はてなキーワード: 加虐性とは
『弱い人はずるい』
そのような感覚を一生涯拗らせて生きていくような気がする。
まぁ片親ではあるんだけど、シンプルにこのような人になりたいと素直に吐ける位には母親のこと尊敬してるし好きだし、祖父母も若いから幼い頃はしょっちゅう送り迎えだのしてもらったし、現在進行形で実家であったかい世話を受けながらぬくぬくと生活している。
友人もいるし、なんだったら恋人までいる。めちゃくちゃ順風満帆な生活してるし、仕事もまぁブラック寄りではあるけど世を嘆くほどじゃない。いや世の中はメチャクチャなんだけど、私には、なとりとキタニタツヤと米津玄師がついてるし。
なのに、弱い人は常々ずるいなぁと思ってしまうのだ。
私は恵まれてる。あったかい家の中で、優しさに包まれて生きてきた。
弱い人は、悲惨だ。
寒空の下とまでは行かなくても、親同士が仲が悪いとか、徹底的な監視下の元の教育とか、さぞかし生きづらくて生きづらくて生きづらくてしょうがないような家庭環境で生き抜いてきたんだろう。私には想像もつかない。だって、私は不幸で哀れな人間だなんて口が裂けても言えないくらいには恵まれてるから。
ないものねだりなのはわかってる。私のこの強さとズルさが恵まれて生きてきた幸福な人間の暴力なんだってわかってる。わかってても。
弱いからって他人に甘えて他人を食い物にするその姿が羨ましい。
弱いから特別に配慮してもらうのを当然の顔して受け取るその態度が羨ましい。
弱いから、守ってもらえるのが、すごく羨ましい。
他人の助けを借りなくても1人でなんとかしようとしてなんとかなったりするし、眠剤に頼らなくても夜は眠れるし、精神安定剤なんてなくても仕事に行けるし、働けるし、頑張れる。
だから、弱い人が守ってもらってる姿を見ると許せなくなってしまう。なんで、私は頑張ってるのにお前は頑張らないんだって思ってしまう。口には出さない。だって私とお前は違う人間だから。それぞれに違うものを抱えて生きてきて、お前の方が大変なんだろうことは目に見えてるから。
思ってしまうのが嫌だ。
それで、弱いのはずるいって思考になって行ってしまう自分の幼稚さと暴力性が嫌だ。
弱い人間が溢れかえるこの世の中で、自分の加虐性を抑えながら生きていくの、しんどいよ。
みんな強くなってよ。弱いところばっかり見せないで。言いがかりをつけて、追い詰めて、快感に酔いしれて、悪びれもなく開き直っていたい。
ここからは懺悔なんだけど、実際、友達に自分の中の暴力性を大いに奮ってしまって10年来の友人を3人ほど無くした。それに寂しがってしまう自分がいるのがとんでもなく悍ましい人間であることの証左すぎてマジでつらい。
いじめの加害者なんて人生ぶっ壊れて当たり前って論調の世の中で、私が生きていける余地なんてない。
弱い人間は、ずるい。
どんどんと数を増やして、マイノリティになっていく。多数派の暴力で殴っていることに気づかないままずっと不幸せそうな顔して人生を謳歌するんだろう。
早く、それになりたい。
でも、それだと被害を受ける人がいるから、ヘイトスピーチ解消法とか侮辱罪厳罰化など別の切り口で規制するんだ。表現の自由の範囲を狭めるわけではない。
表現自体を止めさせる権限は恣意的に運用されやすくものすごく危険な権力で、めちゃくちゃ慎重に運用して適用範囲も最小限にすべきなんだ。
たとえば、ヒトラーのナチズム満載の「我が闘争」の出版を禁止すべきか、というと現代では注釈をつけて攻撃的で偏った思想だということを明確にして出版すべきというスタンスの国が多い。加虐性を無害化して記録としては残す。「我が闘争」が悪書だとしても悪書の出版を禁止した前例を作ると、お前のこの本も悪書だから禁止という恣意的な判断を防げない。
ハフポストが書いたような『作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待。男性による未成年の少女への性暴力や性加害そのもの』(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_624f8d37e4b066ecde03f5b7)と言うのは完全に否定出来る内容だった。
つい胸に目がいってしまうとか意識してしまうような展開だとかそう言うのは描かれつつも、大人としてコンプライアンスを意識して絶対に女子高生に手を出してはいけないとか、社会人ヒロイン相手にも変に意識してると思われたら気持ち悪がられるとか、そう言うシチュエーションをギャグとして描き出してる一種のラブコメ的な作品だった。
またこの文言、そもそもは『作品で描かれているのは数々の痴漢行為』としていたのを『作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待』と書き換えたもの(https://twitter.com/gerogeroR/status/1515599242773303296)だけど、法で定められる痴漢行為は無かったことから改めたものの、ある程度男性の加虐性があることにしないと自分達の言い分が通らないから『性的な虐待』と書いた程度のものだろうと思う。
次に、女子高生かくあるべしとしたステレオタイプを促す作品かどうかだけど、そんなもの皆無でしょ。
確かにこの作品は胸の大きな女性が好みな男性作者が理想の女子を描いてラブコメしてるけど、このミラーリングはせいぜいイケメン男子が好きな女性作者が理想の男子を描いてラブコメしてるくらいのレベルで、どちらにしても理想の異性を描くと言う行為は大前提として『こんな奴はいない』があると思う。だからこそ理想であり都合よく描けるのであって、ましやそれをステレオタイプだなんて対極にも程がある文句だなと思う。
ちなみに月曜日のたわわに所謂パンチラは一切出てこない。作者が興味ないらしい。私も興味ないけど。
対して胸が大きい女性は女子高生のみならずガッツリ会社員ヒロインも出てくる。何を描きたいかハッキリし過ぎてる。
むしろ個性のなさ(ステレオタイプ)で言えば男性描写の方に問題ありそう。顔がなくて髪型でしか見分けられないから、女子高生と電車に乗る男と会社員として働く男が別の男と認識するのに時間かかりました。
結局表現物は何を思ってどう描かれたかより、見た人がどう受け取ったかの方が圧倒的に重視されてる世の中だと思う。
描き手の0から100まで理解しましたなんてのは無理で、私はこう思ったと言う千差万別な感想で溢れてるから。
ましてや誰かの理想なんてカロリーの高いものが誰かにとってはキモいとも取れるのは当たり前で、それを楽しめる人は楽しんでると言うそれだけのこと。
以下、駄文
と言うか、着衣してても性的に表現してるからアウトなんて言うのは、あらゆる創作物を対象として考えた時、私はラインが引けない。
月曜日のたわわなら、大きな胸が男性からして性的な魅力を持って描かれたからアウト、とかなんだろうけど、じゃあイケメンが女性からして性的な魅力を持って描かれたからアウトも通る。
一々書かれたものに性的な意図を持ってるかどうか書いた人に確認しなきゃいけなかったり、それが性的なのかどうか男女平等に且つ曖昧なラインを誰の判定に任せるのか等、またそれだけコストかけてリターンはどれだけあるのか、色々と包括して私は今の規制派の意見じゃ全く割に合わないとしか思えない。
そんな必要はない、たわわは性犯罪を助長するからたわわは規制だなんてごり押しして特例の前例を作ってしまうと、後々誰がどうこの特例を悪用するか、一度でも特例の規制は作るべきではないと思う。ましてやたわわ程度のもので。
たわわも引っかかるラインでわかりやすいのは未成年描写はアウトだけど、創作物からあらゆる未成年描写を排他って、いかがですかね?
とりあえず、たわわ広告規制に反対する人へ表自戦士やらエロを守りたいだけやら馬鹿みたいな揶揄が飛んでますけど、上記を読んで貰えば分かる通り、反規制派なんてものじゃなくて、規制に然るべき理由とそのラインが腑に落ちるものであれば、大体の人は何が何でも規制に反対とかそんなんじゃないと思います。
まず、最初に彼の語ったいじめ(と言うより暴力行為)は決して許されるものでは無いと言う事を申しておく。その前提の上で、一個人の意見を述べたい。
この問題に関して調べていくと、90年代鬼畜カルチャーという文言をよく見かける。私は現在30歳で当時の空気感がわからないが、鬼畜カルチャーに関しての個人的感想を述べたい。
当時のお利口で軽薄でゴージャスな成金文化へのアンチテーゼみたいなものだったのだろうか。綺麗なメッキを剥がした下のグロテスクな現実を暴くという大義名文の下、弱者を痛めつける事をコンテンツ化し面白がり消費していたのだろう。消費する事が強者であるバブル文化の中で、それに乗り切れなかったものが、強くあろうとしてもがいた結果なのかとも感じた。
そんな時代の空気感の中で、メインのカルチャーに馴染めなく、自意識過剰な斜に構えた者たちへの娯楽として供給された文章が、例の案件だったのではないか。
小山田氏の語った行為は許さない事だが、当時の消費者が求めていた娯楽を提供したと言う点では、彼は仕事をこなしたと言えると私は思う。その内容はいいか悪いかを置いておいて。
何度も述べるが、私は小山田氏の語った行為に関して擁護はしないし、許されない事だと思っている。だが、当時の時代の空気を考えると加害者は彼や出版社で無く、鬼畜カルチャーを面白がってた人達にもある。当時の空気感を無視せず、そこを社会全体で追及し、反省するべきではないか。
現在の彼に対する私刑ともいえるネットリンチを見てて思う事がある。これは90年代悪趣味カルチャーと地続きではないかと。
意気揚々といじめはダメだと語り、彼に退任を求めてた姿は、次第に彼への攻撃をコンテンツ化し、エンターテイメントとして消費しているように感じた。集団いじめの本質は、誰かが理由を作りその理由を元にターゲットを決め、皆で面白おかしく攻撃する。現在の私刑リンチは、皆が非難している小山田氏の加虐行為と被らないかと私は思うのだ。
鬼畜カルチャーがメッキの下に隠された加虐性をコンテンツ化し供給するものだと仮定すれば、現在の私刑カルチャーは加虐性にメッキを塗りたくり正義感のラベルの下で楽しんでいるように思える。
上記の点を踏まえ、私は個人個人が自己の加虐性を認め、90年代鬼畜カルチャーを総括し、負の連鎖を断ち切る必要性を感じている。
日本、そして世界のネット掲示板及び書き込みサービス民の皆様、こんばんは
https://anond.hatelabo.jp/20210606173116
の続き
だいたい本田未央競馬辞めるネタ問題は現代社会が国民の加虐性を膨張させてきたのも原因だろ。
https://twitter.com/momotar35639597/status/1401011532478046208?s=19
https://twitter.com/red_autism/status/1399844698861105152?s=19
https://twitter.com/ishiijunpei/status/1399681471963570181?s=19
親ですらその経済戦争のコマでしか子供を見てないようなのが下地思想…
そこから外れれば
加虐思考に染まってしまうようなのに近い情勢を生んでしまったんだよ。
番外。
https://twitter.com/search?q=honryaku%20%20since%3A2021-05-06%20%20until%3A2021-05-08&s=09
振る舞いや言動が胸糞悪い漫画バナー広告に出てくる毒婦や毒親みたいじゃないですか。
コイツはきらら原作漫画から何を学んだんだよ…(´• _ •` )
ストーリー上で問題が起きた時にどのようにしてキャラを動かして着地させたほうが良かったのかと検証・分析してこそ真のオタクなんじゃねえのか?
デレマスであのとき本田未央は、クールでドライな反応でほか2人を支えてれば良かったのか?
はっきり言って馬鹿げてる。
あんな奴は単細胞な感情持ってるただのシニカリストなコレクターだ、マジで。
番外2
事実上キュルルもカラカルも脚本の被害者であったことが証明され、けもフレ2コミカライズは「2」としてではなく
「けものフレンズ エピソードキュルル」という独立した作品に該当されるのかも知れない。
https://twitter.com/Tamalilis/status/1394574555335708676?s=19
話を戻す。
とにかく残機ゼロ思考や子供を経済競走のコマでしか見てないような、金メダル的なのを過剰に要求する教育の結果が
ヤムチャやオルガ、2005年日本シリーズのときの阪神をおちょくり、
それに立川で19歳のガキが社会規範の大義名分を名目として1人の女性の未来を破壊した事件なんて
俺は俺が絶対正しいとは思ってないしエロマンガについて酷評することは初めてなくらいだけど…ぼくはこのマンガだけはアカンと思った。
タイトルにNTRってついてるんだけどさ。NTRについて解釈違いしてる。
解釈違いとかジャンル自体に欠陥がある作品ってやっぱ頭にくるね。
俺が絶対正しいとは思ってないけど、
「ちゃんとヒットした作品を勉強してたり、登場人物に愛情があったらもっと違う表現ができたよね?」
ぐらいのことは思います。
NTRってさ「悔しい…でも感じちゃう(抜いちゃう)」なのに、幻滅だけで終わっとるやん
別の作品を挙げて「これが正しいNTRじゃ」って説明するのもありだけど、それ以前の問題として「感情移入できないNTRで抜けるかボケ」ってなった。
僕がマンガ家やイラストレーターさんを尊敬してるのは絵がうまいだけじゃなくて、その解釈まで素晴らしいからだけど…これは相容れない。
NTRっていうのはさ…男のダメさと加虐性と向き合う性癖なんだよ。
もちろん、人間には独占欲があって「自分のものにしたい」って言う欲望もあるんだけど、そうならなかったら幻滅するっていうのはNTRじゃないんだよ。
幻滅よりも乱れてる女性を見た時の悦びとギャップで抜くから成り立つ。ヘタレが女の子を取られて幻滅して拗ねるだけのやつはNTRって言わないです。
幻滅するようなNTRがあっても結局抜いてしまって「俺ってダメなやつであると同時に、結局女の子をメチャクチャにしたかった&乱れてる時に助けにも入れないんだな」ってのがNTRです。もしくは間男になってでも汚したいか
NTRってDQNや絶倫男に女の子が股を開けば成り立つとかそういう性癖じゃないんですよ。
そういうのを目の当たりにしても止めに入る・糾弾するわけでもなく抜いたり、むしろそういう目に遭わせてでも自分のものにしたいとか…そういう人間の欲深さと向き合う性癖なんだよ…
自分の観測範囲だけかもしれないが、好きなキャラが苦しむ姿に(悪いとわかってはいるんだけど)興奮してしまうと言及する人が少なくない。
曇らせたいとかズタボロになってほしいとか、申し訳ないがさっぱり理解できない。オタクならみんなそう考えちゃうでしょというような言葉もちらほら見かけたりする。いやいやそんなことないですって。
傷つく姿に色気を感じたりするのだろうか。フィクションのキャラに対しては秘めた加虐性が発露されやすいのだろうか?
自分の推しキャラには幸せになってほしいと思っているけど、同じキャラを好きな人同士で話しているとわりとそういう話題になってしまいがちで、推しを何だと思ってるんだと怒りすら湧いてきてしまう。でもこんなことで怒るとただの危険人物なので黙るしかない。
女性向けジャンル(ここで言う「女性向け」は元増田が挙げたような男性キャラ率100%のソシャゲ等のことです)のはずなのに公式が顧客である女性への加虐性や性欲を満たすことを優先するのってわりとあるあるだよね
ドS男子が好きな女性向けにそういうキャラ付けをされているとかではなく女性読者をただただ不快にさせるような台詞を言わせたり
人気の男性キャラの作画は手を抜いて正直あまり人気がなく売り上げも見込めない男の娘や女装子キャラ、下手すると通行人Aレベルのモブキャラ女性の作画に力入れまくったり
女の子を描けないストレス・オカズにできない男キャラを描き続けるストレスが凄すぎてそうでもしないとモチベーションが上がらないんだと思う
お金儲けのために人気の男性キャラを露骨に優遇する等安易な人気取りに走るのもよくないけどそれすらも投げ捨てて優先される男の本能ってどんだけ強力なんだ
男性キャラ女性キャラどっちも出てくるような一般向けゲームや少年漫画・青年漫画の方が書き手の嫌な加害性を垣間見ることが少ないと思う
この場合のヒーローは特定の作品や人物というより、幼い子供が憧れるもの全般だ。具体的にはアンパンマンだとかプリキュアだとか戦隊ヒーローだとか。人によってはロボットアニメなどもこの括りに入るのかもしれない。
これはあくまでも私の意見であり、吐き出し用の記事だ。なにかを呼び掛けたり共感を求める内容ではない。
以下、特定のものに対して『気持ち悪い』などと言うが、該当のものを愛好する方を否定する意図ではない。
物心ついた頃から日曜の朝は戦隊を見ていた。当然その後(今は順番が変わってしまったが)のライダーだのプリキュアだのも見ていたが、何より戦隊だった。
その素晴しさについては今回関係がないので割愛するが、私はその長寿シリーズが持つ魅力に取り憑かれ、自分の生まれる前の作品までレンタルで視聴するようなオタク予備軍になっていった。未就学児の頃のことである。
その情熱は小学校高学年くらいまで続いた。私は小学4年生くらいの頃からインターネットを使い始めたのだが、当時一番の楽しみはWikipediaで好きな戦隊のページを見ることだった。
結局、現行の作品にハマれなくなってきたり他のジャンルのオタクになったりして、中学に上がる前には戦隊から離れてしまったのだが。
あの頃と異なり、今の私はオタク予備軍ではなくただのオタクである。中学時代はpixivで二次創作を漁り、高校時代は即売会や専門店で同人誌を漁った。
そんな私が好きな戦隊の名前をpixivの検索欄に打ち込むのは当たり前のことだ。
そうしたら出てくること出てくること、18禁のオンパレードだった。
これは私の個人的意見だが、古い作品であればあるほど18禁の割合は高い気がする。ニッチなオタクしか残らないからであろうか。
女性戦士のあられもない姿は沢山、男性戦士の特殊性癖を含んだ作品もあった。無理だった。気持ちが悪かった。
絵の技巧は関係ない。小学生レベルの殴り描きもあったし、プロレベルのCGもあった。どれもすべからく気持ち悪かった。サムネイルの時点でげんなりとしてしまい、結局ろくに普通のファンアートを探せなかった。
女性向けのいわゆるBLは数が少なかった(こういうのはもっと隠れているのだろう)が、少ないながらに検索に引っ掛かってしまったそれらもまた気持ち悪かった。露骨な性的描写がなくとも、作者の思惑が透けている気がしてダメだった。
ヒーローピンチ、などと呼ばれる嗜好だ。普通に検索エンジンでヒーロー名を検索していたら、この嗜好の方が追い詰められた戦士たちのスクリーンショットをまとめたサイトが引っ掛かってしまったのだ。
簡単に説明すると、ヒーローが怪人などに追い詰められる様や苦しげな姿を愛好する嗜好である。私はここに、特殊性癖的な加虐性を感じてしまった。これは私の感じ方が間違っているのかもしれないが、一度そう見えてしまうともうダメだ、気持ちが悪い。
二次創作と違い性描写があるわけではない。ただ公式の画像を無断転載しまとめているだけだ。
そこで私は自覚した。私は『ヒーローへ向けられる性欲』を気持ち悪く感じているのだと。
二次元だったら推しのえっちな本が大好きだし、三次元でもAVとかは全然良い。
ただ、ヒーローがえっちに見られているのが嫌なんだ。多分まだ見ていないだけで、仮面ライダーのエロ同人とかも絶対見られないと思う。アンパンマンとかプリキュアはそこまで好きでもなかったから多分平気だけれど。
っていうだけの話。
を以前から感じていた自分の感覚を褒めてあげたい。自分は美術の授業は好きだったけど、別に芸術の勉強をしっかりしたわけではない。けれどどうもあの写真家の写真から、無機質なのに生々しい違和感、加虐性、暴力性みたいなのを感じてしまう。そういうのを売りにしてたのかはしらん。そういうのを生命のリビドーとか性の躍動とか人間の業とかうんたらかんたらとかいって有難がる人もいるとは思う。
でも大学で周りがいくら良いと言っていてもどうも腑に落ちなかったし、お節介な友達が手持ちの中でも厳選した写真集を貸してくれた時も、なんでこの人がこんなに評価されてるんだろうとしか思えなかった。(同じ友達からライアンマッギンレーの写真集を借りたときは、なんかわからんが良いなぁと思えたから、別にその友達のおススメを否定したい気持ちがあったわけじゃないと思う。)
写真をきちんと学んだことはないから写真を勉強した人が聞いたら怒られるだろうけど、それなりのカメラで白黒にして多少画面がガサついていて『普段あまりお目にかかれないエロい構図、アンニュイな光景』を撮ればそれなりにみえるよね??ね?
結局それっぽいことやってた人の中では『日本で最初に地位を確立&エキセントリックな狂人』っていうイメージが、凡人が考える芸術家像にしっくりきたっていうのが今までしぶとく評価されてきた理由なんだろうな。広告写真では、被写体の個性を殺す写真家は逆に重宝されるのかもね。
昔美術の時間に、その人が作った作品を見たらその人の人間性がわかるって先生に言われて『んなアホなぁ』と思ったんだけど、今はその言葉もあながち間違いじゃないのかなぁと思う。
自分に甘い人は最後の詰めが甘いし、大雑把で性格の人は作品の端が折れてたりするし、繊細な人は繊細な色使いとか消えかかりそうな線を書くし、自分が正しいと根拠なく信じ込んでる人の絵は力強いし、美術教師にウケがいい作品を作る人は自分が無くていずれ苦労するし。(ちなみに最後の例は自分です)
思えば、美術教師が放課後妙にニヤニヤしながら作品を見てたのは、隠された性癖とか傾向を覗きこんでたからなのかなぁ。くそっ圧倒的羞恥!
嫌いなものは大抵の場合は誰にでもあり、それは趣味嗜好であったり、言葉の選び方だったり、食べ物だったり、ある人だったり、様々です。
オタクのスラングでは「地雷」というのが一般的ですので、以降そのように記述します。
私は、そんな地雷を踏んでしまった人の対応に違和感を覚えることがままあります。
わかりやすい例だとカップリングや作品、キャラクターの解釈の違いから生じる地雷を踏んでしまったとき、その地雷を生み出し設置した人物に怒りの矛先を向ける人たちです。
声が大きいためにひどく悲観的に、あるいは攻撃的になる人が残念ながら目立って見えてくるのです。
ある作品を書いた人がいます。それが受け入れられなかった人がいます。
これ自体は、自由です。表現の自由がある以上、誰にもそれを止める権利はありません。
謝罪を要求したり、公に同好の士とともにその作品を、あるいはその表現者を攻撃し共感し合う行為は、表現の自由を逸脱した加虐性をはらむ報復行為です。
当然、大半の人はそうではありません。不愉快になりながらも、自分なりのやり方で折り合いをつけていきます。
人はどうしても主観の中で自分を主体に生きていくもので、視界に気に入らないものが入ったとき、自分という人間に悪意が向けられたと勘違いし、自分の意に沿わないものに攻撃的になることがあっても不思議ではありません。
しかし、何かを作った人と、それを不愉快に感じた人は同列であり、間違ってもお互いに何かを強制することはできないのです。
それで終わりなのです。
こうした人はきっと、傷つけられることがひどく恐ろしいのではないかと思います。
昨今の若者は怒られることに慣れていないと言われますが、それに近しいものを感じます。
繊細なガラス細工のような心を守るため、攻撃的にならざるを得ないのだと。
しかし、自分の痛みにばかり敏感で、他人を傷つけることに鈍感なままでいては、怒れるあなたの人間としての品位を貶めるのではないか、と思ってしまうのです。