はてなキーワード: 孤独死とは
ホストクラブで発生してるのは女同士のマウント合戦なのでブスだとその時点で馬鹿にされてかなり苛烈に攻撃される
次に、お金をどうやってつくるかという問題があって、売春で作るしかないなら男から買われる程度の性的魅力は必要になる
推し活とかも似たりよったりで、ひっそりアイドル推してる分には非モテでもいいが、現場でゴリゴリやるには同性からある程度認められる程度の可愛さと資金が必要
本当の非モテ女が何をしているかというと、地元で非正規で働いて、ある程度は趣味も楽しみつつ、家事手伝いしてるね
コツコツNISA積立して親亡きあとに備えつつ、兄弟の配偶者に嫌われないように気を使って甥や姪との関係を良好に保とうとしてるパターンが多いね
「妥協してでも男と結婚しないと将来孤独死」とかキモ男は言うけど、最初からわりとあきらめてるから早々に老後に備えてるのが非モテ女の現実
このスレッドでは、「子供を異性叩き(性別に基づいた誹謗中傷など)をするような人間に育てないためにはどうすればよいか」という問いに対し、「産まないこと」が最も確実な解決策であるという悲観的かつ現実的な意見に多くの同意が集まっています。
スレッドの内容を、同意数(♡)の多い意見を中心に要約すると以下のようになります。
スレッドの冒頭から、「産まない(♡29)」という選択が最も有効な手段として提示されています。子供がどのように育つかは親が完全にコントロールできるものではなく、「化け物になっても許容するしかない(♡31)」という覚悟が親には求められると述べられています。もし子供が「化け物」になることを絶対に避けたいのであれば、「産まない以外に選択肢がない(♡30)」という考えに多くの賛同が集まっています。
「夫婦仲良くしている様子を見せる(♡0)」といった教育的なアプローチも提案されましたが、それに対しては「夫婦仲が良くても異性叩きになることはある(♡24)」と反論されています。また、ネット上には異性叩きの言説が溢れており、世界中でそのような状況が見られることから、外部環境の影響を遮断することの難しさも指摘されています。
子供を「老後の孤独死を防ぐため」や「看取らせるため」の手段として設けることについては、「残酷(♡15)」「今の社会では無理(♡19)」といった否定的な意見が目立ちます。現代では子供がいても最終的に施設で亡くなるケースが多いという現実的な指摘(♡27 ♡19)もあり、精神的・金銭的な負担(♡16)を考慮すると、子育てに希望を見出しにくい状況が語られています。
スレッド後半では、近年のネット上における女性叩きの論調の変化についても触れられています。
最終的に、「子供が異性叩きになるのを防ぐ方法はなく、それを100%避けたいなら産まないしかない(♡11)」という結論に帰結しています。スレッドの最後は、具体的な解決策が見つからないまま「方法無いの草」という言葉で締めくくられています。
このスレッドで語られる「子供を産む責任」には、主に「子供がどう育っても受け入れる覚悟」と、それができないのであれば「産まないという選択」をすること、という2つの側面が示されています。
総じて、このスレッドでは、親になることには「自分の思い通りにならない一人の人間を、最後まで引き受ける」という重い覚悟が必要であり、その自信がないのであれば産むべきではない、という厳しい責任論が展開されています。
Nスタの氷河期世代84人の人生グラフ見た。 氷河期世代の同窓会もそうだけど、この手のアンケートを表だって参加出来る時点で、氷河期世代の中でも上澄みに思えたのであいつに聞いてみた。
https://www.youtube.com/watch?v=nGlNBU3Haj8
テレビ番組のアンケートや同窓会に顔を出せるっていうのは、それだけで「社会的な繋がり」や「心の余裕」を維持できている証拠なのよ。本当のどん底にいる人間は、グラフを書く気力すらないか、そもそも透明化されて表に出てこないんだから。
なぜ「上澄み」に見えてしまうのか、主な要因を整理したわ。
| 層 | 特徴 | 調査への参加可能性 |
| 上層(上澄み) | 正社員・公務員、既婚、資産あり | 高い(同窓会の中心) |
| 中層 | 紆余曲折あったが現在は安定、または共働き | 普通(人生グラフが描ける層) |
| 下層 | 非正規雇用のループ、単身、低所得 | 低い(余裕がない) |
| 深層(不可視層) | 長期引きこもり、孤独死予備軍 | 皆無(社会的に存在しない扱い) |
結局、メディアが映し出す「苦労話」ですら、ある程度形になっているものばかりなの。あんたが感じた違和感は、「救いようのない沈黙」がそこには含まれていないことへの直感でしょうね。
必死に吠えては速攻で消すあたり、自分が周囲にどう見られているか怯えてるのが透けて見えてて最高にダサいぞ
誰も匿名のお前なんて認識していないのに「何度も言わせるな」なんて全能感に浸ってる姿は、現実とネットの区別がつかなくなった末期症状にしか見えない
こういった発言でしか自分の存在を証明できないんだとしたらあまりに哀れだ
・明らかな知的障害の症状だよねそれ。 ガイジの身分わきまえて?
・そんなんだから童貞のまま孤独死して黒い汁になるんだよお前w
「消せばなかったことになる」と思ってるんだろうが、お前が消した痕跡そのものが「またあいつ逃げたな」っていう嘲笑の対象になってることに気づけよ
残業してたら、普段全くと言っていいほどLINEで連絡取り合わない弟から着信があった。
なんだなんだ、と電話出てみたら
「ごめんね、仕事中?」
「いや、親父死んだわ。」
「マジか。え~。」
中東のドンパチで仕事が急激に忙しくなってたから、本当に今じゃないだろ死ぬのは、勘弁してくれ、という感想だった。我ながら薄情ではあると思う。
親の離婚が成立してから1年経つか経たないかくらいか、それすらも分からない。
お前に言われなくてもそうするわ、と憤りを覚えて既読スルーをかました。連絡を取り合ったのはこれが最後だったか。
以前より父親は酒癖が悪く、話聞く限りだと俺が家を離れて一人暮らしを始めてからも、その悪癖がエスカレートしているように思えた。
耐えかねて母親と姉は別居。
弟はしばらく父親と同居していたが、やはり状態は良くならず、程なくして家を出た。
父親の住む家にはまだ色々モノを残していっていたので、家族全員でそれらを引き取りに行ったのが最後に見た父親の姿だった。
暑くなりだした時期だったし、早々に引き上げようという感じで玄関を開けた。
キッチンには酒の空き缶空き瓶、さすがにその時はシラフだったと思うけど。
家の中はキレイだった。思えば俺が家を出る辺りから、病的に神経質になってあちこち掃除してたわ。
あんまり顔には出ていなかったけど、正直俺ら家族の来訪を喜んでいるように見えた。
正直、シラフの時は話せない仲ではなかったし、嫌いにはなれなかった。
神経質で少し気難しいから言葉選びはするが、それさえ気を付ければ気さくに話せる、そんな性格だったと思う。
母親や兄弟たちはそれが出来なかったというか、売り言葉に買い言葉。一緒に住んでいたらその辺難しいんだろうな。家を出ていた俺にはちょっと分からなかった。
ただ、離婚に関しては99%父親が悪いし、そこに関しては憎しみがあった。
母親は父方の家族との関係の悪化を懸念して、ちょこちょこ父親の様子を見に行ったり、気にかけていたと思う。
酒さえ断てばいつでもどうにでもできたと思っている。
俺も酒自体は好きだし強い方っぽいけど、父親みたいな感じで荒ぶるようなことは一切ない。
酒も飲むなと言われたら普通に断つ自信がある。
何でそれが出来ないんだろうかと不思議で仕方がなかった。
結局死因も酒だったみたいだ。急性アルコール性うんたらかんたら。転がっていたレシートを見るに、死後一カ月前後との事。
アルコール摂取量に対して体の処理能力に追い付かず、眠るように死んだのではないか、という検死結果。
いわゆる孤独死ってやつか。
思い出という思い出も特にはない。
ガキの頃キャッチボールをしていて、何を思ったのか調子に乗って野球素人の父親に全力でボールぶん投げて、それを取れずに腹にクリーンヒット。
バカ痛そうにしてこっちを睨みつけ、その後無言でイライラした様子だったので、キャッチボールは中断された。
思い出というよりは、どっちかと言うとトラウマ、そんくらい。
ガキの気まぐれとか、何かそういうものに露骨に嫌悪感を示していたのは覚えているし、基本的に子育てに向いていない性格だったんだと思う。
人付き合いも悪いわけではないが、それを心から楽しんでやっているというよりは、義務感に駆られてやっている感じ。
子供にスポーツを教えていたが、それも子供が好きというよりはそのスポーツが好きでやっていただけだと思う。
勤め先は流石に知っていたが、仕事内容は何してんだかさっぱり良く分からない。
が、それなりに名の知れたデカい会社で、俺ら兄弟の生活自体は周りの友達よりは恵まれていたと思うから、そこに関しては感謝している。
俺は基本的に1人が好きで、父親の血が流れているんだなと思う事が時折ある。
多分一人で死ぬことになると思うし、それに対して何の抵抗感もない。
周りから彼女いないの?って聞かれて、いないと答えた時の同情されるあの何とも言えない感じ、ほっといてくれよといつも思っている。
俺が仮に誰かと結婚して子供を授かりました、となっても父親と同じ踵を踏む未来しか見えない。
ネットでたまに見る、ウキウキで誕生日会の準備していたのに両親のいざこざで誕生日会を破壊されて、子供がすごく可哀そうにしているあの漫画の画像。
俺ら家族はあそこまで酷いもんではなかったが、子供にはあんな可哀そうな目にあってほしくないよな、普通に拗らせているかもしれないが。
こういう時って悲しむべきなんだろうな。
ただ、悲しみより安堵が勝つ、正直。
運転もかなり荒かったし、飲酒運転とかで人轢いたりして人さまに致命的な迷惑をかける前に静かに逝ってくれてよかった。
本当に何とも言えない感じで整理がつかないから殴り書きしてみた。
明日葬儀についての話し合いに参加するが、社会勉強だと思って行こうと思う。
取り敢えず今日はLoLでもするか。マジでこのゲームおもろいわ。親族が死んでも全然やめられない。メル気持ち悪いからサモリフから消えろ。
男が結婚や「父親になること」から降りる:寄生虫女にギャフンと言わせる素晴らしい行為!
女が結婚や出産から降りる:国にフリーライド!孤独死!子無し人生は悲惨!生き物として根本的に間違ってる!殺処分されるべき!産廃!女を大学に行かせるな!
M・M
2008年3月に娘が性被害に遭ったと告白してから15年の時が流れました。その年の10月に亡くなりましたので、ずいぶんと時間は流れたことになります。しかし、本当に短い時間であったという感覚があります。それには、娘が亡くなった時に、時間はすっかり止まってしまい、常に亡くなった日の事、今までに娘と過ごした日々が走馬灯のように頭に浮かび、それと同時に未来に一緒に歩むことのできる道はないのだと突き着かされます。それを考える事は非常に苦しく、考えないように防衛反応を起こしているのか、常にバタバタ動いている自分がいるなぁという実感がいつもあります。人に映る私は“いつも元気そう”なのですが、本当は亡くなっていることを認めたくない自分と戦いながら、明るく振る舞うことで、娘の事を聞かれるのを避けている自分がいます。
それでも生きていれば、さまざまな場面で、亡くなったことを自覚せざるをえません。例えば、携帯電話を購入しようとすれば、「家族割引」の話や、家族構成を聞かれます。銀行、郵便局、病院など、家族構成を問われる場面は本当に多いです。また、今頃の季節ですと、卒業、進学、就職などの話をスーパーなどで、お母さんたちがよく立ち話をされています。「娘が大学に進学して、寂しくなるわぁ。」「就職が決まって、県外に住むのよ。」「お兄ちゃんは、孫が生まれてねぇ。」そのような言葉を耳にする度に、吐き気と目眩がして、買物途中ですぐ支払いを済ませ、逃げるように家路に向かいました。ほとんど外出も買物さえできませんでした。そこで、出かけるときは主人と一緒に行くようにして、気分が悪くなったら、すぐに帰宅するようにしました。
また、家にいても苦しさは多々ありました。テレビをつければ、楽しく笑っているシーン。いったい何がおかしいのか、楽しいのか分からず、テレビをつけるのをやめ、新聞の購入もやめました。まるで私自身が笑われているような気持ちでした。そこには社会から孤立している自分がありました。このような状況が数年間続き、時間の経過と共に、少しずつできることが増えていきました。今は、一人で買物もできるようになり、テレビを観ることもできるようになりました。いつも心の中で「この状況に慣れなければいけない」とつぶやきながら、受け入れていったように思います。いや、受け入れざるを得ないというのが本音でしょうか。これが時間の流れだと思います。
次に、性暴力と自殺についての認識が時間の経過によって変化していったことをお伝えします。私は、娘が性被害に遭うまで自分の娘に性暴力や自殺というものが起こりうるとは全く考えず、無知そのものでした。この世の中は安心・安全だと、何の根拠もなく信じ、普通に生活をしていました。しかし、性暴力はとても身近な犯罪で、暗数を含めると実際には何倍もの被害があり、被害者本人だけではなく被害者家族を含む大きな問題です。他の犯罪と一番違う点は、まず被害に遭ったことを話せないという点だと思います。恥ずかしい、知られたくないという気持ちはなんとなく理解できるかもしれません。しかし、実際に誰かに相談するというハードルはかなり高いものです。また相談しても「なぜ逃げなかったの」、「声をだせなかったの」「派手な服装だったの」、「そのことは忘れなさい」など次々に被害者に非があるような言葉が投げかけられます。最近ではずいぶんと警察での対応は良くなってきていると聞いていますが、被害者からの目線とは遠いものだと思えます。
また、加害者についても、私の認識はずいぶん違っていました。娘の加害者は元教師であったのですが、どこかで聖職というイメージがありました。しかし、裁判で明らかになったのは、真反対の人物でした。裁判での加害者は、膝までズボンをまくし上げ、靴を脱いで貧乏揺すりをし、若い私たちの弁護士を大きな目で下からにらめつけました。また、娘を「男性関係が淫らで、短いスカートをはいていて挑発してきた」「恋愛であった」など、聞くに堪えないものばかりでした。当の本人が生きていても、耐えがたいものであったに違いありません。私はなぜ、こんな人間に終始おびえていたのか、今でも悔しくてなりません。娘の写真をばらまかれはしないか、インターネットに掲載されはしないか、娘にもう一度暴行を加えはしないだろうかと、起こりえるかどうか分からない不安に押しつぶされていました。
そして、裁判で苦しかったのは、娘の事を何も知らない某大学病院の医師が相手側についたことです。本人を診断しないでPTSD という診断に対して、反論されたことです。加害者が怖くてたまらないと不眠で苦しみ、襲われると言って苦しんだ娘を、何度傷つければいいのでしょうか。私は、HP で笑っている医師の顔写真を何枚も印刷し、鉛筆の芯が折れるまで何度も何度も真っ黒になるまで、塗りつぶし、上からつきました。
また、加害者に対してはもっと殺意を感じていました。“加害者を殺したい”という衝動に駆られ、さびた出刃包丁をタオルにぐるぐる巻いて、加害者宅まで向かおうとしました。しかし、運転中すぐに過呼吸を起こし、時速20㎞ぐらいしかスピードが出せず、後続車からクラクションを鳴らされて、やむなく帰宅しました。それと同時に、料理をしようと包丁を持つと、娘を救えなかった自分が許せず、手首を切りたい衝動に駆られました。右手を左手で押さえ、台所で何度も泣きました。
主人も同じ気持ちでした。相手側からの文書が送られてくるたびに嗚咽し、「はきそうだ。もう裁判なんかどうでもいいから、この手で殺してやる。」机をたたいて泣き叫ぶのを見て、「頑張ろう、もう少し頑張ろう。」と背中をさすりながら一緒に泣きました。決行できなかったのは、娘への愛と夫婦二人が同じ方向を向いていたこと、そして何よりいつも支えてくださった「かがわ被害者支援センター」の方々や弁護士の先生方が脳裏に浮かんだからです。殺人者になる一歩手前の状態でした。
裁判の途中で、和解を選ぶとしたら、もうこの裁判に耐えがたいと感じるからでしょう。さまざまな方向性の違いから、被害に遭った家族がバラバラになるケースは、多くあります。特に性被害の場合、立証が乏しくなる傾向があり、裁判を起こすことさえも、ままなりません。私たちが裁判という場で戦えたこと、勝訴であったことは今の生活に光が射したことに間違いありません。
そして、決して「自殺」についても「死にたい」のではなく、「どう生きていけばいいか分からないほど苦しいので助けてほしい」ということを今では理解しています。明るかった娘が、どんどん痩せて食事がとれず、それを見ていることは辛かったです。また、自殺念慮のある人には受け入れる入院施設も探すことは非常に難しいです。私は香川県全部の病院に電話をし、苦しい娘に代わって受診し、症状を伝えました。答えは「本人さんに来て、もう一度説明をしてもらわないと」、「昔に自殺しようとした患者さんに手こずった」こんな答えを何度も聞きました。そんな状態でも予約が2ヶ月先まで埋まっていたりしています。
性暴力はこれほど、人に影響を与える犯罪であり、性被害を受けた人の中でのPTSD の発症率は高く、自殺率も高いのが現状です。つまり、性暴力は権力及び支配であって、よくTV で言われている「性欲が抑えきれなかった。」というコメントには首をかしげるところがあります。子供への虐待と全く同じであるからです。私が裁判中に感じた「ねじ伏せられそう」な感覚こそ権力や支配力でしょう。
今までお話をすると、つらいとか苦しいと感じられた方がいらっしゃったかもしれません。しかし、決して悪いことばかりではありません。15年という月日を経て、この経験から多くのことを学び、歩き始めていると感じています。もし、このような経験がなければ、苦しいことを人前でお話することもなかったでしょう。性犯罪の実態を伝えることで、少しでも関心を持っていただき、抑止力になればという思いがあります。また自分自身も性犯罪を含め、さまざまな犯罪被害者、加害者、子供への虐待、孤独死など、さまざまな社会問題に目を向けるようになりました。そして何より家族の絆、大切さを感じています。少し嫌なことがあっても決して怒らない、毎日笑って、一日一日を大切に過ごそうと思っています。
小さな丸テーブルに夫婦二人向き合って、娘の話をしながら食事をすることが今一番の楽しみです。人にとって一番大切なことは、普通でいられること、穏やかであること、それが幸せだと娘が教えてくれたのではないかと時と共に実感しています。