無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
平成三十年のくらやみ祭のはじまり、はじまり!
さぁ、ゴールデンウィークの前半もおしまいの今日ですが、もっとビッグなイベント!
今週から、いよいよ「くらやみ祭」が始まりますよ(((o(*゚▽゚*)o)))
「くらやみ祭」は、東京都府中の大国魂神社で開催される例大祭です。
東京都指定無形民俗文化財に指定されています。
大國魂神社は、大國魂大神を武蔵国の守り神としてお祀りした神社です。
西暦111年の創建で、東京都でもきっての古刹です。
大化の改新の時に武蔵の国府をここに置くようになりました。
本殿の両側に国内著名の神、六所[ろくしょ](小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀したため、六所宮とも呼ばれています。
最寄駅は京王線の府中駅と、JR武蔵野線の府中本町です。
僕はもっぱら京王線を利用していますが、参道であるけやき並木の通りに直接でれる出口もあり、駅を出るとすぐにお祭りが観れるのです。
さて、この「くらやみ祭」の由来ですが、当夜八基の神輿が古式の行列を整え、消燈して闇夜に御旅所へ神幸するので、俗に「くらやみ祭」といわれています。
ですが、近年に風営法などの影響で深夜ではなく夕刻に行われるようになりました。
本日から5月6日までの期間で行われる「くらやみ祭」。
一般に公開されているお祭は連休たけなわの3~5日の三日間ですが、実際には神事がその他の日に行われています。
今日は、神事の初日で、「品川海上禊祓式」が行われました。
くらやみ祭の始まりの儀式で、神職たちが品川海上で身を清めると同時に、清めの汐水を神社に持ち帰ります。
この海水で、お祭り期間中に境内などに蒔いてお浄めをするのです。府中市を流れる多摩川に沿って、品川街道という道があります。
かつては、この通りを使って海水が運ばれたそうです。
現在はさすがに高速道路で運搬されるようです。
さぁ、今日から神事に従ってお祭りをご紹介してきます。
今週から、いよいよ「くらやみ祭」が始まりますよ(((o(*゚▽゚*)o)))
「くらやみ祭」は、東京都府中の大国魂神社で開催される例大祭です。
東京都指定無形民俗文化財に指定されています。
大國魂神社は、大國魂大神を武蔵国の守り神としてお祀りした神社です。
西暦111年の創建で、東京都でもきっての古刹です。
大化の改新の時に武蔵の国府をここに置くようになりました。
本殿の両側に国内著名の神、六所[ろくしょ](小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀したため、六所宮とも呼ばれています。
最寄駅は京王線の府中駅と、JR武蔵野線の府中本町です。
僕はもっぱら京王線を利用していますが、参道であるけやき並木の通りに直接でれる出口もあり、駅を出るとすぐにお祭りが観れるのです。
さて、この「くらやみ祭」の由来ですが、当夜八基の神輿が古式の行列を整え、消燈して闇夜に御旅所へ神幸するので、俗に「くらやみ祭」といわれています。
ですが、近年に風営法などの影響で深夜ではなく夕刻に行われるようになりました。
本日から5月6日までの期間で行われる「くらやみ祭」。
一般に公開されているお祭は連休たけなわの3~5日の三日間ですが、実際には神事がその他の日に行われています。
今日は、神事の初日で、「品川海上禊祓式」が行われました。
くらやみ祭の始まりの儀式で、神職たちが品川海上で身を清めると同時に、清めの汐水を神社に持ち帰ります。
この海水で、お祭り期間中に境内などに蒔いてお浄めをするのです。府中市を流れる多摩川に沿って、品川街道という道があります。
かつては、この通りを使って海水が運ばれたそうです。
現在はさすがに高速道路で運搬されるようです。
さぁ、今日から神事に従ってお祭りをご紹介してきます。
今日は「昭和の日」
今日は「昭和の日」。
2007年までは「みどりの日」でした。
これは「生物学者であり自然を愛した昭和天皇をしのぶ日」であるためです。
昭和天皇のお名前がでましたが、すべての由来はそこから来ています。
平成世代には、もうわからない人もいるでしょうが、昭和天皇がご存命であったときは「天皇誕生日」だったのです。
本来は天皇の崩御と共に、天長節「天皇誕生日」は次代の天皇のお誕生日となります。
ですが、昭和天皇のお誕生日については、ゴールデン・ウィークの一角を占める日であったことが実利的な理由であったようです。
国民生活に大きな影響を与える、ということでしょうか。
ですが、昭和の日だけが残っている訳ではありません。
11月3日は実は明治天皇の天長節でありました。
明治天皇のご威光につきましては、昭和生まれの僕であってももう実感はありません。
ですが、こうして残されていることは近代化された国家として世界列強に肩を並べた、明治天皇の治世がいかに歴史的に大きなことであったかの証左でしょう。
実際、アジア諸国は列強の植民地として収奪の限りを尽くされていたのですから。
昭和の時代というと、戦争の時代と連想する世代もいますので、ネガティブに受け止める人も少なくなかったようです。
ですが、僕は個人的には残すべき日であると思えます。
大東亜戦争、敗戦、連合国の統治下へという国難を乗り越えることができたのは、昭和天皇のご存在を抜きには語れないと思います。
日本の歴史上空前の国難であったと思います。
昭和天皇は日本中をくまなく御幸され、国民を慰め、励まし、喚起されたために、日本は奇跡的な復興を遂げたのです。
まさしく、日本にしか、天皇のおわず国にしかできない方法で、再び陽は昇ったのです。
今日は「昭和の日」。
昭和天皇を偲ぶ日です。
2007年までは「みどりの日」でした。
これは「生物学者であり自然を愛した昭和天皇をしのぶ日」であるためです。
昭和天皇のお名前がでましたが、すべての由来はそこから来ています。
平成世代には、もうわからない人もいるでしょうが、昭和天皇がご存命であったときは「天皇誕生日」だったのです。
本来は天皇の崩御と共に、天長節「天皇誕生日」は次代の天皇のお誕生日となります。
ですが、昭和天皇のお誕生日については、ゴールデン・ウィークの一角を占める日であったことが実利的な理由であったようです。
国民生活に大きな影響を与える、ということでしょうか。
ですが、昭和の日だけが残っている訳ではありません。
11月3日は実は明治天皇の天長節でありました。
明治天皇のご威光につきましては、昭和生まれの僕であってももう実感はありません。
ですが、こうして残されていることは近代化された国家として世界列強に肩を並べた、明治天皇の治世がいかに歴史的に大きなことであったかの証左でしょう。
実際、アジア諸国は列強の植民地として収奪の限りを尽くされていたのですから。
昭和の時代というと、戦争の時代と連想する世代もいますので、ネガティブに受け止める人も少なくなかったようです。
ですが、僕は個人的には残すべき日であると思えます。
大東亜戦争、敗戦、連合国の統治下へという国難を乗り越えることができたのは、昭和天皇のご存在を抜きには語れないと思います。
日本の歴史上空前の国難であったと思います。
昭和天皇は日本中をくまなく御幸され、国民を慰め、励まし、喚起されたために、日本は奇跡的な復興を遂げたのです。
まさしく、日本にしか、天皇のおわず国にしかできない方法で、再び陽は昇ったのです。
今日は「昭和の日」。
昭和天皇を偲ぶ日です。
国学とは「古事記」と「万葉集」にあり(3)
さて、本居宣長といえば、かの有名な和歌がありますね。
「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」
これは日本人の純粋無垢な心情と精神を表したものと言われています。
それを「桜の花」に喩えているのです。
艶やかな色や香りはなく、そことなくほのかな香り、色。
そして、散り際の潔さ。
朝日の穢れない光の下、軽やかに咲き、潔く散るその美しさ。
そんなものを「大和心」と詠っているのです。
如何にも、日本人ならば誰しも思わず首を縦に振りたくなる解釈です。
宣長自身、桜をこよなく愛した御仁らしいです。
なにしろ、遺言に自分のお墓の傍に桜の樹を植えるよう託けたそうです。
それも、尺やら方角やら種類に至るまで結構細かく。
しかして、宣長の真意とはいかなるものだったのでしょうか。
この本では、大東亜戦争時にこの歌は歪められた解釈をつけられたとしています。
それは「散る」ことを極端に美化されたものとして、だそうです。
特別攻撃隊、いわゆる特攻隊につけられた名前は「敷島」「朝日」「山桜」・・・いずれもこの歌から来ています。
「菊水」は楠木正成の家紋から来ていますので、敷島歌とは異なりますが。
複雑な感情も芽生えます。
確かに「特攻」は作戦としては最悪のものです。
「戦死」を前提とした作戦など、作戦とはいえない。
しかし、この常軌を逸したこの攻撃は米国を心胆寒からしめた。
当時、精神病疾患になった米国兵士が大量発生したそうです。
このような苛烈な抵抗を示したからこそ、日本人は國を分断されたり、国體を護持できたし、虐殺されなかったのかもしれません。
そういう意味で、特攻は無駄で無意味な攻撃では決してない。
何よりも、そんな攻撃に献身した兵士たちを敷島歌からとった名称を隊に与え、讃え、鼓舞したのでしょう。
宣長の意図から逸したかどうかは不明ですが、敷島歌は未曽有の国難に際して国を護るために使われたのです。
国学とは、日本とはなにか、日本人とは何かを問うもの。
その真意は、「古事記」と「万葉集」にあり。
敷島歌だけが和歌ではありません。
臣民の数だけ、和歌がある、残されている。
和歌とは、国の歴史や文化、伝統、そして日本人の心までをも包含した研究の対象であるとは、意外でありながら納得感がありました。
「敷島の大和心を人問はば、朝日に匂ふ山桜花」
これは日本人の純粋無垢な心情と精神を表したものと言われています。
それを「桜の花」に喩えているのです。
艶やかな色や香りはなく、そことなくほのかな香り、色。
そして、散り際の潔さ。
朝日の穢れない光の下、軽やかに咲き、潔く散るその美しさ。
そんなものを「大和心」と詠っているのです。
如何にも、日本人ならば誰しも思わず首を縦に振りたくなる解釈です。
宣長自身、桜をこよなく愛した御仁らしいです。
なにしろ、遺言に自分のお墓の傍に桜の樹を植えるよう託けたそうです。
それも、尺やら方角やら種類に至るまで結構細かく。
しかして、宣長の真意とはいかなるものだったのでしょうか。
この本では、大東亜戦争時にこの歌は歪められた解釈をつけられたとしています。
それは「散る」ことを極端に美化されたものとして、だそうです。
特別攻撃隊、いわゆる特攻隊につけられた名前は「敷島」「朝日」「山桜」・・・いずれもこの歌から来ています。
「菊水」は楠木正成の家紋から来ていますので、敷島歌とは異なりますが。
複雑な感情も芽生えます。
確かに「特攻」は作戦としては最悪のものです。
「戦死」を前提とした作戦など、作戦とはいえない。
しかし、この常軌を逸したこの攻撃は米国を心胆寒からしめた。
当時、精神病疾患になった米国兵士が大量発生したそうです。
このような苛烈な抵抗を示したからこそ、日本人は國を分断されたり、国體を護持できたし、虐殺されなかったのかもしれません。
そういう意味で、特攻は無駄で無意味な攻撃では決してない。
何よりも、そんな攻撃に献身した兵士たちを敷島歌からとった名称を隊に与え、讃え、鼓舞したのでしょう。
宣長の意図から逸したかどうかは不明ですが、敷島歌は未曽有の国難に際して国を護るために使われたのです。
国学とは、日本とはなにか、日本人とは何かを問うもの。
その真意は、「古事記」と「万葉集」にあり。
敷島歌だけが和歌ではありません。
臣民の数だけ、和歌がある、残されている。
和歌とは、国の歴史や文化、伝統、そして日本人の心までをも包含した研究の対象であるとは、意外でありながら納得感がありました。
国学とは「古事記」と「万葉集」にあり(2)
ひとつには、「古事記」や「日本書紀」であり、もうひとつは「万葉集」ということです。
意外な気がしました。
確かに記紀は確かな日本の史書であります。
「万葉集」とはいわば歌集ではありませんか。
そのようなものが、「国学」の礎?
けれども、それこそがまさしく日本が日本である所以なのかもしれません。
さて、万葉集には万葉と言われるように、人々の詠んだ和歌が収録されています。
5-7-5-7-7 の31文字で構成する日本独特の形式とリズムを持つ詩です。
ご存知のように、歌い読み上げるときの調子によって何とも言えぬ情感がこみ上げてきます。
そして、短く限られた文字、言葉で言い尽くすのです。
よって、そこには比喩や、連想、言外の意が込められています。
そのため、表面的な意味合いと歌い手の真意というものが乖離してしまうことが多くあります。
有名な和歌に、道元禅師の下記のような歌があります。
「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷すずしかりけり」
日本の四季を詠んだもので、あぁなんて美しい情景だろう、とうっとりする方も多いです。
しかし、詠んだのは道元禅師です。
言葉通りの意味では決してない。
実はこれは禅の境地を詠み上げたもので、どれも一緒だよ、とでもいうのでしょうか。
何故なら、春夏秋冬いずれも「涼しい」といっているのですから。
このようにジャパニーズ・ポエムといえど深遠なものであるのです。
しかも、和歌という形式は古事記で素戔嗚尊が初めて詠みあげたもの、という歴史を持つのです。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」
という和歌が日本最古にして最初の和歌であるといわれております。
万葉集について語れるほどの知識はありませんが、古今和歌集よりも詠み手の貴賤が幅広いイメージで、防人の歌にはなんと東国の兵士の妻が詠んだ歌もあるのが驚きです。
考えてもみてください。
貴族などのような文化人、知識人ではなくて下級士族の妻までもが和歌を詠んでいるのです。
世界最古の女流文学を生み出した日本の面目躍如です。
この「万葉集」の研究を通して、純日本思想、国学を生み出そうという試みだったのです。
また、「万葉集」の研究により、我が国の正史である「古事記」「日本書紀」を読み解くための言葉の解釈などの礎としたようです。
賀茂真淵と本居宣長の国学の研究はこれらふたつの古典研究が柱だったのです。
<もう一回、つづく>
意外な気がしました。
確かに記紀は確かな日本の史書であります。
「万葉集」とはいわば歌集ではありませんか。
そのようなものが、「国学」の礎?
けれども、それこそがまさしく日本が日本である所以なのかもしれません。
さて、万葉集には万葉と言われるように、人々の詠んだ和歌が収録されています。
5-7-5-7-7 の31文字で構成する日本独特の形式とリズムを持つ詩です。
ご存知のように、歌い読み上げるときの調子によって何とも言えぬ情感がこみ上げてきます。
そして、短く限られた文字、言葉で言い尽くすのです。
よって、そこには比喩や、連想、言外の意が込められています。
そのため、表面的な意味合いと歌い手の真意というものが乖離してしまうことが多くあります。
有名な和歌に、道元禅師の下記のような歌があります。
「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷すずしかりけり」
日本の四季を詠んだもので、あぁなんて美しい情景だろう、とうっとりする方も多いです。
しかし、詠んだのは道元禅師です。
言葉通りの意味では決してない。
実はこれは禅の境地を詠み上げたもので、どれも一緒だよ、とでもいうのでしょうか。
何故なら、春夏秋冬いずれも「涼しい」といっているのですから。
このようにジャパニーズ・ポエムといえど深遠なものであるのです。
しかも、和歌という形式は古事記で素戔嗚尊が初めて詠みあげたもの、という歴史を持つのです。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」
という和歌が日本最古にして最初の和歌であるといわれております。
万葉集について語れるほどの知識はありませんが、古今和歌集よりも詠み手の貴賤が幅広いイメージで、防人の歌にはなんと東国の兵士の妻が詠んだ歌もあるのが驚きです。
考えてもみてください。
貴族などのような文化人、知識人ではなくて下級士族の妻までもが和歌を詠んでいるのです。
世界最古の女流文学を生み出した日本の面目躍如です。
この「万葉集」の研究を通して、純日本思想、国学を生み出そうという試みだったのです。
また、「万葉集」の研究により、我が国の正史である「古事記」「日本書紀」を読み解くための言葉の解釈などの礎としたようです。
賀茂真淵と本居宣長の国学の研究はこれらふたつの古典研究が柱だったのです。
<もう一回、つづく>
国学とは「古事記」と「万葉集」にあり(1)
最近、この人物に非常に関心を持ってきました。
日本思想史の第一人者といっていいでしょう。
ご存知、本居宣長です。
先月位に石平さんの著書である「なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか」(PHP新書)を読んだことは書きました。
そのなかで、奈良時代に日本に輸入された仏教、儒教が受容されて日本化されていく過程を俯瞰しました。
いつの時代もそうなのかもしれませんが、日本人が日本とはなにか、それを知るためには海外の思想を徹して知ることもあるのでしょうね。
江戸時代に息を吹き返した儒教、特に猛毒を持った朱子学を駆逐するために、「国学」という思想が興ったのです。
その中核的な人物が、賀茂真淵と本居宣長です。
「国学史再考-のぞきからくり本居宣長-」田中康二著 新典社
この本で、本居宣長に接近してみました。
しかし、石平さんは哲学を専攻する学者さんだったのですね。
帰化されたとはいえ、外国の方に国学の祖に関心を持たされるとは、僕も不勉強なことです。
この本は、本居宣長に焦点を当てている訳ではなく、あくまで国学に関する流れが書かれています。
そうはいいながら、前出の賀茂真淵と本居宣長はやはり国学の祖であり、多くのページを割かれていました。
石平さんの本にも書かれていましたが、それまでに「国学」という明確な思想や学問はなかったようです。
日本人は、日本人であることに無自覚なのかもしれません。
四方を海に囲まれた島々で構成される日本。
僕らは、白村江の戦いや元寇などを除けば、近代にいたるまで海外の脅威に晒されることはありませんでした。
歴史を通して、他民族との紛争や衝突を繰り返すヨーロッパや、中東、東アジアの諸国、諸民族とは異なり、自分たちに関して深く考える必要がなかったのかもしれません。
近代では日本人が日本人について考える材料として、新渡戸稲造の「武士道」があります。
日本人がどのような方法で、道徳や社会規範を創り出してきたのか、その根本思想を「武士道」と指摘するのがこの本です。
しかし、新渡戸稲造の考える「武士道」とは、果たして本当に江戸時代までの武士の規範であったのかというと、実はそうでもないようです。
この「武士道」は武士の世が終わってから作り上げられた「武士の規範」なのではないかということです。
では、国学の礎となったものはなんなのでしょうか。
<つづく>
日本思想史の第一人者といっていいでしょう。
ご存知、本居宣長です。
先月位に石平さんの著書である「なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか」(PHP新書)を読んだことは書きました。
そのなかで、奈良時代に日本に輸入された仏教、儒教が受容されて日本化されていく過程を俯瞰しました。
いつの時代もそうなのかもしれませんが、日本人が日本とはなにか、それを知るためには海外の思想を徹して知ることもあるのでしょうね。
江戸時代に息を吹き返した儒教、特に猛毒を持った朱子学を駆逐するために、「国学」という思想が興ったのです。
その中核的な人物が、賀茂真淵と本居宣長です。
「国学史再考-のぞきからくり本居宣長-」田中康二著 新典社
この本で、本居宣長に接近してみました。
しかし、石平さんは哲学を専攻する学者さんだったのですね。
帰化されたとはいえ、外国の方に国学の祖に関心を持たされるとは、僕も不勉強なことです。
この本は、本居宣長に焦点を当てている訳ではなく、あくまで国学に関する流れが書かれています。
そうはいいながら、前出の賀茂真淵と本居宣長はやはり国学の祖であり、多くのページを割かれていました。
石平さんの本にも書かれていましたが、それまでに「国学」という明確な思想や学問はなかったようです。
日本人は、日本人であることに無自覚なのかもしれません。
四方を海に囲まれた島々で構成される日本。
僕らは、白村江の戦いや元寇などを除けば、近代にいたるまで海外の脅威に晒されることはありませんでした。
歴史を通して、他民族との紛争や衝突を繰り返すヨーロッパや、中東、東アジアの諸国、諸民族とは異なり、自分たちに関して深く考える必要がなかったのかもしれません。
近代では日本人が日本人について考える材料として、新渡戸稲造の「武士道」があります。
日本人がどのような方法で、道徳や社会規範を創り出してきたのか、その根本思想を「武士道」と指摘するのがこの本です。
しかし、新渡戸稲造の考える「武士道」とは、果たして本当に江戸時代までの武士の規範であったのかというと、実はそうでもないようです。
この「武士道」は武士の世が終わってから作り上げられた「武士の規範」なのではないかということです。
では、国学の礎となったものはなんなのでしょうか。
<つづく>
末永いお付き合い・・・『墨場必携』
書道具屋さんのセールスで、書籍を購入。
以前から、欲しかったのだけど高いので手が出なかった。
なにしろ、分厚いこの本。
僕はいつも書道教室においてあるのを借りていたのですが・・・。
「墨場必携」という書籍です。
題名から伺いうると思いますが、書を書くときのための名句や名歌が集められたものです。
和歌や俳句などの版もありますが、僕が購入したのは漢字の名句が集められたもの。
2~16字程度の漢詩の一部の名句が字数別にまとめられています。
字数ごとに、春夏秋冬の別や、道徳的な部類や閑適類といった洒脱な部類も。
李白や杜甫といった詩人の漢詩から名句がいっぱい。
眺めると、うずうず書きたくなってしまいます。
けれども、名句=よい作品が書ける、ではないんですよね。
あくまでも、個々人の腕前しだい。
腕前以前に、用紙の形や字数、並びによっては、向かない名句もあります。
だから、適した名句を選ぶ力も腕前に入るのです。
漢字の名句って、回りくどくなくて簡潔に意味を表現しているのがいいですよね。
男性的というか、単純というか、直感的でもあります。
これから末永く大活躍してくれそう。
セールスっていっても、一割引きですから、やっぱり高価。
お店を出たら、出口の近くには古本が半額で置いてありました。
でも、最初から黄ばんだものより、長い付き合いで自分で黄ばませましょうか。
以前から、欲しかったのだけど高いので手が出なかった。
なにしろ、分厚いこの本。
僕はいつも書道教室においてあるのを借りていたのですが・・・。
「墨場必携」という書籍です。
題名から伺いうると思いますが、書を書くときのための名句や名歌が集められたものです。
和歌や俳句などの版もありますが、僕が購入したのは漢字の名句が集められたもの。
2~16字程度の漢詩の一部の名句が字数別にまとめられています。
字数ごとに、春夏秋冬の別や、道徳的な部類や閑適類といった洒脱な部類も。
李白や杜甫といった詩人の漢詩から名句がいっぱい。
眺めると、うずうず書きたくなってしまいます。
けれども、名句=よい作品が書ける、ではないんですよね。
あくまでも、個々人の腕前しだい。
腕前以前に、用紙の形や字数、並びによっては、向かない名句もあります。
だから、適した名句を選ぶ力も腕前に入るのです。
漢字の名句って、回りくどくなくて簡潔に意味を表現しているのがいいですよね。
男性的というか、単純というか、直感的でもあります。
これから末永く大活躍してくれそう。
セールスっていっても、一割引きですから、やっぱり高価。
お店を出たら、出口の近くには古本が半額で置いてありました。
でも、最初から黄ばんだものより、長い付き合いで自分で黄ばませましょうか。
いたずらものも、改心したか
小庵の自称・書斎は書や書画の作品作りのための場所です。
五畳弱の広さの部屋ですが、机と本棚、あと組み立て式のクローゼット。
結構、手狭です。
以前は納戸代わりにしていたのですが、場所の有効活用をと、書を習い始めたことから「書斎」へ変更。
「うず」がいたころには、他の部屋と同様、行き来は自由にしていました。
「うず」は特に悪さをしなかった。
ところが、「小うず」は真逆。
書の紙が置いてある棚にはのぼる、筆は遊びに使う、「うず」の祭壇は荒らす。
結局、この部屋は普段今ではドアを閉じています。
勿論、「小うず」が入れないようにです。
いつかはこいつも大丈夫になるだろう。
そんな期待もあって、僕がこの部屋で作品を書くときはドアを開放することがある。
しかし、「小うず」は中に入ってガサガサ、ガサガサ。
人の気を散らして、しまいに何か落っことす。
「出ていけーッツ!」
結局、外に追い出しておしまいです。
そんなことを繰り返してましたが・・・。
おぉ、なんと。
最近は大人しく座っていることがある。
こいつも大人になったんだなぁ。
目を細め、感心します。
以前、「うず」が退屈そうに寝ていた場所には祭壇がある。
「うず」が教えてやったのかもしれないです・・・。
五畳弱の広さの部屋ですが、机と本棚、あと組み立て式のクローゼット。
結構、手狭です。
以前は納戸代わりにしていたのですが、場所の有効活用をと、書を習い始めたことから「書斎」へ変更。
「うず」がいたころには、他の部屋と同様、行き来は自由にしていました。
「うず」は特に悪さをしなかった。
ところが、「小うず」は真逆。
書の紙が置いてある棚にはのぼる、筆は遊びに使う、「うず」の祭壇は荒らす。
結局、この部屋は普段今ではドアを閉じています。
勿論、「小うず」が入れないようにです。
いつかはこいつも大丈夫になるだろう。
そんな期待もあって、僕がこの部屋で作品を書くときはドアを開放することがある。
しかし、「小うず」は中に入ってガサガサ、ガサガサ。
人の気を散らして、しまいに何か落っことす。
「出ていけーッツ!」
結局、外に追い出しておしまいです。
そんなことを繰り返してましたが・・・。
おぉ、なんと。
最近は大人しく座っていることがある。
こいつも大人になったんだなぁ。
目を細め、感心します。
以前、「うず」が退屈そうに寝ていた場所には祭壇がある。
「うず」が教えてやったのかもしれないです・・・。
道端の草花もいい季節です
先週末は夏の陽気でした。
日中には外に出ていませんのでよくわかりませんが、土曜日の夜あたりから夜の気温が明らかに変わりました。
夜でも室内ならTシャツ一枚で大丈夫です。
ただ、そこはやはり夏ではありませんので、むっとした暑さはありません。
空気が爽やかなので、過ごしやすいです。
夏もこのくらいなら、いいんですけどね。
20代のころには、よくハワイに行きました。
オアフ島のワイキキやハワイ島も、あんな風でよかったです。
ニャンコくんがいなければ、行きたい気がしますねぇ。
まぁ、どうでもいいことは置いておいて・・・。
4月も下旬です。
気が付いたら、ハナミズキも若葉が花をかき消すようになってきました。
いつのまにかツツジが咲いて、あっという間に萎れた花まであるくらいだ。
さんさんと降り注ぐ日の光を受けて、にぎやかに咲き乱れるツツジの花。
その近くで、ひっそりと日陰の多い場所にこんな花も咲いていました。
う~ん。
色目からして、スミレかな?
小振りで慎ましい花ですね。
いろんな種類があるから、わかりにくいんですよね。
もっと草花にも詳しくなりたいですね。
道端のつつましい草花こそ、日本的であるとも思えるからです。
日中には外に出ていませんのでよくわかりませんが、土曜日の夜あたりから夜の気温が明らかに変わりました。
夜でも室内ならTシャツ一枚で大丈夫です。
ただ、そこはやはり夏ではありませんので、むっとした暑さはありません。
空気が爽やかなので、過ごしやすいです。
夏もこのくらいなら、いいんですけどね。
20代のころには、よくハワイに行きました。
オアフ島のワイキキやハワイ島も、あんな風でよかったです。
ニャンコくんがいなければ、行きたい気がしますねぇ。
まぁ、どうでもいいことは置いておいて・・・。
4月も下旬です。
気が付いたら、ハナミズキも若葉が花をかき消すようになってきました。
いつのまにかツツジが咲いて、あっという間に萎れた花まであるくらいだ。
さんさんと降り注ぐ日の光を受けて、にぎやかに咲き乱れるツツジの花。
その近くで、ひっそりと日陰の多い場所にこんな花も咲いていました。
う~ん。
色目からして、スミレかな?
小振りで慎ましい花ですね。
いろんな種類があるから、わかりにくいんですよね。
もっと草花にも詳しくなりたいですね。
道端のつつましい草花こそ、日本的であるとも思えるからです。
懐かしの歌、わしらがお國
記憶の片隅にあって、何故か忘れられない歌。
でも、ぜんぶ思い出せない歌。
懐かしくて、ちょっと切ない、でも忘れることができないでいた。
「日本よ、日本。我らがお国。」で始まり、最後に「どどんがどん!」で締めくくる歌。
僕が鮮明に覚えているのは、テレビドラマで大人の男の人(俳優さん)がグラス片手に放心状態でこの歌を口づさんでいるシーン。
アカペラ・・・というか、酔ってゆっくり口づさんでいた。
「どどんがどん」のあとで、いきなりグラスを投げつけて割り、頭をぐしゃぐしゃとかきむしった。
そんなシーンです。
そのシーンのせいで、妙に覚えていたってこともあります。
先日、ひょんなことからこの歌を思い出してネットで検索しましたら・・・。
NHKの朝の連続テレビ小説で「鳩子の海」というドラマの中の挿入歌だったんですね。
僕は小学生だったと思います。
子役の女の子がこの歌を歌っていたようです。
正直、僕はこの子の歌は覚えてなくて、さっきのシーンしか覚えていない。
「パリーン!ぐしゃぐしゃ!」って、ふざけて言ってた気がします。
このドラマは戦後の悲惨な時代を生きた女性を描いたものらしいです。
そんなことも覚えていない。
でも、この歌詞でグッときますよね。
明るく切なく歌うのもよし、僕の記憶にあるようにつらい気持ちで歌うのもよし。
調べてなんだかすっきりした。
いい歌だな・・・。
でも、ぜんぶ思い出せない歌。
懐かしくて、ちょっと切ない、でも忘れることができないでいた。
「日本よ、日本。我らがお国。」で始まり、最後に「どどんがどん!」で締めくくる歌。
僕が鮮明に覚えているのは、テレビドラマで大人の男の人(俳優さん)がグラス片手に放心状態でこの歌を口づさんでいるシーン。
アカペラ・・・というか、酔ってゆっくり口づさんでいた。
「どどんがどん」のあとで、いきなりグラスを投げつけて割り、頭をぐしゃぐしゃとかきむしった。
そんなシーンです。
そのシーンのせいで、妙に覚えていたってこともあります。
先日、ひょんなことからこの歌を思い出してネットで検索しましたら・・・。
NHKの朝の連続テレビ小説で「鳩子の海」というドラマの中の挿入歌だったんですね。
僕は小学生だったと思います。
子役の女の子がこの歌を歌っていたようです。
正直、僕はこの子の歌は覚えてなくて、さっきのシーンしか覚えていない。
「パリーン!ぐしゃぐしゃ!」って、ふざけて言ってた気がします。
このドラマは戦後の悲惨な時代を生きた女性を描いたものらしいです。
そんなことも覚えていない。
でも、この歌詞でグッときますよね。
明るく切なく歌うのもよし、僕の記憶にあるようにつらい気持ちで歌うのもよし。
調べてなんだかすっきりした。
いい歌だな・・・。
酷い有様・・・官僚、野党、マスメディア
モリカケ騒動で、この一年間国会もメディアも酷い有様です。
もりそばもかけそばも、もうリテラシーのある国民はみんな疑惑などないことが知れ渡ってます。
まだ、騙せていると思っているのは、野党とマスゴミだけなんでしょうねぇ。
ここ一カ月くらい、さらに輪をかけて酷くなっています。
財務官僚の文書改ざんに加えて、今度はセクハラですか・・・。
そのセクハラですが、今度は本格的にやばそう。
スクープした雑誌社が公表したといわれてる録音記録ですが、複数の音源をつなぎ合わせたものではないかという疑惑。
財務官僚を庇う気持ちは毛頭ありませんし、セクハラは大問題です。
・・・、さすがに捏造された音声記録で職を失ってはたまったものではない。
こんなことをされたら、誰でもターゲットにされてしまうことになる。
さらには、これがエスカレートして、僕ら有権者が選んだ政治家も、失脚し放題だ。
被害を受けた記者に、弁護士が協力を要請するのは当然でしょう。
でなければ、それこそやりたい放題だ。
さて、某一流テレビ局の記者が被害者であるとして、某社が名乗り出ました。
しかし、このテレビ局はいわくつきの放火魔です。
あちらこちらに放火して、いわゆるマッチポンプを仕掛ける問題のある報道機関と同系列です。
実際に被害にあったというのであれば、その記者には大いに同情する。
だが、一方でそのテレビ局出身のもと所属記者が、取材でセクハラを受けたのに会社に黙殺されたと、暴露しました。
取材相手に胸を鷲掴みされた、と会社に申し出たところ「そんな程度でいちいち騒ぐな」と一蹴されたらしい。
今回の件とは別の記者だが、そんなテレビ局がいまさら名乗り出たところでなんになろう。
そもそも、当事者の記者は自社ではなく週刊誌を通して財務官僚の件を訴えているのだ。
女性記者を庇わねば、自社の立場が危ういと汚い計算をしての行動だろうか・・・。
その女性記者のことか、わからないが財務官僚とは何度も一対一で食事(取材)をしていたとか・・・。
女性記者、というかそもそもそんな取材活動を認めていた、あるいは命じていた報道機関に問題はないのか・・・。
虎の門ニュースでも、有本香氏がメディアはそのあたりの常識には非常に疎い、と証言しています。
いわゆるハニートラップ的な取材を命じていたのではないでしょうか。
あくまでも、個人的な推測ですが・・・。
そもそも、取材で録音した音声記録を一方的に公開していいものなのか?
犯罪ではあるまいか、案の定、記者懇談会が中止になっているとの情報もありました。
このテレビ局に限らず、いまマスゴミは総がかりで政権を揺さぶっています。
背景には、政権与党が「憲法改正」や「放送法改正」に手を付けようとしているからだ、と言われています。
この総攻撃には僕は背筋の寒い思いがしている。
まるで、テロだ。
野党とマスゴミが一斉に蜂起して日本の国会と行政を揺さぶっている。
なんて陰湿で卑劣で暴力的なのだろう、とすら思う。
これは僕たち日本人、国民に対する攻撃でもあるのだと思う。
もっと重要な事態が、差し迫っているじゃないか。
もりそばもかけそばも、もうリテラシーのある国民はみんな疑惑などないことが知れ渡ってます。
まだ、騙せていると思っているのは、野党とマスゴミだけなんでしょうねぇ。
ここ一カ月くらい、さらに輪をかけて酷くなっています。
財務官僚の文書改ざんに加えて、今度はセクハラですか・・・。
そのセクハラですが、今度は本格的にやばそう。
スクープした雑誌社が公表したといわれてる録音記録ですが、複数の音源をつなぎ合わせたものではないかという疑惑。
財務官僚を庇う気持ちは毛頭ありませんし、セクハラは大問題です。
・・・、さすがに捏造された音声記録で職を失ってはたまったものではない。
こんなことをされたら、誰でもターゲットにされてしまうことになる。
さらには、これがエスカレートして、僕ら有権者が選んだ政治家も、失脚し放題だ。
被害を受けた記者に、弁護士が協力を要請するのは当然でしょう。
でなければ、それこそやりたい放題だ。
さて、某一流テレビ局の記者が被害者であるとして、某社が名乗り出ました。
しかし、このテレビ局はいわくつきの放火魔です。
あちらこちらに放火して、いわゆるマッチポンプを仕掛ける問題のある報道機関と同系列です。
実際に被害にあったというのであれば、その記者には大いに同情する。
だが、一方でそのテレビ局出身のもと所属記者が、取材でセクハラを受けたのに会社に黙殺されたと、暴露しました。
取材相手に胸を鷲掴みされた、と会社に申し出たところ「そんな程度でいちいち騒ぐな」と一蹴されたらしい。
今回の件とは別の記者だが、そんなテレビ局がいまさら名乗り出たところでなんになろう。
そもそも、当事者の記者は自社ではなく週刊誌を通して財務官僚の件を訴えているのだ。
女性記者を庇わねば、自社の立場が危ういと汚い計算をしての行動だろうか・・・。
その女性記者のことか、わからないが財務官僚とは何度も一対一で食事(取材)をしていたとか・・・。
女性記者、というかそもそもそんな取材活動を認めていた、あるいは命じていた報道機関に問題はないのか・・・。
虎の門ニュースでも、有本香氏がメディアはそのあたりの常識には非常に疎い、と証言しています。
いわゆるハニートラップ的な取材を命じていたのではないでしょうか。
あくまでも、個人的な推測ですが・・・。
そもそも、取材で録音した音声記録を一方的に公開していいものなのか?
犯罪ではあるまいか、案の定、記者懇談会が中止になっているとの情報もありました。
このテレビ局に限らず、いまマスゴミは総がかりで政権を揺さぶっています。
背景には、政権与党が「憲法改正」や「放送法改正」に手を付けようとしているからだ、と言われています。
この総攻撃には僕は背筋の寒い思いがしている。
まるで、テロだ。
野党とマスゴミが一斉に蜂起して日本の国会と行政を揺さぶっている。
なんて陰湿で卑劣で暴力的なのだろう、とすら思う。
これは僕たち日本人、国民に対する攻撃でもあるのだと思う。
もっと重要な事態が、差し迫っているじゃないか。