無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
果たして書に美はありや?(2)
前回、僕は「書をおおげさに考えたくない」と書きましたが、書を貶めたいわけではありません。
書は奥深いし、歴史もある。
書く人が書けば、崇高な精神性や全人格的なものが乗り移ると思います。
ましてや、僕自身いまだ修行中・・・いや、修行仕立てなくらいですから。
伊集院静の本も書についていろいろ書いていますけど、毎回選ばれた書はなにかしら歴史的に、あるいはその人の人格、人生観を表現したものになっています。
王羲之にしろ、空海にしろ、信長にしろ、龍馬にしろ、いずれも「手紙」です。
決して展覧会に出品した作品じゃありません。
一方で、この本でも取り上げられている書の大家として良寛さんはこういっています。
「好まぬものが三つある・・・歌詠みの歌と書家の書と料理屋の料理」とを挙げています。
これは書の道に通じた良寛さんほどの人物であるからいえた言葉で、僕なんかが言えたものでは到底ないのは承知です。
料理は家庭料理が本来のものであって、料理人の料理は虚飾で彩られたものでしかない。
同じように書だって、友人知人や家族に送る手紙に書く文字が本来のもの。
つまるところ、その心映えがもっとも肝要なのであるということ。
以前に「あぁ!播磨灘」という相撲漫画で、横綱の化粧まわしを飾る文字を書くためにヤクザの親分が悪戦苦闘するエピソードを書きました。(→こちら)
僕がいいたいのはこのことです。
失礼ながら(漫画の登場人物だがら遠慮はいらないか・・・)、ああいう書家にはなってはいけない。
だから、書を志す者は必要以上に書を崇高なものと思い込んではいけない。
自分はあくまでも、脇役であり引き立て役であり、刺し身のツマなのだ。
そういう謙虚さを忘れてはいけない。
書というものは、大抵の人が見て「すごいねぇ・・・・(よくわからないけど)」と言ってくれます。
良寛さんのお言葉を借りれば、それこそ虚飾がてんこ盛りだから( )がついてしまうのでしょう。
奥深いところにいきついた良寛さんをして、そのようなお言葉がでるのですから僕らは尚更。
そういえば、良寛さんはよく「ウマヘタ」とか言われてますね。
書家・石飛博光は良寛さんの書はすべてを究極にまでそぎ落としたような字、と評したそうです。
つまりは、播磨灘の漫画にでてきた書家は虚飾てんこ盛りのピークにおられるお方という事でしょう。
そういうことです。
しかし、歴史に残る書は「手紙」が多いのですね・・・。
書は奥深いし、歴史もある。
書く人が書けば、崇高な精神性や全人格的なものが乗り移ると思います。
ましてや、僕自身いまだ修行中・・・いや、修行仕立てなくらいですから。
伊集院静の本も書についていろいろ書いていますけど、毎回選ばれた書はなにかしら歴史的に、あるいはその人の人格、人生観を表現したものになっています。
王羲之にしろ、空海にしろ、信長にしろ、龍馬にしろ、いずれも「手紙」です。
決して展覧会に出品した作品じゃありません。
一方で、この本でも取り上げられている書の大家として良寛さんはこういっています。
「好まぬものが三つある・・・歌詠みの歌と書家の書と料理屋の料理」とを挙げています。
これは書の道に通じた良寛さんほどの人物であるからいえた言葉で、僕なんかが言えたものでは到底ないのは承知です。
料理は家庭料理が本来のものであって、料理人の料理は虚飾で彩られたものでしかない。
同じように書だって、友人知人や家族に送る手紙に書く文字が本来のもの。
つまるところ、その心映えがもっとも肝要なのであるということ。
以前に「あぁ!播磨灘」という相撲漫画で、横綱の化粧まわしを飾る文字を書くためにヤクザの親分が悪戦苦闘するエピソードを書きました。(→こちら)
僕がいいたいのはこのことです。
失礼ながら(漫画の登場人物だがら遠慮はいらないか・・・)、ああいう書家にはなってはいけない。
だから、書を志す者は必要以上に書を崇高なものと思い込んではいけない。
自分はあくまでも、脇役であり引き立て役であり、刺し身のツマなのだ。
そういう謙虚さを忘れてはいけない。
書というものは、大抵の人が見て「すごいねぇ・・・・(よくわからないけど)」と言ってくれます。
良寛さんのお言葉を借りれば、それこそ虚飾がてんこ盛りだから( )がついてしまうのでしょう。
奥深いところにいきついた良寛さんをして、そのようなお言葉がでるのですから僕らは尚更。
そういえば、良寛さんはよく「ウマヘタ」とか言われてますね。
書家・石飛博光は良寛さんの書はすべてを究極にまでそぎ落としたような字、と評したそうです。
つまりは、播磨灘の漫画にでてきた書家は虚飾てんこ盛りのピークにおられるお方という事でしょう。
そういうことです。
しかし、歴史に残る書は「手紙」が多いのですね・・・。
果たして書に美はありや?(1)
僕には珍しく人から本を借りて読みました。
基本的には、興味や関心のない本は読まない主義ですが・・・。
書をやっている先輩からのため有り難く読ませていただきました。
「文字に美はありや。」(伊集院静著 文藝春秋)
この人の名前くらいは知っていましたが、詳しい訳でもなし。
「貸してあげる」といわれて、「伊集院静って、あのデブ?」とついいってしまった。
伊集院光ではなかったようです。
この本は、「書」について月刊「文藝春秋」で連載しているエッセイのようです。
古くは甲骨文字や書聖・王羲之、空海や良寛、果ては戦国大名など様々な人が残した名蹟を回ごとに説明しています。
この伊集院静なる御仁は、ご自身はそれほど書をたしなむ方ではなさそうです。
しかしながら、歴史の本を軽いタッチで眺めるような書きぶりは、気軽に読むには良いです。
ただ新しい発見はありません・・・。
僕自身、書をあまり堅苦しく考えたくはないです。
「書」って、本来は単なる道具なのに、いかにも崇高であるかのような大げさなものにしたくはありません。
学ぶ立場としては、やはり奥深いし、まだまだ極めるどころか・・・の状態ですが。
古筆や古典で有名な小野道風、藤原行成などなどを有り難く思うものですが、だからといって同門の人が「戦国武将の書なんて、有り難くもないじゃない」というのを聞くと反発心が起こります。
だって、それなりの人物が書いた書は重みがあるじゃないですか。
そこらの能筆家(凡人レベル)が書いた書より、西郷隆盛や吉田松陰の書の方がありがたいですよね。
それって、書体がどうこうじゃなくて、言葉自体に重みがあるからじゃないでしょうか。
その人物の全人格や人生が乗り移っているからでしょう。
そもそも、戦国武将ったって、その時代の超一流の政治家であり、教養人であり、リーダーです。
たいていは、戦国武将=ただの暴れん坊みたいに思っているんですよね。
軍人武人ってのは、超一流のインテリジェンスでもあるのですから。
ところで、この本で書かれていた武将の書としては、僕はやはり信長公を推します。
やはり人格が見て取れるというか、簡潔明瞭、シンプルにして虚飾を感じない美しさ、力強さを感じます。
信長公を高評価するというと、初心者歴史マニアみたいですが、一巡、二巡しても戻ってくるのが信長公です。
この人物はそれだけ突出している。
桁外れの大人物ですよ。
・・・・、あんまり書の話にはなっていないようですが・・・。
< つづきます >
基本的には、興味や関心のない本は読まない主義ですが・・・。
書をやっている先輩からのため有り難く読ませていただきました。
「文字に美はありや。」(伊集院静著 文藝春秋)
この人の名前くらいは知っていましたが、詳しい訳でもなし。
「貸してあげる」といわれて、「伊集院静って、あのデブ?」とついいってしまった。
伊集院光ではなかったようです。
この本は、「書」について月刊「文藝春秋」で連載しているエッセイのようです。
古くは甲骨文字や書聖・王羲之、空海や良寛、果ては戦国大名など様々な人が残した名蹟を回ごとに説明しています。
この伊集院静なる御仁は、ご自身はそれほど書をたしなむ方ではなさそうです。
しかしながら、歴史の本を軽いタッチで眺めるような書きぶりは、気軽に読むには良いです。
ただ新しい発見はありません・・・。
僕自身、書をあまり堅苦しく考えたくはないです。
「書」って、本来は単なる道具なのに、いかにも崇高であるかのような大げさなものにしたくはありません。
学ぶ立場としては、やはり奥深いし、まだまだ極めるどころか・・・の状態ですが。
古筆や古典で有名な小野道風、藤原行成などなどを有り難く思うものですが、だからといって同門の人が「戦国武将の書なんて、有り難くもないじゃない」というのを聞くと反発心が起こります。
だって、それなりの人物が書いた書は重みがあるじゃないですか。
そこらの能筆家(凡人レベル)が書いた書より、西郷隆盛や吉田松陰の書の方がありがたいですよね。
それって、書体がどうこうじゃなくて、言葉自体に重みがあるからじゃないでしょうか。
その人物の全人格や人生が乗り移っているからでしょう。
そもそも、戦国武将ったって、その時代の超一流の政治家であり、教養人であり、リーダーです。
たいていは、戦国武将=ただの暴れん坊みたいに思っているんですよね。
軍人武人ってのは、超一流のインテリジェンスでもあるのですから。
ところで、この本で書かれていた武将の書としては、僕はやはり信長公を推します。
やはり人格が見て取れるというか、簡潔明瞭、シンプルにして虚飾を感じない美しさ、力強さを感じます。
信長公を高評価するというと、初心者歴史マニアみたいですが、一巡、二巡しても戻ってくるのが信長公です。
この人物はそれだけ突出している。
桁外れの大人物ですよ。
・・・・、あんまり書の話にはなっていないようですが・・・。
< つづきます >
お汁粉で春の甘味を感じる
時期的にはちょっと過ぎた感じですが、あったかいお汁粉を作りました。
と、いっても小豆の缶詰を開けて、お湯足して煮ただけですが・・・。
お餅を焼いて、お椀に入れて、あっためたお汁粉を入れます。
僕は、甘いものも辛いものも、すっぱいものも大丈夫。
酒も少々嗜みますが、甘いものも好きです。
そんなにしょっちゅうお汁粉を食べる訳ではありません。
でも、お餅を入れるのがいい。
だからお雑煮も好き。
お鍋の残り汁でおじやをつくるときに入れるお餅もいい。
焼いて醤油を付けて海苔巻いて・・・磯辺焼きもいい。
おぉ!こうしてみるとお汁粉って、僕の好きなもの2点セットだ。
美味しいけれど、やはりこれは冬に限る。
誰が好きで夏に食べますか?
冷たいぜんざいなんかが好きな人には申し訳ないけど・・・。
夏なら、宇治金時でしょ?
話があっちこっちに飛び跳ねていますが、それもこれも春が近いから。
いや、暦はとっくに春ですが・・・
体感ではまだ冬ですね。
でも、日差しがかすかに暖かくなっていませんか?
まだ雪の舞う地方もあるでしょうけど・・・。
今シーズン、たぶん最後のお汁粉で温まる・・・。
と、いっても小豆の缶詰を開けて、お湯足して煮ただけですが・・・。
お餅を焼いて、お椀に入れて、あっためたお汁粉を入れます。
僕は、甘いものも辛いものも、すっぱいものも大丈夫。
酒も少々嗜みますが、甘いものも好きです。
そんなにしょっちゅうお汁粉を食べる訳ではありません。
でも、お餅を入れるのがいい。
だからお雑煮も好き。
お鍋の残り汁でおじやをつくるときに入れるお餅もいい。
焼いて醤油を付けて海苔巻いて・・・磯辺焼きもいい。
おぉ!こうしてみるとお汁粉って、僕の好きなもの2点セットだ。
美味しいけれど、やはりこれは冬に限る。
誰が好きで夏に食べますか?
冷たいぜんざいなんかが好きな人には申し訳ないけど・・・。
夏なら、宇治金時でしょ?
話があっちこっちに飛び跳ねていますが、それもこれも春が近いから。
いや、暦はとっくに春ですが・・・
体感ではまだ冬ですね。
でも、日差しがかすかに暖かくなっていませんか?
まだ雪の舞う地方もあるでしょうけど・・・。
今シーズン、たぶん最後のお汁粉で温まる・・・。
ちやほやされて、大暴れのち叱られて、ひとりふて寝
若いから元気いっぱい。
遊びもついついエスカレートしがち。
すぐに調子に乗っちゃうのは、若いからなのかなぁ・・・。
このところ、「小うず」は結構ちやほやされていました。
いつも家でお留守番が多いので、ホントはもっと遊びたいのかもしれない。
可哀想だなぁ、わるいことしてるなぁ、と思っていました。
そんなんで、ちょっとかわいがりすぎた。
膝の上に抱っこして、ずっと寝かせてやったり。
僕も疲れているのに、いつもより遊びをさせてやったり。
・・・・
そんなんで、舞いあがっちゃったのかしら。
撫でてやろうと、手を伸ばしたところ、いきなりガブリ。
おもいっきり痛かった。
いや、痛さもだけど不愉快だった。
罰として、遊びも途中で打ち切り。
膝抱っこもなし!
大きな声で叱ったら、ぴゅーって逃げていった。
残されたボクは手持無沙汰。
ひとりでふて寝するしかない。
噛みつきおもちゃ(へちま製)でひとり遊びです。
こっちの気持ちなんか、わかる訳ないよな。
だから、過剰サービスは禁物だ。
僕もまた反省しよう。
遊びもついついエスカレートしがち。
すぐに調子に乗っちゃうのは、若いからなのかなぁ・・・。
このところ、「小うず」は結構ちやほやされていました。
いつも家でお留守番が多いので、ホントはもっと遊びたいのかもしれない。
可哀想だなぁ、わるいことしてるなぁ、と思っていました。
そんなんで、ちょっとかわいがりすぎた。
膝の上に抱っこして、ずっと寝かせてやったり。
僕も疲れているのに、いつもより遊びをさせてやったり。
・・・・
そんなんで、舞いあがっちゃったのかしら。
撫でてやろうと、手を伸ばしたところ、いきなりガブリ。
おもいっきり痛かった。
いや、痛さもだけど不愉快だった。
罰として、遊びも途中で打ち切り。
膝抱っこもなし!
大きな声で叱ったら、ぴゅーって逃げていった。
残されたボクは手持無沙汰。
ひとりでふて寝するしかない。
噛みつきおもちゃ(へちま製)でひとり遊びです。
こっちの気持ちなんか、わかる訳ないよな。
だから、過剰サービスは禁物だ。
僕もまた反省しよう。
呪縛から解き放たれた日本の底力(5)
長々とつづけましたが、今回がラストです。
さて、前回は本居宣長が「漢意(からごころ)」を徹底的に排除して、国学を生み出したと書きました。
儒教を徹底的に弾劾することで、ついに「脱中華」を日本は果たしたのである、と締めくくられていくのかと思いました。
この本では、そのような結論がくることを期待したのですが・・・。
最後の章で、石平さんは疑問とこの先の思索について書いています。
学問的には、確かに国学の快進撃によって「脱中華」したのかもしれません。
しかし、現実的には幕末から明治にかけて、国民の意識には確かに儒教の影響が残っているのです。
「漢意(からごころ)」を排除し、儒教の徹底的に葬り去ったはずなのに、それは何故か。
その原因を石平さんはこのように解釈しています。
江戸時代より、いくさのない世の中が続き、武士のアイデンティティ形成が困難になった。
そして、武士はアイデンティティの確立のために「誠意、正心、修身、斉家」に励み、誠心と道徳を磨き、いざというときの「治国、平天下」に備えることが武士の本懐と規定した。
この考え方はまさしく儒教の影響に他なりません。
そして、それは明治時代に至って、武士に留まらず一般国民にまで広く波及したのです。
明治天皇の「教育勅語」のためです。
この天皇の勅語がなぜ儒教思想を背景とした内容であったのか、ここに石平さんは疑問を投げかけています。
「教育勅語」は確かに江戸時代に武士によって形成された道徳規範をベースにしています。
それは、果たして儒教そのものだったのか・・・。
この本の中でも触れられていますが、僕は文明開化=西洋文化の流入という猛毒に対する処方として同じ猛毒を持つ儒教、乃至は東洋的な思想が使われたのではないかと思います。
考えてみれば、律令制の時代には中華の猛毒に対して仏教を利用して日本独自の文明を構築した。
毒に対して毒を活用する、意図してか意図せずとしてか、国を護るために日本は外国の思想や理論を用いていたのです。
ただし、この猛毒の取り扱いに誤りがあったために、大東亜戦争での敗戦という副作用があったのかもしれません。
思想の乱れは、戦後さらにすすんで現在に至ります。
儒学、朱子学という毒に加えて、マルクス主義、左翼的思想というかつてない猛毒が国の隅々にまで及んでいます。
直近ではクオリティペーパーを自称する大手新聞社が、学習指導要領に「尖閣諸島を日本固有の領土である」ことを記載することを反対するような異常な言論空間が存在しています。
幸いにして、現在はネットという利器の助けを得て、国風にあった政治、社会、文化を創り出そうといううねりを僕は感じています。
かつては遣唐使の廃止や、江戸の鎖国により国風文化の再生が行われました。
歴史は繰り返す・・・。
今回流石に鎖国は無理でしょうけど、また新たな方法で日本文化の再興が成るものだと信じています。
< おしまい >
さて、前回は本居宣長が「漢意(からごころ)」を徹底的に排除して、国学を生み出したと書きました。
儒教を徹底的に弾劾することで、ついに「脱中華」を日本は果たしたのである、と締めくくられていくのかと思いました。
この本では、そのような結論がくることを期待したのですが・・・。
最後の章で、石平さんは疑問とこの先の思索について書いています。
学問的には、確かに国学の快進撃によって「脱中華」したのかもしれません。
しかし、現実的には幕末から明治にかけて、国民の意識には確かに儒教の影響が残っているのです。
「漢意(からごころ)」を排除し、儒教の徹底的に葬り去ったはずなのに、それは何故か。
その原因を石平さんはこのように解釈しています。
江戸時代より、いくさのない世の中が続き、武士のアイデンティティ形成が困難になった。
そして、武士はアイデンティティの確立のために「誠意、正心、修身、斉家」に励み、誠心と道徳を磨き、いざというときの「治国、平天下」に備えることが武士の本懐と規定した。
この考え方はまさしく儒教の影響に他なりません。
そして、それは明治時代に至って、武士に留まらず一般国民にまで広く波及したのです。
明治天皇の「教育勅語」のためです。
この天皇の勅語がなぜ儒教思想を背景とした内容であったのか、ここに石平さんは疑問を投げかけています。
「教育勅語」は確かに江戸時代に武士によって形成された道徳規範をベースにしています。
それは、果たして儒教そのものだったのか・・・。
この本の中でも触れられていますが、僕は文明開化=西洋文化の流入という猛毒に対する処方として同じ猛毒を持つ儒教、乃至は東洋的な思想が使われたのではないかと思います。
考えてみれば、律令制の時代には中華の猛毒に対して仏教を利用して日本独自の文明を構築した。
毒に対して毒を活用する、意図してか意図せずとしてか、国を護るために日本は外国の思想や理論を用いていたのです。
ただし、この猛毒の取り扱いに誤りがあったために、大東亜戦争での敗戦という副作用があったのかもしれません。
思想の乱れは、戦後さらにすすんで現在に至ります。
儒学、朱子学という毒に加えて、マルクス主義、左翼的思想というかつてない猛毒が国の隅々にまで及んでいます。
直近ではクオリティペーパーを自称する大手新聞社が、学習指導要領に「尖閣諸島を日本固有の領土である」ことを記載することを反対するような異常な言論空間が存在しています。
幸いにして、現在はネットという利器の助けを得て、国風にあった政治、社会、文化を創り出そうといううねりを僕は感じています。
かつては遣唐使の廃止や、江戸の鎖国により国風文化の再生が行われました。
歴史は繰り返す・・・。
今回流石に鎖国は無理でしょうけど、また新たな方法で日本文化の再興が成るものだと信じています。
< おしまい >
呪縛から解き放たれた日本の底力(4)
長々とだだら感想文が続きますが、そして日本における儒教についても石平さんは書いています。
僕個人の印象としては、この儒教を隔絶したことこそ脱中華の極めつけのような気がします。
さて、儒教は仏教とほぼ同時期に日本へ渡来してきました。
しかし、儒教は仏教に圧されて長く日本では日の目を観ることはありませんでした。
一部の官僚にのみ影響を与えるに留めたようです。
チャイナでは国教として巨大な影響力を持った儒教も、日本では大和朝廷の国策としての仏教振興があったためか冷遇されています。
事実、チャイナの科挙制度などは日本では採用されていません。
明治以降の実業家などにも大きな影響を与えていることから、儒教は日本文化に多大な影響を与えられていると思いがちですが、そんなことはない。
日本は他国文化のいいとこどりはしますが、悪い部分は断固として拒絶してしまうのです。
科挙制度は、いまでいう詰め込み教育の最たるもので、役人の思考は硬直化するし、賄賂や腐敗が横行していました。
そういう害悪は拒絶してしまっているのです。
一方で、聖徳太子の一七条憲法では儒教思想を一部取り入れています。
さて、歴史に戻ると、仏教は平安時代から鎌倉時代を経て大衆化が進み、隆盛を誇ると集団化、カルト化していきます。
一向一揆や石山本願寺のように武装集団として、政治権力と敵対していくようになります。
戦国時代の三傑といわれる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康もこれらの勢力には手を焼きました。
徳川家康が覇権を握るようになり、仏教勢力を手懐けるようになると、林羅山を登用して儒学を奨励するようになりました。
仏教勢力へのアンチテーゼとして儒学が採用されたのかもしれませんね。
ただし、この猛毒を持つ儒教というイデオロギーは日本ではチャイナのように波及はせずに、影響は限定的だったようです。
儒学と言っても、日本で官学として導入されたのは朱子学というものです。
この朱子学というのは、とりわけ危険な猛毒を持っています。
よく朱子学を評して「空理空論」といわれますが、よくぞまぁ、徳川政権もこんなものを重宝したものです。
いまでいう、マルクス主義とか左翼思想みたいなものです。
もともと、徳川政権とは武士を骨抜きにする政策を取っていましたからね。
この儒学、朱子学というものは、伊藤仁斎や萩生徂徠、賀茂真淵らによって、粉々に粉砕されました。
とりわけ、最後に登場した真淵は朱子学のみならず、儒学をも粉砕し、万葉集などの古典を学ぶことにより「国学」を生み出していったのです。
本居宣長らは、古事記や日本書紀を研究し、「漢意の排除」により日本独自の思想理論を構築していくのです。
< いよいよ次が最後 >
僕個人の印象としては、この儒教を隔絶したことこそ脱中華の極めつけのような気がします。
さて、儒教は仏教とほぼ同時期に日本へ渡来してきました。
しかし、儒教は仏教に圧されて長く日本では日の目を観ることはありませんでした。
一部の官僚にのみ影響を与えるに留めたようです。
チャイナでは国教として巨大な影響力を持った儒教も、日本では大和朝廷の国策としての仏教振興があったためか冷遇されています。
事実、チャイナの科挙制度などは日本では採用されていません。
明治以降の実業家などにも大きな影響を与えていることから、儒教は日本文化に多大な影響を与えられていると思いがちですが、そんなことはない。
日本は他国文化のいいとこどりはしますが、悪い部分は断固として拒絶してしまうのです。
科挙制度は、いまでいう詰め込み教育の最たるもので、役人の思考は硬直化するし、賄賂や腐敗が横行していました。
そういう害悪は拒絶してしまっているのです。
一方で、聖徳太子の一七条憲法では儒教思想を一部取り入れています。
さて、歴史に戻ると、仏教は平安時代から鎌倉時代を経て大衆化が進み、隆盛を誇ると集団化、カルト化していきます。
一向一揆や石山本願寺のように武装集団として、政治権力と敵対していくようになります。
戦国時代の三傑といわれる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康もこれらの勢力には手を焼きました。
徳川家康が覇権を握るようになり、仏教勢力を手懐けるようになると、林羅山を登用して儒学を奨励するようになりました。
仏教勢力へのアンチテーゼとして儒学が採用されたのかもしれませんね。
ただし、この猛毒を持つ儒教というイデオロギーは日本ではチャイナのように波及はせずに、影響は限定的だったようです。
儒学と言っても、日本で官学として導入されたのは朱子学というものです。
この朱子学というのは、とりわけ危険な猛毒を持っています。
よく朱子学を評して「空理空論」といわれますが、よくぞまぁ、徳川政権もこんなものを重宝したものです。
いまでいう、マルクス主義とか左翼思想みたいなものです。
もともと、徳川政権とは武士を骨抜きにする政策を取っていましたからね。
この儒学、朱子学というものは、伊藤仁斎や萩生徂徠、賀茂真淵らによって、粉々に粉砕されました。
とりわけ、最後に登場した真淵は朱子学のみならず、儒学をも粉砕し、万葉集などの古典を学ぶことにより「国学」を生み出していったのです。
本居宣長らは、古事記や日本書紀を研究し、「漢意の排除」により日本独自の思想理論を構築していくのです。
< いよいよ次が最後 >
呪縛から解き放たれた日本の底力(3)
さて、そのような経緯で日本に広められた仏教ですが、海外より渡来した宗教です。
これが、何故日本に定着したのか、その理由も石平さんは述べます。
なんとも、これがまた日本の強さを証明しています。
簡単に述べると当初は日本古来よりの神道・・・日本の神さまは仏教を柔らかに受け止め、そしてやがて飲み込んでいった、そんなところでしょうか。
詳細は本に委ねますが、当初は日本の神様は御仏に救済を乞う立場に甘んじていたのです。
やがて、幾多の宗教家、思想家の手によって、仏教の菩薩の化身となり、最終的に唯一神道の登場を持って「神主仏従」へ至ったのです。
このしたたかさ。
当初は、抵抗することなく自ら仏教より下位において受け容れ、やがて消化吸収して逆転する。
GHQの統治を許容しつつも、「MC幕府」などと扱い、その実は日本をお護りいただいた我が国の天皇の強さや懐の深さに通じるように思います。
日本の神々は八百神々が山にも海にも草木にも宿るアミニズム的なところがありますが、仏教の「草木国土悉皆成仏」という思想は日本独自のものだそうです。
「即身成仏」もまた、日本独自のもの。
もともと、仏教では成仏できるのは一部の階級の人たちだけのものだった。
空海がチャイナで恵果和尚から真言密教を伝授され、日本に広め大衆からの信仰を集めた。
奈良時代から鎌倉時代を経て、空海、最澄、日蓮、親鸞らの教えにより大衆化していく過程で、日本的な思想が育まれ独自の仏教を形成していったのです。
世界のどこでもなく、日本にのみ仏教が生き残っているのは、このような独自の思想形成があっての結果といえます。
その結果として、日本は脱華夷秩序、脱仏教を成し遂げてきたのです。
< さらにつづく >
これが、何故日本に定着したのか、その理由も石平さんは述べます。
なんとも、これがまた日本の強さを証明しています。
簡単に述べると当初は日本古来よりの神道・・・日本の神さまは仏教を柔らかに受け止め、そしてやがて飲み込んでいった、そんなところでしょうか。
詳細は本に委ねますが、当初は日本の神様は御仏に救済を乞う立場に甘んじていたのです。
やがて、幾多の宗教家、思想家の手によって、仏教の菩薩の化身となり、最終的に唯一神道の登場を持って「神主仏従」へ至ったのです。
このしたたかさ。
当初は、抵抗することなく自ら仏教より下位において受け容れ、やがて消化吸収して逆転する。
GHQの統治を許容しつつも、「MC幕府」などと扱い、その実は日本をお護りいただいた我が国の天皇の強さや懐の深さに通じるように思います。
日本の神々は八百神々が山にも海にも草木にも宿るアミニズム的なところがありますが、仏教の「草木国土悉皆成仏」という思想は日本独自のものだそうです。
「即身成仏」もまた、日本独自のもの。
もともと、仏教では成仏できるのは一部の階級の人たちだけのものだった。
空海がチャイナで恵果和尚から真言密教を伝授され、日本に広め大衆からの信仰を集めた。
奈良時代から鎌倉時代を経て、空海、最澄、日蓮、親鸞らの教えにより大衆化していく過程で、日本的な思想が育まれ独自の仏教を形成していったのです。
世界のどこでもなく、日本にのみ仏教が生き残っているのは、このような独自の思想形成があっての結果といえます。
その結果として、日本は脱華夷秩序、脱仏教を成し遂げてきたのです。
< さらにつづく >
呪縛から解き放たれた日本の底力(2)
石平さんの「なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか」(PHP新書)について、続きです。
このテーマに関して、大きくは2つの点をこの本は述べています。
いづれも思想に関することでありますが、ひとつは「仏教」、そしてもうひとつは「儒教」です。
このふたつの思想を巡り、歴史的に日本はチャイナからの呪縛から逃れたとしています。
いづれも日本にはお馴染みの思想、そして宗教です。
ほぼ日本に定着しているといっていい。
だが、仏教はインド発祥で、儒教はチャイナ。
さて、仏教ですが奈良時代に日本へ渡来してきました。
大和朝廷では国策として、この仏教を振興させました。
大和朝廷とは、すなわち天皇。
神道の頂点である天皇が何故、仏教を広めたのか。
具体的には、推古天皇と聖徳太子の大和朝廷ですが、ここには当時の日本の国際的な政情が起因していると石平さんは見ています。
ご存知の通り、大和朝廷は中央集権化をし、強大な国家であった隋や唐に倣い律令制を整備しました。
これは白村江の戦いに敗北して、朝鮮半島から大きく後退した頃のことです。
非常に強い危機感があってのことです。
上記のような国家体制の整備のみならず、思想上も隋や唐とは一線を画そうとしたのです。
日本は当時の国際的な広がりを持ち、最先端の宗教である仏教を導入した。
仏教は当時、大陸でも王朝が手厚く振興していたのです。
そのようなインド発祥の思想、宗教を日本でも広めていて、決して隋や唐に追随するような文化圏とは一線を画す。
抜群の外交力を持った聖徳太子は、そうして隋とは対等の立場であることを示したのです。
有名な「日の出ずる処の天子、書を日の没する処の天子に致す、恙なきや」です。
こうして、当時の東アジアを覆っていた中華思想の華夷秩序から逃れたのです。
なんとも、強かな外交力ではありませんか。
日本は古代のころより、政治、思想、軍事面でも強かな国だったのです。
チャイナが聖徳太子を憎み、いまでも太子を歴史から消そうという動き、納得できますね。
逆に僕らは聖徳太子を歴史から抹消されないように護らねばならないのです。
< また、つづく >
このテーマに関して、大きくは2つの点をこの本は述べています。
いづれも思想に関することでありますが、ひとつは「仏教」、そしてもうひとつは「儒教」です。
このふたつの思想を巡り、歴史的に日本はチャイナからの呪縛から逃れたとしています。
いづれも日本にはお馴染みの思想、そして宗教です。
ほぼ日本に定着しているといっていい。
だが、仏教はインド発祥で、儒教はチャイナ。
さて、仏教ですが奈良時代に日本へ渡来してきました。
大和朝廷では国策として、この仏教を振興させました。
大和朝廷とは、すなわち天皇。
神道の頂点である天皇が何故、仏教を広めたのか。
具体的には、推古天皇と聖徳太子の大和朝廷ですが、ここには当時の日本の国際的な政情が起因していると石平さんは見ています。
ご存知の通り、大和朝廷は中央集権化をし、強大な国家であった隋や唐に倣い律令制を整備しました。
これは白村江の戦いに敗北して、朝鮮半島から大きく後退した頃のことです。
非常に強い危機感があってのことです。
上記のような国家体制の整備のみならず、思想上も隋や唐とは一線を画そうとしたのです。
日本は当時の国際的な広がりを持ち、最先端の宗教である仏教を導入した。
仏教は当時、大陸でも王朝が手厚く振興していたのです。
そのようなインド発祥の思想、宗教を日本でも広めていて、決して隋や唐に追随するような文化圏とは一線を画す。
抜群の外交力を持った聖徳太子は、そうして隋とは対等の立場であることを示したのです。
有名な「日の出ずる処の天子、書を日の没する処の天子に致す、恙なきや」です。
こうして、当時の東アジアを覆っていた中華思想の華夷秩序から逃れたのです。
なんとも、強かな外交力ではありませんか。
日本は古代のころより、政治、思想、軍事面でも強かな国だったのです。
チャイナが聖徳太子を憎み、いまでも太子を歴史から消そうという動き、納得できますね。
逆に僕らは聖徳太子を歴史から抹消されないように護らねばならないのです。
< また、つづく >
呪縛から解き放たれた日本の底力(1)
とてもいい本に巡り合えました。
『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史』(石平著 PHP新書)
DHCシアターの「真相深入り 虎の門ニュース」でも活躍中の石平さん。
四川省の生まれなのですが、天安門事件などで国に絶望をし、2007年に日本国籍を取得、現在さまざまなメディアを通じて言論活動をされている方です。
僕が最近読んだ著書では百田尚樹さんとの共著で『「カエルの楽園」が地獄と化す日』(飛鳥新社)があります。
本当に日本という国を愛してくれている国士です。
ある意味、日本人よりも日本を理解し、僕らに教えてくれるもと外国人です。
いつも思うのですが、この人はいかにして自らの祖国に決別することになったのか。
いかなる現実を見て、祖国に絶望したのか・・・。
そんな気持ちに至るまでに、どのような現実を直視したのか・・・。
なんともやるせない気持ちになります。
「カエルの楽園」が地獄と化す日』では、第二の祖国である日本がこのまま憲法9条を奉じたままチャイナに飲み込まれることがあってはならない、と苦しい胸の内を冒頭で吐露しています。
きっと、祖国を喪った人でなくては分からない危機感が、石平さんの言論を支えているのだろうと推察します。
さて、この本のテーマは標題の通りなのですが、これだけでは意味が通じない人も多いと思います。
何故なら、教科書では日本は大陸からの文化、宗教、文物の影響を多大に受けているとされているからです。
仏教や儒教、漢字や歴史、文学など、いろんなものが伝わっているからで、呪縛から逃れたとは「?」な感じかと思います。
実は、仏教にしろ(そもそもインドから伝わったものですが・・・)儒教にしろ、日本へ伝わったものは現地とは異質なものなのです。
ここが一番知られていないとこなんですよね。
典型的なのは、たとえば儒教・・・・。
いわずもがな孔子様の教えが説かれている思想書なのですが、日本へ輸入された際に、日本の文化に適わない部分はアレンジされているのです。
ある村で、罪を犯した父親に対して、子がどのように振舞うかです。
チャイナの儒教では、子は罪を犯した親を庇うのが正しい孝行である、というのです。
それに対して、日本で広まった儒教では、子は親に対して罪を償うように薦めるのが正しい社会への対し方だというものです。
チャイナでは、「目上の人を庇う」とが重要とされるのに、日本ではあくまで「社会」や「公益」を最優先するのです。
日本では、もともと民族的、風俗的な価値観があって、儒教もそれにしたがって内容を取捨選択されているのです。
このような違いがあるため、現在のチャイナ、朝鮮の人々と、日本人には決定的な違いが出ています。
日本人は公平、平等に物事を評価し、悪いものは悪いと反省を通じて、よりよいものへと改善されていきます。
しかし、もともとの儒教解釈では、上司や親などを庇いだてするので、社会に腐敗が蔓延してしまうのです。
よく、日本は海外から輸入したものをなんでも模倣すると揶揄されていました。
しかし、違うのです。
日本には、日本のしっかりとした価値観があって、それに適った部分だけ採用されていたのです。
現に、仏教にしろ儒教にしろ、チャイナでは廃れてしまっているのに、日本では形を変えて脈々と生き延びています。
さて、例示した話はこの本には書かれていませんが、主に儒教と仏教がいかにして日本に定着していったか、その過程を検証することで本の命題を解き明かしています。
< つづく >
『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史』(石平著 PHP新書)
DHCシアターの「真相深入り 虎の門ニュース」でも活躍中の石平さん。
四川省の生まれなのですが、天安門事件などで国に絶望をし、2007年に日本国籍を取得、現在さまざまなメディアを通じて言論活動をされている方です。
僕が最近読んだ著書では百田尚樹さんとの共著で『「カエルの楽園」が地獄と化す日』(飛鳥新社)があります。
本当に日本という国を愛してくれている国士です。
ある意味、日本人よりも日本を理解し、僕らに教えてくれるもと外国人です。
いつも思うのですが、この人はいかにして自らの祖国に決別することになったのか。
いかなる現実を見て、祖国に絶望したのか・・・。
そんな気持ちに至るまでに、どのような現実を直視したのか・・・。
なんともやるせない気持ちになります。
「カエルの楽園」が地獄と化す日』では、第二の祖国である日本がこのまま憲法9条を奉じたままチャイナに飲み込まれることがあってはならない、と苦しい胸の内を冒頭で吐露しています。
きっと、祖国を喪った人でなくては分からない危機感が、石平さんの言論を支えているのだろうと推察します。
さて、この本のテーマは標題の通りなのですが、これだけでは意味が通じない人も多いと思います。
何故なら、教科書では日本は大陸からの文化、宗教、文物の影響を多大に受けているとされているからです。
仏教や儒教、漢字や歴史、文学など、いろんなものが伝わっているからで、呪縛から逃れたとは「?」な感じかと思います。
実は、仏教にしろ(そもそもインドから伝わったものですが・・・)儒教にしろ、日本へ伝わったものは現地とは異質なものなのです。
ここが一番知られていないとこなんですよね。
典型的なのは、たとえば儒教・・・・。
いわずもがな孔子様の教えが説かれている思想書なのですが、日本へ輸入された際に、日本の文化に適わない部分はアレンジされているのです。
ある村で、罪を犯した父親に対して、子がどのように振舞うかです。
チャイナの儒教では、子は罪を犯した親を庇うのが正しい孝行である、というのです。
それに対して、日本で広まった儒教では、子は親に対して罪を償うように薦めるのが正しい社会への対し方だというものです。
チャイナでは、「目上の人を庇う」とが重要とされるのに、日本ではあくまで「社会」や「公益」を最優先するのです。
日本では、もともと民族的、風俗的な価値観があって、儒教もそれにしたがって内容を取捨選択されているのです。
このような違いがあるため、現在のチャイナ、朝鮮の人々と、日本人には決定的な違いが出ています。
日本人は公平、平等に物事を評価し、悪いものは悪いと反省を通じて、よりよいものへと改善されていきます。
しかし、もともとの儒教解釈では、上司や親などを庇いだてするので、社会に腐敗が蔓延してしまうのです。
よく、日本は海外から輸入したものをなんでも模倣すると揶揄されていました。
しかし、違うのです。
日本には、日本のしっかりとした価値観があって、それに適った部分だけ採用されていたのです。
現に、仏教にしろ儒教にしろ、チャイナでは廃れてしまっているのに、日本では形を変えて脈々と生き延びています。
さて、例示した話はこの本には書かれていませんが、主に儒教と仏教がいかにして日本に定着していったか、その過程を検証することで本の命題を解き明かしています。
< つづく >
金メダルラッシュ!大活躍の日本勢
連日の金メダルラッシュに日本が湧きたっています。
男子フィギュアの羽生選手に続いて、次は女子500メートルスピードスケート、小平奈緒選手。
1000メートルの銀メダルに続いて、個人でも二個目のメダルだそうです。
女子としては冬季五輪初の金メダルだそうです。
すごいですね。
・・・僕は正直、なんの関心もなかったので、正直この選手の存在すら知りませんでした。
五輪ってのは・・・とくにメダルを獲るというのは、こんな風に急に知名度があがるんです。
金メダルってのは、世界一とほぼ同意義ですから。
そういえば、サッカー女子のなでしこジャパンも、一夜にしてシンデレラ・ガールになったもんで、飲み屋での雑談がネットに挙げられて大騒ぎになっていましたね。
横道にそれてしまいましたが、僕らしく一本筋の通っていないこと発言をします。
やっぱり五輪ってのは、こういった力と技、スピードを競う競技が一番いい。
フィギュアの羽生選手を褒め称えた後なんで、いいづらいのですが・・・。
小平選手の圧巻のスピードとパワー。
観る者を圧倒します。
女性と思えないほどの力強さ。
まさしく獣のようでした。
巷では、スターターの号砲が一瞬遅れていたため、フライングを誘発しようとしていたかのような話があります。
実際に小平選手はいつものタイミングででようと、一瞬ピクリと動いていました。
だが、動じることなく、号砲とともに猛烈なダッシュ。
卑怯な妨害工作にも負けずに、鍛え上げた力と技を一瞬に出し切る集中力。
見事の一言です。
さて、羽生選手を引き合いに出してしまいましたが、それでも彼の功績は色褪せることはありません。
日本選手団は、他国よりも堅い結束があるようです。
個人個人がバラバラに活躍する外国勢とは違って、よくもわるくも集団としての影響があるようです。
羽生選手はいわば、日本選手団の4番のようなものです。
彼が堂々たる金メダルを獲得したからこそ、つづく競技の日本人選手の奮起があったと言われています。
今回の冬季五輪は過去の大会のメダル獲得数を早くも上回ったそうです。
それにしても、日本人も世界でこれだけ戦えるようになったのですね。
感慨深いです。
男子フィギュアの羽生選手に続いて、次は女子500メートルスピードスケート、小平奈緒選手。
1000メートルの銀メダルに続いて、個人でも二個目のメダルだそうです。
女子としては冬季五輪初の金メダルだそうです。
すごいですね。
・・・僕は正直、なんの関心もなかったので、正直この選手の存在すら知りませんでした。
五輪ってのは・・・とくにメダルを獲るというのは、こんな風に急に知名度があがるんです。
金メダルってのは、世界一とほぼ同意義ですから。
そういえば、サッカー女子のなでしこジャパンも、一夜にしてシンデレラ・ガールになったもんで、飲み屋での雑談がネットに挙げられて大騒ぎになっていましたね。
横道にそれてしまいましたが、僕らしく一本筋の通っていないこと発言をします。
やっぱり五輪ってのは、こういった力と技、スピードを競う競技が一番いい。
フィギュアの羽生選手を褒め称えた後なんで、いいづらいのですが・・・。
小平選手の圧巻のスピードとパワー。
観る者を圧倒します。
女性と思えないほどの力強さ。
まさしく獣のようでした。
巷では、スターターの号砲が一瞬遅れていたため、フライングを誘発しようとしていたかのような話があります。
実際に小平選手はいつものタイミングででようと、一瞬ピクリと動いていました。
だが、動じることなく、号砲とともに猛烈なダッシュ。
卑怯な妨害工作にも負けずに、鍛え上げた力と技を一瞬に出し切る集中力。
見事の一言です。
さて、羽生選手を引き合いに出してしまいましたが、それでも彼の功績は色褪せることはありません。
日本選手団は、他国よりも堅い結束があるようです。
個人個人がバラバラに活躍する外国勢とは違って、よくもわるくも集団としての影響があるようです。
羽生選手はいわば、日本選手団の4番のようなものです。
彼が堂々たる金メダルを獲得したからこそ、つづく競技の日本人選手の奮起があったと言われています。
今回の冬季五輪は過去の大会のメダル獲得数を早くも上回ったそうです。
それにしても、日本人も世界でこれだけ戦えるようになったのですね。
感慨深いです。