無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
【多摩盆】今日から多摩盆
今日から東京都の多摩地域ではお盆になります。
7月31日〜8月2日の期間で行われます。
小金井市、府中市、調布市などが該当するようです。
一般には8月13日(火)~8月16日(金)が一般的なお盆の期間ですが、東京では新暦に変更した際に7月にお盆を迎えます。
これを新盆などといいますが、この7月末に多摩地域のみお盆になるのは何故でしょう。
あまりにも狭い地域限定のため、あまり確定的なことはいえません。
しかし、僕が小さい頃に教わった話では、この地域では昔、養蚕業が盛んだったそうです。
養蚕では一般のお盆の時期が繁忙期と重なるため、半月お盆をズラしたということです。
いまでは見る影もありませんが、この一帯は多摩川の流域周辺に桑畑が拡がっていたそうです。
・・・僕の記憶ではまったく桑畑はありませんでしたね。
もっと昔のことだったのでしょう。
たしかに小金井市の史料館でもある「浴恩館」には、機織りなどの資料がたくさんありました。
僕の実家は府中にあります。
このため、多摩盆の時期にお盆のお供えなど行事をこなしていました。
ただ、一般的であったかは不明です。
僕んちが迎え火、送り火をしているときに、近所でもしていた記憶はあまりないんですよね。
この風習も僕ら世代くらいが最期になってしまいそうに思います。
7月31日〜8月2日の期間で行われます。
小金井市、府中市、調布市などが該当するようです。
一般には8月13日(火)~8月16日(金)が一般的なお盆の期間ですが、東京では新暦に変更した際に7月にお盆を迎えます。
これを新盆などといいますが、この7月末に多摩地域のみお盆になるのは何故でしょう。
あまりにも狭い地域限定のため、あまり確定的なことはいえません。
しかし、僕が小さい頃に教わった話では、この地域では昔、養蚕業が盛んだったそうです。
養蚕では一般のお盆の時期が繁忙期と重なるため、半月お盆をズラしたということです。
いまでは見る影もありませんが、この一帯は多摩川の流域周辺に桑畑が拡がっていたそうです。
・・・僕の記憶ではまったく桑畑はありませんでしたね。
もっと昔のことだったのでしょう。
たしかに小金井市の史料館でもある「浴恩館」には、機織りなどの資料がたくさんありました。
僕の実家は府中にあります。
このため、多摩盆の時期にお盆のお供えなど行事をこなしていました。
ただ、一般的であったかは不明です。
僕んちが迎え火、送り火をしているときに、近所でもしていた記憶はあまりないんですよね。
この風習も僕ら世代くらいが最期になってしまいそうに思います。
夏目漱石の異端作=「抗夫」
漱石の作品を久しぶりに読みたいと思って手にした。
それが「抗夫」(青空文庫)、知らない聞いたことのない作品だった。
読むのに手頃なボリュームでもあり、知らないからこそ読みたくなったという事情もある。
この「抗夫」という言葉、職業自体、現代社会では聞き馴染みがない。
ただ、(現代もあるだろうが)かつて石炭や鉄鋼などを採掘する炭鉱などがあって、そこで働いていた人たちを指す言葉だということは理解できる。
漱石の生きていた時代においては、果たしてどの程度のものだったろう。
この物語が漱石からみて過去の時代を描いたものか、現代を描いたものなのかもよくわからなかった。
登場人物の出で立ちや立ち居振る舞いなどにより、明治か、またはそれ以前であるかのように思う。
ストーリーは、以下の通りだ。
恋愛関係のもつれから、自暴自棄になって家を飛び出した育ちのよい青年が、ポン引きに連れられて鉱山へ「抗夫」の仕事をするために向かう。
途中、ほかに2名も青年と同じように連れられていくのを見て、次第にこのポン引きが自分を見込んで連れて行くわけではない、ということがわかり、仕事もまた非常な危険でかつ過重な労働であることを理解していく。
しかし、自暴自棄になった身の上であればこそ、なおさらその最下層的な仕事に身を投じることが、自己の望みに叶うものだと思い込むようになる。
山へ昇り鉱区へ入り、飯場に着くと、そこには最下層にいる抗夫たちが大勢いて、青年を好奇の目でみつめ、絡んできた。
精神的には追い込まれて脱落することも考えるが、初めて入った抗のなかで「安さん」と呼ばれる抗夫に出会う。
安さんは青年に山を下りるよう説得されるが、その親切のお蔭で「抗夫」になることを、青年は決意する。
しかし、健康診断で気管支炎との診断が降りたため「抗夫」にはなれず、数ヶ月だけ飯場で働いた末に青年は山を降りた。
こんな感じである。
いったい何が書きたかったのか理解不明である、
だが、Wikipediaによると、漱石が意欲的に書いた小説ではないことがわかる。
ある知り合いの青年が「自分の経験を小説の題材にしてほしい」と頼まれたとある。
ただ、やむなき事情が複雑にからまったために、やむなく書くことになったが、異色と言える実在の人物の経験を素材としたルポルタージュ的な作品となった。
漱石の作品創作の異例中の異例につき、やはり意図が飲み込めなかったのはそれが故だろう。
「解説」によれば、これは「抗夫」を通して、この時代に蔓延されていた職業差別や階層意識などを描いたのだという。
そういった見方もあるかもしれないが、逆に上記のような事情があって書かれたがために、かえってこの作品の意図を分かりづらくしてしまったのかもしれない。
意図無く書かれたがために、却って意図があるかの如く読者には思えてしまったのかもしれない。
この作品は漱石の代表作に挙げられることは少ないが、しかし研究題材として高頻度で取り扱われたという、不思議な作品であると思う。
それが「抗夫」(青空文庫)、知らない聞いたことのない作品だった。
読むのに手頃なボリュームでもあり、知らないからこそ読みたくなったという事情もある。
この「抗夫」という言葉、職業自体、現代社会では聞き馴染みがない。
ただ、(現代もあるだろうが)かつて石炭や鉄鋼などを採掘する炭鉱などがあって、そこで働いていた人たちを指す言葉だということは理解できる。
漱石の生きていた時代においては、果たしてどの程度のものだったろう。
この物語が漱石からみて過去の時代を描いたものか、現代を描いたものなのかもよくわからなかった。
登場人物の出で立ちや立ち居振る舞いなどにより、明治か、またはそれ以前であるかのように思う。
ストーリーは、以下の通りだ。
恋愛関係のもつれから、自暴自棄になって家を飛び出した育ちのよい青年が、ポン引きに連れられて鉱山へ「抗夫」の仕事をするために向かう。
途中、ほかに2名も青年と同じように連れられていくのを見て、次第にこのポン引きが自分を見込んで連れて行くわけではない、ということがわかり、仕事もまた非常な危険でかつ過重な労働であることを理解していく。
しかし、自暴自棄になった身の上であればこそ、なおさらその最下層的な仕事に身を投じることが、自己の望みに叶うものだと思い込むようになる。
山へ昇り鉱区へ入り、飯場に着くと、そこには最下層にいる抗夫たちが大勢いて、青年を好奇の目でみつめ、絡んできた。
精神的には追い込まれて脱落することも考えるが、初めて入った抗のなかで「安さん」と呼ばれる抗夫に出会う。
安さんは青年に山を下りるよう説得されるが、その親切のお蔭で「抗夫」になることを、青年は決意する。
しかし、健康診断で気管支炎との診断が降りたため「抗夫」にはなれず、数ヶ月だけ飯場で働いた末に青年は山を降りた。
こんな感じである。
いったい何が書きたかったのか理解不明である、
だが、Wikipediaによると、漱石が意欲的に書いた小説ではないことがわかる。
ある知り合いの青年が「自分の経験を小説の題材にしてほしい」と頼まれたとある。
ただ、やむなき事情が複雑にからまったために、やむなく書くことになったが、異色と言える実在の人物の経験を素材としたルポルタージュ的な作品となった。
漱石の作品創作の異例中の異例につき、やはり意図が飲み込めなかったのはそれが故だろう。
「解説」によれば、これは「抗夫」を通して、この時代に蔓延されていた職業差別や階層意識などを描いたのだという。
そういった見方もあるかもしれないが、逆に上記のような事情があって書かれたがために、かえってこの作品の意図を分かりづらくしてしまったのかもしれない。
意図無く書かれたがために、却って意図があるかの如く読者には思えてしまったのかもしれない。
この作品は漱石の代表作に挙げられることは少ないが、しかし研究題材として高頻度で取り扱われたという、不思議な作品であると思う。
二枚橋には夏にプールがありました
実家へ帰る途には、どのコースを通るにしても避けられない場所がある。
それが「国分寺崖線」。
小庵は武蔵野台地の上にある。
方や実家は府中段丘のはずれにある。
その間には国分寺崖線があるわけだ。
最短コースは、小金井にある二枚橋のところで、崖線を切り裂いて西武多摩川線が走る横を下る道。
下りきったところは武蔵野公園と野川公園の狭間です。
水量が豊かな季節は野川が流れています。
(*春の二枚橋付近の画像です)
僕が小学生の頃はここ二枚橋のところにプールがあった。
いまは小金井クリーンセンターと称していますが、そのまえもゴミ処理場で、焼却熱を活用しているとかだった。
(ただし、温水プールではありません・・・記憶違いかな?)
たまに行きましたよ。
単純な25メートルプールでしたけどね。
いまはこの歳でプール遊びなどしないけど、涼しげだった。
気がついてみると、クリーンセンターのプールがあった場所はバスケの3on3のコートになっている。
水などないから、涼感はもちろんない。
楽しい人には楽しいのだろうが、以前みたいに夏だけだろうとプールで子供の歓声は楽しげだった。
これも時代かなぁ・・・。
それが「国分寺崖線」。
小庵は武蔵野台地の上にある。
方や実家は府中段丘のはずれにある。
その間には国分寺崖線があるわけだ。
最短コースは、小金井にある二枚橋のところで、崖線を切り裂いて西武多摩川線が走る横を下る道。
下りきったところは武蔵野公園と野川公園の狭間です。
水量が豊かな季節は野川が流れています。
(*春の二枚橋付近の画像です)
僕が小学生の頃はここ二枚橋のところにプールがあった。
いまは小金井クリーンセンターと称していますが、そのまえもゴミ処理場で、焼却熱を活用しているとかだった。
(ただし、温水プールではありません・・・記憶違いかな?)
たまに行きましたよ。
単純な25メートルプールでしたけどね。
いまはこの歳でプール遊びなどしないけど、涼しげだった。
気がついてみると、クリーンセンターのプールがあった場所はバスケの3on3のコートになっている。
水などないから、涼感はもちろんない。
楽しい人には楽しいのだろうが、以前みたいに夏だけだろうとプールで子供の歓声は楽しげだった。
これも時代かなぁ・・・。
富士の風や扇にのせて江戸土産
「富士の風や扇にのせて江戸土産」
松尾芭蕉の俳句です。
江戸からの土産は何もありませんが、この扇に富士の風をのせてきました。
・・・この差し上げた扇であおげば、富士の風が吹いてくるのですよ、といったニュアンスと思います。
ほかに土産もないので、道中に得た富士の涼風を扇に載せて江戸の土産としよう、ということかもしれません。
伊賀上野到着後、市隠宅にて歌会があったときに詠んだ句です。
季語は「扇」、もちろん夏の句です。
扇であおぐその風で涼む相手に対して、この風は富士の風だ、と告げる。
なんとも軽妙なやりとりですね。
今まさに暑い盛りであれば、なおのこと。
僕なんかは、扇風機の風で涼んでいます。
帰宅してまずは扇風機をつけます。
生き返りますね。
まぁ、熱中症に厳重注意の時期ですから、扇風機と言わず冷房をつけてご自愛ください。
松尾芭蕉の俳句です。
江戸からの土産は何もありませんが、この扇に富士の風をのせてきました。
・・・この差し上げた扇であおげば、富士の風が吹いてくるのですよ、といったニュアンスと思います。
ほかに土産もないので、道中に得た富士の涼風を扇に載せて江戸の土産としよう、ということかもしれません。
伊賀上野到着後、市隠宅にて歌会があったときに詠んだ句です。
季語は「扇」、もちろん夏の句です。
扇であおぐその風で涼む相手に対して、この風は富士の風だ、と告げる。
なんとも軽妙なやりとりですね。
今まさに暑い盛りであれば、なおのこと。
僕なんかは、扇風機の風で涼んでいます。
帰宅してまずは扇風機をつけます。
生き返りますね。
まぁ、熱中症に厳重注意の時期ですから、扇風機と言わず冷房をつけてご自愛ください。
【1985年版】ヤングブラッズ 佐野元春 with The Heartland
『【1985年版】ヤングブラッズ 佐野元春 with The Heartland』
動画のタイトルです。
僕は長きに亘ってこの動画を探してきた。
しかし、意外にもここ最近になって発見できた。
見た目にも直ぐに場所が分かる。
代々木公園だ。
このオープンエアの下で、佐野元春が「YOUNG BLOODS」を唱っている。
歌詞にあるように、この日も元旦らしい。
1985年の元旦だ。
なんでこの動画かって、見れば分かりますでしょ?
若き日の佐野元春が本当にカッコイイ。
その動き・・・ダンスも・・・いや、ダンスってほどの動きをしていないのに見事に見えるのが凄い。
何かの達人の動きって、その一部だけをとってみても素晴らしいのと同じだ。
きっと、僕が真似すると、ゴツゴツした動きで、下手の傀儡踊りになってしまうだろう。
この動画、佐野元春の公式から発信されたようだ。
なんとも有り難いことだ。
ブログの記事にあげちゃおう。o(≧ω≦)o
動画のタイトルです。
僕は長きに亘ってこの動画を探してきた。
しかし、意外にもここ最近になって発見できた。
見た目にも直ぐに場所が分かる。
代々木公園だ。
このオープンエアの下で、佐野元春が「YOUNG BLOODS」を唱っている。
歌詞にあるように、この日も元旦らしい。
1985年の元旦だ。
なんでこの動画かって、見れば分かりますでしょ?
若き日の佐野元春が本当にカッコイイ。
その動き・・・ダンスも・・・いや、ダンスってほどの動きをしていないのに見事に見えるのが凄い。
何かの達人の動きって、その一部だけをとってみても素晴らしいのと同じだ。
きっと、僕が真似すると、ゴツゴツした動きで、下手の傀儡踊りになってしまうだろう。
この動画、佐野元春の公式から発信されたようだ。
なんとも有り難いことだ。
ブログの記事にあげちゃおう。o(≧ω≦)o
Tag : 文化
まもなくパリ五輪開会式
いよいよパリ五輪が開催される。
アスリートたちの4年に一度の夢の舞台である。
ただし、今回は3年ぶりとなる。
説明するまでも無いが、前回の東京五輪は武漢ウィルスの影響もあって、一年延期で2021年に開催となった。
野球やサッカーなどのようにワールドワイドな檜舞台が独自に行われているような競技は別にして、実際アスリートのなかには五輪しか世間一般にアピールできる場が無い、というのが現実だ。
いまや、選手のプロ化がすすみ、かつてのような企業丸抱えのセミプロだけではなくなった。
とはいえ、4年に一度の狭き門しか活躍の場がないのは気の毒だ。
いや、恵まれた才能を持って、人生をかけて競技に集中できるというのも、僕にとっては羨ましくもあるが・・・。
いろいろ言われているように、五輪大会も既に岐路に立たされているといっていい。
純粋にスポーツのための祭典ではなくなっていると思う。
象徴的なのが、開催時期である。
この7月、8月というもっともスポーツに不適切な季節に開催されているのは何故か。
開催場所にもよるが、夏のもっとも熱中症の危険が高い時期だ。
とりわけ長時間炎天下で行われるマラソンなどのようなスポーツは危険だ。
これは他のスポーツ大会と競合しないように・・・というものだ。
アメリカ・ベースボールやサッカー、NFLなどの大会とかち合うと興業としてのうま味が無くなる。
このため、五輪は真夏に追いやられたのだ。
その他、アスリートファーストではないものは、数挙げれば切りが無い。
さて、このパリ五輪は開会式に特別な趣向があるようだ。
従来のようにスタジアムでの開催ではなく、街ナカで行われるようだ。
パリの象徴でもあるセーヌ川が会場になるらしい。
川下りのように選手入場が行われるのだろうか。
詳しい開催要領は本番まで非公開だそうだ。
いろいろな懸念もあるパリ五輪。
まずはテロである。
しかし、もう既にフランスの高速鉄道に放火が行われるなど事件が発生している。
ただですら移民問題で治安が悪化しているということだが、十分な警備で対策して欲しい。
そして、ある意味たいへん興味深いことだが、史上初のトランスジェンダー選手のメダル戴冠があるかもしれない。
世界はこのパリ五輪で見るもおぞましい光景をみせつけられるのだろうか・・・。
選手の立場としては「冗談では無い」という気持ちだろうが、それを口に出すと最悪退場も覚悟になってしまう。
しかし、その悪影響をもっとも受けやすいのが女性アスリートであることに、なんで「世界市民」たちは黙っているのであろうか。
理解しがたいが、まぁ推測はできる。
ここではいうまいが・・・。
ではでは、ここから半月程度、アスリートの夢の祭典を楽しもうではありませんか。
アスリートたちの4年に一度の夢の舞台である。
ただし、今回は3年ぶりとなる。
説明するまでも無いが、前回の東京五輪は武漢ウィルスの影響もあって、一年延期で2021年に開催となった。
野球やサッカーなどのようにワールドワイドな檜舞台が独自に行われているような競技は別にして、実際アスリートのなかには五輪しか世間一般にアピールできる場が無い、というのが現実だ。
いまや、選手のプロ化がすすみ、かつてのような企業丸抱えのセミプロだけではなくなった。
とはいえ、4年に一度の狭き門しか活躍の場がないのは気の毒だ。
いや、恵まれた才能を持って、人生をかけて競技に集中できるというのも、僕にとっては羨ましくもあるが・・・。
いろいろ言われているように、五輪大会も既に岐路に立たされているといっていい。
純粋にスポーツのための祭典ではなくなっていると思う。
象徴的なのが、開催時期である。
この7月、8月というもっともスポーツに不適切な季節に開催されているのは何故か。
開催場所にもよるが、夏のもっとも熱中症の危険が高い時期だ。
とりわけ長時間炎天下で行われるマラソンなどのようなスポーツは危険だ。
これは他のスポーツ大会と競合しないように・・・というものだ。
アメリカ・ベースボールやサッカー、NFLなどの大会とかち合うと興業としてのうま味が無くなる。
このため、五輪は真夏に追いやられたのだ。
その他、アスリートファーストではないものは、数挙げれば切りが無い。
さて、このパリ五輪は開会式に特別な趣向があるようだ。
従来のようにスタジアムでの開催ではなく、街ナカで行われるようだ。
パリの象徴でもあるセーヌ川が会場になるらしい。
川下りのように選手入場が行われるのだろうか。
詳しい開催要領は本番まで非公開だそうだ。
いろいろな懸念もあるパリ五輪。
まずはテロである。
しかし、もう既にフランスの高速鉄道に放火が行われるなど事件が発生している。
ただですら移民問題で治安が悪化しているということだが、十分な警備で対策して欲しい。
そして、ある意味たいへん興味深いことだが、史上初のトランスジェンダー選手のメダル戴冠があるかもしれない。
世界はこのパリ五輪で見るもおぞましい光景をみせつけられるのだろうか・・・。
選手の立場としては「冗談では無い」という気持ちだろうが、それを口に出すと最悪退場も覚悟になってしまう。
しかし、その悪影響をもっとも受けやすいのが女性アスリートであることに、なんで「世界市民」たちは黙っているのであろうか。
理解しがたいが、まぁ推測はできる。
ここではいうまいが・・・。
ではでは、ここから半月程度、アスリートの夢の祭典を楽しもうではありませんか。
Tag : 文化
白無垢のひと竿涼し土用干し
「白無垢のひと竿涼し土用干し」
正岡子規の俳句です。
例によって、下の行から読む散らしにしました。
土用干しというのは、夏の土用の時期に行う年中行事です。
立秋の直前約18日間のことで7月19日~8月6日頃になります。
干すというからには、なにかを干すのですが、それは「衣類・書籍」「田んぼ」「梅」などです。
梅雨の時期の湿気を吸い込んだ衣類や紙を陰干しします。
虫に食われないようにするため、「虫干し」ともいいます。
田んぼはこの時期に水抜きをします。
こうすることで、しっかりと根が張るのです。
梅はいうまでもなく、梅干しにするためですね。
子規の句に戻りますが、この場合は白無垢の衣装を干していると見るのが妥当でしょう。
土用干しの物干し竿に、白い衣装がはためいて涼しげです。
夏の暑い時期なればこそ、白い衣類が引き立つのです。
夏空には真っ白な入道雲が似合いますね。
正岡子規の俳句です。
例によって、下の行から読む散らしにしました。
土用干しというのは、夏の土用の時期に行う年中行事です。
立秋の直前約18日間のことで7月19日~8月6日頃になります。
干すというからには、なにかを干すのですが、それは「衣類・書籍」「田んぼ」「梅」などです。
梅雨の時期の湿気を吸い込んだ衣類や紙を陰干しします。
虫に食われないようにするため、「虫干し」ともいいます。
田んぼはこの時期に水抜きをします。
こうすることで、しっかりと根が張るのです。
梅はいうまでもなく、梅干しにするためですね。
子規の句に戻りますが、この場合は白無垢の衣装を干していると見るのが妥当でしょう。
土用干しの物干し竿に、白い衣装がはためいて涼しげです。
夏の暑い時期なればこそ、白い衣類が引き立つのです。
夏空には真っ白な入道雲が似合いますね。
今日は「土用丑の日」
今日は「土用丑の日」。
鰻を食べる日だ、みたいな印象があります。
とくに僕は・・・。
では、「土用丑の日」の正確な意味を探っていきましょう。
「土用」とは二十四節気だけでは、季節の変化を読み取れないため、補完的に作られた『雑節』のひとつです。
土用とは立春・立夏・立秋・立冬を挟んだ約18日間の期間を指します。
つまり、一年に4回、夏だけではないのですね。
夏の土用だけ書きますが、7月19日から8月6日が該当します。
ただし、これは年によって変わってきますのでご注意です。
さて、次に「丑の日」です。
これは十二支が関わってきます。
丑はいうまでもなく、2番目の動物ですね。
18日間ある土用の期間ですから、かならず一回は「丑の日」がありますが、年によって2回目の丑の日もあります。
今年、令和6年は本日7月24日と、8月5日が丑の日。
一回目の丑の日を「一の丑」、2回目を「二の丑」と呼びます。
さてさて、何故にこの「土用の丑の日」が鰻を食べる日になったのでしょう。
これは諸説ありますが、もっとも有名なのが江戸時代の平賀源内の話です。
夏の鰻が売れない日が続くうなぎ屋さんが平賀源内に相談しました。
「鰻が売れなくて困っています」
平賀源内は、「丑の日に「う」のつく食べ物を食べると夏負けしない」という風習を思い出しました。
「本日、『土用丑の日』という幟を立ててみなさい」
源内の目論見通り、鰻が売れて大繁盛したとのことです。
なんと、江戸時代のセールス・プロモーションだったのですね。
本当は上記の通り、「う」のつく食べ物であればなんでもよいのです。
梅、うどん、瓜・・・・。
でもやっぱり、鰻を食べたいですね。
蒲焼きにして、熱々のご飯にのせて・・・。
鰻を食べる日だ、みたいな印象があります。
とくに僕は・・・。
では、「土用丑の日」の正確な意味を探っていきましょう。
「土用」とは二十四節気だけでは、季節の変化を読み取れないため、補完的に作られた『雑節』のひとつです。
土用とは立春・立夏・立秋・立冬を挟んだ約18日間の期間を指します。
つまり、一年に4回、夏だけではないのですね。
夏の土用だけ書きますが、7月19日から8月6日が該当します。
ただし、これは年によって変わってきますのでご注意です。
さて、次に「丑の日」です。
これは十二支が関わってきます。
丑はいうまでもなく、2番目の動物ですね。
18日間ある土用の期間ですから、かならず一回は「丑の日」がありますが、年によって2回目の丑の日もあります。
今年、令和6年は本日7月24日と、8月5日が丑の日。
一回目の丑の日を「一の丑」、2回目を「二の丑」と呼びます。
さてさて、何故にこの「土用の丑の日」が鰻を食べる日になったのでしょう。
これは諸説ありますが、もっとも有名なのが江戸時代の平賀源内の話です。
夏の鰻が売れない日が続くうなぎ屋さんが平賀源内に相談しました。
「鰻が売れなくて困っています」
平賀源内は、「丑の日に「う」のつく食べ物を食べると夏負けしない」という風習を思い出しました。
「本日、『土用丑の日』という幟を立ててみなさい」
源内の目論見通り、鰻が売れて大繁盛したとのことです。
なんと、江戸時代のセールス・プロモーションだったのですね。
本当は上記の通り、「う」のつく食べ物であればなんでもよいのです。
梅、うどん、瓜・・・・。
でもやっぱり、鰻を食べたいですね。
蒲焼きにして、熱々のご飯にのせて・・・。
Tag : 文化
「ヤマトよ永遠に REBEL3199 第一章 黒の侵略」観てきました(その2)
グランドリバースの地表到達後に、いよいよ侵略軍が包囲網を突破してきます。
大型の輸送船から発進するイモムシ型攻撃機、落下傘降下平、そして掃討三脚戦車。
この三脚戦車は僕も好きなメカですが(「宇宙戦争」のテトラポッドに似ている)、その威圧感は旧作以上です。
島大介や徳川太一率いる無人艦隊(宇宙軍ではなく航空部隊とされている)は、登場した黒色艦隊に瞬殺されます。
ただ、どうも旧作とは違って、地球側の防衛戦がやすやすと突破されるのは、防衛軍司令部としては既定路線のようです。
このあたりが、伏線と思われます。
冒頭動画でもあるように、砲術長の南部・通信士の相原、気象士の太田が突き止めた南部重工の暗躍がかかわっているようです。
そして、オペレーションDADの核心というべき指令、「旧ヤマトクルーは集結せよ」という号令とともに、各地に分散されていた旧ヤマトクルーは上空に待機するヒュウガ(アスカかも?)にピックアップされていきます。
トラブルにより取り残されたメインクルーは、英雄の丘に集まり、大統領官邸の地下ドックに潜航浮上したコスモハウンドに乗り込みます。
ここで旧作どおり森雪が脱落、アルフォン少尉に捕獲されてしまいます。
最大の注目ポイントであるサーシャ(真田澪)は、冒頭動画で出てきますが、例の瞳のみの登場でした。
次章ではいよいよお目見えすると思われます。
冒頭の場面ではまだ幼かったころなのかもしれませんね。
さて、旧作と決定的に違うのはグランドリバースの設定、そしてあの「聖総統スカルダート」が早々と登場したことと思います。
次章「赤日の出撃」では早速のこと、地球文明であることを証明する場面が出てくるようですね。
旧作ではデザリアムこと暗黒星団帝国は、百年後の地球と擬態していましたが、今回はそこがリメイクの最重要ポイントになるようです。
【二十四節気】今日から「大暑」
今日から二十四節気の「大暑」になります。
江戸時代の暦の解説書「暦便覧」では、「暑気いたりつまりたるゆえんなれば也(しょきいたりつまりたるゆえんなればなり)」と記されています。
この時期は、全国的に梅雨明けに当たります。
一年で最も暑い時期である、という意味で「大暑」となっていますが、果たしてどうでしょう。
僕としてはあんまりピンとこない。
なぜなら、学生だったならば、この時期は夏休みに入る時期でもあります。
暑いのはここからが始まり、と思ってしまうからです。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言う言葉があるとおり、ここから2か月は暑い時期が続くのですから・・・。
とはいえ、次の節気は「立秋」。
もう次の季節が始まりますので、たしかに気の転換はあることを近年は発見しました。
お空を眺めると、たしかに雲が高くなっていたりしますからね。
この時期の花は、朝顔とオミナエシがあります。
朝顔はいうまでもありません。
小庵でもベランダで既に続々と開花していますので。
オミナエシは漢字で書くと、「女郎花」。
なんとも意外な文字になりますが、「女郎」というのはかつては貴族の令嬢、婦人の敬称でした。
「花魁」とか「遊女」みたいな印象がありますが、これらの職業も大昔は庶民に届かない高嶺の花で、高い文化教養も持ち合わせていました。
この時期の風習としては「暑中見舞い」があります。
暑いこの時期に、相手の健康を気遣うお手紙です。
年賀状すら廃れている今日日ではあまり出す人も少なくないかもしれません。
なお、小暑・大暑の時期を過ぎますと、「残暑見舞い」になりますのでご注意ください。
そして、この時期は「土用丑の日」があります。
今年、令和6年は2回あるようです。
7月24日(水曜日)の己丑「一の丑」と8月5日(月曜日)の辛丑「二の丑」です。
滋養強壮に鰻の蒲焼きをいただく日のようになっていますが、そういうことでもないようです。
これは「土用丑の日」に「う」の付く食べ物をいただくのがよいそうです。
ですから「梅干し」、とか「うどん」でもよいのです。
でもやっぱり鰻の蒲焼きがいいですよね。
江戸時代の暦の解説書「暦便覧」では、「暑気いたりつまりたるゆえんなれば也(しょきいたりつまりたるゆえんなればなり)」と記されています。
この時期は、全国的に梅雨明けに当たります。
一年で最も暑い時期である、という意味で「大暑」となっていますが、果たしてどうでしょう。
僕としてはあんまりピンとこない。
なぜなら、学生だったならば、この時期は夏休みに入る時期でもあります。
暑いのはここからが始まり、と思ってしまうからです。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言う言葉があるとおり、ここから2か月は暑い時期が続くのですから・・・。
とはいえ、次の節気は「立秋」。
もう次の季節が始まりますので、たしかに気の転換はあることを近年は発見しました。
お空を眺めると、たしかに雲が高くなっていたりしますからね。
この時期の花は、朝顔とオミナエシがあります。
朝顔はいうまでもありません。
小庵でもベランダで既に続々と開花していますので。
オミナエシは漢字で書くと、「女郎花」。
なんとも意外な文字になりますが、「女郎」というのはかつては貴族の令嬢、婦人の敬称でした。
「花魁」とか「遊女」みたいな印象がありますが、これらの職業も大昔は庶民に届かない高嶺の花で、高い文化教養も持ち合わせていました。
この時期の風習としては「暑中見舞い」があります。
暑いこの時期に、相手の健康を気遣うお手紙です。
年賀状すら廃れている今日日ではあまり出す人も少なくないかもしれません。
なお、小暑・大暑の時期を過ぎますと、「残暑見舞い」になりますのでご注意ください。
そして、この時期は「土用丑の日」があります。
今年、令和6年は2回あるようです。
7月24日(水曜日)の己丑「一の丑」と8月5日(月曜日)の辛丑「二の丑」です。
滋養強壮に鰻の蒲焼きをいただく日のようになっていますが、そういうことでもないようです。
これは「土用丑の日」に「う」の付く食べ物をいただくのがよいそうです。
ですから「梅干し」、とか「うどん」でもよいのです。
でもやっぱり鰻の蒲焼きがいいですよね。