「青い花」に続く志村貴子原作のアニメ化。
繊細すぎる心理描写が徹底的に
積み重なった傑作回でした。今期のノイタミナ枠は個人的に熱すぎます!!
真剣に見ないと内容的に追いつけません!!
感想ヤマカンの次は
あおきえいと、スタッフ視点だと目が離せない今期のノイタミナです。
むしろ
「スーパー岡田麿里タイム」とも言えそうでしょうが。
女の子になりたい男の子・二鳥修一と、
男の子になりたい女の子・高槻よしの。
2人が自分の性別のことや友人関係に悩み葛藤する姿を描く作品です。
空の境界1章であおきえいの演出にガツンとやられ
喰霊-零-でさらにガツンとやられたあおきえいファンです。
ビジュアル的に美しかった夜桜。二鳥修一は夜桜のような人間なのかもしれません。
こちらもフラクタル同様に水彩タッチの淡いビジュアルデザインが秀逸ですね。おそらく原作の繊細なイメージを表現しているのだと思います。
最近の人気の深夜アニメの傾向の一つにハイコントラストの陰影が強い
ビジュアルが多く見られます(例:「禁書目録」「俺妹」)。
ただ、放浪息子もフラクタルも淡いビジュアル志向の点を見ると
2011年のアニメのビジュアルは淡い色使いの傾向も出てきそうです。この上記シーンの見所は、全クラスメイトがきちんと書き分けられている点ですね。
ただのモブではなく、全員に個性が有されている描かれ方です。
つまり今後の物語に彼らが全員関わる可能性があるともいえます。
こうした淡い色使いがデジタルでも違和感無く出来るようになったのは
制作者側がCGを使いこなせている傾向にあるのでしょうね。作品に合わせた色使いがCGで表現できるようになるのは良い事だと思います。、
それは、CG表現の進歩はより多岐に広い原作を扱える事も意味しますので。
こうした薄い色味の方がアニメを見ない一般人にはウケが良いのでしょうか。
ずっとアニメを見続けている私にはもうわからない感覚ですが、
その辺りの感覚をぜひ知りたいですね。
さてお話はサブタイトル通りのように
「おんなのこって なんでできてる?」という話がメインで進んでいきました。
性が分化し始める繊細な感覚を描こうとしているのがわかります。
本当に自分は「おとこのこ」なのか「おんなのこ」なのか。
その違いは「服の違い」なのかそれとも「気持ち」なのか。
そして最後に
「おとこのこって なんでできてる?」って返しが素晴らしかったです。
こうした「おとこのこ」になりたい「おんなのこ」の話と
「おんなのこ」になりたい「おとこのこ」の話が今アニメ化される意味は何でしょうか。まず、アニメ化される事は原作が好評であるであろうと予想されるます。
そしておそらく、性の中性化という時代背景があるのでしょうね。
「男性が女性に近づいていき、女性が男性に近づいている」とよく言われています。
最近の男性が草食系とも言われる事もありますが、
放浪息子の1話を見ていたら、こうした現代の時代背景で成り立っていると思いました。
一番多感な時期にそれぞれが
「おとこ」として
「おんな」としてどう生きていくのかの
スタートを描いていきそうな作品です。
でもテーマに対する明確な答えがこの作品で提示されるかどうかは別の印象でした。あくまで描写(心情描写)に留めて、「この作品は○○です」という感じはしませんでした。
それだけ見ている人の心持ちによって受け取り方が千変万化する作品なのかもしれません。
1話を見て、あおきえい流石って感じです。ヤマカンに負けず劣らずの演出力でした。
個人の好みだけをいえば、同年代の演出家の中から群を抜いたのではと思わせる印象です。
カメラワークの懲り方も凄いし、あの繊細な空気感をビジュアルだけでなく、
芝居でもきちんと表現していたのは凄いです。本当に凄すぎです。
今期は、ヤマカンとあおきえいがお互いをいい意味でライバル視して
双方の作品を刺激してくれると見ている側も楽しいですし、
ノイタミナもますます活性化するのではないでしょうか。
絵コンテ・演出:あおきえい 原画に新井浩一
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感想ヤマカンの次は
あおきえいと、スタッフ視点だと目が離せない今期のノイタミナです。
むしろ
「スーパー岡田麿里タイム」とも言えそうでしょうが。
女の子になりたい男の子・二鳥修一と、
男の子になりたい女の子・高槻よしの。
2人が自分の性別のことや友人関係に悩み葛藤する姿を描く作品です。
空の境界1章であおきえいの演出にガツンとやられ
喰霊-零-でさらにガツンとやられたあおきえいファンです。
ビジュアル的に美しかった夜桜。二鳥修一は夜桜のような人間なのかもしれません。
こちらもフラクタル同様に水彩タッチの淡いビジュアルデザインが秀逸ですね。おそらく原作の繊細なイメージを表現しているのだと思います。
最近の人気の深夜アニメの傾向の一つにハイコントラストの陰影が強い
ビジュアルが多く見られます(例:「禁書目録」「俺妹」)。
ただ、放浪息子もフラクタルも淡いビジュアル志向の点を見ると
2011年のアニメのビジュアルは淡い色使いの傾向も出てきそうです。この上記シーンの見所は、全クラスメイトがきちんと書き分けられている点ですね。
ただのモブではなく、全員に個性が有されている描かれ方です。
つまり今後の物語に彼らが全員関わる可能性があるともいえます。
こうした淡い色使いがデジタルでも違和感無く出来るようになったのは
制作者側がCGを使いこなせている傾向にあるのでしょうね。作品に合わせた色使いがCGで表現できるようになるのは良い事だと思います。、
それは、CG表現の進歩はより多岐に広い原作を扱える事も意味しますので。
こうした薄い色味の方がアニメを見ない一般人にはウケが良いのでしょうか。
ずっとアニメを見続けている私にはもうわからない感覚ですが、
その辺りの感覚をぜひ知りたいですね。
さてお話はサブタイトル通りのように
「おんなのこって なんでできてる?」という話がメインで進んでいきました。
性が分化し始める繊細な感覚を描こうとしているのがわかります。
本当に自分は「おとこのこ」なのか「おんなのこ」なのか。
その違いは「服の違い」なのかそれとも「気持ち」なのか。
そして最後に
「おとこのこって なんでできてる?」って返しが素晴らしかったです。
こうした「おとこのこ」になりたい「おんなのこ」の話と
「おんなのこ」になりたい「おとこのこ」の話が今アニメ化される意味は何でしょうか。まず、アニメ化される事は原作が好評であるであろうと予想されるます。
そしておそらく、性の中性化という時代背景があるのでしょうね。
「男性が女性に近づいていき、女性が男性に近づいている」とよく言われています。
最近の男性が草食系とも言われる事もありますが、
放浪息子の1話を見ていたら、こうした現代の時代背景で成り立っていると思いました。
一番多感な時期にそれぞれが
「おとこ」として
「おんな」としてどう生きていくのかの
スタートを描いていきそうな作品です。
でもテーマに対する明確な答えがこの作品で提示されるかどうかは別の印象でした。あくまで描写(心情描写)に留めて、「この作品は○○です」という感じはしませんでした。
それだけ見ている人の心持ちによって受け取り方が千変万化する作品なのかもしれません。
1話を見て、あおきえい流石って感じです。ヤマカンに負けず劣らずの演出力でした。
個人の好みだけをいえば、同年代の演出家の中から群を抜いたのではと思わせる印象です。
カメラワークの懲り方も凄いし、あの繊細な空気感をビジュアルだけでなく、
芝居でもきちんと表現していたのは凄いです。本当に凄すぎです。
今期は、ヤマカンとあおきえいがお互いをいい意味でライバル視して
双方の作品を刺激してくれると見ている側も楽しいですし、
ノイタミナもますます活性化するのではないでしょうか。
絵コンテ・演出:あおきえい 原画に新井浩一
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特に山本監督は「『喰霊―零―』をみてクオリティコントロールが優れているなって感心した。」と言ってあおき監督をかなり評価されている感じでした。