仁木悦子(にき えつこ)とは、日本の推理小説家。本名の旧姓である「大井三重子(おおい みえこ)」名義で童話作家としても活動した。
1928年東京府生まれ。4歳のときに胸椎カリエスを発症、両脚が麻痺し歩行不能となる。そのため学校には通ったことがなく、家庭で兄から勉強を教わっていた。
1953年、25歳のときに宮沢賢治を読んで感動し、自身でも童話を書き始める。翌1954年、児童向け雑誌の懸賞に掌編童話が入選し掲載される。
1957年、推理小説『猫は知っていた』で第3回江戸川乱歩賞を受賞。乱歩賞は創設時は既成作家や出版社に贈られる功労賞で、新人作家を募集する公募新人賞になったのはこの年からだった[1]。同年11月に講談社から刊行されると、それまでの「探偵小説」のエログロなイメージを刷新する快活な作風に加え、寝たきりの女性作家という著者のプロフィールがメディアからも注目され、10万部のベストセラーになった。初代「日本のクリスティー」と呼ばれ、翌年に出た松本清張の『点と線』とともに、「探偵小説」が広く一般に読まれる「推理小説」という一大ジャンルに変わるきっかけを作った作家である。
知的な植物学者の兄・仁木雄太郎と、明るく快活な妹・仁木悦子のコンビが事件の謎を解く、デビュー作『猫は知っていた』に始まる〈仁木兄妹シリーズ〉は、前述の通りそれまでの日本の探偵小説につきまとっていた、おどろおどろしいエログロのイメージを刷新した。冷静で知的な名探偵と、明るく元気な少女のワトソン役という、現代でも定番となっているミステリーのフォーマットを作ったシリーズである。
〈仁木兄妹シリーズ〉は4作の長編と17の短編(ジュブナイルを含む)が書かれ、2009年から2012年にはポプラ文庫ピュアフルからライト文芸の装いで再刊された。2022年には講談社文庫から『猫は知っていた』の新装版が出ている。なお、シリーズ後半では悦子は結婚して浅田姓となり二児の母となる。
また女性作家としては非常に珍しくハードボイルドを手掛けた作家でもあり、長編1作・短編16作がある〈私立探偵・三影潤〉シリーズは仁木兄妹ものと並ぶ仁木作品の代表作であるとともに、日本のハードボイルド史においても重要な位置を占める。創元推理文庫の『日本ハードボイルド全集』全7巻では、生島治郎・大藪春彦・河野典生・結城昌治・都筑道夫とともに、仁木悦子の三影潤シリーズに1巻が宛てられた。もっとも、仁木悦子自身はこのシリーズをハードボイルドだとは思っていなかったらしいが。
ほか、女性推理作家の会合「霧の会」を結成して自宅をその会場として提供したり、戦争で兄を亡くした経験から、同じ立場の女性たちと「かがり火の会」を結成するなどの活動も行った。
「大井三重子」名義での童話作家としての著書もあり、ある年代の人にとっては、小学校の国語の教科書に掲載されていた童話「めもあある美術館」の作者として知られる。
1981年、短編「赤い猫」で第34回日本推理作家協会賞短編部門を受賞(連城三紀彦「戻り川心中」と同時受賞)。1986年、腎不全のため死去。享年58。
選集・全集・編著は除く。◇は仁木兄妹シリーズ、★は三影潤シリーズ。
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最終更新:2024/12/23(月) 10:00
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