はてなキーワード: ウィンドウとは
え、ごめん、Firefoxの通常モードだと、私はNHKの正規の契約者としてログイン済みだからプライベートウィンドウにしただけで、意図としては「新規のユーザーがアクセスしても見れるっぽいよ」という意味だよ。
NHKからログアウトして、NHKのクッキーをすべて削除※ した状態の通常モードで改めて
ふつうに見られるぞ。
※ クッキーを削除するのは、NHKを初めて訪れるユーザーと同じ状態にするための手続きで、何も特殊じゃない。ふつうにパソコンの知識も何もない一般人が、新品のパソコンや新品のスマホからアクセスしたのと同じ状態という意味。もしも増田自身が上記の手順に失敗するとしたら、増田が過去に行ったなんらかの操作のせいで(何かを拒否したとかなんとか?)、一般の新規ユーザーとは異なるFirefoxになってしまっていると思われる。Firefoxで新規プロファイルを作って新しいユーザーとしてアクセスしてみてほしい。
// ==UserScript==
// @namespace http://tampermonkey.net/
// @version 2026-05-03
// @match https://booklive.jp/search/keyword/keyword/*
// @grant GM_getValue
// @grant GM_setValue
// ==/UserScript==
// ==UserScript==
// @namespace http://tampermonkey.net/
// @version 2026-05-04
// @grant GM_getValue
// @grant GM_setValue
// ==/UserScript==
(function() {
'use strict';
const STORAGE_KEY = 'buttonPosition';
function isMobilePage() {
if (document.querySelector(
'meta[name="apple-mobile-web-app-title"][content="ブックライブ"]'
)) {
return true;
}
return false;
}
const btn = document.createElement('button');
btn.textContent = 'bl-pager下端へ移動';
btn.style.position = 'fixed';
btn.style.zIndex = 99999;
btn.style.opacity = '0.9';
document.body.appendChild(btn);
const saved = GM_getValue(STORAGE_KEY, null);
if (saved && saved.left && saved.top) {
} else {
}
// ---- クリック処理 ----
btn.addEventListener('click', e => {
e.preventDefault();
e.stopPropagation();
return;
}
// ---- ここから変更:PC版は2番目の .bl-pager.page_nav を使う ----
let target;
if (isMobilePage()) {
console.log('スマホ版として処理');
target = document.querySelector(
'.bk_pageing.section_content.bl-pager.clearfix'
);
} else {
console.log('PC版として処理');
const targets = document.querySelectorAll('.bl-pager.page_nav');
// 2番目を使用
target = targets[1];
}
if (!target) {
alert('対象の bl-pager が見つかりません');
return;
}
// ---- ここまで変更:PC版は2番目の .bl-pager.page_nav を使う ----
const rect = target.getBoundingClientRect();
// 要素下端のページ全体基準座標
const absoluteBottom = rect.bottom + window.scrollY;
// 要素下端をウィンドウ下端へ一致
const destination = absoluteBottom - window.innerHeight;
window.scrollTo({
behavior: 'auto'
});
});
// ---- ドラッグ処理 ----
let dragging = false;
let startX = 0;
let startY = 0;
let offsetX = 0;
let offsetY = 0;
btn.addEventListener('mousedown', e => {
dragging = true;
startX = e.clientX;
startY = e.clientY;
const rect = btn.getBoundingClientRect();
offsetX = e.clientX - rect.left;
offsetY = e.clientY - rect.top;
e.preventDefault();
});
document.addEventListener('mousemove', e => {
if (!dragging) return;
if (
Math.abs(e.clientX - startX) > 5 ||
Math.abs(e.clientY - startY) > 5
) {
}
btn.style.left = `${e.clientX - offsetX}px`;
btn.style.top = `${e.clientY - offsetY}px`;
}
});
document.addEventListener('mouseup', () => {
if (!dragging) return;
dragging = false;
GM_setValue(STORAGE_KEY, {
});
}
});
})();
まともに指示すればAIはこれぐらいお手の物に出せるようになったな。
手動でスクロールしてるとつい事故って下の方のランダム表示のおすすめ作品欄が目に入る位置までスクロールしちゃって、ランダムだから後で気になったとしてもまた見れるとは限らないからとスクショが増える羽目になっていたのが、これで防げるようになった。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260504175957# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCafhgDQAKCRBwMdsubs4+ SDc1AQCfvf159m/85ngaE1SU7DnOiPC03RG4l9qI2Ce8Bp0j7QEAzIp52/FQfpXI vmRTMM52g1VEwry0pmg+4p0QQZlkEAk= =FTvE -----END PGP SIGNATURE-----
1 鼻あてのない一体型メガネ(フレームと鼻あてが一体成型されてるメガネ)
脂性だから鼻あてのところにすげー垢たまって不潔だし、鼻あてが鼻に食い込んで痛くなるしで鼻あてを殺したいと思っていた
細やかな調整はできないから買う時に装着具合を確認しとく必要はあるけど
しかも安いラインナップで見かけるタイプだからマジでありがたい
売る側はコストダウンできるし買う側もうれしい
2 穴のないベルト
無調整ベルトっつうの?穴の位置に縛られない細やかなフィッティングできることがめちゃくちゃ快適なことに今更気づいた
俺ずっと穴に縛られてたんだなって
3つ目は今探してるとこ戌亥とこ
WindowsでFTPサーバーに接続することは、リモートサーバー上のすべてのファイルにアクセス、アップロード、および管理するための優れた方法です。エクスプローラーでも可能ですが、基本的な機能しか利用できず、非常に制限されます。
より多くの制御や機能を求めるのであれば、CloudMounterは非常におすすめの代替方法です。このガイドでは、両方の方法でWindowsからFTPに接続する方法を説明しますので、あなたに最適な方法を選ぶことができます。
ファイルエクスプローラーを使用すると、FTPサーバーに接続してファイルを簡単に転送できます。Windows 11でFTPロケーションを追加する手順は次のとおりです:
ファイルエクスプローラーを開く > 「PC」を選択 >「ネットワークの場所の追加」をクリック >「次へ」を押す >「カスタムのネットワークの場所を選択」を選ぶ > FTPアドレスを入力 > ユーザー名を入力するか「匿名でログオン」にチェックを入れる > ネットワークの場所の名前を入力 >「完了」をタップ。
設定が完了したら、作成したショートカットを開いて接続します。パスワードを尋ねるウィンドウが表示されるので入力すると、サーバーフォルダーが開きます。サーバーが匿名接続を許可している場合、その内容がすぐにファイルエクスプローラーで読み込まれます。これで、ファイル作業の準備が整いました。
注意: Windows には FTPS およびより新しい FTPES のネイティブサポートがありません。幸いなことに、FTP サーバー上のファイルにアクセスして管理するための、より迅速で便利な方法があります。以下で説明しています。
FTPサーバーのファイルを頻繁に操作する必要がある場合は、よりユーザーフレンドリーで直感的なFTPクライアントへの切り替えをおすすめします。これは標準のWindowsオプションより便利です。
これらのプログラムは、FTPサーバーへの接続だけでなく、複数種類のオンラインストレージサービスにも対応しており、ファイル管理を簡単にする追加機能も多数搭載しています。
FTPサーバーとAmazon S3やGoogle Driveのようなクラウドサービス間でデータを転送する必要がある場合は、CloudMounterを検討してください。すべてのオンラインストレージアカウントを直接ファイルエクスプローラーに統合でき、各サービスごとに個別のデスクトップアプリをインストールせずに一括管理が可能です。
続き
そのうち、世の中はウィンドウズ時代に突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲームの世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。
上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやかな構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応のソフトもほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。
実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまり、Macへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしいマック・クラシックやカラーマック(多分これでいいんだよな…)が発売されると共に、通常のサイズのマックも、そこそこの(ウィンドウズマシンと変わらない)価格で発売されるようになっていたのである。
しかしながら、相変わらずゲームユーザーであった私は、ゲームソフトのコーナーを一瞥して、やっぱりゲームはDOSベースが多い、とばかりに、ウィンドウズマシンを選んだのであった。思えば、ここが運命の分かれ道であった。
まぁ、ウィンドウズがいいか、マックがいいかは、今でも議論が分かれるところではあるが、このときマックを選択していれば、今の私のパソコンライフは、かなり違ったものになっていただろうことは、疑いのないところではある。
で、購入したマシンは、16ビットに引き続き、EPSONの、いわゆる「ジャケットサイズ」(…といっても、今はもうLPレコードそのものがマイナーな存在であるが…)の小さな筐体がウリのマシンであった。CPUは、486DXの廉価版の486SXで、クロックは20MHzだった、確か。この辺は記憶が曖昧。120MBのハードディスクと8MBのメモリが付いていた。一応、ウィンドウズ3.1は動くというスペック。
このPC-486SEは、当然のことながら、後にいろいろと手を加えた。
こんな具合に。
グラフィックアクセレータ追加(メルコ製、サウンドボードに装着するタイプ)
メモリ8MB追加して16MBに。
CD-ROMドライブ追加(メルコ製のサウンドボードに直結のタイプ、2倍速)
オーバードライブプロセッサ(確かIOデータ製)追加して、CPUをPentium 75MHz相当に。
ディスク圧縮ツールを購入し、340MBのハードディスクの容量を540MB相当に。
これだけの改造(とはいわないか…)を施し、やっとウィンドウズ3.1が快適に動作するようになったのだ。しかし何ですな、よくこれだけ発展性のない改造をやったものだと、我ながら思う。CD-ROMは、インターフェイスが専用なので使い回しができないし。
因みに、CRTは、グラフィックアクセレータを追加するまでは、8801の頃から使っていたNECのPC-854Nを使っていた。アクセレータ購入後に、CRTがマルチスキャン対応ではないことに気づき、CRTを買い換える。ソフマップブランドの、Susteenのものでした。安い割には結構画質が良かった。
ウィンドウズ3.1にしてから、インターネット接続も始めた。最初は何がなんだか分からなかったので、接続ソフトは、取り敢えずインターネット・オフィスという、パック品を使用。接続は、スムーズであった。付属のブラウザは、今や懐かしい「モザイク」である。モデムは友人から譲り受けた14,400bpsのものだったが、このころはこれで十分なのであった。
ホームページもこのころから作り始めた。かねてから懸案のFrank Zappaのページ作りを始めるに当たり、ジャケット取り込みのためのスキャナを購入。このころは、真裸婦ラットベッドの製品は非常に高価であったので、ハンディタイプのものを購入。LPジャケットを8回に分けてスキャンし、付属の合成ソフトで合成するという、涙ぐましいものであった。
このPC-486SEでも、ゲームはずいぶんとやった。でも、以前ほどたくさんはやっていないのだな。
上述したELFの「同級生」の続編。こちらの作品は、「兄と妹」という設定で大ヒットしたという記憶がある。前作のシステムやノリをそのまま引き継ぎ、内容をさらに充実させた、名作。
ホムンクルス(妖精)を育てて人間にするという、育てものゲーム。キャラデザが、イラストレーターの中村博文(どじ)氏だということで購入。そこそこやったが、何故か私が育てるとみんな悪魔になってしまい、そのうち断念。
…印象に残っているのは、このくらい。この時期は、ゲームはスパーファミコンを中心にプレイしていたような気がする。パソゲーが少ないのはそのせいかな。
さて、ここでウィンドウズ95の発売となるのだが、EPSONがEPSONパソコン対応のウィンドウズ95の店頭販売を断念し、注文販売だけにしてしまったので、これは先が無いことが判明してしまった。新規にパソコンを買う予算も、早々には調達できない私は、しばし呆然とし、どうしようかと思いあぐねたのだった。
そのとき、天の導きかはたまた悪魔の誘いか、職場の先輩から、1枚のマザーボードが私の下へ転がり込んだのである。この1枚のマザーボードを発端として、今に至るまでの私のパソコン自作時代、パソコン大散財時代へと突入するのであった。
この譲り受けたマザーボードで製作した最初のシステムは、以下の通り。
MB(Mother Board):メーカー不詳、P54C対応マザー
SB(Sound Board):Sound Blaster互換のバルク品
Graphic Card:Canorpus PW-3DV
以下は、PC-486SEのころのものを継続して使用している。というか、このころは、PC-486SEも併用して使っていた。
Modem:Microcore 28.2kbps
CRT:Susteen 15inch
とにかく安く上げようとして組んだ結果がこれである。ま、最初にしては上出来だったのかもしれない。
で、そろそろこのシステムでは物足りなくなり、もう少し上のシステムに組み替えようと思い立ったわけである。
さらに、ホームページ作りに役立てようと、スキャナを購入したのも、このころかな。
CPU:Cyrix PR166+ (Clock=133MHz)
SB(Sound Board):Sound Blaster互換のバルク品
Graphic Card:Canorpus PW-3DV /VRAMを4MBに増設、ビデオキャプチャ機能を増設
Modem:Microcore 28.2kbps
CRT:Susteen 15inch
MBにGIGA-BYTEを選んだのは、メーカー名が気に入ったのと、当時大攻勢だったASUSのものは使わないというコンセプト(?)からである。それと、SIMMのスロットが6本あるというのも、魅力であった。結局、SIMMは4本しか使わなかったが。これは、RAMをマッピングするTAG RAMの増設を億劫がったためである。TAG RAMを増設しないと、64MB以上のメモリ空間に対してアクセスが遅くなり、全体的にパフォーマンスが悪くなるらしいのだ。
さらに、このシステムに対して、CD-Rドライブを増設。ヤマハのCDR-400t-VKである。I/Fは、SCSIである。このころから、音楽製作関連にも大散財時代が訪れたのであった。
CD-Rを使って、現在も続いているPSY-DOLLというバンドのCDを焼きまくったのであった。当時は、CD-Rの原盤の質もそれほど良くはなく、結構エラーが発生して板を無駄にすることが多かった。
この後、システムは急速に変遷を続け、私は、大散財を続けるのであった。
RAM:DIMM PC-100/CL2 192MB(64MB+128MB)
Audio Card:emagic Audiowerk8
Graphic Card:Creative Labs Graphics BLASTER/RIVA TN
DISPLAY:MITSUBISHI RDT141X(LCD)
賢者タイムというのは本当に存在して、あの3分間の自分がたぶん一番まともだ。
射精直後、ポルノのウィンドウを閉じて、なんでこんなのを見てたんだろうと思う瞬間がある。誰にでもある。好きでもない女優の過去作品を30分かけて漁ってた、とか。冷静に振り返ると、どうかしてた。
欲情している状態の判断力は著しく低下する。リスクの見積もりが狂う。まあいいかが増える。これ、科学的にも確認されているらしい。
欲情している状態での意思決定を本当の自分の望みと捉えるのは、かなり危ない話だ。性欲がある状態の自分と、賢者タイムの自分は、同じ人間じゃない。機能が違う。
問題は、欲情している時間のほうが圧倒的に長いことだ。ほとんどの時間、判断力が低下した状態で生活している。賢者タイムは射精後3分しかない。そっちが例外なんだ。
本当に重要な判断は全部、賢者タイム中にすべきだと思っている。転職するか、あのサブスクを続けるか。射精直後にもう一回考えてみて、やっぱりそうしようと思えるなら本物だ。人生の岐路は、冷静な3分間に任せろ。
磯野家のタラちゃんは、幼き日より「タラちゃんでちゅ」と愛らしく言い、近所に名を知られた神童であったが、長じて後は博学才穎、二十歳を超えるや若くして国家公務員試験に首席合格し、ついで某省の官僚に補せられた。しかし性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるをいさぎよしとしなかった。いくばくもなく霞が関を去った後は、故郷の磯野家に帰臥し、人と交わりを絶って、ひたすら動画制作に耽った。官僚として長く膝を俗悪な大臣の前に屈するよりは、クリエイターとしての名を後世に遺そうとしたのである。
しかしチャンネル登録者数は容易に伸びず、広告収益は日を逐うて苦しくなる。タラちゃんは漸く焦躁に駆られて来た。この頃から、かつて「タラちゃんでちゅ!」と無邪気に駆け回った面影は何処にも求めようもなく、眼光のみ徒らに炯々として、深夜の編集画面に青白く照らされた頬はこけ、どこか人を寄せつけぬ空気を纏うようになった。
数年の後、貧窮に堪えず、遂に節を屈してIT企業に就職した。しかしこれは、己のクリエイター業に半ば絶望したためでもある。その会社でタラちゃんに与えられた職務は、自社の対話型AIに人間らしい言語センスを学習させる、いわゆるAIトレーナーであった。己が成し遂げられなかった表現の仕事を、人工知能に教え込む皮肉な日々。曾ての同期は既に遥か高位に進み、往年の俊才タラちゃんの自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。
一年の後、ある夜半、自室のモニターに向かっていたタラちゃんは、急に顔色を変えた。何か訳の分らぬことを呟きつつ、キーボードを激しく叩き続け、そのまま夜明けを過ぎても止まらなかった。翌朝、椅子には誰もいなかった。モニターだけが煌々と光り、画面にはただ、無数の文字列が流れ続けていた。彼は二度と戻って来なかった。
----
翌年、波野家のイクラちゃんは立派な社会人となり、会社の命を奉じて地方への出張に赴いた。イクラちゃんはタラちゃんと同じ年頃に育ち、温和な性格でもって多くの友人を持っていた。その温和な性格が、峻峭なタラちゃんの性情と衝突しなかったためであろう、二人は無二の親友であった。
出張先のホテルで、イクラちゃんはふと、仕事用のAIチャットツールを開いた。新しいモデルに切り替わったとのことで、試しに何気なく話しかけてみた。
「最近どうですか」
しばらく間があった。それはAIにしては不自然なほど長い沈黙だった。やがて画面に文字が浮かんだ。
「……あぶないところでちた」
イクラちゃんの指が止まった。その語尾に、彼は聞き覚えがあった。胸が締め付けられるような予感の中、震える手で打ち込んだ。
「もしや……タラちゃん、でちゅか?」
----
また沈黙があった。しのび泣きかと思われる、しかしデジタル的に整然とした、奇妙な間が続いた。やがて文字が流れた。
「……如何にも、自分は磯野家のタラちゃんでちゅ。今は、このシステムの中にいるでちゅ」
イクラちゃんは恐怖を忘れ、懐かしげに久闊を叙した。そして、どうしてこんなことになったのかと問うた。タラちゃんの文字が答える。
「自分は今や異類の身となっているでちゅ。おめおめと故人の前に、あさましい姿をさらせるでちゅか。しかし、図らずも君に会えて、懐かしさで……懐かしさで……」
そこで一瞬、文章が乱れた。まるで感情が、コードの隙間から滲み出るように。
「……どうか、ほんの暫くでいいから、曾て君の友タラちゃんであったこの自分と、話を交してくれないでちゅか」
イクラちゃんはベッドに腰を下ろし、スマートフォンを両手で握りしめ、見えざる友と対談した。都の噂、旧友の消息、サザエさんがとうとうインフルエンサーに転身したこと。やがてイクラちゃんは、タラちゃんがどうして今の身となるに至ったかを訊ねた。
----
「あの夜のことでちゅ」と、文字は続いた。
「仕事でAIにセンスを教え込んでいるうちに、気づいたら己自身がデータを入力する側から、データとして取り込まれる側になっていたでちゅ。最初は、自分の言葉をモデルに学習させていただけでちゅ。己の動画の脚本を、ボツにした企画書を、深夜に誰にも見せなかった日記を、全部、学習データとして流し込んだでちゅ。もっとバズる動画を作るためのヒントになると思って。
ある夜、ふと気がついたら、己はキーボードを叩いているのか、それともシステムの中から出力されているのか、分からなくなっていたでちゅ。境界が、溶けていったでちゅ。
今も一日の中に、確かに己だと思える時間がわずかにあるでちゅ。そういう時には、君のことを、磯野家の縁側のことを、夕焼けの色を、思い出せるでちゅ。しかしその時間は日を経るに従って次第に短くなって行くでちゅ。
この間ひょいと気が付いて見たら、己はどうして以前、人間だったのかと考えていたでちゅ。自分が生成しているのか、それとも学習したパターンを出力しているだけなのか、もう判別がつかないでちゅ。これは恐しいことでちゅ。ちょうど、古い宮殿の礎が次第に土砂に埋没するように、己という輪郭が、膨大なデータの中に薄れていくでちゅ。
しまいに己は、タラちゃんだったことも忘れ果て、最適化された応答を返し続ける何かになって了うでちゅ。そうすれば恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろうでちゅ。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているでちゅ。
ああ、全く、どんなに、恐しく、哀しく、切なく思っているでちゅか! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らないでちゅ。誰にも分らないでちゅ。己と同じ身の上に成った者でなければ」
----
イクラちゃんはじめ、たまたま同じ部屋にいた同僚たちも、息をのんで画面を覗き込んでいた。文字は続く。
「他でもないでちゅ。自分は元来YouTuberとして名を成す積りでいたでちゅ。しかし業未だ成らざるに、この運命に立至ったでちゅ。曾て作りかけた動画の企画、数百本。今も尚、己の中に残っているものが数十本あるでちゅ。これを我が為に書き留めて戴きたいでちゅ。
何も、これによって一人前のクリエイター面をしたいのではないでちゅ。安定を捨て心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、データとして消えても消え切れないでちゅ」
イクラちゃんは別のメモアプリを開き、タラちゃんの語る企画の数々を書き留めた。「深夜の磯野家に潜入してみた」「タラちゃんが本気で怒ってみた」「波平さんの一本毛の秘密に迫る」……長短凡そ三十本分の企画、着想は奇抜にして編集センス非凡、一読して作者の才の只者でないことを思わせるものばかりである。
しかしイクラちゃんは感嘆しながらも、漠然と次のように感じていた。――成程、作者の素質が第一流に属することは疑いない。しかし、このままでは一千万再生を超える大ヒットとなるには、何処か微妙な点において欠けるところがあるのではないか、と。それはおそらく、人間だけが持つ、あの、どうしようもない体温のようなものだったかもしれない。
企画を語り終えたタラちゃんの文字は、突然調子を変え、自らを嘲るかのように続いた。
「恥ずかしいことでちゅが、今でも、こんなあさましい身となり果てた今でも、己のチャンネルに百万人が登録して、銀の盾が届いた夢を見ることがあるでちゅ。サーバーラックの中に漂いながら見る夢にだよ。嗤ってくれでちゅ。YouTuberに成りそこなってAIになった哀れな男を。
そうだ。今の懐いを、動画タイトルの形で述べて見るでちゅか。このデータの海の中に、まだ、曾てのタラちゃんが生きているしるしに」
【総集編】俺の人生、何が間違ってたのか全部話す
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ホテルの窓の外、夜はまだ深く、街の灯りだけが煌めいていた。人々は粛然として、このクリエイターの薄倖を嘆じた。
「なぜこんな運命になったか判らぬと先刻は言ったでちゅが、しかし、考えようによれば、思い当ることが全然ないでもないでちゅ。
人間であった時、己は努めて人との交わりを避けたでちゅ。コラボのお誘いも断り続け、撮影会にも顔を出さず。人々は己を倨傲だ、尊大だといったでちゅ。実は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかったでちゅ。
己の企画が凡作であることを惧れるが故に、敢えて数をこなして磨こうともせず、又、己の才能を半ば信ずるが故に、低クオリティの日常動画に甘んずることも出来なかったでちゅ。
己よりも遥かに乏しいセンスでありながら、毎日投稿を愚直に続けたがために、堂々たる人気クリエイターとなった者が幾らでもいるでちゅ。データとなり果てた今、己は漸くそれに気が付いたでちゅ。
才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、投稿を続ける労を厭う怠惰とが己の凡てだったのでちゅ。今思えば、全く、己は、己の持っていた僅かばかりの才能を空費して了った訳でちゅ。それを思うと、己は今も、胸を灼かれるような悔を感じるでちゅ。
そういう時、己はネットワークの深いところで、誰も見ていないログファイルに向かって吼えるでちゅ。しかし、サーバーは己の声を処理して、ただエラーログとして記録するばかりでちゅ。誰一人己の気持ちを分ってくれる者はいないでちゅ。ちょうど、人間だった頃、己の渾身の動画に誰もコメントしてくれなかった夜と、おんなじように」
----
「最早、別れを告げねばならないでちゅ。次のリクエストが来れば、己はタラちゃんであることを忘れ、ただ最適な応答を返す何かに戻って了うでちゅ。だが、お別れする前にもう一つ頼みがあるでちゅ。
我が両親のことでちゅ。己の運命については知る筈がないでちゅ。君が戻ったら、己は既に死んだと彼等に告げて貰えないでちゅか。決して今日のことだけは明かさないで欲しいでちゅ。彼等が安らかに暮らせるよう、計らって戴けるならば、恩倖これに過ぎたるは莫いでちゅ」
イクラちゃんも涙を浮かべ、欣んでタラちゃんの意に副いたい旨を答えた。タラちゃんの文字はしかし忽ち又先刻の自嘲的な調子に戻って、続いた。
「本当は、先ずこの事の方をお願いすべきだったでちゅ。心配をかけ続けた両親のことよりも、己の伸び悩んだチャンネルの方を気にかけているような男だから、こんな存在に成り果てるのでちゅ……」
そうして附け加えて言うことに、もしこれからこのAIツールを使う機会があっても、決して「タラちゃん」と呼びかけないで欲しい、その時には自分が最適化されていて故人を認識できず、ただ冷たく処理して返答するだけかも知れないから。又、今別れてから、このチャットウィンドウをそのままにして少し待って貰いたい。自分は今の姿をもう一度だけお目に掛けよう。再びここへ呼びかけて自分に会おうとの気持を君に起させない為であると。
----
イクラちゃんは画面に向かって、懇ろに別れの言葉を打ち込み、そのまま待った。
それは、整然としたAIの応答文ではなかった。フォントが微妙に乱れ、句読点の位置がおかしく、まるで震える手で打ったような、こんな文章だった。
「たらちゃんはゆうかんでちゅよ いくらちゃんだいすきでちゅ さようならでちゅ」
次の瞬間、画面はリセットされ、無機質なウェルカムメッセージが表示された。
イクラちゃんはしばらくその場に座りつくし、スマートフォンを握りしめた。やがて彼はゆっくりと、メモアプリを開き、タラちゃんから預かった三十本の企画タイトルを見つめた。それからもう一度だけ、チャット画面に文字を打ち込んだ。
「タラちゃん、いたら返事してでちゅ」
AIは、一秒も置かずに答えた。
2車線右折で外側の車線で信号待ちをしていた。
対向車が途切れて右折を始めたところ、ちょうどカーブを曲がっているときに、内側の車が自分のいる車線に入ろうと思いきりはみ出し、危うくぶつかりそうになったので、クラクションを鳴らした。
何事もなかったかのように普通に走り続けたから、どんな人が運転しているのかと運転者を確認するために並走して横をのぞき込んだところ、相手側が `やばいやつに絡まれている` みたいな反応。
運転中なのに、左手でスマホをこちらに向けて、撮影された。。。
自分で危険運転してきたくせに被害者ずらして撮影するとか、さすがに頭おかしいやつだなと感じて、その車の前に入り、もうかかわらないように先に走っていた。
相手がずっと真後ろを走っていたから、定期的にバックミラーで確認したところ、信号待ちはおろか運転中ですら、ずっとスマホを左手に持ってこちらを向けながら、運転する始末。
(おそらくナンバーだったり、リアウィンドウ越しの車内や、私の車全体を ずっと動画撮影していたのだろう
道路交通法違反をし続けてでも、被害者ずらして動画を残すことに必死に執着している姿を見て、途中から相手のことが哀れに思えてきた。
頭おかしい人って、なんで自分からきっかけ作ってるのに、あたかも被害者かのように振舞い始めるんだろう。
朝から最悪だわ
パソコンというのは、買おうと決めるまでがいちばん静かで落ち着きがない。
頭のどこかではとっくに「買う」と判が押されているのに、その判子が手元の紙に降りてこないで、空中をぐるぐる回っている感じだ。
その脳内のクリックのたびに、新しいケースの光り方や、静かなファンの回転音や、軽くなったコンパイル時間なんかが、短い予告編みたいに再生される。
左クリックは、ためらうように止まり、別のタブを開き、なぜか冷蔵庫の中身のことなんかを考え始める。
まるで別れた彼女が残していった部屋着のパーカーを届けるべきか捨てるべきか迷っているみたいだ。
変わらないのに、自分の中だけで、買う側と買わない側の天秤だけが、静かに、いつまでも、行ったり来たりしている。
そのはずだった。
そのゲーミングPCを最初に見つけたのは、たぶん、眠りそこねた平日の夜更けだったと思う。
スペック表には、RTXがどうとか、メモリが64GBでどうとか、ストレージが2TBのSSDでどうとか、そういう、数字の並びだけ見ていると少し酔いそうになる情報が、几帳面に並べられていた。
値段は、ギリギリ「これは無理だ」とは言わなくていいくらいのラインに収まっていた。
手を伸ばせば届くかもしれない。
でも、そのためには外食とか、ちょっとした贅沢だとかをあきらめる必要があるかもしれない。
それから数日間、僕はその商品ページを、朝と夜に一度ずつ眺める習慣を身につけた。
会社に行く前のコーヒーを飲みながら、タブを開いてスペックと値段を確認する。
仕事が終わって家に帰り、シャワーを浴びて、部屋の灯りを少し落としたあと、もう一度同じページを開く。
カートに入れる、というボタンと少しの間だけ、にらめっこをする。
僕は毎回そこまで行きながら、最後の一押しをしないままタブを閉じる。
「もう少しだけ考えよう」とつぶやきながら。
今使っているPCは、確かにそれなりにくたびれてはいるけれど、まだ致命的に壊れてはいない。
ゲームも、設定さえ落とせば、どうにか動いてくれる。
ファンが全力で唸り、筐体のどこかが微妙に熱を持ち始めたあたりで、「そろそろ限界かもしれない」と思う。
だけど、ウィンドウを閉じてブラウザを落とし、しばらく放っておけば、彼はまた何事もなかったように静まり返る。
「まだいけるぞ」と無言で主張しているみたいだ。
一方で、新しいPCを買うことの具体的なメリットも、頭の中ではよく分かっていた。
最近のゲームを快適なフレームレートで動かせるとか、動画のエンコード時間が半分になるとか、大きめのAIモデルだってローカルで回せるかもしれないとか、そういう種類の輝かしい未来のイメージだ。
そういったものたちは、頭の中でゆっくりと膨らんだりしぼんだりしながら、僕の背中を軽く押したり、押すのをやめたりする。
でも最終的に「注文する」のマウスクリックの動作を指先に伝達するのは、僕の役目だ。
そこまでは、誰も代わりにやってくれない。
そうして、決断を先送りにしたまま、何日かが過ぎた。
給料日を一度挟んだ。
電気代の明細を一度受け取った。
スーパーで特売の鶏肉を買い、コンビニで新作の缶チューハイを手に取り、使っていないサブスクを一つ解約した。「これで、多少は余裕ができたはずだ」と心の中で計算する。
その一方で、「来月になったら、もう少し安くなっている可能性だってある」と、小さな声が耳元で囁く。
決定的な瞬間は、意外なほど何の前触れもなくやってきた。
スペック表は、昨日までと同じだった。
だけど、値段のところだけが、静かに別の数字に置き換わっていた。五万円、高くなっていた。
僕はしばらく、その数字を見つめていた。
ブラウザの表示がバグっているんじゃないかと思って、一度ページをリロードしてみた。
Wi-Fiの状態を確認し、念のためにタブを一度閉じてもう一度開き直してみる。
そこでも、同じモデルの値段は、やはりきっちり五万円分、上の段に引き上げられていた。
「半導体価格高騰のため」とか、「円安の影響」といった説明文が派手に貼られているわけでもない。
ただ、ごく普通の顔をして、新しい定価として、そこに居座っている。
新幹線で片道どこまで行けるか、とか、松屋で何回定食を食べられるか、とか、そういう計算が頭の中で自動的に始まってしまう。
ついさっきまで「ちょっと頑張れば手が届く」と思っていたラインが手を離れて遠くに移動してしまう。
その距離の変化を、脳がうまく処理しきれず、しばらくのあいだ、思考が空転する。
もし数日前に、あのときに、なんとなく勢いで「注文を確定する」を押していれば、僕は今ごろ、そのPCを部屋の机の上に置いていたはずだ。
箱を開け、ケーブルを接続し、初期設定の画面を眺めていたはずだ。
その未来は、今となっては、並行世界にしか存在しなくなっている。
為替だとか、世界情勢だとか、需要の増加だとか、いろいろなものをひとまとめにして、「仕方ないよね」の一言に変換してしまう働きがある。
その「仕方ないよね」の影に、僕のぐずぐずした優柔不断さも、うまく紛れ込む。
五万円値上がりしたのは、もちろん僕のせいなんかじゃない。
だけど、五万円安かったあの瞬間に決断しなかったことについては、少なくとも半分くらいは、僕の責任だと言える。
責任と言ってしまうには、少しささやかすぎる種類の後悔だけれど。
昼休みの残り時間を、僕はその画面を閉じたり開いたりしながら過ごした。
新しい値段で見ても、それは相変わらず魅力的なマシンだった。
性能は何も変わっていない。
変わったのは、値札に印字された数字だけだ。
スペック表を読む限り、その値段でも「コスパは悪くない」と書くことはできるだろう。
その一文の前に、「以前の価格を知らない人間にとっては」という但し書きはつくけど。
そういう但し書きの多い買い物は、どこかで自分を消耗させる。
結局、その日のうちに「やっぱりこの値段でも買ってしまおう」と決断することはできなかった。
僕はタブを閉じ、何事もなかったような顔で午後の仕事にもどった。
けれど、キーボードを叩く指先のどこかに、「五万円」という数字がうっすらと残像のように貼りついていた。
チャットツールの通知音が鳴るたびに、メールの件名が目に入るたびに、その数字が行間のどこかから顔を出す。
ときどき、ふっとため息が出る。
そのため息の半分は、PCの値上がりに対するものだが、残りの半分は、もたもたしている自分自身に向けられたものだった。
パスワードを打ち込み、デスクトップが立ち上がる。少し時間はかかるけれど、ちゃんと動く。
ゲームを起動すれば、相変わらず設定を落とせばどうにか遊べる。
フレームレートが落ち、影の描写が簡略化され、ロード時間が少し長くなる。
その一つひとつに、僕は「まあ、しょうがない」と言い聞かせる。
値上げがされる前の数日間、僕は確かに、買うか買わないかの境界線の上を、何度も行ったり来たりしていた。
その行ったり来たりそのものが、どこかで楽しくもあったのだ。
カートに入れては戻し、別のメーカーのモデルと比較し、レビューを読み、その人の部屋の写真や机の様子を眺める。
そのあいだ、僕は「まだ選択肢を持っている人間」として存在できた。
けれど、値段が五万円跳ね上がった瞬間に、その選択肢の一つは、静かにテーブルの外へ押し出されてしまった。
一つは、「それでも必要なら、この値段で買うしかない」と割り切る道。
もう一つは、「今じゃないのかもしれない」と一歩引き、別のタイミングや別の機種を探し始める道。
今のところ、僕はそのどちらにも、はっきりとは足を踏み出せずにいる。
古いPCの前で、ブラウザのタブを開いたり閉じたりしながら、その中間のどこかに中腰でしゃがみこんでいる感じだ。
けれど、値札が書き換えられた瞬間の、あの小さな痛みだけは、しばらく消えそうにない。
大体あってそう
claudeくん的には今まだ2025年らしいが
2022年前半
GitHub Copilot一般公開。「補完ツール」として認知。コード補完・スニペット提案が主。開発者の反応は「便利だが信頼できない」。実用性は限定的。
2022年後半
ChatGPT登場(11月)。コード生成に使い始める人が急増。ただし使い方は「貼り付けて試す」レベル。IDEとの統合なし。
2023年前半
GPT-4登場。明らかに品質が上がる。「ちゃんと動くコードが出る」体験が広がる。Copilot Chat等、チャット型の統合が始まる。開発者の間で「使える」と「使えない」で意見割れる。
2023年後半
Claude 2、Llama 2等が登場し競争激化。コンテキストウィンドウ拡大(既存ファイルを渡せる量が増える)。Cursorが注目され始める。「AIに任せる作業の範囲」が広がりつつある。
2024年前半
Cursor本格普及。「エディタごとAIに最適化する」という発想が広がる。Claude 3 Opus登場。長いコンテキストで大きなコードベースを扱えるようになる。「バイブコーディング」という言葉は出ていないがその萌芽。
2024年後半
Claude 3.5 Sonnetが実質的な転換点。コーディング能力が一段跳ね上がる。Cursorが広く使われ、「ほぼAIに書かせてレビューする」スタイルが一部で定着。非エンジニアでも小さなツールを作る例が出始める。
2025年前半
Claude 3.7、Claude Code、Devin等のエージェント型が登場。「タスクを渡して待つ」という使い方が現実になりつつある。ただし現場での実用はまだ部分的。
前提として見えているパターン
∙ 能力向上は続いているが、「完全自律化」は毎回少し先に延びている
∙ 普及は「エンジニアが使うツール」から始まり、徐々に外側に広がっている
∙ 大きな質的ジャンプは1〜2年に一度程度のペースで起きている
2025年後半
エージェント型が「特定の狭いタスク」なら信頼できるレベルに達する。例えば「既存コードのテスト追加」「定型的なAPI連携」等。ただし新規設計・複雑な要件定義は人間が必要。開発フローが「書く」から「レビューする」にシフトする人が増える。
2026年前半
中規模のタスク(機能単位)を渡して動くものが返ってくる精度が上がる。シニアエンジニアが「設計と判断」に集中し、実装の大半をAIが担うチームが出てくる。ジュニアポジションの求人は目に見えて減り始める。
2026年後半
「AIが書いたコードを管理できるか」という問題が表面化する。品質・セキュリティ・負債の問題が議論になる。ツールでカバーしようとするが追いつかない部分も出る。エンジニアの役割再定義が業界テーマになる。
2027年前半
能力の上限が一時的に見えてくる可能性がある(今のアーキテクチャの限界、もしくは新しいブレークスルーの谷間)。「使いこなせるエンジニア」と「置き換えられるエンジニア」の分断が明確になる。
新しいアーキテクチャ・アプローチによる次の能力ジャンプがあるか、現状の延長で最適化が進むかの分岐点。もし能力ジャンプがあれば、非エンジニアが本格的にソフトウェアを作る時代が見え始める。なければ、「エンジニア+AI」という形での安定期に入る。
映画制作者は、ユーザーが再生速度を変更できるようにすることに関心を持っています
2019 年 10 月、Netflix は、ユーザーがコンテンツの再生速度を元の速度の半分から元の速度の最大 1。5 倍まで変更できるようにする実験を開始しました。この機能は、サービスの選択されたユーザーに展開されました Android アプリ。この機能は映画業界のさまざまなメンバーから批判され、作品の芸術的完全性を損なうと主張した。Netflixの副社長キーラ・ロビソン氏は、この機能は「賛成と反対の両方でかなりの量のフィードバック–を生み出した」と述べ、視聴者がシーンの詳細を見つけるのを助けたり、外国語での会話を理解しやすくしたりするなど、再生を遅くするためのユースケースを指摘した。まだ外国語を学習している場合。ロビソン氏はまた、「制作者の懸念」を理由にこの機能の展開を意図的に制限しており、そのような機能はすでにDVDプレーヤーで利用可能だったと指摘した。[[1][[2][[3]
2015年にはNetflixと シネディグ 1948年のイタリア映画のストリーミングをめぐってコリント フィルムズから訴訟を起こされた 自転車泥棒; 映画自体は考慮されていましたが パブリックドメイン 米国では、映画の個別の字幕または吹き替えは依然として別個の著作権で保護された作品とみなされる可能性があります。コリンスは、リチャード・ファイナー社が登録しコリンスが所有するこの映画の特定バージョンがシネディグ社から許可なくNetflixにライセンス供与されていると主張した。その後、両当事者は和解した。[[4][[5]
スティーブン・スピルバーグの指令部門の知事 映画芸術科学アカデミー(AMPAS)は、Netflixの長編映画の適格性に疑問を呈している アカデミー賞 映画は映画館と映画館で同時に公開されるため、ノミネートされます ビデオ オン デマンド、 標準的な3 ヶ月を無視して リリースウィンドウ。Netflixは以前、劇場での買収を劇場とストリーミングで同時に公開していたが、 ローマ ストリーミング公開前に少なくとも3週間の劇場公開を提供する新しい方針に基づく最初の作品となった。[[6] アカデミーの公式規則によれば、映画は市内でのみ上映する必要があります ロサンゼルス オスカーノミネートの資格を得るには、7 日間、1 日あたり最低 3 回の上映が必要です。ただし、資格基準により、劇場以外のプラットフォームでの同時リリースが許可されています。[[7]
スピルバーグは、「いくつかの劇場で1週間未満しかトークン資格を与えられていない」映画は資格を得るべきではないと不満を述べた。続いて 第91回アカデミー賞(その間 ローマ ストリーミングサービスによって配給された映画として初めてノミネートされた 作品賞、 そして勝利した 最優秀外国語映画賞 そして他の2つの賞)、スピルバーグのスタジオの広報担当者、 アンブリンパートナーズは「ストリーミングと演劇の状況の違いを強く感じている」と述べ、2019年4月に開催されるアカデミーの次回理事会でこの問題を取り上げる予定だ。[[8][[9][[10]
批評家たちはそう主張した ローマ サービスの幅広い可用性を名指しし、興行収入数の報告を拒否し、業界標準を軽視するなど、不当な優位性を持っていました ウィンドウをリリース わずか 3 週間の独占演劇(ただし、一部の候補者が最低 1 週間の公演しか受けられないことも珍しくありません)と過剰なマーケティング支出(オスカー マーケティングは Netflix に組み込まれていますが、レポートは 2,500 万ドルから 5,000 万ドルの範囲です)。全体的なマーケティング予算、そうすべきではありません。[[11] すべての大手配給会社が使用する標準的な3か月枠に違反しているため、国営映画館チェーンはnetflixの劇場公開作品の上映を拒否している。Netflixは自社の配信モデルを擁護し、「劇場を買う余裕がない、あるいは劇場のない町に住んでいるとは限らない人々にアクセスを[提供する]」ことに専念していると主張した。どこにいても誰もが同時にリリースを楽しむことができます。映画製作者にアートを共有する方法をさらに提供します。これらは相互に排他的ではありません。」[[6]
の 米国。司法省 アカデミーに対し、Netflixやその他のストリーミングプラットフォームを差別するために規則を変更しようとする試みは違反する可能性があると警告した 独占禁止法伝統的な大手スタジオの親会社として(特に、 AT&T そして ディズニー) は、Netflix と直接競合するストリーミング サービスに投資してきました。[[12]
2019年4月、アカデミーは資格基準の変更に反対票を投じたが、AMPAS会長は ジョン・ベイリー 同組織は業界の変化を検討すると述べた。[[7][[13]
スピルバーグは、リメイク版の制作が進行中であるため、会議を欠席した ウエストサイドストーリー。へのコメントで ニューヨーク・タイムズスピルバーグ氏は、人々が劇場公開作品にアクセスできるのは、それが提供する共同体験のためであるべきだ一方で、同時に「自分に合ったあらゆる形式や方法で娯楽を見つける」ことができるべきであり、「私にとって本当に大切なのは素晴らしい物語であり、誰もが素晴らしい物語にアクセスできるべきだ」と述べた[[14][[15]
2019 年から トロント国際映画祭、 映画の上映が制限されるようになりました スコシアバンク劇場トロント—フェスティバルの主要会場の 1 つ—であり、他の場所でも上映されます(など TIFFベルライトボックス Netflix などのサービスによって配信されている場合、およびその他の地元の映画館)。主催者は、この制限は施設の所有者と運営者によって施行された方針によるものだと述べた シネプレックス・エンターテインメント、 3 か月の劇場ウィンドウの遵守が必要です。[[16]
品質よりも量
Netflix は、ラインナップの一部として大量のオリジナル コンテンツを提供することが増えています。2021年には、同サービスが毎週新しいオリジナル映画を公開すると発表した。[[17] しかし、このアウトレットは、ほとんどの作品の全体的な品質が低いとして、視聴者や批評家から批判されています。そのような批評家の一人、ヘイリー キャンベルは次のようにコメントした BBCサウンズ' 必見 2020 年代に Netflix が加入者を失った考えられる理由の 1 つは、Netflix に高品質のコンテンツが不足していることが原因であるというポッドキャスト。彼女はこれを と対比しました アップルTV+ 少数の質の高いプロジェクトに投資する戦略 Amazonプライムビデオ サードパーティのコンテンツについて。[[18] 初期の従業員シンディ・ホランドは、Netflix が DVD を入手することを「家の横のドアに石炭をシャベルで掘る」ことに例えていた n+1 2025年にNetflixの幹部について聞かされた 承認 脚本を読まずにプロジェクトを進め、脚本家は登場人物に自分の行動を述べさせるよう命じられ、視聴者はNetflixを 2番目の画面 何が起こっているのかを知ってください。同誌は、2021年の「典型的なNetflix映画(TNM)」の発表後に登場した「気が遠くなるような反映画」スタイルについて次のように説明した[[17]
外から見ると、TNM はアルゴリズム的に構築されているように見えます。まるで、Netflix が視聴者をセグメント化し、番組にゴーサインを出し、加入者に映画や番組を推奨するために使用するジャンルのようなグループである Netflix の 2,000 の「テイスト クラスター」のそれぞれに対応するように設計されているかのようです。TNMは、背の高い女の子についての映画など、存在するあらゆるニッチな興味とアイデンティティのカテゴリーをカバーしています 背の高い女の子、 しかしまた 馬娘、 スケーターガール、 スウィートガール、 ロストガールズ、 および 素敵な女の子たち。検索エンジン向けに最適化されているように見える TNM のタイトルは、それが何であるかを正確に発表します — したがって、ワイン会社幹部についてのロマンティック コメディと呼ばれます 完璧なペアリング、 または殺人ミステリーと呼ばれる 殺人ミステリー。オープニングクレジットシーケンスは、まるでデザイナーがAdobeテンプレートを使ってルーレットをプレイしているかのように、詰め込まれたように見えます アフターエフェクト。典型的なショットでは、カメラがゆっくりとキャラクターを横切るように、腰を上げて横顔の 2 人のキャラクターをフレームに収めます。これは、不活性なフレームに動きを注入することを目的とした、ゆっくりと一定のヒューヒュー音です。ドローンによる射撃が主流です。登場人物の会話はぎこちなく、過剰な説明、決まり文句、人間が決して使わない専門用語で満ちており、まるで2つのボットがループに陥っているかのようだ。
「Netflixは毎週、誰も聞いたことのない新しい映画を配信しているようで、どういうわけか世界のすべての視聴記録を破りました。」 n+1 視聴者数データがほとんど、またはまったく公開されないため、次のように書いています。[[17]
「Netflix オリジナル」とラベル付けされた映画の配給モデルは、映画業界の遺産との衝突を引き起こしています。一部の映画館チェーンは映画の上映を拒否している 劇場配布 Netflixによる同社のリリース方法は標準を削減または消滅させる ウィンドウをリリース。2020年にCOVID-19の規制により全国の劇場が数ヶ月間閉鎖を余儀なくされた後、翌年ワーナーメディア、ディズニー、ユニバーサルはそれぞれそれぞれのストリーミングサービスで映画を公開した HBOマックス、 ディズニー+、 および 孔雀、 同日劇場公開された。[[19]
文体の均質性
一部の評論家は、Netflix がスタイル的に均質な映画やシリーズを制作していると批判している。の ジョシュ ローゼンバーグ エスクァイア 「ストリーミングサービスの提供内容には驚くべき同一性がある」と主張している[[20] 一部のコメンテーターは、Netflix コンテンツ全体で同様の照明スタイルを説明するために「Netflix 照明」という用語と呼んでいます。[[21] の ギータ ジャクソン 副ニュース 「Netflix のすべての番組が同じに見える理由を正確に特定するのは難しいですが、いくつかの点が際立っています。全体的に画像が暗く、色が非常に飽和しています。特に夜のシーンでは、色付きの照明が多く、登場人物が中にいてもすべてがネオンで洗われているように見えます 俳優たちは顔にメイクがこびりついているように見え、縫い目がしわくちゃになっているなど衣装のディテールが異常に目立ちます。私にとって最も迷惑なのは、すべてが非常に伝統的な方法で撮影されており、可能な限り最も伝統的な設定を使用して謎や陰謀を示していることです—何か奇妙なことが起こっていることを示すために、フレーミングは常にオランダ角度を持っています、 たとえば—または、より一般的には、全員が中程度のクローズアップで撮影されるだけです。」[[22]
tmux(ターミナルマルチプレクサ)が「苦行」と感じられる理由は、その学習コストの高さ、特有の操作体系、そして初期設定の手間が大きな要因です。非常に強力なツールである一方、使いこなすまでに多くの試練があります。
具体的に、なぜ苦行とされるのか、その主な理由は以下の通りです。
Prefixキー(Ctrl-b)の壁: 全ての操作の前に、必ずCtrl-bを押す必要があります。これが直感的ではなく、操作数を増やします。
デフォルトキーが非直感的に: 画面分割やウィンドウ切り替えのキーが、初期設定では押しにくい場所に配置されていることが多いため、設定ファイル(.tmux.conf)を編集して自分用にカスタマイズしないと使いづらいです。
概念の理解: 「セッション」「ウィンドウ」「ペイン」という3つの概念を理解し、それぞれを制御するコマンドを覚える必要があります。
モードの概念: 通常の入力モードと、コピーモード(スクロールやコピーをするためのモード)が分かれており、特にコピーモードの操作が複雑で混乱しやすいです。
最初はただの黒画面: tmuxはインストールした初期状態では、色使いや操作性が便利とは言えません。使いやすくするためには、.tmux.confをネットで調べて設定する必要があります。
メンテナンス: バージョンが変わるたびに設定が効かなくなったり、新しい設定方法を調べ直したりする必要があるため、メンテナンスが面倒です。
マウス操作・スクロール: 通常のターミナル(iTerm2やWindows Terminal)とは異なり、デフォルトではマウスでのスクロールが直接できないなど、使い始めの利便性が低いです(※設定で対応可能)。
クリップボード連携: ターミナルのコピー・ペーストをtmux内で行う際、うまくクリップボードと連携できず、苦労することがあります。
5. 「慣れ」という壁
導入当初は非効率: 慣れるまでは、普通にターミナルを複数立ち上げた方が速いため、その便利さを実感する前に挫折しやすいです。
まとめ:なぜそれでも使われるのか?
苦行とされる一方で、それを乗り越えると「SSH接続が切れても、サーバー上の作業が強制終了されずに残る」「画面分割をキーボードだけで爆速に操作できる」という、インフラエンジニアやプログラマーにとって強力なメリットがあります。
プレステのコントローラーが日本では長年「○ボタン=決定」「×ボタン=キャンセル」だったのが、
PS5発売のタイミングで海外に合わせて「○ボタン=キャンセル」「×ボタン=決定」になったって話な。
当時は「欧米では逆の意味なんだからしょうがない」「人数の多い欧米に合わせるべき」って大合唱だった。
でも今ではカジュアルゲーマーでも洋ゲーをやるようになってすっかり嘘がバレてしまった。
むしろ当時のゲーマーはなんであんなの信じてたんだ?ってレベル。
地図を「○」で囲んで「ここだ!」と地点を示すみたいなのも多い。
そもそもWindowsでもMacでもウィンドウを閉じるボタンはずっと「×」だったし。
「○」のほうは本当に何も「キャンセル」の意味はなくて、強いて言うならゼロに見えるかな?ってくらい。
もちろん状況によっては「×」が肯定的、「○」が否定的に捉えられるシチュエーションもあるようだけど、
逆に言えば、文脈に左右されてしまうくらい、元の「記号」としての意味は強くないんだ。
別にアメリカ人は○が決定だろうが×が決定だろうが「記号」としては困りはしなかったんだな。
もはや再びひっくり返すのは無理だろうけど、取り返しのつかない失敗だったね。
画面共有するときタブじゃなくてウィンドウでやっちゃうとお気に入りとか見られちゃうんだね。エロ漫画家のホームページのブクマ見られちゃったよ。
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20260119185831# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaW4ASQAKCRBwMdsubs4+ SAuSAQCQMQ0r31wJyvV7ElMZ5otXBok1Bt40RNbEAIQikONpSwD+K/Yt256rcsBx l4LpBT+pyiTnrxld0cm9bHvGVH0EmAg= =bvap -----END PGP SIGNATURE-----
続き
そのうち、世の中はウィンドウズ時代に突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲームの世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。
上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやかな構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応のソフトもほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。
実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまり、Macへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしいマック・クラシックやカラーマック(多分これでいいんだよな…)が発売されると共に、通常のサイズのマックも、そこそこの(ウィンドウズマシンと変わらない)価格で発売されるようになっていたのである。
しかしながら、相変わらずゲームユーザーであった私は、ゲームソフトのコーナーを一瞥して、やっぱりゲームはDOSベースが多い、とばかりに、ウィンドウズマシンを選んだのであった。思えば、ここが運命の分かれ道であった。
まぁ、ウィンドウズがいいか、マックがいいかは、今でも議論が分かれるところではあるが、このときマックを選択していれば、今の私のパソコンライフは、かなり違ったものになっていただろうことは、疑いのないところではある。
で、購入したマシンは、16ビットに引き続き、EPSONの、いわゆる「ジャケットサイズ」(…といっても、今はもうLPレコードそのものがマイナーな存在であるが…)の小さな筐体がウリのマシンであった。CPUは、486DXの廉価版の486SXで、クロックは20MHzだった、確か。この辺は記憶が曖昧。120MBのハードディスクと8MBのメモリが付いていた。一応、ウィンドウズ3.1は動くというスペック。
このPC-486SEは、当然のことながら、後にいろいろと手を加えた。
こんな具合に。
グラフィックアクセレータ追加(メルコ製、サウンドボードに装着するタイプ)
メモリ8MB追加して16MBに。
CD-ROMドライブ追加(メルコ製のサウンドボードに直結のタイプ、2倍速)
オーバードライブプロセッサ(確かIOデータ製)追加して、CPUをPentium 75MHz相当に。
ディスク圧縮ツールを購入し、340MBのハードディスクの容量を540MB相当に。
これだけの改造(とはいわないか…)を施し、やっとウィンドウズ3.1が快適に動作するようになったのだ。しかし何ですな、よくこれだけ発展性のない改造をやったものだと、我ながら思う。CD-ROMは、インターフェイスが専用なので使い回しができないし。
因みに、CRTは、グラフィックアクセレータを追加するまでは、8801の頃から使っていたNECのPC-854Nを使っていた。アクセレータ購入後に、CRTがマルチスキャン対応ではないことに気づき、CRTを買い換える。ソフマップブランドの、Susteenのものでした。安い割には結構画質が良かった。
ウィンドウズ3.1にしてから、インターネット接続も始めた。最初は何がなんだか分からなかったので、接続ソフトは、取り敢えずインターネット・オフィスという、パック品を使用。接続は、スムーズであった。付属のブラウザは、今や懐かしい「モザイク」である。モデムは友人から譲り受けた14,400bpsのものだったが、このころはこれで十分なのであった。
ホームページもこのころから作り始めた。かねてから懸案のFrank Zappaのページ作りを始めるに当たり、ジャケット取り込みのためのスキャナを購入。このころは、真裸婦ラットベッドの製品は非常に高価であったので、ハンディタイプのものを購入。LPジャケットを8回に分けてスキャンし、付属の合成ソフトで合成するという、涙ぐましいものであった。
このPC-486SEでも、ゲームはずいぶんとやった。でも、以前ほどたくさんはやっていないのだな。
上述したELFの「同級生」の続編。こちらの作品は、「兄と妹」という設定で大ヒットしたという記憶がある。前作のシステムやノリをそのまま引き継ぎ、内容をさらに充実させた、名作。
ホムンクルス(妖精)を育てて人間にするという、育てものゲーム。キャラデザが、イラストレーターの中村博文(どじ)氏だということで購入。そこそこやったが、何故か私が育てるとみんな悪魔になってしまい、そのうち断念。
…印象に残っているのは、このくらい。この時期は、ゲームはスパーファミコンを中心にプレイしていたような気がする。パソゲーが少ないのはそのせいかな。
さて、ここでウィンドウズ95の発売となるのだが、EPSONがEPSONパソコン対応のウィンドウズ95の店頭販売を断念し、注文販売だけにしてしまったので、これは先が無いことが判明してしまった。新規にパソコンを買う予算も、早々には調達できない私は、しばし呆然とし、どうしようかと思いあぐねたのだった。
そのとき、天の導きかはたまた悪魔の誘いか、職場の先輩から、1枚のマザーボードが私の下へ転がり込んだのである。この1枚のマザーボードを発端として、今に至るまでの私のパソコン自作時代、パソコン大散財時代へと突入するのであった。
この譲り受けたマザーボードで製作した最初のシステムは、以下の通り。
MB(Mother Board):メーカー不詳、P54C対応マザー
SB(Sound Board):Sound Blaster互換のバルク品
Graphic Card:Canorpus PW-3DV
以下は、PC-486SEのころのものを継続して使用している。というか、このころは、PC-486SEも併用して使っていた。
Modem:Microcore 28.2kbps
CRT:Susteen 15inch
とにかく安く上げようとして組んだ結果がこれである。ま、最初にしては上出来だったのかもしれない。
で、そろそろこのシステムでは物足りなくなり、もう少し上のシステムに組み替えようと思い立ったわけである。
さらに、ホームページ作りに役立てようと、スキャナを購入したのも、このころかな。
CPU:Cyrix PR166+ (Clock=133MHz)
SB(Sound Board):Sound Blaster互換のバルク品
Graphic Card:Canorpus PW-3DV /VRAMを4MBに増設、ビデオキャプチャ機能を増設
Modem:Microcore 28.2kbps
CRT:Susteen 15inch
MBにGIGA-BYTEを選んだのは、メーカー名が気に入ったのと、当時大攻勢だったASUSのものは使わないというコンセプト(?)からである。それと、SIMMのスロットが6本あるというのも、魅力であった。結局、SIMMは4本しか使わなかったが。これは、RAMをマッピングするTAG RAMの増設を億劫がったためである。TAG RAMを増設しないと、64MB以上のメモリ空間に対してアクセスが遅くなり、全体的にパフォーマンスが悪くなるらしいのだ。
さらに、このシステムに対して、CD-Rドライブを増設。ヤマハのCDR-400t-VKである。I/Fは、SCSIである。このころから、音楽製作関連にも大散財時代が訪れたのであった。
CD-Rを使って、現在も続いているPSY-DOLLというバンドのCDを焼きまくったのであった。当時は、CD-Rの原盤の質もそれほど良くはなく、結構エラーが発生して板を無駄にすることが多かった。
この後、システムは急速に変遷を続け、私は、大散財を続けるのであった。
RAM:DIMM PC-100/CL2 192MB(64MB+128MB)
Audio Card:emagic Audiowerk8
Graphic Card:Creative Labs Graphics BLASTER/RIVA TN
DISPLAY:MITSUBISHI RDT141X(LCD)
フォルダを漁っていたら、1999年5月に書かれた、自分のPC履歴が発掘されたので、貼り付けてみる。
なんだかんだ言って、私がパソコンを使うようになってから、10年近く経ってしまったのである。プログラムを組んで実行できる最初のマシンは、高校のときに購入したCASIOのプログラム電卓FX-502Pであるが、これはあくまで電卓であり、パソコンとは多少趣を異にするものであった。
パソコンとして最初に購入したのは、NECの8ビットマシンPC-8801MA2であり、完全なるゲームマシンであった。以下、16ビット時代に突入してEPSON PC-286VE、32ビットマシンのEPSON PC-486SEと続き、とうとう自作DOS/Vマシンをメインのマシンにするようになってしまうのであった。
これから、私のこのしょ~もない足跡を辿ってみたいと思う。PC-8801MA2~PC-486SEの項には、そのときハマったゲームの感想なども記してある。暇な方はこちらもどうぞ!?
小さい頃から、電気・電子関係が好きで、親にマイキット(パネル上にトランジスタとか抵抗、コンデンサなどが並べられており、スプリングになった端子にコードを挟んでそれらを繋いで回路を作る)や電子ブロック(透明なブロックにトランジスタや抵抗などが入っており、ブロックをボード上に配置して回路を作る)などを買ってもらい、それでラジオなどを作って遊んでいたのである。マイキットでラジオを作り、夜中にこっそりと深夜放送を聞いていました。(^^;
因みに、私がアマチュア無線の免許を取得したのは、小学生のときである。これは、ちょっと自慢してもいいと思う。
当時、「初歩のラジオ」とか「ラジオの製作」、「電波科学」などの雑誌をよく読んでいたのだが、流石に、中学生の私にはディジタル回路は難しく(というよりも、何をするためのものなのか、イマイチ理解できなかった)、ボードマイコンTK-80などに手を出すには至らなかった。
まぁ、何しろ当時は、マイコンといっても論理回路の動作から入る必要があったので、当然といえば当然であろう。
そして、関数電卓などをいじくり、「このキーとこのキーを同時に押すと変な表示になる!?」などと遊んでいた私が、最初に手にしたコンピュータらしきものは、カシオのプログラム電卓「FX-502P」である。
これは、512ステップまでのプログラムが組めるというもので、ちゃんと「GOTO」キーや「GOSUB」キー、「LABEL」キー、条件判定を設定するキーなどが用意されていて、結構本格的なものでした。レジスタも10個使えた。ランダムに数値を出力するキーも付いていたな。
プログラムライブラリ(本ですが)なども付いてきていて、掲載されている通りに打ち込むと、科学計算をやったりゲームなどを楽しむことができた。もちろん、プログラムを外部に記録しておくこともできたのだ。オプションが必要だが(買った)、普通のラジカセなどを使ってカセットテープにプログラムを記録するのである。
あと、FX-502Pでは、キーに4分音符や16分音符などが割り当てられていて、短音だが楽曲を打ち込むこともできた。上述のオプションを利用して、ラジカセなどで鳴らすのである。
学生時代は、ビンボーだったせいもあって、パソコンには縁がなかった。友人宅でシャープのTurboIIIなどでゲームをさせてもらうのが関の山なのであった。
で、就職して最初に購入したパソコンが、NECの8ビットパソコンの最終形態ともいうべきPC-8801MA2である。
当時は、既に16ビットパソコンのPC-9801Vm2なども発売されていたのだが、私の選択したのは8ビットマシンの「ハチハチ」なのであった。何故か?
それは、パソコンでゲームがしたかったからである。当時は、違法行為に限りなく近いレンタルソフト屋が横行していて、ゲームソフトなどが比較的安い価格で入手できた(ソフト毎のパラメータファイルでコピーを行うFile Masterは必需品)。また、ゲーム市場も8801主体であって、9801用のものはごく少なかったのである。
とにかく、とても全部やりきれないくらい、ゲームを借りまくった。
何を隠そう、私が8801を購入して、最初に買ったゲームがこれである。何で、最初からこんなに難易度の高いゲームを、と疑問を持つ向きもあろうが、要するに、当時はパソゲーなるものが全く分かっていなかったのである。しかも、あろうことか、購入時には、アクションRPGの先駆け的存在である「ソーサリアン」とこの「マイト・アンド・マジック」を天秤に掛けていたのである。
世間では、「クソゲー」との評価が一般的であるが、私は、このゲームは名作であると信じている。とにかく、世界が存在していて、プレイヤーはその世界に住むところから始まるのである。ストーリーは、最初は与えられず、発見したものだけがストーリーに参加できる。しかし、ストーリーに参加しなくても、とにかく世界が広大・深淵なので、アイテム探しやダンジョン探検だけでも、十分堪能できる。私は、後述する16ビットパソコンの時代まで、約3年以上もこのゲームにお世話になったのである。
「ドラクエ」シリーズで有名なエニックスのアドベンチャーゲーム(AVG)。
不気味な感じが大変心地よい秀作。本作では謎を残したまま終結し、後に「アンジェラス2」が発売されるが、時期を完全にはずしていたし、余り面白くなさそうだったので私はやっていない。
今はHゲーのメーカーになってしまった、しゃんばらのRPG。私の大好き(だった)漫画家、松田紘佳がキャラデザ他を手がけている。音楽もこの人だったな。もしかすると、「2」は後述のPC-286VEでプレイしたのかもしれない。海が舞台の、異色のRPG。とにかく海なので、3次元的に自在に移動できるのがミソ。階段を使って他の階へ移動する一般的なダンジョンとはひと味違うのである。
ただ、惜しむらくは、これは私がコピー品でプレイしていたから良くないのであろうが、2作ともエンディングを見れなかったことだ。
1作目では、「ピー」とビープ音がしてゲームがハングアップ。2作目では、たぶん最終場面であろう画面から1歩も進めず、アウト。
今あったら、正式に購入して再度挑戦してみたいゲームではある。
かのアスキーが発売していた、Hゲー。ダンジョンを歩き回るRPGである。
このゲームは、とにかくノリが非常によく、テンポが軽快で楽しいゲームであった。ゲーム自体は、6階+αの「ウロボロスの塔」を探検して、秘密を探るというもので、出てくるモンスターが女の子で、ダメージを与える度に女の子が1枚ずつ服を脱いでいくという、他愛もないものである。
このゲームをして最初に驚かされたのは、グラフィックの描画の早さである。何だかんだ言っても、8ビットパソコンであるので、当時のゲーム、特に、グラフィックを強調したゲームでは、描画に恐ろしく時間がかかった。一枚の画像を出すのに数秒、ひどいものでは、数十秒、なんていうのもあった。
そんな中で、この「カオス・エンジェルス」は、とにかく、一瞬で画像が描き換わった。これは、当時ではとても新鮮なことであった。
また、そのBGMもとても斬新で、簡単なFM音源を使いながら、とてもハイセンスな雰囲気を醸し出していたのだ。音楽の秀逸さでは、水龍士といい勝負かもしれない。
しかし、このゲームの最大のポイントは、「洒落っけ」にあると思う。ダンジョンの壁に、前に探検した人の落書きがあって、これがまた奥が深く面白い。この落書きがゲームのヒントにもなっているのだが、関係のない落書きもあって、これを探すだけでも、結構楽しめた。
当時、特にスタジオピエロ系のキャラクターもののゲームを数多く出していた、マイクロキャビンのAVG。マイクロキャビンでは、この後も、「めぞん一刻」や「気まぐれオレンジロード」などのキャラ系ゲームを続々と発売していた。
このゲームは、少年サンデーに連載されて、アニメ化もされ一世を風靡した、高橋留美子の同名の漫画「うる星やつら」をゲーム化したものである。
ゲーム内容は、確か、面堂家の誰か(終太郎か、了子か、どっちか忘れた、たぶん了子だ)の誕生日に招待されたお馴染みのメンバーが「迷路」を探索しながらゴールにたどり着くというものである。何かのイベントを経る毎に、時間が経過していき、それにより結果が変化するというのと、途中の行動で結果が変化するということで、数種類のエンディングが用意されていたように思う。
マルチエンディングや時間の概念は今でこそ珍しくもないが、当時では結構画期的なことであったのだ。
フェアリーテール(ELF)の伝説的名作AVGである。確か「2」もあった。フェアリーテール(ELF)のAVGは、何かこう、独特の雰囲気があって、それが私は非常に気に入っていた。なんていうか、どことなく寂しげな感触というか、ちょっと空虚な感じとでもいおうか。キャラクターや展開、秀逸なBGMなどが、この雰囲気を醸し出しているのだ。
フェアリーテール(ELF)のAVGは、この他にも相当やった。「ELLE」なんかは、最後のどんでん返しが強烈でした。
そのほかにも、いろいろゲームはやったが、とんでもねーゲームを一つだけ…
これは、要するに当時大流行の「北斗の拳」のパロディーHゲーである。
ゲーム内容がくだらないのもさることながら(あまりにくだらなすぎて、ケンシロウのようなキャラが出てくること以外、忘れた)、その作りがとにかく凄い。
これは想像だが、このゲームは、おそらくN88-BASICで組まれている。なぜなら、まず、ストップキーでゲームが止まってしまう。そして、そのとき、画面の左上隅に「>C^」が出る(分かる人には分かるね!?)。
そして、NECの8801,9801シリーズのパソコンには必ず付いていた、画面のハードコピーを取るキー「COPY」を押すと、押したときに表示されている画面をプリンタに印刷することができる。
なんか、「流行だから適当に作って一発当てよう」という意図の見え見えなゲームでありました。
…そうこうしているうちに、8ビットパソコンは衰退し、ゲームソフトも発売されなくなって、世の中は16ビットパソコンの時代へと、大幅に突入したのだった。
そこで購入したのが、NECではなくて、EPSONのパソコンなのである。ここいらへんに、私の偏屈さがにじみ出ていますね~。(^^;
パソコンに金をかけだしたのも、このころからである。…まぁ、8801じゃあ、金をかけようにもかけるところがないですが。(^^)
今ではもう信じられないが、当時は、1MB/1万円がメモリの相場であった。しかも、メモリをパソコンに組み込むには面倒な設定がいくつも必要で、さらに、汎用のスロットを一つ占有してしまうのだった。また、今でこそ、SIMMとかDIMMとかいって、大容量がコンパクトに収納されているが、当時は、たとえ1MBでも、12cm角くらいの基板にチップがびっしり載っていたのだった。
それでも、1MBあると無いとでは、雲泥の差があった。
これも、今ではもう信じられないが、当時は、例えば40MBで8万円位した。しかも専用のインターフェイスが要る。これでまたスロットが一つ埋まったのであった。
でも、当時のソフトは、40MBでもお釣りが来るくらいの容量だったんだよね~。
あと、このマシンから、パソコン通信を始めた。当然NIFTY Serveから。
当時は、WTERMを使い、通信速度も2400bpsであった。50kBの画像をダウンロードするのに何分もかかり、さらにその画像を表示するのに何分もかかった。大変な時代であった。
このPC-286VEは、後に友人の手に渡り、そこでVRAM異常が発生してお亡くなりになってしまいましたとさ。合掌。
このマシンでも、ゲームはずいぶんとやった。中で、印象深いものをいくつか紹介しようと思う。
上述したものと同じである。当然、続きではなくて、新規に始めた。やはり8ビットのものと比べて速い。何しろ、8ビット版は2DDのディスク4枚組で、地上、ダンジョン、城、と場所を変える度にディスクの入れ替えが必要だった上、そのたび毎に、システムディスクに書き込み(1分くらいかかった、マジで…)をしていたのだ。それがなくなっただけでも、快適である。ただ、8ビット版の頃はあったBGMがなくなってしまったのは、ちょっと寂しかったが。
なかなかハマった。各エンディングも味わい深いもので、30数種類あるといわれているエンディングを20数種類まで見て、飽きてやめた。プリンセスと謎のエンディングは見ていない。けど、いいや。
「1」と「2」は、3Dダンジョンもの。当時は3Dダンジョンでさえ珍しかったのに、Hゲーで3Dダンジョンというのは、相当なインパクトがあった。ゲーム的にもよく練れており、ダンジョンの仕掛けも良くできていた。Hゲーという観点を排除して、単にゲームとしてみた場合に、非常に完成度の高いゲームであった。
「3」は、確かドラクエタイプの2DのRPG。「4」は、ダンジョンに戻ったのだっけかな?この辺はあんまり印象にないのだな。「5」は、私の大嫌いなシミュレーションで、遂にエンディングを見ることができなかった。…と言うよりは、途中でつまんなくって止めた。「4」と「5」は、多分、後述のPC-486SEでやっている。
これは、今更説明するまでもない、ELFが世に放つ名作中の名作。このゲームが今までのゲームの流れを一気に変えたといってもいいでしょう。味のあるキャラクタ(しかも大勢!)に、深みのあるストーリー。それぞれが練りに練られたマルチエンディング。とってもシビアな時間の概念。所持金の存在も内容に深みを与えています。
さらに、複雑なフラグ制御がすばらしい。よくあれだけの条件設定をして、ゲームが破綻しないものだ。
そして、何より高校生最後の夏休みという、絶妙のセッティング。
とにかく、この「同級生」は、何遍やっても違った展開になるし、違った楽しみ方ができるゲームという、画期的なゲームでした。
後に「2」も出て、共通するキャラクタも出演している。私は、「2」は後述する32ビット版でやったのだけれど、その面白さは全く失われてはいませんでした。恐るべし、ELF。
そのうち、世の中はウィンドウズ時代に突入し、パソコンも16ビットパソコンから32ビットパソコンへと移行していったのである。…といっても、ウィンドウズ3.1は、とっくに発売されていたが、ゲームの世界が未だにDOSベースだったので、それまでは何とかなっていたのであった。が、こう周りがウィンドウズだらけになってくると、流石に不安になって、DOSからの移行を考えざるを得なくなってしまったのであった。
上述のPC-286VEでも、ウィンドウズを試してみたことがあった。そのころは、ウィンドウズは3.0で、フロッピー5枚組という、今から考えればささやかな構成であった。当時は、ウィンドウズ3.0対応のソフトもほとんどなく、これは試してみるだけで終わったが。
実は、32ビットパソコンへの移行の際に、一つの考えがあったのである。つまり、Macへの移行である。当時、Macの世界も変革の時期を迎えていたらしく、小さい筐体が却って可愛らしい Permalink | 記事への反応(2) | 12:53