無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
文月も終わる今日は「多摩盆」
今日で文月・・・7月は終わりになる。
はやいものだ。
あっという間だ。
梅雨が明けて、猛暑が襲って、そして大雨で日本海側が荒れた。
夏が始まって、子供達や学生たちは夏休みが始まったようだ。
心なしか通勤列車も空いた気がする。
それはそれでよいことだ。
たまらないのは、この猛暑だ。
今月も数日間猛暑日となった日は少なくなくはない。
たまったものではない。
いい加減、こんな気候・・・関東では今年は長く続きそうだという。
困ったものだ。
電気代だって上がりまくっているので、物価高の影響で萎縮している財布の紐は固い。
食べ物だけはどうにも節約できないから、気がつくと物価高相当の上げ幅で、使用した金額も高くついている。
そんなこんなな7月だったが、今日は「多摩盆」の迎え火の日です。
「多摩盆」とは旧盆・新盆でもない、東京の多摩地域での独特のお盆。
この辺りではかつて養蚕業が盛んだったため、新盆も旧盆も時期的に忙しかったため、一息つけるこの時期をお盆としたそうです。
僕が子供の頃は既に養蚕業の形跡はなかっため実感がありません。
しかし、小金井市の郷土博物館である「浴恩館」には、たしかに地域の養蚕業の形跡として、機織機などが展示されていました。
不思議なもので、この時期にお盆をしているからといって、旧盆の時期に世の中が「お盆だ、お盆だ」というのに違和感を覚えることはありませんでした。
まぁ、さほどこの行事に厳格に接していたとも思えないからでしょうか。
今日はお迎え日ですが、送り火は8月2日になります。
旧盆は 8月13日~16日の4日間ですが、多摩盆は三日間なのですね。
ご先祖様も慌ただしく、家でくつろげる時間もわずかです。
はやいものだ。
あっという間だ。
梅雨が明けて、猛暑が襲って、そして大雨で日本海側が荒れた。
夏が始まって、子供達や学生たちは夏休みが始まったようだ。
心なしか通勤列車も空いた気がする。
それはそれでよいことだ。
たまらないのは、この猛暑だ。
今月も数日間猛暑日となった日は少なくなくはない。
たまったものではない。
いい加減、こんな気候・・・関東では今年は長く続きそうだという。
困ったものだ。
電気代だって上がりまくっているので、物価高の影響で萎縮している財布の紐は固い。
食べ物だけはどうにも節約できないから、気がつくと物価高相当の上げ幅で、使用した金額も高くついている。
そんなこんなな7月だったが、今日は「多摩盆」の迎え火の日です。
「多摩盆」とは旧盆・新盆でもない、東京の多摩地域での独特のお盆。
この辺りではかつて養蚕業が盛んだったため、新盆も旧盆も時期的に忙しかったため、一息つけるこの時期をお盆としたそうです。
僕が子供の頃は既に養蚕業の形跡はなかっため実感がありません。
しかし、小金井市の郷土博物館である「浴恩館」には、たしかに地域の養蚕業の形跡として、機織機などが展示されていました。
不思議なもので、この時期にお盆をしているからといって、旧盆の時期に世の中が「お盆だ、お盆だ」というのに違和感を覚えることはありませんでした。
まぁ、さほどこの行事に厳格に接していたとも思えないからでしょうか。
今日はお迎え日ですが、送り火は8月2日になります。
旧盆は 8月13日~16日の4日間ですが、多摩盆は三日間なのですね。
ご先祖様も慌ただしく、家でくつろげる時間もわずかです。
今日は「土用丑の日」
今日は「土用丑の日」。
この説明って、まだ苦手なんですよね。
夏の土用の期間にある丑の日のことなんだそうですが。
では、この土用の期間とはなんでしょうか。
五行思想に基づく季節の変わり目を意味する雑節で、四季の四立(立春、立夏、立秋、立冬)の直前の約18日間を指すのです。
つまりは夏に限ったことではないのです。
ですが、一般的に「土用」といえば夏の土用のことをいいます。
次に丑の日・・とは十二支に基づく、丑の日のことです。
土用の期間は一八日間ありますので、年によっては丑の日が2回ある年もあるのです。
因みに今年は今日のこの日だけです。
「土用丑の日」といえば、鰻の蒲焼きですよね。
これは夏の厳しい暑さを乗り切るために、栄養価の高い鰻を食べるのがよいとされています。
・・・
ところが、これもまた、ちょっと違います。
鰻自体は間違っていないのですが、実は「土用丑の日」には「う」がつく食べ物をいただくとよい、ということです。
ですから、必ずしも鰻である必要は無いのです。
「梅干し」「うどん」「瓜」「牛肉(うし)」などもよいものとされています。
ただ、やっぱりそれでも鰻の魅力には勝てませんよね。
この説明って、まだ苦手なんですよね。
夏の土用の期間にある丑の日のことなんだそうですが。
では、この土用の期間とはなんでしょうか。
五行思想に基づく季節の変わり目を意味する雑節で、四季の四立(立春、立夏、立秋、立冬)の直前の約18日間を指すのです。
つまりは夏に限ったことではないのです。
ですが、一般的に「土用」といえば夏の土用のことをいいます。
次に丑の日・・とは十二支に基づく、丑の日のことです。
土用の期間は一八日間ありますので、年によっては丑の日が2回ある年もあるのです。
因みに今年は今日のこの日だけです。
「土用丑の日」といえば、鰻の蒲焼きですよね。
これは夏の厳しい暑さを乗り切るために、栄養価の高い鰻を食べるのがよいとされています。
・・・
ところが、これもまた、ちょっと違います。
鰻自体は間違っていないのですが、実は「土用丑の日」には「う」がつく食べ物をいただくとよい、ということです。
ですから、必ずしも鰻である必要は無いのです。
「梅干し」「うどん」「瓜」「牛肉(うし)」などもよいものとされています。
ただ、やっぱりそれでも鰻の魅力には勝てませんよね。
不浄なこの世に咲いた蓮の花の神聖さ
今年も暑いこの時期にやってきました。
上野公園です。
その横の不忍池・・・。
僕は都営大江戸線の上野御徒町駅で降りるので、地上に出てから公園方面へ向かうと自然と目に入る。
通りからも分かるくらい、池には蓮の葉がてんこもりになっていた。
この恐ろしいほどの生命力、威圧感・・・。
今年は何やらお祭りが開催されるようですね。
池の畔で開催されるようですよ。
この日はまだ準備しているだけのようでした。
さて、池の方を眺めてみましょう。
おう、なんとも美しい。
蓮の花です。
お釈迦様が乗っているかのような、その聖なる美しさ。
生命力のお化けのような蓮の葉との対比で、花がなんとも神々しいまでに透き通るような美しさ。
理解できますよね。
不浄である泥の中から芽を出し、真っ直ぐに茎を伸ばして優美な花を咲かせる様子から、蓮は仏教の教えの象徴とされています。
仏様のお座りになっている台座は蓮華座と言われています。
蓮は神聖で清浄な花と言われているのです。
毎年、この時期にここへ来るのが過去10年、ウィルスの影響があった年を除いて習慣になっていました。
でも、今年でその習慣も終わりかも知れません。
次に来るのはいつになることか・・・。
でも、蓮と花の美しさは忘れずにいたいと思います。
上野公園です。
その横の不忍池・・・。
僕は都営大江戸線の上野御徒町駅で降りるので、地上に出てから公園方面へ向かうと自然と目に入る。
通りからも分かるくらい、池には蓮の葉がてんこもりになっていた。
この恐ろしいほどの生命力、威圧感・・・。
今年は何やらお祭りが開催されるようですね。
池の畔で開催されるようですよ。
この日はまだ準備しているだけのようでした。
さて、池の方を眺めてみましょう。
おう、なんとも美しい。
蓮の花です。
お釈迦様が乗っているかのような、その聖なる美しさ。
生命力のお化けのような蓮の葉との対比で、花がなんとも神々しいまでに透き通るような美しさ。
理解できますよね。
不浄である泥の中から芽を出し、真っ直ぐに茎を伸ばして優美な花を咲かせる様子から、蓮は仏教の教えの象徴とされています。
仏様のお座りになっている台座は蓮華座と言われています。
蓮は神聖で清浄な花と言われているのです。
毎年、この時期にここへ来るのが過去10年、ウィルスの影響があった年を除いて習慣になっていました。
でも、今年でその習慣も終わりかも知れません。
次に来るのはいつになることか・・・。
でも、蓮と花の美しさは忘れずにいたいと思います。
おぞましき「禁断の中国史」
図書館で借りた本です。
比較的新しい本なので、図書館で借りるなんて筆者に怒られそうです。
「禁断の中国史」(百田尚樹著 飛鳥新社)
チャイナの歴史上の数々の理解を超えた制度や風習、文化などについて解説した本です。
筆者からは本のなかで随所に、「ここから先を読むのは覚悟をきめてください。読んだ結果、どのような反応を起こしたにせよ、それは自己責任です。」とお断りしています。
分かる人には分かることなので、ちょっと項目を具体的に挙げてみましょう。
刑罰・食人・宦官・科挙・纏足・策略謀略・・・最後に中国共産党・・・。
僕はいずれもかつて、いろいろな本で読んで知っていたので、そのおぞましさは読む前から知っていたものが多い。
ただ、個々の項目での細かいポイントや具体的な事例などは知らない事もありました。
「刑罰」なんかは、あまり知らなかったかもしれません。
ただし、出てきた事例や刑罰の残虐さは、「これって通州事件のあれじゃ?」というものがあった。
読んで、やっぱり通州事件での日本人惨殺は、彼らの手によるものだと思う。
とりわけ、妊婦の腹を切り裂いて、赤子を取り出して殺すなど、日本人の想像の範囲外である。
そして、文化としての「食人」・・・。
赤子を食べたいと思う君主、劉備をもてなすために自分の子供を殺害して料理するその神経、さきほどまで同伴していた自分の妾を料理にして食事として出す・・・。
聞くもおぞましい。
最悪なのが、最終章でもある「中国共産党」の黒歴史です。
数々の政策ミス(大躍進・文化大革命ほか)で数千万人もの餓死者や死者を量産した歴史的指導者。
日本では考えられませんね。
この本を読んで、改めて思いました。
チャイニーズの本質を見逃してはならない。
日本人と同じを考えると、文字通り命取りとなる。
三国志や水滸伝、史書などを・・・とりわけ・・・日本人が小説化したものなどで理解したと思ってはならない。
むしろ、この本書の方が正鵠を射ているのだ・・・と。
比較的新しい本なので、図書館で借りるなんて筆者に怒られそうです。
「禁断の中国史」(百田尚樹著 飛鳥新社)
チャイナの歴史上の数々の理解を超えた制度や風習、文化などについて解説した本です。
筆者からは本のなかで随所に、「ここから先を読むのは覚悟をきめてください。読んだ結果、どのような反応を起こしたにせよ、それは自己責任です。」とお断りしています。
分かる人には分かることなので、ちょっと項目を具体的に挙げてみましょう。
刑罰・食人・宦官・科挙・纏足・策略謀略・・・最後に中国共産党・・・。
僕はいずれもかつて、いろいろな本で読んで知っていたので、そのおぞましさは読む前から知っていたものが多い。
ただ、個々の項目での細かいポイントや具体的な事例などは知らない事もありました。
「刑罰」なんかは、あまり知らなかったかもしれません。
ただし、出てきた事例や刑罰の残虐さは、「これって通州事件のあれじゃ?」というものがあった。
読んで、やっぱり通州事件での日本人惨殺は、彼らの手によるものだと思う。
とりわけ、妊婦の腹を切り裂いて、赤子を取り出して殺すなど、日本人の想像の範囲外である。
そして、文化としての「食人」・・・。
赤子を食べたいと思う君主、劉備をもてなすために自分の子供を殺害して料理するその神経、さきほどまで同伴していた自分の妾を料理にして食事として出す・・・。
聞くもおぞましい。
最悪なのが、最終章でもある「中国共産党」の黒歴史です。
数々の政策ミス(大躍進・文化大革命ほか)で数千万人もの餓死者や死者を量産した歴史的指導者。
日本では考えられませんね。
この本を読んで、改めて思いました。
チャイニーズの本質を見逃してはならない。
日本人と同じを考えると、文字通り命取りとなる。
三国志や水滸伝、史書などを・・・とりわけ・・・日本人が小説化したものなどで理解したと思ってはならない。
むしろ、この本書の方が正鵠を射ているのだ・・・と。
平穏無事な睡眠が妨げられるとき・・・
数日前、うっかりと薬を服用するのを忘れた。
いつも飲んでいる抗うつ剤だ。
毎晩、食後に服用しているのだが、この日は実家で母に食事を作ってきてあげて、帰宅したのだった。
帰宅して直ぐに飲めば良いのだが、この日はついうっかりとそのまま風呂にはいってしまったのだ。
就寝の時間になって、翌日の仕事のためにぐっすりと眠ろうと思っていた。
しかし、僕の気持ちとは真逆に全然寝付けなかったのだ。
こういうときは焦っても仕方がない。
心を静めて、目をつぶっていよう。
それでも眠れないときは眠れないものなのだ。
翌朝、体調は最悪j。
目が覚めてふっと気がついた。
「あぁ、そういえば昨夜薬を飲んでいなかったかもしれない。」
放っておくと、日中に気分が悪くなる可能性が高い。
睡魔に襲われるかもしれないが、昨夜分を飲んでしまおう。
やれやれ・・・。
だいぶ薬を減らしてきているが、まだまだ効いているようなのだった・・・。
いつも飲んでいる抗うつ剤だ。
毎晩、食後に服用しているのだが、この日は実家で母に食事を作ってきてあげて、帰宅したのだった。
帰宅して直ぐに飲めば良いのだが、この日はついうっかりとそのまま風呂にはいってしまったのだ。
就寝の時間になって、翌日の仕事のためにぐっすりと眠ろうと思っていた。
しかし、僕の気持ちとは真逆に全然寝付けなかったのだ。
こういうときは焦っても仕方がない。
心を静めて、目をつぶっていよう。
それでも眠れないときは眠れないものなのだ。
翌朝、体調は最悪j。
目が覚めてふっと気がついた。
「あぁ、そういえば昨夜薬を飲んでいなかったかもしれない。」
放っておくと、日中に気分が悪くなる可能性が高い。
睡魔に襲われるかもしれないが、昨夜分を飲んでしまおう。
やれやれ・・・。
だいぶ薬を減らしてきているが、まだまだ効いているようなのだった・・・。
孤高の剣士・松永誠一郎(その2)
話の見所としては、吉原vs幕閣と、そして誠一郎vs裏柳生でしょうか。
吉原vs幕閣の抗争に関しては、裏社会と表社会との歴史が筆者の独自の切り口で描かれています。
ここでやはりでました。
「道々の輩」です。
吉原の人々はもとは傀儡子の一族で、庄司甚右衛門とは例の・・・「一夢庵風流記」で慶次郎とともに小田原北条攻めを見物したあの若き庄司甚内だったのです。
このあたりは、隆慶一郎氏の数々の名作「影武者徳川家康」「花と火の帝」「柳生刺客状」などに繋がっていきます。
「吉原御免状」はデビュー作とのことですが、この時点でこれら後続の作品群の構想があったのか、と思うと本当に驚きです。
ここから数々の名作がスピンアウトしているのですね。
そして、剣士としての誠一郎の成長です。
物語で登場した時点で、既に二天一流に習熟した強さを持っていますが、表柳生の当主・宗冬に見初められて、柳生の奥義を伝授されます。
裏柳生の当主・義仙は宗冬をしのぐ実力をもっているが、その歪んだ邪心を抑えきれず柳生を潰しかねない行動を危険視した宗冬は、誠一郎に打倒・義仙を委ねるのだ。
誠一郎vs義仙は「吉原御免状」「かくれさと苦界行」の両作品で描かれています。
圧巻は、「かくれさと」で義仙相手に柳生最高峰の奥義「無刀どり」を極めるシーンです。
僕は決して、このような剣侠ものが好きなわけではありませんが、数度に亘る義仙との決闘には、手に汗を握りました。
(いや、「御免状」での決着は意外にあっさり決まってたかもしれませんが・・・)
むかし読んだ本でも、」いまと昔では僕自身が変わっています。
同じ物を読んでも、そのときとは異なる感想や感覚をもつこともある。
それは僕自身が変わっているためだ。
そして、逆にまったく同じ感覚を持つこともある。
それは、僕自身の変わることのない部分なのかもしれません。
本を読むというのは、なかなか深いものだと思います。
< おしまい >
吉原vs幕閣の抗争に関しては、裏社会と表社会との歴史が筆者の独自の切り口で描かれています。
ここでやはりでました。
「道々の輩」です。
吉原の人々はもとは傀儡子の一族で、庄司甚右衛門とは例の・・・「一夢庵風流記」で慶次郎とともに小田原北条攻めを見物したあの若き庄司甚内だったのです。
このあたりは、隆慶一郎氏の数々の名作「影武者徳川家康」「花と火の帝」「柳生刺客状」などに繋がっていきます。
「吉原御免状」はデビュー作とのことですが、この時点でこれら後続の作品群の構想があったのか、と思うと本当に驚きです。
ここから数々の名作がスピンアウトしているのですね。
そして、剣士としての誠一郎の成長です。
物語で登場した時点で、既に二天一流に習熟した強さを持っていますが、表柳生の当主・宗冬に見初められて、柳生の奥義を伝授されます。
裏柳生の当主・義仙は宗冬をしのぐ実力をもっているが、その歪んだ邪心を抑えきれず柳生を潰しかねない行動を危険視した宗冬は、誠一郎に打倒・義仙を委ねるのだ。
誠一郎vs義仙は「吉原御免状」「かくれさと苦界行」の両作品で描かれています。
圧巻は、「かくれさと」で義仙相手に柳生最高峰の奥義「無刀どり」を極めるシーンです。
僕は決して、このような剣侠ものが好きなわけではありませんが、数度に亘る義仙との決闘には、手に汗を握りました。
(いや、「御免状」での決着は意外にあっさり決まってたかもしれませんが・・・)
むかし読んだ本でも、」いまと昔では僕自身が変わっています。
同じ物を読んでも、そのときとは異なる感想や感覚をもつこともある。
それは僕自身が変わっているためだ。
そして、逆にまったく同じ感覚を持つこともある。
それは、僕自身の変わることのない部分なのかもしれません。
本を読むというのは、なかなか深いものだと思います。
< おしまい >
孤高の剣士・松永誠一郎(その1)
このところ、読後思索をしていなかったのは、本を読んでいなかったからではない。
図書館で貸し出し予約をしていた本がいつ順番が来ても大丈夫なように、自分の本棚にある読了済みの本を再度読んでいたからだ。
そんなこんなで、読んでいた本の中で改めて良いと思ったのは、やはり隆慶一郎の小説だった。
隆慶一郎氏、もとは日本の時代物が専門ジャンルのではないのだ。
もともと仏文学が専門だったようだが、学徒出陣で大陸に葉隠れを持ち出して読んでいた。
このとき、デタラメな読み方であったが、活字に飢えていた同氏は葉隠れを読みあさっていたそうだ。
卒業後は、大学教諭をしたのちに、脚本作家として活躍、60代を過ぎてから時代小説を書き始めた。
さて、タイトルにある松永誠一郎だが、これは「吉原御免状」「かくれさと苦界行」(いずれも新潮社)に登場する主人公なのである。
江戸時代のこと、九州の山奥で剣の師のもとで育てられ、師の死後に山を降りることを許された。
師からは江戸にある吉原へ庄司甚右衛門を訪ねるよう遺言されていた。
・・・松永誠一郎の剣の師の名前は、宮本武蔵・・・。
これだけでも、興味をそそられると思います。
そう、誠一郎は二天一流の継承者。
なぜ、彼は武蔵に育てられたのか・・・実は、誠一郎は後水尾天皇の落胤であり、母は徳川の血を皇統に残したい徳川秀忠の命により裏柳生の刺客に殺害されたのです。
一方、吉原は幕府公認の御免色里であるが、それを証明するための「神君御免状」なるものを庄司甚右衛門が所持している。
この「神君御免状」を手に入れるため、幕府の大老・酒井は柳生家を使って、吉原と抗争状態にあった。
庄司甚右衛門(幻斎と名乗っている)は抗争の切り札として、誠一郎を吉原へ導いたのである。
かくて、誠一郎と裏柳生の長きに亘る抗争が始まります。
< つづく >
図書館で貸し出し予約をしていた本がいつ順番が来ても大丈夫なように、自分の本棚にある読了済みの本を再度読んでいたからだ。
そんなこんなで、読んでいた本の中で改めて良いと思ったのは、やはり隆慶一郎の小説だった。
隆慶一郎氏、もとは日本の時代物が専門ジャンルのではないのだ。
もともと仏文学が専門だったようだが、学徒出陣で大陸に葉隠れを持ち出して読んでいた。
このとき、デタラメな読み方であったが、活字に飢えていた同氏は葉隠れを読みあさっていたそうだ。
卒業後は、大学教諭をしたのちに、脚本作家として活躍、60代を過ぎてから時代小説を書き始めた。
さて、タイトルにある松永誠一郎だが、これは「吉原御免状」「かくれさと苦界行」(いずれも新潮社)に登場する主人公なのである。
江戸時代のこと、九州の山奥で剣の師のもとで育てられ、師の死後に山を降りることを許された。
師からは江戸にある吉原へ庄司甚右衛門を訪ねるよう遺言されていた。
・・・松永誠一郎の剣の師の名前は、宮本武蔵・・・。
これだけでも、興味をそそられると思います。
そう、誠一郎は二天一流の継承者。
なぜ、彼は武蔵に育てられたのか・・・実は、誠一郎は後水尾天皇の落胤であり、母は徳川の血を皇統に残したい徳川秀忠の命により裏柳生の刺客に殺害されたのです。
一方、吉原は幕府公認の御免色里であるが、それを証明するための「神君御免状」なるものを庄司甚右衛門が所持している。
この「神君御免状」を手に入れるため、幕府の大老・酒井は柳生家を使って、吉原と抗争状態にあった。
庄司甚右衛門(幻斎と名乗っている)は抗争の切り札として、誠一郎を吉原へ導いたのである。
かくて、誠一郎と裏柳生の長きに亘る抗争が始まります。
< つづく >
いよいよ夏本番!SUMMER DREAM
あんまりよく分かっていませんが、そろそろ学校は夏休みじゃないでしょうか。
もうすでに気候的には夏本番がとっくに到来している気がします。
そんな訳で、気分も夏本番にしてくれる曲を・・・。
巷ではかつて「夏バンド」などと言われていました。
TUBEというバンドの非常に有名な歌です。
なんといいますか・・・超ど真ん中ストレートって感じ。
こんな感じの直球勝負って僕は好きなんですよ。
シンプルで、明るくて・・・。
時代も感じさせますね。
カセットなんて、今時使っていないでしょう、誰も。
でもね、僕が若い頃はみんなそうでした。
僕も好きな歌ばかり録音したテープを作ったりしましたから。
「夏テープ」「クリスマス・テープ」「燃えるテープ」(←?)などなど・・・。
二十代のころのことです。
この曲もね。
マイカーで、灼けるような夏の日差しの下、海へ出掛けていきました。
真夏の灼熱の太陽を見上げて、SUMMER DREAM・・・。
もうすでに気候的には夏本番がとっくに到来している気がします。
そんな訳で、気分も夏本番にしてくれる曲を・・・。
巷ではかつて「夏バンド」などと言われていました。
TUBEというバンドの非常に有名な歌です。
なんといいますか・・・超ど真ん中ストレートって感じ。
こんな感じの直球勝負って僕は好きなんですよ。
シンプルで、明るくて・・・。
時代も感じさせますね。
カセットなんて、今時使っていないでしょう、誰も。
でもね、僕が若い頃はみんなそうでした。
僕も好きな歌ばかり録音したテープを作ったりしましたから。
「夏テープ」「クリスマス・テープ」「燃えるテープ」(←?)などなど・・・。
二十代のころのことです。
この曲もね。
マイカーで、灼けるような夏の日差しの下、海へ出掛けていきました。
真夏の灼熱の太陽を見上げて、SUMMER DREAM・・・。
Tag : 文化
【二十四節気】今日から「大暑」
今日から二十四節気の「大暑」です。
江戸時代の暦の解説書『暦便欄』では、「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と書かれています。
文字通り、とっても暑い時期です。
とはいえ、梅雨が明けたばかりの時期。
学校はいよいよ夏休み。
これから本格的な夏が始まる・・・というのが一般的な感覚です。
しかし、驚くべき事に「大暑」の次の節気は、「立秋」・・・秋が立ってしまうのです。
まぁ、これまでもこの四季の移り変わりについては何度も説明していますので省きますが、残暑はこれ以降も続きます。
「立秋」の次は「処暑」ですから。
ちなみに「暑中見舞い」は「小暑」「大暑」のうちに出すものです。
出す機会が少なくなるほど、間違えやすくなりますからお気をつけください。
なお、立秋以降に出す場合は「残暑見舞い」になります。
さて、この「大暑」の期間に重なるように、「土用丑の日」です。
「立秋」の前、一八日間にある「丑の日」ですが、今年は7月30日になります。
この日はうなぎを食べる風習がありますが、別に鰻でなくともよいのです。
「う」のつくものですから、「うどん」でも「梅干し」でも構いません。
・・・でも、うなぎ食べたいですね。
まぁ、今年は東京でも38°を記録するような猛暑ですから、精のつくものを食べてください。
江戸時代の暦の解説書『暦便欄』では、「暑気いたりつまりたるゆえんなればなり」と書かれています。
文字通り、とっても暑い時期です。
とはいえ、梅雨が明けたばかりの時期。
学校はいよいよ夏休み。
これから本格的な夏が始まる・・・というのが一般的な感覚です。
しかし、驚くべき事に「大暑」の次の節気は、「立秋」・・・秋が立ってしまうのです。
まぁ、これまでもこの四季の移り変わりについては何度も説明していますので省きますが、残暑はこれ以降も続きます。
「立秋」の次は「処暑」ですから。
ちなみに「暑中見舞い」は「小暑」「大暑」のうちに出すものです。
出す機会が少なくなるほど、間違えやすくなりますからお気をつけください。
なお、立秋以降に出す場合は「残暑見舞い」になります。
さて、この「大暑」の期間に重なるように、「土用丑の日」です。
「立秋」の前、一八日間にある「丑の日」ですが、今年は7月30日になります。
この日はうなぎを食べる風習がありますが、別に鰻でなくともよいのです。
「う」のつくものですから、「うどん」でも「梅干し」でも構いません。
・・・でも、うなぎ食べたいですね。
まぁ、今年は東京でも38°を記録するような猛暑ですから、精のつくものを食べてください。
没後50年 香港の大スター ブルース・リー(その2)
彼の功績は、映画スターとしてのものだけではない。
近年では、格闘家としてのブルース・リーが見直されてきている。
僕が夢中になっていたころは、それでも世間はボクサーやプロレスラーには叶わない、所詮ブルース・リーは映画スターなのだ、という見方が多かった。
だが、現代はまさに格闘技の世界では総合格闘技に代表されるように、空手やボクシング、柔道、レスリングなどの垣根を越えて展開されている。
その総合格闘技の原型は映画「燃えよドラゴン」のオープニングで発見できるのだ。
寺の境内の闘技場で向かい合う二人の競技者。
その両手にはまさしくオープン・フィンガー・グローブ(ブルースが考案したもの)をしている。
そして、打つ・蹴る・投げる・極める、の技が繰り広げられる。
いまの格闘技ブームというものは、実はブルース・リーの思想から芽吹いたものではないかと言えるのだ。
僕は個人的には「死亡遊戯」という作品が好きだ。
この映画は彼の死後に残された映像をつぎはぎして無理矢理作った映画である。
当時の映像技術の限界でもあるが、いま僕らが見ても情けないくらい粗悪な処理がされている。
しかし、クライマックスのバトルシーンに入ると、本物のブルース・リーが出てきて、途端に映画の雰囲気ががらりと変わるのだ。
これこそ、本物の持つオーラとでもいうべきだろう。
彼を育てた香港が今はあのようなことになってしまっているのが、とても残念である。
近年では、格闘家としてのブルース・リーが見直されてきている。
僕が夢中になっていたころは、それでも世間はボクサーやプロレスラーには叶わない、所詮ブルース・リーは映画スターなのだ、という見方が多かった。
だが、現代はまさに格闘技の世界では総合格闘技に代表されるように、空手やボクシング、柔道、レスリングなどの垣根を越えて展開されている。
その総合格闘技の原型は映画「燃えよドラゴン」のオープニングで発見できるのだ。
寺の境内の闘技場で向かい合う二人の競技者。
その両手にはまさしくオープン・フィンガー・グローブ(ブルースが考案したもの)をしている。
そして、打つ・蹴る・投げる・極める、の技が繰り広げられる。
いまの格闘技ブームというものは、実はブルース・リーの思想から芽吹いたものではないかと言えるのだ。
僕は個人的には「死亡遊戯」という作品が好きだ。
この映画は彼の死後に残された映像をつぎはぎして無理矢理作った映画である。
当時の映像技術の限界でもあるが、いま僕らが見ても情けないくらい粗悪な処理がされている。
しかし、クライマックスのバトルシーンに入ると、本物のブルース・リーが出てきて、途端に映画の雰囲気ががらりと変わるのだ。
これこそ、本物の持つオーラとでもいうべきだろう。
彼を育てた香港が今はあのようなことになってしまっているのが、とても残念である。