「名探偵はなるのではない。ある時に自分がそうであることに気づくのです」
名探偵とは、いわゆる推理ものの作品において、推理によって真相を言い当てる存在のこと。
「探偵役」もしくは「ホームズ役」とも言われる。
ただし「名探偵」が必ずしも「探偵役」とは限らない(後述)。
※フィクションを含まない一般的な探偵業務としては 探偵 の百科項目を参照。
単に「探偵」といえば職業としての探偵のことだが、「名探偵」は優れた職業探偵という意味合いよりも、物語上の役割、もしくは称号的な意味合いが強い。
警察官でない場合が多いが、作品によっては警察官が事件の謎を解き明かす=「名探偵」の役割を果たす場合もある(十津川警部シリーズ、刑事コロンボ、古畑任三郎など)。警察官でない場合は、何らかの理由(主に名探偵に協力的な警察官の存在)によって、捜査に介入することが許されていたり、あるいは連絡の断絶した孤島などを舞台にしているため、公権力の介入が存在しないことが多い。
これは特に昨今のミステリに顕著である――なぜなら、いち市民が警察に捜査を許されるなど、通常では考えづらいからだ。(→探偵)
旅先で事件(主に殺人事件)に巻き込まれやすい。その巻き込まれぶりは読者から「死神」と揶揄されることもある。稀に作中でもツッコミを入れられることも。
「名探偵」の推理は作品内において基本的には真実と同義である(よって名探偵を「神のごとき」と呼ぶこともある)。
ただし「名探偵」そのものがキャラクターの属性的に扱われることも多く、作品中に複数の名探偵が登場し推理合戦を繰り広げるのも推理もののひとつのパターンとなっている。そのため、「名探偵」が必ずしも事件の真相を解き明かす「探偵役」とは限らない。
また後述する「後期クイーン問題」のように、「名探偵の絶対性」に対して懐疑的な流れもあり、物語の結末で名探偵の推理がひっくり返されたり、名探偵があくまで「これが真実だとは限らない」と前置きする作品も存在する。
相手を長期拘束できなかったり、証拠隠滅されてしまう、アニメ・漫画・映画の尺の長さが限られるといった事から比較的短時間で情報・証拠を集め取捨選択、仮定・推測・計算し犯人を特定するといった割と忙しい事をしているケースも珍しくない。
殺人事件以外にも、他者のSOSを読み取る、誘拐事件、謎解き/宝探し、爆弾の発見/解除、行方不明の人間やペット捜索を行う話、怪盗との対決など、使い勝手の良い何でも屋のようになってしまっている作品も一部ある。
偶然居合わせただけで依頼主や依頼料などなく、危険度や負傷の割にタダ働きの場合もある。
大抵は伏線などの情報がこっそり練り込まれやすい。
子供向け作品においては考える時間や大きなヒントが与えられやすい。
推理小説において、名探偵自身が物語の語り手(視点人物)ではなく、ホームズシリーズにおけるジョン・H・ワトソン博士にあたる「聞き手」役が語り手となるのがひとつのセオリーである。
この語り手をワトソン博士に倣って「ワトソン役」と呼ぶ。
このパターン自体は、世界で最初の推理小説とされる「モルグ街の殺人」ですでに登場しているが、「モルグ街の殺人」の語り手には名前がついておらず、またホームズシリーズが推理小説の爆発的普及の引き金となったため、やはりワトソン役はワトソン役なのである。
その役割は多々あるが、大きくいうならば推理小説を「謎解きゲーム」として見た場合、名探偵とは出題者である作者が正解の提示を託した存在であるため、その視点は作者の視点となってしまう。
そのため、読者と同じ視点(あるいは知能)の人物が必要となり、彼は名探偵と同じ場面を目撃し、同じ証拠に接しながら、名探偵の明敏な知性がだした結論には到達できないのだ。
つまり「証拠は全て読者に提示されるが、そこから先の事件の真相に到達できるか否かは、最後の探偵の種明かしまで読者も挑戦できる」という推理小説のフェアプレイに適っている。
漫画などの場合は基本的に読者の視点が客観的であるため、このような語り手としてのワトソン役は必要がないが、やはり探偵の推理の一端を読者に提示することで――証拠を見つけた探偵に対して、それはどういう意味があるのか?と問う、など――スムーズに読者に説明できるため、探偵と行動を共にする凡人を配置することは多々ある。
なおここまでくるとむしろ「読者と視点を共有することでスムーズに理解を助ける凡人を配置する」という、推理物のみならず物語を作るうえでひとつのセオリーを援用しているにすぎない、とも考えられるだろう。
またワトソン役を単に凡人の視点を持って探偵の後ろにつき従う存在と描かず、固有の役割を担わせることも多い。
例えば初期のエラリー・クイーン作品では、ワトソン役といってもいい(語り手ではないが)リチャード・クイーンは、同時に警察を組織を指揮し思索的な探偵とは別に行動面で物語を進行させる、という役割を担っていた。
あるいは「ワトソン役と思っていたキャラが実は探偵役であった」「ワトソン役が犯人」「ワトソン役も一定の知力を有しており、作品によっては事件を解決する」など、その運用は多岐にわたる。
複数のメディアに登場する場合は原作にあたる欄に記述(たとえば小説→アニメの場合は小説欄)。
作家の法月綸太郎が指摘した、「探偵の推理に必ず孕んでしまう、真実が分からなくなる不確実性」のこと。
この呼び名はエラリー・クイーンの作品、特に後期作品を見るとわかりやすい特徴のために名付けられた。名付けたのが誰なのかは不明だが、この名称を広めたのは笠井潔。
「的」が抜けて「後期クイーン問題」ともいう。
探偵がいくつかの証言や証拠を集め、それをもとに犯人を推理するとき、それらの物証が実は真犯人の悪意や第三者、偶然などによりねじ曲げられた結果にできたものではない、と言いきることは誰にもできない。「読者への挑戦状」や注釈などの形で、それらは絶対の真実であると神の視点(作者)が読者へ教えることはできるが、少なくとも作中の探偵の視点からでは判断することは不可能である。
また推理の過程でも、とんでもない偶然のような常識的にありえないこと、一見関係ない事件や物事については、探偵はどうしても切り捨てて考えなければならないし、さらに言えば探偵がまだ知らない決定的な手がかりが「存在しないこと」を証明することはできない。
こうした不確実性を全て取り除くのは不可能と言えるほど困難で、極論をすると「探偵が事件を知った時点で、客観的で完全な推理のもと犯人を推理することは不可能」とも言える。
こうした特徴から、作中に登場するときには不完全性定理、シュレディンガーの猫、フレーム問題などと一緒に引き合いにだされることが多いようだ。
こうした矛盾を解消するためのアイデアもあり、例えば「絶対的な真実」を作中にまで持ちこむ方法がある。
ファンタジー世界や超能力がある世界を舞台にすることで物理法則に匹敵する縛りをもちこんだり、作品によっては本当に神が登場するものもある。
あるいは、開き直って「絶対的な真実に辿り着けないなら、探偵の推理は真実でなくても聞いている者たちを説得できるものであれば良い」というスタンスの作品もある。
正反対の意味の蔑称として、ド素人や間違いだらけの推理、現場を混乱させる人物などが同音異義語で「迷探偵」と呼称される場合もある。
探偵作品ではないが、人探しや物探しがテーマの際に立ち絵やコスプレなど、登場人物が(雰囲気だけだが)探偵の格好や呼称をする場合もある。
好き勝手に描いてしまうと「別にこれ解決するの、名探偵である必要ないよね?」になるため推理小説を描く際の一種のルールのようなものもある(絶対に守らなくてはいけない訳ではない)
(→ノックスの十戒)
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/23(月) 11:00
最終更新:2024/12/23(月) 10:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。