無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
新しいウォーキング・シューズ
今の職場はビジネス・カジュアル。
ネクタイの嫌いな僕としては大変助かる。
いや、これも仕事を決めるときのポイントのひとつでした。
なので、現在はジャケットにスラックス、ワイシャツはそれまでも使っていたものを。
首輪がないだけでも、だいぶ気が楽です。
さて、靴は?
それまでの僕はリーガルの革靴ばかりはいていました。
しかも、ローファーばかりです。
北海道では、リーガルでも靴底がスタッドレスタイヤみたいなのがありました。
いまでも持っていて、雪の日に使うことがあります。
礼装のときだけは、しっかりとしたひも付きのものを持っています。
これは社会人としての基本ですから、外せません。
いまどきは、靴の事情も変わってきました。
ビジネス用でもウォーキング・シューズよろしく、快適なものがあります。
ちゃんとしたビジネス用としては無理ですが、ビジネス・カジュアルなら全然OK。
本当に、まるでスニーカーのような履き心地です。
これなら、休みの日でも対応できそう。
いつも、靴は最低2色。
黒とブラウン。
もう少し渋い色が好みなのですが、カラーバリエーションがこのブラウンだけだった。
歩いているときも、座っているときも、足になじんで気分のいいものがいい。
堅苦しい服も、堅苦しい靴も、ちょっと苦手です。
ネクタイの嫌いな僕としては大変助かる。
いや、これも仕事を決めるときのポイントのひとつでした。
なので、現在はジャケットにスラックス、ワイシャツはそれまでも使っていたものを。
首輪がないだけでも、だいぶ気が楽です。
さて、靴は?
それまでの僕はリーガルの革靴ばかりはいていました。
しかも、ローファーばかりです。
北海道では、リーガルでも靴底がスタッドレスタイヤみたいなのがありました。
いまでも持っていて、雪の日に使うことがあります。
礼装のときだけは、しっかりとしたひも付きのものを持っています。
これは社会人としての基本ですから、外せません。
いまどきは、靴の事情も変わってきました。
ビジネス用でもウォーキング・シューズよろしく、快適なものがあります。
ちゃんとしたビジネス用としては無理ですが、ビジネス・カジュアルなら全然OK。
本当に、まるでスニーカーのような履き心地です。
これなら、休みの日でも対応できそう。
いつも、靴は最低2色。
黒とブラウン。
もう少し渋い色が好みなのですが、カラーバリエーションがこのブラウンだけだった。
歩いているときも、座っているときも、足になじんで気分のいいものがいい。
堅苦しい服も、堅苦しい靴も、ちょっと苦手です。
世界でもっとも歴史と伝統ある天皇の八千代を願う(2)
「そもそも、男系男子による継承は、皇族から外部の男性を排除するものだ。女性差別や女性蔑視ではない。むしろ男性差別なのだ。」
これは、「真相深入り!虎の門ニュース」のレギュラーコメンテータの竹田恒泰さんの受け入りである。
実際、僕もこの一言で「女性宮家問題」から決別できた。
歴史上も道鏡事件などで深刻な皇統の断絶の危機があったのだ。
幸いにして、この意見には女性からも理解を得られたようだ。
困ったことに、竹田恒泰さんは女性に受けが悪いようだ。
「あんな人が皇籍に入るのはいや~!」
との叫び声まであった。
いや、まて。
僕はそんなこと言っていない。
また、ふたたび同氏の言葉を引用し、
「皇籍復帰が認められないのであれば、新生児を養子にするなど、男系を継続する方法はある」
悪評高い新聞やマスメディアのせいでなのだろうか、自虐史観と同根だろうか。
そもそも、男系の歴史二千七百年を否定する人もいた。
「そんな話、眉唾だ。絶対に途切れてるよ!」
そういう人こそ、妄想に支配されていることに気が付いていない。
ならば、途切れたという根拠を示してほしい。
「そうに違いない」・・・それが妄想というのだ。
巷に横行する陰謀論とやらの方が、まだ信憑性があるというものだ。
・・・・・
その場の盛り上がりのせいもあったが、僕もちょっとまくし立ててしまった。
さて、この話を切り出したご本人は、ちょっと押されたせいか低い声で。
「ちょっと待って。女性宮家の問題って、フェミニズムと捉えられているの?」
よくある論点のすり替えってやつだ。
だが、よくよく考えてみれば、フェミニズム以外になにがあるのか?
そもそも、フェミニズムに何か悪い印象でもあるのか?
僕は田嶋陽子などのフェミニズム論者が女性宮家を主張していることを挙げて、その場は応えたのだが・・・。
憲法問題と同じく、皇室典範についても改正を阻む勢力があると聞く。
GHQごときが押し付けたものなど、変えてしまえばいい。
流石に時代が側室など認めないだろうが、旧宮家のご復帰や、養子縁組(旧宮家からの男子に限る)などについては最低限認めるべき。
もう70年以上も経っているのだ。
GHQ自体、もう有り難がっている国民もいないのに・・・。
有り難がっているのは、反日勢力ばかりなり・・・。
国民が皇室の未来を縛っているだけではないか。
民進党などは、憲法改正の議論をするなら女性宮家の検討を、と皇室を人質にとるような暴挙をしている。
天皇、皇室の政治利用とはまさにこのことだ。
そもそも、民進党や共産党、社民党が皇室の安寧を願っているとは到底思えない。
女性宮家を検討すべき、などど言っている人は、賛成論者が民進党、共産党、社民党、朝日新聞・・・であることに疑問を持たないのだろうか。
先ほどの人は、歴史での継体天皇の際の皇位継承の顛末もご存知のようだった。
歴史に詳しい人であっても、日々購読している新聞の影響を受けて、歴史と結びつけていない。
歴史的な経緯や伝統を理解している国民ばかりではない。
大多数の国民はそんなことに無関心なのだ。
なにしろ、投票率が上がるとおかしな政権が生まれてしまう国なのだ。
皇位継承問題を仮に国民投票などで決められたら、と思うとゾッとする。
だが、僕は意見が違っていても、みんな天皇や皇室の御存在を大切に思っていることはわかった。
天皇はいつも国民の平和と安寧をお祈りいただいている。
畏れ多くも、そんな天皇や皇室をお守りするのは、僕たち一人一人なのだと思う。
そんなことを書いている横で、本日のニュースで「女性宮家創設」を検討俎上にのせる云々の報道があった。
あくまでも検討にのせるというだけであるが、なんたることか。
過日、国連なんとか委員会が日本の天皇が女性を対象としていないことに対して差別だ、云々の文言を織り込もうとした。
日本政府は「日本のもっとも重要な伝統ある皇統について干渉するな」とはねのけた。
その点において安心していたのだが、どうやらそうでもなさそうだ。
これは、「真相深入り!虎の門ニュース」のレギュラーコメンテータの竹田恒泰さんの受け入りである。
実際、僕もこの一言で「女性宮家問題」から決別できた。
歴史上も道鏡事件などで深刻な皇統の断絶の危機があったのだ。
幸いにして、この意見には女性からも理解を得られたようだ。
困ったことに、竹田恒泰さんは女性に受けが悪いようだ。
「あんな人が皇籍に入るのはいや~!」
との叫び声まであった。
いや、まて。
僕はそんなこと言っていない。
また、ふたたび同氏の言葉を引用し、
「皇籍復帰が認められないのであれば、新生児を養子にするなど、男系を継続する方法はある」
悪評高い新聞やマスメディアのせいでなのだろうか、自虐史観と同根だろうか。
そもそも、男系の歴史二千七百年を否定する人もいた。
「そんな話、眉唾だ。絶対に途切れてるよ!」
そういう人こそ、妄想に支配されていることに気が付いていない。
ならば、途切れたという根拠を示してほしい。
「そうに違いない」・・・それが妄想というのだ。
巷に横行する陰謀論とやらの方が、まだ信憑性があるというものだ。
・・・・・
その場の盛り上がりのせいもあったが、僕もちょっとまくし立ててしまった。
さて、この話を切り出したご本人は、ちょっと押されたせいか低い声で。
「ちょっと待って。女性宮家の問題って、フェミニズムと捉えられているの?」
よくある論点のすり替えってやつだ。
だが、よくよく考えてみれば、フェミニズム以外になにがあるのか?
そもそも、フェミニズムに何か悪い印象でもあるのか?
僕は田嶋陽子などのフェミニズム論者が女性宮家を主張していることを挙げて、その場は応えたのだが・・・。
憲法問題と同じく、皇室典範についても改正を阻む勢力があると聞く。
GHQごときが押し付けたものなど、変えてしまえばいい。
流石に時代が側室など認めないだろうが、旧宮家のご復帰や、養子縁組(旧宮家からの男子に限る)などについては最低限認めるべき。
もう70年以上も経っているのだ。
GHQ自体、もう有り難がっている国民もいないのに・・・。
有り難がっているのは、反日勢力ばかりなり・・・。
国民が皇室の未来を縛っているだけではないか。
民進党などは、憲法改正の議論をするなら女性宮家の検討を、と皇室を人質にとるような暴挙をしている。
天皇、皇室の政治利用とはまさにこのことだ。
そもそも、民進党や共産党、社民党が皇室の安寧を願っているとは到底思えない。
女性宮家を検討すべき、などど言っている人は、賛成論者が民進党、共産党、社民党、朝日新聞・・・であることに疑問を持たないのだろうか。
先ほどの人は、歴史での継体天皇の際の皇位継承の顛末もご存知のようだった。
歴史に詳しい人であっても、日々購読している新聞の影響を受けて、歴史と結びつけていない。
歴史的な経緯や伝統を理解している国民ばかりではない。
大多数の国民はそんなことに無関心なのだ。
なにしろ、投票率が上がるとおかしな政権が生まれてしまう国なのだ。
皇位継承問題を仮に国民投票などで決められたら、と思うとゾッとする。
だが、僕は意見が違っていても、みんな天皇や皇室の御存在を大切に思っていることはわかった。
天皇はいつも国民の平和と安寧をお祈りいただいている。
畏れ多くも、そんな天皇や皇室をお守りするのは、僕たち一人一人なのだと思う。
そんなことを書いている横で、本日のニュースで「女性宮家創設」を検討俎上にのせる云々の報道があった。
あくまでも検討にのせるというだけであるが、なんたることか。
過日、国連なんとか委員会が日本の天皇が女性を対象としていないことに対して差別だ、云々の文言を織り込もうとした。
日本政府は「日本のもっとも重要な伝統ある皇統について干渉するな」とはねのけた。
その点において安心していたのだが、どうやらそうでもなさそうだ。
Tag : 歴史
世界でもっとも歴史と伝統ある天皇の八千代を願う(1)
先日、知人たちと食事をしていたときのこと。
巷でも大いに賑わっていた秋篠宮・眞子内親王殿下のご婚約の話になった。
世界に誇れる日本の皇室。
その皇女のおひとりが此度、大学時の同級生との恋を実らせ、めでたくゴールインなされる。
日本国民はまるで我がことのように喜んだ。
僕もこんな組み合わせ、有り得るんだなぁ、と思った。
よいことだ。
朝鮮半島情勢やテロ事件、海外でのこととはいえいつ火の粉が降りかかるかという緊迫した情勢。
暗い話題というよりも、不安が世の中を支配していた。
このようなときに、我らが日本の皇室は明るい話題を与えてくれる。
有り難いお話であり、そのお幸せを心から願うものである。
話は当事者である眞子内親王殿下に留まることなく、佳子内親王殿下や敬宮内親王殿下、雅子皇太子妃殿下にまで拡がる。
みんな日本の皇室を大切に思っているのだ。
同席の一人がこのような話を始めた。
「愛子様はどうなるのか。(皇室の)女性は結婚すると皇籍から離脱しなければならない。皇太子様の長女なのに天皇にはなれない。」
「日本政府はいつまでたっても、女性宮家の検討もしようとしない。する気がないのだろう。まったく日本はいつまでたっても遅れている。」
いつの間にか、日本批判、政府批判、そして男性批判へとなっていた。
おいおい、女性宮家だって?
皇統二千七百年の歴史と伝統を「遅れている」って、意味不明だ。
因みにこの方はもと教職員で、朝日新聞購読者。
普段の言動からも、マスメディアの影響が色濃く出ている。
平素はいたって普通の人だが、職業柄その場をリードするような気質がある。
同席の女性たちを敵に回し兼ねないが、事は重大な皇室問題。
他の人が安直に同調するとよろしくないので、衝突を覚悟で反対見解を述べた。
「天皇は日本古来よりの伝統社会・文化の象徴なのだから、フェミニズムを持ち込むのはおかしい。男系男子による継承という二千七百年の歴史と伝統を重んずるべきだ。」
やはり衝突してしまったが、続けざまに言った。
「そもそも、男系男子による継承は、皇族から外部の男性を排除するものだ。女性差別や女性蔑視ではない。むしろ男性差別なのだ。」
これは、「真相深入り!虎の門ニュース」のレギュラーコメンテータの竹田恒泰さんの受け入りである。
実際、僕もこの一言で「女性宮家問題」から決別できた。
歴史上も道鏡事件などで深刻な皇統の断絶の危機があったのだ。
幸いにして、この意見には女性からも理解を得られたようだった。
<つづく>
巷でも大いに賑わっていた秋篠宮・眞子内親王殿下のご婚約の話になった。
世界に誇れる日本の皇室。
その皇女のおひとりが此度、大学時の同級生との恋を実らせ、めでたくゴールインなされる。
日本国民はまるで我がことのように喜んだ。
僕もこんな組み合わせ、有り得るんだなぁ、と思った。
よいことだ。
朝鮮半島情勢やテロ事件、海外でのこととはいえいつ火の粉が降りかかるかという緊迫した情勢。
暗い話題というよりも、不安が世の中を支配していた。
このようなときに、我らが日本の皇室は明るい話題を与えてくれる。
有り難いお話であり、そのお幸せを心から願うものである。
話は当事者である眞子内親王殿下に留まることなく、佳子内親王殿下や敬宮内親王殿下、雅子皇太子妃殿下にまで拡がる。
みんな日本の皇室を大切に思っているのだ。
同席の一人がこのような話を始めた。
「愛子様はどうなるのか。(皇室の)女性は結婚すると皇籍から離脱しなければならない。皇太子様の長女なのに天皇にはなれない。」
「日本政府はいつまでたっても、女性宮家の検討もしようとしない。する気がないのだろう。まったく日本はいつまでたっても遅れている。」
いつの間にか、日本批判、政府批判、そして男性批判へとなっていた。
おいおい、女性宮家だって?
皇統二千七百年の歴史と伝統を「遅れている」って、意味不明だ。
因みにこの方はもと教職員で、朝日新聞購読者。
普段の言動からも、マスメディアの影響が色濃く出ている。
平素はいたって普通の人だが、職業柄その場をリードするような気質がある。
同席の女性たちを敵に回し兼ねないが、事は重大な皇室問題。
他の人が安直に同調するとよろしくないので、衝突を覚悟で反対見解を述べた。
「天皇は日本古来よりの伝統社会・文化の象徴なのだから、フェミニズムを持ち込むのはおかしい。男系男子による継承という二千七百年の歴史と伝統を重んずるべきだ。」
やはり衝突してしまったが、続けざまに言った。
「そもそも、男系男子による継承は、皇族から外部の男性を排除するものだ。女性差別や女性蔑視ではない。むしろ男性差別なのだ。」
これは、「真相深入り!虎の門ニュース」のレギュラーコメンテータの竹田恒泰さんの受け入りである。
実際、僕もこの一言で「女性宮家問題」から決別できた。
歴史上も道鏡事件などで深刻な皇統の断絶の危機があったのだ。
幸いにして、この意見には女性からも理解を得られたようだった。
<つづく>
Tag : 歴史
ぽんぽん、見せて!
にゃんこの可愛い姿にはネコ好きは全面的にお手上げ。
ネコと一緒に暮らす人には、誰でもそんなポーズがあるはず。
「うず」のそれは、「お願い」ポーズでした。
立ち上がって、両手を拝むように合わせてシェイク、シェイク。
どうみても、「お願い」してるようにしかみえない。
こんな姿でごはんをねだられたら、ついついあげちゃいたくなります。
お蔭で、「うず」は肥満児だった。
「小うず」は「お願い」してくれないけど、こいつはネコの得意な「お腹丸出し」ポーズ。
通称「ぽんぽん」。
毎日家に帰ると玄関でぽんぽん丸出し。
かわいいぽんぽん。
ついつい手で撫でてしまいます。
ずるいよなぁ。
これ絶対、確信犯的にやっているよね。
こっちが、このポーズに弱いって・・・。
分かっていても、癒されるかわいいぽんぽん。
動物的には「服従」の態勢なのだとか・・・。
でも、そんな色気のない態勢には思えません。
こいつは悪意を持って(笑)、こっちを服従させるポーズをとっているに違いない!
ネコと一緒に暮らす人には、誰でもそんなポーズがあるはず。
「うず」のそれは、「お願い」ポーズでした。
立ち上がって、両手を拝むように合わせてシェイク、シェイク。
どうみても、「お願い」してるようにしかみえない。
こんな姿でごはんをねだられたら、ついついあげちゃいたくなります。
お蔭で、「うず」は肥満児だった。
「小うず」は「お願い」してくれないけど、こいつはネコの得意な「お腹丸出し」ポーズ。
通称「ぽんぽん」。
毎日家に帰ると玄関でぽんぽん丸出し。
かわいいぽんぽん。
ついつい手で撫でてしまいます。
ずるいよなぁ。
これ絶対、確信犯的にやっているよね。
こっちが、このポーズに弱いって・・・。
分かっていても、癒されるかわいいぽんぽん。
動物的には「服従」の態勢なのだとか・・・。
でも、そんな色気のない態勢には思えません。
こいつは悪意を持って(笑)、こっちを服従させるポーズをとっているに違いない!
一足お先に梅雨が来た模様です
ぐずついた日が続きましたが、まだ梅雨入りは先のようです。
少しだけ空気が落ち着いて、ひんやりいい気持ち。
小庵のベランダには、一足早く梅雨がきたみたいです。
さぁ、今年の紫陽花が色づきました。
ご覧ください、今年は豪華です。
毎年毎年花を咲かせてくれますが、今年のような豊作(?)は初めて。
植え替えをして、3年目くらいでしょうか。
ようやく、しっかりと根を下したのかな・・・。
一方、昨年デビューのガクアジサイはまだ準備中。
こちらも蕾がいくつか出来ています。
今年も、5月から日差しが強烈ですよね。
巷では「夏が早い」とかいいますが、僕はあの鬱陶しい湿気がなければ大丈夫。
まぁ、日中はオフィスにいますから、あんまり暑さも感じませんけどね。
夕方になれば、多少昼間の暑さの名残はありますが、まだいい季節です。
俳句なんかの季語の世界では5月は夏です。
それを考えると、巷の反応は的外れですね。
「夏が早い」ではなくて、「もう夏」なんですから・・・。
お布団も、薄手のものに変えました。
油断大敵ですから、夜はまだまだぴっちり閉めています。
齢を重ねると、健康管理もベテランですね。
むしろ若い人の方が風邪ひいたり、体調壊したり・・・。
もとい、鬱陶しい湿気を梅雨が連れてこないうちに・・・。
気分よく紫陽花を楽しみましょう。
少しだけ空気が落ち着いて、ひんやりいい気持ち。
小庵のベランダには、一足早く梅雨がきたみたいです。
さぁ、今年の紫陽花が色づきました。
ご覧ください、今年は豪華です。
毎年毎年花を咲かせてくれますが、今年のような豊作(?)は初めて。
植え替えをして、3年目くらいでしょうか。
ようやく、しっかりと根を下したのかな・・・。
一方、昨年デビューのガクアジサイはまだ準備中。
こちらも蕾がいくつか出来ています。
今年も、5月から日差しが強烈ですよね。
巷では「夏が早い」とかいいますが、僕はあの鬱陶しい湿気がなければ大丈夫。
まぁ、日中はオフィスにいますから、あんまり暑さも感じませんけどね。
夕方になれば、多少昼間の暑さの名残はありますが、まだいい季節です。
俳句なんかの季語の世界では5月は夏です。
それを考えると、巷の反応は的外れですね。
「夏が早い」ではなくて、「もう夏」なんですから・・・。
お布団も、薄手のものに変えました。
油断大敵ですから、夜はまだまだぴっちり閉めています。
齢を重ねると、健康管理もベテランですね。
むしろ若い人の方が風邪ひいたり、体調壊したり・・・。
もとい、鬱陶しい湿気を梅雨が連れてこないうちに・・・。
気分よく紫陽花を楽しみましょう。
お花屋さん、土いじりに憧れる
そんなに甘い商売じゃないよ・・・。
そんなことわかっていても、やっぱりお花屋さんは憧れる。
鉢植えや、切り花に囲まれて一日中過ごしてみたい。
お花畑で過ごしてみたい。
土をいじるのって、何故か楽しいんですよね。
学校などで花壇や畑に手を突っ込んで土いじりをしたことを思い出す。
生憎と小庵には地面がないけれども、仕方ないから鉢植えで我慢する。
手や指が地面からなにかを感じ取っていると思います。
生命のエネルギー?
地球のエネルギー?
お花じゃなくても、いいんですよ。
野菜でも、芝生でも・・・。
人の根本的な労働、作業なんでしょうね。
土から命ある作物を作って、その命のエネルギーをいただく。
お花屋さん、そして農家・・・。
青臭い理想論でしょうけれども、それでもやはり根源的なものを感じるからしてみたい。
そんなことわかっていても、やっぱりお花屋さんは憧れる。
鉢植えや、切り花に囲まれて一日中過ごしてみたい。
お花畑で過ごしてみたい。
土をいじるのって、何故か楽しいんですよね。
学校などで花壇や畑に手を突っ込んで土いじりをしたことを思い出す。
生憎と小庵には地面がないけれども、仕方ないから鉢植えで我慢する。
手や指が地面からなにかを感じ取っていると思います。
生命のエネルギー?
地球のエネルギー?
お花じゃなくても、いいんですよ。
野菜でも、芝生でも・・・。
人の根本的な労働、作業なんでしょうね。
土から命ある作物を作って、その命のエネルギーをいただく。
お花屋さん、そして農家・・・。
青臭い理想論でしょうけれども、それでもやはり根源的なものを感じるからしてみたい。
ボクのサラダ食べ放題!
この子もやっぱり野菜を取りたいのかな・・・?
という訳で、先日アシタバを植えたときに残った土を小さな鉢に入れて、猫草の種を蒔きました。
ベランダに置きっぱなしにしておいたのですが、あっという間に伸びてくれました。
やぁ、なんだかすっかり大盛りサラダ。
「うず」はよく食べていました。
パクパクと、多少は散らかしたけど、葉っぱの先を食いちぎって上手に食べていた。
猫草がないのときには、観賞用においてあった笹の葉を食べてしまっていた。
猫草を食べたがるのは、年齢にも関係があるのでしょうか。
どうにも、「小うず」は散らかすだけにしか見えません。
根っこから引っこ抜いて散らかしているだけ。
でも、こういうことをしているなかで、徐々に食べるようになるのかもしれません。
猫草を食べることで、お腹の中の体毛を便として出すのに役立つそうです。
因みに「小うず」には週に2~3回、ラキサトーンを与えていますが・・・。
こいつは変わった子で、ラキサトーンやハミガキの時、グリグリと喜ぶんですよね。
甘えたがり屋で、助かります。
という訳で、先日アシタバを植えたときに残った土を小さな鉢に入れて、猫草の種を蒔きました。
ベランダに置きっぱなしにしておいたのですが、あっという間に伸びてくれました。
やぁ、なんだかすっかり大盛りサラダ。
「うず」はよく食べていました。
パクパクと、多少は散らかしたけど、葉っぱの先を食いちぎって上手に食べていた。
猫草がないのときには、観賞用においてあった笹の葉を食べてしまっていた。
猫草を食べたがるのは、年齢にも関係があるのでしょうか。
どうにも、「小うず」は散らかすだけにしか見えません。
根っこから引っこ抜いて散らかしているだけ。
でも、こういうことをしているなかで、徐々に食べるようになるのかもしれません。
猫草を食べることで、お腹の中の体毛を便として出すのに役立つそうです。
因みに「小うず」には週に2~3回、ラキサトーンを与えていますが・・・。
こいつは変わった子で、ラキサトーンやハミガキの時、グリグリと喜ぶんですよね。
甘えたがり屋で、助かります。
哲学の向こう側へ・・・「人生は残酷である」(4)
哲学の本にしては、わかりやすいのはこの本が現実世界を題材にしているからです。
それにしても、これだけご自身の政治思想を暴露している本も珍しいのでは・・・。
あるいは、僕があまり知らないだけで、既に哲学の分野ではこうなのか。
筆者はかつての日本の首相・田中角栄氏に心酔していることを書いています。
昨年、石原新太郎氏が著書で角栄氏を取り上げて、話題をさらったということですが、僕はこのことも正直知りません。
角栄氏が現役時代は僕はまだまだ少年だったので、その政治手腕や政策などを評価することもできませんでした。
角栄氏で思い起こす最初の事はやはり「ロッキード事件」で、「汚職」というキーワードです。
確かに辣腕でカリスマ的政治家であったことは記憶にあります。
さらには、森喜朗元首相も評価に値する政治家と書いています。
さすがになぁ、と思いつつも、僕の記憶は確かにマスコミの植えつけたものに違いありません。
メディアに貶められた国士の政治家が多くいるように、これらの人物もまた貶められた人々だったのでしょうか。
そう、考えると僕たちはメディアであったり、米国やチャイナ、朝鮮のような国々に大いに国益や名誉を棄損されてきているようです。
そう、この本は最終的には現代の左翼マスコミを代表とするリベラルに対する批判を伝えているようです。
哲学に拠って、リベラリズムの自己矛盾を問うているようです。
例えば、フォークシンガーなどのようなミュージシャンが美しい世界を夢見て、国境や民族を越えて世界平和を謳うことを「稚拙な前意識」と呼んでいます。
謳い上げている言葉は美しいものだけれども、それらは現実社会との矛盾をなんら考察していない。
国境や国家を否定することが、アナーキズムであることを理解してない、国家が自分たちの生存や権利、富を保障していることすら自覚していない。
自分たちの住むこの世界を否定しながらも、自分自身はそこから一歩引いて他人事のように批判しているだけなのだ、と。
他にも日韓問題や日中の歴史認識の問題、日教組や安保闘争などを例示し、サルトルの実存主義を批判しています。
まぁ、ざっくりとまとめるのがちょっと日記ざらっと書くだけでは時間も考察も僕自身足りていないようです。
ですが、これまでに読んできたどのような哲学の本よりも、現実的でかつ、時代に即した形で理解が進む本だと思います。
日々我々が感じつつある既存のリベラルや左翼的思想の綻びが、哲学的にも証明できるということだと思うのです。
<ちょっと苦しいけどおしまい>
それにしても、これだけご自身の政治思想を暴露している本も珍しいのでは・・・。
あるいは、僕があまり知らないだけで、既に哲学の分野ではこうなのか。
筆者はかつての日本の首相・田中角栄氏に心酔していることを書いています。
昨年、石原新太郎氏が著書で角栄氏を取り上げて、話題をさらったということですが、僕はこのことも正直知りません。
角栄氏が現役時代は僕はまだまだ少年だったので、その政治手腕や政策などを評価することもできませんでした。
角栄氏で思い起こす最初の事はやはり「ロッキード事件」で、「汚職」というキーワードです。
確かに辣腕でカリスマ的政治家であったことは記憶にあります。
さらには、森喜朗元首相も評価に値する政治家と書いています。
さすがになぁ、と思いつつも、僕の記憶は確かにマスコミの植えつけたものに違いありません。
メディアに貶められた国士の政治家が多くいるように、これらの人物もまた貶められた人々だったのでしょうか。
そう、考えると僕たちはメディアであったり、米国やチャイナ、朝鮮のような国々に大いに国益や名誉を棄損されてきているようです。
そう、この本は最終的には現代の左翼マスコミを代表とするリベラルに対する批判を伝えているようです。
哲学に拠って、リベラリズムの自己矛盾を問うているようです。
例えば、フォークシンガーなどのようなミュージシャンが美しい世界を夢見て、国境や民族を越えて世界平和を謳うことを「稚拙な前意識」と呼んでいます。
謳い上げている言葉は美しいものだけれども、それらは現実社会との矛盾をなんら考察していない。
国境や国家を否定することが、アナーキズムであることを理解してない、国家が自分たちの生存や権利、富を保障していることすら自覚していない。
自分たちの住むこの世界を否定しながらも、自分自身はそこから一歩引いて他人事のように批判しているだけなのだ、と。
他にも日韓問題や日中の歴史認識の問題、日教組や安保闘争などを例示し、サルトルの実存主義を批判しています。
まぁ、ざっくりとまとめるのがちょっと日記ざらっと書くだけでは時間も考察も僕自身足りていないようです。
ですが、これまでに読んできたどのような哲学の本よりも、現実的でかつ、時代に即した形で理解が進む本だと思います。
日々我々が感じつつある既存のリベラルや左翼的思想の綻びが、哲学的にも証明できるということだと思うのです。
<ちょっと苦しいけどおしまい>
Tag : 読書
哲学の向こう側へ・・・「人生は残酷である」(3)
「人生は残酷である」は全体で280ページほどですが、序章~第一章が120ページくらいを占めています。
残りのページを割いて第二章、第三章、あとがきが書かれていますので、序章~第一章のウエイトが圧倒的です。
第一章の「自然哲学への憧憬」は、哲学に関しての解説のような感じですが、どちらかというと概要といいますか、これの前提の理解なしにこの本の説明ができないような位置づけです。
学問的、哲学史的に概念を説明しているため、あんまり具体性(僕たちの生活上の実感としての具体性です)はありません。
ですが、第二章「思考は正しいか」からは、ガラリと変わって現実社会における思想について書かれています。
あまりに現実味のある話のため、なんだか政治経済のジャーナリストが書いたような内容です。
普段、漫然とテレビニュースや新聞報道などを読んでいると気が付かないかもしれませんが、現実の報道は異様なくらい思想が絡んでいるとわかります。
分かりやすい具体例として挙げているのが、米大統領トランプ氏に関する米国の報道です。
いや、いま米国の報道と書きましたが、実際には日本の報道も米国の一部の報道に追随してますので同罪でしょう。
この本では、トランプ氏の主張というものは、格調高い表現を使わないだけで実際には非常に妥当で、当たり前の事としています。
同大統領の就任演説を例示しています。
僕らは日本語の翻訳を介して演説の内容を耳にしていますので、二重のバイアスがかかっている可能性があります。
なにしろ、テレビではトランプ氏が「あなたたち(有権者・国民)」と話しているのを「お前ら」と訳した番組もあったそうです。
この本の掲載されている訳文を読むと僕もまたいままでと異なる印象を持ちました。
トランプ氏はよく「レイシストだ」みたいな言われ方をされますが、例えば演説の中で「黒い肌、褐色の肌、そして白い肌・・・」のように白人を最後に挙げるなどのような配慮もしていたようです。
もっとも、この本の他の章にも書かれているように「差別主義者」とか「レイシスト」という言葉は、対立する相手を貶めるための便利なマジック・ワードでしかありません。
これは日米とも同じことのようですが、とりわけ米国では効く言葉のようです:」。
一方で、トランプ氏のカウンター勢力は前大統領のオバマ氏や大統領候補であったクリントン氏を褒めちぎります。
よく言われるのが、オバマ氏はノーベル平和賞も受賞した平和主義者だということです。
実際にはオバマ氏はアメリカの「世界の警察」としての役割からの撤退を表明したことで、ISのテロやチャイナの拡張主義を助長し、世界を混迷の渦に巻き込みました。
この本ではオバマ氏は平和主義者どころか、テロとの紛争で前大統領のブッシュ時代の十倍も爆撃を行っているということで、「爆弾魔」と称しています。
これは非常に興味深いデータで、僕自身も目からウロコが落ちました。
そして、オバマ氏は当初、同盟国である日本に対してトヨタ・バッシングを行い、安倍首相=日本を冷遇しました。
チャイナのプロパガンダに騙されて、日本の首相を「歴史修正主義者」と思い込んでいたそうです。
インターネットのニュース番組で、青山繁晴氏がオバマ大統領と習金平主席の会談でチャイナが太平洋侵出の意図を表明したことでオバマ大統領は「騙されていた」ことを知り、目を覚ましたと暴露しました。
なんと、帰りの飛行機で夜中に安倍首相へ電話し、習主席を長々と罵ったとか・・・。
以降、日本と米国の関係が修復に向かったことは記憶に新しいです。
偶然かもしれませんが、日本でも米国でも「民主党」という集団は、綺麗ごとや言葉に酔って現実を観ていない点で似通っているようです。
<もう少しつづく>
残りのページを割いて第二章、第三章、あとがきが書かれていますので、序章~第一章のウエイトが圧倒的です。
第一章の「自然哲学への憧憬」は、哲学に関しての解説のような感じですが、どちらかというと概要といいますか、これの前提の理解なしにこの本の説明ができないような位置づけです。
学問的、哲学史的に概念を説明しているため、あんまり具体性(僕たちの生活上の実感としての具体性です)はありません。
ですが、第二章「思考は正しいか」からは、ガラリと変わって現実社会における思想について書かれています。
あまりに現実味のある話のため、なんだか政治経済のジャーナリストが書いたような内容です。
普段、漫然とテレビニュースや新聞報道などを読んでいると気が付かないかもしれませんが、現実の報道は異様なくらい思想が絡んでいるとわかります。
分かりやすい具体例として挙げているのが、米大統領トランプ氏に関する米国の報道です。
いや、いま米国の報道と書きましたが、実際には日本の報道も米国の一部の報道に追随してますので同罪でしょう。
この本では、トランプ氏の主張というものは、格調高い表現を使わないだけで実際には非常に妥当で、当たり前の事としています。
同大統領の就任演説を例示しています。
僕らは日本語の翻訳を介して演説の内容を耳にしていますので、二重のバイアスがかかっている可能性があります。
なにしろ、テレビではトランプ氏が「あなたたち(有権者・国民)」と話しているのを「お前ら」と訳した番組もあったそうです。
この本の掲載されている訳文を読むと僕もまたいままでと異なる印象を持ちました。
トランプ氏はよく「レイシストだ」みたいな言われ方をされますが、例えば演説の中で「黒い肌、褐色の肌、そして白い肌・・・」のように白人を最後に挙げるなどのような配慮もしていたようです。
もっとも、この本の他の章にも書かれているように「差別主義者」とか「レイシスト」という言葉は、対立する相手を貶めるための便利なマジック・ワードでしかありません。
これは日米とも同じことのようですが、とりわけ米国では効く言葉のようです:」。
一方で、トランプ氏のカウンター勢力は前大統領のオバマ氏や大統領候補であったクリントン氏を褒めちぎります。
よく言われるのが、オバマ氏はノーベル平和賞も受賞した平和主義者だということです。
実際にはオバマ氏はアメリカの「世界の警察」としての役割からの撤退を表明したことで、ISのテロやチャイナの拡張主義を助長し、世界を混迷の渦に巻き込みました。
この本ではオバマ氏は平和主義者どころか、テロとの紛争で前大統領のブッシュ時代の十倍も爆撃を行っているということで、「爆弾魔」と称しています。
これは非常に興味深いデータで、僕自身も目からウロコが落ちました。
そして、オバマ氏は当初、同盟国である日本に対してトヨタ・バッシングを行い、安倍首相=日本を冷遇しました。
チャイナのプロパガンダに騙されて、日本の首相を「歴史修正主義者」と思い込んでいたそうです。
インターネットのニュース番組で、青山繁晴氏がオバマ大統領と習金平主席の会談でチャイナが太平洋侵出の意図を表明したことでオバマ大統領は「騙されていた」ことを知り、目を覚ましたと暴露しました。
なんと、帰りの飛行機で夜中に安倍首相へ電話し、習主席を長々と罵ったとか・・・。
以降、日本と米国の関係が修復に向かったことは記憶に新しいです。
偶然かもしれませんが、日本でも米国でも「民主党」という集団は、綺麗ごとや言葉に酔って現実を観ていない点で似通っているようです。
<もう少しつづく>
Tag : 読書
哲学の向こう側へ・・・「人生は残酷である」(2)
哲学の本にしては、早いペースで読むことができます。
それにしても、ちゃんと読後感を書いて行けるか心もとないです。
ちゃんと、時間を取って書ければいいですが、たかだか日記ですからさほどの時間はさけません。
冒頭から言い訳含みですが・・・。
これまで、哲学と言っても、その中で主流はどれで、その他に何があってとか知識がありませんでした。
せいぜい東洋哲学と西洋哲学とか、そもそも知識がありませんでした。
この本では、現代の主流である「分析哲学」に対して痛烈な批判を展開しています。
さて、その「分析哲学」なるもの・・・初めて聞いた言葉です。
対極に位置しているのが「自然哲学」・・・本のタイトルの一部にもあります。
つまりはタイトルの実存主義を掲げる「分析哲学」vs「自然哲学」の構図がこの本のテーマです。
自然哲学、というのはいままで僕が少年期に読んだ各種哲学本であるプラトンやらソクラテスらのような古典哲学と思います。
こちらは、おぼろげながらですがイメージはわきます。
はて?
では、「分析哲学」とは・・・?
自然哲学というのは、いわゆる形而上の物事に対しても敢然と思惟を巡らしているのですが、一方で分析哲学は「言葉ありき」のようなところがあって、形而下の現象を言葉で思惟を巡らしているようです。
言葉で説明できないようなことは「ない」として取り扱わないようです。
なんだかこの本で紹介している実例を読んでみると言葉遊びをしているようにしか思えなくて・・・。
具体例を挙げたいところですが、困ったことに整理できない・・・つまり、この本に書かれている具体例はいずれも長文なのです。
しかも、まとめてわかりやすく言えばこうだ!といえないものです。
扱っている対象がそもそも多面性を持つ一言でいえないものですから・・・。
これは例えば西洋文化の中核にある聖書が「はじめに言葉ありき」と伝えるからでしょうか・・・。
これに対して東洋哲学は、むしろ形而上の世界に重きを置き、言葉をあまり重要視していないように思えます。
いや、むしろ言葉の範囲外のことを重視してるような気もします。
西洋人が東洋の文化への理解に苦しむのが、これなのではないでしょうか。
よく言われるのが、俳句の「古池やかはず飛び込む水の音」に対する理解。
僕ら日本人は、この句の意図するものが大半は「静寂な空間」と気づきます。
でも西洋人には「だから何?」としか思えないようです。
連想するイメージも、大勢のカエルたちが大挙して池の中にジャボジャボと飛び込んでいく凄惨な(笑)画像だそうです。
いやはや、台無しというべきか・・・。
分析哲学は、そもそも西洋哲学の古典であるプラトンも扱っていた「言外の言」「空虚なもの」「形而上のもの」「意識的なもの」などへの考察を一切拒絶して、形ある(=言葉にできる)ものしか取り扱わないようです。
だから、言葉遊びのような論理や思惟にハマりゆくのかもしれません。
第一章を読み通して気づいたのは、「つまりこれば、現代社会に蔓延している思想体系そのもの」のように思えてきました。
空虚な理念や言葉遊びに邁進する思想・・・共産主義や朱子学、マルクス主義・・・もっともふさわしいのは「左翼思想」という言葉でしょう・・・。
< また、つづく >
それにしても、ちゃんと読後感を書いて行けるか心もとないです。
ちゃんと、時間を取って書ければいいですが、たかだか日記ですからさほどの時間はさけません。
冒頭から言い訳含みですが・・・。
これまで、哲学と言っても、その中で主流はどれで、その他に何があってとか知識がありませんでした。
せいぜい東洋哲学と西洋哲学とか、そもそも知識がありませんでした。
この本では、現代の主流である「分析哲学」に対して痛烈な批判を展開しています。
さて、その「分析哲学」なるもの・・・初めて聞いた言葉です。
対極に位置しているのが「自然哲学」・・・本のタイトルの一部にもあります。
つまりはタイトルの実存主義を掲げる「分析哲学」vs「自然哲学」の構図がこの本のテーマです。
自然哲学、というのはいままで僕が少年期に読んだ各種哲学本であるプラトンやらソクラテスらのような古典哲学と思います。
こちらは、おぼろげながらですがイメージはわきます。
はて?
では、「分析哲学」とは・・・?
自然哲学というのは、いわゆる形而上の物事に対しても敢然と思惟を巡らしているのですが、一方で分析哲学は「言葉ありき」のようなところがあって、形而下の現象を言葉で思惟を巡らしているようです。
言葉で説明できないようなことは「ない」として取り扱わないようです。
なんだかこの本で紹介している実例を読んでみると言葉遊びをしているようにしか思えなくて・・・。
具体例を挙げたいところですが、困ったことに整理できない・・・つまり、この本に書かれている具体例はいずれも長文なのです。
しかも、まとめてわかりやすく言えばこうだ!といえないものです。
扱っている対象がそもそも多面性を持つ一言でいえないものですから・・・。
これは例えば西洋文化の中核にある聖書が「はじめに言葉ありき」と伝えるからでしょうか・・・。
これに対して東洋哲学は、むしろ形而上の世界に重きを置き、言葉をあまり重要視していないように思えます。
いや、むしろ言葉の範囲外のことを重視してるような気もします。
西洋人が東洋の文化への理解に苦しむのが、これなのではないでしょうか。
よく言われるのが、俳句の「古池やかはず飛び込む水の音」に対する理解。
僕ら日本人は、この句の意図するものが大半は「静寂な空間」と気づきます。
でも西洋人には「だから何?」としか思えないようです。
連想するイメージも、大勢のカエルたちが大挙して池の中にジャボジャボと飛び込んでいく凄惨な(笑)画像だそうです。
いやはや、台無しというべきか・・・。
分析哲学は、そもそも西洋哲学の古典であるプラトンも扱っていた「言外の言」「空虚なもの」「形而上のもの」「意識的なもの」などへの考察を一切拒絶して、形ある(=言葉にできる)ものしか取り扱わないようです。
だから、言葉遊びのような論理や思惟にハマりゆくのかもしれません。
第一章を読み通して気づいたのは、「つまりこれば、現代社会に蔓延している思想体系そのもの」のように思えてきました。
空虚な理念や言葉遊びに邁進する思想・・・共産主義や朱子学、マルクス主義・・・もっともふさわしいのは「左翼思想」という言葉でしょう・・・。
< また、つづく >
Tag : 読書