■ ドラゴンFW久保が引退元日本代表のストライカーでサンフレッチェ広島、横浜Fマリノス、横浜FC、ツエーゲン金沢でプレーしたFW久保竜彦選手が現役を引退して、指導者の道に進むことが明らかになった。2010年、2011年はJFLの金沢でプレーしたが、契約更新はされずに移籍先を探しており、その動向が注目されていたが、結局、移籍先は見つからず、現役引退の決断を下したという。
国際Aマッチは32試合に出場して11ゴールを挙げているが、改めて、FW久保のゴールシーンを見ていくと、普通では考えられないゴールシーンが多くて、「日本人離れした」という形容詞がよく似合う選手である。破壊力満点の左足のシュートと、打点の高いヘディングシュートが大きな武器になっていたが、強さや高さだけではなくて、柔らかさも備えていたのがFW久保の特徴で、強烈なシュートを打つと見せかけて、ふわっとしたループシュートを放ってネットを揺らすシーンも多かった。
今でも語り草になっているのが、ジーコ監督時代の2004年春の欧州遠征でのパフォーマンスである。4月28日に行われたアウェーのチェコ戦では、右サイドでボールを受けると、柔らかいドリブルで相手ディフェンスをかわしてから強烈な左足のシュートをお見舞いして、1対0の勝利の立役者となった。当時のチェコは世界でもトップクラスのチームで、そのチームから個人技でゴールを奪ったことで、国内外に大きな衝撃を与えた。
また、その1ヶ月後のアイスランドとの試合でも2ゴールをマークした。この試合は中立地のイングランドで行われたが、1点目はMF小野のパスから中央をドリブルで突破してから左足のループシュートを決めて、2点目もMF小野のパスからGKの頭の上を越すループシュートを決めて、3対2の勝利に大きく貢献した。一人で相手ゴールをこじ開けられるストライカーを必要としていた日本サッカー界にとっては、待ち望んでいたタイプのフォワードで、「FW久保が日本代表を次の次元に導いてくれるのではないか」と、誰もが期待をかけた。
代表戦だけでなく、Jリーグでも、何度もスーパーゴールを見せてくれたが、もっとも印象に残っているのは、横浜FC時代の2007年の開幕戦で決めてスーパーロングシュートである。チーム史上初めてJ1に昇格した横浜FCが、開幕戦で前年のリーグ王者の浦和レッズと埼玉スタジアムで対戦したが、40メートルはあろうかという位置から、得意の左足を振り抜いて、誰もが驚くロングシュートを決めて見せた。当時の浦和は「最強」の名を欲しいままにしていて、秋にはACLを制してアジアチャンピオンに輝くが、その浦和を相手にJリーグ史上に残るスーパーゴールを決めて、リーグに衝撃を与えた。
■ 怪我に泣いたサッカー人生高さもあって、身体能力も高くて、シュートテクニックもあって、ストライカーに必要とされる能力のほとんどを有しており、日本人ストライカーとしては、史上最高レベルのポテンシャルを秘めたフォワードだったが、残念ながら、怪我に泣かされ続けたサッカー人生だった。2002年までプレーした広島時代も、シーズンを通してフルに活躍できたことは少なかったが、横浜FMに移ってからは、さらに怪我が増えて、戦列を離れることが多くなった。
そのため、W杯にも出場することはできなかった。これほどの選手がW杯に出場できなかったことは、本人だけでなく、日本サッカー界にとっても痛恨だった。チャンスがあったのは、25・26歳のときに開催された日韓W杯と、29歳・30歳のときに開催されたドイツW杯の2大会で、トルシエジャパンでは、トルシエ監督の初采配試合となった1998年10月のエジプト戦でも起用されているので、立ち上げ当初からトルシエ監督の構想に入っていたが、トルシエジャパンでは結果を残すことができず、FW西澤、FW柳沢、FW高原、FW鈴木といった選手たちとの争いに勝つことができなかった。
その後のジーコジャパンでは、前述のように2004年の欧州遠征で圧巻のゴールを決めて、名実ともに日本代表のエースストライカーと呼ばれるようになった。結局、2004年は、日本代表の一員として、9試合に出場して6ゴールを挙げる活躍を見せてジーコ監督の信頼を勝ち取ったが、2004年シーズンの途中から怪我に悩まされて、2005年は代表戦に出場することはできなかった。
それでも、FW久保に期待する声は多くて、ワールドカップイヤーの2006年に日本代表に復帰してきて、2月のフィンランド戦とインド戦でゴールを決めたが、本来のパフォーマンスには程遠かった。ただ、実績は十分だったので、「FW久保は、23人枠には入るのでは?」と予想されていたが、サプライズでFW巻誠一郎が招集されて、FW久保は落選となった。W杯は、4年に一度の大会なので、巡り合わせが悪くて活躍できなかったスター選手は多いが、FW久保もその一人といえる。
■ FW久保竜彦がW杯の舞台でプレーしていたら・・・「無事これ名馬」という言葉もあるが、怪我をしないことも一流選手にとっては大事なことである。かつて、「怪我をするということは、その選手に何かが欠けている証拠だ。」と川上監督は語っていたが、FW久保の場合、自らの持つポテンシャルに体が追いつかずに、怪我を重ねてしまったという印象である。同級生となる元ブラジル代表のFWロナウドにも同じことが言えるが、スーパープレーの代償として、常に怪我の危険性が付きまとってきて、怪我をすることなく、常人をはるかに上回るプレーを続けるのは、彼らのような「超人」でも難しかった。
そのため、「FW久保が怪我をしなかったら・・・。」と考えるのは、有意義なことではないかもしれないが、『最高潮のFW久保がW杯の舞台でプレーしていたら、世界にどれだけの衝撃を与えることができたのだろうか・・・。』と想像したことは、サッカーファンならば、誰でも、一度は、経験済みのことだろう。それだけ、FW久保というストライカーには、底知れないポテンシャルがあって、これまでの常識をすべて覆すような働きが期待できた可能性を秘めたプレーヤーだった。
朴訥な語りで、インタビュー泣かせの選手だったが、余計なことは語らなくても、プレーで魅せることができる選手は、それでも全く問題はない。フランスW杯以後、「相手ゴールをこじ開けることができるストライカー」を待望していた日本サッカー界にとっては、まさしく理想的なストライカーで、チェコ戦、アイスランド戦では、そのことをピッチ上で証明した。もし、彼がW杯のピッチに立っていたら、日本サッカーの歴史は変わっていたかもしれない、と思わせてくれる数少ない選手の一人だった。そして、残念ではあるが、「ポスト・久保」、「ポスト・ドラゴン」と呼ばれる選手は、なかなか出てこないだろうな・・・とも思う。
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