無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
天使がお空に飛び立ってから・・・
今日は最愛のあの子の誕生日。
もう決して歳をとらないあの子・・・「うず」だ。
あれから9年。
「小うず」の年齢を数えると「うず」の何回忌かがわかる。
「小うず」を迎えるにあたって、心の葛藤がやはりあった。
亡くなった途端に、次の子を迎えるなんて・・・。
軽い気持ちで直ぐに乗り換えたかのように思われるようで・・・。
でも、そんなことはない。
僕は毎日「うず」の祭壇に手を合わせている。
「小うず」も一緒に手を合わせて(させて)いる。
むしろ、「小うず」がいるからこそ、「うず」の温もりを忘れないのかもしれない。
「小うず」には迷惑なのか、わからないが、「小うず」を通して「うず」を感じているのかもしれない。
たまに「小うず」が「うず」のように「お願い」ポーズをとらないかと思ってしまう。
愛嬌のあった「うず」のとびきりの愛らしいポーズだ。
言葉はないけれども、なんとなくわかる。
・・・いまは、「ごはんちょうだい」のお願い。
・・・今度は、「お水飲みたい」のお願い。
毎朝7時になると、僕の顔に肉球をぺたんとつけて、僕を起こしてくれる。
僕の枕元で「お腹空いたよ」、とお願いポーズ。
とても幸せだった。
「うず」・・・、待っててくれるよね。
じきにそっちに行くからね。
たぶん、虹の橋の手前で待っててくれているね。
一緒に渡ろうね。
大切な、大切な愛しい我が子よ。
*画像はすべて「小うず」です。
もう決して歳をとらないあの子・・・「うず」だ。
あれから9年。
「小うず」の年齢を数えると「うず」の何回忌かがわかる。
「小うず」を迎えるにあたって、心の葛藤がやはりあった。
亡くなった途端に、次の子を迎えるなんて・・・。
軽い気持ちで直ぐに乗り換えたかのように思われるようで・・・。
でも、そんなことはない。
僕は毎日「うず」の祭壇に手を合わせている。
「小うず」も一緒に手を合わせて(させて)いる。
むしろ、「小うず」がいるからこそ、「うず」の温もりを忘れないのかもしれない。
「小うず」には迷惑なのか、わからないが、「小うず」を通して「うず」を感じているのかもしれない。
たまに「小うず」が「うず」のように「お願い」ポーズをとらないかと思ってしまう。
愛嬌のあった「うず」のとびきりの愛らしいポーズだ。
言葉はないけれども、なんとなくわかる。
・・・いまは、「ごはんちょうだい」のお願い。
・・・今度は、「お水飲みたい」のお願い。
毎朝7時になると、僕の顔に肉球をぺたんとつけて、僕を起こしてくれる。
僕の枕元で「お腹空いたよ」、とお願いポーズ。
とても幸せだった。
「うず」・・・、待っててくれるよね。
じきにそっちに行くからね。
たぶん、虹の橋の手前で待っててくれているね。
一緒に渡ろうね。
大切な、大切な愛しい我が子よ。
*画像はすべて「小うず」です。
愛猫が天に召された日
今日は「うず」の命日です。
10:40くらいだったろうか・・・苦しんで息を引き取っていった。
あの朝のことを決して忘れることはない。
*画像は「小うず」です。
肺の周りに水が溜まって、前の晩から息苦しそうになっていた「うず」。
朝一番で病院に連れて行った。
レントゲンを撮って、上述のようなことがわかった。
「危険だけど、水を抜く措置をしますか?」
危険も何も、それをしないと危険だ・・・僕は自然にそう思った。
即座に措置をお願いした。
今となって思い返すと、それがミスだったのだ。
こんな小さな命に外科的措置は非常に危険なのだ。
僕はたぶん、人間の大人と同じ感覚で考えてしまったのだ。
あるいは、そのままにして時間を掛けてゆっくりと消えていく「うず」の命を見守るのが怖かったのかもしれない。
でも、それは「うず」にとっての正解だったのかもしれない。
息苦しくなっての臨終は、思いのほか苦しくは無いのかもしれない。
僕の父のそのときは、あまり食事をしていなかったので、衰弱していたため呆気なく逝った。
おなじことなのだろう。
自然にそのときを迎えるときは、栄養にしろ呼吸にしろ、そのときを受け入れやすくするために欠乏させる、それが意外にも自然のもつ優しさなのかもしれない。
ひょっとすると、僕が余計な措置を頼んだために、「うす」は急激な「そのとき」を苦しいものにしたのか・・・。
僕が勇気と覚悟をもって、静かにすこしづつ「そのとき」迎える子を優しく見守ってあげたほうが、幸せだったのかもしれない。
もうあの子がいなくなって九年が経つ・・・。
僕は「うず」の亡骸を抱いた写真を撮って貰ったが、なんと僕が「うず」と一緒に写真を撮ったのはそれが唯一のものだった。
「うず」の亡骸を撮った写真は、とても痛々しかった。
でも、僕はあの子の最後の姿を残そうと思った。
どんなに痛々しくても。
不思議なもので、時間の経過とともに、痛々しさよりも神々しさを感じるようになっていった。
これは人間が自分の心を守ろうとする本能なのか、あるいはそれが真実の「うず」の命が持つ神性なのだろうか・・・。
あぁ、あの日が遠ざかるとともに、いつかまた次の「そのとき」も来るのだろうか・・・。
10:40くらいだったろうか・・・苦しんで息を引き取っていった。
あの朝のことを決して忘れることはない。
*画像は「小うず」です。
肺の周りに水が溜まって、前の晩から息苦しそうになっていた「うず」。
朝一番で病院に連れて行った。
レントゲンを撮って、上述のようなことがわかった。
「危険だけど、水を抜く措置をしますか?」
危険も何も、それをしないと危険だ・・・僕は自然にそう思った。
即座に措置をお願いした。
今となって思い返すと、それがミスだったのだ。
こんな小さな命に外科的措置は非常に危険なのだ。
僕はたぶん、人間の大人と同じ感覚で考えてしまったのだ。
あるいは、そのままにして時間を掛けてゆっくりと消えていく「うず」の命を見守るのが怖かったのかもしれない。
でも、それは「うず」にとっての正解だったのかもしれない。
息苦しくなっての臨終は、思いのほか苦しくは無いのかもしれない。
僕の父のそのときは、あまり食事をしていなかったので、衰弱していたため呆気なく逝った。
おなじことなのだろう。
自然にそのときを迎えるときは、栄養にしろ呼吸にしろ、そのときを受け入れやすくするために欠乏させる、それが意外にも自然のもつ優しさなのかもしれない。
ひょっとすると、僕が余計な措置を頼んだために、「うす」は急激な「そのとき」を苦しいものにしたのか・・・。
僕が勇気と覚悟をもって、静かにすこしづつ「そのとき」迎える子を優しく見守ってあげたほうが、幸せだったのかもしれない。
もうあの子がいなくなって九年が経つ・・・。
僕は「うず」の亡骸を抱いた写真を撮って貰ったが、なんと僕が「うず」と一緒に写真を撮ったのはそれが唯一のものだった。
「うず」の亡骸を撮った写真は、とても痛々しかった。
でも、僕はあの子の最後の姿を残そうと思った。
どんなに痛々しくても。
不思議なもので、時間の経過とともに、痛々しさよりも神々しさを感じるようになっていった。
これは人間が自分の心を守ろうとする本能なのか、あるいはそれが真実の「うず」の命が持つ神性なのだろうか・・・。
あぁ、あの日が遠ざかるとともに、いつかまた次の「そのとき」も来るのだろうか・・・。
やわらかくて、あたたかいぬくもりはかわらない
12月20日。
今日はいまは亡き「うず」の誕生日。
ちっちゃな命はこの日に生まれた。
ショップで出会った僕は当然、その姿を見たわけではない。
後日送られてきた血統書に記載されていたのを見ただけだ。
<*画像は「小うず」です>
僕にとって初めての子猫。
可愛かった。
とても可愛かった。
うちに来たのは、まだ2月の寒い時期。
寝るときには、「お布団に入れて」と僕の顔をなめた。
大人になってからは、毎朝僕を起こしてくれた。
僕の寝顔にぴと、と手で触れて、得意の「おねがい」ポーズ。
お腹がすいたからであって、僕が寝坊しないようにではない。
それでも毎朝幸せだった。
だって、目が覚めて一番に眼に入るものが「うず」の可愛いポーズなんだから・・・。。
「うず」が僕のもとを離れて、天に召されてから・・・。。
僕は自責の念で、とても次の子なんて考えられなかった。
なんだか、「うず」を裏切るような気がして・・・。
でも、「小うず」を迎えて良かったと思う。
「小うず」を抱いたり、撫でたり、可愛がったりするとき、「うず」を思い出せるから。
やわらかくて、あたたかいぬくもりは「うず」のものと変わらない。
僕は「うず」を通して「小うず」を迎えることが出来た。
そして、今は「小うず」を通して「うず」を思い出すことが出来る。
<*画像は「小うず」です>
いまでも、「うず」は僕と一緒にいる。
いつまでも、僕とともにいてくれるだろう。
お誕生日、おめでとう・・・。
今日はいまは亡き「うず」の誕生日。
ちっちゃな命はこの日に生まれた。
ショップで出会った僕は当然、その姿を見たわけではない。
後日送られてきた血統書に記載されていたのを見ただけだ。
<*画像は「小うず」です>
僕にとって初めての子猫。
可愛かった。
とても可愛かった。
うちに来たのは、まだ2月の寒い時期。
寝るときには、「お布団に入れて」と僕の顔をなめた。
大人になってからは、毎朝僕を起こしてくれた。
僕の寝顔にぴと、と手で触れて、得意の「おねがい」ポーズ。
お腹がすいたからであって、僕が寝坊しないようにではない。
それでも毎朝幸せだった。
だって、目が覚めて一番に眼に入るものが「うず」の可愛いポーズなんだから・・・。。
「うず」が僕のもとを離れて、天に召されてから・・・。。
僕は自責の念で、とても次の子なんて考えられなかった。
なんだか、「うず」を裏切るような気がして・・・。
でも、「小うず」を迎えて良かったと思う。
「小うず」を抱いたり、撫でたり、可愛がったりするとき、「うず」を思い出せるから。
やわらかくて、あたたかいぬくもりは「うず」のものと変わらない。
僕は「うず」を通して「小うず」を迎えることが出来た。
そして、今は「小うず」を通して「うず」を思い出すことが出来る。
<*画像は「小うず」です>
いまでも、「うず」は僕と一緒にいる。
いつまでも、僕とともにいてくれるだろう。
お誕生日、おめでとう・・・。
今日は「うずまき天使」がやってきた日なのかも・・・
「うず」の思い出のものをしまった引き出し。
いろんなものが入っている。
首輪なんかは毎日お祈りをするために出してあるけど、血統書や腎臓の診断に関する書類なども入っている。
書類関係はなんだかよく憶えていない物もある。
港北のショップで「うず」を購入(イヤな言葉だが)したときのものと思われる書類には、「うず」の体重が800グラムとか書かれていた。
*画像は「小うず」です
あぁ、「小うず」は400グラムだったから、「うす」は結構しっかりした状態で連れてきたんだなぁ、と思う。
考えてみれば、「小うず」を販売していたショップは昔ながらの町の商店で目茶苦茶だった。
昨日、茨城から連れてきた、といって、翌日に僕に「小うず」を引き渡して耳ダニだらけだった。
ネコのストレスもなにもあったもんじゃない。
しかも、まだよちよち歩きで体力も無い幼猫だった。
そんな書類には日付が入っていて、「2/28」とか書かれている。
それを見ると、僕はこれって「うず」を連れてきた日かなぁ・・・、などと思う。
2月と言うことは憶えているんだ。
まだ寒い頃だったから・・・。
でも直ぐにあったかくなったから・・・。
今日は「うずまき天使」がやってきた日・・・?
初ニャンコの日だ。
*画像は「小うず」です
可愛かった。
クルマで連れてきたんだ。
段ボールのキャリーに入れて・・・。
丸い小窓が開いていて、僕が指を入れると捕まえようとしてじゃれてきた。
お腹が緩かったので、帰り道で指定の獣医さんへ連れていった。
しばらくは、ふやかしたフードに錠剤の欠片をまぜて食べさせた。
お腹がすいて、手にフードを入れたお皿をみると、目を細くしてニャーニャー鳴いた。
ペチャペチャと美味しそうにほおばっていた。
僕の父なんかは、床に顔を擦り付けて食べる「うず」を見ていた。
今日は「うずまき天使」がやってきた日・・・・だったかもしれない・・・。
*画像は「小うず」です
いろんなものが入っている。
首輪なんかは毎日お祈りをするために出してあるけど、血統書や腎臓の診断に関する書類なども入っている。
書類関係はなんだかよく憶えていない物もある。
港北のショップで「うず」を購入(イヤな言葉だが)したときのものと思われる書類には、「うず」の体重が800グラムとか書かれていた。
*画像は「小うず」です
あぁ、「小うず」は400グラムだったから、「うす」は結構しっかりした状態で連れてきたんだなぁ、と思う。
考えてみれば、「小うず」を販売していたショップは昔ながらの町の商店で目茶苦茶だった。
昨日、茨城から連れてきた、といって、翌日に僕に「小うず」を引き渡して耳ダニだらけだった。
ネコのストレスもなにもあったもんじゃない。
しかも、まだよちよち歩きで体力も無い幼猫だった。
そんな書類には日付が入っていて、「2/28」とか書かれている。
それを見ると、僕はこれって「うず」を連れてきた日かなぁ・・・、などと思う。
2月と言うことは憶えているんだ。
まだ寒い頃だったから・・・。
でも直ぐにあったかくなったから・・・。
今日は「うずまき天使」がやってきた日・・・?
初ニャンコの日だ。
*画像は「小うず」です
可愛かった。
クルマで連れてきたんだ。
段ボールのキャリーに入れて・・・。
丸い小窓が開いていて、僕が指を入れると捕まえようとしてじゃれてきた。
お腹が緩かったので、帰り道で指定の獣医さんへ連れていった。
しばらくは、ふやかしたフードに錠剤の欠片をまぜて食べさせた。
お腹がすいて、手にフードを入れたお皿をみると、目を細くしてニャーニャー鳴いた。
ペチャペチャと美味しそうにほおばっていた。
僕の父なんかは、床に顔を擦り付けて食べる「うず」を見ていた。
今日は「うずまき天使」がやってきた日・・・・だったかもしれない・・・。
*画像は「小うず」です
「ゆっくり解説」で知ったペットの役割
youtubeにはいろんな動画がある。
いうまでもないことだが・・・。
僕はこのシリーズはフィットネスジムのランニングマシンでよく見る。
理由はマシンでは音声がでないので、字幕があるこの動画は走りながらでも内容がわかりやすいからだ。
まぁ、この動画の音声は棒読みでちょっと聞き苦しいので、字幕の方がよいかもしれない。
ジムでよく見た「ゆっくり解説」は自衛隊や空海陸軍の解説が多かった。
しかし、この動画は結構ジャンルの幅が広い。
僕の知っている範囲では、歴史関連、軍事関連、アニメ関連などがある。
最近知ったのは、スピリチュアル関連もあったということだ。
そこでこの動画を見た。
生命の輪廻(生まれ変わり)に関してだが、ここではペットの輪廻について解説している。
僕が着目したのは、ペットとして飼われている犬や猫は「人に愛されるためにいる」ということだ。
動物が人としてステップアップして生まれるには、どうしても人と一緒にいることが必要になるらしい。
人へと昇格する動物は、犬や猫、猿そして馬などが多いとのことで、牛などはそうでないらしい。
魚やハムスターが人に生まれるのは不可能とのことだ。
さて、動画では動物を飼うことは「愛のボランティア」とされている。
人から愛をたくさん与えられた動物と、虐待された動物とでは転生したときの性格や霊性にそのまま受け継がれてしまうので注意が必要なのだ。
要するに、愛情を注がれた子は明るい人間になるし、虐待されると倫理観の欠落していたり、人を信用できない個性を持つことになってしまう。
だから、「ペットを飼う」ということは「愛のボランティア」だと思って、愛情をいっぱい与えるのが必要だということだ。
・・・・・
さて、僕はうちのにゃんこくんたちに愛情をいっぱい与えられているのだろうか?
もちろん、与えているつもりなんだけど、独りよがりになっていたりしないか・・・?
難しいことは考えないで、日々一緒に楽しく過ごせるように可愛がってやろう・・・なんて思いました。
いうまでもないことだが・・・。
僕はこのシリーズはフィットネスジムのランニングマシンでよく見る。
理由はマシンでは音声がでないので、字幕があるこの動画は走りながらでも内容がわかりやすいからだ。
まぁ、この動画の音声は棒読みでちょっと聞き苦しいので、字幕の方がよいかもしれない。
ジムでよく見た「ゆっくり解説」は自衛隊や空海陸軍の解説が多かった。
しかし、この動画は結構ジャンルの幅が広い。
僕の知っている範囲では、歴史関連、軍事関連、アニメ関連などがある。
最近知ったのは、スピリチュアル関連もあったということだ。
そこでこの動画を見た。
生命の輪廻(生まれ変わり)に関してだが、ここではペットの輪廻について解説している。
僕が着目したのは、ペットとして飼われている犬や猫は「人に愛されるためにいる」ということだ。
動物が人としてステップアップして生まれるには、どうしても人と一緒にいることが必要になるらしい。
人へと昇格する動物は、犬や猫、猿そして馬などが多いとのことで、牛などはそうでないらしい。
魚やハムスターが人に生まれるのは不可能とのことだ。
さて、動画では動物を飼うことは「愛のボランティア」とされている。
人から愛をたくさん与えられた動物と、虐待された動物とでは転生したときの性格や霊性にそのまま受け継がれてしまうので注意が必要なのだ。
要するに、愛情を注がれた子は明るい人間になるし、虐待されると倫理観の欠落していたり、人を信用できない個性を持つことになってしまう。
だから、「ペットを飼う」ということは「愛のボランティア」だと思って、愛情をいっぱい与えるのが必要だということだ。
・・・・・
さて、僕はうちのにゃんこくんたちに愛情をいっぱい与えられているのだろうか?
もちろん、与えているつもりなんだけど、独りよがりになっていたりしないか・・・?
難しいことは考えないで、日々一緒に楽しく過ごせるように可愛がってやろう・・・なんて思いました。