無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
早々と秋の味覚
この1週間ほどの、劇的な気温の変化に驚かれ
ているのではないでしょうか。
猛暑から、一転しての気温の低下は体調管理に
一層の自重を求められます。
夜は窓を開けて寝るなど考えられませんね。
タオルケットも押入れ直行でしょうか。
今朝、僕は目が覚めると昨夜股間で寝ていた
「小うず」に、布団をすべてはぎ取られていました。
このまま本当に秋が深まるのでしょうか。
なんだか、急激すぎますよね。
食べ物や飲み物もすっかりと夏仕様から秋のものへ。
食膳には冷たいそうめんから、温かいラーメンやうどん。
冷たい麦茶も、ホットコーヒーに。
今日は、代表的な秋の味覚。
さんまの塩焼き。
グリルで焼いていたら、はらわたが破裂する音が・・・。
ほろ苦いはらわたも、冷凍さんまとは違いとても旨い。
大根おろしがなくて残念。
秋の味覚って、ほかに何があるでしょう。
柿、栗、まつたけ・・・。
いざ思い出そうとすると、出てこなくてもどかしい。
味覚じゃないけど、十五夜お月様のお団子なども
あるかなぁ。
玉川上水なども紅葉で染まり、景色も味覚も彩り
鮮やかで、一年で一番贅沢な季節ですね。
広々とした武蔵野に薄が一面に生い茂り、
空にはお月様。
昔ながらの武蔵野の風景は、今は失われてるけど
季節はそれでも巡ってゆきます。
ているのではないでしょうか。
猛暑から、一転しての気温の低下は体調管理に
一層の自重を求められます。
夜は窓を開けて寝るなど考えられませんね。
タオルケットも押入れ直行でしょうか。
今朝、僕は目が覚めると昨夜股間で寝ていた
「小うず」に、布団をすべてはぎ取られていました。
このまま本当に秋が深まるのでしょうか。
なんだか、急激すぎますよね。
食べ物や飲み物もすっかりと夏仕様から秋のものへ。
食膳には冷たいそうめんから、温かいラーメンやうどん。
冷たい麦茶も、ホットコーヒーに。
今日は、代表的な秋の味覚。
さんまの塩焼き。
グリルで焼いていたら、はらわたが破裂する音が・・・。
ほろ苦いはらわたも、冷凍さんまとは違いとても旨い。
大根おろしがなくて残念。
秋の味覚って、ほかに何があるでしょう。
柿、栗、まつたけ・・・。
いざ思い出そうとすると、出てこなくてもどかしい。
味覚じゃないけど、十五夜お月様のお団子なども
あるかなぁ。
玉川上水なども紅葉で染まり、景色も味覚も彩り
鮮やかで、一年で一番贅沢な季節ですね。
広々とした武蔵野に薄が一面に生い茂り、
空にはお月様。
昔ながらの武蔵野の風景は、今は失われてるけど
季節はそれでも巡ってゆきます。
気の早い商店街
資本に侵されつつある商店街なんて書きましたが、
それでも僕の学生時代からの思い出のある街。
その看板と言えば、ありすぎて選べません。
井の頭公園、ハーモニカ横丁、東急デパート、肉の
サトウの行列・・・。
看板の一つに挙げられるのが、その中核的商店街
「サンロード」です。
JR吉祥寺駅の前から、延々と五日市街道まで続いて
います。並んでいるのは、商店や西友デパート、映画館
だけではありません。西友デパートの向かい側には、
月窓寺という禅寺もあります。
改めて、商店を観てみると、昔からあるマクドナルド
だけではなく、ドラッグストアやチェーンの飲食店も
多くなりました。
それでも、やはり場所柄人通りが多いです。
そんな中核商店街ですが、アーケードにはこんな飾り
つけがされていました。
気が早いなぁ。もう、秋祭りだって。
まだ八月ですよ。
確かにこの頃の、お天気や気温は夏の終わりと、
秋の到来を予感させるものではありますが。
学生さんなんて、まだ夏休み中だってのに。
因みにこの秋祭りは、サンロード独自のものではなく、
吉祥寺駅周辺の商店街総出のもののようです。
ハーモニカ横丁やら、南側の公園通り商店街なども
同じような装いをしているようです。
八月はまだ続いていますが、もう月末。
すぐに九月です。
今年の夏も厳しかったけど、あっという間だったなぁ。
気が付けば、僕が暢気なだけかもしれません。
それでも僕の学生時代からの思い出のある街。
その看板と言えば、ありすぎて選べません。
井の頭公園、ハーモニカ横丁、東急デパート、肉の
サトウの行列・・・。
看板の一つに挙げられるのが、その中核的商店街
「サンロード」です。
JR吉祥寺駅の前から、延々と五日市街道まで続いて
います。並んでいるのは、商店や西友デパート、映画館
だけではありません。西友デパートの向かい側には、
月窓寺という禅寺もあります。
改めて、商店を観てみると、昔からあるマクドナルド
だけではなく、ドラッグストアやチェーンの飲食店も
多くなりました。
それでも、やはり場所柄人通りが多いです。
そんな中核商店街ですが、アーケードにはこんな飾り
つけがされていました。
気が早いなぁ。もう、秋祭りだって。
まだ八月ですよ。
確かにこの頃の、お天気や気温は夏の終わりと、
秋の到来を予感させるものではありますが。
学生さんなんて、まだ夏休み中だってのに。
因みにこの秋祭りは、サンロード独自のものではなく、
吉祥寺駅周辺の商店街総出のもののようです。
ハーモニカ横丁やら、南側の公園通り商店街なども
同じような装いをしているようです。
八月はまだ続いていますが、もう月末。
すぐに九月です。
今年の夏も厳しかったけど、あっという間だったなぁ。
気が付けば、僕が暢気なだけかもしれません。
青山×百田「終戦の日と日本人」(その3)
八月ということでもあり、戦後70年ということでもあり、
あまりブログでは取り上げたくない政治・国際的な話を
書くことにしています
でも、ちいさい頃や学生の頃、考えてもいなかった
ことを今になって知ることになったのは時代の趨勢も
あるでしょう。
以来、図書館やネットなどでいろんな人の書いた本や
サイトを読み続けました。
そして自分の国が素晴らしい国であること、そして世界に
誇れる国であることを知り、感激しました。
同時に、ひどく穢されていることも知りました。
前回は、僕らのような軍人ではない一般国民が知る由も
ない戦闘中のことなどを書きました。
今度は手の届く範囲の些末な例を挙げます。
敗戦の影響について、端的な出来事が僕の知らない間に、
小学生の頃にあったようです。
勿論、僕は気が付いていなかった。
取るに足らない話ですが、それこそ核心なのかもしれません。
超有名な国民的アニメなのでご存知の方も多いと思います。
「宇宙戦艦ヤマト」です。
僕は再放送で人気が出だしたころに観ました。
最近、何度も実写やアニメでリメイクされています。
この作品が、アニメーションの古典的価値を持ち始めた
ようです。
悲壮感と勇壮さを併せ持つ第1作目は、戦うことがテーマ
でありながら、終盤で若い乗組員(古代進)が
「戦うべきではなかった。勝利なんて糞でもくらえ!」
と、当時としてはセンセーショナルな台詞を吐く名作でした。
勧善懲悪のヒーローが大活躍していた時代にです。
そして、続編である「さらば宇宙戦艦ヤマト」では、ふたたび
襲ってきた地球の危機に船出したヤマトが壮絶な戦いの末、
万策尽きたときに出した答え・・・。
地球を救うために、自らの命を捨てて敵に向かっていった。
小学生の時に、家でテレビ放映されたのを見ていたら
父が「特攻賛美じゃねえか」と放り捨てるようにいいました。
小学生の僕は、純粋に「人類の存亡を救うために、最後の
最期、命を捨てる」という行為や、古代君の言葉に感動して
いました。
父のこの反応・・・「特攻」という言葉ではなく、なんだか見下し
たような言い方に、心の中で猛反発しました。
勿論、いまとなっては特攻という作戦が最低の作戦であること
を知っています。作戦としては評価しませんが、散って行った
御霊へのリスペクトはいまでも変わりません。
この作品はテレビバージョンが存在しており、同じストーリー
の「宇宙戦艦ヤマト2」では、ラストが変わりヤマトが生き延びる
というパラレルワールドを作り出しています。
さらなる続編がつぎつぎと作られてヒットしたため、金儲け主義
とかご都合主義などと批判されることになりました。
この作品が好きだった僕も肩身が狭かったです。
本当にそうなのかなぁ、と思ったりして・・・。
まぁ、その真意はわかりません。
ですが、最近になってyoutubeやニコニコ動画で、改めてテレビ
版を観て衝撃を受けました。
なんと、この作品も日本と同様に貶められたものだったのか、と。
テレビ版のラストで生き延びたヤマトの艦橋で、主人公の古代君
が言った台詞は・・・。
「我々は二度と過ちを犯しません」
なんと、広島にある慰霊碑に刻まれた屈辱的な言葉ではないか。
ニコニコ動画のコメントによると、古代進の声優であり、名優の
故・富山敬さんはこのテレビ版がお嫌いだったそうです。
このラストの台詞は、まるで棒読みでした。
富山敬さんの気持ちがそのまま現れていたのでしょう。
小学生の僕はまったく気が付かなかった。
こんな少年向けの映画にまで、いわゆるウォーギルト・
インフォメーションが及んでいたなんて・・・。
子供の頃の宝物を踏みにじられたようで本当に悔しい。
取るに足らないことで、日本人の心は積み重ね、知らず
知らずに貶められていたのです。
そして、同時に日本人としての名誉や英霊たちもまた、
貶められていたのでした。
戦争を知らない世代まで、知らぬ間に貶められている。
少年の夢や希望まで踏みにじられている。
70年前の戦争にいつまでも引きづられてはいけない。
戦後はもう終わったのです。
後の世代が、いつまでも謝罪をし続けるようなことに
なってはならない、という言葉は評価されるべきと思います。
あまりブログでは取り上げたくない政治・国際的な話を
書くことにしています
でも、ちいさい頃や学生の頃、考えてもいなかった
ことを今になって知ることになったのは時代の趨勢も
あるでしょう。
以来、図書館やネットなどでいろんな人の書いた本や
サイトを読み続けました。
そして自分の国が素晴らしい国であること、そして世界に
誇れる国であることを知り、感激しました。
同時に、ひどく穢されていることも知りました。
前回は、僕らのような軍人ではない一般国民が知る由も
ない戦闘中のことなどを書きました。
今度は手の届く範囲の些末な例を挙げます。
敗戦の影響について、端的な出来事が僕の知らない間に、
小学生の頃にあったようです。
勿論、僕は気が付いていなかった。
取るに足らない話ですが、それこそ核心なのかもしれません。
超有名な国民的アニメなのでご存知の方も多いと思います。
「宇宙戦艦ヤマト」です。
僕は再放送で人気が出だしたころに観ました。
最近、何度も実写やアニメでリメイクされています。
この作品が、アニメーションの古典的価値を持ち始めた
ようです。
悲壮感と勇壮さを併せ持つ第1作目は、戦うことがテーマ
でありながら、終盤で若い乗組員(古代進)が
「戦うべきではなかった。勝利なんて糞でもくらえ!」
と、当時としてはセンセーショナルな台詞を吐く名作でした。
勧善懲悪のヒーローが大活躍していた時代にです。
そして、続編である「さらば宇宙戦艦ヤマト」では、ふたたび
襲ってきた地球の危機に船出したヤマトが壮絶な戦いの末、
万策尽きたときに出した答え・・・。
地球を救うために、自らの命を捨てて敵に向かっていった。
小学生の時に、家でテレビ放映されたのを見ていたら
父が「特攻賛美じゃねえか」と放り捨てるようにいいました。
小学生の僕は、純粋に「人類の存亡を救うために、最後の
最期、命を捨てる」という行為や、古代君の言葉に感動して
いました。
父のこの反応・・・「特攻」という言葉ではなく、なんだか見下し
たような言い方に、心の中で猛反発しました。
勿論、いまとなっては特攻という作戦が最低の作戦であること
を知っています。作戦としては評価しませんが、散って行った
御霊へのリスペクトはいまでも変わりません。
この作品はテレビバージョンが存在しており、同じストーリー
の「宇宙戦艦ヤマト2」では、ラストが変わりヤマトが生き延びる
というパラレルワールドを作り出しています。
さらなる続編がつぎつぎと作られてヒットしたため、金儲け主義
とかご都合主義などと批判されることになりました。
この作品が好きだった僕も肩身が狭かったです。
本当にそうなのかなぁ、と思ったりして・・・。
まぁ、その真意はわかりません。
ですが、最近になってyoutubeやニコニコ動画で、改めてテレビ
版を観て衝撃を受けました。
なんと、この作品も日本と同様に貶められたものだったのか、と。
テレビ版のラストで生き延びたヤマトの艦橋で、主人公の古代君
が言った台詞は・・・。
「我々は二度と過ちを犯しません」
なんと、広島にある慰霊碑に刻まれた屈辱的な言葉ではないか。
ニコニコ動画のコメントによると、古代進の声優であり、名優の
故・富山敬さんはこのテレビ版がお嫌いだったそうです。
このラストの台詞は、まるで棒読みでした。
富山敬さんの気持ちがそのまま現れていたのでしょう。
小学生の僕はまったく気が付かなかった。
こんな少年向けの映画にまで、いわゆるウォーギルト・
インフォメーションが及んでいたなんて・・・。
子供の頃の宝物を踏みにじられたようで本当に悔しい。
取るに足らないことで、日本人の心は積み重ね、知らず
知らずに貶められていたのです。
そして、同時に日本人としての名誉や英霊たちもまた、
貶められていたのでした。
戦争を知らない世代まで、知らぬ間に貶められている。
少年の夢や希望まで踏みにじられている。
70年前の戦争にいつまでも引きづられてはいけない。
戦後はもう終わったのです。
後の世代が、いつまでも謝罪をし続けるようなことに
なってはならない、という言葉は評価されるべきと思います。
Tag : 歴史
青山×百田「終戦の日と日本人」(その2)
さて、この番組【前編】【後編】でも紹介されていましたが、
例えばハワイの真珠湾にあるアリゾナ記念館などでわかるよう
に、米国人は日本軍に相当のリスペクトを持っているようです。
日本では、やれ軍国主義だの、右翼だのとまるで悪魔の手先
みたいな言われようですが。
青山さんの話は、今回に限らず以前関西で放送されていた
報道番組でも紹介されていますが、実際に米軍関係者に取材
しているので説得力があります。
だけど、どうしても僕には違和感というか、戸惑いがあります。
何故なら、アメリカ兵は戦艦大和を撃沈したのちに、海上を
漂う日本兵を機銃で殺害している。
いわゆるバンザイ・クリフで自害する日本人を観て歓声を上げ
て見物している。
そして、東京空襲や悪魔的な実験である原爆投下で無辜の民
間人を大量殺戮している。それも、二度までも。
日本が戦犯国であるなら、この米国の非道はなんなのか。
そういう残虐性と、日本軍を尊敬の念でみるという二面性が、
どうにも腑に落ちない。
青山さんが米国寄りというわけではない。
実際、彼はその残虐性とリスペクトを両方とも言及している。
米国の原爆投下は重大な国際法違反・戦争犯罪と断じている。
二面性というのは、人は確かにある、というのは理解できる。
僕だってネコを愛しているけど、魚は食べる。
そういうことなのだ、と頭で理解しても納得のいかないことは
世の中有り余るほどある。
日本海軍はマレー沖海戦で、英国の誇る戦艦・プリンス・
オブ・ウェールズとレパルスを航空機による爆撃で沈めて
います。
この時代、航空機で海に浮かぶ要塞・戦艦を沈めるなど、
画期的なことだそうです。
それを日本の空戦隊は、非常にフェアな精神で実行した。
レパルスを沈めたのちに、大破したプリンス・オブ・ウェールズ
については、乗員の退艦のため30分、空で待機したそうです。
航空機の燃料も限度があるのに、その要請を聞き届けてから
戦艦を撃沈したそうです。
片や米国、米軍。
百田尚樹の「永遠の0」のラストに書かれた、ゼロ戦で特攻した
搭乗員の遺体を、米兵が丁寧に葬ったというエピソードは実話
らしく、この番組でも青山さんが紹介しています。
結局、戦場で互いに死を賭して向かい合ったもの同士、通じる
ものがあったということなのでしょうか。
戦後、米国は歴史に正しく向かい合った軍人や研究者には
フェアな精神が受け継がれたということなのでしょうか。
日本人にも卑劣漢はいるし、米国にも紳士はいる。
悪魔のような所業は確かに米国が犯した罪ではありますが、
現状我が国は領海・領土を脅かされています。
強欲で独善的ではありますが、フェアな精神も確かにある
米国と手を組むことは、必要なことであるとは思います。
被害者意識にのみ生きる悪い見本を、現代の日本人は
知っています。
釈然としませんが、まぁ、国ともなればいろんな人格の集合体
ですから、より複雑なのはわかります・・・。
例えばハワイの真珠湾にあるアリゾナ記念館などでわかるよう
に、米国人は日本軍に相当のリスペクトを持っているようです。
日本では、やれ軍国主義だの、右翼だのとまるで悪魔の手先
みたいな言われようですが。
青山さんの話は、今回に限らず以前関西で放送されていた
報道番組でも紹介されていますが、実際に米軍関係者に取材
しているので説得力があります。
だけど、どうしても僕には違和感というか、戸惑いがあります。
何故なら、アメリカ兵は戦艦大和を撃沈したのちに、海上を
漂う日本兵を機銃で殺害している。
いわゆるバンザイ・クリフで自害する日本人を観て歓声を上げ
て見物している。
そして、東京空襲や悪魔的な実験である原爆投下で無辜の民
間人を大量殺戮している。それも、二度までも。
日本が戦犯国であるなら、この米国の非道はなんなのか。
そういう残虐性と、日本軍を尊敬の念でみるという二面性が、
どうにも腑に落ちない。
青山さんが米国寄りというわけではない。
実際、彼はその残虐性とリスペクトを両方とも言及している。
米国の原爆投下は重大な国際法違反・戦争犯罪と断じている。
二面性というのは、人は確かにある、というのは理解できる。
僕だってネコを愛しているけど、魚は食べる。
そういうことなのだ、と頭で理解しても納得のいかないことは
世の中有り余るほどある。
日本海軍はマレー沖海戦で、英国の誇る戦艦・プリンス・
オブ・ウェールズとレパルスを航空機による爆撃で沈めて
います。
この時代、航空機で海に浮かぶ要塞・戦艦を沈めるなど、
画期的なことだそうです。
それを日本の空戦隊は、非常にフェアな精神で実行した。
レパルスを沈めたのちに、大破したプリンス・オブ・ウェールズ
については、乗員の退艦のため30分、空で待機したそうです。
航空機の燃料も限度があるのに、その要請を聞き届けてから
戦艦を撃沈したそうです。
片や米国、米軍。
百田尚樹の「永遠の0」のラストに書かれた、ゼロ戦で特攻した
搭乗員の遺体を、米兵が丁寧に葬ったというエピソードは実話
らしく、この番組でも青山さんが紹介しています。
結局、戦場で互いに死を賭して向かい合ったもの同士、通じる
ものがあったということなのでしょうか。
戦後、米国は歴史に正しく向かい合った軍人や研究者には
フェアな精神が受け継がれたということなのでしょうか。
日本人にも卑劣漢はいるし、米国にも紳士はいる。
悪魔のような所業は確かに米国が犯した罪ではありますが、
現状我が国は領海・領土を脅かされています。
強欲で独善的ではありますが、フェアな精神も確かにある
米国と手を組むことは、必要なことであるとは思います。
被害者意識にのみ生きる悪い見本を、現代の日本人は
知っています。
釈然としませんが、まぁ、国ともなればいろんな人格の集合体
ですから、より複雑なのはわかります・・・。
Tag : 歴史
移ろいゆく季節を路地で感じとる
日が暮れてゆく時間が徐々に早くなってきて、移りゆく
季節が見え始めてきました。
雨で気温が下がり、暑い時期を乗り切った身体には
心地よく、涼しく感じます。
なんとなく時間がゆっくりと流れているように思います。
いつもと変わらないけど、街が静かに感じます。
お祭りが終わった後の、けだるさと余韻が残る雰囲気に
似ているのでしょうか。
エネルギーをお祭りで解放したあとのあの感じ。
夏という一年で最大のお祭りが終わるようなものです。
一年でもっともエネルギッシュな季節が終わろうとしています。
実りの秋、収穫の秋はこれから。
都会では季節感を感じにくいですね。
不自然なことにスーパーの食料品売り場や衣料品売り
場が一番季節を早取りできます。
なんて残念なことだろう。
できるだけ、自然から季節を感じ取りたいものだ。
いまの子供たちは、自然から季節を感じているでしょうか。
虫の声や、畑になる野菜、果物、星空などから季節を
感じてほしい。
星空なんて望めないかもしれませんが・・・。
田舎の子供はなんて贅沢なんだろう。
最近は、駅までの道を少し変えて住宅街の路地を通る
ようにしています。
車も通らないので安全です。
静かだし、垣根越しに樹々や草花が楽しめます。
幾くらかだけど季節を感じることができるようです。
まぁ、どこを通っても、心にゆとりがないと感じるものも
感じませんけどね。
季節が見え始めてきました。
雨で気温が下がり、暑い時期を乗り切った身体には
心地よく、涼しく感じます。
なんとなく時間がゆっくりと流れているように思います。
いつもと変わらないけど、街が静かに感じます。
お祭りが終わった後の、けだるさと余韻が残る雰囲気に
似ているのでしょうか。
エネルギーをお祭りで解放したあとのあの感じ。
夏という一年で最大のお祭りが終わるようなものです。
一年でもっともエネルギッシュな季節が終わろうとしています。
実りの秋、収穫の秋はこれから。
都会では季節感を感じにくいですね。
不自然なことにスーパーの食料品売り場や衣料品売り
場が一番季節を早取りできます。
なんて残念なことだろう。
できるだけ、自然から季節を感じ取りたいものだ。
いまの子供たちは、自然から季節を感じているでしょうか。
虫の声や、畑になる野菜、果物、星空などから季節を
感じてほしい。
星空なんて望めないかもしれませんが・・・。
田舎の子供はなんて贅沢なんだろう。
最近は、駅までの道を少し変えて住宅街の路地を通る
ようにしています。
車も通らないので安全です。
静かだし、垣根越しに樹々や草花が楽しめます。
幾くらかだけど季節を感じることができるようです。
まぁ、どこを通っても、心にゆとりがないと感じるものも
感じませんけどね。
青山×百田「終戦の日と日本人」(その1)
青山繁晴×百田尚樹が語る「終戦の日と日本人」【前編】【後編】を
遅ればせながら観ました。
DCシアターで放映されたのはいつだったのか、やはり15日くらい
だったのでしょうか。
この数年は欠かさず靖国に参拝していますし、遊就館の展示や
書籍をよく読み、日本人として少しでも理解を深めようと努力して
います。
僕は歴史は好きですが、考えてみると近代史はほとんど知りま
せんでした。それもそのはず、中学でも高校でも日本史はたいてい
近代に入る前に学期末がきちゃう。そう、学ぶ機会がなかった。
歴史が好きになったのだって、勉強が起点ではない。
小説だったり大河ドラマだったと思う。
歴史が面白いのは、残念ですがやはり戦記ものなので、源平や
戦国時代が中心になる。
へんな言い方ですが、「太平洋戦争」や「第二次世界大戦」などは
写真記録が生々しく、暗い印象があり興味がわきませんでした。
第一、基礎知識がなかったため近寄りがたいものでした。
やっぱり学校教育って大事なんですね。
あんまり政治的なことをこのブログに書くつもりはありませんが、
今にして思うと学校の社会の先生は近代史を教科書で教えたく
なかったのではないか、と思ってしまいます。
「日露戦争と世界史に登場した日本」を書いた本の著者、若狭和朋
さんもそんな教師だったそうです。
もうだいぶ前ですが、仕事の懇親会で、若い二十代か三十そこ
そこの人が「いまこんな本を読んでいるんです」って、「大東亜戦争」
の本を見せてくれました。
話を合わせたけど、さほと強い関心を示さなかった僕に彼は失望
しただろうと思います。
いまなら、真摯に彼の話をきけるのに・・。
自分が恥ずかしくて仕方がない。
さて、番組の話題に行く前にあれこれと長くなってしまった
こんな僕なので、あまり深く論ずるつもりはありませんが、
記事を分けてちょっと感じたことを書けたらと思います。
今日はなんだかキーボードの調子が悪くて、なめらかに
打った文字が入りません。
遅ればせながら観ました。
DCシアターで放映されたのはいつだったのか、やはり15日くらい
だったのでしょうか。
この数年は欠かさず靖国に参拝していますし、遊就館の展示や
書籍をよく読み、日本人として少しでも理解を深めようと努力して
います。
僕は歴史は好きですが、考えてみると近代史はほとんど知りま
せんでした。それもそのはず、中学でも高校でも日本史はたいてい
近代に入る前に学期末がきちゃう。そう、学ぶ機会がなかった。
歴史が好きになったのだって、勉強が起点ではない。
小説だったり大河ドラマだったと思う。
歴史が面白いのは、残念ですがやはり戦記ものなので、源平や
戦国時代が中心になる。
へんな言い方ですが、「太平洋戦争」や「第二次世界大戦」などは
写真記録が生々しく、暗い印象があり興味がわきませんでした。
第一、基礎知識がなかったため近寄りがたいものでした。
やっぱり学校教育って大事なんですね。
あんまり政治的なことをこのブログに書くつもりはありませんが、
今にして思うと学校の社会の先生は近代史を教科書で教えたく
なかったのではないか、と思ってしまいます。
「日露戦争と世界史に登場した日本」を書いた本の著者、若狭和朋
さんもそんな教師だったそうです。
もうだいぶ前ですが、仕事の懇親会で、若い二十代か三十そこ
そこの人が「いまこんな本を読んでいるんです」って、「大東亜戦争」
の本を見せてくれました。
話を合わせたけど、さほと強い関心を示さなかった僕に彼は失望
しただろうと思います。
いまなら、真摯に彼の話をきけるのに・・。
自分が恥ずかしくて仕方がない。
さて、番組の話題に行く前にあれこれと長くなってしまった
こんな僕なので、あまり深く論ずるつもりはありませんが、
記事を分けてちょっと感じたことを書けたらと思います。
今日はなんだかキーボードの調子が悪くて、なめらかに
打った文字が入りません。
Tag : 歴史
久しく行っていない海を想い・・・
いろんな記事の中で、海が好きで夏バンドが好きで・・・
などと書いています。
市中の山居生活などど申しておりますが、山の中より
海が好きでした。
旅行も海のないところには行かない。
これまでに行った海外旅行は、ハワイ、グアム、バリ、
ケアンズ(エアーズロック泊あり)・・・。
国内だって、伊豆下田や宮古島など。そりゃ、海のない
日光や箱根なども行きましたが・・・。
最近、海に行っていない理由のひとつには車がないこと
が大きいです。
車があれば、ひょいと湘南くらいは2時間もかからない。
夜中なら七里ヶ浜まで1時間だ。
まぁ、昔ほど海に拘りはなくなったかもしれません。
青森の三沢(古牧温泉)に旅行したけど、ありゃよかった。
三月で雪もほとんど無くなっていましたが、渋沢公園では
なんだかインスピレーションを感じました。
なんだったかは忘れましたが・・・。
帰りの日の朝、降りだした雪のなかで露天風呂を楽しんだ。
ハワイ島のビーチで海亀と戯れて泳いだときは、すごく
気分がよくなった。
アニマル・ヒーリングってこれなんだと思いました。
宮古島の与那覇前浜ビーチは、東洋一という綺麗な砂浜
で、水がキラキラしていた。
下田のビーチは上記の浜辺にひけをとらない。
海で寝転んでいるだけで幸せだった。
でも、いま同じ遊び方はできないだろうなぁ。
できるだけ、木陰で静かに浪の音と潮風で涼みながら
本を読むような感じでなければ疲れちゃうだろう。
それでも行きたいなぁ、と思うことがあります。
ニャンコくんとの生活もあるし、なかなかそうもいきません
けどね。
猫のせいにしているつもりはありません。
たぶん旅行に行っても、すぐに帰りたくなっちゃうから。
会いたくて。
愛犬とならビーチで遊べるけど、ニャンコくんは抱っこして
海辺に連れて行っても喜ばないだろうしなぁ。
現実逃避でしかないのだけど、山居生活といいながら、
海岸沿いに暮らすのも悪くない。
旅行じゃなくて、暮らしなら愛猫と一緒でも大丈夫だろう。
などと書いています。
市中の山居生活などど申しておりますが、山の中より
海が好きでした。
旅行も海のないところには行かない。
これまでに行った海外旅行は、ハワイ、グアム、バリ、
ケアンズ(エアーズロック泊あり)・・・。
国内だって、伊豆下田や宮古島など。そりゃ、海のない
日光や箱根なども行きましたが・・・。
最近、海に行っていない理由のひとつには車がないこと
が大きいです。
車があれば、ひょいと湘南くらいは2時間もかからない。
夜中なら七里ヶ浜まで1時間だ。
まぁ、昔ほど海に拘りはなくなったかもしれません。
青森の三沢(古牧温泉)に旅行したけど、ありゃよかった。
三月で雪もほとんど無くなっていましたが、渋沢公園では
なんだかインスピレーションを感じました。
なんだったかは忘れましたが・・・。
帰りの日の朝、降りだした雪のなかで露天風呂を楽しんだ。
ハワイ島のビーチで海亀と戯れて泳いだときは、すごく
気分がよくなった。
アニマル・ヒーリングってこれなんだと思いました。
宮古島の与那覇前浜ビーチは、東洋一という綺麗な砂浜
で、水がキラキラしていた。
下田のビーチは上記の浜辺にひけをとらない。
海で寝転んでいるだけで幸せだった。
でも、いま同じ遊び方はできないだろうなぁ。
できるだけ、木陰で静かに浪の音と潮風で涼みながら
本を読むような感じでなければ疲れちゃうだろう。
それでも行きたいなぁ、と思うことがあります。
ニャンコくんとの生活もあるし、なかなかそうもいきません
けどね。
猫のせいにしているつもりはありません。
たぶん旅行に行っても、すぐに帰りたくなっちゃうから。
会いたくて。
愛犬とならビーチで遊べるけど、ニャンコくんは抱っこして
海辺に連れて行っても喜ばないだろうしなぁ。
現実逃避でしかないのだけど、山居生活といいながら、
海岸沿いに暮らすのも悪くない。
旅行じゃなくて、暮らしなら愛猫と一緒でも大丈夫だろう。
過ぎゆく夏のオールナイトロング
自分でも呆れるばかりですが、本当に夏って人の意識に
響く季節なんですね。
気が付くと、記事のタイトルに「夏の・・・」とか「真夏の・・・」
って、夏を入れたくなる。
もともと、夏や海が大好きで、夏バンドなんて言われた
オメガトライブやTUBEの曲も好きです。
でも、今日はちょっとアメリカンな(?)曲で記事を書きたく
なりました。
もともと、小林克也の「ベストヒットUSA」なんか毎週のように
見てましたので、この頃のアメリカン・ポップスはなんでも
好きなことは以前も書きました。(「ピアノの吟遊詩人」)
ビリーはそのなかでも特別視してますが、この人の曲も
好きです。近郊の公園の池を雨の中歩くと必ず頭の中で
自動再生する癖があります。(これも書きました)
Lionel Richieの「All Night Long」
なんとなく残暑の季節のけだるい雰囲気に合いそうな気が
します。
曲の意図としては「これからがパーティの始まりだ!」なん
ですが。
僕からすれば、バブリーな「パーティはこれからだ!」
なんてのが、既に終わった感じだからかもしれません。
しかしまぁ、歌詞がいかにもスッカラカンですね。
英語で聴いているので、なんとなくもうちょっと意味や訳が
ありそうに感じていましたが。
いや、なんにも考えずに聴いていました。ハイ。
でも、いい。
昔、テレビで観たときはこのPVも良かった気がしましたが、
今観るとなんとも安っぽいですね。
でも、いい。
ライオネルに促されて、警官まで踊りだしてしまうあたりが、
いかにもこの時代的です。
齢をとるごとに「和」に目覚めてきましたが、たまには
青春の曲を思い出すのもいいものです。
響く季節なんですね。
気が付くと、記事のタイトルに「夏の・・・」とか「真夏の・・・」
って、夏を入れたくなる。
もともと、夏や海が大好きで、夏バンドなんて言われた
オメガトライブやTUBEの曲も好きです。
でも、今日はちょっとアメリカンな(?)曲で記事を書きたく
なりました。
もともと、小林克也の「ベストヒットUSA」なんか毎週のように
見てましたので、この頃のアメリカン・ポップスはなんでも
好きなことは以前も書きました。(「ピアノの吟遊詩人」)
ビリーはそのなかでも特別視してますが、この人の曲も
好きです。近郊の公園の池を雨の中歩くと必ず頭の中で
自動再生する癖があります。(これも書きました)
Lionel Richieの「All Night Long」
なんとなく残暑の季節のけだるい雰囲気に合いそうな気が
します。
曲の意図としては「これからがパーティの始まりだ!」なん
ですが。
僕からすれば、バブリーな「パーティはこれからだ!」
なんてのが、既に終わった感じだからかもしれません。
しかしまぁ、歌詞がいかにもスッカラカンですね。
英語で聴いているので、なんとなくもうちょっと意味や訳が
ありそうに感じていましたが。
いや、なんにも考えずに聴いていました。ハイ。
でも、いい。
昔、テレビで観たときはこのPVも良かった気がしましたが、
今観るとなんとも安っぽいですね。
でも、いい。
ライオネルに促されて、警官まで踊りだしてしまうあたりが、
いかにもこの時代的です。
齢をとるごとに「和」に目覚めてきましたが、たまには
青春の曲を思い出すのもいいものです。
Tag : 文化
雨降りの静かな一日
天気は曇りで一日気温が上がらず暑さも落ち着いてました。
しばらく、真夏日からも解放されるような予報になっています。
個人的には、せっかくの休みなのに腰痛が再発してしまって、
昼ごろに整骨院に行きました。関節に炎症が起こっているよう
で、ヘルニアなどの重傷ではないようです。
朝起きたら、腹筋というか下腹部が痛くて仰向けの姿勢から
起き上がれない。しかたないので、ぐっすりと朝寝坊。
「小うず」のよいところは、「ごはん、ごはん」とアピールせずに
いつまでも一緒に寝ていてくれること。
僕が起きない限り、ずっと寝ている。
部屋の掃除をしていると、今朝は朝顔がいつになくいっぱい
咲いていました。
涼しい天気と、蝉の鳴き声、そして朝顔。夏が去っていくか
のような感じがしました。
整骨院をでると、雨がぱらぱらと降っていた。
傘を持たずに油断してましたが、買い物をしているうちに
小雨になっていった。
この身体じゃジムにも行けないし、ゆっくりと過ごす。
活動的ではない休日もまたいいものだ。
墨を磨って少し書いていたけど、腰が痛くて立って書けない。
集中力も続かないし、「小うず」は邪魔っけするので1時間
くらいでやめた。
僕が家にいるものだから、「小うず」は大喜びなのか、
はしゃいでいたようだ。掃除のときも、フローリング・ワイパー
を追いかけて目いっぱい邪魔してた。
いまは疲れておねむの様子です。
静かで落ち着いた一日。
こんな日もいい。
しばらく、真夏日からも解放されるような予報になっています。
個人的には、せっかくの休みなのに腰痛が再発してしまって、
昼ごろに整骨院に行きました。関節に炎症が起こっているよう
で、ヘルニアなどの重傷ではないようです。
朝起きたら、腹筋というか下腹部が痛くて仰向けの姿勢から
起き上がれない。しかたないので、ぐっすりと朝寝坊。
「小うず」のよいところは、「ごはん、ごはん」とアピールせずに
いつまでも一緒に寝ていてくれること。
僕が起きない限り、ずっと寝ている。
部屋の掃除をしていると、今朝は朝顔がいつになくいっぱい
咲いていました。
涼しい天気と、蝉の鳴き声、そして朝顔。夏が去っていくか
のような感じがしました。
整骨院をでると、雨がぱらぱらと降っていた。
傘を持たずに油断してましたが、買い物をしているうちに
小雨になっていった。
この身体じゃジムにも行けないし、ゆっくりと過ごす。
活動的ではない休日もまたいいものだ。
墨を磨って少し書いていたけど、腰が痛くて立って書けない。
集中力も続かないし、「小うず」は邪魔っけするので1時間
くらいでやめた。
僕が家にいるものだから、「小うず」は大喜びなのか、
はしゃいでいたようだ。掃除のときも、フローリング・ワイパー
を追いかけて目いっぱい邪魔してた。
いまは疲れておねむの様子です。
静かで落ち着いた一日。
こんな日もいい。
資本に侵される日本一住みたい街
買い物のため、吉祥寺の中心部に足を延ばしました。
このごろは吉祥寺で買い物といっても、たいていは
西友とか、LIFEみたいなスーパーにしか行きません。
食料品以外のものを吉祥寺で買うのは、ユザワヤ
くらいかも。
伊勢丹が撤退して、いまはコピスとなっています。
そういえば、ジュンク堂書店はよく使っています。
このへんで一番大きな書店だから・・・。
でも、本もよほど探してないようなのは、ネットで
買ってしまうので、それすら頻度が多くはありません。
画像は吉祥寺のコピス前の元町通りというところです。
西に行けば、東急デパートがあり、南にはダイヤ街や
ハーモニカ横丁、JR。西はサンロード商店街。
まさしく中心部。
ハーモニカ横丁の方角には、有名な「肉のサトウ」の
大行列、羊羹の「小ざさ」の行列と名物が並ぶ。
李朝苑という焼肉屋さんも知る人ぞ知る吉祥寺の
ランドマーク?
改めてよくこの場所を観察したんだけど、なんだか
物足りない気がしました。それが、なんだか釈然と
しなかった。
腰痛の治療のため通っている近所の整骨院の待合室
で、吉祥寺と西荻窪を対比するような特集を組んでいる
雑誌を手にして気づきました。
そう、吉祥寺があまりにも有名になりすぎて「観光地」化
していることに。
よく見回すとヨドバシカメラ、ユニクロ、ニトリやら、ドンキ
ホーテやら、どこにいってもあるような量販店やチェーン
のお店が増えてきた。飲食店も似たような状況です。
もはや吉祥寺が資本主義ってやつに浸食されてきて
「吉祥寺らしさ」が無くなってきているんだ。
伊勢丹の撤退で武蔵野市は危機感を持っていた。
集客力のある商業施設を入れないと、客は国分寺や
立川にどんどん取られてしまう。
積み重なって、このようなツケが回ってきたのでは
ないだろうか。
なんだか、この街が歌舞伎町や渋谷、池袋のような
暗黒街じみた雰囲気を醸し始めているようで残念だ。
救いはあるようです。雑誌にもあったが、吉祥寺は
辺縁部に個性的な店を増やしているようだ。
中道通り商店街や末広通り商店街が一例だそうです。
吉祥寺に対して、西荻窪は普段着で「心のふるさと」
な味わいだそう。なんか、これって昔の吉祥寺の
看板文句じゃないのか?少なくとも普段着ってのは?
次第に次第に町は変わり、人や景色も変わってゆく。
東京都の市部のいちターミナル駅周辺なのに、地方
にも圧倒的な知名度がある不思議な街だったのに。
こんな風に資本に侵されてしまうのも残念だ。
どこかで歯止めはかかるのか。
街の人や、我々のような街の常連の心がけ次第ですね。
このごろは吉祥寺で買い物といっても、たいていは
西友とか、LIFEみたいなスーパーにしか行きません。
食料品以外のものを吉祥寺で買うのは、ユザワヤ
くらいかも。
伊勢丹が撤退して、いまはコピスとなっています。
そういえば、ジュンク堂書店はよく使っています。
このへんで一番大きな書店だから・・・。
でも、本もよほど探してないようなのは、ネットで
買ってしまうので、それすら頻度が多くはありません。
画像は吉祥寺のコピス前の元町通りというところです。
西に行けば、東急デパートがあり、南にはダイヤ街や
ハーモニカ横丁、JR。西はサンロード商店街。
まさしく中心部。
ハーモニカ横丁の方角には、有名な「肉のサトウ」の
大行列、羊羹の「小ざさ」の行列と名物が並ぶ。
李朝苑という焼肉屋さんも知る人ぞ知る吉祥寺の
ランドマーク?
改めてよくこの場所を観察したんだけど、なんだか
物足りない気がしました。それが、なんだか釈然と
しなかった。
腰痛の治療のため通っている近所の整骨院の待合室
で、吉祥寺と西荻窪を対比するような特集を組んでいる
雑誌を手にして気づきました。
そう、吉祥寺があまりにも有名になりすぎて「観光地」化
していることに。
よく見回すとヨドバシカメラ、ユニクロ、ニトリやら、ドンキ
ホーテやら、どこにいってもあるような量販店やチェーン
のお店が増えてきた。飲食店も似たような状況です。
もはや吉祥寺が資本主義ってやつに浸食されてきて
「吉祥寺らしさ」が無くなってきているんだ。
伊勢丹の撤退で武蔵野市は危機感を持っていた。
集客力のある商業施設を入れないと、客は国分寺や
立川にどんどん取られてしまう。
積み重なって、このようなツケが回ってきたのでは
ないだろうか。
なんだか、この街が歌舞伎町や渋谷、池袋のような
暗黒街じみた雰囲気を醸し始めているようで残念だ。
救いはあるようです。雑誌にもあったが、吉祥寺は
辺縁部に個性的な店を増やしているようだ。
中道通り商店街や末広通り商店街が一例だそうです。
吉祥寺に対して、西荻窪は普段着で「心のふるさと」
な味わいだそう。なんか、これって昔の吉祥寺の
看板文句じゃないのか?少なくとも普段着ってのは?
次第に次第に町は変わり、人や景色も変わってゆく。
東京都の市部のいちターミナル駅周辺なのに、地方
にも圧倒的な知名度がある不思議な街だったのに。
こんな風に資本に侵されてしまうのも残念だ。
どこかで歯止めはかかるのか。
街の人や、我々のような街の常連の心がけ次第ですね。