はてなキーワード: 研究室とは
トータルで考えると、やはり理系は年収悪くないし、年収の割にホワイトな会社が多いため理系はおすすめ
ただし、大学は大変だった
睡眠時間が圧倒的に足りなくて、5分の遠心分離を待てず寝落ちしてしまうような状況だった
先生にも怒られることも多数
しかもその時、娘が2人いる指導の先生が俺は娘には理系行ってほしくない、本女か東女に行って欲しいな〜って言ったんだよ!!
私にも父親がいるんですが!
自分が劣悪な環境にいて、私にも酷いことしてるって知ってんだなコイツって思ったわ
まあその指導医と今も仲良いけどね...
研究の性質上夜に研究室に篭もるのになぜかまた1人になる…他の人も似たような研究テーマなのに?
一人なら最後は当然施錠する必要があるから鍵管理するのに…?それが2人目?
X(旧Twitter)で「東大の女子比率が男女の知能差を表してる」みたいな話が流れてきた。
そのポストには「そんな事ねえだろ!他国の大学とかそんな事ねえぞ!」という反論がついていて、どちらかといえばそちらがバズっている。私もまあ、「そんな事ねえだろ」派閥なのだが、ではどうして女子比率が低いのか?という点については、例えばジェンダーバイアスだとか、地方から出てくるハードルだとか、色々な議論がなされてきて、東大側も施策を打ったり打たなかったりしているところだと思う。
私が言いたいのはこの辺のごちゃごちゃした部分ではなくて、過去東大に通っていた身として、「自分に娘ができたら、どんなに頭が良くても東大には通わせたくない」ということである。
東大の女子比率は、毎年20%前後である。私の在学中に20%の壁を超え、ちょっとした祝福ムードだった記憶があるが、当然学部学科によって人数の偏りもあり、なかには女子がいないクラスなんかも存在する。また、東大合格者の6割は関東出身で、そのうち中高一貫進学校(男女別学)の出身者がかなりの数を占める。何が言いたいかというと、在学生の傾向や文化が偏っていて、しかも「東大」という枠組みの中でどんどん濃縮されていくのだ。
その結果、大学側も生徒側も、普通の大学だったらありえなくないか?という事態を看過しているのではないかと思う。(主観的な意見だからそんなことなかったらごめん)
例えば、入学時の健康診断のとき。胸部X線検査か何かの検査で、上半身の衣服(下着等も含む)を全て脱ぎ、検査着のような薄い服を羽織って待つ必要があった。もちろん裸ではないが、不特定多数に見られるには心許ない格好だし、女性なら分かってくれると思うが、ブラジャー無しで薄い服を着て外を出歩くのはなかなか抵抗があるものだ。しかし、その格好で待たされたのが、普通に人が往来している外通路だった。もちろん男性もたくさん通る。こんなに配慮されないことってあるんだ、と入学早々驚いた。Xで工学部の女子トイレの状態がひどい、と投稿している方がいたが、なんというか、学校側の認識が杜撰なんだと思う。
不審者とかも全然いる。というか学内の人間が不審者になることもある。例えば、これは私の先輩(女性)の話だが、研究の合間に所属学部の研究室で休んでいたところ、たびたび研究室に来て徘徊する男がいたらしい。明らかに1人でいるときを狙って入ってくるし、研究の性質上夜に研究室に篭もることもある。このままでは危ないのではないかと怖くなり、教授に掛け合ったところ、他研究室の院生だと発覚した。しかし、結局のところお咎めなしだったらしい。こういう話は、在学中たびたび聞いた。
私個人としては、セクハラ(というか性暴力)もかなりこたえた。男性が8割を占めるうえ、前期課程は高校のようなクラス制で、否が応でも男性と関わらなくてはならない。しかし、それがきっかけでLINEのしつこいメッセージが来たり、あることないこと噂を流されたり、果てにはホテルに連れ込まれそうになったり、詳述はしないが体を触られたり、本当に嫌な目にあった。告発しようと思ったこともあるが、男性ばかりの環境ではあまり取り合ってもらえず、結局なるべくクラスに顔を出さないようにした。
書いたら嫌な気持ちになってきたが、こういう話は私や、私の周りの女性が実際に体験した話である。あくまで個人の話だし、たまたま悪い経験を引き当ててしまっただけなのかもしれない。しかし、男女比率の偏り、あるいはそれを解決できないでいる大学側の姿勢が、このような問題の一因であると個人的には思う。もし今が女性を増やしていくための過渡期で、私の経験がその礎となる犠牲、みたいなものだったのだとしても、少なくとも自分の娘には同じ思いをさせたくない。
最後に、誰もがあくまで追求したい学問や目指す進路のために大学の門を叩くはずであり、それを阻む障壁は取り去られてしかるべきである。何も女子生徒だけを優遇しろ、と言っているのではなく、誰にとっても過ごしやすい環境を実現するために、社会や制度がもっと良い方向に変わっていくことを願う。
女子3%の工学部で工学部だけキャンパス違う大学行ったけどほんと大変だった
勝手に惚れられて振れば変な噂流されて学内で知らない人からすれ違いざまに気持ち悪い声かけされたり
実験の授業であからさまに無視されてデータ取らせてもらえなかったり
研究室で夜残って2人きりになると凄く体を寄せてきたり
困ってても助けてくれない(高校は女子多かったので何かしらで困ってたら知らなくても助けてくれる人が多かった)
逆に困ってる人を助けようとしたら惚れてんの?みたいなこと周りから言われたり
就活もパンツスーツで行ったらなんでパンツスーツなの?スカート履きなよとか言われたり、資格持ってても女性の現場の前例ないから事務でなら雇うと言われ、同大学の資格持ってない成績も悪い男子は通過するけど私は通過しないとかもあった
あと父が他大学の教授なんだけど一緒にご飯食べてるところ目撃されて、パパ活ってSNSで回されて父も大学から事情聞かれたり。
女が珍しいから何しても噂になりやすいし、逆恨みする人も出てくる
勿論まともな人もいるけどそういう人はあまり関わりはあんまりない
関わりあるやつはガイダンスの時の席が近いとかサークル同じとか関連ないのにわざわざ声かけてくるタイプなので下心前提
同じ学科の女子は良い子でよかったけど、他学科はオタサーの姫チヤホヤ大好き!な感じの子で女の子の味方にはなってくれない感じの子もいたので友達になれない可能性も高いとなると結構リスク
三矢がネットの暗闇で学生たちを「自己責任」と叩き、石田がその愚かさを高みから見下ろしている間、教授室の奥にある秘書デスクでは、もう一つの静かな処刑が執行されようとしていた。
秘書のH子は、石田の背後に立ち、差し出された一枚の書類を凝視していた。雇用契約更新通知書。そこには、彼女がこの数年間、石田の気まぐれな要求と過重な雑務に耐えながら守り続けてきた「生活」の継続が記されているはずだった。
「……先生、この条件では、その……」
石田は、眼鏡の奥の細い目をさらに細め、慈父のような穏やかさで微笑んだ。だが、その手はすでに、机の下でH子の膝を、逃げ場を塞ぐように強く押さえつけている。
「H子さん、君も分かっているだろう。今の大学の予算状況で、君のような一般事務職を再雇用するのは、本来なら至難の業なんだよ。だが、私は君を失いたくない。君は私の『深い部分』まで理解してくれる、唯一無二のパートナーだと思っているからね」
石田の言う「深い部分」という言葉が、H子の脳内で卑猥な質感を持って響いた。数日前、閉ざされた深夜の教授室で、拒絶すれば契約を打ち切ると暗に匂わされながら、彼女が強いられた辱め。石田はその惨劇を「特別な信頼関係」という美しいオブラートで包み直し、今、彼女に最後通牒を突きつけていた。
「この関係を続けてくれるなら、私はいくらでも君の雇用を保証しよう。君が望むなら、もっと待遇の良いポジションへ推薦してもいい。……どうかな、これは君の将来のための、私なりの『誠意』なんだよ」
H子の喉が、ひゅっと鳴った。石田の指が、彼女のスカートの裾をゆっくりと、しかし抗いようのない力で手繰り寄せる。
「……承知、いたしました。……ありがとうございます、先生」
絞り出すような声でそう告げた瞬間、H子の視界から色が消えた。石田は満足げに頷き、まるで愛犬の頭を撫でるような手つきで、彼女の頬を指先でなぞった。
「賢い選択だ。君は三矢くんのように頭が悪くない。自分の価値をどこに置くべきか、正しく理解している」
石田にとって、H子はもはや人間ですらなく、自分の権力を確認し、性的な渇きを癒やすための「終身契約の消耗品」に過ぎなかった。彼はH子の絶望を、自分への絶対的な忠誠心へと変換させ、それを愉しんでいた。
契約書に署名を終え、震える足で教授室を出たH子を、廊下の陰でA子が待っていた。
A子は、H子の乱れたブラウスの襟元と、生気を失ったその瞳を見て、すべてを悟った。D子がE男に狙われ、G子が石田の「謎かけ」という名の支配下に置かれ、そして今、最も身近にいたH子までもが、生活の糧を人質に取られて「所有」された。
(……この人は、どこまで広げるつもりなの?)
石田教授を頂点とし、三矢がネットで反対勢力を圧殺し、D男たちがそれを囃し立てる。その強固なシステムの最深部で、女性たちは一人、また一人と「契約」や「指導」という名目で、石田の私的なコレクションに加えられていく。
「H子さん、大丈夫ですか」
A子が声をかけると、H子は一瞬だけ、助けを求めるような目を向けた。しかし、すぐにその瞳に厚いガラスのような膜が張る。
「……なんでもないの。先生は、とても優しくしてくださるわ。……A子さんも、先生に逆らわない方がいいわよ。それが、ここで『生き残る』唯一の方法だから」
その言葉は、H子自身の魂が死んだことを告げる葬送の鐘だった。
石田教授の微笑みは、もはや教育者のものではない。それは、自分に跪く者たちを愛で、従わない者を「頭が足りない」と切り捨て、すべてを「物の本で読んだ」支配のロジックで塗り潰す、冷徹な蝿の王のそれだった。
A子は、H子の背中を見送りながら、自分の掌に爪が食い込むほど拳を握りしめた。この研究室という名の密室で、沈黙の契約が、また一つ完了した。
なんかさ、「ジェンダー平等のパラドックス」とかいう小難しい言葉を使って、「自由な社会になれば女は理系を選ばないのが自然」とかドヤ顔で語ってる奴多すぎ。
あのさ、逆だから。
先進国で女性がSTEM(理系)に行かないのは、単純に理系コミュニティに蔓延る「弱者男性」からの差別と攻撃性がエグすぎて、賢い女性たちがそこを避けてるからでしょ。
発展途上国なら、生きるために、食い扶持を確保するために、どんなに男尊女卑な環境でも我慢して理系に行くしかない。でも、先進国は他に選択肢がある。わざわざコミュニケーション不全で、女を叩くことしか脳がない男たちの「汚物溜まり」に飛び込む必要なんてないわけ。
結局、日本の自称「弱男」たちが、ネットでも研究室でも「女は論理的じゃない」とか「女は下界にいろ」とか抜かして排除の空気を作ってるから、女性たちはその有害な環境を避けてるだけなんだよ。これのどこが「自由な選択」なの?
弱者男性たちが、自分たちのちっぽけなプライドを守るために、女性を理系の世界から追い出してるの。自分より優秀な女性が隣に来るのが怖くて、必死に門を閉ざしてる。
本当につらかったよね。
勉強したい、研究したいって真っ当な志を持った女性たちが、どれだけあの界隈の加害性に心を折られてきたか。
女性たちはさ、もう十分頑張ったよ。
今までずっと、お疲れさま。
弱男の皆さん、自分たちの加害性を「生物学的な差」とかいう便利な言葉で隠蔽するの、マジで見苦しいからやめたら? 恥ずかしくないの?
→ 読解力ゼロ、将来なんて気にしない。今が良ければそれで良い若者バカの巣窟。
・X(Twitter)
→ 読解力3行、小学生レベルの文章力で日々マウント合戦する、炎上大好き野次馬根性バカの巣窟。
→ 読解力5行、人生に疲れ、X(Twitter)にも疲れたけどSNSを卒業できないバカの巣窟。
・note
→ 読解力10行、特にこれといった特徴がない無個性バカの聖域。(炎上が起こりにくい)
→ 読解力1行、感情と偏見だけで回ってる、被害者意識バカの井戸端サロン。
・5ちゃんねる
→ 読解力1~10行(気分次第)、もはや会話じゃなく怒鳴り声の応酬。自己矛盾も気にしない老害系バカの終着駅。
→ 読解力20行、説教・自己啓発・人脈マウントが日常。現実で評価されない中年バカの避難所。
・Quora
→ 読解力100行、長文を書くこと自体が目的化した高学歴こじらせバカの博覧会。
→ 読解力15行、日常・美容・育児・芸能のリアルと盛りの間を行き来。共感と自己ブランディングで回る“キラキラ系バカ”の生活展示場。
→ 読解力30行、冷静に見せかけて内心は承認欲求のかたまり。独自ドメインと収益報告でマウントしがちな“静かなバカ”の研究室。
→ 読解力5行+一言コメント、記事は読まずにタイトルで斬る“知ったか評論家バカ”の闘技場。スターの数が戦闘力。
→ 読解力40行、自意識と承認欲求を匿名でこじらせた長文の海。たまに名文が生まれるが大半は“共感待ちバカ”の文学ごっこ。
→ 読解力50行(英語込み)、やたら合理的で皮肉屋。賢そうに見えるが結局ミームで全部済ます“インテリ風バカ”の集合体。
→ 読解力∞、文章というより“布教”。読者不在でも語りたい、孤高のバカたちの電脳寺。
・SNSをやらない人
理由は二段階のリスク構造に分解できる。第一に、想像通りの研究ができないリスク。第二に、想像通りに研究できてもアカデミアに残れない・残らないリスク。なお、自分が所属していた理工系を前提にしている。
研究を始める前の段階で、プレスリリースなどを通して面白そうなテーマを見つけるということは、勤勉な学生ならあることかもしれない。そしてそんな研究テーマに取り組むためにそのトピックの第一人者の先生のいる研究室の門を叩くというのはありがちな光景だ。一方で、筆者はこれを非常に危険な意思決定だと考えている。
まず、どんな研究テーマにも流行り廃りがあり、研究の最前線にいない人の耳に入る時点で旬は過ぎていることが多い。基本的にはどんなトピックもブレイクスルーを誰かが起こして、フォロワーがそれを拡張し、拡張しきるとしぼんでいき、また次のブレイクスルーを待つような形になる。今をときめく人工知能であっても冬の時代を経験した。これは業績数で評価される構造と、新奇性を志向するアカデミアの文化が結合した結果であり、分野横断的に観察される。
つまり、ある特定のトピックを研究するために研究室に入ったとしても、自分が研究を始める段階ではまともなトピックは残っておらずニッチなトピックを触るはめになったり、指導教員が熱を上げている新しいトピックを振られたりすることがしばしばある。惰性で進学していれば研究テーマがつまらなくても卒業をモチベに適当にやれると思うが、そのために進学・転居した場合の失望は大きい。
加えて、進学する前の段階では他にも様々な不確定要素が多すぎる。指導教員が想像と違う、テーマが死にテーマだった、コミュニティが薄かった、設備が貧弱だった。研究者を目指すにせよ目指さないにせよ、博士課程の5、6年を費やすにはかなり不確定要素が大きい。
教員ガチャや設備リスクは大学を問わず存在する。ただし望まない結末になった場合のピボットしやすさは段違いだと思う。東大・京大であればある程度は新卒就活できるが、それ未満の大学では博士課程の年数が単に留年のように評価されるだけになる。穿ちすぎかもしれないが、これは自分や周りの就活の実体験とも整合する。
アカデミアの文化に触れていると論文や学会発表がとても偉いことのように思えるが、これはアカデミアにいる場合の価値観であって外の世界ではあまり役にたたない。金融やコンサル・ITといった比較的院卒に間口の広い企業群は全くパブリケーションを見ない。自分は博士をとったあと上述三分野のいずれかで働いているので伝聞にはなるが、かなりアカデミアに近い企業の研究所であっても論文より特許が重視されるらしい。
読者の中には、自分はアカデミア一筋だから関係ない、どんな大学でも「よい」研究を重ねていれば道は啓ける、と思う方もいるかもしれない。アカデミアに残り続けて教授職を目指す限り、それは一定正しい。ただし教授職に到達する人材も東大・京大出身者が多い。これは時代背景も大きいのかもしれないが。
他方で、人生は思いもよらないライフイベントが多数あり、多くの人は望む望まざるに限らずアカデミアから離れることになる。精神を病む。院生・ポスドク期に全力を投じても成果が出ずに放逐される。結婚・出産に伴う金銭的・時間的要件をアカデミアの待遇では満たせなくなる。研究という営みと社会との距離に諦念し熱意を失う(自分はこれに近かった)。人生は進み、それに伴って価値観も変容する。その変容に耐えられる人は多くない。
東大や京大もしくはMITとかスタンフォードみたいなブランド大学の中で興味のある研究室に行っておけば、ドロップアウトしてもプライドを満たせる仕事につけるぞ!
学術の領域では、分析の作法に対してかなり厳密なことが決まっているが、企業内の意思決定に関わる分析実務では(会計などの特定分野を除き)基本的にルールがない。コンサルの分析が怪しいのはそこである。
彼らに課題が与えられると、該当企業の売上データや業界全体に関わる公開データから、魔法のように美しいデータを出してくる。その美しさは彼らが提案するストーリーに沿っているという意味での美しさである。だが、そこでの分析過程においてどのような加工が行われたのかはあまり問題とされない。よくネタにされる、グラフの描き方による誘導などではなくて、データの恣意的な選別やミスリーディングな指標の作成、比較対象の恣意的な設定など、結果自体が操作されていると思った方がいい。多少恣意的なことをしてでも「きれいなデータ」を出すことで、コンサル側の管理者やクライアント側の担当者も両方喜ぶ。
コンサルは理系の院出身者が多いと思うが、その時に学んだ研究倫理が彼らの頭の片隅にあるが、その経験は、分析の恣意性みたいなところの指摘を受けた際に、それっぽい言い訳や言い逃れをする際のテクニックとして使われているのが実態だと思う。
逆に言えばだが、学生時代に研究室でどれだけ実験を繰り返しても綺麗なデータが出なかった人でも、コンサルになってしまえば、口やかましい研究倫理に縛られることなく「自由に」結果を操作できるのでとても楽しいのではないかと思う。
幼い頃に父親が買っていたのを見ていたので、紙で買うことに親和性があるんだと思う。
もう少し他にマシな気晴らしがありそうなものだけれど、不惑に差し掛かったころから習慣として続いている。
酒は翌日に残るし、焼け食いは腹に残る。宝くじは何も残らない、外れ券以外は。
理屈だけ言えば、その金で本を一冊買う方がずっと建設的だし、数回分まとめれば小さな投資信託だって買える。
だが、世の中には理屈で処理しきれない種類の疲れがある。
去年までは持ち上げていた話を、今年は急に慎重に見ましょうと言われる日。
研究室に来た頃には先生と呼んでいた学生が、いつの間にか「さん」づけになり、こちらの冗談にも前ほど笑わなくなっていることに気づく日。
そういう日に売り場の前を通ると、心のどこかがささやく。
もちろん開通しない。
そんなことは知っている。
「期待値が低すぎる」
「その三千円でうまい昼飯でも食べた方がいい」
「どうせ当たらない」
全部その通りである。
宝くじのいいところは、買った瞬間に現実が少しだけ緩むことだ。
実際には何も変わっていない。
机の上にはやるべきことが積んであるし、メールは勝手に増えるし、来月の予定は相変わらず不透明である。
それでも、当選番号を確認するまでの数日だけは、「最悪ここから抜ける道があるかもしれない」という顔ができる。
この「あるかもしれない」が意外と効く。
金で夢を買う、というと大げさだが、実感としてはもう少しせこい。
数百円から数千円で「人生の非常口っぽいマーク」をレンタルしている感じである。
実際には壁でも、緑のランプがついていれば少し落ち着く。あれと同じだ。
買ったあとは、妙に細かいことを考える。
当たったら今の部屋を出るか。
いや、引っ越しは面倒だ。
少し広いところに移るくらいで十分かもしれない。
いや、それより先にしばらく何もしない時間を買うべきか。
一億円の話をしているのに、発想が終始「数年ぶんの猶予をどう確保するか」に寄っていくあたり、自分でもだいぶくたびれていると思う。
そしてきっちり外れる。
毎回ほぼ予定通りに外れる。
結果が安定しているという点では、妙な安心感すらある。
外れた瞬間は少し馬鹿らしい。
だが不思議なことに、少しだけ気が済んでいる。
現実は何も解決していないのに、「一度逃げようとはした」という事実だけが小さく残る。
たぶんそれで十分なのだと思う。
特に、一見するとちゃんとして見える暮らしをしていると、外からは困っているように見えない。
決定的に破綻しているわけではない。
ただ、静かに消耗しているだけだ。
宝くじは、その静かな消耗に対する、あまり賢くないが一応合法の対処法である。
金持ちになりたいというより、数日だけでも「もうこれに振り回されなくていいかもしれない」と思いたいのだ。
当たらないことは知っている。
それでも買う。
反省はしている。
“ 矢野事件(やのじけん)とは、京都大学東南アジア研究センター(現・東南アジア地域研究研究所)所長であった矢野暢(1936-1999)教授が1993年(平成5年)に起こしたセクシャルハラスメント(以下、固有名詞と引用文を除き「セクハラ」で統一する)事件と、それに関連する事件・訴訟の総称である。「京大矢野事件」「京大・矢野事件」「京都大学矢野事件」「矢野セクハラ事件」「京大元教授セクシュアル・ハラスメント事件」とも呼ばれる。
日本におけるセクハラ問題化のメルクマールとなった事件とされ[1][2]、これ以降、大学でのセクハラに対する文部省(現・文部科学省)の取り組みも始まったとされる[3]。
1993年(平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野は面接と称してホテルのラウンジに呼び出し、「秘書の仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野は謝罪の念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。
上記の事情を知ったセンター助手がセンターに質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代に自分も矢野から性暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。
センターは、改善委員会を設置し、矢野のセンター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口博弁護士と相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。
1994年(平成6年)1月18日の京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章が掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日の京都新聞に『学者と人権感覚 矢野元教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章が2月10日の京都新聞に掲載され、小野は2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメントと性差別をテーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。
矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実が新聞に公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求の民事訴訟を起こしたが、いずれの判決も矢野の請求を棄却した。
事件の経緯
甲野乙子事件
1982年(昭和57年)1月末、大学3年生であった甲野乙子(仮名[注釈 1])は、甲野の通う大学の非常勤講師であった矢野暢[注釈 2]の特別講義に出席した[7]。その講義の終了後、甲野は大学内の学生食堂で矢野と話す機会を得て、東南アジア研究の話を中心に会話が弾み、自分が将来は研究者になりたい旨を伝え、甲野は矢野に自分の住所と電話番号を教えて再会を約束した[8]。三度目の面会の際、大阪市内のホテルの地下街で夕食などを共にした後、矢野は「今日は疲れているから部屋で話の続きがしたい」と切り出し、自分がチェックインしている同ホテルの部屋まで来るように申し向け、甲野はそれに応じて部屋に入った[8]。
部屋に入ってからも東南アジアの話が続いたが、突然、矢野が椅子から立ち上がり、甲野の手を握ったので、甲野は矢野の手を振り払った[8]。すると、矢野は「何で振り放った」と怒鳴り、甲野が「男の人からいきなり手を握られたら振りほどいて当然である」と答えると、甲野を平手で数回殴り、罵倒し始めた[8]。甲野は泣きながら反論したが、矢野に罵倒と殴打を繰り返され、反論も止め、手を握られるままとなった[8]。矢野は甲野の手を握りながら説得し始め、甲野の肩を抱こうとし、甲野がそれを拒もうとすると再び罵倒と殴打を繰り返した[9]。また、矢野は甲野をベッドに座らせ、自ら着衣を脱ぎ、「君も裸にならないと対等ではない」と着衣を脱ぐように求め、甲野が裸になると矢野は性交渉に及んだ[9]。矢野は「性行為は対等な人間同士がやることであり、君と僕が性的関係を持ったことは東南アジア研究を目指す者同士の同志的連帯の証である」などと言い、研究者になるために日常生活に到るまで指導することの同意を求めた[9]。甲野は黙り込んでいたが、矢野が詰問してきたために同意をした[9]。翌日、次に会う約束の日時を決めて別れた[9]。
この日以降、甲野は、矢野に殴られた跡の治療にも行かず、矢野と会う約束以外では人目を避けて寮の自室に籠りがちになり、大学の授業に出ないことも多くなった[9]。また、矢野と性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。
甲野は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野の研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野が激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係も継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年(昭和63年)、甲野は他のアルバイトも矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書が自分と矢野との関係を認識していたことを知り、自分に対する対応が研究室ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野や関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった[11]。
A子事件
1992年(平成4年)12月、京都府庁でアルバイトをしていたA子は、センターに勤務している姉を通じて矢野[注釈 3]から秘書として採用したいという申し出があった[11]。1993年(平成5年)1月8日に京都市内のホテルにあるフランス料理店にて、A子とA子の姉、矢野、矢野の所長秘書の4人で面接を兼ねた会食を行った[11]。その際、矢野は、あと数回会ってから採否を決めること、次の面接については姉を通じて後日連絡することを伝えた[11]。
次の面接日である1月12日、出張から戻ってきた矢野と駅で再会し、矢野が疲労を訴え、話し相手になってほしい旨を述べたため、A子は「私でよかったら話し相手になります」と応じた[11]。その後、会食で利用したホテルの地下にあるバーに向かい、階段を降りる途中で、矢野は「私がこういう風に疲れた時は、『先生、今日は一緒に飲みに行きましょう』とか、『先生、今日は添い寝をしてさしあげましょう』とか言わなければいけない。それが秘書の役割だ」と言った[12]。A子はバーに入った後、秘書の仕事は自分には負担が大きいので辞退する旨を述べた[12]。すると、矢野はA子に対し、「秘書としての事務処理の能力で雇うんではない。ハートの付き合いをしてもらうために雇うのである」などと怒鳴り始めた[12]。A子は「私には恋人がいるから、先生とはハートの付き合いができない」と言うと、「男がいるような妹を紹介したお姉さんもお姉さんだ。お姉さんと所長秘書には責任をとってもらう。私は所長だから辞めさせることは簡単なんだ」と畳み掛けた[12]。A子は、これらの発言を聞いて秘書採用の最終的な返答について保留し、矢野から次の休日頃に再度会いたいから予定を開けておくようにと言われて別れた[12]。
A子が帰宅後に自室で泣いていることから事情を察したA子の母がA子の姉に電話をし、A子は電話口でその日の経緯についてA子の姉に説明した[12]。A子の姉は話を聞いて憤激し、翌日、所長秘書に事情を説明し、A子の秘書採用を断り、自分も責任を取って辞職する旨を申し出た[12]。A子は、前田教授にも事情を説明した[12]。前田教授から事情を聞いた高谷教授は、A子の姉に対して、矢野に謝罪させる旨を電話で伝えた[12]。
2月25日、同ホテルにおいて、前田教授、高谷教授、所長秘書、A子の姉の立ち会いの下に、矢野はA子と会い、二度と同じようなことはしない旨を書き記した念書を渡し、「意志の疎通がうまく行かず、誤解が生じたのを深くお詫び致します」と謝罪した[12]。A子は、念書に「セクハラ」の文言を入れてほしいと思ったが受け入れられず、A子に対する言動の詳細については「あなたの心を傷付けた」という抽象的表現に留まった[13][14]。
3月8日、この事件を告発する匿名の文書が、文部大臣と文部省記者クラブに届いた[15][16]。矢野は、この事件を全面否定する釈明書を提出した[17]。
1993年(平成5年)4月中旬、矢野は出張先の東京のホテルの自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のB子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。B子は直ちに帰宅し、以後出勤することなく4月30日付で退職した[18]。
C子事件
矢野は、前述のB子とのトラブルがあった1週間後に、出張先の東京のホテルの自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のC子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。
D子事件
1993年(平成5年)6月10日、矢野は京都市内のホテルのエレベーター内で非常勤職員D子に抱きついた[18]。6月14日、D子は「矢野からセクハラを受けましたので辞めさせてください」「愛人にはなれません。報復が怖いから一身上の都合ということで辞表を出します」などと言って辞職願を出した[18]。
1993年(平成5年)6月14日、D子がセンター事務長とセンター庶務掛長に対し、矢野からセクハラを受けたので退職したい旨を訴えて辞職願を提出したことをセンター職員らが目撃した[19]。6月15日には、矢野の研究室の私設秘書全員が辞職願を提出した[19]。
A子の事情を知っていた米澤真理子センター助手(以下、「米澤助手」)は、上記の事情も知り、もはや矢野の個人的問題では済まないと考え、他の女性センター職員10名と共に6月21日付で事件の真相を究明し断固たる処置を取ってほしいという旨の質問状を「センター女性職員有志一同」名義で所長代理、副所長、各部門長、各部門主任宛に提出した[19][20]。
この質問状を受領したセンター教授らは、部門長会議及び拡大部門長会議で対応を検討し、改善委員会を設置し、矢野以外の全センター教授で構成することを決定した[19]。これらの経緯を知った矢野は、7月15日に開催された臨時の教授会において所長を辞任したい旨を申し出て承認された[21]。改善委員会委員長である高谷教授は、個人の良識に解決を委ねるべきであると考え、矢野に謝罪等の条件を実行させ、所長を辞任することで事態を収拾しようとした[22]。米澤助手は、高谷教授の報告の中にセクハラについて触れていないことを不満として、再び7月26日付で改善委員会の全委員宛に調査の継続の有無と辞任理由とセクハラの責任の関係について回答を求める趣旨の質問状を提出した[22]。
質問状を受けて、7月30日に所員会議を開き、改善委員会委員長は、センターの全所員に対し、7月29日の協議員会でも矢野の辞任が承認されたこと[注釈 4]、矢野の辞任の理由は他の公務が多忙であることとセンター内が混乱していることの責任を認めてのことであるとし、改善委員会はこれ以上の調査をしないことを伝えた[22]。その一方で、女性職員に対し、今後は非公式に懇談を続けていくことを提案した[22]。米澤助手は、非公式の懇談を続けるという提案を受け、8月中に2度の懇談を持った[22]。また、米澤助手らは、井口博弁護士(以下、「井口弁護士」)と相談し、8月20日付で、セクハラの事実を認めて被害者に謝罪するか、責任の取り方として全ての公職を辞職するつもりがあるか、という趣旨の矢野個人に対する質問書を送付した[25]。
矢野は、8月31日に正式にセンター所長を辞任した[26]。9月1日、矢野の後任として坪内良博センター教授(以下、「坪内所長」)がセンター所長に就任し、改善委員会委員長も兼務することになった[26]。9月9日、矢野は、所員会議において、所長辞任の挨拶をし、センター内に混乱が生じたことについて、遺憾の意を表した[26]。矢野は、岡本道雄元京都大学総長(以下、「岡本元総長」)、徳山詳直瓜生山学園理事長(以下、「徳山理事長」)、高谷教授、古川教授と、自分の今後の対処の仕方について相談した[26]。
同僚からの手紙で上記のような内部告発が行われていることを知った甲野は、9月24日にセンター編集室に電話し、米澤助手に自分と矢野との性的関係などの事情を告白した[27][28]。この告白を踏まえ、米澤助手は、同日の小懇談会において、矢野のセクハラの事実の有無について調査したいと申し出た[29][30]。
米澤助手らは、8月に送付した質問書について、質問書に記載した期限を過ぎても返答がなかったため、文部大臣宛に9月27日付で井口弁護士を代理人として質問書を送った[26]。10月1日、文部省は京都大学に照会し回答を求めた[29]。坪内所長は、高谷教授、前田教授の立ち会いの下、矢野に対し事実関係を問い質したが、矢野は事実関係は存在しない旨の弁明をした[29]。10月4日、坪内所長は、事実関係を調査したいと申し出た米澤助手に対し、事実関係の調査を所長の責任で公的なものとすることを決めたので、調査結果をまとめて提出してほしい旨の説明をした[29]。
米澤助手は、甲野らに公的な調査が開始されるので協力してほしい旨を伝え、甲野らから陳述書を入手した[29]。それに聴取書や証言メモを作成し、これらに基づいて作成した調査報告書と陳述書等を11月8日に坪内所長に提出した[29]。11月11日、坪内所長は改善委員会を開き、被害者とされる女性の実在と証言の自発性を確認するため、海田教授、土屋教授、前田教授、福井 Permalink | 記事への反応(1) | 19:43
“ 1993年(平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野は面接と称してホテルのラウンジに呼び出し、「秘書の仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野は謝罪の念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。
上記の事情を知ったセンター助手がセンターに質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代に自分も矢野から性暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。
センターは、改善委員会を設置し、矢野のセンター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口博弁護士と相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。
1994年(平成6年)1月18日の京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章が掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日の京都新聞に『学者と人権感覚 矢野元教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章が2月10日の京都新聞に掲載され、小野は2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメントと性差別をテーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。
矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実が新聞に公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求の民事訴訟を起こしたが、いずれの判決も矢野の請求を棄却した。”
“ また、矢野と性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。
甲野(仮名)は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野の研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野が激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係も継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年(昭和63年)、甲野は他のアルバイトも矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書が自分と矢野との関係を認識していたことを知り、自分に対する対応が研究室ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野や関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった”
—— Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6
企業研究者が大学PIポストへ続々登用される現状はポスドククライシスと呼んでもいいのではないか。
私はAI系の任期制職(以下簡単のためにポスドクと書く)で働いて3年目であり、年間600万円ほどで主に研究室のプロジェクトに従事している。
業務割合はPIのプロジェクト仕事(研究):その他仕事:自分の研究=5:2:3くらいであり、将来のアカデミアのポストのため非常勤講師もしてきた。
この春、何人かの企業研究者の方の大学への准教授・教授職の就任が同時に観測された。
もちろん、各々の方は業績的にも学術界活動的にも素晴らしいし、それに異論はないのだが、あまりにもこのような現象は自分のようなポスドクにとって報われないと思っている。
ご存知の通り、情報系、特にAIはアカデミアと産業界の賃金格差が凄まじい(軽く2倍はあると思う)。なので、アカデミアではポスドク不足が嘆かれて久しいのだが、その中でも自分のようなアカデミアに残って研究がしたい少数の人が、長年労働力になって下支えしてきた。
事実、自分の博士の同期で卒業後もアカデミアに残った人は一人もいない、前後を見てもほぼいない。
同期や後輩が自分より圧倒的に良い給料をもらって資産形成しているのを横目に、歯を食いしばって将来のために耐えているのが今のAI系ポスドクの立場だと思う。
それがどうだろう。非常勤講師に時間を割き、企業の研究費と比較したら雀の涙のような額の科研費若手で研究を行い、貧弱な計算リソースでできる研究テーマを絞り出し、小さい研究グループや貧弱な組織力、バックオフィス機能の不足によって生じる不可解なほどの量の事務作業。。。そんな私たちより圧倒的に良い待遇で生活・研究して業績を出してきた(僻みが多分に含まれるが)企業人研究者が私たちの頭を飛び越して大学のPIに就いてしまう。。。
こんな現状で卒業後アカデミアを選ぶAI系の博士がいるだろうか<いやいない>。実際、私はもうアカデミアを見限ったし、民間への転職活動を始めている。将来いい感じに業績が積み上がったらぼちぼちJrecinを眺めてPI職へ応募するつもりだ。
この傾向は今後どんどん加速するだろうが、そうなったら研究室運営の泥臭いところを担うのは一体誰なのか?
業績などをフラットに考慮すると優秀な企業人が今の時代上に来るのも分かるし、AI研究は今や産業界がリードしていることを考慮すると、アカデミアー企業間の人材の流動性は重要だと思うのだが、何か救済がないとしんどいですよ
研究室の深夜、A子は青白く光るスマートフォンの画面をスクロールし続けていた。指先が微かに震える。
きっかけは、E子が泣きながら見せてきた、ある匿名アカウントのポストだった。
『研究室の人間関係で悩む暇があるなら、一行でも多くコードを書け。成果も出さずに被害者面をするのは、甘え以外の何物でもない。自己責任だ。嫌ならさっさと卒業しろ』
その文体、独特の句読点、そして専門用語の使い回し……。A子の脳裏に、いつも首元にヘッドホンを引っ掛け、だらしなく笑う三矢准教授の姿が浮かんだ。
調べていくうちに、同様の論調を展開する複数のアカウントが見つかった。あるアカウントは「教育的配慮」を装い、またあるアカウントは「冷徹な合理主義者」を演じている。しかし、その根底にあるのは共通した執念――被害を訴える女子学生たちの口を封じ、「研究への集中」という名の沈黙を強要する攻撃性だった。
さらにA子の吐き気を催させたのは、その匿名アカウントの毒を、実名に近いアカウントで熱心にリポストし、拡散している人物たちの存在だった。
「やっぱり三矢先生の言う通りだよな。研究室ってのは戦場なんだから。感情論を持ち込む奴は、最初から向いてないんだよ」
そう呟いているのは、D男だった。彼は石田教授からも三矢からも「期待の若手」として可愛がられている。D男は三矢の匿名アカウントを「正論を吐く謎のインフルエンサー」として崇拝し、その言葉をさらに研ぎ澄ませて、E子やG子といった弱っている学生たちへ投げつけていた。
SNSという閉鎖された空間で、三矢が種をまき、D男たちがそれに水をやる。
被害者たちは、物理的な研究室でも、デジタルの世界でも、逃げ場のない「自己責任論」の檻に閉じ込められていった。
『三矢准教授は、抽象的な概念を咀嚼する点では……少し、独自の「限界」があるのかもしれない』
あの時、石田が浮かべた薄ら寒い微笑みの意味が、ようやく氷解した。
石田は知っているのだ。三矢が夜な夜な匿名アカウントを操り、必死に学生たちを叩いていることを。そして、それを「頭が足りない男の、石田に好都合な、浅はかな工作」として、高みの見物で楽しんでいるのだ。
三矢が「嫌われ役」を引き受け、ネット上で泥臭い隠蔽工作に走れば走るほど、石田本人の手は汚れず、聖人君子としての地位は揺るがない。石田は三矢の短慮さを「バカだ」と蔑みながら、そのバカさが生む「沈黙の圧力」を最大限に利用している。
(……なんて醜い構造なの)
A子は画面を消し、暗闇の中で深く息を吐いた。
三矢は、自分が研究室を守る「守護者」であると信じ、歪んだ使命感でスマホを叩いている。D男は、それが強者の論理だと信じて、喜々として同調している。
そしてそのすべてを、石田教授は「物の本で読んだ」極地の風景を眺めるように、冷徹に観察し、序列を管理している。
三矢の「頭の足りなさ」は、石田という巨大な蜘蛛にとっては、網を強化するための安価な接着剤に過ぎなかった。
廊下の向こう、まだ明かりのついている准教授室から、カタカタとキーボードを叩く乾いた音が聞こえてくる。それは、誰かの人生を「自己責任」という言葉で塗り潰そうとする、終わりのない埋葬の音だった。
A子は、暗闇の中で決意した。
研究室の空気は、日を追うごとに密度を増し、吸い込むだけで肺の奥が重くなるような錯覚を覚えさせていた。そんな折、G子の元に石田教授から一通の簡潔なメールが届く。
『H男くんと同席で、今後の共同研究についてミーティングを行いたい。11時に教授室へ』
G子はその画面を見つめたまま、微かに唇を噛んだ。
彼女の瞳には、すでにA子や壊れていったB子が抱いていたものと同じ、光のない虚無が宿り始めている。
定刻、H男と共に教授室を訪れると、石田はいつものように深く椅子に腰掛け、二人を温厚な微笑で迎えた。ミーティング自体は滞りなく進んだが、G子は終始うつむき、H男が活発に意見を出す傍らで、機械的にメモを取るだけだった。
数時間後、解散したばかりの二人の元に、石田から一通のメールが届く。宛先はH男、そしてCCにはG子の名が入っていた。
件名:極地での指針について
H男くん、先ほどの議論の補足だが、ふと思い出した「謎かけ」を一つ。
『極地方において、磁気嵐や吹雪で方角を完全に見失った時、探検家はどうやって進むべき道を見つけると思うかね?』
H男はスマホの画面をスクロールし、首を捻った。最近急にG子の化粧が濃くなったけれど、何かこのことと関係あるのかしらん。彼は極めて真面目で研究熱心だが、石田のこうした「哲学的な余談」に隠された真意を読み解くほど、海千山千の男ではない。彼はすぐに返信を打った。
彼には少しの茶目っ気があるのだ。
『正解は「氷の空(アイス・ブリンク)」と「水の空(ウォーター・スカイ)」を見分けることだ。
氷に覆われた大地の上空は白く光り輝くが、海面の上は氷がないため、太陽光の反射率が極端に低くなる。その結果、遠くの空に「暗い影」が映し出される。それを目印に海、つまり開けた場所を探すのだ。
……もっとも、これは私が物の本で読んだだけの知識だがね。我々の研究も、このようなものだ』
H男はそのメールを読み終え、
「なるほど、流石は先生だ。Wikipediaを編集するだけのことはある」
と感心したように独り言を漏らすふりをした。彼は、石田が自分に「進むべき道を見失うな」という教育的なメタファーを与えてくれたのだと、好意的に解釈した。性質のまっすぐな、根が良い男なのだ。
しかし、CCでその文面を受け取っていたG子の指は、激しく震えていた。
H男は知る由もなかった。
このメールが届く数日前、すでにG子は石田の「餌食」となっていた。閉ざされた教授室で、逃げ場のない言葉の暴力と、拒絶すればキャリアが死ぬという無言の圧力。彼女にとって、石田が語る「暗く見える海面」とは、希望の光などではない。
それは、真っ白な偽善(アイス・ブリンク)に覆われたこの研究室の中で、唯一、自分が引きずり込まれた「底なしの暗渠」そのものを指していた。
「物の本で読んだだけ」という石田の免罪符のような一言。それは、G子の身に起きている凄惨な現実を、あたかも「どこか遠い世界で起きている客観的な事象」として処理し、責任を回避する石田の不気味なシグナリズムだった。
H男が「勉強になりました」と能天気に返信を打っているその裏で、G子は確信していた。
石田は今、H男という「何も知らない第三者」を証人として介在させることで、自分とG子の間に横たわる歪な関係を、より強固な、誰にも暴けない密室へと変貌させたのだ。
白く輝く氷原の向こうに、暗く濁った空が見える。
研究室の片隅、顕微鏡のモーター音だけが低く響く昼下がりに、後輩のD子がA子の元へやってきた。その顔は土色で、指先は小刻みに震えている。
人気のない資料室に移動した瞬間、D子は堰を切ったように話し始めた。
「E男さんが、しつこいんです。毎晩のように『研究のアドバイスをあげるから、二人で飲みに行こう』ってLINEが来て……。断っても『石田先生も、君の協調性のなさを心配してたよ』って、先生の名前を出して脅すみたいに誘ってくるんです」
A子の背筋を、冷たい不快感が走った。E男は石田教授のお気に入りで、三矢准教授からも「勢いがある」と評価されている学生だ。しかし、D子の訴えはそれだけでは終わらなかった。
「それから、最近……SNSに、変なアカウントが粘着してきてるんです。私のプライベートな投稿に全部コメントしてきて、DMで『今どこにいるの?』『OBのF一郎だけど、君のこと、石田先生から聞いて興味持ったんだ。今度会おうよ』って……」
F一郎。かつてこの研究室を卒業し、今は関連企業で力を持っている人物だ。A子の脳裏に、石田教授のあの慈悲深い微笑みがフラッシュバックした。
D子の震えるスマホの画面を見つめながら、A子の中に、ある戦慄すべき仮説が浮かび上がった。
教授は、研究室内の力関係を巧みに操り、E男のような「忠実な駒」に、自分のお下がりのような、あるいは「次に狙うべき獲物」としての女子学生を、餌として与えているのではないか。
さらに、卒業したOBであるF一郎にまで、現役学生の個人情報や弱みを「手土産」として差し出している。教授を頂点としたピラミッドの中で、女子学生たちは一人の人間に所有されるのではなく、支配層の男たちの間で「シェア」される共有財産として扱われているのではないか。
A子が掠れた声で尋ねると、D子は絶望に満ちた目で答えた。
「先生に相談したら……『E男くんもF一郎くんも、君の才能を認めているからこそ、熱心に誘っているんだよ。彼らと仲良くすることは、君のキャリアにとっても大きなプラスになる。……それとも君は、B子さんみたいに、周囲の好意を悪意に受け取ってしまう不健康な精神状態なのかい?』って、優しく諭すように言われて……」
石田教授は、女性たちを「救済」するという名目で囲い込み、それを自分を支える男たちに分配することで、研究室という名の強固な「帝国」を維持している。
B子が壊されたのも、単なる事故ではない。彼女がその「システム」に気づき、拒絶しようとしたからこそ、石田は三矢という「善意の執行人」を使って、彼女を徹底的に排除したのだ。
D子が泣きながらA子の服の袖を掴む。
「A子さん、私、どうしたら……。A子さんなら、石田先生に信頼されてるから、なんとか言ってくれませんか?」
A子は言葉を失った。
今、ここで石田に意見すれば、自分もB子と同じ道を辿ることになる。三矢准教授が「君の将来のために消してあげたよ」と笑いながら、自分のこれまでの努力をすべて消去するだろう。
そこでは、学問という聖域を隠れ蓑にして、女性たちがモノのように鑑定され、受け渡され、消費されていく。
「……わかった。少し、考えてみる」
A子は、自分の声が嘘のように冷たく響くのを感じた。
D子を助けたいという想いよりも先に、自分がいかに深く、その「シェアの構造」の一部として、石田の隣に据え置かれているかという恐怖が、彼女の思考を麻痺させていた。
資料室を出る際、廊下の向こうで石田教授とE男が、親しげに肩を並べて談笑しているのが見えた。石田がこちらを向き、いつもの鋭い、非の打ち所のない微笑みを投げかけてくる。
その目が語っていた。
「君も、私の大切なコレクションの一部だよ」と。