も多いし。
で、やはり時間帯や配達するエリアの選択、気候とのからみ、飛んできた案件を受けるか拒否るかの見極めとか、それなりに頭を使わないと効率的には稼げないのだが、そんな話はまた気が向いたら。
woltの撤退のあわせて“フードデリバリーはもう終わり”みたいな記事。
フーデリなんてあちらこちらから嫌われて目の敵のようにされている業態なので、“いずれ滅びる”みたいなトーンの記事乗せればアクセス稼げるのかな?と思ったり。
あの筆者は“2020年から初めて8000件以上配達した”のが自慢らしいが、こちとら都内で2020年から初めて1万5000件以上実績はあるので、少しは物申してもいいと思う。
一時期はほぼ専業状態でやってたし。
woltの撤退って、大前提としてさすがに4社も5社もいらんでしょフードデリバリーってのがある。
woltは北欧からやってきて、“サポートが手厚くて配達員に優しい”がウリだったと思うが、そもそも、デリバリー配達員なんて、世間から蔑まれがちな仕事を選んででも、自由気ままに、煩わしい人間関係からできるだけ離れて働きたいような輩にとって、“優しい“”なんてことより、“案件が安定して飛んでくる”と”1件あたりの報酬が高い”が最重要。
自分はウーバーがメインだが、報酬についてはコロナ後の急降下からはかなり持ち直してると思う。
案件数については、都心部についてはなんだかんだで安定している。
今の都心部の高級タワマンには、気が向いたらすぐにスタバから飲み物とか、コンビニのおにぎり数個とペットポトルのお茶たのむとか、そういう使い方に躊躇ない層が存在していて、しかも着実にふえているのだろうな、という実感はある。配達するサイドから見て。
昼と夜、一日に同じ部屋2度とかあるし。
そりゃまぁ、コロナ期のような興隆は、またなんかのパンデミックでもない限りはあり得ないだろうが、少なくとも都心部の富裕層居住地域ではフーデリなくなることはないね。
人が運ばなくなる未来はあるかもしれないが。
マックデリバリーやセブンナウ、ドミノ・ピザあたりも普通にウーバーに配達の一部を丸投げしてるし、最近はスーパーの案件も多いし。
woltの撤退のあわせて“フードデリバリーはもう終わり”みたいな記事。
フーデリなんてあちらこちらから嫌われて目の敵のようにされている業態なので、“いずれ滅びる”みたいなトーンの記事乗せればアクセス稼げるのかな?と思ったり。
あの筆者は“2020年から初めて8000件以上配達した”のが自慢らしいが、こちとら都内で2020年から初めて1万5000件以上実績はあるので、少しは物申してもいいと思う。
一時期はほぼ専業状態でやってたし。
woltの撤退って、大前提としてさすがに4社も5社もいらんでしょフードデリバリーってのがある。
woltは北欧からやってきて、“サポートが手厚くて配達員に優しい”がウリだったと思うが、そもそも、デリバリー配達員なんて、世間から蔑まれがちな仕事を選んででも、自由気ままに、煩わしい人間関係からできるだけ離れて働きたいような輩にとって、“優しい“”なんてことより、“案件が安定して飛んでくる”と”1件あたりの報酬が高い”が最重要。
自分はウーバーがメインだが、報酬についてはコロナ後の急降下からはかなり持ち直してると思う。
案件数については、都心部についてはなんだかんだで安定している。
今の都心部の高級タワマンには、気が向いたらすぐにスタバから飲み物とか、コンビニのおにぎり数個とペットポトルのお茶たのむとか、そういう使い方に躊躇ない層が存在していて、しかも着実にふえているのだろうな、という実感はある。配達するサイドから見て。
昼と夜、一日に同じ部屋2度とかあるし。
そりゃまぁ、コロナ期のような興隆は、またなんかのパンデミックでもない限りはあり得ないだろうが、少なくとも都心部の富裕層居住地域ではフーデリなくなることはないね。
人が運ばなくなる未来はあるかもしれないが。
マックデリバリーやセブンナウ、ドミノ・ピザあたりも普通にウーバーに配達の一部を丸投げしてるし、最近はスーパーの案件も多いし。
自分はしがない底辺エンジニアだが、ずっと疑問に思っていたことがある。
SIerの仕事の進め方をはたから見ていると、そこにいる人たちは驚くほど優秀で、地頭も良く、調整能力も高い人ばかりだ。なのに、彼らが心血を注いで作り上げたシステムは、驚くほど使い勝手が悪かったり、リリースした瞬間から負債になっていたりする。
「なぜこれほど優秀な人たちが集まって、価値のないシステムを量産しているのか?」
その違和感が拭えず、AIと対話しながら自分の考えを整理してみた。これは、ある底辺エンジニアが、日本のIT産業を覆う巨大な「構造的欠陥」について思索した結果の駄文である。
ソフトウェア開発の本質的な特性は、建築や製造業のような「設計(図面作成)」と「施工(組み立て)」の物理的分離が論理的に不可能であるという点にある。ソフトウェア工学の観点に立てば、コンピュータが解釈可能な厳密な意味での「詳細設計」とはソースコードを記述する行為そのものであり、それ以降のコンパイルやデプロイといったプロセスは、人間が介在しない自動実行(ビルド)に過ぎない。
しかし、日本のSIerビジネスは、1970年代の土木・建築モデルを安易に転用し、管理の便宜上「思考(設計)」と「作業(実装)」が明確に分離可能であるという誤った前提に立ち、それらを異なる主体や階層に割り当てる構造を選択した。この無理な分断は、実装段階で初めて露呈する設計上の矛盾や技術的制約を、設計工程へ即座に還流させるフィードバックループを契約上・工程上の「手戻り」として著しく阻害している。
その結果、実機の挙動を知らない設計者が机上の空論を書き連ね、設計の背景思想を共有されない実装者が矛盾を抱えたままコードを書くという情報の劣化が常態化した。現場では本質的な解決ではなく、納期と検収を優先した対症療法的なパッチワークが繰り返され、これが日本の基幹システムを柔軟性のない、巨大で保守不能な負債の塊へと変貌させる根本原因となっている。
システムはビジネス戦略を具現化するための装置であり、その真の成否は「仕様書通りに動くか」ではなく「事業の利益創出や競争力向上に寄与したか」という実利的な成果によってのみ判定されるべきものである。しかし、請負契約を基本とするSIerモデルは「システムの構築(プロセス)」と「ビジネスの成果(結果)」を完全に切り離し、構築のみを外部に切り出す形式をとったことで、本来一致すべき両者の利害を根本から対立させてしまった。
受託側であるSIerの収益は、顧客が仕様との形式的な適合を認める「検収」の瞬間に確定する。納品後のシステムが実際に現場で活用され、事業に貢献するか否かは彼らの報酬に一切影響しない。むしろ、設計の不備や使い勝手の悪さが運用開始後に露呈し、頻繁な改修が必要になるほど、SIerにとっては追加案件としての売上が発生するという、顧客の不利益が受託側の利益に直結する「利害の逆転」が構造的に組み込まれている。
このように、価値創出に対する最終的な責任を負わない外部組織が、ビジネスの心臓部であるロジックの設計・実装を担う構造は、経営学的に見ても極めて不合理である。企業がIT投資を通じて得るべきリターンを、実効性の低い「納品物」という形式的な実体にすり替えるこの仕組みは、日本企業を構造的な無能化へと追い込む装置として機能してきた。
日本は物理資源を海外に依存せざるを得ない宿命的な制約を抱えており、原材料の輸入や物理的な輸送コストを必要とせず「知的能力」のみを付加価値の源泉とするソフトウェア産業は、本来、最も生存戦略に合致した国家の基盤業種となるべきであった。しかし、インターネットの普及により世界の経済構造がソフトウェア中心へと激変したこの30年間、日本のSIerという業態は「人月単価」という前世紀的な労働集約型モデルを墨守し、日本が持つ唯一の資源である「優秀な人間」を著しく毀損し続けた。
本来であれば、高度な実装能力を通じて世界をリードする価値を創造すべき最優秀層のエンジニアたちが、多重下請け構造という巨大なピラミッドの中で「進捗監視」や「証跡作成」「利害関係者の調整」といった、直接的な価値を産まない非生産的な管理業務に長期間拘束されている。この構造下では、個人の卓越した技術力よりも「代替可能な工数」としての管理しやすさが優先され、エンジニアが技術の限界に挑み、それをビジネス価値に直結させるという最も重要な学習機会が社会全体から剥奪されてしまった。
世界が「ソフトウェア・イズ・イータリング・ザ・ワールド」を掲げ、爆発的なスピードで破壊的イノベーションを遂げたこの30年間、日本は世界に誇るべき緻密な知性を、SIerという枠組みの中で付加価値の低い事務作業や調整業務へと浪費させてきた。これこそが、かつての製造業のような輝きをIT分野で放つことができなかった日本の「知の敗戦」の正体であり、デジタル経済圏における日本の国際競争力が著しく低迷し続けている、看過できない構造的要因の一つであると考える。
保険業やってる人らは最低限の給与をもらってて、歩合制で給与が増えるらしい。
社会保険料は給与の部分だけかかって、歩合のところは個人事業主としての事業収入になるって聞いたことあるんだけど、こんなん認めて良いのか?
これがOKなら、成果報酬にして、あらゆる業態で社会保険節税スキーム成り立たんか?
これを見て思い出した
https://news.yahoo.co.jp/articles/6d25235047695d82d1d9f202ff44b2c6399162fc
雇用形態は正社員。もっとも、給与体系はおおむねフルコミッション(完全歩合)制で、実態は個人事業主とさして変わらないという
当方は医者3年目。2年の初期研修終わって今は循環器内科のレジデントとして働いている。オンコールの呼び出し辛いな思いながら過ごしている。
医者は2年の初期研修終わったら、大抵はそれぞれの専門に進む訳だが、医学部の同級生の1人が医者3年目で訪問診療のクリニックを開業していた。
訪問診療ってのは、医者が直接患者の家や施設に行って診療をする業態のこと。
クリニックにも通えない寝たきりの患者には都合がいいし、国も入院させるんじゃなくて患者の家で治療できるんだったら医療費が浮くはずと、補助金もだしまくっている。
が、実際に病院で働く医者は訪問診療のことを冷ややかに見ている。
あいつらはDo処方(前と全く同じ薬を繰り返し出すだけ)しかせず、いざ患者の具合が悪くなったら全く見ずに救急車を呼ばせて総合病院に放り込むと。
そもそも、クリニックですら出来る検査は限られているのに、ただの家で出来る診察なんかほぼないのだ。
それにちゃんとした医者は訪問診療なんかせずに、急性期の総合病院で働いている。
訪問診療をしてる医者は、急性期で疲れた医者か金に目を眩んだ奴がほとんど。
国が想定するような入院を減らして医療費を浮かせるような、ちゃんとした訪問診療をしているところなんてほとんどない。
医者からすればほとんど詐欺、それも国の金を使った詐欺にしかみえない。