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平成三十年の夏越えの大祓い

今日は標題にあるように「夏越の祓」「大祓」。
大祓は、罪と穢れを祓い清める神事で、6月と12月の末日行われます。
疫病よけの茅の輪くぐりなどの行事が行われる。

一年の最後の日は大晦日ですが、今月の晦日は半年が過ぎたことを示します。
早いものですね・・・。
決して、毎日を惰性で生きているつもりはありませんけど。

梅雨の季節なのに、先週までは冷え冷えとした長雨が続きました。
反対に今週は一気に気温が上がり、大雨の地域もあったようですが、関東は概ね晴れています。
なんと昨日、関東では平年より22日も早く梅雨明け宣言しました。

雨が降ってくれなくては作物が心配だ。
降るべき時はしっかり降ってくれないと・・・。

さて、今年も神社では茅の輪が設置されました。
毎年のことですが、今年もぐるぐる回って、お参りします。

作物がよく育ちますように。
実家の母と、猫が健康で過ごせますように。
うちのニャンコも元気でいますように。
末永くこの地、多摩・武蔵野が栄えて、暮らしやすい街でありますように・・・。
そして、この国が明るく元気で末永く暮らせますように・・・。

夏越の大祓い2

Tag : 多摩武蔵野文化自然

東京湾でホエール・ウォッチング

連投の記事があったため、時期を外したがいま東京湾がアツい。

なんと、鯨の目撃情報が寄せられているらしいです。

湾内を航行する漁船で、海ほたるで、葛西臨海公園などでも・・・。
船舶には激突する可能性があるため、海上保安庁が注意を呼び掛けているという。

もともと、日本の海近海には鯨が多く回遊する。
そりゃ、そうですよね。
クジラ猟がおこなわれていたんですから。

お台場レインボー

ただし、東京湾内まで来るのは珍しいそうです。
原因は諸説あるそうですね。
たまたま、東京湾に紛れ込んだ説。
はたまた地震の前触れ・・・。

いまどきの湾内の生息環境がどんなものか不明ですが、ちょこっと呑気な事を言えば「観てみたい」。
かつて、うちにニャンコがいなかった若い頃は、何度もハワイへ行った。
勿論、観光ですが・・・。
オアフ島とハワイ島へ行ったことがあります。
名物のホエール・ウォッチングはマウイ島なのかもしれませんが、行ってみる機会がなかった。
一時期、暮らした北海道のさびれた町でもクジラが観れたらしいけど、生憎観る機会はなかった。

伊豆城ケ崎

おひざ元の東京湾で観れるのならば観てみたい気がする。
偽善的なことをいえば、早く脱出してもとの大海原へ戻ったほうがいいのだろうが・・・。
一時期、多摩川にアザラシが迷い込んで「タマちゃん」と呼ばれ愛された。
タマちゃんはどこへ消えたのか・・・。

わが国では、食文化でもお世話になっている。
海にすむ、僕らと同じ哺乳類。
そして世界最大の生物で、知能も高い。

なんとも神秘的な存在です。
僕の脚元でうろついている毛むくじゃらも神秘的ではありますが・・・。
心が通じるのかもしれない、というところが魅力的ですね。
イルカなんかは触れ合うことで癒し効果があるといいます。

クジラにもあるのかも。
ハワイ島でビーチに海亀が来たとき、レタスを食べさせたことがある。
スピリチュアルな話でも何でもなくて、僕はハワイの自然の力もあってだろうか、心がすごく晴れた気がした。

まぁ、でも行く暇もないし、早く海へお帰りよ。

下田のビーチ2

Tag : 自然

いよいよ夏・・・旬の食べ物で栄養管理

今週は一転変わって、真夏のような日中の気温です。
先週までは長雨ふって、冷え冷えとしていたのに・・・。
鼻風邪引いて、一週間もこじらせ、薬を飲んだ。
激しい気温の変化にはご注意ください。

体調管理のためにも、大切なのは栄養・・・食事です。
ただ、残念なことに夏っていうものは、一年でもっとも食材のお粗末な季節です。
なにしろ、昨年の収穫シーズンからもっとも遠い時期ですから。

夏の食材って、あんまり思いつかないですよね。
それでも野菜が一番、多いでしょうか?

茄子、とうもろこし、枝豆、ゴーヤ、トマト・・・。

枝豆

魚に至っては、ほとんど思い付きません。

カツオ、鱧、ウナギ・・・くらいでしょうか。

肉は?旬の肉なんてありましたっけ。

とうもろこし、枝豆なんかは毎年いっぱい食べます。
塩味でビールに合う。
いかにも夏って感じで嬉しい。

浴衣で、縁側で、枝豆つまみながら納涼ビールなんていいですね。
昔の実家は畳の間と、縁側がありました。
狭いながらも池のある庭があった。
庭で花火をしたり、スイカを食べて種をとばしたりもしました。

ビールもいいけど、体調壊さないように美味しくご飯を食べたいですね。

ベランダ花火2

有徳の軍人、乃木希典(3)

乃木希典は豪快な放蕩癖があったようだ。
ただし、この当時ではこのような放蕩は武人の美徳であったらしい。
給料を色町や料亭で豪快に落とせばそれだけ経済もまわる、というのだろうか・・・。
部下と悪ふざけもしたようだ。
どれがドイツ留学を経て、放蕩生活から足を洗い、真逆のストイックな性格に変貌したそうです。

大山元帥に提出した復命書、レポートのようなものでしょうか。
そこには近代的な合理主義的な戦術や軍事論はなく、すべては精神的なところに帰結するという論文だったようです。
時代的にそのないようが軍部に評価されたのか、あるいは空疎な理想論と一笑に付されたのか。
しかし、その理論はその後の乃木希典の行動規範であったように思えます。
部下への愛情、温情、武人としてのストイシズム。
その限りない優しさが、あれだけの凄惨を極めた旅順要塞攻略戦で発揮された。
乃木旗下の兵たちは、乃木を信じて戦えたのでしょうか。
野戦病院で負傷兵にいたわりの声をかけ、副官にバケツ一杯の氷をもたせ、兵の口にかけらを含ませた。
負傷した兵が寝たまま水を飲ませるのは困難なためだった。
誰もが乃木のために死なんとするのを厭わなかったという。

この本「乃木希典」(福田和也著 文藝春秋社)では冒頭に、現代の日本には有能な人物はたくさんいるが、立派な人はいなくなった、徳のある人はいなくなった、と書いている。
「坂の上の雲」では、乃木の代わりに児玉源太郎の功績により二〇三高地が墜ちたとしています。
軍事的な評価はここでは不明のためわかりません。
しかし、現代の日本が児玉源太郎を高く評価するのは、現代が権能主義に陥っているためとしています。
そして疑問符をつけています。
「能力主義がそんなに重要なことなのか」
それが、現代の日本に「徳のある人がいない」根源なのかもしれないと推測しています。

では、「徳のある人」とはどんな人物なのか。
乃木希典がまさしくその人物であり、遡れば吉田松陰や西郷隆盛などのごとき人物のことだ。
たしかに、いまの日本には有能な人は多いが、この人のためならばと万人にして思わしめるような巨人は皆無だと思う。

日露戦争後、戦没者のために全国に慰霊碑を自費で建立し、弔いをした。
わが故郷、多摩の大國魂神社にも日露戦争の慰霊碑がそびえたっている。
日本中にある慰霊碑は、すべて乃木大将の部下の将兵を包み込む徳と心の現れである。

Tag : 歴史読書

有徳の軍人、乃木希典(2)

誰もが、日本が負けると思っていた日露戦争。
「坂の上の雲」のクライマックスであった日本海会戦で、世界最強と言われていたバルチック艦隊を一方的に撃滅したことも世界の脅威。
なんとも、日露戦争では日本は数々の奇跡的な戦績を残したのです。
意外にもそのことをもっとも知らないのは日本人なのではないか、と思われる。
事実、東郷平八郎や乃木希典らは、海外の軍人の方が尊敬しているようだ。
マッカーサーは乃木大将を崇拝しており、戦後統治下で日本の軍人の像をすべて廃棄させたが、唯一、例外として乃木希典の像だけは、残したそうだ。

さて、乃木大将については軍事面での評価は今回読んだ本、「乃木希典」(福田和也著 文藝春秋社)では詳しくない。
この本ではむしろ、人格面や思想面からアプローチをしている。
それでも、ベースとして「軍事面では低評価」として扱っている。

乃木大将の人となりでもっとも有名なのは、「水師営の会見」です。
旅順要塞を攻略した際の、要塞司令ステッセルとの会見です。
世界中が注目した。
弱者の日本、東洋の小国・日本が大ロシア帝国を破ったのだ。
通常、敗軍の将は降伏会見では帯刀は許されない。
しかし、乃木大将は敗軍の将に敬意を表して帯刀を許した。
そして、世界中のマスコミが写真を撮ることを要望したが、乃木大将は一枚しか許さなかった。
ステッセルの名誉を重んじたのだ。

「敵将(ステッセリ)に失礼ではないか。後々まで恥を残すような写真を撮らせることは日本の武士道が許さぬ」

この乃木の振る舞いは世界的に報道され賞賛された
因みに、ステッセルはロシアでは戦争に負けた罪で死罪となったが、乃木の助命嘆願で大赦された。
その後も、職を失ったステッセルに経済的な支援を私費で続けたそうだ。
ステッセルもその支援を使うことなどせずに、乃木が明治天皇の崩御に殉死したときに日本へその金を送ったそうだ。
「あまりに勿体なくて使えなかった」とのことだ。
なんとも天晴なノーサイドの精神ではないだろうか。
乃木希典の人格に触れて、ステッセル自身も精神的にひとランク上がったのか。
敵将をも感化する高潔な人格、それが乃木希典最大の魅力なのだろう。

< また、つづく >

Tag : 歴史読書

有徳の軍人、乃木希典(1)

乃木希典・・・。
日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。

おそらく日本人がもっともよく知っている乃木希典の戦は「坂の上の雲」にある旅順要塞攻囲戦と二〇三高地の激戦です。
因みに「坂の上の雲」では、司馬遼太郎は乃木希典については酷評、批判し、そのように描いています。

僕の乃木大将についての認識もつい近年までそのようなものでした。
一方で、乃木大将については世界的に賞賛されています。
降伏したロシア将兵に対する寛大な処置など、人格面で敬意を集めているようです。
トルコなどでは乃木希典の名を冠する通りがあったり、日本にだって乃木神社や乃木坂などの地名があります。
何故にこれほどまでに評価が割れるのでしょうか?
通常は「偉人伝」となるような人物は、万人に高い評価を得るもの・・・という見方がこれまでの社会にあったようです。
全ての人に愛される人なんて本当は存在しないのだ。

乃木大将の武功でも、もっとも大きな上記の日露戦争での戦いについては、認識のギャップがあるようです。
ご承知の通り、旅順要塞の攻略では多くの将兵が犠牲となり、その数6万以上と言われてます。
そして、半年以上も攻略に時間がかかったことも加算されます。
乃木私邸には一般人からの投石などもあったそうです

近代的な要塞攻略戦というものは、恐ろしいほどの犠牲を払うもの、だそうです。
当時の常識では要塞攻撃で損失する兵士の数は30万人を超すのだとか。
まして、旅順要塞は近代の粋を極めた当時最新型の要塞で、不落の要塞と言われていたそうです。
人命を数で評価してはなりませんが、おそらくその超近代的な要塞をたった6万人の犠牲で攻略したとあれば脅威と思われます。僕もこの話を知って納得した。

< つづく >

Tag : 歴史読書

白米のうまさ際立つアジの干物

最近、肉食を解禁したことは既に報告済みですが・・・。
やっぱり魚喰いの日本人には、肉より魚というお話です。

このところ、美味しい魚がなかなか手に入らなくて豚や牛のモツやらがおかずになることが多いです。
味噌煮込みなども美味しいのですが、手間暇を考えるとじゅっと焼くのが簡単。
なので、焼き肉のたれをかけて焼いたりしてました。

味は濃厚なので、とってもご飯が進みます。
最近はいただきもののお米などをいただいてます。
コシヒカリは確かに美味しい。

さて、さすがに肉が続いているな、と反省してアジの干物が安価なパックで買えました。
アジの干物は、とても好きです。
特に温泉旅館などでの小食にアジの干物が、海苔や味噌汁なんかと一緒に並んでいると何膳でもいけそう。
そんな、こんなでコシヒカリと一緒にいただきます。

味気が足りないかな、なんて思ったので納豆を付けたんですよ。
納豆ごはんにアジの干物なんてのも、温泉旅館風でいいじゃないですか・・・。
でもね、納豆もよけて単純にアジの干物だけで、頬張ってみました。

アジの干物

なんと!メチャクチャ美味い!
納豆すらいらないじゃないか!!

コシヒカリの圧倒的な存在感。
焼肉のたれなんかで食べていると、米の味が本当に楽しめてなかった。
単純なものほど、美味いのですね。
これだから、肉食ばかりじゃ健康を損ねるわけだ・・・。

やっぱり、日本人には魚が一番。
はまちとかブリの刺身なんかもいいかもね。

天空低く、鮮やかに光る宵の明星

長庚(チョウコウ)という言葉を知っていますでしょうか。

こんなことを訊く、僕はそれまで知りませんでした。
意味は、「宵の明星」・・・つまり、日没後に輝く金星のことです。
本来は明けの明星を啓明,宵の明星を長庚または太白と呼んで区別したそうです。
「ゆうづつ」とも読むそうです。

僕がこの言葉を知ったきっかけは、与謝蕪村の本を通じてです。
「長庚」は蕪村が自らの画号として用いました。
もっとも、蕪村の画号はこれだけではありません。
四明・朝滄・長庚・春星、晩年には謝寅と、ころころと変えています。
特に、「長庚」に固執したわけではないようです。

蕪村と言えば、おそらくはみんながみんな俳人としての蕪村を思い浮かべるでしょう。
しかし、蕪村はれっきとして画人です。
江戸時代に池大雅などと並び称される南画の大家と称されます。
僕自身、日本の絵画では田能村竹田とか、蕪村の絵がとても好きです。
ああいった感じの、日本的な山水画、文人画が理想と考えています。

夕月

さて、蕪村はどういった想いで、金星、宵の明星と名乗ったのでしょう。
金星は、天文学的には全天球で三番目に明るい星です。
一番はいうまでもなく太陽、次いで月です。
明るさはマイナス4・4等級。
いうまでもなく、太陽系の内側から二番目の惑星で、地球の内側を廻る星です。
厚い大気に包まれているため、太陽からの反射光が強く、明るくみえるそうです。
内側を廻っているために、一番明るくみえるのが日が暮れたのちの数時間、または日が昇る前の数時間。
このときを、「宵の明星」「明けの明星」という訳ですね。
つまりは太陽から近いために、こんな時間帯にしか見えないわけですね。
間違っても、真夜中の天頂高くみえる星ではない。

それでも、強く明るく光るこの星に蕪村は共鳴したのでしょう。
それが「宵の明星」ということは、人生の晩年から輝いたことを示しているのではないでしょうか。
人生の遅い時期に、てっぺんではないけども、強く明るく光る星。
それが「長庚」。

僕もおおいに憧れを感じ、共感します。

軽井沢見晴台2

Tag : 文化歴史自然美術日本画

大阪北部地震に哀悼の意を

6月18日、朝の通勤時間帯の関西首都圏を大阪北部地震が直撃しました。
僕も通勤の途中でしたし、職場へ着くまでそんなことなどつゆ知らず・・・。

知ったのは職場でのことです。
関西エリア・・・というか大阪にある拠点が麻痺しているとのこと。
通勤時間帯のことなので、交通機関へ影響があったのと、エレベーターが動かないため職場へ辿り着けない人が大勢したらしい。
僕の仕事に直接的な影響はありませんでしたが、関西方面のバックアップ要員を手配するために、巡り巡って僕へも支援要請があった。
震災の事なので仕方ない。

僕は1995年1月17日に大阪にいた。
あれも朝、未明の事。
三連休明けの朝で、僕は前日まで東京へ帰っていた。
新幹線で眠ってしまったため、夜は寝つきが悪くて明け方の朦朧とした意識の時に揺れた。

棚から目覚まし時計やら、いろんなものが落っこちた。
意識朦朧としたろころへ大揺れしたので、「うわー」とか大きな声を出したと思う。
それだけびっくりしたのだ。

テレビをつけると、巨大な地震だったことがわかる。
もっと恐ろしかったのは、刻々と被害状況が想像を次々上回ることだ。
その極め付けだったのは阪神高速が横転していたというニュースだ。
あんな恐ろしいニュースはなかった。
僕自身、仕事でよく通るルートだったからだ。

大阪には4年間いた。
なんだかんだあったが、今でも懐かしい場所。
既に亡くなった方もいるが、よくしていただいた方も大勢いる。
いくら大きな地震とはいえ、そう滅多なことはないと思うが・・・。
阪神大震災だって、あれだけ大きな地震だったが知人で被災者はいたが亡くなった方はいない。

心からお見舞する。
コンクリート塀が倒壊してなくなった女児もいたという。
なんとも痛ましいことだと思う。
心から哀悼の意を表したい。

西に富士山

二十四節気・今日は夏至

二十四節気なんて、難しい(?)ことを言わなくても、今日は「夏至」。
ちいさな子供だって、知っている子は知っています。
一年で一番、日が出てている時間が長い日です。

ガクアジサイ

昼間の時間が長いといっても、日の出の時間と日没の時間が一番早かったり遅かったりではないようです。
夏至の日よりも、日の出が早い日があったり、日没の遅い日もあるようです。
一年で日照時間のもっとも長い日が夏至という事です。

とはいっても、日本では夏至の時期は梅雨で雨模様。
あんまり日照は気づきにくいようですね。
でも、作物の心配をする農家の方には極めて重要な季節です。
欧米では特に、クリスマスと同じくらいのイベントがあるようです。
北欧なんかは特にそうなんでしょうね。

日本では特にお祭りや風習などはありませんが、地域ごとに食べるものがあるようです。
僕はいただいたことはありませんが、小麦餅というものがあるそうです。
関西ではタコを食べるのだとか。
四年ほど大阪で暮らしましたが、そんなこと知りませんでした。
まぁ、一年中たこ焼きは食べましたが・・・。

夏至の風習ではありませんが、もうじき神社で茅の輪が飾られます。
夏越の大祓いの行事がありますね。
今年もぐるぐる回ってきます。

不忍池の蓮1

Tag : 多摩武蔵野自然天文

プロフィール

無心庵ひょっとこ斎

Author:無心庵ひょっとこ斎
郷土と自然とネコをこよなく愛する多摩っこ。

愛猫:
「うず」(十一歳没)
→*「愛猫思い出」(↓カテゴリ)

「小うず」二代目。H27年生。♂
→*「ネコ煩悩」」(↓カテゴリ)

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