無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
真夏の息苦しさに前言撤回
お盆というのは地域によって、若干の日のズレがあり
ますが、僕の実家では今日が迎え火です。
先ほど、焚いてきました。
昨年、父が亡くなったので、今年は新盆です。
つい先日、このブログで最近の夏はたいした暑さじゃ
なくなったとか、大それたことを言ってしまいました。
前言撤回、今年はとんでもなく暑い。
きっとバチがあたったのだ。
俺が悪かった~!(;O;)
天気予報の東京地方は都心か、または八王子が表示
されることがありますが、これらはいずれも暑い場所です。
僕の住んでいるところは、いずれでもありませんが、それ
でも、予報値で連日30度以上の真夏日をマークしてます。
体感温度は40度以上とか・・・。
とんでもありませんね。
ベランダの朝顔は水不足でしおれたことがあるので、
毎朝たっぷり水浸しにするのですが、それでも午後三時
すぎに萎れる傾向があります。
でも、夏は暑い方が作物はよく育つ。
台風が来ないと水不足になる。
どちらも、人間には厳しいけど自然の恵なんだ。
日本は国土は狭いけど、山野に樹木が茂り国土に保水力が
ある。おまけに毎年台風がくるから水資源に困らないのだ
と何か最近読んだものに書いてありました。
僕の近所には果樹園や農家が多くて、ブルーベリー畑があり、
その横に栗の木が生えています。
農家のおじさんが大切そうにブルーベリーを摘んでいました。
まだ、若々しい栗のイガですが、秋になればあの魅惑的な
甘さの栗を口にすることができる。
実りの秋のために、陽は注ぎ、時に雨が降る。
近所にはないけど、稲の生育だって、この日差しのお蔭だ。
神様、許して!
今年も美味しいお米が食べたい。
ますが、僕の実家では今日が迎え火です。
先ほど、焚いてきました。
昨年、父が亡くなったので、今年は新盆です。
つい先日、このブログで最近の夏はたいした暑さじゃ
なくなったとか、大それたことを言ってしまいました。
前言撤回、今年はとんでもなく暑い。
きっとバチがあたったのだ。
俺が悪かった~!(;O;)
天気予報の東京地方は都心か、または八王子が表示
されることがありますが、これらはいずれも暑い場所です。
僕の住んでいるところは、いずれでもありませんが、それ
でも、予報値で連日30度以上の真夏日をマークしてます。
体感温度は40度以上とか・・・。
とんでもありませんね。
ベランダの朝顔は水不足でしおれたことがあるので、
毎朝たっぷり水浸しにするのですが、それでも午後三時
すぎに萎れる傾向があります。
でも、夏は暑い方が作物はよく育つ。
台風が来ないと水不足になる。
どちらも、人間には厳しいけど自然の恵なんだ。
日本は国土は狭いけど、山野に樹木が茂り国土に保水力が
ある。おまけに毎年台風がくるから水資源に困らないのだ
と何か最近読んだものに書いてありました。
僕の近所には果樹園や農家が多くて、ブルーベリー畑があり、
その横に栗の木が生えています。
農家のおじさんが大切そうにブルーベリーを摘んでいました。
まだ、若々しい栗のイガですが、秋になればあの魅惑的な
甘さの栗を口にすることができる。
実りの秋のために、陽は注ぎ、時に雨が降る。
近所にはないけど、稲の生育だって、この日差しのお蔭だ。
神様、許して!
今年も美味しいお米が食べたい。
新旧の歴史が織り重なる常若の国
最近、ニコニコ動画やyoutubeなどで配信されている「虎の門
ニュース八時入り!」という番組を見ています。
日替わりでコメンテーターが変わるのですが、僕は火曜日の
百田尚樹さんと木曜日の青山繁晴さんの日をチェックしてい
ます。
朝配信されているので、僕はyoutubeで小刻みに観ているの
ですが、火曜日に面白いニュースがありました。
滋賀県が知名度向上のために、県名の変更を投票で募った
ところ、八割以上の県民が変更の必要なしという結果を示した
そうです。
まぁ、滋賀県の県名についてはよいとして、百田さんが「東京は
やめて、江戸とか武蔵みたいな歴史的に意味のある名前を
残すべき」と主張していました。ローマも、アテネも千年以上
残った都市名だ、ということで。
「東京都」という名称は、僕は特に拘りはありません。
まぁ、天皇のおられる所なので、「都」でなければというのが、
あると思いますが、東の京都・・・などというのならば、「武蔵京」
みたいな呼び方もあったのかもしれませんね。
ネットでは「トンキン」などどいう蔑称もあるようで、嫌な感じです。
でも、国際的にも「東京」は知名度が高いと思うので、今更変える
こともないのかな、と思います。
だけど、百田さんの主張も見逃せない気がします。
僕は、やはり「江戸」もいいけど、「武蔵」も捨てがたい。
そもそも、多摩、武蔵野は江戸とは違う。
武蔵國は江戸時代は草がぼうぼうだったかもしれませんが、もとは
武蔵の方が歴史は古い。
番組では、視聴者からの意見で「平成の大合併で多くのよい
地名が失われた」というのがありました。
考えてみると、「武蔵」は武蔵野市、「多摩」は多摩市、と地名
が残されている。地元の人々が、いかに郷土に思い入れが
あるか、を示していると思います。
日本の文化というのは、重厚な伝統がありますが、同時に
式年遷宮に見られるように、旧を捨て常に新しくあることに
美を見出しているところもあるそうです。(たしか、式年遷宮
が二十年ごとに行われることで、築造の技術が継承されて
いる、とか)
なるほど、昔から我が国は無形文化(築造技術)も保存
していたんだ。賢いなぁ、と思います。
東京は東京で、新しい歴史と伝統を作ればよいことです。
ローマやアテネに倣う必要はことさらないと思います。
江戸、武蔵と同時に、伝統が地域に保存されることで、
ますます深く歴史が織りなす地域になるのでしょう。
祖国愛、愛国心、郷土愛・・・。いいと思います。
ニュース八時入り!」という番組を見ています。
日替わりでコメンテーターが変わるのですが、僕は火曜日の
百田尚樹さんと木曜日の青山繁晴さんの日をチェックしてい
ます。
朝配信されているので、僕はyoutubeで小刻みに観ているの
ですが、火曜日に面白いニュースがありました。
滋賀県が知名度向上のために、県名の変更を投票で募った
ところ、八割以上の県民が変更の必要なしという結果を示した
そうです。
まぁ、滋賀県の県名についてはよいとして、百田さんが「東京は
やめて、江戸とか武蔵みたいな歴史的に意味のある名前を
残すべき」と主張していました。ローマも、アテネも千年以上
残った都市名だ、ということで。
「東京都」という名称は、僕は特に拘りはありません。
まぁ、天皇のおられる所なので、「都」でなければというのが、
あると思いますが、東の京都・・・などというのならば、「武蔵京」
みたいな呼び方もあったのかもしれませんね。
ネットでは「トンキン」などどいう蔑称もあるようで、嫌な感じです。
でも、国際的にも「東京」は知名度が高いと思うので、今更変える
こともないのかな、と思います。
だけど、百田さんの主張も見逃せない気がします。
僕は、やはり「江戸」もいいけど、「武蔵」も捨てがたい。
そもそも、多摩、武蔵野は江戸とは違う。
武蔵國は江戸時代は草がぼうぼうだったかもしれませんが、もとは
武蔵の方が歴史は古い。
番組では、視聴者からの意見で「平成の大合併で多くのよい
地名が失われた」というのがありました。
考えてみると、「武蔵」は武蔵野市、「多摩」は多摩市、と地名
が残されている。地元の人々が、いかに郷土に思い入れが
あるか、を示していると思います。
日本の文化というのは、重厚な伝統がありますが、同時に
式年遷宮に見られるように、旧を捨て常に新しくあることに
美を見出しているところもあるそうです。(たしか、式年遷宮
が二十年ごとに行われることで、築造の技術が継承されて
いる、とか)
なるほど、昔から我が国は無形文化(築造技術)も保存
していたんだ。賢いなぁ、と思います。
東京は東京で、新しい歴史と伝統を作ればよいことです。
ローマやアテネに倣う必要はことさらないと思います。
江戸、武蔵と同時に、伝統が地域に保存されることで、
ますます深く歴史が織りなす地域になるのでしょう。
祖国愛、愛国心、郷土愛・・・。いいと思います。
【回想】届いた手紙
「ボクはここにいる」の続きです。
*******
もうひとつは一か月後のことです。
「わーうー!わーうー!」
朝から僕の頭の中を「うず」のあの鳴き声が響いている。
なんなのだろう・・・と歯を磨き、外出する用意をしていた。
カレンダーを見ると、その日はちょうど月命日の翌日でした。
毎日お線香をあげているのに、月命日を意識していなかっ
たなんて…。
反省してお線香をあげて謝りました。
きっと、月命日を忘れていた僕のことを、怒って鳴いていた
のだろう・・・。
その日は休日で、僕は銀座に出かけ、展覧会で知り合いの
作品をデジカメで撮っていました。
撮影した画像を確認しているとき、手が滑って画像の一覧
画面に切り替わった。
「えっ!?」
見たことのない写真があった。「うず」の写真だった。
窓辺で気持ちよさそうに、目を瞑って陽を浴びている。
暖かそうでうっとりした表情。
それが二枚もあった。
びっくりした。
周りに人がいなかったら声を上げたかもしれない。
日付を確認すると、12月の下旬。
具合が悪くなる数日前、誕生日の直後の日付・・・。
いや、確かに撮った記憶がある。
なんだか絵になる感じだったので撮った「うず」の写真だった。
僕はいつも撮った画像はすぐにPCに移すことにしている。
それを忘れていたので、デジカメに残ったままだったのだ。
画像の存在すら忘れていた。
うっかりとデータを消去しても不思議ではなかった。
まさか、こんなときに出てくるなんて・・・。
今朝の鳴き声は、「うず」がこれを教えてくれたのでしょうか。
それとも気が付いて謝ったので、「うず」がご褒美にくれたの
でしょうか・・・。
まるで、「うず」が近況を知らせるために、天国から手紙を
くれたみたいでした。
「ボクはいま、あたたかくて気持ちのいいところにいるよ」
ほんの少しだけ、心が救われた気持ちになりました。
痛々しい「うず」の最期の姿が心に焼き付いていたから・・・。
「うず」、ありがとう。また、会おうね。
僕と「うず」の大切な思い出です。
<おわり>
■ありがとうございました。
・・・<最初から読む>(全18話)
*******
もうひとつは一か月後のことです。
「わーうー!わーうー!」
朝から僕の頭の中を「うず」のあの鳴き声が響いている。
なんなのだろう・・・と歯を磨き、外出する用意をしていた。
カレンダーを見ると、その日はちょうど月命日の翌日でした。
毎日お線香をあげているのに、月命日を意識していなかっ
たなんて…。
反省してお線香をあげて謝りました。
きっと、月命日を忘れていた僕のことを、怒って鳴いていた
のだろう・・・。
その日は休日で、僕は銀座に出かけ、展覧会で知り合いの
作品をデジカメで撮っていました。
撮影した画像を確認しているとき、手が滑って画像の一覧
画面に切り替わった。
「えっ!?」
見たことのない写真があった。「うず」の写真だった。
窓辺で気持ちよさそうに、目を瞑って陽を浴びている。
暖かそうでうっとりした表情。
それが二枚もあった。
びっくりした。
周りに人がいなかったら声を上げたかもしれない。
日付を確認すると、12月の下旬。
具合が悪くなる数日前、誕生日の直後の日付・・・。
いや、確かに撮った記憶がある。
なんだか絵になる感じだったので撮った「うず」の写真だった。
僕はいつも撮った画像はすぐにPCに移すことにしている。
それを忘れていたので、デジカメに残ったままだったのだ。
画像の存在すら忘れていた。
うっかりとデータを消去しても不思議ではなかった。
まさか、こんなときに出てくるなんて・・・。
今朝の鳴き声は、「うず」がこれを教えてくれたのでしょうか。
それとも気が付いて謝ったので、「うず」がご褒美にくれたの
でしょうか・・・。
まるで、「うず」が近況を知らせるために、天国から手紙を
くれたみたいでした。
「ボクはいま、あたたかくて気持ちのいいところにいるよ」
ほんの少しだけ、心が救われた気持ちになりました。
痛々しい「うず」の最期の姿が心に焼き付いていたから・・・。
「うず」、ありがとう。また、会おうね。
僕と「うず」の大切な思い出です。
<おわり>
■ありがとうございました。
・・・<最初から読む>(全18話)
【回想】ボクはここにいる
「天使は空に帰って行った」の続きです。
次に2回に分けて紹介するエピソードは、実際にあったことです。
信じられないという人もいるかもしれません。
だけど、僕にとっては重大な出来事でした。
葬儀を終えて、お骨は「うず」がいつもネコベッドで寝ていた
ところに祭壇を設けて、安置しました。
いまでも毎日お線香をあげています。写真立てにはこっちを
じーっと見つめている「うず」がいる。
今にも「お願い」しそうな表情。
僕はお線香をあげて毎日のように「うず」に話しかけている。
実家では、父が亡くなって母が毎日遺影に話しかけていました。
よくやるなぁ、と見ていましたが、結局僕も同じことをしている。
誰かが、僕のことを父の時より悲しんでいる、
とかいったのだろうか。
母は「一緒に暮らす相手を亡くすというのはそういうことだ」
とかばってくれたらしい。
人は亡くなると、四十九日間魂が家に留まっているそうです。
ネコはどうなのだろう?
「うず」の葬式の数日後の夜、いつものようにお線香をあげて
祈りました。
僕が花の水を取り替えようと、花瓶を持ち上げると、お花が
ひと房取れておっこちた。
床に花弁がぱっと散らばる。
その真ん中に「うず」の毛が一本残っていた。
僕にはまるで「うず」の毛の周りがぼうっと光っている
ように見えました。
「ボクはここにいるよ」
心というか頭の中というか、聞いたことのない「うず」の
声が聞こえた。
いや音のない声が聞こえたというのはおかしい。
思念が心に湧き上がったとでもいおうか。
すっかり泣き虫になった僕は、また目が潤んだ。
何の疑いもなく、「うず」はまだここにいるのだと思いました。
花だなんて・・・、おませな「うず」だ。
・・・<続き>「届いた手紙」
・・・<最初から読む>
次に2回に分けて紹介するエピソードは、実際にあったことです。
信じられないという人もいるかもしれません。
だけど、僕にとっては重大な出来事でした。
葬儀を終えて、お骨は「うず」がいつもネコベッドで寝ていた
ところに祭壇を設けて、安置しました。
いまでも毎日お線香をあげています。写真立てにはこっちを
じーっと見つめている「うず」がいる。
今にも「お願い」しそうな表情。
僕はお線香をあげて毎日のように「うず」に話しかけている。
実家では、父が亡くなって母が毎日遺影に話しかけていました。
よくやるなぁ、と見ていましたが、結局僕も同じことをしている。
誰かが、僕のことを父の時より悲しんでいる、
とかいったのだろうか。
母は「一緒に暮らす相手を亡くすというのはそういうことだ」
とかばってくれたらしい。
人は亡くなると、四十九日間魂が家に留まっているそうです。
ネコはどうなのだろう?
「うず」の葬式の数日後の夜、いつものようにお線香をあげて
祈りました。
僕が花の水を取り替えようと、花瓶を持ち上げると、お花が
ひと房取れておっこちた。
床に花弁がぱっと散らばる。
その真ん中に「うず」の毛が一本残っていた。
僕にはまるで「うず」の毛の周りがぼうっと光っている
ように見えました。
「ボクはここにいるよ」
心というか頭の中というか、聞いたことのない「うず」の
声が聞こえた。
いや音のない声が聞こえたというのはおかしい。
思念が心に湧き上がったとでもいおうか。
すっかり泣き虫になった僕は、また目が潤んだ。
何の疑いもなく、「うず」はまだここにいるのだと思いました。
花だなんて・・・、おませな「うず」だ。
・・・<続き>「届いた手紙」
・・・<最初から読む>
かき氷の季節
夏本番・・・
猛暑列島とはよくいったもので、連日すごい暑さです。
このような暑さの中、日本人は真面目にネクタイをして、
衣服の中に籠る熱を逃さぬようにして働きます。
数日前だったか、夏には定番のこの話題が2ちゃんねる
のどこかのスレッドでテーマになってました。
この英国風のスーツという衣服は、確かに温帯・亜熱帯
の日本列島には合わないですよね。
文明開化以降、西欧列強に追い付け追い越せ、でどこの
國よりも真面目に国際儀礼や国際法の遵守に取り組んで
いたせいか、日本人は背広が好きなようです。
いまどき、国会議員や内閣閣僚でも、クールビズにして
いるのに・・・。
社内部署はクールビズ可でも、取引先と会う営業などは
ダメ。取引先がネクタイ締めているんだから・・・。
丸の内か、新橋あたりでサラリーマンが千人単位で倒れる
とかしないかぎり、流れは変わらないでしょう。
僕も学生の頃はネクタイに憧れましたけど、いまはまったく
そう思いません。息苦しいし、邪魔だし・・・.。
つながれているみたいですよね。悪趣味にさえ思う。
実際、サラリーマンはつながれていると思います。
それなら日本人らしく和服でしょう、とも思いますが、着物は
着るのが大変だから・・・。
実は一着持っています。冬用だけど、これまでに2~3回
正月に来たことがあるくらい。自力で着れないので、たぶん
いまは実家の桐の箪笥の中で眠っているでしょう。
夏用の着物だと、幾分涼しいでしょうか。襟がないので
見た目よりも暑苦しくないのかもしれませんね。
このシーズン、僕は冷房を入れない代わりに、風呂は
水シャワーのみにする。夜も、部屋の壁温度計は30度
以上ですが、アイスノンで頭を冷やして寝る。
これだと、夏バテしない。
さて、街を歩いていると、夏には付きものの「氷」の赤い
文字の旗。かき氷。涼しげです。
二十代くらいまでは、二杯三杯と食べました。
大学の部活のあと、グラウンド近くの甘味やさんで、
杏が漬けてあるシロップの「杏氷」が好きでした。
吉祥寺の井の頭公園の中にあるお店でも、「あずき」
やら「カルピス」など、いろんな味を楽しんだ。
武蔵野の夏・・・。
毎年、この季節になると思い出すのは、その昔、
氷上での格闘戦を得意とした武術家であるカクゴール
というモンゴル人。
あの「氷」の旗はこの人物が背負っていた旗が由来らしい。
高名な武術家で、著書に
「かき氷屋三代記~我、永遠に氷をアイス」(民明書房)
があるとか・・・。
(注)出典:宮下あきら「魁!!男塾」 少年ジャンプ
このくだらなさ。
大真面目に書いているところがツボ。
学生のときに「氷をアイス」で、缶コーヒーを噴いた。
この民明書房という架空の出版社。
古本屋さんを捜し歩いた人がいたとか・・・。
麦茶に浮かべた氷をかじりながら思い出す。
【回想】天使は空に帰って行った
「とまった時間」の続きです。
今は移動火葬車というものがあって、お寺にいかずとも
荼毘に附すことができるのですね。
母が、実家の近くのお寺で愛犬の葬儀をした友人の話を
してくれましたが、ネットで調べて火葬車ですることにしました。
何よりも個別火葬にこだわりたかった。
日取りは亡くなった翌々日。僕と母が立ち会うことになりました。
母の方が「うず」と一緒にいた時間は長い。
思い入れのある子だったから、見送りたいと言ってくれました。
遺体はお気に入りだったネコベッドに保冷剤などを詰めて、
綺麗に口元などを拭いて寝かせました。
最後の夜、一緒に寝てあげなかったことを悔やんでいた僕は、
葬儀まで二晩「うず」と一緒に寒い部屋で過ごしました。
保冷剤を交換するときに、「うず」の亡骸を抱き上げて気づいた。
「うず」は最後に、僕の大好きな「お願い」のポーズをしてくれていた。
*******
焼却炉に入れる前に母にも抱いてもらい、「うず」とお別れを
しました。
「うず」に手紙を添えた。
父の形見の万年筆で書いた。
便箋で18枚。
封筒に「愛しい我が子へ」と記した。
火葬は2時間程度だったでしょうか。
小さくなった「うず」を納骨して、大切に抱いて帰りました。
小さな骨壺と手書きのお位牌。
僕もようやく少し落ち着いたようです。
「うず」は本物の天使になって、空へ帰って行った。
・・・<続き>「ボクはここにいる」
・・・<最初から読む>
今は移動火葬車というものがあって、お寺にいかずとも
荼毘に附すことができるのですね。
母が、実家の近くのお寺で愛犬の葬儀をした友人の話を
してくれましたが、ネットで調べて火葬車ですることにしました。
何よりも個別火葬にこだわりたかった。
日取りは亡くなった翌々日。僕と母が立ち会うことになりました。
母の方が「うず」と一緒にいた時間は長い。
思い入れのある子だったから、見送りたいと言ってくれました。
遺体はお気に入りだったネコベッドに保冷剤などを詰めて、
綺麗に口元などを拭いて寝かせました。
最後の夜、一緒に寝てあげなかったことを悔やんでいた僕は、
葬儀まで二晩「うず」と一緒に寒い部屋で過ごしました。
保冷剤を交換するときに、「うず」の亡骸を抱き上げて気づいた。
「うず」は最後に、僕の大好きな「お願い」のポーズをしてくれていた。
*******
焼却炉に入れる前に母にも抱いてもらい、「うず」とお別れを
しました。
「うず」に手紙を添えた。
父の形見の万年筆で書いた。
便箋で18枚。
封筒に「愛しい我が子へ」と記した。
火葬は2時間程度だったでしょうか。
小さくなった「うず」を納骨して、大切に抱いて帰りました。
小さな骨壺と手書きのお位牌。
僕もようやく少し落ち着いたようです。
「うず」は本物の天使になって、空へ帰って行った。
・・・<続き>「ボクはここにいる」
・・・<最初から読む>
いかないで~!
人の手に噛みついてばかりいるくせに、何故か
憎めない。なんとも得な性格。
「小うず」くん。
その秘密は、なんたって愛嬌がある。それだけ。
今日は、秘技「いかないで抱っこ」をご披露します。
「いかないで~!!」
部屋の中を歩いていると何処かに隠れて、突然不意打ちする
ように背後から出てきて抱きつきます。
画像は寝転んでますが、普段はこれを二足立ちで抱きついて
ぴょんぴょんしながらついてくる。
お腹がモフモフで、ちょっと足が気持ちいい。
思わず苦笑してしまうほど、コミカルです。
これだから、憎めないんだよなぁ。
隠れているのだって、ホントはわかっているんだゾ~!
遊びに夢中になりすぎて、ごはん食べるのもわすれちゃう。
夏バテ?のため、食欲が少し落ちてる?
あんなに、おもいっきり遊びすぎているのに?
噛み癖ノンとかいろいろ対策したけど、なかなか治らない
噛み癖ですが、お手々を噛みつき返してやったら、最近
ようやく甘噛みらしきを憶えたみたいです。
寝るときは、どこか遊びにいっているけど、朝目が覚めると
横でぐっすり寝ています。
たまには「うず」みたいに起こしてくれよ。
憎めない。なんとも得な性格。
「小うず」くん。
その秘密は、なんたって愛嬌がある。それだけ。
今日は、秘技「いかないで抱っこ」をご披露します。
「いかないで~!!」
部屋の中を歩いていると何処かに隠れて、突然不意打ちする
ように背後から出てきて抱きつきます。
画像は寝転んでますが、普段はこれを二足立ちで抱きついて
ぴょんぴょんしながらついてくる。
お腹がモフモフで、ちょっと足が気持ちいい。
思わず苦笑してしまうほど、コミカルです。
これだから、憎めないんだよなぁ。
隠れているのだって、ホントはわかっているんだゾ~!
遊びに夢中になりすぎて、ごはん食べるのもわすれちゃう。
夏バテ?のため、食欲が少し落ちてる?
あんなに、おもいっきり遊びすぎているのに?
噛み癖ノンとかいろいろ対策したけど、なかなか治らない
噛み癖ですが、お手々を噛みつき返してやったら、最近
ようやく甘噛みらしきを憶えたみたいです。
寝るときは、どこか遊びにいっているけど、朝目が覚めると
横でぐっすり寝ています。
たまには「うず」みたいに起こしてくれよ。
夏の武蔵野もまた格別
暑くて、暑くて、もう大変な夏ではあります。
が、ちょっと考えると日差しが強烈なのはたしかでも、
以前よりも熱気というか、湿度というか、それは少し和らいだ
のかもしれません。
それは、いざそうなると前後撤回みたいになりますが、シー
ズンを通してみると、そうは感じることありませんか?
暑いときには、人はやはり水の近くに行きたくなります。
小学生以下の子供なら、公園やプールの水遊び場ですし、
大人だって、屋形船とか隅田川の花火大会などへ行きます。
ひと昔前は、ウォーターフロントとかいって、お台場だとか、
汐留みたいなところがもてはやされました。
でも、水があるのは海辺だけではありません。
我らが武蔵野には、玉川上水のような水辺があります。
周囲は木々がうっそうと茂っていて、日陰が涼しげです。
画像は、さらに境浄水場の近くで、水尽くしです。
玉川上水をそこから少し西の方向へ歩いていくと、JR武蔵境駅
と西武線田無駅へと南北に走る道路にぶつかります。
玉川上水の橋の横にあるのは国木田独歩の碑。
言わずと知れた文学作品「武蔵野」を書いた文学者です。
わずか30ページほどの短い作品ですが、この作家の代名詞
ともいえます。武蔵野の美を謳う作品中には、武蔵野の美を
落葉樹の趣にあると指摘していて、京都を中心とした上方の
西日本的な自然美とは異なるようです。
そういえば、江戸時代の絢爛豪華な日本画には松や梅など
が描かれることが多いようですが、落葉林を描いたものは
少ないのでは・・・?
辛うじて、画題に「武蔵野」というものがあり、萱や薄の
果てしなく拡がる原野と月の光景が描かれています。
菱田春草の「落葉」は、視力を害した春草が愛した武蔵野の
落葉林を描いているようですね。
ちょっと、話が秋にフライングしてしまいそうですが、
この近くには「独歩の森」という雑木林が保存されている
場所があります。昔からの武蔵野の自然を保護しようと
いう趣旨のようです。
独歩曰く、
「春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも雪にも、風にも、
霧にも、霜にも、雨にも、しぐれにも、ただこの路をぶら
ぶら歩いて思いつき次第に右し左しすれば随所にわれら
を満足さするものがある。
これが実にまた、武蔵野第一の特色だろう」
と「武蔵野」に書いています。
暑い夏も、また格別の武蔵野がここにある、ということでしょうな。
が、ちょっと考えると日差しが強烈なのはたしかでも、
以前よりも熱気というか、湿度というか、それは少し和らいだ
のかもしれません。
それは、いざそうなると前後撤回みたいになりますが、シー
ズンを通してみると、そうは感じることありませんか?
暑いときには、人はやはり水の近くに行きたくなります。
小学生以下の子供なら、公園やプールの水遊び場ですし、
大人だって、屋形船とか隅田川の花火大会などへ行きます。
ひと昔前は、ウォーターフロントとかいって、お台場だとか、
汐留みたいなところがもてはやされました。
でも、水があるのは海辺だけではありません。
我らが武蔵野には、玉川上水のような水辺があります。
周囲は木々がうっそうと茂っていて、日陰が涼しげです。
画像は、さらに境浄水場の近くで、水尽くしです。
玉川上水をそこから少し西の方向へ歩いていくと、JR武蔵境駅
と西武線田無駅へと南北に走る道路にぶつかります。
玉川上水の橋の横にあるのは国木田独歩の碑。
言わずと知れた文学作品「武蔵野」を書いた文学者です。
わずか30ページほどの短い作品ですが、この作家の代名詞
ともいえます。武蔵野の美を謳う作品中には、武蔵野の美を
落葉樹の趣にあると指摘していて、京都を中心とした上方の
西日本的な自然美とは異なるようです。
そういえば、江戸時代の絢爛豪華な日本画には松や梅など
が描かれることが多いようですが、落葉林を描いたものは
少ないのでは・・・?
辛うじて、画題に「武蔵野」というものがあり、萱や薄の
果てしなく拡がる原野と月の光景が描かれています。
菱田春草の「落葉」は、視力を害した春草が愛した武蔵野の
落葉林を描いているようですね。
ちょっと、話が秋にフライングしてしまいそうですが、
この近くには「独歩の森」という雑木林が保存されている
場所があります。昔からの武蔵野の自然を保護しようと
いう趣旨のようです。
独歩曰く、
「春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも雪にも、風にも、
霧にも、霜にも、雨にも、しぐれにも、ただこの路をぶら
ぶら歩いて思いつき次第に右し左しすれば随所にわれら
を満足さするものがある。
これが実にまた、武蔵野第一の特色だろう」
と「武蔵野」に書いています。
暑い夏も、また格別の武蔵野がここにある、ということでしょうな。
【回想】とまった時間
「最後のごはん」の続きです。
ごはんを食べてくれるとはいえ、量はほんの少しだ。
体力が落ちているようだった。
一度、机に跳び乗ろうとジャンプして失敗した。
落ち込むようなそぶりが悲しかった。
抱いて慰めてあげた。
三が日を過ぎて、獣医さんが
「ちょっと様子をみましょう。毎日来なくていいです。
しばらくしたらまた血液検査してみましょう。」
と言ってくれた。
ひょっとしたら快方に向かっているのかもしれない。
僕もそう感じていたので少しほっとした。
気のゆるみがでたなんて思わない。
ただ、ほっとしたのは僅かな時間だった。
2日も経たずに「うず」の容態が変わった。
夜、呼吸が苦しそうになった。
流石に夜中なので獣医さんは閉まっている。
朝になったら一番で診てもらおう。
動かすのもつらそうだったので、暖かくして布団の
真ん中に寝かせたままそっとしてあげた。
僕はいつもの寝床で別々に寝た。
翌朝、レントゲンを撮って調べてくれた。
肺の周りに水がたまって呼吸が苦しくなっているようだった。
エンドステージ・・・。
獣医さんは、危険が伴うが医療処置を行うか、僕に決断を委ねた。
正直判断できるような状況ではなかった。
だが、苦しそうでこのままでは体力がもたない。
そう思って決断した・・・・・・。
・・・・決断は裏目にでた。
うちに連れて帰ったとき、「うず」はもう目の焦点が合って
いなかった。
ひたすら苦しそうに声を上げていた。
僕はただひとり何もできず「うず」を見守った。
僕は愚かにも、その時初めて「うず」の最期を悟った。
無情に迫りくる「その時」。
実家に電話をして、母に「うず」の危篤を告げた。
時間があったら会ってやってほしい。そう伝えた。
電話越しに「うず」のうめく声が母に聞こえたらしい。
声を掛けてあげたかも覚えていない。
撫でてあげたかも覚えていない。
目をそらさず「うず」を見守ったことしか覚えていない。
やがて「うず」の時間は止まった。
あっという間だった。
僕はただひとり、無力だった…。
母と兄が来たときはすべてが終わっていた。
来てくれたことを感謝し、救えなかったことを詫びた。
最後の決断は失敗だったのか。
ひょっとしたら、「うず」は苦しくても最後まで僕と長くいたかった
のかもしれない。
僕は自分の最期の時は、延命措置はいらないと考えている。
結果的に、僕は姑息にも「うず」に延命措置を施したのか。
そして「うず」を逆に苦しめてしまったのか。
僕は自らの信条すら破ってしまった。
自責と後悔の奔流にのまれ、身悶えた。
涙は尽きることがなかった・・・。
・・・<続き>「天使は空へ帰って行った」
・・・<最初から読む>
ごはんを食べてくれるとはいえ、量はほんの少しだ。
体力が落ちているようだった。
一度、机に跳び乗ろうとジャンプして失敗した。
落ち込むようなそぶりが悲しかった。
抱いて慰めてあげた。
三が日を過ぎて、獣医さんが
「ちょっと様子をみましょう。毎日来なくていいです。
しばらくしたらまた血液検査してみましょう。」
と言ってくれた。
ひょっとしたら快方に向かっているのかもしれない。
僕もそう感じていたので少しほっとした。
気のゆるみがでたなんて思わない。
ただ、ほっとしたのは僅かな時間だった。
2日も経たずに「うず」の容態が変わった。
夜、呼吸が苦しそうになった。
流石に夜中なので獣医さんは閉まっている。
朝になったら一番で診てもらおう。
動かすのもつらそうだったので、暖かくして布団の
真ん中に寝かせたままそっとしてあげた。
僕はいつもの寝床で別々に寝た。
翌朝、レントゲンを撮って調べてくれた。
肺の周りに水がたまって呼吸が苦しくなっているようだった。
エンドステージ・・・。
獣医さんは、危険が伴うが医療処置を行うか、僕に決断を委ねた。
正直判断できるような状況ではなかった。
だが、苦しそうでこのままでは体力がもたない。
そう思って決断した・・・・・・。
・・・・決断は裏目にでた。
うちに連れて帰ったとき、「うず」はもう目の焦点が合って
いなかった。
ひたすら苦しそうに声を上げていた。
僕はただひとり何もできず「うず」を見守った。
僕は愚かにも、その時初めて「うず」の最期を悟った。
無情に迫りくる「その時」。
実家に電話をして、母に「うず」の危篤を告げた。
時間があったら会ってやってほしい。そう伝えた。
電話越しに「うず」のうめく声が母に聞こえたらしい。
声を掛けてあげたかも覚えていない。
撫でてあげたかも覚えていない。
目をそらさず「うず」を見守ったことしか覚えていない。
やがて「うず」の時間は止まった。
あっという間だった。
僕はただひとり、無力だった…。
母と兄が来たときはすべてが終わっていた。
来てくれたことを感謝し、救えなかったことを詫びた。
最後の決断は失敗だったのか。
ひょっとしたら、「うず」は苦しくても最後まで僕と長くいたかった
のかもしれない。
僕は自分の最期の時は、延命措置はいらないと考えている。
結果的に、僕は姑息にも「うず」に延命措置を施したのか。
そして「うず」を逆に苦しめてしまったのか。
僕は自らの信条すら破ってしまった。
自責と後悔の奔流にのまれ、身悶えた。
涙は尽きることがなかった・・・。
・・・<続き>「天使は空へ帰って行った」
・・・<最初から読む>
ひろびろとした夏の小金井公園
小金井市にある広い広い公園、小金井公園。
桜といえば、小金井の桜というのは、この公園の桜とはいえません。
玉川上水に沿って植樹されたものがそうでしょう。
いまのJR中央線が甲武鉄道として走り始めた頃、新宿と立川の間
には、現在の武蔵境駅である境停車場がありました。
都内と郊外が、この線で結ばれてから、春の季節の「小金井の桜」
が行楽地として注目を浴びるようになったそうです。
季節限定の臨時停車場が現在の武蔵小金井駅です。
とはいえ、小金井公園の桜も見どころには違いなく、都内の観桜
スポットとして、各種サイトでも紹介されています。
さて、いまは夏。桜の葉は青々として、周囲の木々と一体化して
います。なにしろ、この公園の広さ・・・。
公園の中には体育館や博物館「江戸東京たてもの園」、ドッグ
ヤード、草木園、蒸気機関車などいろいろ見どころがあります。
一日かけてもまわりきれない規模ですが、正直なところこういう
規模の大きなところはあまり好みではないのです。
いや、それは「たてもの園」はいいですよ。明治大正期の和風、
洋風家屋のアンティークな魅力。高橋是清さんのお宅など、
風格もあり懐かしさもありです。
ちょっと変わり者の私は、小金井公園のこういうところが好きです。
桜町遊歩道・・・。五日市街道と平行に伸びていて、公園と宅地
との境界でもあります、細い路地。
画像は往復方向で撮ったものを載せます。
いいでしょう。ちなみにSLはこの路地の近くです。
歩くところが無機質なアスファルトではないのがまたいいですね。
玉川上水も地面の歩道がありますので、自然浴、森林浴には最適です。
桜といえば、小金井の桜というのは、この公園の桜とはいえません。
玉川上水に沿って植樹されたものがそうでしょう。
いまのJR中央線が甲武鉄道として走り始めた頃、新宿と立川の間
には、現在の武蔵境駅である境停車場がありました。
都内と郊外が、この線で結ばれてから、春の季節の「小金井の桜」
が行楽地として注目を浴びるようになったそうです。
季節限定の臨時停車場が現在の武蔵小金井駅です。
とはいえ、小金井公園の桜も見どころには違いなく、都内の観桜
スポットとして、各種サイトでも紹介されています。
さて、いまは夏。桜の葉は青々として、周囲の木々と一体化して
います。なにしろ、この公園の広さ・・・。
公園の中には体育館や博物館「江戸東京たてもの園」、ドッグ
ヤード、草木園、蒸気機関車などいろいろ見どころがあります。
一日かけてもまわりきれない規模ですが、正直なところこういう
規模の大きなところはあまり好みではないのです。
いや、それは「たてもの園」はいいですよ。明治大正期の和風、
洋風家屋のアンティークな魅力。高橋是清さんのお宅など、
風格もあり懐かしさもありです。
ちょっと変わり者の私は、小金井公園のこういうところが好きです。
桜町遊歩道・・・。五日市街道と平行に伸びていて、公園と宅地
との境界でもあります、細い路地。
画像は往復方向で撮ったものを載せます。
いいでしょう。ちなみにSLはこの路地の近くです。
歩くところが無機質なアスファルトではないのがまたいいですね。
玉川上水も地面の歩道がありますので、自然浴、森林浴には最適です。