無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
早々とひと月終わる申の年
あっという間ですね。
もうお正月が終わろうとしています。
昨年は世界的には自然災害やテロ事件など災厄が
多い年だったように思いますが、今年は年初から
株式市場が荒れて、沈静化する様子もありません。
経済界は激震が走っているようです。
リーマンショック以来の暴落がありそうです。
なんだかね・・・21世紀も初頭ですが世紀末に似た
響きがあります。
学生の頃、五島勉さんが書いた「ノストラダムスの
大予言」シリーズは夜眠るのが怖くなるほど「面白か
った」のを憶えています。
内容についてはともかく、読み物としてい面白く、五島
さんの筆力に憑りつかれていました。
あの本の表紙カバーの不気味な人面相が怖くて夜
眠れなかったこともあります。
今にして思うと、1999年よりもよほど怖い時代なので
はないかな、と思います。
経済、社会、国際関係、軍事、自然災害や疫病など
全ての面で、今の方がぴったりくる気がします。
なんだか、ちょっと暗い書きだしになってしまった。
まぁ明るい新年ではありませんでした。
昨年末は暖かな冬だ、なんて思っていたら、新年になって
急激に寒くなりました。
一月に大雪なんて言うのも珍しくはないかもしれませんが
多くもありません。
前の晩からわかっていたのに、鉄道は遅延して混雑して
しるし、なんとも馬鹿馬鹿しい。
北海道の人がみて呆れている気がします。
あっちは普段からダイヤがあまり正確ではないですが・・・。
なにはともあれ、早々と一年の十二分の一がおしまい。
今年はオリンピック・イヤーですが、なんだかホントにやる
のか、世界もブラジルも混乱しているように見えます。
大規模テロなど起こらねばいいのですが・・・。
ここ数日はお天気も愚図ついていましたが、今日は持ち
直しました。
今日撮影したものではありませんが、先週の天気の良かった
日に撮った小庵からの夕焼け空で飾りましょう。
二月になったら節分だ。
豆蒔いて、心から鬼を追い出してしまおう。
もうお正月が終わろうとしています。
昨年は世界的には自然災害やテロ事件など災厄が
多い年だったように思いますが、今年は年初から
株式市場が荒れて、沈静化する様子もありません。
経済界は激震が走っているようです。
リーマンショック以来の暴落がありそうです。
なんだかね・・・21世紀も初頭ですが世紀末に似た
響きがあります。
学生の頃、五島勉さんが書いた「ノストラダムスの
大予言」シリーズは夜眠るのが怖くなるほど「面白か
った」のを憶えています。
内容についてはともかく、読み物としてい面白く、五島
さんの筆力に憑りつかれていました。
あの本の表紙カバーの不気味な人面相が怖くて夜
眠れなかったこともあります。
今にして思うと、1999年よりもよほど怖い時代なので
はないかな、と思います。
経済、社会、国際関係、軍事、自然災害や疫病など
全ての面で、今の方がぴったりくる気がします。
なんだか、ちょっと暗い書きだしになってしまった。
まぁ明るい新年ではありませんでした。
昨年末は暖かな冬だ、なんて思っていたら、新年になって
急激に寒くなりました。
一月に大雪なんて言うのも珍しくはないかもしれませんが
多くもありません。
前の晩からわかっていたのに、鉄道は遅延して混雑して
しるし、なんとも馬鹿馬鹿しい。
北海道の人がみて呆れている気がします。
あっちは普段からダイヤがあまり正確ではないですが・・・。
なにはともあれ、早々と一年の十二分の一がおしまい。
今年はオリンピック・イヤーですが、なんだかホントにやる
のか、世界もブラジルも混乱しているように見えます。
大規模テロなど起こらねばいいのですが・・・。
ここ数日はお天気も愚図ついていましたが、今日は持ち
直しました。
今日撮影したものではありませんが、先週の天気の良かった
日に撮った小庵からの夕焼け空で飾りましょう。
二月になったら節分だ。
豆蒔いて、心から鬼を追い出してしまおう。
大雪回避の週末も今日は仕事だった
昨日のうちから今日は大雪が懸念されていましたが、
今朝未明に外を見てみると雨に湿った道路や屋根。
どうやら、今年二度目の大雪にはならなかったようです。
まぁ、なったとしても世間は土曜日、週末です。
交通機関がマヒしたとしても、前回ほどの影響はほぼ
なかったでしょう。
そうはいっても、土曜日仕事の人もいる。
何を隠そうこの僕もそうだ。
なので、一安心してもう一度ひと眠りしいつもの時間に
家を出ました。
お天気予報は、なんだか海側から暖かい空気が入り
込んだから、とか実は雪が降るメカニズムは複雑で
予報は難しい、などど言ってました。
そうなんでしょうけど、言い訳がましくてみっともない。
だけど、言わずにいられないのは理解できますけどね。
雪にはならずとも、外は寒さ厳しい。
雨も冷たくて傘をさすためにポケットから手を出さざる
を得ない。
手袋すればよかったと思いつつも面倒です。
今夜も家に帰ると「小うず」は玄関マットで、待ちくたび
れたようにネコストレッチしてました。
寒くないんだろうか、この子は・・・。
いまは膝の上でフリーズにくるまって、カンガルー抱っこ
されてます。
グリグリ、グリグリ。
あったかい。
今朝未明に外を見てみると雨に湿った道路や屋根。
どうやら、今年二度目の大雪にはならなかったようです。
まぁ、なったとしても世間は土曜日、週末です。
交通機関がマヒしたとしても、前回ほどの影響はほぼ
なかったでしょう。
そうはいっても、土曜日仕事の人もいる。
何を隠そうこの僕もそうだ。
なので、一安心してもう一度ひと眠りしいつもの時間に
家を出ました。
お天気予報は、なんだか海側から暖かい空気が入り
込んだから、とか実は雪が降るメカニズムは複雑で
予報は難しい、などど言ってました。
そうなんでしょうけど、言い訳がましくてみっともない。
だけど、言わずにいられないのは理解できますけどね。
雪にはならずとも、外は寒さ厳しい。
雨も冷たくて傘をさすためにポケットから手を出さざる
を得ない。
手袋すればよかったと思いつつも面倒です。
今夜も家に帰ると「小うず」は玄関マットで、待ちくたび
れたようにネコストレッチしてました。
寒くないんだろうか、この子は・・・。
いまは膝の上でフリーズにくるまって、カンガルー抱っこ
されてます。
グリグリ、グリグリ。
あったかい。
言葉は暴力
「あなたは今、インターネットで暴力とつながっているのだ 」と
いう記事を読みました。
このDARKNESSというサイトは鈴木傾城さんというジャーナリスト
さんが書いているようですが、国内、国際、世の中全体に関して
独自の目線で刺激的な記事を出しています。
ちょっと乱暴なまとめ方かもしれませんが、ある意味、この人の
意見というか警鐘するものは極論が多いと思うのです。
例えば、企業は合理化を推進してコストを削減し、利益を増やす
ものだ、といい、そして企業の最大のコストは人件費だ、だから
今後は人件費を削減するためにどんどん社員を晴らしてゆく
・・・とまぁこんな感じ。
極論だからこそ刺激的なのかもしれませんが、たいてい極論は
空論にしかすぎず現実味はないと思います。
だけど、このサイトの警鐘は非常に現実味があります。
この人の文章の力によるものは勿論大きいでしょう。
だけど、僕はこう思うのです。
もう極論が空論ではなく、現実味を帯びた社会になってきている
んだ・・・と。
実際に例示した人件費の削減なんてものは、現実のものですし
日本の名だたる企業はこぞって社員を減らしています。
リストラってやつです。
正社員はつぎつぎと契約社員や嘱託社員、派遣社員にとって
変わられています。
日本的経営ですら、既に崩壊しているのですから、海外などは
何をかいわんやでしょう。
さて、リンク先はインターネットの中では言葉の暴力が氾濫
しているという記事です。
昔から言われたことです。
2ちゃんねるなどのような匿名掲示板では誹謗中傷が溢れて
いました。
僕も初めて2ちゃんねるを見た頃は、思わず顔をしかめました。
無秩序で、無責任で、攻撃的な書き込みの数々。
人間のはらわたを生で観ているみたいだなぁ、と思いました。
それも攻撃対象は、一般の企業の社員とか、店員、スタッフの
ようにごく普通の人達だったりして・・・。
そのためにSNSが登場したけど、結局のところ匿名でなくとも
失言で炎上する人は後を絶ちません。
そうですよね。普通に生活していたって、誰でも失言で相手を
傷つけたりしてますから。
僕自身、心の健康を損ねたのは言葉の暴力によるものです。
情けないですが、僕は口が達者ではありません。
相手は得意気に口パンチを浴びせて圧倒してきました。
その人物は「言葉が暴力である」ことを知らなかったのでしょう。
昔は腕っ節の強いやくざ者が振るう暴力が、野蛮な行為に
見られていましたが、いまは言葉も暴力です。
始末に負えないことに、言葉の暴力は目に見えないものだけ
に取り締まれないし、野蛮にも見えない。
やられたほうは、「精神がやわだよ」の一言で片付けられます。
言葉の暴力は、巧妙で狡猾で陰湿です。
ある意味、やくざ者の暴力の方がわかりやすいだけマシな
部分もあります(勿論、大迷惑ですが・・・)
いまは腕っ節ではなくて、口先がものをいう時代なのです。
言葉は優しく温かいものでもありますが、凶暴で野蛮なもの
でもあるのです。
使う人の心次第・・・。
僕自身も過去に多くの人を傷つけてきた、その報いなのかも
しれませんが・・・。
いう記事を読みました。
このDARKNESSというサイトは鈴木傾城さんというジャーナリスト
さんが書いているようですが、国内、国際、世の中全体に関して
独自の目線で刺激的な記事を出しています。
ちょっと乱暴なまとめ方かもしれませんが、ある意味、この人の
意見というか警鐘するものは極論が多いと思うのです。
例えば、企業は合理化を推進してコストを削減し、利益を増やす
ものだ、といい、そして企業の最大のコストは人件費だ、だから
今後は人件費を削減するためにどんどん社員を晴らしてゆく
・・・とまぁこんな感じ。
極論だからこそ刺激的なのかもしれませんが、たいてい極論は
空論にしかすぎず現実味はないと思います。
だけど、このサイトの警鐘は非常に現実味があります。
この人の文章の力によるものは勿論大きいでしょう。
だけど、僕はこう思うのです。
もう極論が空論ではなく、現実味を帯びた社会になってきている
んだ・・・と。
実際に例示した人件費の削減なんてものは、現実のものですし
日本の名だたる企業はこぞって社員を減らしています。
リストラってやつです。
正社員はつぎつぎと契約社員や嘱託社員、派遣社員にとって
変わられています。
日本的経営ですら、既に崩壊しているのですから、海外などは
何をかいわんやでしょう。
さて、リンク先はインターネットの中では言葉の暴力が氾濫
しているという記事です。
昔から言われたことです。
2ちゃんねるなどのような匿名掲示板では誹謗中傷が溢れて
いました。
僕も初めて2ちゃんねるを見た頃は、思わず顔をしかめました。
無秩序で、無責任で、攻撃的な書き込みの数々。
人間のはらわたを生で観ているみたいだなぁ、と思いました。
それも攻撃対象は、一般の企業の社員とか、店員、スタッフの
ようにごく普通の人達だったりして・・・。
そのためにSNSが登場したけど、結局のところ匿名でなくとも
失言で炎上する人は後を絶ちません。
そうですよね。普通に生活していたって、誰でも失言で相手を
傷つけたりしてますから。
僕自身、心の健康を損ねたのは言葉の暴力によるものです。
情けないですが、僕は口が達者ではありません。
相手は得意気に口パンチを浴びせて圧倒してきました。
その人物は「言葉が暴力である」ことを知らなかったのでしょう。
昔は腕っ節の強いやくざ者が振るう暴力が、野蛮な行為に
見られていましたが、いまは言葉も暴力です。
始末に負えないことに、言葉の暴力は目に見えないものだけ
に取り締まれないし、野蛮にも見えない。
やられたほうは、「精神がやわだよ」の一言で片付けられます。
言葉の暴力は、巧妙で狡猾で陰湿です。
ある意味、やくざ者の暴力の方がわかりやすいだけマシな
部分もあります(勿論、大迷惑ですが・・・)
いまは腕っ節ではなくて、口先がものをいう時代なのです。
言葉は優しく温かいものでもありますが、凶暴で野蛮なもの
でもあるのです。
使う人の心次第・・・。
僕自身も過去に多くの人を傷つけてきた、その報いなのかも
しれませんが・・・。
静謐な中の躍動感・長谷川等伯「松林図」(2)
東京国立博物館に所蔵される国宝「松林図」は、等伯作品の
最高峰とも言えますが、調べるといろいろと興味深いことが
ある作品です。
ますは、この「松林図」は「本番品」ではないということです。
恐らく習作用として準備された紙に描いたもので、紙の素材が
屏風用ではないそうです。
美術の世界では、このように本番品ではなくて習作の方が
出来が良いため残されたものが少なくありません。
例えば昨日の記事で挙げた王羲之の「蘭亭叙」ですが、あれも
習作ということです。
王羲之が何度書き直しても気に入らず、結局原稿として書いた
ものが太宗皇帝に献上したものだそうです。
その証拠に蘭亭叙には書き直した文字や、追加した文字、
そしてごじを塗りつぶした線まで、拓本に残されています。
また、「松林図」は紙の継ぎ目の高さが違っている箇所が確認
できます。
恐らくは全体構成を見直し、より空間表現、効果を高めることに
成功しています。
遠くで観ると、まるで自分が不思議な松林の空間にたたずんで
静寂を耳にしているような感覚を受けます。
一方で、接近してみると意外なことに繊細な空間表現とは逆に
非常に荒っぽい筆致で松の葉を描いていて驚かされます。
習作用のつもりで書いたから、なんのてらいもなく挑戦的な
筆さばきでかけたのかもしれませんね。
等伯の作品は数年前に同館で開催されたボストン美術館展
などでも観ることができましたが、意外なことに海外での評価
は低かったようです。
幸か不幸か、そのために永徳の作品に比べて、等伯の作品
は海外流出が少なかったとのことです。
ミネルヴァ書房刊で「長谷川等伯」を著した宮島新一氏は、
同書の中で「アメリカのコレクターは日本絵画独特の感覚が
溢れている作品や、エキセントリックな作品は見逃さない。
(一部略)彼らには等伯は中国絵画の亜流にしか見えないの
ではないだろうか。これに対して日本人研究者は、日本絵画
そのものといった作品よりも、中国画と格闘して自分有の解釈
を出した画家を尊敬する傾向があるようだ。」と記しています・
いやはや、「松林図」に刻まれた求道者の精神が海外コレクター
に認められずによかったと思うのは器量が小さいでしょうか?
最高峰とも言えますが、調べるといろいろと興味深いことが
ある作品です。
ますは、この「松林図」は「本番品」ではないということです。
恐らく習作用として準備された紙に描いたもので、紙の素材が
屏風用ではないそうです。
美術の世界では、このように本番品ではなくて習作の方が
出来が良いため残されたものが少なくありません。
例えば昨日の記事で挙げた王羲之の「蘭亭叙」ですが、あれも
習作ということです。
王羲之が何度書き直しても気に入らず、結局原稿として書いた
ものが太宗皇帝に献上したものだそうです。
その証拠に蘭亭叙には書き直した文字や、追加した文字、
そしてごじを塗りつぶした線まで、拓本に残されています。
また、「松林図」は紙の継ぎ目の高さが違っている箇所が確認
できます。
恐らくは全体構成を見直し、より空間表現、効果を高めることに
成功しています。
遠くで観ると、まるで自分が不思議な松林の空間にたたずんで
静寂を耳にしているような感覚を受けます。
一方で、接近してみると意外なことに繊細な空間表現とは逆に
非常に荒っぽい筆致で松の葉を描いていて驚かされます。
習作用のつもりで書いたから、なんのてらいもなく挑戦的な
筆さばきでかけたのかもしれませんね。
等伯の作品は数年前に同館で開催されたボストン美術館展
などでも観ることができましたが、意外なことに海外での評価
は低かったようです。
幸か不幸か、そのために永徳の作品に比べて、等伯の作品
は海外流出が少なかったとのことです。
ミネルヴァ書房刊で「長谷川等伯」を著した宮島新一氏は、
同書の中で「アメリカのコレクターは日本絵画独特の感覚が
溢れている作品や、エキセントリックな作品は見逃さない。
(一部略)彼らには等伯は中国絵画の亜流にしか見えないの
ではないだろうか。これに対して日本人研究者は、日本絵画
そのものといった作品よりも、中国画と格闘して自分有の解釈
を出した画家を尊敬する傾向があるようだ。」と記しています・
いやはや、「松林図」に刻まれた求道者の精神が海外コレクター
に認められずによかったと思うのは器量が小さいでしょうか?
春の気配を上野の森で感じた日
このところ、炊事に使う水がとても冷たくて、湯沸しの水を
使わないと辛いです。
手はあかぎれ、ひび割れ直前・・・。
それだけ冬真っ盛りで寒さが厳しいということですが・・・。
今日の武蔵野・・・いや東京の天気は日差しが戻って気温
14度だとか・・・。
とても暖かな一日でした。
外出にはもってこいの天気。
僕は日本橋と上野へ行きました。
日本橋へは高島屋で開催されている書道展を観に、そして
上野へは東京国立博物館へ「顔真卿と唐時代の書」が
お目当てです。
これらについては、別の記事で紹介中なので省略します。
日本橋は地下鉄の駅から高島屋へ行ったので、地上へ
はでなかったのですが、上野はトーハクまで公園を通り
ますので陽光に包まれました。
この時期の上野公園は木枯らし吹いて寒々しいのです
が、今日ばかりは暖かで人出もまずますでした。
意外なことにトーハクは結構人がいて・・・。
修学旅行の学生なんかも多かったせいでしょうか。
帰りの電車内ではついウトウトとして・・・居眠りしました。
電車の中での居眠りって気持ちいいんですよね。
あの揺れがいいのでしょうか。
快眠グッズとして、誰か商品化したりしないのか。
まぁ、あの揺れを再現するのは難しいか・・・。
いやいや、マッサージチェアみたいなのでできなくはない?
まだ1月です。
冬の終わりにはまだ少し時間がかかる。
先週、大雪が降ったばかりだ。
それでも、日の暮れる時間が遅くなってきた。
今日の日没は17時3分だったようです。
身の引き締まる冬の空気は嫌いではないけど、いつまでも
冬のままでは季節も人生もよろしくない。
今日は、春の気配を感じることができた。
使わないと辛いです。
手はあかぎれ、ひび割れ直前・・・。
それだけ冬真っ盛りで寒さが厳しいということですが・・・。
今日の武蔵野・・・いや東京の天気は日差しが戻って気温
14度だとか・・・。
とても暖かな一日でした。
外出にはもってこいの天気。
僕は日本橋と上野へ行きました。
日本橋へは高島屋で開催されている書道展を観に、そして
上野へは東京国立博物館へ「顔真卿と唐時代の書」が
お目当てです。
これらについては、別の記事で紹介中なので省略します。
日本橋は地下鉄の駅から高島屋へ行ったので、地上へ
はでなかったのですが、上野はトーハクまで公園を通り
ますので陽光に包まれました。
この時期の上野公園は木枯らし吹いて寒々しいのです
が、今日ばかりは暖かで人出もまずますでした。
意外なことにトーハクは結構人がいて・・・。
修学旅行の学生なんかも多かったせいでしょうか。
帰りの電車内ではついウトウトとして・・・居眠りしました。
電車の中での居眠りって気持ちいいんですよね。
あの揺れがいいのでしょうか。
快眠グッズとして、誰か商品化したりしないのか。
まぁ、あの揺れを再現するのは難しいか・・・。
いやいや、マッサージチェアみたいなのでできなくはない?
まだ1月です。
冬の終わりにはまだ少し時間がかかる。
先週、大雪が降ったばかりだ。
それでも、日の暮れる時間が遅くなってきた。
今日の日没は17時3分だったようです。
身の引き締まる冬の空気は嫌いではないけど、いつまでも
冬のままでは季節も人生もよろしくない。
今日は、春の気配を感じることができた。
静謐な中の躍動感・長谷川等伯「松林図」(1)
昨日に引き続き、東京国立博物館の話題です。
題名に同博物館蔵の「松林図」を出しましたが、これは
年初の展示としては既に終わっています。
これから行こうとしている僕は今回の鑑賞の対象外です。
何回見てもいいものですので、できれば見たかったと
いうのが率直な感情ですが、以前にも見たことは何度か
あります。
そのときの記憶をもとにして書いてみたいと思います・
さて、長谷川等伯・・・水墨画をたしなむ人でなくても、雪舟と
並んで日本の水墨画家、いや画家として最高峰の一人として
ご存知でしょう。
等伯は自身を「雪舟より五代」と称して、同時代の画家に
対抗しました。
この言葉と直接的に関係があるかはわかりませんが、等伯は
当時権力と密着していた狩野永徳を始めとする狩野派の一角
を崩すように喰いこみます。権力(豊臣家)に接近したのです。
狩野派のように巨大な職業画家集団は、職人としての画工を
多く輩出するシステムを構築し、権力者からの多くの依頼を受け
作品を生み出しています。
地方である能登出身の画家が中央の巨大組織に対抗した
画家ですが、実のところあまり作品群については知られていな
いように思えます。
何しろ「松林図」の印象が強すぎて、水墨作品しかなように思わ
れていますが、実は絢爛な色彩の屏風画、障壁画もあります。
恐らくは狩野派などとの差別化を図る意図もあったでしょう。
大画面に多少粗雑(言葉は悪いですが)な水墨作品に移行して
いったようです。
もっとも後年「雪舟より五代」を喧伝するくらいですから、水墨
による表現の奥深さを追求するのが本旨であったと思いますが。
(続く)
題名に同博物館蔵の「松林図」を出しましたが、これは
年初の展示としては既に終わっています。
これから行こうとしている僕は今回の鑑賞の対象外です。
何回見てもいいものですので、できれば見たかったと
いうのが率直な感情ですが、以前にも見たことは何度か
あります。
そのときの記憶をもとにして書いてみたいと思います・
さて、長谷川等伯・・・水墨画をたしなむ人でなくても、雪舟と
並んで日本の水墨画家、いや画家として最高峰の一人として
ご存知でしょう。
等伯は自身を「雪舟より五代」と称して、同時代の画家に
対抗しました。
この言葉と直接的に関係があるかはわかりませんが、等伯は
当時権力と密着していた狩野永徳を始めとする狩野派の一角
を崩すように喰いこみます。権力(豊臣家)に接近したのです。
狩野派のように巨大な職業画家集団は、職人としての画工を
多く輩出するシステムを構築し、権力者からの多くの依頼を受け
作品を生み出しています。
地方である能登出身の画家が中央の巨大組織に対抗した
画家ですが、実のところあまり作品群については知られていな
いように思えます。
何しろ「松林図」の印象が強すぎて、水墨作品しかなように思わ
れていますが、実は絢爛な色彩の屏風画、障壁画もあります。
恐らくは狩野派などとの差別化を図る意図もあったでしょう。
大画面に多少粗雑(言葉は悪いですが)な水墨作品に移行して
いったようです。
もっとも後年「雪舟より五代」を喧伝するくらいですから、水墨
による表現の奥深さを追求するのが本旨であったと思いますが。
(続く)
顔真卿の書を学びたい・・・
近々上野の東京国立博物館に行きます。
なんだか、最近博物館に行っていない気がして・・・。
是が非でも・・・というような企画展などがないせいでも
ありますが・・・。
そろそろ松竹梅のようなお正月的な企画展も終わるころ
でしょうし、期待しています。
さて、東京国立博物館(トーハク)のお目当ては、平成館
ではなくて、東洋館で開催している「顔真卿と唐時代の書」
です。
こちら今月いっぱいとなっております。
見逃すところでしたが、ギリギリ観に行けることになりました。
台東区立書道博物館との連携企画のようですが、こちらまで
足を延ばせるかはわかりません。
僕の所属している書道会でも、おすすめしている企画展です
が、個人的にも顔真卿の書には憧れがあります。
いつか学びたいと思っているのですが、まだまだ初学者に
分類されてしまうので、もっぱら楷書は九成宮、行書は蘭亭
です。
もっとも、これらをこなせないようでは何を学んでもダメという
基礎なので早数年、未だに道半ばです。
画も書も古典主義の僕としては、己の信条でもありますので
我慢して地道に勉強しています。
顔真卿は唐の時代の将軍で、書の達人。東晋の時代に活躍
した王羲之の系譜を継ぎながらも独自の書体を確立しました。
なんでも、彼の国では王羲之と顔真卿は双璧を為すお手本で
あり、むしろ顔真卿を学ぶ人の方が多いとか。
一般に、王羲之の書は格調高く、貴族的。
顔真卿は己の感情を込めた力強い書体と言われてます。
ちょっと脱線しますが、書道をやっている女性が以前、僕に
「戦国大名の書なんていいと思う?」
なんていっていましたが、(勿論字の下手な大名の書なんか
は書としての価値はありませんが・・・)よくよく考えてみたら
王羲之も顔真卿もいずれも、軍人であり政治家であったわけ
で・・・笑っちゃいますね。
平安時代の歌人や能筆家、文化人には軍人や政治家が
多いです。古今東西を問わず、軍人は当世一流のエリート
です。
僕が顔真卿を好きなのは、やはりあの力強い書体にあります。
楷書、行書を問わずなんだか力漲る感じです。
もちろん、王羲之の書に力がない訳ではありませんが、いつ
まで経っても蘭亭叙というのも・・・いや、蘭亭が極め付け
なのは分かっているんですが・・・。
当初は、なんだか平板でのたうつように見えた古書ですが、
少しづつ理解はすすんだつもりです。
こちらに書かれておりますとおり、王羲之の書は写真や拓本に
とると失われる要素を大切にしている、とのことです。
そもそも王羲之の書、とりわけ蘭亭叙は本物が失われている
だけに、それでも神格化されているのが凄いです。
いや、失われているからこそ神格化されるのかもしれません。
数年前、トーハクで王羲之の企画展がありましたが、展示され
た蘭亭叙はすべて王羲之以外の人の手によるもの、という
不思議さでした。
本物がない展示に大勢の人が見に来ているという。
なんだか顔真卿のことより王羲之にウェイトが割かれました。
また後日・・・。
なんだか、最近博物館に行っていない気がして・・・。
是が非でも・・・というような企画展などがないせいでも
ありますが・・・。
そろそろ松竹梅のようなお正月的な企画展も終わるころ
でしょうし、期待しています。
さて、東京国立博物館(トーハク)のお目当ては、平成館
ではなくて、東洋館で開催している「顔真卿と唐時代の書」
です。
こちら今月いっぱいとなっております。
見逃すところでしたが、ギリギリ観に行けることになりました。
台東区立書道博物館との連携企画のようですが、こちらまで
足を延ばせるかはわかりません。
僕の所属している書道会でも、おすすめしている企画展です
が、個人的にも顔真卿の書には憧れがあります。
いつか学びたいと思っているのですが、まだまだ初学者に
分類されてしまうので、もっぱら楷書は九成宮、行書は蘭亭
です。
もっとも、これらをこなせないようでは何を学んでもダメという
基礎なので早数年、未だに道半ばです。
画も書も古典主義の僕としては、己の信条でもありますので
我慢して地道に勉強しています。
顔真卿は唐の時代の将軍で、書の達人。東晋の時代に活躍
した王羲之の系譜を継ぎながらも独自の書体を確立しました。
なんでも、彼の国では王羲之と顔真卿は双璧を為すお手本で
あり、むしろ顔真卿を学ぶ人の方が多いとか。
一般に、王羲之の書は格調高く、貴族的。
顔真卿は己の感情を込めた力強い書体と言われてます。
ちょっと脱線しますが、書道をやっている女性が以前、僕に
「戦国大名の書なんていいと思う?」
なんていっていましたが、(勿論字の下手な大名の書なんか
は書としての価値はありませんが・・・)よくよく考えてみたら
王羲之も顔真卿もいずれも、軍人であり政治家であったわけ
で・・・笑っちゃいますね。
平安時代の歌人や能筆家、文化人には軍人や政治家が
多いです。古今東西を問わず、軍人は当世一流のエリート
です。
僕が顔真卿を好きなのは、やはりあの力強い書体にあります。
楷書、行書を問わずなんだか力漲る感じです。
もちろん、王羲之の書に力がない訳ではありませんが、いつ
まで経っても蘭亭叙というのも・・・いや、蘭亭が極め付け
なのは分かっているんですが・・・。
当初は、なんだか平板でのたうつように見えた古書ですが、
少しづつ理解はすすんだつもりです。
こちらに書かれておりますとおり、王羲之の書は写真や拓本に
とると失われる要素を大切にしている、とのことです。
そもそも王羲之の書、とりわけ蘭亭叙は本物が失われている
だけに、それでも神格化されているのが凄いです。
いや、失われているからこそ神格化されるのかもしれません。
数年前、トーハクで王羲之の企画展がありましたが、展示され
た蘭亭叙はすべて王羲之以外の人の手によるもの、という
不思議さでした。
本物がない展示に大勢の人が見に来ているという。
なんだか顔真卿のことより王羲之にウェイトが割かれました。
また後日・・・。
日々の「あんがとノート」
ここ最近は何故だかとても憂鬱でした。
気持ちが重くて、気力があまり奮わない。
もともと、そんなに気が張るようなこともないのですが。
うつ病になってから、気力の減退は著しく、昔は結構
いろんなことに怒ったり、むきになったり、他人を傷つ
けるような言動をしていたように思います。
気力が満ち溢れて周囲に危害を及ぼすほどだったの
でしょうか。
なんとも恐ろしい、迷惑な存在だったのですかね?
この憂鬱感の発端というか、原因のひとつは作家の
五木寛之さんの本を読んだせいでしょう。
お正月から近所の図書館が改装工事のために、閉鎖
していたため、読む本がなかったんです。
仕方なく、自室の本棚にあった本を適当に持ち出した
のですが、それが「大河の一滴」(幻冬舎文庫)という本
です。
実は数本前の記事の「屈原」も、この本で一部取り
挙げられていたのです。
五木寛之さん自身も過去にうつ病での闘病生活をされて
いたそうです。
作家さんや芸術家っていう職業は昔からうつ病というか
精神的な病がつきもののような気がします。
創作活動というものは、精神エネルギーを消費しますからね。
ただ、僕は五木寛之さんが闘病中に「あんがとノート」という
日々の記録をつけていたという話を真似してみました。
これは、一日の間に「ありがたい」と思ったことを記録して
ゆくだけのものです。
だけど、これを習慣にしていると、日々の暮らしの中で
四六時中、「ありがたい」と思うことを探す癖がつくのです。
要は日がな幸せ探しをすることになるんです。
世の中には有り難いことがいっぱいあるんだ、鬱で苦しむ
だけではないんだ、と思いました。
これって、認知行動療法みたいなものでしょうか。
なんだか「大河の一滴」に触れる前に長くなってしまった。
明日以降気が向いたら書いてみます。
気持ちが重くて、気力があまり奮わない。
もともと、そんなに気が張るようなこともないのですが。
うつ病になってから、気力の減退は著しく、昔は結構
いろんなことに怒ったり、むきになったり、他人を傷つ
けるような言動をしていたように思います。
気力が満ち溢れて周囲に危害を及ぼすほどだったの
でしょうか。
なんとも恐ろしい、迷惑な存在だったのですかね?
この憂鬱感の発端というか、原因のひとつは作家の
五木寛之さんの本を読んだせいでしょう。
お正月から近所の図書館が改装工事のために、閉鎖
していたため、読む本がなかったんです。
仕方なく、自室の本棚にあった本を適当に持ち出した
のですが、それが「大河の一滴」(幻冬舎文庫)という本
です。
実は数本前の記事の「屈原」も、この本で一部取り
挙げられていたのです。
五木寛之さん自身も過去にうつ病での闘病生活をされて
いたそうです。
作家さんや芸術家っていう職業は昔からうつ病というか
精神的な病がつきもののような気がします。
創作活動というものは、精神エネルギーを消費しますからね。
ただ、僕は五木寛之さんが闘病中に「あんがとノート」という
日々の記録をつけていたという話を真似してみました。
これは、一日の間に「ありがたい」と思ったことを記録して
ゆくだけのものです。
だけど、これを習慣にしていると、日々の暮らしの中で
四六時中、「ありがたい」と思うことを探す癖がつくのです。
要は日がな幸せ探しをすることになるんです。
世の中には有り難いことがいっぱいあるんだ、鬱で苦しむ
だけではないんだ、と思いました。
これって、認知行動療法みたいなものでしょうか。
なんだか「大河の一滴」に触れる前に長くなってしまった。
明日以降気が向いたら書いてみます。
Tag : 読書
到来する寒波に対抗するしなびた大根
今日は、週のあたまの月曜日と同様、寒気が流れ込んで
くるためにお天気予報は雪マーク。
結局、降ったのか降らなかったのかもよくわかりませんで、
少なくとも外出中は降雪はありませんでした。
ただ、寒さだけは厳しくて、朝出かけるときには手袋と
ニット帽でしっかりと防寒しました。
昨日、図書館にマフラーを忘れてしまって、夕方無事に
回収しましたけど、首回りはちょっと風通しよかったです。
この寒さを予期してではありませんが、おでんを昨夜から
仕込んでありました。
おでんタネはおとといの帰り道で買っておいたのです。
寒さのためではありません。
先週百円で買った大ぶりな大根が半分以上残っていた
ためです。
だけど・・・。
おでんタネを冷蔵庫にしまう時に衝撃が走りました。
なんと野菜室でしなびている・・・。
なんだかタクアンみたいにシワシワで、やわらかい。
がっかりして「まぁ、安いし、いいか・・・」
と一回は諦めたのです。
だけど、しなびた大根の調理法を探していたら、水に
つけておくだけで復活するよ、という豆知識をみつけた。
なぁんだ、考えてみればそうじゃん、と昨日の朝に水に
ドボン。
思ったほど復活しませんでしたが、どうせおでんの出汁を
吸い込んでくれるんだと下ごしらえして出汁に漬けます。
今夜の晩ごはんは温かいおでん。
出汁もよい塩梅の味付けだ。
大根にからしをつけて口の中へ。
すかさず白いご飯をかきこむ。
大根は便利な食材だ。
くるためにお天気予報は雪マーク。
結局、降ったのか降らなかったのかもよくわかりませんで、
少なくとも外出中は降雪はありませんでした。
ただ、寒さだけは厳しくて、朝出かけるときには手袋と
ニット帽でしっかりと防寒しました。
昨日、図書館にマフラーを忘れてしまって、夕方無事に
回収しましたけど、首回りはちょっと風通しよかったです。
この寒さを予期してではありませんが、おでんを昨夜から
仕込んでありました。
おでんタネはおとといの帰り道で買っておいたのです。
寒さのためではありません。
先週百円で買った大ぶりな大根が半分以上残っていた
ためです。
だけど・・・。
おでんタネを冷蔵庫にしまう時に衝撃が走りました。
なんと野菜室でしなびている・・・。
なんだかタクアンみたいにシワシワで、やわらかい。
がっかりして「まぁ、安いし、いいか・・・」
と一回は諦めたのです。
だけど、しなびた大根の調理法を探していたら、水に
つけておくだけで復活するよ、という豆知識をみつけた。
なぁんだ、考えてみればそうじゃん、と昨日の朝に水に
ドボン。
思ったほど復活しませんでしたが、どうせおでんの出汁を
吸い込んでくれるんだと下ごしらえして出汁に漬けます。
今夜の晩ごはんは温かいおでん。
出汁もよい塩梅の味付けだ。
大根にからしをつけて口の中へ。
すかさず白いご飯をかきこむ。
大根は便利な食材だ。