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出雲の国からお帰りに・・・神無月の晦日

今日で神無月も終わり。
10月の晦日です。

今月は全国の神様が出雲大社でお集まりになられた月です。
大勢で集まって、いろいろなことを神議(かみはか)りする、とのことです。
どんなことをお議りになられたのでしょうか。

くらやみ祭16

地域の今年の収穫のことでしょうか。
この年に子供がどれだけ生まれたか、どう育っているか、でしょうか。
うちのお社もぼちぼち改築を・・・などということでしょうか。
みながみな、幸せに暮らせるように、とお知恵を出し合っておられたのでしょう。

そんな時期に下界でも、神議(かみはか)りならぬ、衆議院選挙が行われました。
神様たちが我々の暮らしが豊かに幸せを祈っておられるのに、現世での代議士たちは自分の利益ばかりです。
いかに日本を安くたたき売って、自分の懐だけを暖められるか、そんなことばかりでした。
まぁ、これもまた、神議(かみはか)りのなかで、決められた筋書き通りだったのかもしれませんが・・・。

その先その先がお見えになる神様たちのお議りごとなど、到底我ら普通の民には理解しようがありません。
でも、我らが我らの狭い了見で断じても仕方がありません。
ここは、地元へ神様がお戻りになられるのをお迎えいたしましょう。

そういえば、僕自身まだ出雲大社へは行っていないなぁ。
リタイヤしても暇にはならなさそうだけど、一度出雲大社にも行ってみたい。
行きたいところは、やまほどあります。
白川郷なんかもいってみたい。
豪雪地帯にいって雪の風景を眺めたいです。

ではでは、今月もお疲れさまでした。

くらやみ祭忠魂碑1

Tag : 文化多摩武蔵野歴史

ご飯にサイコー!台湾風麻婆豆腐丼

以前と同じ銘柄はまだ手に入らないが、それでも漸くお米が手に入るようになった。

毎日、ご飯を炊いて夕食を食べる。
残りご飯を翌日の弁当にする。
お米のある生活ってサイコーだ。

ご飯は、白米を炊いて食べるのが最も好きだ。
しかし、ときには何かをかけていただくのもよい。
カレーライスやハヤシライスなどのように白米にかけるタイプ。
うなぎや天ぷらのように丼ものにしていただくメニューもよい。
刺身なんかだと尚更よろしい。

台湾麻婆丼

こんなのはどうだろう?
こちらはレトルトの台湾風麻婆豆腐丼・・・。
リケンの「中華百選 マーボちゃん 辛台湾麻婆用(名古屋味)」というレトルトで、豆腐のみ加えて作る商品。

台湾風というのがミソ。
色は真っ赤で、ほどほどに辛くて美味しいので、いつも買っている。
炊いたご飯の上に、どちゃっと載せるだけ。
やっぱり麻婆豆腐はご飯にのせなきゃね。
お行儀悪いけど・・・。

でも、僕はあんまり辛いのはダメなようです。
辛いのがイヤというよりも、ピリピリするのがダメなようです。
カレーなんかも辛くてもいいけど、その中にピリピリがあるとイヤ。
中辛が一番好きです。

台湾麻婆

Tag : 文化芸術美術

月見して如来の月光三昧や

松瀬青々(まつせせいせい)の俳句です。

「月見して如来の月光三昧や」

月見して如来の月光三昧や

明治~昭和初期の頃に活躍された方です。
正岡子規の「ホトトギス」の編集に携わったとあります。
こちらの俳句に関して「絶句」と書かれたものもあります。
生涯最後の句ということでしょうか。
与謝蕪村に傾倒して作品を子規に賞賛されましたが、のちには芭蕉に傾倒しその研究に努めたそうです。

句意を読み解くような力はありませんが、この時期の美しい月を眺めて、如来のお姿を見たのでしょうか。
如来が月光三昧したのか、はたまた自分が如来を見て月光三昧したのか。
なんにしても、名月に神々しい光を見たのには違いないでしょう。

秋の弧月3

中秋ならずとも、月の光というのは優しげで、そこで没我になるのも不思議ではありません。
天文マニアからしても、月に始まり月に終わる。
なんとも不思議な癒やしの力を持っています。

いつか僕も月夜に没我の境地を彷徨いたい気がします。

Tag : 文化俳句自然天文

『ヤマトよ永遠に REBEL3199 第二章 赤日の出撃』本予告

2024年11月22日(金)上映開始・・・気がつけば、もうすぐですね。

いや、22日だからちょっと遠いなぁ。
そんな中ですが、また新しい予告動画が配信されました。
では、どうぞ・・・。



おお、山南さんが出航指示を出していますね。
やはり艦長就任でしょうか。
いくらなんでも、艦長から戦術長に降格というのは、古代君が可哀想かな、と思うのですが。
でも、よく考えたら旧作完結編でも降格してましたね。
ただし、あのときは新艦長がなんといってもあの沖田十三でしたからね・・・。

短い動画ですが、結構キーワードが満載です。
既にこれまでにも出ていましたが、主砲の参戦章と艦首錨マークが非常によい。

そして、早々と「波動カートリッジ弾」、そして敵側のメカ「無限ベータ砲」が第二章で登場か・・・。
でもこれもよく考えたら遅いくらいですよね。
波動エネルギーのカートリッジ化は、2202で波動掘削弾が登場していたので、技術的には時間の問題でした。
無限ベータ砲の威力は・・・実はこれって、誰も知らないのですよ。
なんたって、旧作では発射後すぐに波動砲に呑み込まれてしまいましたから・・・。

「指定座標に誘導する・・・」
コスモタイガーに登場している人物は、揚羽のようですね。
さっそく山本玲に傅かれていますが・・・。
僕がちょっと心配しているのは、サーシャのロマンスの相手になったりするんじゃないか、と。
なお、今回の動画でもサーシャの姿は見れませんでした。
いやいや、なんといってもシリーズ最高の人気キャラクターですからね・・・ボク的には。

揚羽の直後に出てくるデザリアムの老キャラは誰でしょうか?
まさか、はやばやとスカルダートの正体晒しか・・・?

今作は「ヤマトよ永遠に」と「ヤマトⅢ」の要素がはめ込まれているそうです。
銀河系で、地球・ガミラス・デザリアム・ボラ-連邦の大混戦が勃発するのでしょうか。
なお、デザリアムは銀河系内の勢力のようですから、連続ワープはないのでしょうかね?
40万光年も旅するわけではないので、必要ないのかな・・・?
ワープ・ディメンションは・・・・まぁないでしょうね。
最初からシネスコですし・・・。

さてさて、なにかと楽しみです。



Tag : 文化映画

本日、衆議院選挙・開票日!

さて、いよいよ電光石火の早さで解散を表明した石破政権の真価が問われる衆議院選挙の開票日である。

・・・真価とはいったものの、まだ何もやっていない政権に対して何を問えば良いのか僕にはわからない。
ただ、石破政権がおそらくは非常に短命な政権で終わるであろう事は予測している。
あまりにも、中身が薄い政権であるとしかいいようがない。

前政権(岸田文雄政権)の方が、まだわかりやすい。
この政権はたんなる党内の政治抗争をしたいだけのものだった。
事実、自民党はまるで40年前くらいまで戻ったかのように党内抗争が激しくなった。
端的に顕れたのは、先日の自民党総裁選挙だったと思う。

お台場レインボー

実態は、安倍派vs反安倍派の抗争だ。
僕はこの言葉はあまり使いたくないが、それはいまの安倍派と呼ばれる旧清和会の議員が、あまりにも安倍イズムを持ち合わせていないからだ。

彼らは、いまだ「安倍」派を名乗ることの恩恵に頼っているように見える。
実際には、裏金問題などの不祥事で、「安倍晋三」の名を汚し続けているではないか。
少しでも恩義があるのであれば、いつまでもこの名を冠すること辞めるべきだ。
もともと安倍さんご自身は裏金を止めるよう指示を出していたのに、死後これを復活させている連中が「安倍派」を名乗っているのだ。

総裁選に話を戻すと、もっとも安倍イズムを継承している高市氏がトップで決選投票を勝ち抜いた。
決選投票は議員のみで行われるが、ここで「反安倍派」である石破陣営、岸田陣営(+管陣営)が結託した。
ここで管陣営が反安倍派としてカウントされるのは意外に思うかもしれないが、ここは反安倍というよりも、反高市・親小泉だと思う。
この結果、反安倍派が勢いづいて、石破新総統が誕生したのだった。

みてみよ。
選挙に際して、安倍派潰し、粛正のため、裏金問題のすべての責任を安倍派にとらせた。
これまで比例重複を奪われたのは、ほとんどが安倍派議員であった。
自民党として自省をするのであれば、全員が比例重複を止めればよいではないか。

新聞

本日の結果で自民がどれだけの勢力を確保できるのか、自公過半数割れをするのかまもなくわかる。
打ち上げた・・・いや、政権奪取前に標榜していた政策がほぼダメ出しをくらい、党内で血みどろになった抗争劇で求心力を失った新政権を、国民がどのように値踏みしたのか、まもなくわかるだろう。

なお、僕自身は東京18区、自民・立民(外国人参政権の元クズ市長)・共産・参政が候補を挙げた。
消去法で参政党の候補者に入れるしかなかった。

Tag : 文化

柳田国男「遠野物語」に思うかつての日本人(その3)

ところで、このような田舎の伝承には、とりわけ狐が頻繁に登場する。
狐は人を化かしてからかったりする。
里にはよくいたということか。

くらやみ祭13

現代の都会でも稀に遭遇するようだ。
僕も先日夜道を自転車で走っていたところ、目の前を急スピードで細長いシルエットの動物が行き去っていった。
あれは、ネズミや猫ではない。
UMAかもしれないが、おそらくはタヌキかキツネだろう。
じっと、見つめることができたのは北海道でキタキツネを目撃したことだ。
目前に現われ、じっと見つめられたが、どうやら観光客に餌付けされたようで、一定の距離まで近づいてきた。
話がそれたがちょっと残念な遭遇体験であった。

キツネは霊力を持っているのだろうか。
狐は広い範囲に適応して住み着くことから、多くの地域の民族伝承に登場する。
とりわけお稲荷様とは強い関連があり、キツネは稲荷神の使いであり、あるいは神様そのものともされる。
キツネが大豆で出来た油揚げを好きな訳がないが、そのように言われるのはこのあたりからだ。

稲荷神社

現代では住宅街で頻繁に見られる動物ではないが、かつては人里にも出没し人目に触れる機会は多かったろう。
馴染みの動物として、霊力を持つ存在となるに至る。
タヌキやキツネは人を化かすというが、遠野物語でもやはり登場している。
人間のテリトリーに棲みつくことから、このようにして逸話にも出没しているのだ。
悪戯好きで人を騙す性格を有し、女性に化けるなどの能力を持つ・・・と、言われている。

かくの如く、実態を伴う生物や伴わない現象に、人の感情が何かの意味づけを行い、尾ひれ背びれがついたのが言い伝えや伝承の類いである。
現代のように科学優勢の時代には、戯言とされてしまうが、過去の日本人は人知を超えた事物や現象に畏れをいだきながら暮らしてきた。

言い換えれば、現実とともに非現実とも向き合いながら、生々しい逸話を生み出してきたのである。
冒頭に戻るが、柳田国男は西洋や科学文明にかぶれて、過去の日本人が生きてきたこれらの逸話や伝承が消え去っていくことに危機感を持っていたのかもしれない。

< おわり >

Tag : 文化多摩武蔵野歴史自然読書

柳田国男「遠野物語」に思うかつての日本人(その2)

「遠野物語」は、章建てのような現代風の形式ではなく、ごくごく短い逸話の集合体である。

これらは柳田が遠野に伝わる伝承を筆記・編集したもので、全部で119話(途中で追加となったものもある)の構成だ。
時代は明治、この頃は近代化や西洋化が急激に推し進められ、ありとあらゆるものが西洋的解釈でなされようとしていた。

一方で、この書に書かれているような旧来の前近代的な社会も多く存在する過渡期だった。
時代がせめぎ合っていたともいえるが、実際には前近代的なものが圧倒的な「近代」に押しつぶされていく過程だったろう。
柳田の意図としては、このような消えゆく前近代がまだ存在することを、世に知らしめることだったであろう。

深大寺

的確ではないかもしれないが、現代においてもまた、旧来の保守的な国民生活や伝統が干されていくのを目の当たりにしている。
それに相似してはないだろうか。
すくなくとも、そのようなジレンマを柳田は持っていたのではなかろうか。

かつて、人々は人知の及ぶところではないものに囲まれて生活していた。
それは、妖怪や天狗のたぐいであったり、怨霊や精霊であったり、あるいは霊的な動物であったりする。
人知の及ぶところであっても、人さらい、人食い、盗賊や山賊などのような、人に危害を与えるものだ。
これらから生活上、安全が保障されておらず、人は畏れを持ちながら山村で暮らしていたのだ。

< 続 く >

Tag : 文化多摩武蔵野歴史自然読書

柳田国男「遠野物語」に思うかつての日本人(その1)

柳田国男著「遠野物語」(集英社文庫)は、岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集である。
日本の民俗学の草分け的存在ともいわれる。

民間伝承に焦点を当て、聞いたままの話を編纂しているが、それでいながら文学的な独特の文体であることが高く評価されている。
実際現代人には読むことは出来るが、やや堅い文体で読みづらいと思う。
しかし当時の文学者は批判的で評価は低く、泉鏡花以外からはほぼ無視されたようだ。

深大寺水車

僕も「民俗学」という言葉と、非常な強い結びつきを持って「遠野物語」を記憶していた。
どうにも、岩手といえば宮沢賢治などを同時に想起してしまう。
したがって、僕のいい加減な頭脳は「遠野物語」をファンタジー性の強い田舎の童話か、水木しげるの妖怪漫画のような類いと同一視していた気がする。
(まぁ、実際出てくる逸話は似た感じではあるが・・・)
いい加減に覚えながら、実際に手にして読むのは今回が初めてである。

物語に登場してくる事物(と、いうべきか)は一例を挙げると・・・
里の神、山の神、雪女、天狗、姥神、川童、おいぬ、狐、座敷童、マヨイガ・・・等々である。
実際、ファンタジーなのであるが、現代のそれのように甘美なものではなさそうだ。
当時の土地の者らには、脅威であり、恐怖でもあり、嫌忌されるようなものばかりだ。

文語調の慣れない文章を追っていると、正確には理解できていないのかもしれないが、だがこの文体の方がより当時の人々の感情、畏怖などが理解できそうな気がする。
浅薄な現代の口語体では、それこそ軽いファンタジーになってしまいそうな気がする。
(それでも、内容把握のため機会があれば現代語訳を読んで見たいが・・・)

かつて人々は、神々や魂、化け物らと共に生活の場を同じくしていたのだ。

< つづく >

国立郷土古民家1

Tag : 文化多摩武蔵野歴史自然読書小説

【二十四節気】今日から「霜降」

今日から二十四節気の「霜降」です。

江戸時代に書かれた暦についての解説書「暦便覧」には、
「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也」
と記されています。

朝晩の気温が下がり、大気中の水蒸気が低下した気温のせいで、地表近くで凝結したものを霜といいます。
徐々に寒さが本格化しそうな時期でもあります。



今年は暑い日が今月になっても続きましたので、衣替えに頭を悩ませた人も多かったでしょう。
僕はまだ衣替えしていません。
春秋用のブレザーも出していません。
一気に冬用が着れるようになる気がします。

さて、この時期に旬の食べ物は・・・。

サツマイモがあります。
秋と言えば・・・いや、寒くなると美味しい食べ物です。
誰しも、焼き芋は手を伸ばしたくなるものです。
石焼きも焚き火で焼いたお芋も、ほくほくして美味しいものです。
もっとも、僕は一年中食べていますが、収穫してしばらくして、水分が抜けた方が美味しいそうです。

銀杏もあります。
街路樹としてもそこらにありますが、僕の住んでいる地域の鎮守の森は、毎年銀杏の匂いが漂っています。
神社には「皮ごと持ち替えってください」と、書いてます。
あの匂いは閉口しますが、茶碗蒸しや塩をつけて焼いた銀杏はとてもおいしいですね。

秋鮭、柿、生姜もこの時期の食べ物です。
やはり旬の食べ物をいただくというのが、健康上もよいことなのでしょう。
生姜なんかは、身体が温まりそうですね。

Tag : 文化多摩武蔵野自然

藍色の海の上なり須磨の月

「藍色の海の上なり須磨の月」

藍色の海の上なり須磨の月

正岡子規の俳句です。
この散らしは、下から詠むことになります。
したがって、上段の「須磨の月」のあとに落款印が押されています。

季語は月です。
いうまでもなく、月は秋を示す言葉とされています。
新月でもなければ、年中見ることが出来るはずですけどね。
月ってやつは。
でも、これまたいうまでもなく、秋は名月の見れる季節ですから、やはり秋の季語となるのです。

正岡子規は須磨の保養院で療養していたそうです。
そのときに、月が見れたのでしょうか。
濃い藍色の海の上にですね。
海の色と月の明かりを対比しているのですね。
須磨の海辺を走りました。
昼間だったので、子規の見た光景はまったく見れませんでしたが・・・。

ムーディな光景です。
夜に月明かりで浜辺をあるくなどと・・・。

秋の弧月2

Tag : 多摩武蔵野自然俳句文化

プロフィール

無心庵ひょっとこ斎

Author:無心庵ひょっとこ斎
郷土と自然とネコをこよなく愛する多摩っこ。

愛猫:
「うず」(十一歳没)
→*「愛猫思い出」(↓カテゴリ)

「小うず」二代目。H27年生。♂
→*「ネコ煩悩」」(↓カテゴリ)

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