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2024-11-24

anond:20241124024837

だいぶ論理が飛躍してるけど陸軍兵の幽霊かな?ネオナチかな?

2024-11-23

SNSのない時代から選挙デマ情報を流すのは当たり前だった

大前研一石原慎太郎デマを流されたというのは有名らしい

都知事選で旧統一教会との関係を疑われた大前研一


選挙ポスター貼り、自民党候補者は旧統一教会頼み


実は私自身も、過去に旧統一教会との関係を疑われたことがある。1995年都知事選立候補したときのことだ。私は初出馬だったが、自分選挙ポスターを一日で約1万8000カ所に貼った。すると、国会議員時代石原慎太郎氏が、自民党の集まりで「大前統一教会ポスター貼りを頼んだに違いない」と言ったと伝わってきた。私は石原氏のところへ飛んでいき、なぜデタラメを言ったのかと問い詰めた。


すると彼は、自分最初選挙1968年)で旧統一教会の世話になったから「同じだろうと思った」と白状した。私は経営コンサルタントから宗教団体ではなくて、軽貨物運送の「赤帽」に依頼して代金を払って貼ってもらったのだ。


ところが、後日TBSの「筑紫哲也 NEWS23」に他の候補者と出演すると、「大前さんは“在日朝鮮人”だという噂がある」と言われた。石原氏の「統一教会が協力した」というデマに尾ひれがつき、私自身が在日朝鮮人だという話になっていたのだ。


私は母親電話して、終戦時に陸軍大尉となっていた父の軍人恩給証書ファクシミリで送るよう頼んだ。仲がよかった東京都自民党員のところへ持っていき、「自民党デマを流している。これを見ろ」と証書を出し、相手は「すぐにやめさせます」と約束してくれて噂は消えていった。しかし、1度流れたデマの影響は大きく、都知事選の敗因の1つとなってしまった。

2024-10-20

横浜文字通り横に浜があったか横浜なのよ

なのよ。

https://anond.hatelabo.jp/20241018154926

画像で見たら一目瞭然なのだ

https://maps.gsi.go.jp/#14/35.444624/139.627604/&base=std&ls=std%7Crelief_free&blend=1&disp=11&lcd=relief_free&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m&reliefdata=03G6060F7G6GGG

今の横浜駅場所関内駅場所も水の底。M字ハゲだった頃の舛添要一みたいな地形で、野毛山や戸部の辺りが半島突き出していて、その隣に二つの湾が剃り込みが入ったみたいにあったのだ。

みなとみらい高島の辺りは近年の埋め立てで高くなっているが無視して欲しい。

というか、東京湾内の神奈川県多摩川河口の三角州以外ほぼ全域が、崖がストンと海に落ちる地形だった。これはリアス海岸のような沈降海岸の特徴でもある。

 

さて、そんな中に山下公園に接した、地下鉄元町中華街駅~日本大通り駅がある一帯が棒状に少し高くなっていて水に沈んで居ない事に気が付くだろう。更にその根元は外人墓地がある山手の丘の方から生えるようになっている。

これは砂州なんである。南の方から沿岸流が漂砂を持ってきて、湾状になっているので山手の崖海岸を延長するように砂州が伸びて来ていた。天橋立とかサロマ湖と同じだ。

まりはこれこそが「横浜」だったのだ。

この横浜砂州があるのでその内側はラグーンになっていて貝とかが獲れる。また周囲は崖海岸ばかりで船を係留するのに便利なのは横浜砂州しかない。

という事でここに横浜村という小さな漁村が出来た。

 

埋め立てて吉田新田

さてこの湾はラグーンで全域水深が浅いし、横浜入口を塞いでいる。この横浜って締切堤防に最適じゃね?

って事で江戸幕府江戸商人吉田さんにここの干拓事業承認を出す。横浜を延長してガッツリ閉鎖、土砂で埋め立てた。この辺はタウンニュースが書いてるので興味のある人はタウンニュースへ。

https://www.townnews.co.jp/0113/2017/01/01/363616.html

リンク先大まかな地図もあって、「横浜」も見える。横浜の先端付近馬車道駅の辺りだ。

 

横浜開港

こんな田舎埋立地だった横浜だが大転機が訪れる。

ペリー黒船がやってきて幕府に門戸開放を迫ったわけだ。幕府はイヤだったが大砲デカ動力軍艦で脅かされては何も言えない。

そこで江戸に近すぎると困るので距離が随分と離れて交通も不便だが不便すぎないという場所を探していた。そこで白羽の矢が立ったのが横浜ってわけ。

今の大桟橋の途中にある「象の鼻」はこの幕府が作った横浜港の防波堤だったものだ。

 

鉄道開通

横浜の名の由縁はこれで終わりだが、横浜駅横浜村が大きくずれてる説明必要だ。だからもうちょい書く。

幕府は倒れ明治政府汐留横浜の間に鉄道を敷くことになった。

さてここで問題になるのが、野毛山を挟んでもう一方の剃り込みだ。

話は前後するが、高島町駅から浅間神社を結ぶ、県道13号より南側幕末にすでに干拓されていた。

https://maps.app.goo.gl/nuiDnwfHNRUhaT2cA

平沼さんが3代に亘って工事をやった平沼新田岡野さんが2代でやった岡野新田などがあり地名として残っている。

すると陸地を通ると神奈川宿京急神奈川駅付近)→浅間神社高島町という迂回ルートになってしまう。

そこで、神奈川宿から高島町に掛けて海の中に土手を通してそこに線路を敷くという思い切ったコースにした。

終点横浜駅現在桜木町駅だ。

 

こうして嘗ての寒村だった横浜村には鉄道が来て倉庫街や歓楽街官庁街、商社街や異人街が出来て異人さんが闊歩するハイカラな街となったのでありました。

 

漂流する横浜駅

さて官製鉄道神戸まで延長される事になったのだが、ここで厄介なのは横浜駅(現桜木町)の存在だ。横浜駅から延長すると遠回りになるし港南区丘陵地帯を突っ切る必要が出てトンネル必須になってしまう。

から本線は神奈川駅から保土谷に直行して、横浜駅盲腸線扱いにした。でも大事な駅なので通過はできず、一度横浜に行ってから機関車を付け替えて神奈川に戻り、再度機関車付け替えで神戸へ、という運転をしていた。

クソめんどくせえ。

客もめんどくさいが貨物は更に、で運転系統がややこしいので横浜駅貨物が溜まりまくってしまい、神戸から送った荷物郵便汐留着が1ヶ月以上先、とかがザラになってしまった。

これに陸軍はぶちギレ。鉄道省に文句を言ったが改善しない。しかも当時の役人は元武家ばかりなのでメンツに拘り軍といえども罵倒なんてしたらエライことになる。

なので陸軍の持ち出しで保土谷→高島横浜という線路を敷いて軍の貨物は優先で動かせるようにした。

 

鉄道省も横浜駅の扱いの厄介さと滞貨には頭が痛かったので、盲腸線方式を辞める事にした。最初線路東側線路を新設し、陸軍が敷いた線路に繋げる。で、その繋げた辺りに横浜駅移転、元の横浜駅桜木町と改称した。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.456283&lng=139.626467&zoom=15&dataset=tokyo50&age=1&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

 

しかし見れば判るが港にも繁華街ビジネス街からも遠くて不便で、かなりの不評だった。

そこに関東大震災。新しい駅は木っ端微塵に崩壊してしまった。

そこで三度目の正直で、どうせ不便なら分岐点の方がいいだろという事で、今の場所横浜駅移転したのだった。2代目の駅は基礎だけが残っていて、マンションの公開空地として公開されている。

https://maps.app.goo.gl/ZCBUxiAJ9RwfSxvw5

 

3代目駅はもう最近まで海の上だったところで、全く何もないとんでもない場所で今で言う秘境駅だったが、今までと違うのは、帝都震災復興と開発計画が付随していた事だ。

市電が来て新しく開通する東横線京浜急行東海道線立体交差する様に建設されていた。ただ、駅の西側に残っていた水面の埋立地戦後米軍摂取されてしまった。

しか高度経済成長期に摂取解除されると商業ビルが一気に立ち並び、それで横浜=現横浜駅付近認識されるようになったのであった。

因みに駅西側に残った水面は平沼と呼ばれていた。平沼という地名が近くにあるので誤認されたものだ。元は平沼さん埋め立てしたところが平沼なので間違いなのだが、国が発行する地図にも平沼と書かれていた。

 

と、こういう経緯。

横向きの砂州横浜→埋立てで砂州消滅横浜開港鉄道横浜駅場所邪魔素寒貧海辺移転駅前米軍接収解除で繁栄→今はそこが横浜という流れ。

駅前徒歩2分くらいの場所に金港という港があるのもこういう経緯による。

2024-10-10

anond:20241010141610

徴兵制は以前は役に立たないと言われてたけどウクライナ戦争以来変わりました

行動喚起ウクライナから将来の軍隊への教訓 Call to Action: Lessons from Ukraine for the Future Force

https://milterm.com/archives/3836

米陸軍大学校研究者チームは、開戦から10カ月間に関する公開情報研究を行った。

チームはこの戦争から学んだ教訓を導き出し、米軍現代戦の要求適応するのを助けるために、この取組みを計画した。

1973年米陸軍戦略的変曲点(strategic inflection point)に直面した。

米軍ベトナム介入は米陸軍士気を低下させ、ソ連兵器を装備したエジプト軍ヨム・キプール戦争米軍兵器を装備したイスラエル国防軍をほぼ撃破するのを目の当たりにした。

これに対して米陸軍参謀総長は、従来のソ連の脅威を中心に思考とドクトリンを方向転換させるため、米陸軍訓練ドクトリンコマンド設立した。

組織は、1973年ヨム・キプール戦争研究し、コンセプトを開発し、調達と装備品の変更を推進し、近代的な戦争を戦うための陸軍を準備する任務を負った。

今日米陸軍は新たな戦略的変曲点に直面しており、米陸軍が次の戦いに備える根本的な方法を変える選択に迫られている。

国防組織20年にわたる対テロ戦争から脱却し、大規模戦闘作戦の将来を受け入れ始める中、現在進行中のロシアウクライナ戦争は、戦いの性質の変化を浮き彫りにしている。

それは、高度な自律兵器システム人工知能AI)、そして米国第二次世界大戦以来経験したことのない極めて高い死傷率を特徴とする戦いの将来である

ロシアウクライナ戦争は、米陸軍戦略的マンパワーの厚みと、死傷者に耐え代替する能力において重大な脆弱性を露呈している。

米陸軍戦地医療計画担当者は、戦死戦傷者、あるいは疾病やその他の非戦傷者に至るまで、1日当たりおよそ3,600人の死傷者が持続的に発生すると予想している。

ちなみに、米国イラクアフガニスタンでの20年間の戦闘で、約5万人の死傷者を出した。

大規模な戦闘作戦では、米国は2週間で同じ数の死傷者を出す可能性がある。

米陸軍採用不足と即応予備役の縮小に直面している。

採用不足は戦闘兵科の分野で50%近くもあり、1973年には70万人、1994年には45万人いた即応予備は現在わずか7万6,000人しかいない。

この数では大規模な戦闘作戦中の死傷者の交替や増員はおろか、現役部隊既存の空白を埋めることもできない。

まり1970年代の志願制による兵力というコンセプトはその賞味期限を過ぎ、現在作戦環境にはそぐわないということである

大規模な戦闘作戦必要兵力を達成するためには部分的徴兵制に移行する必要があるかもしれない。

ウクライナ侵攻当初のロシア軍の作戦成績が予想外に悪かったにもかかわらず、同軍は初期の深刻な挫折から学び続け、西側観測筋をいまだに驚かせるような方法適応している。

わずか5カ月足らずの間に、30万人以上の非活動予備役要員と8万人以上の新規志願兵を動員訓練雇用するロシア能力は、米国NATO同盟国が過小評価していた戦略的兵力能力重要さを示している。

簡単に言えば、ロシア21世紀の戦いにおいても量(mass)が重要であることを示している。

国家の動員能力は、同盟国にも敵対者にも決意を伝える最も重要方法ひとつである

ウクライナ戦場は同等またはほぼ同等の相手との21世紀の高強度戦(high-intensity twenty-first-century warfare)の憂慮すべき致死性を浮き彫りにしている。

ウクライナ戦場から得られた最も重要な観察のひとつは、緊急時既存の欠員を補い、死傷者を補充し、兵力構成を拡大するために、以前から訓練を受けた軍事要員を豊富に保持しておくことの価値である

米国は、現代戦の現実直視し、将来の同様の戦争に備えて、戦略的人材層の厚みを活性化させなければならない。

今日米軍採用危機に直面している。軍務に就くことを希望しているのは、軍務年齢にある米国人のわずか9%であり、軍務に就く資格があるのはわず23である

現状では、志願兵だけの米陸軍米国抑止力を維持するのに苦労しており、この軍種は大規模戦闘作戦(LSCO)が必要とする取組みを維持することはできないだろう。

加えて、米国には大規模戦闘作戦を支える産業基盤がない。

ウクライナへの供給でさえ、現在の軍需品製造を上回っている。

長年の「ジャスト・イン・タイム」がサプライ・チェーンを弱体化させた。

米国が将来の大規模戦闘作戦に関与する場合戦争に関与する国々はヨーロッパ製ではなく米国兵器使用する可能性が高く、将来の敵が補給線を危険さら可能性もあるため、ウクライナのように外部から支援可能かは不確かである

マイクロチップや軍需品製造のような産業事業継続性を確保するためには、危機時に供給制限したり競争者に売却したり米国に対抗して技術使用したりする可能性のある国ではなく、自国か最低でもカナダのようなアクセスやすく信頼できる同盟国の領土内で製造能力を維持しなければならない。

より多くの米国人が防衛インフラ仕事アクセスできるようになって初めて、米国は大規模戦闘作戦シナリオにおいて自国同盟国の両方に必要兵站上の能力容量を持つことになる。

2024-10-04

世界の弱い軍隊たち

きょうは世界の弱い軍隊たちを紹介するよ!

サウジアラビア軍

絶対的王政権力の集中しているサウジアラビアでは、アメリカ兵器を大量に購入しているよ。

ただしサウジ軍に求められるのはクーデターによる政権転覆を行わないことで、部隊間の連絡すらかなり制限がかかってるんだ。

イエメンに介入したときは何十もの中隊相互連携をとれずに大損害を被って負けたよ。

名目上は彼らがアメリカに代わってイスラエル保護するための戦力という扱いだったけど、無理なことが露呈したんだね。

最近イスラエル暴走は彼らの弱さが引き金といってもいいかもね!

イスラエル

イスラエル過去中東戦争や小競り合いで何度も勝利を重ねてきたよ。

でもそれは外交周辺国への調略による賜物で、軍隊はその時間を稼ぐだけしかできなかったんだ(役割は十二分に果たしている)

イスラエル軍、特に陸軍が弱い原因は2つあるよ

  1. 生存意欲の高さが作戦に支障を来すレベルで影響している
  2. 舐めてる

前者は兵器の開発思想運用特に悪影響を及ぼしていて、全ての前線兵士装甲車両に乗れるようにしてるんだ、

そのため作戦のために十分な数を集められなかったり、車両間の連携がうまく取れなくて戦術行動が難しいんだ。

そして2番目が影響してくるんだけど、アメリカ軍だとあまりに準備不足だと作戦が延期や中止になるけど、イスラエルは行っちゃうんだ。

神の軍隊が負けるわけないってね。負けてるよ!

でも政治外交で勝つから終わりよければ全てよし、で数十年と改革が進まないんだ。

中小国軍隊

ちなみに世界中小国軍隊は、先進国の1個師団ほどの規模すら平時は持たないよ!

世界の国の1/5が先進国の1個師団相当以下、

世界の国の1/2が3個師団相当以下しかないんだ。

実際には編成の関係で内訳は全然違うけど、頭数としてはそんな感じ。

日本平時26万人は十分軍事大国と呼べるよ。

イラク軍(-2016年)・アフガニスタン軍(-2021年)・ウクライナ軍

共通点はなーんだ?

答え:予算や動員計画アメリカに握られた軍隊

この3軍は戦闘力は決して弱いわけじゃないけど、汚職が酷かったんだ。

イラク軍は小銃26万丁を反政府勢力イスラム国に流したし、名簿はあるけど実際には存在しない幽霊兵士が最大5万人いたよ。

将校はそれで裕福な生活をしたかったんだね!

アフガン軍は有志連合への空爆要請私的利用することが横行していたんだ。

あいつはテロリストだ!って対抗部族攻撃させたりしたんだ。結婚式場の爆撃が有名だね。

アメリカ軍が基地の外に一歩でも出たら襲われたのも内通者ネットワークのおかげだね。

ウクライナ軍幽霊兵士がとても多いよ!

徴兵逃れで1小銭、兵隊亡命させて1小銭、逃げた兵隊給与で1小銭、儲けてる将校たちはそれで家を建てちゃうくらいなんだ。

結局みんな国家趨勢なんてどうでもいいんだね!

みんな弱くてみんないい

戦争なんてやめよう! 無駄無駄

2024-10-02

イスラエルレバノンに負けると思う

2006年の再来

前回はヒズボラだけでなくキリスト教徒共産党武装勢力まで祖国防衛のために参戦したし、

国防サボタージュした国軍からも装備や補給は潤沢に回された

戦力のすり潰しあいになるとイスラエル陸軍は確実に負けるので、それを嫌って作戦行動に制約が課された結果何も得られなかった

今回は占領目的にしてるけど、泥沼のゲリラ戦車両を失い続けて撤退する未来が見える見える……。

2024-09-27

anond:20240927102007

俺はアンチネトウヨだよ

アメリカを挟んで協力……出来てないかアメリカに怒られたりしてる状況なんだよね

韓国中国日本が絡んだ状況ではあんまり大人しくアメリカに従うとも思えないけどね大人しく従うならアメリカ怒らすような事しないしね

実際半島前線拠点はあったほうがいいが、韓国半島前線拠点になってはいけないと思うだろうよ当たり前だが中国と闘う理由もない中国側もない

でも中国台湾は別だから台湾有事な

韓国邪魔しなけりゃそれでいいというか、韓国陸軍の出番がどれだけある戦争になるのか全く分からん

一応韓国海軍もあるにはあるが……

上陸戦が始まるなら装備的にも中国側が攻撃側だろうし

2024-09-22

anond:20240921163704

鮮人いたる所めつたぎりを働く」「日本人男女十数名をころす」「横浜荒し 本社を襲ふ 鮮人のために東京はのろひの世界」…

 震災被害で紙面は1枚、裏表の2頁だけだが、1面のおよそ3分の1を「不逞鮮人」の記事が占めていた。

 誰もが情報に飢えていたときだ。こうした報道により、流言事実と化したといえよう(※1)。

 3日以降、関東一帯で朝鮮出身者らへの迫害が頻発する。神経過敏となった各地の自警団は、朝鮮出身者とみるや集団で取り囲み、殴打し、殺害した。

この事態に、治安維持にあたっていた警察軍隊驚愕(きょうがく)した。それまでの捜査情報分析で、流言の多くが事実無根と分かっていたからだ。

 警察軍隊朝鮮出身者の保護に乗り出し、千葉県習志野陸軍廠舎(しょうしゃ)や各地の警察署などに計約7千人を収容流言を戒めるビラを散布するなどして沈静化に努めた。

 だが、自警団などによる迫害はその後も続いた。

〜中略〜

3日に「不逞鮮人暴動」で紙面を埋めた東京日日新聞は、翌日以降は一転して自制を求める報道に努めたが、地方紙では流言を無検証に載せるケースが目立った。例えば栃木下野新聞は4日以降も「不逞鮮人各所に潜入」「水道毒薬を投入」「鮮人主義者が掠奪強姦」と書き続けている(※4)。

 先の大戦後、朝鮮出身者らへの迫害事件を振り返るとき政府警察非難するマスコミ報道が少なくない。だが、マスコミ自身にこそ大きな責任があったことを、深く自省しなければならないだろう--。

https://www.sankei.com/article/20181118-Y4LPERXWOJMZBOR2AKGDCEZQ3A/

当時の新聞ソースにしてるならそれデマだよ。

新聞事実無根の記事広めて虐殺煽った。

2024-09-14

anond:20240914221013

徴兵なんてしても軍事力は上がらないなんて10年も20年も前に言われてる。

間違い

行動喚起ウクライナから将来の軍隊への教訓 Call to Action: Lessons from Ukraine for the Future Force

https://milterm.com/archives/3836

米陸軍大学校研究者チームは、開戦から10カ月間に関する公開情報研究を行った。

チームはこの戦争から学んだ教訓を導き出し、米軍現代戦の要求適応するのを助けるために、この取組みを計画した。

1973年米陸軍戦略的変曲点(strategic inflection point)に直面した。

米軍ベトナム介入は米陸軍士気を低下させ、ソ連兵器を装備したエジプト軍ヨム・キプール戦争米軍兵器を装備したイスラエル国防軍をほぼ撃破するのを目の当たりにした。

これに対して米陸軍参謀総長は、従来のソ連の脅威を中心に思考とドクトリンを方向転換させるため、米陸軍訓練ドクトリンコマンド設立した。

組織は、1973年ヨム・キプール戦争研究し、コンセプトを開発し、調達と装備品の変更を推進し、近代的な戦争を戦うための陸軍を準備する任務を負った。

今日米陸軍は新たな戦略的変曲点に直面しており、米陸軍が次の戦いに備える根本的な方法を変える選択に迫られている。

国防組織20年にわたる対テロ戦争から脱却し、大規模戦闘作戦の将来を受け入れ始める中、現在進行中のロシアウクライナ戦争は、戦いの性質の変化を浮き彫りにしている。

それは、高度な自律兵器システム人工知能AI)、そして米国第二次世界大戦以来経験したことのない極めて高い死傷率を特徴とする戦いの将来である

ロシアウクライナ戦争は、米陸軍戦略的マンパワーの厚みと、死傷者に耐え代替する能力において重大な脆弱性を露呈している。

米陸軍戦地医療計画担当者は、戦死戦傷者、あるいは疾病やその他の非戦傷者に至るまで、1日当たりおよそ3,600人の死傷者が持続的に発生すると予想している。

ちなみに、米国イラクアフガニスタンでの20年間の戦闘で、約5万人の死傷者を出した。

大規模な戦闘作戦では、米国は2週間で同じ数の死傷者を出す可能性がある。

米陸軍採用不足と即応予備役の縮小に直面している。

採用不足は戦闘兵科の分野で50%近くもあり、1973年には70万人、1994年には45万人いた即応予備は現在わずか7万6,000人しかいない。

この数では大規模な戦闘作戦中の死傷者の交替や増員はおろか、現役部隊既存の空白を埋めることもできない。

まり1970年代の志願制による兵力というコンセプトはその賞味期限を過ぎ、現在作戦環境にはそぐわないということである

大規模な戦闘作戦必要兵力を達成するためには部分的徴兵制に移行する必要があるかもしれない。

ウクライナ侵攻当初のロシア軍の作戦成績が予想外に悪かったにもかかわらず、同軍は初期の深刻な挫折から学び続け、西側観測筋をいまだに驚かせるような方法適応している。

わずか5カ月足らずの間に、30万人以上の非活動予備役要員と8万人以上の新規志願兵を動員訓練雇用するロシア能力は、米国NATO同盟国が過小評価していた戦略的兵力能力重要さを示している。

簡単に言えば、ロシア21世紀の戦いにおいても量(mass)が重要であることを示している。

国家の動員能力は、同盟国にも敵対者にも決意を伝える最も重要方法ひとつである

ウクライナ戦場は同等またはほぼ同等の相手との21世紀の高強度戦(high-intensity twenty-first-century warfare)の憂慮すべき致死性を浮き彫りにしている。

ウクライナ戦場から得られた最も重要な観察のひとつは、緊急時既存の欠員を補い、死傷者を補充し、兵力構成を拡大するために、以前から訓練を受けた軍事要員を豊富に保持しておくことの価値である

米国は、現代戦の現実直視し、将来の同様の戦争に備えて、戦略的人材層の厚みを活性化させなければならない。

今日米軍採用危機に直面している。軍務に就くことを希望しているのは、軍務年齢にある米国人のわずか9%であり、軍務に就く資格があるのはわず23である

現状では、志願兵だけの米陸軍米国抑止力を維持するのに苦労しており、この軍種は大規模戦闘作戦(LSCO)が必要とする取組みを維持することはできないだろう。

加えて、米国には大規模戦闘作戦を支える産業基盤がない。

ウクライナへの供給でさえ、現在の軍需品製造を上回っている。

長年の「ジャスト・イン・タイム」がサプライ・チェーンを弱体化させた。

米国が将来の大規模戦闘作戦に関与する場合戦争に関与する国々はヨーロッパ製ではなく米国兵器使用する可能性が高く、将来の敵が補給線を危険さら可能性もあるため、ウクライナのように外部から支援可能かは不確かである

マイクロチップや軍需品製造のような産業事業継続性を確保するためには、危機時に供給制限したり競争者に売却したり米国に対抗して技術使用したりする可能性のある国ではなく、自国か最低でもカナダのようなアクセスやすく信頼できる同盟国の領土内で製造能力を維持しなければならない。

より多くの米国人が防衛インフラ仕事アクセスできるようになって初めて、米国は大規模戦闘作戦シナリオにおいて自国同盟国の両方に必要兵站上の能力容量を持つことになる。

2024-09-12

行動喚起ウクライナから将来の軍隊への教訓 Call to Action: Lessons from Ukr

米陸軍大学校研究者チームは、開戦から10カ月間に関する公開情報研究を行った。

チームはこの戦争から学んだ教訓を導き出し、米軍現代戦の要求適応するのを助けるために、この取組みを計画した。

1973年米陸軍戦略的変曲点(strategic inflection point)に直面した。

米軍ベトナム介入は米陸軍士気を低下させ、ソ連兵器を装備したエジプト軍ヨム・キプール戦争米軍兵器を装備したイスラエル国防軍をほぼ撃破するのを目の当たりにした。

これに対して米陸軍参謀総長は、従来のソ連の脅威を中心に思考とドクトリンを方向転換させるため、米陸軍訓練ドクトリンコマンド設立した。

組織は、1973年ヨム・キプール戦争研究し、コンセプトを開発し、調達と装備品の変更を推進し、近代的な戦争を戦うための陸軍を準備する任務を負った。

今日米陸軍は新たな戦略的変曲点に直面しており、米陸軍が次の戦いに備える根本的な方法を変える選択に迫られている。

国防組織20年にわたる対テロ戦争から脱却し、大規模戦闘作戦の将来を受け入れ始める中、現在進行中のロシアウクライナ戦争は、戦いの性質の変化を浮き彫りにしている。

それは、高度な自律兵器システム人工知能AI)、そして米国第二次世界大戦以来経験したことのない極めて高い死傷率を特徴とする戦いの将来である

ロシアウクライナ戦争は、米陸軍戦略的マンパワーの厚みと、死傷者に耐え代替する能力において重大な脆弱性を露呈している。

米陸軍戦地医療計画担当者は、戦死戦傷者、あるいは疾病やその他の非戦傷者に至るまで、1日当たりおよそ3,600人の死傷者が持続的に発生すると予想している。

ちなみに、米国イラクアフガニスタンでの20年間の戦闘で、約5万人の死傷者を出した。

大規模な戦闘作戦では、米国は2週間で同じ数の死傷者を出す可能性がある。

米陸軍採用不足と即応予備役の縮小に直面している。

採用不足は戦闘兵科の分野で50%近くもあり、1973年には70万人、1994年には45万人いた即応予備は現在わずか7万6,000人しかいない。

この数では大規模な戦闘作戦中の死傷者の交替や増員はおろか、現役部隊既存の空白を埋めることもできない。

まり1970年代の志願制による兵力というコンセプトはその賞味期限を過ぎ、現在作戦環境にはそぐわないということである

大規模な戦闘作戦必要兵力を達成するためには部分的徴兵制に移行する必要があるかもしれない。

ウクライナ侵攻当初のロシア軍の作戦成績が予想外に悪かったにもかかわらず、同軍は初期の深刻な挫折から学び続け、西側観測筋をいまだに驚かせるような方法適応している。

わずか5カ月足らずの間に、30万人以上の非活動予備役要員と8万人以上の新規志願兵を動員訓練雇用するロシア能力は、米国NATO同盟国が過小評価していた戦略的兵力能力重要さを示している。

簡単に言えば、ロシア21世紀の戦いにおいても量(mass)が重要であることを示している。

国家の動員能力は、同盟国にも敵対者にも決意を伝える最も重要方法ひとつである

ウクライナ戦場から得られた最も重要な観察のひとつは、緊急時既存の欠員を補い、死傷者を補充し、兵力構成を拡大するために、以前から訓練を受けた軍事要員を豊富に保持しておくことの価値である

同等またはほぼ同等の相手との21世紀の高強度戦(high-intensity twenty-first-century warfare)の憂慮すべき致死性を浮き彫りにしている。

米国は、現代戦の現実直視し、将来の同様の戦争に備えて、戦略的人材層の厚みを活性化させなければならない。

今日米軍採用危機に直面している。軍務に就くことを希望しているのは、軍務年齢にある米国人のわずか9%であり、軍務に就く資格があるのはわず23である

現状では、志願兵だけの米陸軍米国抑止力を維持するのに苦労しており、この軍種は大規模戦闘作戦(LSCO)が必要とする取組みを維持することはできないだろう。

加えて、米国には大規模戦闘作戦を支える産業基盤がない。

ウクライナへの供給でさえ、現在の軍需品製造を上回っている。

長年の「ジャスト・イン・タイム」がサプライ・チェーンを弱体化させた。

米国が将来の大規模戦闘作戦に関与する場合戦争に関与する国々はヨーロッパ製ではなく米国兵器使用する可能性が高く、将来の敵が補給線を危険さら可能性もあるため、ウクライナのように外部から支援可能かは不確かである

マイクロチップや軍需品製造のような産業事業継続性を確保するためには、危機時に供給制限したり競争者に売却したり米国に対抗して技術使用したりする可能性のある国ではなく、自国か最低でもカナダのようなアクセスやすく信頼できる同盟国の領土内で製造能力を維持しなければならない。

より多くの米国人が防衛インフラ仕事アクセスできるようになって初めて、米国は大規模戦闘作戦シナリオにおいて自国同盟国の両方に必要兵站上の能力容量を持つことになる。

2024-09-01

anond:20240901105938

西欧大学大手には植民地政策学とか地域政策学とか、あるのが常だが

日本大学国際政治学とか国際関係学とかフワっというよな

敗戦国学問の自由いか

医学権威大学で国際地域政策とか思えばコワいことだな

ジョンズ・ホプキンス大学アジア政策の教鞭を執っており、また軍人としても陸軍情報部の大佐を務めていた

2024-07-20

歴史上の事件で一番面白いのは

どう考えたって、満州事変太平洋戦争GHQ統治過程以上に面白いコンテンツなんか無いんだよな。

貨幣経済の導入により貧窮化していく農村出身者が、素朴な農本主義を抱いたまま陸軍に入って、テロリズムに走っていくのが面白い

陸軍士官学校を次席で卒業した超エリートでありながら、日蓮主義に傾倒して満州事変を起こした石原莞爾(著書のタイトルは『世界終戦論』 !)なんかは個性的過ぎて面白い

満州国なんか政府予算が付かなければ一巻の終わりなのに、手練手管を尽くして最終的に予算を付けさせてしまうのは、政治が上手すぎて面白い

・ よせばいいのに欧米列強利権が渦巻く中国国内で、じりじり勢力を拡大し、一触即発状態になりながら、陸軍内の勢力いから拡大路線を止められず、結局太平洋戦争に繋がってしまうのが面白い

陸軍の中でごちゃごちゃやってたところに松岡洋右が現れて、日独伊三国同盟日ソ中立条約をぱんぱんと決めてきてしまうのがすごくて面白い

戦後統治に来たGHQメンバーにごりごりのマルクス主義者が多く、マルクス主義の影響を受けた政策ががんがん実施されたというのも面白い

熱い、熱すぎる。これに匹敵するような面白いコンテンツがあれば教えてほしいものだ。

2024-07-11

anond:20240710182836

千葉もだいたいそんな感じ

うちの実家の周りではスタバショッピングモールも歩ける範囲には無いが

郷土史もよくわからない。明治時代陸軍駐屯地があって、その名残で今でも習志野演習場とかあったりするが、土地としてはよくわからない

今は都心あたりに住んでるけど、このあたりの郷土史はかなり面白い。色々古い本を集めたりしてる

2024-07-01

anond:20240629213013

大東亜戦争期の日本陸軍における犯罪及び非行に関する一考察

https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200703/5.pdf

これによると上官殺人については、代表的ものとして以下の事例を確認できる。

昭和17年1942年10月の広水鎮事件

場所: 中国中部湖北省應山県廣水鎭

概要: 輜重兵第3連隊第1中隊において、下士官7名と兵32名が中隊代理および中隊将校に対して集団暴行を行い、中隊代理殺害した事件

原因: 中隊代理過激軍紀粛正に対する反感が引き金となった。

処罰: 首謀者の曹長死刑中隊代理職権乱用の罪で懲役1年6ヶ月に処せられた​​。

昭和17年1942年12月の舘陶事件

場所: 中国北部山東省舘陶県

概要: 第59師団第53旅団隷下の独立歩兵42大隊第5中隊で、兵6名が中隊幹部に対して暴行を行い、中隊長を殺害した事件

原因: 転属命令に対する不服や飲酒によるもの

処罰: 本事件の詳細な処罰については記載されていないが、軍内で大きな衝撃を与えた事件として記録されている​​。

昭和18年1943年)の上官殺害

概要: 昭和18年度には、上官殺傷事件が合計で45名にのぼり、特に中隊長以上に対する犯行が多数発生していた。

原因: 上官の粗暴な態度、軍事能力の欠如、指導能力の不足などが原因として挙げられている​​。

殺人を取り上げたが、対上官犯の発生傾向を全般でみると、戦況の悪化に伴い増加していた模様。

昭和16年度の対上官犯は341名であり、前年の202名から約1.7倍に増加している。

昭和17年の上半期だけで、対上官犯は126件、152名に達している。

昭和18年度には対上官犯が428名に増加し、前年と比較しても著しい増加傾向。​

昭和19年には対上官犯がさらに増加し、1月から7月の間に既に347名に達しており、前年の一年間の総数に近づく勢い​​。

対上官犯の増加についての背景について、戦況悪化士気低下の影響と分析している。

ガダルカナル撤退後、第一線も後方も士気が低下し、対上官犯や奔敵逃亡が増加する傾向にあったという。

補給不足や飢餓状態士気を低下させ、逃亡者や対上官犯の増加に繋がったとのことだ。

戦闘が激化し、士気が低下することで、上官への反発や不満が顕在化しやすくなり、対上官犯の発生が増加したと考えられる。

これに対して、陸軍は戦陣訓による教育的指導意識改革を図ろうとした。(戦陣訓かよ。。。)

PDF・・・以上のような内容の文書のようだ(AIによると)。




なるほど。面白い

しかし、そもそも満州事変にしても陸軍中央の一部幕僚関東軍連携遂行され、それは政府陸軍首脳の方針に反して行われたものだったし、226事件にしてもクーデターだ。陸軍内部には長い間、皇道派統制派対立があってそれがクーデターにつながったもの

犬養毅首相武装した陸海軍青年将校たちが暗殺した五・一五事件1932年)の時点で、もはや【軍務による制約】がすでに機能していなかったといえる。首相殺害って上官殺しどころの次元じゃない。下剋上すれば何かを変えられると信じていたということだ。

日本陸軍歴史を振り返ると、ある意味組織に内在する”下剋上”的な雰囲気戦争へと突き動かしていたことがわかる。

それは当然ながら戦陣訓といった組織規律コントロールできる範疇を超えるものであり、根本的なガバナンスが問われていたことは間違いない。

そのダイナミックな動きをもっとも恐れていたのは昭和天皇だったかもしれない。

上記文書の対上官犯罪の増加について戦陣訓で対応したとあるが、こうして下剋上的な力学が全体で強く働いていたなかでは、戦陣訓ごときで風紀の乱れなど押さえきれるものではなかっただろう。

その戦陣訓を考案したとされる陸軍大将の畑は、昭和20年8月6日たまたま広島駅近くで被爆し、その体験をもって上京、御前会議の前の元帥会議に臨んだ。他の元帥主戦論を張るなか、ただ一人、本土決戦など不可能である旨を天皇陛下へ奏上、敗戦に至ることになる。

歴史にもしはないが、天皇陛下に奏上できる立場陸軍首脳が原爆被害に遭っていなかったら?・・・しかすると、当時の地震災害黙殺したみたいに、原爆被害も知らされず黙殺されて、もう数発くらい落とされていたかもしれないし、ソ連の侵攻も相当進んでいたかもしれない。

このことからわかることは、各都市が焼けようと沖縄がどうなろうと本土決戦を諦めなかったにもかかわらず、原爆威力を肌身で理解した元帥が奏上できたということは、人間誰しも当てはまることで、いくら想像力があっても、現場いかいかぎり現場のことはわからないということだ。

なお、畑に随行していた参謀宮城事件クーデター)に巻き込まれ青年将校殺害されたとwikipediaに書いてあった。

2024-06-30

anond:20240629213013

https://ja.wikipedia.org/wiki/蓮田善明

陸軍中尉でもあった蓮田は、太平洋戦争時の出征地・イギリス領マラヤジョホールバルにおいて、敗戦直後の連隊長の変節ぶりに憤り、隊長を射殺。その直後自身も同じ拳銃自決した

蓮田善明は16歳の三島由紀夫の出現を〈悠久な日本の歴史の請し子〉〈われわれ自身の年少者〉と祝福し、

〈悉皆国文学の中から語りいでられ[霊のやうなひと〉と紹介するなど、

三島は「親炙」した蓮田から、「やさしさのみを享け」、その印象は「薩摩訛りの、やさしい目をした、しかし激越な慷慨家」であった。

そして蓮田の説く鋭く犀利な〈皇国思想〉〈やまとごころ〉〈みやび〉に三島は強い共感を持ち、

敗戦と共に自決によつてその思想を貫き通した」人物として三島の中に刻まれ蓮田実践死生観三島の生涯に強い影響を与えた。

蓮田が2度目の召集の際、まだ若かった三島に「日本のあとのこと」を託したとされ、蓮田から託された「大事もの」は、

歳を重ねるごとに三島の中により強く復活してくることになった。

2024-06-09

anond:20240606184619

ブコメに返信

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240606184619

自衛隊は、いざというときは逃げる市民戦車で踏み潰してでも戦うみたいに言われたりもするけど、案外本当なのかも。

基本的にそのつもりは無いですし、邪魔からと踏みつぶすのはコスト高いので避けたいです。

ただ、一義的に、住民避難自治体仕事ですし、避難がうまくいかずに巻き込まれリスクはあると思います

そのリスク絶対回避したい場合は、防衛線国外に置くか(まあ、太平洋戦争みたいに結果的にうまくいかないでしょうが)、そもそも軍事的威迫を伴う要求は無条件で飲む(ただし、ある国の傀儡になれば、別の国の侵略をうけるリスクはある)という選択肢しかいかと。

首里から喜屋武半島撤退した段階で避難していた住民を大量に巻き込むことは自明だったので、この現地司令部判断については批判があって当然。ただ、相手米軍ソ連軍(またはPLA)かで正解は変わると思う。。

これは、同意します。

首里が落ちた時点で、軍事的にはほぼ意味のない状態に陥ってましたから、降伏してよかったと思います

長勇の攻勢が無ければ…

ザコの海空は秒殺されるけど俺たち陸の勤皇の志士がニッポンを守る!あとはアメリカさんよろしくお願いします!ってか。うーん戦争に負けたせいで戦前より価値観が歪になっとる。

ザコというか、空港レーダーサイトという固定施設に拘束される航空戦力は初期段階で、少なくとも攻撃正面での活動不可能になるということと、隠掩蔽不可能海上戦力は航空優勢下じゃないと活動できない、という当然のことを言っているまでです。

また、米軍の救援以外でも、相手の攻勢限界空自の復旧、海自活動再開という中での、逆襲も十分に考えられるかと思います

陸軍が敵上陸部隊を釘付けにしている間に、海軍補給線を叩くような連携が出来てたらまだ善戦だと思うけど、どうも陸海の縦割りを良しとしている風潮が続いているようで心配である

その戦争様態にもよりますが、先制攻撃からの大規模着上陸のような場合は、不可能かと思います

海自さんが、CDG級(=E-2シリーズ運用限界)程度の正規空母を何隻か持っているなら、話は変わるでしょうが

住民守らないんだったら存在意義無いのでは?不発弾処理ぐらい?

だと思うなら、EOD残して解体すればいいのでは?

まあ、自衛隊が無い日本列島を、諸外国がどう見るかは面白いとは思いますが。

そうだね、日本空港やらレーダーやら全部が一斉同時に破壊される前触れ米軍が気づかないなら完璧理論だね

当然に、大規模着上陸を伴う戦争では、米軍自衛隊も事前察知は十分に可能でしょう。

しかしながら、その攻撃明日始まるのか、1か月後に始まるのか、あるいは結局始まらないのか、というのは起きてみないとわかりません。

ウクライナ戦争でも「ロシア軍はいつでも侵攻できる」と専門家はみていましたが「いつロシア軍が侵攻するか? そもそも、侵攻があるのか?」というのは、始まるまで誰も答えられていませんでした。

だったら尚更幹部靖国なんか行くなって感じ。現代においても合理的活動してるって正々堂々反論すればいい。カルト尻尾振ってたら日頃の言動にも疑いが持たれても仕方ない。

これは本当にそう。靖国クソ食らえと、私は思う。

だが、靖国以外に、自衛隊員に対して「祖国のために笑って死ね」「お前らは正しい」と言ってくれる存在が無いので、それに依存するしかない。まあ、戦後平和日本において、自衛隊は鬼子なんですよ。

濡れた手で電線に触れば、感電するのは当然。と言いながら、それを放置している側を批判もせず、感電している被害者責任転嫁することが認められるなら、社会なんて成り立たないな。冷笑家はアナーキスト

自衛隊が「それを放置している側を批判」したら、越権も越権、下手すりゃクーデターでしょw

軍の本分は戦闘にありとキリッと冷笑ムーブ決めるなら、「勝てもしなかった軍隊が偉そうにフカすな」という批判も甘受するんだよね?まあ正直に書いてくれてありがとう。従来通り敬慕も信頼もしなくて済みそうだ。

はて、自衛隊は「勝てもしなかった軍隊」だった記憶は無いのですが? そもそも戦争してませんからね。旧軍の後継組織厚生労働省社会・援護局ですし。

幹候・幹部を騙らない点だけは好感が持てます // 降伏勧告黙殺して住民多数が無駄死にした上に、司令部が軒並み自決戦死でも「善戦」なら、何でもありですね。ゴキブリ退治のために家ごと全焼させても問題ナシ!

司令部が壊滅しても、有効な遅退作戦が出来たのは善戦だと考えます

あと、常に敵は降伏勧告してくるので(ロシアウクライナ降伏勧告をしている)、それを真に受けるのは無いでしょう。

沖縄は捨て石、時間稼ぎに使われた」と発言したら「大和を送ったり、沖縄を護ろうとしていた」みたいな反論死ぬほどくるが、こうした文脈だと「時間稼ぎ出来たので善戦(キリッ」みたいな掌返し辟易してる

私は、沖縄が捨て石だったことを否定しませんよ?

2024-06-08

国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代新撰組の扱い

明治時代新撰組庶民からどのように思われていたのかを調べるために、庶民の目に触れていそうな(?)雑誌記事だとか読み物だとかを抜粋していく。

明治10年『昔今豪雄見競鑑』

こちらは明治10年頃の「番付表」を集めた書籍のようだ。

『昔今豪雄見競鑑』は歴史上の英雄明治期の英雄を対比したものだが「都ノ猛勇 悪源太義平」と並んで「脱走ノ勇士 近藤勇とある

近藤勇ってどっかから脱走したっけ?と思ったが、幕府瓦解後の旧幕府軍のことを「脱走方」と言ったらしいのでそのことだろう。

同じく「古今英雄競」「本朝今昔英雄鑑」「古今英雄三幅対」などにも近藤勇の名が挙がっている。

このような番付でよく名前が挙がる程度には知られていたらしい。

明治16年『徳川義臣伝』岡田霞船

まずは近藤勇について。

近藤勇武勇衆に秀で当時其英名尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るる中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せずして敗軍なし残兵を率いて走りたるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇(いさみ)を捕へんとす勇(いさみ)力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる

新徴組と間違えられとるやんけ!

新撰組時代よりもその後の甲陽鎮撫隊時代のほうに力点が置かれた説明のような気もする。

土方歳三も紹介されている。

土方歳三幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を脳す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立たるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ。

新撰組について何も触れられてねえ!

とはいえ「義臣」と銘打っているだけあって悪いようには書かれていない。

明治18年『汗血千里駒』坂崎紫瀾

『汗血千里駒』は坂本龍馬主人公として、その名を一躍有名にしたという小説。その龍馬暗殺犯として近藤勇が登場する。

縦令ひ其不意を打ちたるにもせよ鬼神と呼ばれし海援陸援の両隊長をば斯く容易く一挙に斃し負せる其の手練と謂ひ肝気と謂ひ天晴れ日本一の剛の者と思はるるも実に理りなり彼の刺客は当時徳川将軍の御内に其人ありと聞えたる新選組の旗頭近藤勇等にてありしと

近藤勇とその腹心の土方歳三が、二人で近江屋に討ち入り、坂本龍馬中岡慎太郎を斬って、「そのとき義経少しも騒がず…」と高らかに謡いながら出ていき、今際の際にそれを聴いた龍馬が「あの刺客は只者ではない、彼らのような豪胆さがあってこそ大事を成せるのだろう」と慎太郎に語る、という描写があり、これがのちの様々な作品踏襲されていったようだ。

当時幕府の亡びなんとするは天の命なり民の望なり社会自然の気運なれば今は百の勇(いさみ)ありとも亦之を如何ともすることなきをば思はずして健気にも唯忠を己が仕ふる所にのみ尽さんとしたるは愚かにも又哀れとや謂わん

時代の流れに逆らって忠を尽くした健気だが哀れな武人…といった感じで「敵役でありつつ悪役ではない」という扱いに思える。

明治22年『女侠松竹梅』奥村玄次郎

偖は其方が近藤なるか。其方幕府を笠に着て国を憂ふる正義の士を多く害せし大罪人。此処で遇しぞ僥倖なれこれまで其方の手にかかり不幸にも寃に死したる正義の志士の忠魂を弔ふための復讐せん

お松・お竹・お梅という三人の娘が勤王の志士を助けて新撰組と戦う、といった話らしい。

こうしたいかにも勧善懲悪な読み物では「典型的な悪役」として描かれていたようだ。

明治26年『活文字』鈴木力・佃信夫

近藤勇の話

江川太郎左衛門が琴の譚に比らべて、劣る事なきは、近藤勇の謡なりけり、以て幕臣中の双美とこそは為す可けれ、左に説かむ。

武勇と剛胆とは、麾下九万の士人中、勇(いさみ)ぞ其第一位を占めたりける、さればまだうら若き身を以て、新撰組の頭領として、海内動揺の中心たりし京城鎮護の命を稟げ、一時其独力をもて、鷙悍狂躁の浮浪はらを打鎮め、幕廷擁護干将莫耶とは成りたりけり。

めっちゃ褒めるやん。

土方歳三は、豪邁不屈、肝気非常の男なれども常に勇(いさみ)を相輔けて、死生を共にせむ事を約し、巴港戦死の時に至る迄、其生前の交義を追想し、風吹く日雨降る夜ども、寒窓の下に俛泣し、時世は既に望なし、片時も早く、泉下に亡友を尋ねましとぞ歎ちけるとぞ、其人をしらまく欲せば、先づ其の友を見るべかる、この一斑の譚を見ても、勇(いさみ)が全豹をぞ推すに足る。

国粋主義系の雑誌らしいんだけど朝敵をこんなに褒めていいのか。忠義を尽くして死ぬ話がやはり好きなのか。

コラムの後半では坂本龍馬暗殺の話が書かれていて、この頃はやはり「龍馬を殺した男」という印象が強かったようだ。

明治29年『近藤勇の少年時代』中野三鷹子

『家庭雑誌』という婦人向け雑誌掲載されたコラムらしい。

著者本人が古老に取材したもので、幼少期の勇が近藤周助の養子に迎えられて「近藤勇」と名乗るまでを紹介している。

是より後のことは明治維新の史にくはしく、今更いふべき要もなし、唯其妻の事継嗣のことおよび処刑後の事并びに近藤勇と尤も関係ふかき土方歳三ことなどは、世に知られざるふし多しそは又時をかへて語らん。

として次号に「近藤勇の妻及子」、また別の号に「土方歳三少年時代」が掲載されている。

婦人雑誌でも「今更いふべき要もなし」と言うほど近藤勇知名度は高かったのだろうか。

花を浮べし徳川の流れの末荒浪立ち騒ぎて、二百六十余年は名残の夢となりける時、武士道の意気地を立て貫きて、板橋の草に赤きこころの血を染めたる近藤勇の名を知る人は、函館の浦吹く風に露と消えたる土方歳三の名を忘れざるべし。

かっこいい。

明治30年『幕府名士近藤勇』松林伯知

松林伯知は、永倉新八から『浪士文久報国記事』を借りパクした疑惑があることで知られる講談師で、新撰組講談主人公とした最初期の人物だったという。

巻末に「夢物語」と題した短編が収録されていて、それは函館に入った土方歳三が「公武合体成功した新政府のもとで陸軍を率いる近藤勇海軍を率いる坂本龍馬が仲良く会話する」という夢を見る、というifルート的な内容のようだ。胸熱

本編では、坂本龍馬暗殺したのは近藤勇ということになっているし、新撰組結成前に江戸近藤勇坂本龍馬が手合わせをしていた、というような場面も描かれている。

明治30年『坂本龍馬(名士伝)』竹林巌

少年世界』という、その名のとおりの少年向け雑誌掲載された坂本龍馬の伝記で、そこに近藤勇が登場する。

人と為り魁夷、斗酒を嗜なみ、勇悍独歩肝臼の如し。幕の末路に当り新選組の長となりて徳川氏の為め新日本の活舞台上に仇すること実に巨多なりとす。彼は常に歩百歩の外に潜行して西郷大久保坂本等を暗殺せんと睨むこと茲に年ありき。就中龍馬が大勇は向に新選組百有余人をして全く色なからしめ、以て其長たる勇(いさむ)の面目を天下に唾し去り。(中略)勇(いさむ)は今や血燃え、涙滾りて自から禁ずる能わず。すなわち刎頸の友、土方歳三を招きて何をか耳語すること久し。忽ち相頷きつつ頗る決色ありき。

として近藤勇土方歳三は、二人して坂本龍馬暗殺に向かうのだった、という筋立てになっている。暗殺の場面は『汗血千里駒』を踏襲している。

明治31年『新撰組十勇士伝』松林伯知

こちらも松林伯知の講談を筆記したもの

前述の『幕府名士近藤勇』には沖田総司永倉新八は出てこないが、こちらの『新撰組勇士伝』には登場する。

ただし、沖田が天才剣士だとか、そういうキャラクター付けはまだ無く、せいぜい「名前のある脇役」くらいの立ち位置のようだ。

芹沢鴨暗殺山南敬助切腹伊東甲子太郎との敵対池田屋事件などのエピソードはある。

また、こちらでは龍馬暗殺近藤本人ではなく「近藤勇の命を受けた佐々木只三郎」によるものということになっている。

京都見廻組佐々木只三郎らが龍馬暗殺したという説は明治2年には出ていたようなのでそれを取り入れたものか。

明治41年『二十世紀之京都』

京都観光ガイドブックらしいが、壬生寺についての紹介で新撰組言及がある。

節分には疫除祈祷の為め参詣者群れを為せり、去れば維新前後天誅組と称し近藤勇土方歳三など当寺に立籠り壬生浪士といへば婦人子供の戦慄せし当時を思へば御代太平を喜こばぬ者はない

当時の京都人の認識がうかがえるものの、「天誅組」といえば倒幕派武装集団なので新撰組とは正反対存在である

単なる勘違いなのか、それとも庶民あいだでは混同されていたのか。

明治44年『幕府名士近藤勇』『怪勇後の近藤』玉田玉秀斎

松林伯知のものと同じタイトルだが別の講談師によるものらしい。

こちらには沖田総司永倉新八斎藤一らも登場するが、池田屋事件の場面において、

中にも沖田惣司の働きに至っては実に目ざましい、此処彼処と戦ふて居りまする中に、最う最後と思ふ、折りしも何処からか一人の敵が、惣司の袖の下を潜って逃げんとする 沖田「己れッ………」と云ひながら躍りかかつて、エイッ……只だ一刀に斬って落とした、其の時に急に持病の肺患が起つて其の場に気絶をした

とあり、喀血ではないが、沖田総司の発病の描写があるのが興味深い。

同じ明治44年に刊行された鹿島淑男『新選組実戦史』(デジタルコレクションには1975年の復刊版しかない)にも同様の記述があり、そちらは新聞連載をまとめたものだというので、講談師が紙面で読んで取り入れたものか。

ちなみに『新選組実戦史』は吉島力『新選組顛末記』の元ネタで、『新選組顛末記』は子母澤寛新選組始末記』の元ネタらしい。

まとめ

明治の始めにはまず「近藤勇個人が知られ、「新撰組」はそれに従属する情報にすぎなかった。

・『汗血千里駒』によって坂本龍馬の人気が高まるにつれて、「坂本龍馬暗殺した男」として近藤知名度を上げた。

近藤の腹心として土方歳三が登場することは多かったが、それ以外の隊士たちはほとんど取り上げられなかった。

近藤は概ね「維新志士の敵ではあったが立派な剣士だった」と捉えられていた。

しかエンタメ寄りの勧善懲悪ものでは典型的な悪役を演じることもあった。

・やがて永倉新八の『浪士文久報国記事』などをもとに、近藤勇主人公とした講談が演じられるようになった。

明治末にはさまざまな証言資料が揃ってきてディテールが深まり近藤土方以外の隊士が取り上げられることも増えていった。

・やっぱり京都からの評判は悪かったらしい。

2024-06-07

anond:20240606184619

ネット軍師様「沖縄戦善戦したけど?旧陸軍舐めんなよ?」

(民間人9万4000人死亡 日本兵6万人死亡 アメリカ兵1万人死亡)

2024-06-06

陸上自衛官だけど、沖縄戦善戦だというのは妥当

陸自沖縄戦善戦した」 幹部候補教育方針に 住民被害に触れず識者が批判 市民団体の開示請求で判明

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1373064

この記事について。アホみたいなブコメが並んでるので、元陸上自衛官増田が、沖縄戦善戦と考える陸上自衛隊の考え方を説明するね。

なお、増田は元陸上自衛官だけど、政治的にはリベラル寄りで歴史修正主義戦前の美化には反対の立場だよ。

軍隊は一つ前の戦争に備える

軍隊というのは、一つ前の戦争に備えるという習性があるって言われているし、まあ、どんな仕事でも普通にやってるとそうなる。

陸上自衛隊で言えば、太平洋戦争島嶼戦)と日中戦争。で、日中戦争ゲリラ狩りの治安戦と、弱い中国軍相手無双みたいな感じで、(侵略戦争しない限りは)あんまり参考にならない。

太平洋戦争島嶼戦はというと、陸軍は敵上陸直後の脆弱状態を狙っての水際撃破を狙ってたんだけど、これは艦砲射撃戦車揚陸艦艇などの存在でさっぱり上手くいかなかったもんですな。あと、(クソ役立たずの海軍のせいで)海上交通路が絶たれて餓死というのが多かったけど、まあ論外。

で、逆に、うまくいったパティーンが、ペリリュー、硫黄島沖縄で、これは堅固な築城による陣地を構築し、艦砲射撃や爆撃を無効化、寄せてくる敵は緊密に連携した陣地で削り倒して遅退するってやつなんですが、めちゃくちゃ上手くいった。例えば、圧倒的に優勢な敵に対して、嘉数高地とかで善戦しまくったわけです。あ、湾岸戦争の73イースティングの戦いでイラク軍が似たような反斜面陣地やろうとしたけど、うまくいかなかったみたいです。まあ、準備不足だったし砂漠からムズいよね。

ただまあ、これは、戦略的に見れば防衛時間稼ぎにしかならんかったわけですが。

専守防衛本土決戦

で、戦後

わーくには、専守防衛という政策を取るようにしました。その結果、軍事的には本土決戦しかないということになりました。

海上自衛隊航空自衛隊がいるじゃないかという向きもあろうかと思いますが、空自さんは開戦初期に無力化されますだって空港レーダーサイトバレバレなんだもん。ミサイルなどのスタンドオフ攻撃やゲリコマで臨終です。で、海自航空優勢が無い場所で動けないので役に立ちません。だから陸上自衛隊は、空自さんが空港を復旧させて、移動警戒隊を展開して、敵の航空戦力が疲弊するまでの間、あるいは米軍が助けに来てくれるまでの間、航空優勢が無く、兵力に劣る中で、本土決戦地の利を生かして、なんとか粘れってことになります

陸上自衛隊のやりたかった戦争

そんなわけで、陸上自衛隊冷戦期において、沖縄戦を範にとるドクトリンを考え、そのための準備を営々と積み上げてきたわけでありんす。音威子府で2師団は壊滅する予定でしたが、師団自決予定地が決まってるという冗談があったぐらいです。

そんで、国民の皆々様におかれては、専守防衛という政策を取り、かつノーガード戦法ではなく自衛隊を設置している以上、当然に本土決戦覚悟しているはずで、屍山血河でキルレシオ100対1でも徹底抗戦してくれるはずなんですよね。

それは嫌だっていうなら、ノーガード戦法でどっかの国の庇護下(なお、侵略者平和主義byクラウゼヴィッツなのでなんでも言うことを聞く必要があり)に入るしかないっすね。ワシはリベラルから独裁中共はいやだけどね。

下級のアホ元陸の追記

だーかーらー、国民にはノーガード戦法でも対外侵略でも「専守防衛本土決戦」以外のオプション自由にあるの。主権者サマなんだからさぁ。

のしもべは、プロフェッショナルとして与えられた条件で最適解を求めるだけなの。というか、それ以外を考えてはいけないの。ましてや、政治的決断について実力組織が考えるなんてもっての外なの。だから、大モルトケの言う「いいえ、ただ私は軍事上の問題のみ気にかけているのです」って回答しかできないよーん。嫌なら防衛省設置法を廃止すりゃいいんですよ。

2024-06-01

anond:20240601181354

ほんまそれ

人間として育てられてない

サルと仲良くなりたい女なんかほぼいない

親は将来を考えれな視野狭窄ばかりだから男の子はこんなものよ〜とか男の子から自由に育てないと〜とか言い出す

専門家も出てこないし小学校幼稚園陸軍踏襲のままで中身が雑

2024-05-08

anond:20240508211227

アブストラクト

…県立防衛軍陸軍予備校だったかで敵キャラが鼻をかんだあとのテイッシュを開いて見せつけてきて「何にみえる?」と圧をかけてくる描写を思い出した

(いやアレはロールシャッハテストのもじりか🤔)

2024-04-17

anond:20240410135624

富野凄さ上流階級が動乱で下に落ちてきて上流で普通のことをやった結果が下流では凄かったって凄さからな シャア・アズナブルのネーミングとかな

本人の経歴を聞いたインタビューとか読むと陸軍先進的な研究開発要員だった親が~とか東大研究所の知り合いが~とかガチの話ばっかりだから そりゃ「地球から最も遠い宇宙植民地が反乱して月の背後にある重力的安定点にある植民地侵略地球に壊滅的被害を与える」なんてSFも書けるだろうなって話

他のガンダムは「機動戦士ガンダム」の二次創作だけど富野由悠季本人は何も無い所に「機動戦士ガンダム」というSFアニメーション脚本を一人で書いてるから、その功績が異様かつ巨大なのは当たり前

2024-04-10

anond:20240410181628

昔は陸軍海軍しか無かった

その次代のDNAがまだ根強く残ってるということだぞそれ

2024-04-01

anond:20240401114932

でも当時の陸軍海軍が別々にライセンス取った話とか組織が硬直化しちゃってあまりにも酷いよね

明治維新のあたりは暴力的ではあっても柔軟なので日本人がというわけではないのかもしれないけど

ウォーターフォールアジャイルもそうなのよ

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