2015-02-27(Fri)
教科書のページ数が増加
前ブログにも書いてきた事と重複しますが、小学校中学校の教科書のページ数が増加します
2割りから4割近く増量!
これを聞くと、すっげ―増えると思いますが、内容は・・・
・ゆとり教育になる前の水準に戻す
・練習問題を増やす
が主要な物って事のようです。
さらに教科書会社は、増やす内容も国から指示されていないので、これまでの内容を深く掘り下げたりする程度のようだ(各教科書会社に、掲載内容が委ねられている)
教える教師側も、増えた教科書によって授業時間が足りなくなるので、全て教えるではなく重要な点を取捨選択しながら教えないといけなくなるだろうとの事だ(「教科書 ページ数 増加」で検索していただけると、特に塾関係のHPがヒットし、詳細がわかると思います)
総合学習の時間が減る事から行事に充てる時間も厳しくなるものの、各教科に求められる目標に関わる授業なら、総合では無く教科として授業が出来るようだ。(教育基本法や学習指導要領・これらに関わるQ&Aを熟読してほしい)
途中です・・・のちに追記予定
追記20150305
追記する予定でずっと考えていました。
教科書のページ数が増加しても、生徒にも教師にも、それ程負担にはならないのではないかと…
学校へ行き、お話も伺ってきました
その結果、増加する教科書の内容に対応するのは相当厳しい状況のようです。教師のレベルによるところも当然あるでしょうし、生徒のレベルによるところもある。
授業日数が今年度よりも来年度の方が少なくなる事もある。
父母の側から学校教育に求められている物が「学力」と言う親が8割近くにのぼっている現状では、学力を落とす教育をすることはできない。
ここでの「学力」は数値で表せるような物だけで、人柄や人間性など社会に出て必要になる要素はあまり重要視されていない。
いくら伝統や文化を大切にする教育が重要と言ったって、中身を開けてみれば机上の事だけで済まさなければ時間が足りないようになっている
体験型の教育が重要と言ったって、体験する時間的余裕が無くて、学校教育の中で出来る状態ではなくなっている
国際的国際的とよく言われているが、良く聞くのは「英語力」のみで、そんなものはたいして重要ではない。
国際的に通用する教育ってのは、まず日本を知り、日本の言葉で、正しく伝えられることだと思っている。
いくら英語が出来たって、日本の文化や伝統も知らなければ、そして実体験が伴わなければ、表面をなぞっただけの薄っぺらな知識だけになってしまう
最近目にする「歩く図鑑」みたいな子ども
知識は豊富だけど、実際のフィールドではまるで役に立たないうるさいだけの存在
自分なんかから言わせると、うぜ~って感じでしょうか・・・(言葉悪いですが、ピッタリなので)
今の教育を進めると、そういう人間が増えるんだと思います
それはちっとも国際的でも何でもないです
どうすればいいのか。。。
国会議員を変える。選挙で教育に目を向けている人を選ぶ
都道府県や市町村役場の意識を変える
教職員のレベルを上げる
父母の意識を変える
社会を変える
とにかく声を上げ続けるしかないです
これからの社会を築いてゆく子どもたちが健全に成長して行くには、無責任に見守るだけではダメなんです
学校で出来なくなったことで重要だと思うものは、地域や家庭でフォローする必要が出てきます
でもそれは、選挙権のある人が無責任に国会議員を選んできた事に原因があります
今回いろいろ調べて、話を聞いて、納得いかない部分の原因は、すべて私たちが行ってきた事なのです
日本や地域の伝統・文化を、学校行事として子どもたちに実体験を通して伝えたくとも、厳しい現状がありますね。
調べた事については、小出しにしてブログでお話して行きたいと思っています
人間として大事なのは、偏差値で表せるような学力じゃない・・・
(う~ダメだ、全然まとまんない、眠い、午前2時、また後日…)
2割りから4割近く増量!
これを聞くと、すっげ―増えると思いますが、内容は・・・
・ゆとり教育になる前の水準に戻す
・練習問題を増やす
が主要な物って事のようです。
さらに教科書会社は、増やす内容も国から指示されていないので、これまでの内容を深く掘り下げたりする程度のようだ(各教科書会社に、掲載内容が委ねられている)
教える教師側も、増えた教科書によって授業時間が足りなくなるので、全て教えるではなく重要な点を取捨選択しながら教えないといけなくなるだろうとの事だ(「教科書 ページ数 増加」で検索していただけると、特に塾関係のHPがヒットし、詳細がわかると思います)
総合学習の時間が減る事から行事に充てる時間も厳しくなるものの、各教科に求められる目標に関わる授業なら、総合では無く教科として授業が出来るようだ。(教育基本法や学習指導要領・これらに関わるQ&Aを熟読してほしい)
途中です・・・のちに追記予定
追記20150305
追記する予定でずっと考えていました。
教科書のページ数が増加しても、生徒にも教師にも、それ程負担にはならないのではないかと…
学校へ行き、お話も伺ってきました
その結果、増加する教科書の内容に対応するのは相当厳しい状況のようです。教師のレベルによるところも当然あるでしょうし、生徒のレベルによるところもある。
授業日数が今年度よりも来年度の方が少なくなる事もある。
父母の側から学校教育に求められている物が「学力」と言う親が8割近くにのぼっている現状では、学力を落とす教育をすることはできない。
ここでの「学力」は数値で表せるような物だけで、人柄や人間性など社会に出て必要になる要素はあまり重要視されていない。
いくら伝統や文化を大切にする教育が重要と言ったって、中身を開けてみれば机上の事だけで済まさなければ時間が足りないようになっている
体験型の教育が重要と言ったって、体験する時間的余裕が無くて、学校教育の中で出来る状態ではなくなっている
国際的国際的とよく言われているが、良く聞くのは「英語力」のみで、そんなものはたいして重要ではない。
国際的に通用する教育ってのは、まず日本を知り、日本の言葉で、正しく伝えられることだと思っている。
いくら英語が出来たって、日本の文化や伝統も知らなければ、そして実体験が伴わなければ、表面をなぞっただけの薄っぺらな知識だけになってしまう
最近目にする「歩く図鑑」みたいな子ども
知識は豊富だけど、実際のフィールドではまるで役に立たないうるさいだけの存在
自分なんかから言わせると、うぜ~って感じでしょうか・・・(言葉悪いですが、ピッタリなので)
今の教育を進めると、そういう人間が増えるんだと思います
それはちっとも国際的でも何でもないです
どうすればいいのか。。。
国会議員を変える。選挙で教育に目を向けている人を選ぶ
都道府県や市町村役場の意識を変える
教職員のレベルを上げる
父母の意識を変える
社会を変える
とにかく声を上げ続けるしかないです
これからの社会を築いてゆく子どもたちが健全に成長して行くには、無責任に見守るだけではダメなんです
学校で出来なくなったことで重要だと思うものは、地域や家庭でフォローする必要が出てきます
でもそれは、選挙権のある人が無責任に国会議員を選んできた事に原因があります
今回いろいろ調べて、話を聞いて、納得いかない部分の原因は、すべて私たちが行ってきた事なのです
日本や地域の伝統・文化を、学校行事として子どもたちに実体験を通して伝えたくとも、厳しい現状がありますね。
調べた事については、小出しにしてブログでお話して行きたいと思っています
人間として大事なのは、偏差値で表せるような学力じゃない・・・
(う~ダメだ、全然まとまんない、眠い、午前2時、また後日…)
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