はてなキーワード: MMTとは
https://anond.hatelabo.jp/20260129001009
の続きです
MMTでは一貫して、
と捉えます。
したがって回避策は、
中国は長年、
を大量に輸出してきました。
MMT的にはこれは、
※ここでは「輸出黒字=善」とは言っていません
中国は近年、
を進めています。
これはMMT的には、
外貨を稼ぐ前に、
です。
つまり、
ということです。
は主戦場ではありません。
なぜなら、
通貨は「受け取られる結果」であって
「覇権の原因」ではない
からです。
ロシアの最大の特徴はここです。
MMT的に言えば、
状態に近い。
制裁下でも、
これはMMT的に極めて正統な動きで、
輸入しない=対外制約が発生しない
という単純で強力な回避策です。
ここが重要です。
というより、
実物を確保できる状態を作ろうとしている
と整理する方がMMT的に正確です。
資源・自給
ように見えます。
中国とロシアは、通貨を操作することで対外制約を回避しようとしているのではなく、
対外制約そのものを小さくしようとしている
これが
MMTでいう対外制約(external constraint)とは、次の一点に尽きます。
自国通貨では買えない実物(輸入財・資源・技術)を、どれだけ確保できるかという制約
ではありません。
MMTでは一貫して、
制約は「お金」ではなく「実物」
ここからが核心です。
にあります。
「自国通貨で実物を引き出せる力」
です。
したがって、
ここが一番誤解されやすいところです。
つまり、
対外制約は消えないが、緩和されている
という位置づけです。
という点です。
あなたが感じている
そして、
MMTはそれを
という立場です。
MMTにおいて覇権とは、通貨の力ではなく、対外制約を他国より軽くできる実物・制度・軍事の総体である
これが
の中身です。
に続く
なぜ金利を動かすほどインフレが安定しないのか ―― ある村の寓話
※この記事はMMT(現代貨幣理論)の一部を理解するための寓話(比喩的創作)です。
ある村に、大きな「かまど」がありました。
このかまどは村全体を温め、料理を作り、人々の暮らしを支えていました。
火が弱すぎれば寒くなり、
村には「火の安定を守る役人」がいて、
彼はこう信じていました。
火の勢いは、蛇口の硬さで調整できる
この蛇口とは、
見た目だけは立派なネジでした。
坂道を少し急にしろ!
薪を運ぶのが大変になれば、火は弱まるはずだ
それでも
火は止まりません。
なぜなら、火が強くなった理由は、
だったからです。
火を直接見た方がいいんじゃないですか?
どこが燃えているのか、誰が困っているのかを
それは危険だ。
我々の仕事は蛇口を回すことだ
からでした。
その結果
村人は疲れ、
火は安定せず、
なぜ火を直接見ない?
なぜ必要な場所に水や土を使わない?
その蛇口は、ただの儀式ではないか?
村人たちは、ついに決めました。
蛇口を回す役人はいらない。
それより、火を見る係を作ろう
必要な分だけ水と土を運び、
人手が足りなければ皆で補いました。
その結果、火は暴れなくなりました。
蛇口です。
誰かが「制御している気分」になるための、
記念碑として
めでたし、めでたし
火を見ずに蛇口を回し続けることに近い。
@kanhan0110
@goto_finance
@KozoUeda1
@Masa_Aug2020
@Yuto_Headline
@nobutaro_mane
@jl175rv
@ABC87791035
@shenmacro
@willyoes
@KandaTakuya
@IsayaShimizu
@KoichFuj
@shiopii123
@shirakawa_love
@BigggDadyy
@Masa_Aug2020
Xで学べ!
https://x.com/search?q=%E3%83%A2%E3%82%BA%E3%83%A9%E3%83%BC&src=typed_query&f=live
おれがMMTerたちを厳選してやる!
@KeitaFuruya0612
@subaru286
@Mittotan1818
@programingoo
@wankonyankorick
@burovei
@Yl4i3Tkg7X40258
@ysw31120588
@monetaraisan
@goethe_chan
@wbmosler
・国債を財源のように発行する
前提を守るための作業。
・必要なら国債は **3ヶ月以内の短期証券のみ**(利払い目的)
MMTはそれをやめろと言っているだけだ。
最近よく目にするのが、
「量的緩和やYCC以降、金利コントロールが技術的に難しくなっている」
という説明だ。
制度的に複雑化し、運営が困難になっている、という話に見える。
しかし、MMTの視点から見ると、そもそも問いの立て方自体がズレている。
中央銀行は、
この前提に立てば、
「水圧調整が難しい」と言っているようなものだ。
・別の形(国債)に交換して
・また買い戻している
だけである。
だから、
という前提を捨てられないからだ。
国債を発行しないと財源がない。
この物語を維持するためには、
だからこそ、
主流派は長年、
・NAIRU
・自然利子率
といった概念を使い、
失業は「均衡」ではなく、
明確な政策失敗だと考える。
MMTの整理は一貫している。
・マクロ安定化のアンカーは雇用(Job Guarantee)
つまり、
→ 技術を磨こう
ではない。
「金利で何を達成しようとしているのか?」
と問い直す。
それは、
MMTは、
この幻想を取り払った上で、
政策の焦点を戻そうとしている。
その運用が難しくなったと嘆いているだけで、
これ↓に関する内容です
私は政府を家計や企業と同型の“資金制約主体”だとは採用していません。
自国通貨建てで支出でき、徴税権もあり、会計上は家計と違うのはその通りだと思っています。
ただ、その制度理解を採用しても、政府に制約がないわけではなく、実物資源・インフレ・為替/対外バランス・制度運用能力などの制約は残る、という立場です。
ここまで前提が合うなら、次の段階として確認したいのは、MMT側(あなたの立場)でいう「負け条件」です。
私は“主流派に翻訳して反証しろ”と言っているのではなく、あなたの言う制度前提(政府=通貨発行者、税は事後回収、制約は資源とインフレ)に立ったままで構いません。
その上で質問です:JGを名目アンカーとする制度構造について、どんな観測事実が出たら「この主張は誤り/修正が必要」と認めますか?(2〜3個でいいので、第三者が確認できる形で挙げてほしいです)
もしそれを提示できないなら、議論は経験命題ではなく規範(思想)の主張になってしまうので、そこをはっきりさせたいです。
増田さんの返答を読んで、私はこう理解しました。合っていますか?
1.私が提示した「制度記述(A)と政策含意(B)を切り分ける」という整理に対して、増田さんは違和感がある。
MMTの制度記述は価値中立な説明ではなく「国家という主体をどう定義するか」という前提そのもので、JGのような政策含意は任意の応用ではなく制度定義から論理的に導かれる帰結だ、という立場。
2.ただしそれは「JGを導入すれば常に成功する」「設計や条件を問わない」という主張ではなく、JGがどの設計でどの程度機能するか(賃金構造・インフレ制御・労働移動・行政能力など)は、歴史事例や制度比較、段階的導入によって検証・改善されるべきだ、という立場。
3.さらに、主流派が置いている「政府=家計型の制約主体」「失業=均衡調整」という制度前提そのものが現実の貨幣制度と整合していない、というのがMMTの問題提起であり、主流派モデルに翻訳したうえで「同じ形式の事前予測が出ないから非科学」と評価するのは、制度定義の対立を方法論の問題にすり替えているように見える、という主張。
――ここまでが私の理解です。
という整理になりますよね。
ただ、私が気にしているのは「検証は必要」と言いつつ、どんな観測事実が出たらMMT側の主張(少なくともJGを名目アンカーとする制度構造の優位)が誤りだと認めるのかという“負け条件”が固定されない場合です。
もし、制度記述から導かれる政策含意(JG・ゼロ金利固定・国債制度再設計など)まで含めて反証不能だと言うなら、それは科学というより規範(思想)の主張になると思うのですが、その整理で良いですか?
増田さんの書いていること、私は次のように理解しました。合ってますか?
1.主流派の批判(反証主義的テスト要求)は、MMTを「財政拡張を正当化するマクロ理論」として扱っている
でも増田さんの見立てでは、それはMMTの本体ではなく、すでに「主流派がMMTを別物に再定義している」ので批判として失当。
2.MMTの出発点は“減税や財政拡張の是非”ではなく、国家と貨幣の制度的な定義
具体的には、政府は「市場から資金を調達して支出する主体」ではなく、
通貨発行→(その通貨での納税義務)→実物資源へのアクセス確保
という意味で、社会的資源を provision(動員・調達) する主体だ、という前提(会計・制度の説明)を置く。
「コア命題の固定」「事前予測」「負け条件の明文化」みたいな“反証主義の要求”自体が、
MMTを主流派マクロに翻訳し直した上で、翻訳版が主流派の基準を満たさないと批判する方法論的循環
になっている、と言いたい。
4.さらにBさんは「主流派が provision をモデルに入れられない理由」を4点挙げていて、要旨はこう:
(主体定義) 政府を家計・企業と同型に置く主流派モデルの前提が、provision を入れると崩れる
(価格理論) JGなどを“制度的な価格アンカー”とすると NAIRU 等の枠組みが内側から否定される
(方法論) provision は予測誤差で勝負する命題ではなく、制度記述の正否の問題なので反証主義と相性が悪い
(帰結) provision を認めると政策含意(失業は政策選択、財政破綻論は虚構等)が大きく変わり、主流派の「価値中立」っぽさが保てなくなる
その上で、確認したいのは1点で、
増田さんは 「MMTは“制度記述の正否”として評価されるべきで、予測精度や推計による反証は原理的に適用不能」 という立場ですか?
それとも 「制度記述部分(会計やオペの説明)は記述として正しいとしても、政策パッケージ(JG・ゼロ金利固定・国債制度設計など)の含意は別途、因果推論や予測で検証されるべき」 という立場ですか?
私には、後者(記述の正否と政策含意の検証を分ける)なら、反証主義的な検証要求は“翻訳”ではなく、むしろ政策理論としての責任の話に見えます。
制度記述が正しいことと、そこから出る政策主張(例:ゼロ金利固定が望ましい、国債廃止が望ましい、JGが物価の錨になる等)が正しいことは別で、後者は反証可能な形でテストできるはずでは?
増田さんの挙げた例は、どれも「最初は傍流・異端扱い → その後に主流化」ですが、主流として受け入れられた“型”がかなり共通しています。
② 新説が「定量的な予測」や「決定的な検証(テスト)」を提示
④ その過程で「何が反証になりうるか」のルールが徐々に固まる
決め手は「天体の運動を一つの法則で統一し、予測が当たった」ことです。
ニュートン力学と万有引力は、地上の落下と天体の運動を同じ枠で扱える(統一性が強い)。
そして象徴的なのが、ニュートン理論を使ったハレー彗星の回帰予測(1758年頃)で、実際に1758年末に観測され、ニュートン理論の有力な実証例として扱われました。
ここで重要なのは「それっぽい説明」ではなく、“いつ出るか”を事前に言える(予測可能性)が強かった点です。
決め手は「熱機関の効率という工学的に検証される領域で、普遍的制約として働いた」ことです。
第二法則は19世紀中頃にクラウジウスやケルヴィンらにより整理され、代表的には「熱は自発的に冷→温へは流れない」等の形で表現されました。
これは“哲学”ではなく、蒸気機関などの熱機関の性能限界(どんな工夫をしても超えられない上限)として現場で繰り返し確認され、理論の信頼を固めました。
つまり第二法則は「実験室で一発」より、工学・化学での再現性と有用性が、主流化を支えたタイプです。
決め手は「原子が実在すると仮定すると出る定量予測が、実験で確認された」ことです。
19世紀末〜20世紀初頭まで、原子の“実在”には懐疑もありましたが、
アインシュタイン(1905)がブラウン運動を原子(分子)の運動に結びつけ、観測できる量(平均二乗変位など)に落とした。
その予測がペランらの実験で支持され、原子・分子運動論が受け入れられる大きな契機になった、という整理が教科・解説論文で繰り返し語られています。
ここは反証主義っぽく言うと、「観測できる指標への翻訳(操作化)」が勝因です。
決め手は「メカニズム不在の弱点が、海底観測データで埋まり、“決定的テスト”が登場した」ことです。
ウェゲナーの大陸移動説は「大陸の形が合う」「化石・地質が対応する」などの状況証拠はあった一方、動く仕組み(メカニズム)が弱く、北米などで強い反発がありました。
1950〜60年代に海底探査が進み、海嶺で新しい地殻が生まれ広がるという「海洋底拡大」的な絵が出てきた。
さらに1963年前後、海嶺の両側に地磁気の“縞模様(磁気異常の対称パターン)”が出るはずだ、という形で「科学的テスト」が明確になり、これがプレートテクトニクス確立の重要な一歩として整理されています。
このケースは、まさに「傍流が主流へ」の典型で、“良い話”が勝ったのではなく、“測れる予測”が揃ってひっくり返った例です。
決め手は「微生物の存在→感染→予防・治療の成功」までが連結して再現されたことです。
パスツールやリスター、コッホらの仕事が「病原体が病気を引き起こす」という枠組みの確立と受容に大きく貢献した、と整理されています。
具体的には、パスツールの実験が“自然発生”を否定し微生物の役割を示す方向で影響し、
コッホは炭疽菌などで「特定の病気に特定の病原体」という因果を実験で強く示しました(コッホの業績・方法論として説明されます)。
ここは理論の受容が、手洗い・消毒・衛生・ワクチン等の実務成果に直結し、主流化が加速したタイプです。
増田さんの列挙は「傍流が主流になった」という点では正しいですが、より重要なのは、
という点です。
私がMMTに対して言っている「反証主義の土俵に乗れ」という要求は、まさにこの主流化パターン(=科学史の勝ち方)を踏まえたものになっています。