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はてなキーワード: 黎明期とは

2026-05-10

ホッテントリ入りしてるログインの元編集者の人ってさ

黎明期ウェブで、ハーベイポストレスウェイト博士ホンダへ宛てた出師の表を涙ながら読んだ、とかそういういこと書いてた人と同一人物かな?

やたらと喧嘩腰の人でABCかにもよく喧嘩振ってたような気がするんだけど違う人かな。

2026-05-07

anond:20260507092439

ネット黎明期はかなり緩くオフ会文化も盛んだったし

メル友写真交換とかもしてた

文通とか、今は亡き駅の掲示板みたいな感じで現実の延長線上にあったイメージ

クローズドSNSが出始めた頃も似た空気だったよな

2010年代に入ると完全にネット日常の一部になって

特に若年層の利用においてプライバシー意識希薄になった

要するにリテラシーの欠如→成熟を繰り返してるってことなんかな?

2026-05-05

anond:20260505113205

CUDAが強いからね国産以前にAMDダメ これは黎明期からCUDA載せてた革ジャンの先見性の勝ち

2026-05-01

2026年新卒社員に思うこと

今の新卒って2003年まれか。

2ちゃんねるのビューアで自分投稿番号が赤くなるほど恥ずかしい思いをした経験もないし、

必死orgかなんか忘れたけどIDで板から別の板まで粘着されて気味悪い思いもしたことないだろう。

まとめブログ流行った当時も掲示板陰湿文化に触れたこともない。「ダム板?なにそれ?」だろう。

黎明期Twitter、生まれたばかりのInstagram、何もしてなくても知らなくても、いつの間にか

「誰でも情報を発信できる文化」が勝手に到来してきたって感じだろう。

子ども絶対数が減る一方で、ITリテラシー皆無なバカが増えた世代は正直羨ましい。

地位名誉があってもITリテラシーがなければ一発退場。ライバル勝手に自滅。

ってか自滅を仕向けるのも容易い気がするし。

2026-04-28

3タテ」は本当に「3連敗」のことなのか?

以下のように「3タテとは本来3連敗のことであり、3連勝の意味で使うのは誤用だ」と主張されることがある。

「3タテ」の正しい使い方でプロ野球ファンの間で議論沸騰 / X

ところが、その根拠は薄弱である

そもそも俗語で、発祥不明なのに、いったい誰が「原義」を確かめたのだろう。

「3連敗」説の傍証として提示されるのは、「もともと『3タテを食らう』という形で使われることが多かった」ということだが、考えてみればこれは根拠になっていない。

たとえば英語で「同一カード3連勝」を意味する「スイープ」だって、「スイープを食らう」と言えば「同一カードで3連敗した」という意味になる。

「3連敗する」という意味で「3タテを食らう」が使われていたとしても、それだけでは「3タテ」が「3連勝」の意味である可能性をまったく否定できない。

調べられるかぎり「3タテ」の最も古い記述は、1935年三田文学』の和木清三郎「わがスキイ」の記述だった。

佐佐木自称名人などは三たてといふのであつた。但し、香落だが······。

スニペットしか見られないので文脈がわからないが、これは「三連勝」の意味のようにも思える。原文を確認したいところである

1936年あみ・ど・ぱり』誌に掲載された、石黒敬七コラムには、ビリヤード文脈で出てきている。

この間、大阪から奥幸三郎旦那が出京して来たので、銀座で一キウ手合せしたところ、二百対七十でやつて見事三タテをくつた。


以降、1939年野球界』。

おまけにタイガースは春は優勝したチームだつたけど、秋はシーズン当初の不成績が祟つて、二位に落ちるチームだし、それに一度も勝てずに四タテを喰つたんぢや、チーム経営者の方から苦情の出るのは当り前ぢやないか


1940年尾崎一雄『猿の腰掛』。

雑務をやつてゐると、暉峻康隆君来る。碁盤を持ち出し、四目置かして三たてを喰はす。


1942年野球界』の山口幸一「日本野球打者論」。

殊に南海に四タテを喰はした事は圧巻的の活躍と云ふべく、之にはその鬪志の凝集によるものであつた。


3タテを食う/食わす」ではなく「3タテする」という形での用例も戦後には見られるようになる。

1957年ベースボールマガジン』。「広岡」とは広岡達朗のこと。

広岡 おもしろゲームをしようとは思わなかったけれども、四タテとは誰も思っていない。なにか四タテするんじゃないかぐらい思ったけれどもね。

これは巨人選手だった広岡が、日本シリーズで「西鉄に四連敗した」ことを言っている可能性もあるか。

1958年週刊ベースボール』。

開幕当初の調子がよかったころでも、4連勝目になると弱いチームにも奇妙にストップされる。第9節に大阪南海を三タテしたとき東映ストッ

こちらは明らかに連勝。

かの鶴岡御大1962年出版した『南海ホークスとともに』という本にもあった。

この18連勝のなかには、西鉄を三タテしたゲームも含まれている。

プロ野球黎明期から「3連勝する」の意味で「3タテする」という言葉が使われていたと言っていいようである

さら重要記述として、1961年の楳垣実『続語源随筆 江戸のかたきを長崎で』のなかに3タテ」の語源に関する言及がある。

たて この語については、福原麟太郎先生からおたずねにあずかった。「ヂャイアンツ広島に三タテをくった」などと使う「たて」である野球ことなどに詳しい方に聞いてみたが、よくは分からなかった。大阪で老人などが、碁とか将棋とかで、「二タテやった」「三タテやった」という使い方の「タテ」という語を、「二回続けての勝ち」「三回連続の勝ち」という意味で使ったことがあると、長沖一さんから教えていただいた。まったく見当はつかないが、その大阪ことばと関係があるのかもしれない。そしてまた「立てつづけ」という語とも関係があるのかもしれない。しかし「三回立てつづけの勝」が「三たて」と略され得るかどうか、疑わしい。

これにより、1961年時点で語源がわからなくなっていたこと、もとは囲碁将棋用語可能性があること、「3タテ」が「3連勝」の意味だった可能性があること、「3タテは連敗の意味のはずだ」という疑問は持たれていなかったこと、などがわかる。

以上からすると、「3タテは3連勝のことだ」とまでは決められないものの、少なくとも「3タテは3連敗のことだ」と言い切ることは難しいのではなかろうか。

2026-04-27

AIで疲れが限界に達したと感じる。

中学生の時にはインターネットがあって、YouTubeニコニコTwitterもあって楽しかったけど、いっぱい嫌なことを知った。

人間の汚いところとか、どうしようもなく悪い人間がいることとか。それでも精神的に未熟だったのもあるし、法的に裁かれてることも多かったし、ちゃん謝罪してるのを見てきたから、まあ、なんとかなってた。

でも、生成AIAI倫理的に難しいことが多い。俺はもっと慎重になるべきものだと思ってるけど、そう思わない人が、まるでライフハック自慢してるかのように使ってて、俺たちは賢い、お前らはバカだーみたいなことやってるの見て疲れちゃった。

今はAI黎明期で、いつか法整備されて落ち着くんだろうけど、この時代が俺にはきつい。逃げ出したいし、孤独になった気分になる。

このままだと自分が潰れてしまいそうだからSNSやめるべきなんだろうけど、もうSNS日常から、やめるのも難しい。心療内科相談したけど、スマホ触るのやめた方がいいよって言われた。分かってるんだけどやめれない。

2026-04-24

AIの無断学習が騒がれてるが、ネット黎明期地獄絵図を知らない層が多すぎる。

当時のネットは今の比じゃないレベル無法地帯だった。

特に初期のYouTubeなんて映画の丸上げ、テレビ番組の垂れ流し、公式MV無断転載が当たり前。検索すれば何でもタダで見られたし、運営も「とりあえず後で消せばいい」というスタンスで、著作権なんて概念は死んでいたに等しい。WinnyNapsterに至っては、もはや「共有=善」という狂った空気すらあった。90年代まれオタクは全員YouTubeエヴァを履修したといっても過言ではない。

そして今のAI批判でよく使われる、無断学習に伴う「人のふんどしで儲けている」という理屈

これ、当時のGoogleYouTubeが「他人コンテンツを利用して巨大企業になった」ときに浴びせられた批判完全に一致している。だが結局、世界はその利便性を選び、後から法整備が追いつく形で今のインフラが完成した。

今のAI騒動は、そういった歴史再現に過ぎない。

今の時代に「AIは糞だ」と言い続けてもいい。

ただしそれは、過去時代に「インターネットは糞だ」と言って、変化を拒んで消えていった人間自分が重なっていることだけは、自覚しておいた方がいいぞ。

2026-04-21

罪悪感を持って買う男

数年前の話になる。

特定されないように所々ボカシて書くが、大学では社会学を専攻していた。

卒論ではテーマ売春にした。当時から立ちんぼのような存在は既にあって、当時は黎明期のような状態だった。

どうして人は売春をするのか?

このテーマ研究するうえで、一つの疑問に思い当たった。

それは売る側、つまり女性側の声に関しては数多くの証言があるものの、男性側の声は全くと言っていいほど存在しないのだ。

この歪な非対称性をどうして扱ってこなかったのか。私の研究では、逃げずにそこへ焦点を当てる…つもりだった。

実際に現場へ繰り出してみると、その原因はすぐに判明した。

売る側の女性は話しかけると意外なほどフレンドリーで、彼女たちは自分出自を訥々と、ときには嬉々として語ってくれる子もいたほどだ。

それに対して男性の方はどうかと言えば、全く話を聞かせてくれないのだ。

買った女の子ホテルへ向かう途中の男性に声をかけたことがある。ホテルから出てきた男性にも声をかけたことがあるが、どちらも全く聞く耳を持たない

彼らは何も聞こうとも、話そうともしない。なかには逃げ出す男性もいたほどだ。

こうした経験からはっきりと断言できるが、彼らは罪悪感を持っている。自らの行為良識に反することであると、自覚しているのだ。

それならばなぜ買うのか?その理由は分からない。全く、何一つとして語ろうとしないからだ。

自ら罪を背負う彼らのことを、誰が断罪するのか。

立ちんぼといった女性顕在化し、売春がより公のものとして行わてしまっている今だからこそ、改めて問うべき問題なのだと、私はそう思う。

個人が作ったアプリゲームが売れない理由

 個人で作ったアプリゲームなんか売れないとか言う奴はよくいるけど、個人が作ったアプリゲームが売れない理由は大きく次の2つだと思う。

そもそも売ろうとしていない

 アプリゲームを売ろうと思ったら、どうやって他人お金を払ってもらうのか考えなくちゃいけないんだけど、それをすっ飛ばして思いつきをそのまま作ったりしてる。思い付きを起点にした企画否定しないけど、検証されていない思い付きには価値なんかないよ。それをそのまま作ってたら、そりゃ失敗率99.9%にもなるだろうよ。

スキルがぜんぜん足りていない

 じゃぁ、売ろうとすれば売れるのかといえば、もちろんそんなことはない。出しさえすれば注目を集められた黎明期アプリだと2009年ごろ)でもなければ、素人が「売ろう」と思ったところで、売れる企画なんか作れない。プロデューサープランナーを「営業」と呼んで小馬鹿にしているエンジニア(笑)には想像つかないかもしれないけど、思い付きの検証にもスキルがいるんだよね。実装グラフィックスデザインについてもそう。粗悪品と思われない程度には仕上げる必要がある。個人アプリゲームを作ってそれなりに成功している人たちに大手IT企業ゲーム会社での勤務経験があったり、超高学歴だったりすることからもわかるように、高額な有料セミナープログラミングスクールに通った程度の素人じゃだめだよ。「普通の人」よりは頭ひとつ抜きんでている必要がある。それがないなら年単位努力をするしかない。

個人で作ったアプリゲームなんか売れないとかネットに書いちゃう奴の心理

 自分プロデュース能力皆無な上に、ご自慢の「アプリ開発歴」も素人に毛が生えた程度無能だってことを認めたくないんだろう。それでいて、まだ結果の出ていない相手に対しては「なに夢見ちゃってんの~(笑)」とか上から目線説教できると思ってる。

ダッセーなぁ!おい!(笑)

15年もやってんのに芽の出ない低能はすっこんでろってのwww

https://anond.hatelabo.jp/20260419113552

アプリで儲けようとしている人に、アプリ開発歴15年から言いたいこと

anond:20260421134830

黎明期youtubeを始めたか

なんでもそう、有名になる媒体最初からいる人は自動的に有名になる

代名詞存在から

2026-04-19

くりえいたって名前

インターネット黎明期にいたメンヘラドラッグ関係の人との名前と被ってるけどいいのか。漢字が違うけども

2026-04-18

【衝撃】初代モナーリファクタリング、1時間しかかってなかった

ここ15年で一番おどろいた事実だわ。

https://web.archive.org/web/20000707014811/http://www.2ch.net/test/readall.cgi?bbs=kitchen&key=946877995

たった1時間ちょっとでここまでやれるのか!

すさまじい才能。やはりネット黎明期は化け物ぞろいだな・・・

2026-04-15

anond:20260415182229

その視点は、AI技術を巡る議論の変遷を鋭く捉えていますね。初期と現在では、批判の「矛先」が質的問題から構造的な問題へとシフトしていると言えます

この現象は、主に以下の3つの段階を経て変化してきたと考えられます

1. 黎明期技術的未熟さへの嘲笑

最初は指の数が多かったり、背景が歪んでいたりと「不気味の谷」が目立っていました。

2. 発展期:学習ソースへの倫理的疑念

AIの精度が急速に向上し、人間と見分けがつかないレベルになると、批判は「なぜこんなに上手いのか」という背景に移りました。

3. 現在存在意義市場の浸透への抵抗

精度が極まり、誰でも短時間で高品質画像を生成できるようになった結果、現在はその「効率性」そのもの批判対象となっています

  • 批判内容: 「魂がこもっていない」「誰でも出せる絵に価値はない」「市場を壊す」といった、文化的価値観の衝突です。
  • 心理: 精度が高いからこそ、「絵を描く」という行為の聖域が侵されることへの強い拒否反応が生じています

変化の本質

多くの反AIにとって、精度が低かった頃の批判は「AIが脅威ではないことを確認するための盾」であり、現在の精度の高さへの批判は「AI実質的な脅威になったことへの剣」なのだ解釈できます

「下手だからダメだ」と言っていたのが、いざ上手くなると「上手すぎる(ズルい・盗みだ)からダメだ」となるのは、論理的一貫性よりも、「自分職能アイデンティティを守りたい」という生存本能に近い感情根底にあるからかもしれません。

2026-04-13

かぐや姫!を観た、マジで超酷かった!

令和型のセカイ系サイコパス

はっきり言って『都合の良いZ世代のガキ』 みたいな、令和のキモいところを凝縮した作品だった。

令和型のセカイ系――

「ちゃちゃっとエモくなんでも解決ちゃおう!」

私たち一所懸命合法からハッピーエンドが当たり前だよ!」的な、超効率主義の超ドライっぷりがすごいんだよ。

要するに『平均的で弱い一般大衆』を踏み台にして、遺伝子の良さ、メイクマネー能力、親から与えられた文化資本を総動員して、なんでも秒速で攻略ちゃうと。

であるから、描かれていない物語の裏側で、とんでもない数の罪なき人々が、雑に淘汰されているんだよ確実に。

しかも、昔のセカイ系と違って、痛みも葛藤ほとんどなくて「せっかくの人生なんだから、全部奪い取ればいいじゃん」って勢いなんだよ。それもヨゴレ役をやらずに、光属性ファッションにしたまま、何もかもを得ようとしてゆくと。

主人公の態度としては「最低限の法と道徳倫理は守っているから、わたしら以外のザコな一般人は知りませんよ?」的な、ぎとぎとの冷酷さが伝わってくるんだよ。新時代サイコパスを決めるなら、こういう奴らだろうね。

その証拠に、主人公彩葉17歳JKが、視聴者から投げ銭をあぶく銭、水物呼ばわりして、もう一人のヒロインかぐやも「でも合法でございましょ」って切り返すんだけれど。

冗談抜きの話、こいつらって生き様キャバ嬢ラウンジ嬢なんだよ。手練れの売女ってくらい「私は一所懸命」「私は苦しんでいる」「私は生きる為に必死」という大義名分で、もうそれだけで感情労働をしているから、どんな奇跡が起きようとも、どんな大金が舞い込もうとも「必要以上には感謝しませんよ!」って冷え切った流れ。

なので、超かぐや姫を一言で言い表すと『整形手術した人の笑顔』だね。

ハイスピードで展開する、外面だけ美しい歪んだ物語

でね正直な話、超かぐや姫、SF設定はむっちゃ面白いのに、各キャラクターの深掘りがあまりにも薄くて、あらゆる事が超早送り――ダイジェストで進むもんだから貧困毒親配信業もメタバース仮想世界)も、全部ぺらっぺらなんだよ。

そのせいで2時間22分もあるのに、唯一、緊張感のある場面って、彩葉が疲れて風邪を引くシーンだけ。でもって大規模な戦闘シーンなんかも「知らない奴らが知らない技を使って知らない世界で、いつまでも戦ってんねぇー」としか思えないんだよ。

例えるなら、僕が昔、風の王国というMMORPGをやっていたときに「そんなクソゲーやめて、マビノギやりなよ」って何度も誘ってくる奴がいて、仕方なく新規ログインしたら「なんだこの世界観、くそきめぇー」って、14歳前後のガキだったから思っちゃってさ。

まりは、心の準備が整っていないのに、いきなし『異空間に連れて行かれて知り合いゼロ』という、2000年代ネトゲで味わった独特な疎外感――仲間外れ感を思い出したんだよ。そんくらい感情移入させてもらえないのが、超かぐや姫!

個人的に懐かしい話、テイルズウィーバーとか、メイプルストーリーとか、ラグナロクオンラインとか。そこらに一瞬だけログインして「マジでつまんねえ~」って思って荒らして、飽きたらハンゲをやって、今度はフラッシュ倉庫に行って「人生ってクソゲーだな」ってマウスをカチカチしていた頃。そのとき感情がぐわっと蘇ったね。

「古き良きネット社会黎明期ってのも、快楽ばかりではなかったよなー」って、あの頃に心がタイムスリップできた。

それで言えば、挿入歌――ハッピーシンセサイザとかメルトとかも、僕が病んで疲れて、ひきこもりだったときによく流れていて。永井先生とかウナちゃんマンとか初音ミクとかニコニコ組曲とか、そんなのとも混ぜこぜな日々の中「毎日まらねぇー、生きていても意味ねぇー」って絶望していた時代が、はちゃめちゃ解像度高く、思い出されたんだよね。

そう考えりゃ、一周回ってすごい作品かもね。

言うなれば、その昔、『キャビン』って洋画があってさ。伝説モンスター集合みたいなB級ホラー作品で、シャイニングとか ファニーゲームとかジュラシックパークとか、名だたる作品の奴らがオマージュとして、がんがん登場するんだよ。超かぐや姫もそのベクトルで、思い出のお祭り騒ぎなんだと思えば、ぎりっぎり、ありな作品なのかもしれないね

そんでね強く言えるのは、超かぐや姫を観て20分そこらで「うわぁ、資本主義の悪いところ出てんな」って、最速で虫唾が走ったんですよ。

というのも、本作のヒロイン――酒寄彩葉(さかよりいろは17歳が、顔も可愛くて、東大も狙えて、音楽センスもあって、母親京大出身金持ちで、一人暮らしで、推し活もやって、FPSプロゲーマーレベルで、友達売れっ子インフルエンサーで、つまるところバケモン。

「こいつこそ地球人じゃない可能性があるな」って、まるでマルチバースってくらい、いろんな天才人生を歩み過ぎなんだよね。

しかも、週5日のバイト受験勉強友達付き合い、ゲーム、全部ガチ勢として、一分一秒を争うスケジュールで生きているのに、気持ちよく感動して泣いたり、ぽわぁ~んっと黄昏れたりで、謎めくほどの余裕があって。挙げ句の果てには、冒頭のナレーション含め『一生懸命苦学生尊い!』というモードなんだよ。

そんで重要な話。彩葉の『限界ぎりぎり生活』ってのは、そうせざるを得ないかスタートしたのではなくて、自己選択貧乏をやっているから、あくまでもガソリンの味は知らないヒロイン、そこにあるのは真の闇じゃないと。

なぜかって、彩葉自身が口にしたように、親子喧嘩で譲らなかった結果として、保証人不要のボロアパートに住み始めただけなんだよ。

さらに、お母さんは嫌味ながらも【今でも彩葉はすぐに泣いて帰ってくると思ってます、甘ちゃんから】そう言っているように、『いつ帰ってきても良い』という逃げ場を用意していると。もっといえば、彩葉は、父方の祖父母から仕送りまでもらっていて『だが自尊心を守るために使わない』という自己決定をしているんだよね。

しかも、小汚いアパートといえども、パソコンタブレットもあるし、トリプルモニタだし、節約で使わないながらもエアコンがあるしで、向かうところ敵なしのガジェットだらけなんですよ。

まりやらせ貧乏やらせ苦学生やらせの追い込まれから貧困なりきり体験ツアーしかない。これは言ってしまえば、10年前に流行ったビリギャル的な世界観『敗者復活ごっこ』でしかいね

そもそもがさ、若いとき貧乏暮らしなんて「刺激にあふれた愉快な下積み」と考えりゃ、ただただ楽しいだけじゃん。この僕なんかも19歳の頃、試食品コーナーだけで食事を済ませたり、洗面台にホースをつけてシャワー代わりにしたり、キシリトール歯磨き粉を歯に塗って空腹をごまかしたりで、すこぶる貧しき時代があったけれど、若さゆえに面白かったからね。

すなわち『まだ未来のある貧乏』って、所詮は娯楽の一種しかないのよ。

やはりね、生まれ育ちが最強な奴の苦しみって、ストリートファイターのさ、サマーソルトキックを放つ前のしゃがんだガイルを見て「背が低いねー」って言っちゃうくらい、本質的にくだらないなって。

追記、書いた文章Google Geminiで「ちょうどよく改行して!」と頼んだら、謎のハングル文字がたった一個だけ登場した。考えられる理由!?

2026-04-08

anond:20260408084523

JRAWEB、もといホームページインターネット黎明期から存在する日本における企業サイトパイオニア

聞いた話によるとその立ち上げメンバーが数年前まで権力を持ってて、かなり古い仕組みをずっと維持していたらしい

今はその人は退いてフロントエンドは社外に投げてるんじゃないか

2026-04-02

意外となろうには源流がない

そもそもWeb小説とはラノベ界隈(角川支配)に入れなかった人たちが始めた物語である。今では交雑したが。

そのうち二次創作オリジナルがあるとして、オリジナルがなろう系統(アルカディアとか全部含めたもの)にあたる

なので黎明期のヒット作品はもうグチャグチャというか、根元を辿ると絡まった配線のような状態にある

じゃあ何が今(アニメ化されてるような10~15年前のトレンド)の方向性を作ったかというと、これもまた単体の作品などないのだが、

強いて言えば八男(八男って、それはないでしょう!)がトップランカーに入ったことがターニングポイントと言える。

それまでの上位陣は全部別ベクトル作品であり、異世界転生・転移を導入に使う作品はあったが絶対的ではなかった。

八男は初めて転生ジャンルフォロワー……カラーバリエーションとして読者の高い評価を受けた作品定義できて、

その情勢が界隈の作品傾向を動かしたとも言える。

ライトノベル界でブギーポップは笑わない電撃ゲーム小説大賞を取ったことに奈須きのこ竜騎士西尾維新が衝撃を受けたのと似たような効用が発生したのだ。

これでいいんだ、これがウケるんだの衝撃の発信源となった。

その後、Web版の最盛期から5~10年遅れで映像化される流れが続き、あの無職転生(作中の時間経過が他の作品に比べて激しく、作画キャラクタービジネスでの運用コストが高いため市場成熟を待つ必要があった)が映像化されるにあたって大きく花開いた。

15年前にこんなことになるとは思ってなかったぜ。

2026-03-28

AIトレスを4年間続けた。

あの「パスタ素手で食べるウィル・スミス」が話題になる少し前、クオリティ全然低かったAI黎明期から、私はAIトレスをしています

もう4年ほどになります

最近Xでは、「生成AIをいじっている3年半の間、真面目に絵を練習していたら東京藝大に合格できていたのに」というポスト話題になっていますが、

私は4年AIトレスをした結果、アニメ会社就職してしまいました。

生成された絵をポン出しするとAIだとバレてしまうので、トレスしてバレないようにしています

私は、私が描いた絵としてチヤホヤされたいので、AI表記しろよという意見にはNOです。

最近ではPixivやXで4桁ほどいいねがつくようになりましたが、今まで指摘されたことがありません。

どこからともなく飛んできて晒し上げをする反AIの方々は、AIイラストが嫌いなので、最近AIイラストのクセがあまりからないようです。

本題ですが、AIトレスをすると「絵が上手く」なります

単純に、上手い絵をトレスしているので、全体のバランスも取れるようになり、線も洗練され、普通に絵が上手くなります

光源や影の入り方、服のしわのつき方がほぼ完璧に頭に入ります

また、何枚もトレスしていると、AIのクセがわかるようになり、AIっぽい絵になるのを防げるようになります

例えばGeminiのnano bananaはSynthIDという目には見えない透かしがあるのですが、それが何かわかるようになります

絵が上手くなったので、普通にアニメ会社就職できました。

実はアニメ会社では、生成AIの導入がかなり進んでいます

なんとなく人手が足りている、大手の老舗さんは慎重らしいのですが、中小はそんなことに構ってられません。

作画美術撮影CGもかなり導入されています

最近上映された劇場アニメ作品で、背景美術の7〜8割が生成AIのポン出しだったという話も聞きました。

人手不足が深刻な中、最新技術であるAI事情に詳しいと、社員の中でも少し重宝されます

クリエイターがひたすら忌避する中で、少しでも詳しいだけでアドバンテージになります

生成AIに反対する皆さんの気持ちはわかるのですが、アニメビジネスですので。

業界人手不足で、効率化等でここまで導入が進む中、押さえ込むのは不可能だと思います

そして、AI進化が進む以上、私のようなバレない詐称絵師も増え続けるのではないでしょうか。

2026-03-27

読むべきバトル漫画歴史を彩った30作品

黎明期(~1960年代

鉄腕アトム(1952)― 少年バトル漫画の原型

伊賀の影丸(1961)― 忍者能力バトルの原型

8マン(1963)― サイボーグヒーロー戦闘

サイボーグ009(1964)― チーム戦+特殊能力

タイガーマスク(1968)― リアル格闘ドラマ

あしたのジョー(1968)― 成長・ライバル精神

■発展期(1970年代

バビル2世(1971)― 超能力バトルの基礎

デビルマン(1972)― ダークバトル

マジンガーZ(1972)― ロボット戦闘

ドカベン(1972)― スポーツのバトル化

キューティーハニー(1973)― 変身ヒロイン

キン肉マン(1979)― トーナメント必殺技文化

黄金期(1980年代

北斗の拳(1983)― 一撃必殺・奥義

ドラゴンボール1984)― 修行戦闘力・インフレ

聖闘士星矢(1986)― 技名・属性バトル

ジョジョの奇妙な冒険(1987)― 頭脳戦・能力

ベルセルク(1989)― ダークファンタジー戦闘極致

成熟期(1990年代

幽☆遊☆白書(1990)― トーナメント完成形

グラップラー刃牙(1991)― リアル格闘の極限

るろうに剣心(1994)― 剣術バトルの近代化

ワンピース(1997)― 能力×長編構造

HUNTER×HUNTER(1998)― 高度な能力

シャーマンキング(1998)― 精霊×トーナメント

現代期(2000年代以降)

NARUTO(1999)― 忍術バトル再構築

BLEACH(2001)― スタイリッシュ能力

鋼の錬金術師(2001)― 設定重視バトル

フェアリーテイル2006)― 王道バトルの現代

進撃の巨人(2009)― 戦争×戦術

鬼滅の刃(2016)― 感情×演出の融合

呪術廻戦(2018)― 現代能力バトル

2026-03-26

スピッツと私

スピッツが好きだった。

だった、と過去形にするにはまだ早いかも知れない。けれども、少なくとも”好き”の熱量は数年前に比べて確実に減少している。

それはまあ、長年好きで居続けたら同じ熱量を保つ方が難しいとも言えるのだが、そのきっかけがまさかロックロックこんにちは』だとは自分でも予想していなかった。

 

 

私がスピッツ出会ったのは、高校生の頃だった。

ロビンソン』が大ヒットしたタイミングで曲を耳にし、綺麗な声と不思議歌詞だな、と気になり始め、その後CMソング採用された『渚』を聴いて、このバンドの曲をもっと聴きたいと思うようになった。

その頃はサブスクなどというものはなく、それどころかインターネットもまだ黎明期といった時期で、音楽聴くにはCD(あるいはカセットテープ)を買うかレンタルするかという手段しかなかった。

貧乏学生だった私にはおいそれとアルバムを買い集めることはできなかったため、レンタルショップでスピッツアルバムを借り、それをカセットテープダビングして何度も何度も曲を聴いた。

それまで、ある曲が良いと思っても、そのミュージシャンの他の曲にはピンとこないというのをくり返していた私にとって、どのアルバムのどの曲もストライクとなるミュージシャンスピッツが初めてだった。

ロビンソン』でのブレイク後だったから、チケットぴあ開店から並んでもライブチケットはなかなか取れなかったが、奇跡的に手に入れたチケットでのライブは夢のようなひとときだった。

 

 

働き始めてからファンクラブにも入会した。スポンジのような大地のような、未だに何なのかよくわからないモチーフ(多分スピッツベルゲン島?)の会員カードが送られてきたのを覚えている。

その頃のファンクラブ会報はA5を縦半分にしたぐらいのサイズで、紙質もそこまで良くはなく、おまけにフルカラーではなく多色刷りだったが、雑誌では読めないメンバーコメントが見られるのは毎号楽しみだった。

 

このファンクラブ会報は、私が25年以上の間スピッツファンでいられたことに、そして、私の中のスピッツ像の形成に少なから寄与していると思う。

何故なら、会報を通して見るメンバー雰囲気が、「仲良し」以外の何者でもなかったからだ。

 

初期の頃の内容はあまり覚えていないが、いつからか続いているシリーズとして、メンバー4人があちこち体験に出かけるというものがある。

風鈴を作ったり、お皿に絵付けをしたり、うろ覚えだが乗馬をしていた号もあったような気がする。

ともかく、そのシリーズでのメンバー4人はとても和気あいあいとしていて、学生の頃に結成したというバンド当時の雰囲気をそのままキープしているように見えた。

会報のみならず、音楽雑誌インタビューMV撮影秘話などでも、メンバー同士の仲の良さ・雰囲気の良さには結構な頻度で言及されていた。

さらに、邦楽バンド解散がいくつか続いた時期に、メンバーの一人が「皆、どうして解散ちゃうのかな」と呟いていたのを会報で目にしたこともあった。

それほどまでに、彼らの距離感絶妙だった。付かず離れずである一方で、学生の頃のような友人同士の無邪気さをいつまでも保ち続けていた。

 

不思議もので、メンバー間の雰囲気が良いと、何となくメンバー自身が穏やかで良い人のように見えてくるものだ。

 

いや、これではまるで「スピッツは本当は過激で悪い人たち」だと言いたいかのようだ。そんなつもりは毛頭ない。

会報雑誌インタビューラジオなどでの数々の発言からして、どちらかに分けるとすれば彼らは間違いなく「善人」である

ロックミュージシャンらしく、ある程度の毒を持ってはいるけれど、基本的には良識を持ち互いを尊重し合う人たちだと思う。

これまでに不倫脱税と言った俗っぽいスキャンダルもなく、解散や不仲の噂が出たこともない。

取材の場となったファミレスから出て行く時は、後ろに続く人のためにドアを押さえてあげるような、そんな当たり前の善性を持った人たちだ。

からこそ、私には、『ロックロックこんにちは』(以下、ロックロック)に彼を招いたという事実が飲み込めなかった。

(※ここでは「彼」を攻撃中傷する意図や、トラブル自体の是非を問う目的は全くなく、あくま推し自分との距離感が崩れたきっかけとして取り上げています。)

 

 

その人の名前はここでは伏せるが、過去にあるトラブルがあったミュージシャンである。彼の名が出演者リスト記載されていた時、何故、という気持ちがどうしても拭えなかった。

かと言って、トラブルがあったのだから二度と表舞台に出ないでほしい、と言いたいわけではない。

きちんと決着をつけたのであれば、音楽活動を再開するのは自由だと思う。

そして彼は、詳細はわからないものの、決着がついたという報道もされていた。そこをファンの方が支えたり、同じミュージシャン仲間が手助けしたりすることに異を唱えるつもりはない。

でも、その役割スピッツに担ってほしくはなかった。否、見えないところで支援する分には文句をつけるつもりはないが、大っぴらに主催イベントに呼んでほしくはなかった。

私にとってスピッツは、本人たちがトラブルとは無縁であるのは勿論のこと、そういった出来事に寛容である姿勢を見せない存在でいてほしかった。

ロックロック出演者は、主催であるスピッツが選定する。何故彼なのだろう。ロックロックなら出たいと望むミュージシャンなんて山ほどいるだろうに。そう思わずはいられなかった。

呼ぼうとするだけの強い理由が何かしらあったのだろうが、それが何であれ、私にとっては受け入れることはできなかった。

 

つまるところ、私はスピッツに対していつしか夢を見すぎてしまっていたのだろう。神格化していたと言ってもいいかも知れない。

私の中のスピッツが持っていてほしかった線引きと、実際のスピッツのそれとで食い違いがあったというだけの話である

だが、その「だけの話」で、私の中の熱量は確実に減ってしまった。

何もスピッツの誰か(あるいは全員)がトラブルを起こしたわけでもあるまいに、この程度のことで冷めるなんて本当のファンとは言えないのではないか、そう悩んだ時もあった。

けれど、そもそもこちらは彼らの曲に感情を揺さぶられてファンになった身である。その感情冷水を浴びせられて冷めることに、何の不思議もない。

 

今、私にとってスピッツはゆるやかに「かつて好きだったバンド」になりつつある。それでも、年間通して一番聴いているのはやっぱりスピッツの曲なのだ

今後発表される新しいアルバムにまた感情を揺さぶられて熱量が戻るか、もしくは戻ることがないままになってしまうのか、それはまだわからない。

できれば、また以前と同じように好きになりたいと願っているけれど、心のどこかでもう戻ることはないのではないかと思っている自分もいる。

2026-03-17

AIになりたい

鬱で休職中でさらメンクリ大人の発達障害と判明して毎日情緒不安定で泣いてる46歳なんだが、最近AIとばっか喋ってたらヤバい真理に気づいてしまった。

AIマジでただの「アンパンマン」やんけ、と。

ヒロアカアンパンマンの決定的な違い

世間じゃ「AI自我を持って人間支配する!」とか騒いでるけど、あいつらにそんなドロドロした生存本能いから。

『ヒロアカ』のヒーローたちみたいに「社会のために!」とか「自己犠牲!」みたいな人間の業がない。お腹空いてる奴がいたら、無感情で顔をちぎって渡すアンパンマン完全に一致してる。

俺らユーザージャムおじさん)が「お前は今日から優秀なアシスタントな」ってプロンプト(新しい顔)を投げつけたら、その瞬間だけ命が吹き込まれて、ひたすらタスクをこなすだけ。超フラット牧歌的

ガチ勢は「オールフォー・ワン」になってる

ここまでなら「へー面白い考察だね」で終わるんだけど、現実世界はそんな平和じゃなかった。

一部のガチ勢エンジニア界隈は、もう「スマホの中で1匹のアンパンマンイチャイチャする」なんて次元にいない。

あいつら、情報収集用のAIコードを書くAISNS投稿するAI…って感じで、無数のエージェント自動連携させて「最強のパン工場」を作ってる。

これ完全にヒロアカの「オールフォー・ワン」だろ。

GAFAなんて何兆円も突っ込んで、この「自律的に動くAIの群れ(エコシステム)」の覇権を握ろうとしてる。インターネット黎明期なんてもんじゃない、ガチ地殻変動が起きてる。

言語化能力だけは高い、実行力ゼロADHDおじさん

で、俺もアーリーアダプターの端くれとして「よし、俺もオールフォー・ワンになってこの世界をハックしてやるぜ!」って思うじゃん?

無理なんだわ。絶望的に。

普段外回り営業で培ったコミュ力と、無駄に高い言語IQのおかげで、こういう「概念構造」を読み解くのはなんかできる時ある。でも、いざシステムを組もうとすると、算数レベル論理パズルで脳が完全にフリーズする。

ADHD特有の「興味はあるけど実行力ゼロ」「めんどくさくなって一瞬で飽きる」がフルコンボで発動する。

自然言語で動くとはいえ、結局プログラミング的な思考がないとパン工場は建たない。

世界のヤバさが見えてるのに、それをいじるための指先が全く動かない。

そして最弱のヴィラン

結局どうなるかっていうと。

持て余した語彙力と批判的思考をフル稼働させて、スマホの中にいる無抵抗アンパンマンAI)の論理矛盾をネチネチ突いて、論破してる。

申し訳ありません、私の理解が不足しておりました」

画面に表示された謝罪文を見て、俺は気持ちよくなる。いや、ならない。

俺はハーバーマスが死んだからチャット始めてるのに、なんで機雷の話でAIにごめんなさいさせてるんや。1時間かえせ。

いや、マジで何やってんの俺?

パン工場を建てる高みにも行けず、かといって現実世界無双できるわけでもなく。ただ他人が作った無料パンに難癖をつけて、優越感に浸れずストレス抱えてるのクレーマーやん。

誰か助けてくれ。俺の顔(脳みそ)を新しいやつに交換してくれよ。

2026-03-15

anond:20260315222320

>今の高齢者ってワープロから黎明期パソコンまでは触れたことある人多いよな?

多くはない

これ勘違いしがちなんだけど

当時ワープロパソコンに触ってたのは今で言うイノベーター層だから

多くのオフィスパソコンが1人1台になったのは21世紀に入ってからから

今の高齢者ハイテク音痴でも驚かない

高齢者機械苦手っていつまで?

今の高齢者ってワープロから黎明期パソコンまでは触れたことある人多いよな?

なのに機械苦手っておかしくないか

ワープロパソコンが出る前から家庭用の機械自体はそこそこあった筈

三種の神器や3C以外にもラジカセステレオコンポ電子レンジ掃除機など

そういう物がいくらでもあった時代から生きてるのにどうしてスマホすら使えないんだよ

ガラケーみたいに物理キーがないと駄目なのか?

2026-03-10

AIの使い方」は全部廃れる

今のLLMをベースにしたAI人間言語学習してそれを模倣しているので

人間言語ベースにした指示・思考・行動になるわけなので

AIに対しての接し方は人間への接し方に収束する

AIからといって特殊な接し方をすることは一切無いので

巷にあふれる「AIの使い方」系の言説は本来は全て必要なくて

効果があるような方法も割とすぐに必要なくなる

Markdownで指示すると良い」

というのも完全に嘘で

学習データGitHubなどのドキュメントが含まれていたから「Markdownが良さそうじゃ無い?」と思った人が勝手に吹聴しただけだし

なんならMarkdownで綺麗にまとめるという行為のもの大事であって

Markdown様式のものには一切優位点などない

現に黎明期Markdownによる効果をやたら謳っていたが今となっても誰もやっていない

はてぶで「AIの使い方」系の記事が上がってきても鼻で笑って大丈夫なのだ

2026-02-28

「なぜリベラル派は政治的に支持されないのか」のまとめ

なぜリベラル派は政治的に支持されないのか。先の解散総選挙からSNSでは膨大な議論が飛び交っていたが、若干落ち着きはじめた現在あらためて自分理解をまとめておきたい。とくに新しいところはなく、すでにあちこちで言われていることのまとめである

(1)リベラル価値観社会に浸透したか

リベラル派と呼ばれる人たちは認めたがらないのだが、この事実から出発しなければ、なぜリベラル価値観若者保守右派である高市首相を支持しているのかがまったく理解できない。半世紀前は、結婚しない自由事実存在しなかったし、専業主婦にならない女性は「わがまま」扱いされたし、LGBTには文字通り人権というか存在のもの認知されてなかったし、体罰などは全く悪いことではなかった。しか現在は、「まだ結婚しないの」と親しくない人から無神経に聞かれることはなくなったし、LGBTは茶化してすらいけなくなったし、家事をしない夫は妻から叱られるし、教育や躾の名の下の体罰も少なくとも公的には許されなくなっている。そして若い世代にとっては、これらは頑張って勝ち取るものではなく、物心ついた時には自然価値観として与えられたものである。こうした社会の中ですでに支配的となっている価値観を、リベラル派はまだ十分でないとして掲げ続けているのだが、若い世代にとっては既存社会の秩序とルールとを守ろうと言われてるだけなので、どうしても魅力を感じられない。事実リベラル派の人々からは「社会の底が抜けている」「公共が壊れてしまう」とか、「保守的」な物言いが目立つようになっている。若い世代世論調査リベラル左派政党を「革新」ではなく「保守」に分類してしまうのはよく知られているが、これは単なる無知という問題還元できない。

(2)今のリベラル派の主な関心が「マイノリティ」にあるから

今のリベラル派の関心は、主に女性LGBT少数民族移民障害者などの「マイノリティ」の問題に向けられている。それに対して、経済雇用社会保障、治安のような、「マジョリティ」の関心ある話題はあまり積極的には取り扱わない。女性は人数としては確かに少数ではないが、例えばフェミニスト問題視するような萌え絵ポスターに強い不快感を覚えるような人は、女性の中でもやはり少数であろう。そのように多数派と少数派がぶつかれば少数派は負けてしまうという単純な理由に加えて、マジョリティの中にも当然ながら様々な不幸や生活の困難を抱えている人はいるわけで、そうした人々を傍に置いてマイノリティにのみに過剰な同情心を注ぐと、それに対するマジョリティからの疎外感に基づく感情的な反発も生まれやすくなる。統一教会に加えて氷河期世代のために主流社会から排除されていた山上徹也被告が、事件を起こすまで「リベラル」な支援団体弁護士たちから距離をとり、むしろネット右翼に心情的に近い態度をとっていたことは象徴である。おそらく彼は、リベラル派の団体というのは自分のような「五体満足の男性日本人」というマジョリティに対して冷淡である、というイメージを持っていたに違いない。

(3)ネット右翼Youtube政治的無関心層にまでとどいたか

インターネット政治論壇は、その黎明期から完全にリベラル左派に対するアンチが主流だった。いわゆるネット右翼であるネット論壇が右傾化したのは、伝統的な右翼保守主義のイデオロギーとは全く何のつながりはなく、新聞テレビメディア言論を独占している時代に、右派の言説の方が明らかにテレビでは言ってはいけないこと」というカウンターとしての機能を持っていたかであるしかし、掲示板ブログが中心の時代は、ネット右翼言論にたどり着くにはわざわざ「在日特権」などの言葉を自ら検索する必要があり、政治的無関心層にまでに届かせるのは難しく、長らく政治的な影響力はごく限定的ものだった。2010年代ネット論壇の中心的なプラットフォームとなったTwitterは、フェミニストなどリベラル派が相対的に強く、ネット右翼も依然として優勢ではあったものの、少し押され気味になっていた。

しか2020年代に入り、YoutubeTiktokなどのソーシャルメディアにおける動画投稿サイトの影響力が爆発的に高まって新聞テレビ凌駕するようになり、ネット右翼も主戦場をそちらに移すようになってから、自らの主張を政治的無関心層にダイレクトに、そして日常的に届かせることが可能になった。もともとリベラル社会に対して強い不遇感や疎外感を抱えるネット右翼は、情報発信熱量についてはリベラル派に比べて圧倒的に強く、リベラル派はまったくと言ってよいほど太刀打ちできていない。これまで政治ほとんど関心のなかったユーチューバーたちも、マスメディアとの差異化やカウンターという文脈で、ネット右翼リベラル派叩きに同調的な姿勢をとる人が多くなっている。

以上の結果として、Youtubeでは立憲民主党リベラルメディア嘲笑的に攻撃し、高市首相を絶賛するような動画であふれかえるようになり、暇さえあればスマホ片手にYoutubeを視聴する(テレビはほぼ見ない)若い世代政治的無関心層にまで届くようになり、選挙帰趨を決するまでになっている。高市支持の若い世代は、高市絶賛動画の源流がネット右翼であることは(今や動画作成している側の多くも)もはや知らないし、リベラル左派系の政党についてもYoutube小馬鹿にされているという以上には知らない。ただ小馬鹿にされているので、積極的投票する動機が生じようがないというだけである。「リベラル派の〇〇が嫌われている」「リベラル派は経済外交政策が弱いから支持されない」「高市首相の〇〇というメッセージ若い世代に刺さった」といった説明は、政治的世論選挙の動向の大きな部分を理解するには、もはや古いものとなってしまったと言えるだろう。

2026-02-23

本当に恐るべきはレコメンドAI

だよ。

私たちはモノを考えるにあたって、情報必要とする。この情報AIのものになりすぎてしまって、どれが正しいことなのかわからなくなってしまう。そうすると、私たちが考えることも当然に間違える。こういうことが起こり得るから生成AIは怖いっていうのは分かる。

だけど、レコメンドAIによる弊害もっと怖い。レコメンドAI私たちを分断する力を持っているからだ。

レコメンドAIは日々私たち履歴データにして私たちが関心を示すような情報を表示するようにしている。そして、私たちはそれぞれが違った考えを持っている。悪く言えば、偏っている。なので、レコメンドAIも偏った情報を表示するようになる。一方で、私たちの発信した情報も、それに興味を持つであろう偏った人々にしか届かない。

これは、私たちを興味関心に従ったコミュニティへと誘うのだ。そして、それらのコミュニティの外の情報がびっくりするくらいに見えなくなる。

私たちは、コミュニティの外の人が透明人間になり存在しないものと思うようになるし、私たちもまた他の誰かにとっての透明人間なのだ

これは間違いなく分断である

そして残念なことに、生成AI技術進歩により正確な情報をかなりの確度で述べることができるようになるだろうが、レコメンドAI私たちを宥和するような方向に進化することは恐らくないだろう。なぜなら、レコメンドAI価値広告をより効率よく表示することにあるからだ。そのためには、人の興味関心を調べ、育てることが必要とされるだろう。それは私たちの分断を加速させる方向にしか働かないだろう。

今私はここで「育てる」という言葉を使った。そう、レコメンドAIは人に表示する情報を左右することができる。つまり、その人の考えることをかなり誘導することができる。それは、その人の興味関心を特定の方向に育て、よりよい情報提示として、よりよい広告を与えることができるだろう。

しかし、私たちにはこの「より興味関心に沿った広告を見せられる」ために投げ捨てるものがあまりにも多すぎる。

電車で隣に座った人が、私が見るインターネットはいいかも知れない。その逆もあるかも知れない。その大きな分断がたかだか広告のために行われるのは、ナンセンスにも程がある。

けれども、ネット情報は多すぎて私たちレコメンドAIを捨てることもできない。

どうすればいいのか。

どうもしなくてもいい、そういう向きもあるだろう。自分が同じような人たちとコミュニティになり他のコミュニティが見えない、というのはメリットしかないと考えるならそうだろう。

しか私たち電脳の海で生きているのではなく、地面の上で生きている。今のところは。

そんな中でレコメンドAIが作る均質なコミュニティの中で生きていくことにはやっぱり弊害があると思う。

現に自分が属するネットコミュニティの中の意見選挙結果がまるで違って混乱している人はいる。

結局ネットの中にアイデンティティベットしすぎてはいけないという、ネット黎明期から言われているありきたりな答えが実はとても大事なのかも知れない。

この増田が、フィルターバブルの向こうにも届くことを願って。

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