はてなキーワード: マーキングとは
初めて君が家に来た日のことを今でもはっきり覚えている。
最初はベットの下にずっと隠れてなかなか出てきてくれなかったね。僕が見てないときにこっそり餌を食べに外に出てきてたね。
でも、1週間も経つ頃には警戒しなくなって、頭を撫でさせてくれるようになったね。
最初は出窓のところに置いてたお気に入りのカゴに入って寝てたけど、いつからかベッドに入ってきて、一緒に寝てくれるようになったね。そこから何十年、何千回も一緒に寝てくれたんだよね。
君が来てから半年後ぐらいに、ベランダに飛び出して、脱走しかけたことがあったよね。あれはびっくりして、下に落ちてないか急いでマンションの外に出たけど見当たらなくて、部屋に戻ったらベランダまで戻ってきてくれてたね。あれは何だったのかな。
就職活動中、元の飼い主さんに預けていて会えない期間が半年ぐらいあったね。あのときはごめんね。寂しかったよね。就職活動が無事に終わって、再会できたときは嬉しかった。君はどうだった?
実家に住んでたとき、本格的な脱走をしたことがあったね。寝てるときに寝ぼけて網戸を開けてしまってそのままにしてたから、大学に行ってる間に外に出て、出くわしたお父さんに驚いて走っていったんだよね。それから3ヶ月ぐらい家に帰れなくなって、大変だったと思う。その間は毎日君を探し回ってたんだよ。自分のせいとはいえ、もう君に会えなくなるかもと思って毎日胸が張り裂けそうだった。本当に帰ってきてくれてありがとう。
それから僕が就職で上京したとき、最初の数カ月は君を実家に置いたままにしてて、また会えない時期があったね。それでも毎日君に会いたくて、GWになった瞬間迎えに行ったよね。いつもいつも離れ離れにさせてしまってごめんね。
それからも、合計で10回以上も引っ越してるよね。この世に君以上に引っ越しを経験した猫はいないかもしれないね。引っ越しをしても新しい環境にすぐ馴染んでくれてありがとう。
君を飼い始めてから10年間くらい経って、それまでなんとなく去勢をしてなかったけど、君のマーキング跡を掃除するのがいよいよ大変になってきたから、去勢をさせてもらったよね。もとから高かった鳴き声がさらに高くなったりもしたけど、それ以外にも君にしかわからない辛さがあったと思う。人間のわがままでつらい思いをさせてすまなかった。
君は、僕が辛いときも、元気なときも、いつも隣りにいてくれて、その温もりと可愛さで安心させてくれたよね。就職活動の先が見えなくて不安に押しつぶされそうだった夜に、君だけはいつもと変わらずに僕にくっついて寝てくれて、君の存在に本当に助けられた。君のおかげでいまの僕があると思っています。感謝してもしきれません。本当にありがとう。
近い将来、君はこの世からいなくなってしまうかもしれないけど、君がいなくなって悲しんでくれる人が僕以外にもいると思う。突然新しい家族が出来てびっくりしたよね。君は奥さんのことをどう思っていましたか。短い時間だったけど、奥さんも君のことが大好きだったと思うよ。もし君がいなくなっても、きっと僕は大丈夫だと思う。だから安心してね。
もし君が生まれ変わって人間になることがあれば、必ず友だちになって、一緒にカフェで美味しいコーヒーを飲みながらおしゃべりしたいね。
本当に今までありがとう。大好きだよ。
「爺ちゃんの傍さ離れんなよ」
孫は聞いているんだか聞いていないのだか「うん!」と答えるが、その辺で拾った良い感じの木の枝を振り回し遊ぶ。木々が生い茂って独特の静寂さを持つ山中を老人とその孫、そして愛犬の五郎は進んでいった。
後年、知ることになるが本州の山林とは違い、ここ北海道の山は本州のそれとは違って非常に視界が悪い。本州の山林のほとんどは林業を営む方々が手入れをし真っ直ぐに樹木は伸びるが、北海道ではその圧倒的な森林面積により人の手が入っていない部分が数多く残り、文字通りの原生林として山の威容を示し、伸び放題となった木々は山中を行くあらゆる生命の視界を遮る。
老人とその孫の身なりは帽子、長袖長ズボン、長靴、本革製の手袋と手足首を覆う手甲と足甲は老人の妻、即ち孫から見れば祖母の手製だ。ハイキングならばまだしも老人と孫の装備は見るものが見ればひと目で生業を特定できる。猟師だ。可能な限り肌の露出を抑え、特に四肢を重点的に防護する見た目は娯楽ではない事を表す。
老人の右手には大鉈、左手には老人の背丈と同じ程度の狩猟槍、肩に猟銃を下げていた。孫は武器らしい武器はほぼ無いが猟に出る際にだけ持たされるマキリと呼ばれる小刀は腰に差されていた。マキリの持ち手には滑り止めを兼ねたフクロウを模した見事な装飾が施されており、この持ち手の作者は孫の目の前を行く祖父である。
この日は週のうちに何度も繰り返す山道の整備と捕獲罠の点検だ。祖父は大鉈で不要な草木を打ち払いながら進み、樹木の肌やその根本を観察する。昨今の報道でも知られるようにクマは樹木へ爪で傷を付け自身の縄張りを主張する。そして熊だけでなく多くの野生動物は排泄をする際に隠れるため木々の近くでする事が多い。
「爺ちゃんコレ!」と孫が樹木を指差す。孫はマーキングを見付けたと祖父へ伝えた。「おぉそうだよく見付けたべなぁ。クマが出っかも知れねぇから気ぃ付けろぉ」と孫を促す。当然ながら孫よりも先に祖父はマーキングに気が付いている。しかし孫の"発見"を褒めてくれるのだ。一応の確認として猟犬としてよく訓練された五郎へ目を配り何も反応がない事を知ると前へ進んだ。
いくつかの罠を巡ると、くくり罠に雄のエゾシカが捉えられているのを見付けた。祖父はそっと猟銃と大鉈を地面へ置き、槍を構えてエゾシカへ近付いた。そこそこの歳を重ねているであろうエゾシカはその場へ伏せていたが祖父を視界に収めると立ち上がるものの一切の抵抗を見せない。エゾシカはまさに威風堂々と言った立ち振舞いをし祖父を見つめている。祖父が音もなく踏み込み、首元から深く入るたったの一突きでエゾシカは倒れた。
馬ほどの体格を持つとは言え、素人目からするとたかが草食動物を容易に倒したように見えるが首元から様々な骨を避けて心臓まで一閃する達人の技だ。
実は昭和30年代に北海道で冷夏が相次いで森が飢饉状態となりエゾシカやヒグマ、キタキツネなど野生動物が人里へ大量に押し寄せる状態となったことがあった。その際に多くの民衆がヒグマに襲われるという事故が頻発し、若き日の老人は槍一本のみで日夜ヒグマを狩り続け、多いときには月に20頭以上、日に3頭ものヒグマを狩った。この若者は周囲の村落で大いに語られる槍の名手として名を馳せた。
その男気を聞きつけて槍を習おうとする男衆に混じり見物に来ていた女性は槍の名手の男に惚れ込んでそのまま押し入り女房となったという。それが孫の祖母である。
「奥義は下段」
孫は槍の名手たる祖父から毎日のように槍を習った。槍を習うとは言っても「まだ早い」と言われ穂の無い槍、すなわち単なる長い棒であり来る日も来る日も孫は祖父お手製の"槍"を振った。
祖父は口癖のように「奥義は下段」と言った。漫画の中で見るような敵を大きく吹き飛ばしたり環境大破壊を伴う派手な技でない。単に獣へ対して半身を取って穂先を地面すれすれに落とす構えこそが祖父の槍、アイヌの槍の奥義なのだという。
「槍を振った」と前述したが、実のところ槍を振り回すことはお説教を招く動きだった。「振るなァ!突かんかァ!」という祖父の怒号は今でも頭の中で鮮明に響き渡るほど毎度毎度同じ説教を貰った。
「突き引きが遅い!」「力任せに振るな!」「穂先を目線より上げんな!」「下段から何を出来るか考えれェ!」と覚えの悪い孫は何度も何度も同じ説教を受け続けたがコレがまたなかなか上手く出来ないものだった。祖父が用意してくれた的へ次々と素早く当てようとするとどうしても槍を振ってしまうのだ。
後年、孫は祖父の教えの真髄を1つずつ理解するようになってきた。
特徴と言えば祖父の槍、つまりアイヌの槍は内地(本州)の槍よりも短い。前述したが長さは使用者の背丈前後程度。これには理由があり樹木が生い茂る環境で内地の槍は振るうこと叶わず、まさに無用の長物となるのであった。内地の槍の長さは人間同士が平地で争うための長さだ。
これが理解できれば"樹木が生い茂る環境で槍は振るうこと叶わず"であり、槍は基本として突かなければならないというのも理解できるようになる。槍を振れば周囲の樹木へ当たる。しかも槍を使っているということは獣とまさに相対している時である。森林で槍を振るということは自らの死を招く愚行なのだ。
「下段を奥義」とするのも獣と相対した際の死活問題から来ていると今では推測している。半身で構える下段は体当たりしてくる四足の獣の動きへ穂先の反応が遅れたとしても槍の柄が使用者と獣の間に残り、槍の柄で防御へ転じられる。これが上段や中段の構えであれば穂先の反応が遅れた瞬間に獣の一撃を直接身体へ貰うことになるだろう。下段から何が出来るか?攻撃と防御が同時に出来るのである。
孫は何度か祖父が槍のみでヒグマを打倒するところを見たことがある。法令上、猟銃が使用できる範囲は限られ、猟銃使用許可のある場所であっても射撃方向に民家があると使用できなかったりするためだ。
「遠くへ行ってろ」と言われ祖父から離れるが、ギリギリ祖父を視認できる距離で見ていた。猟犬五郎は祖父の指示を受けるまでもなく孫が祖父から離れると護衛のように孫へついて行く。
奥義の下段を忠実に構える祖父の気迫は幼い孫が遠目で見ても物凄く伝わってくる。じりじりとヒグマとの距離を詰め、痺れを切らしたヒグマが祖父へ体当たりを敢行する。祖父の動きは音がしない破裂音である。パンッと鳴ったと錯覚するような鋭く素早い動きでヒグマの体当たりを回避したかと思えば、ヒグマは自ら後ずさりする。祖父の槍の穂先がヒグマの血で赤く染まっていた。
ヒグマの口から鼻先が切り裂かれているようだ。瞬く間に祖父はヒグマから後の先で呼吸を奪った。命のやり取りという極限のストレスの中で呼吸が難しくなるというのは息をする者にとってはかなりの重荷を背負ったことになる。時間が経てば経つほどにその巨体が自らに重くのしかかり、逃げることすら困難にさせる。
体当たりは分が悪いと悟ったヒグマは祖父へ怒涛の勢いで距離を詰め、右前腕での引っ掻きを狙うが右前腕の起こりに合わせ祖父は瞬時に熊の手を下段から貫いた。ヒグマはあまりの激痛からか唸りとも呻きとも取れる声をあげて四足を地へ付く姿勢に戻ろうとするが右前腕は軽く浮かせたままである。
三足となったヒグマは再び必死の体当たりを敢行するが祖父は素早く真横へ体当たりを回避し、三足となり横方向の動きが制限されたヒグマは祖父の動きを視線でしか追えず首へ必死の槍を受けた。祖父は力なく地へ沈むヒグマの様子を見ると距離を取り2分3分と下段の構えを解かずヒグマの様子を伺い続けた。
短いようで長い時間が経つと下段の構えを解き、祖父が手を振って終わりだと合図したことを察した孫は祖父へ駆ける。仕留めたヒグマは体調2mを優に超える大物だ。「すごいすごい!」と興奮する孫をよそに祖父はニヤリと意地悪く笑って孫へ「血抜きすんぞ」と告げた。
ヒグマはメートル100キロ、2m超のヒグマは200kg以上である。これを老人と幼き孫が気合いで持ち上げ木へ吊るして血抜きするのである。祖父との狩猟で最も楽しくないのが大物の血抜きという重労働であり「忘れてた!」と声を出さずともわかる表情を孫は浮かべた。
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父が「来月から毎日山を見て回るぞ」と言うので幼き日の思い出を書きました。
私が1人でヒグマを獲ったのは二十歳を越えた頃、何かあったときのために祖父が後ろで見守りながらだったという、祖父とは違って槍下手なのですが私程度であっても昨今の情勢で何か社会のお役に立てれば幸いかなと。
では、行ってきます。
消費する人の数だけ嗜好も指向もあって主体はする側にあるのに何でその被害性を対象のキャラ造形や描写で定義するのかどう理屈が通ってるのかわからない
それって性的興奮の責任を被害側に見出す蔑視的な視点での痴漢自衛論みたいなのと変わらないし本来は消費する側の主観的で自己完結的でしかないはずの行為に搾取としての能動的加害性を指摘するのは消費される対象への支配的強制力を併せて認めるものだしそれって言わば性的消費のエンパワーメントだし被害性を論うための相対的根拠として効果狙って用いられてるの普通に意味わかんないなって思う
男性の裸体表現が女性に向けた消費物であったとしてもある種のナルシシズムで受け取られるように本来公平には性的魅力は本人の自己愛の発露、生物的造形美としての意味性があって然るべきなのに消費被害の論において女性のそれは問答無用で男性のための性的消費物として扱われてるの本質的な女性差別蔑視的価値観の喧伝刷り込みでしかないからやめて欲しいなとも思う
所謂ノイズもそうやって消費する人達の好き"そうな"描写表現自体を加害性パッケージで定義したものであくまで被害を叫ぶ側のバイアスかかった漠然とした基準でしかないし
胸の揺れや女性的曲線美、クネクネしてるとかそれ自体は結局女性性を示す一表現もしくは性的魅力を伴うもの以上でも以下でもないのにそうやって「ノイズ」の定義に恣意的な個人のハードルでブチ込んで加害性をタグ付マーキングして流れ作業的にジャッジしてるのが最近の「フェミニズム」の傾向で、踝出してたら性的って時代から今変化してるみたいに性的忌避性はそのまま性的定義に繋がってて性的定義からの解放は対象の忌避性を意識させないまで日常化する事でしか得られないのに今やってる事と言えば真逆で女性の社会における性的受容性の観念的制限増と実を伴わない嫌悪感の生産なの地獄だなと思う
是非は別としても媒体によるターゲット層の違いなんかでゾーニングとしての表現変更はマーケティングとして真っ当だけど性的消費でノイズだから、は主観と客観区別つかなくなってるんだろうなって
消費物として用意された女性の描写が加害性を伴うって論についてもそれは元来のフェミニズムにおける性の消費問題であくまで男性への消費性に対して相対差による役割上のバイアス形成を前提にした「女性の性」を消費するから害なのでなく「女性」を性を消費するための存在として属性付ける観念傾向を害としたもので前時代の欧米の抗議性は相対バランス是正としてのアファーマティブアクションによるものだし欧米の場合は更にそこに宗教ラインの女性の性的魅力欲求を男性のためのものとした原理的観念がベースにあって女性性や女性の性=男性を性的に満たす役割って価値観そこからの脱却としてフェミニズム文脈での女性視点のセクシャルな表現解釈の自由獲得含めた性的解放に向かうわけで海外ではって言葉もよく聞くけど特にアメリカはコミックコードで元々開放的な表現を規制した結果女性の作家と読者が減って育たず男性に大きく偏った上での性的表現/男性に向けたマクロにおける相対的視点での性的表現性是正で女性作家の性的表現、女性向けの性的供給が男性向けに対して映像メディア含め欧米で進歩的に扱われて許容されるのもLGBTQ作品然りその偏りがまだまだ前提にあるからで、二次元表現における男女平等公平性、女性の性的能動性や創作における受容度からして進歩的な日本の状況でフェミニズム男女同権を謳って女性の性的な表現自体を厭うのはゾーニング論にしかなり得ず性的忌避的価値基準はそのまま双方へ働くわけでだからBLはどうだショタはどうだ女性向けのピンナップはって話になってしまう
保守的主張として性的に絶対的基準をって話ならまだしもそのゾーニングを個人的な快不快でフレキシブルに運用できると思ってるのは単純に考えなしで自分で首絞めてゲロ吐き散らかしてるみたいで迷惑だからやめてほしいと思う
ソープの話題が出てたのでChatGPTに調べて貰った。(DeepResearch)
ソープランドやデリヘルといった風俗店では、建前上「本番行為(性交)は提供せず、お風呂やマッサージだけ」を謳います。しかし実際には、個室で客と従業員が自由意志で恋愛関係になった結果として性交したという形を装い、店側が売春を斡旋していないと主張するのです。料金は「入浴料」などと称し、性的サービスそのものには対価を払っていないというフィクションで法の網をくぐっています。この「自由恋愛だから売春ではない」という業界の建前は、1986年の最高裁判決で明確に否定されており、経営者が「知らなかった」と言い逃れできないと判示されています。
本来ギャンブル禁止の法理念が事実上骨抜きにされ、事実上日本最大のギャンブル産業が合法的に存在している矛盾です。社会的にはパチンコが深刻なギャンブル依存症の原因になっており、本質的には賭博と変わらないにもかかわらず、グレーな状態で巨大産業として存続しています。依存症による家庭崩壊や経済的損失など倫理的・社会的問題も大きいのに、法の網をくぐっているため十分な規制・課税が及びません。また景品交換所は古物営業法の適用除外とされており(「盗品等の処分の実態がない」との理由ですが、実際には強盗や窃盗事件も発生しています)、制度の不透明さが治安面の懸念も招いています。
公職選挙法は選挙運動の方法を厳しく制限する法律です。戸別訪問の禁止や文書図画(ポスター等)の制限などが規定される一方で、選挙運動用自動車(選挙カー)による連呼行為は例外的に認められています。同法140条の2で「連呼行為の禁止」を定めつつ、「但し選挙運動用の自動車上では連呼してよい」と明記されているため、候補者名の連呼だけは走行中でも許されているのです。
この規定により、日本の選挙では選挙カーが大音量で候補者の名前を連呼する光景が定番化しています。公職選挙法は選挙運動期間を公示(告示)日から投票日前日まで、時間も原則朝8時から夜8時までと定め、それ以外の深夜早朝は活動禁止です。ただし拡声器の音量について明確な上限規制はなく、住宅街でも法定時間内であればいくら大音量でも違法ではないため、実質ノーガイドラインの状態です。その結果、各候補が少しでも有権者の耳目を引こうと最大音量で連呼を繰り返し、毎回の選挙で「名前を連呼するだけのうるさい車」が走り回ることになります。これは本来、公職選挙法が戸別訪問等を禁じた副作用とも言えます。禁止事項が多いため候補者は合法な宣伝手段として「連呼」に頼らざるを得ず、結果として騒音公害のような現象が合法化されてしまったのです。
2006年以降、民間委託の駐車監視員が違法駐車の取り締まりに当たるようになりましたが、彼らが対象とするのは主に運転者が離れた「放置駐車」です。そのため運転席に人が乗ったままの車は、たとえ長時間停車していても監視員は直接取り締まらないケースが多いのです。実際には「運転手さえ乗っていれば駐車違反にならない」というのは誤解で、運転者がいても5分を超えて継続的に停まっていれば法律上は駐車違反です。しかし現場では、監視員が車に近づきタイヤにチョークマーキングしようとすると運転手がすぐ移動してしまい証拠固めができないため、結局見逃されてしまいます。加えて警察OBいわく「緑のおじさん(監視員)はトラブル回避のため運転手が乗っている車はスルーするよう指示されている」節もあり、運転席に人を残したままハザードを点滅させて路上駐車するのが物流業者やタクシーで横行しています。「ちょっとの間なら…」と誰もがやりがちなグレー行為として半ば定着し、駐車禁止標識が形骸化しているのが実状です。
技能実習制度は事実上、認めていないはずの単純労働を外国人にさせる抜け道として機能しています。例えば農業・建設・介護など人手不足の分野で、開発途上国から来た実習生が3~5年間働きます。名目上は「技能の習得」ですが、実際には過酷な労働や長時間残業、低賃金で働かされるケースが多発しています。監理団体と送り出し機関を介し、中小企業や農家が直接雇用する形をとらない複雑な構造も不正の温床です。結果として実習生への賃金未払い・暴行・パワハラ等の人権侵害が後を絶たず、毎年数千人規模で失踪者(逃亡者)が出るなど闇が深い状況です。制度の恩恵を受けるはずの受け入れ企業からも「使い捨ての安価な労働力として酷使されるだけでなく、失踪リスクや手続コストもかかり、こんな制度はおかしい」と批判の声が上がっています。現に、「これは人身売買だ」とまで制度を非難する雇用者もいました。
日本は相当数の二重国籍者を黙認しているのが現状です。国籍法には22歳までに国籍を選べとありますが、選択しなかった場合の罰則はなく、役所から「選択宣言をしてください」という通知が来る程度です。また日本国籍離脱は本人の意思による届け出制であり、他国籍を取得しても本人が届け出ない限り日本政府は把握できません。例えば米国など第二国籍を取った日本人でも、日本には報告せず日本旅券を更新し続ける人もいます。政府側も海外で外国籍取得の情報を完全に把握する術はなく、結果として黙認状態が長年続いています。一部では、著名人などが二重国籍疑惑を指摘され問題化する例(2016年の政治家のケースなど)もありますが、そうしたケースでも最終的に国籍離脱を強制されることはまれです。つまり法律上は禁止だが事実上は放置という典型例になっています。
内容への反論ではなく、「弱者男性だから」という属性攻撃にすり替えた時点で、君の敗北は確定している。
議論の場で「うるさい」「だから○○は」と言った瞬間に、それは論理の自殺だ。
論点を提示せず、属性を罵倒するだけのやり方は、言葉の暴力でしかない。つまり君は、知性を使うことを諦め、ただの鳴き声で対抗しようとしたわけだ。
そもそも「弱者男性」という言葉を攻撃の道具に使っている時点で、君が持ち出しているリベラルやフェミニズムの理念と真っ向から矛盾している。
リベラルとは本来、声を持たない者や不利な立場にある人間の尊厳を守る思想だ。
それを「うるさい、だから弱者男性は」などという、感情のドブをぶちまけるだけの発言で踏みにじった君に、フェミやリベを語る資格はない。
お前がやってるのは議論ではない。相手の属性にラベルを貼って、脊髄反射で侮辱語を吐いてるだけだ。
これは議論でも対話でもなく、単なる言語的マーキング、つまり理性のマーシャルマーク放尿(ピス・オブ・デス)だ。言葉を持っているようで、実際には何も伝える意志も中身もない。
君の言葉からは何一つ、価値ある思想も、社会に対する洞察も見えてこない。あるのは、自分が優位に立ちたいという欲望と、それを満たすために他人を貶めるという手段だけだ。
ああ、やっと本音が出たな。「議論に来たつもりはなかった」「そういう姿勢が臭い」つまり、自分は関係ない立場からニヤニヤ煽ってただけってわけだ。
それ、議論の当事者を揶揄しながら自分は外野ですって装う、典型的な安全圏ポジション取りだぞ。
だが残念だったな。言葉を投げた瞬間、もう観客席から降りてリングに足を突っ込んだことになってるんだよ。
しかも「通じねえなあー」って、それはお前が感情と印象だけで煙を撒いてるから、こちらがわざわざ分析してやってるんだろ?
こっちは論理と言葉で構築したフレームで話してる。そこに対して「臭い」だの「通じない」だのと嗅覚と自己認識で応答してくるなら、それはもう議論じゃなくて動物のマーキング行為だ。
言葉の意味に変換すれば、「俺はこのノリが気に入らない」ってだけの情緒的反射でしかない。
気に入らないからといって、それを知的正当性のある批判と勘違いするなよ。お前の好みに他人が合わせる理由は存在しない。
最後に一つだけ教えてやる。
「議論に来たわけじゃない」ってのは、論破された者の逃げ道として最もダサいセリフだ。