2016-03-11(Fri)
3.11に想う
最近、いろいろなニュースを聞くたびに、原因は同じところなんじゃないかと思うようになった
それは「経済」
要は「金」
経済成長が「善」と言う政府と報道
果たして本当なのか
自分は、全くそう思わない
生活必需品をおもに生産していれば、需要と供給はほぼ一定で、経済は成長も後退もほとんどしない
けれど必需品なので、それら製造関連の産業は需要があるので無くなる事は無い
社会経済はほぼ一定の場所で成長はしないけれど、不安要素もあまり無い
国はバカみたいな税収が見込めないので、巨大開発のような派手な事は出来ないし贅沢も無理
けれど生活必需品以外を大量に作って大量に消費させると、何もかもが大量に必要になり、金も大量に動くので税収も上がる
とにかく国は国民に対して、物を消費させたいのだろう
生活必需品じゃない物は、流行が去れば消費が減少するのは当たり前で、経済の破たんを招く危険性はある
国に踊らされて大量消費をする生活が染みついてしまうと、お金を使う生活無しには生きて行けないと錯覚して、お金の為に生活を掛ける事になって行く
今、我が家は実質的な生活費を、数万円に抑え続けている
その為にやっている事は、食料の生産、光熱費の削減、外食・交際費を限りなくゼロにする、食料はほぼ食材のみ購入、酒・菓子類は基本的に買わない、などなど
衣類も基本的に頂き物で済ませ、買うのは肌着やどうしても必要になるものだけ
「買わないと暮らせない」からの脱却は容易な事では無いけれど、不可能ではありませんでした
そんな暮らしをして見えてくるのは、世の中は何てくだらない物であふれているんだろうって事
スマホ、ゲーム、無くたって暮らせるし、むしろ学生は持つべきじゃない
公衆電話があったり、電話を借りたって良い、ゲームがしたけりゃ将棋や囲碁やトランプにカルタ、脳が活性化するゲームがあるじゃないの
高級乗用車、本当に必要?
お菓子の類、より身体に良い物を作ればいいでしょ
わざわざ買い物に行く為に、近場なのに車使ってガソリン燃やして時間も使って、挙句の果てに地球温暖化
・・・
本当に必要でも無い物を生産する為に、その製造の為に電力が必要になり、原発
自然災害で壊れて危険性が高いのがわかったのに、相変わらず原発依存の政府
「経済」を成長させようとすると、無理があるのです
これから人口も減るのに経済を成長させるなんて、もっと無理が掛かるのです
国民がくだらない「物欲」から自立しなければ、さらに人間も日本も地球もおかしくなるでしょう
道具もそう
道具を持つと、使いたくなる
小さな道具より、より大きくて危険な道具
道具自体も、結構なお金が掛かる
それを動かすために、さらに経費も掛かる
せっかく買ったものだから、せっかく作ったものだから、廃棄したくない
それが危険な物であっても
それが他者に対して迷惑が掛かったとしても
その道具を経済社会で生きている人が持ったとしたら、コスト意識は当然持つだろう
なるべく安く購入し、なるべく安く維持し続けたい
ちょっと危険な事であっても、前例が無ければ大丈夫だろう
安全は軽視され、コストばかりが重視される
そうして事故は起こる
人間が、コントロールできないものは、使ってはいけない
もちろん個人の所有物であってもだ
身近な物は、車・バイク、自転車もそう
バカみたいに飛ばして走るクソガキやジジイやババア(ルールを守る人に対しては、こんな呼び方しませんよ)
自転車や歩行者が飛び出して来ても、対処できないだろ
危険行為の張本人は鉄の鎧で守られてれてても、他人はふっ飛ばされて踏みつけられて死んじゃうよ
他人に危険と恐怖を与えている事すら、わからない
そんな危険な事は、大人のする事じゃない
急ぐなら、もっと早くに出発するべきだ
自然災害にも、ある程度は対処できる
それは過去の自然災害から学べることが、たくさんあるからだ
普段子どもたちは、学校で有った事を沢山話してくれる
授業の事、友だちの事、休み時間や放課後の事
それこそ毎日の学校での出来事が、自宅ではお茶の時間や夕食時に欠かさず話題になっている
自分は自営業(自由業)だから仕事をしなければ家に居られるので、なるべく家に居てそうした話に耳を傾けたいと思っている
話を聞いていれば、子どもの気持ちや友だちや先生との関わりなど、手に取るようにわかる
もし子どもたちと時間を共有していなかったら、そんな事もわからず過ごしてしまうのだろう
「親」って、どうあるべきなのかな?
最近、暗い悲しいニュースが結構あって、子どもが被害者だったりするけれど
そこの家庭の様子が、何となくわかる気がする
いつ死ぬかわからない現代、自分の想う道を進むべき
誰かが指し示した道に少しでも疑問があるのなら、そんな道は進むべきじゃない
自分を信じて、自分の人生を生きるべきだ
「人を喜ばす為に生きるべきだ」と言う人が居るが、自分はそうは思わない
自分が喜び幸せを感じられるなら、他人にもその喜びや幸せを分かち合う事は出来るはずだ
「誰かの為に生きる」のではなく、「自分の為に生き、結果として誰かの為にもなる」そんな人生を
自分が食べて心から「おいしい」と思えるお菓子なら、他人が食べても「おいしい」と感じられる人が居るはずだ
大事な事は、その自分の人生を生きる上で、関係無い他者に迷惑は掛けてはいけないって事は付け加えておく
人生を選ぶのは、自分だけ
他の誰が何と言おうと、選んだのは自分だ
後悔だけはしないよう、自分の人生を生き抜いて行こう
(支離滅裂な文章だ~眠い、寝ます)
23:45 ブログ記
それは「経済」
要は「金」
経済成長が「善」と言う政府と報道
果たして本当なのか
自分は、全くそう思わない
生活必需品をおもに生産していれば、需要と供給はほぼ一定で、経済は成長も後退もほとんどしない
けれど必需品なので、それら製造関連の産業は需要があるので無くなる事は無い
社会経済はほぼ一定の場所で成長はしないけれど、不安要素もあまり無い
国はバカみたいな税収が見込めないので、巨大開発のような派手な事は出来ないし贅沢も無理
けれど生活必需品以外を大量に作って大量に消費させると、何もかもが大量に必要になり、金も大量に動くので税収も上がる
とにかく国は国民に対して、物を消費させたいのだろう
生活必需品じゃない物は、流行が去れば消費が減少するのは当たり前で、経済の破たんを招く危険性はある
国に踊らされて大量消費をする生活が染みついてしまうと、お金を使う生活無しには生きて行けないと錯覚して、お金の為に生活を掛ける事になって行く
今、我が家は実質的な生活費を、数万円に抑え続けている
その為にやっている事は、食料の生産、光熱費の削減、外食・交際費を限りなくゼロにする、食料はほぼ食材のみ購入、酒・菓子類は基本的に買わない、などなど
衣類も基本的に頂き物で済ませ、買うのは肌着やどうしても必要になるものだけ
「買わないと暮らせない」からの脱却は容易な事では無いけれど、不可能ではありませんでした
そんな暮らしをして見えてくるのは、世の中は何てくだらない物であふれているんだろうって事
スマホ、ゲーム、無くたって暮らせるし、むしろ学生は持つべきじゃない
公衆電話があったり、電話を借りたって良い、ゲームがしたけりゃ将棋や囲碁やトランプにカルタ、脳が活性化するゲームがあるじゃないの
高級乗用車、本当に必要?
お菓子の類、より身体に良い物を作ればいいでしょ
わざわざ買い物に行く為に、近場なのに車使ってガソリン燃やして時間も使って、挙句の果てに地球温暖化
・・・
本当に必要でも無い物を生産する為に、その製造の為に電力が必要になり、原発
自然災害で壊れて危険性が高いのがわかったのに、相変わらず原発依存の政府
「経済」を成長させようとすると、無理があるのです
これから人口も減るのに経済を成長させるなんて、もっと無理が掛かるのです
国民がくだらない「物欲」から自立しなければ、さらに人間も日本も地球もおかしくなるでしょう
道具もそう
道具を持つと、使いたくなる
小さな道具より、より大きくて危険な道具
道具自体も、結構なお金が掛かる
それを動かすために、さらに経費も掛かる
せっかく買ったものだから、せっかく作ったものだから、廃棄したくない
それが危険な物であっても
それが他者に対して迷惑が掛かったとしても
その道具を経済社会で生きている人が持ったとしたら、コスト意識は当然持つだろう
なるべく安く購入し、なるべく安く維持し続けたい
ちょっと危険な事であっても、前例が無ければ大丈夫だろう
安全は軽視され、コストばかりが重視される
そうして事故は起こる
人間が、コントロールできないものは、使ってはいけない
もちろん個人の所有物であってもだ
身近な物は、車・バイク、自転車もそう
バカみたいに飛ばして走るクソガキやジジイやババア(ルールを守る人に対しては、こんな呼び方しませんよ)
自転車や歩行者が飛び出して来ても、対処できないだろ
危険行為の張本人は鉄の鎧で守られてれてても、他人はふっ飛ばされて踏みつけられて死んじゃうよ
他人に危険と恐怖を与えている事すら、わからない
そんな危険な事は、大人のする事じゃない
急ぐなら、もっと早くに出発するべきだ
自然災害にも、ある程度は対処できる
それは過去の自然災害から学べることが、たくさんあるからだ
普段子どもたちは、学校で有った事を沢山話してくれる
授業の事、友だちの事、休み時間や放課後の事
それこそ毎日の学校での出来事が、自宅ではお茶の時間や夕食時に欠かさず話題になっている
自分は自営業(自由業)だから仕事をしなければ家に居られるので、なるべく家に居てそうした話に耳を傾けたいと思っている
話を聞いていれば、子どもの気持ちや友だちや先生との関わりなど、手に取るようにわかる
もし子どもたちと時間を共有していなかったら、そんな事もわからず過ごしてしまうのだろう
「親」って、どうあるべきなのかな?
最近、暗い悲しいニュースが結構あって、子どもが被害者だったりするけれど
そこの家庭の様子が、何となくわかる気がする
いつ死ぬかわからない現代、自分の想う道を進むべき
誰かが指し示した道に少しでも疑問があるのなら、そんな道は進むべきじゃない
自分を信じて、自分の人生を生きるべきだ
「人を喜ばす為に生きるべきだ」と言う人が居るが、自分はそうは思わない
自分が喜び幸せを感じられるなら、他人にもその喜びや幸せを分かち合う事は出来るはずだ
「誰かの為に生きる」のではなく、「自分の為に生き、結果として誰かの為にもなる」そんな人生を
自分が食べて心から「おいしい」と思えるお菓子なら、他人が食べても「おいしい」と感じられる人が居るはずだ
大事な事は、その自分の人生を生きる上で、関係無い他者に迷惑は掛けてはいけないって事は付け加えておく
人生を選ぶのは、自分だけ
他の誰が何と言おうと、選んだのは自分だ
後悔だけはしないよう、自分の人生を生き抜いて行こう
(支離滅裂な文章だ~眠い、寝ます)
23:45 ブログ記
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