無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
充実した皐月のひと月
今月は非常に充実した月だった。
気候の良さはもちろんだが、何よりも「くらやみ祭」が三年ぶりに開催されたことが大きい。
久しく充実しない5月を過ごしてきたのだ。
仕事のシフトが都合良くて、連休中の三日間すべての行事を見に行けた。
こんなことは初めての経験だ。
各行事とも見に行ったことはあるが、その年はその日のみしか行っていない。
なんというか、郷土の良さや歴史と繋がっている自分を感じることが出来た。
とても元気が出る。
誰しもが、自分の生まれた、あるいは暮らしている土地との繋がりを実感することで心が豊かになる。
そして、郷土を誇りに思い、足元のこの生活から明日へと一歩を踏み出すのだ。
僕にとっては5月は「くらやみ祭」のお陰で、気候がよいだけではない一ヶ月なのだ。
その反動かはわからないが、一方で月の後半はさほどの充実感がなかった。
まぁ、これは月の前半の充実度のうら返しかもしれない。
実際には充実していない、とまではいかない。
ごく普通か、あるいはもう少し良かったくらいだ。
ただ、やり残したことがあり残念に思う。
大したことではないが、朝顔の種まきをできなかったことか・・・。
例年、朝顔が咲くのが8月の残暑の頃になってしまい花を楽しむのが遅い事が気になっていた。
ここは頭の痛い問題で、梅雨の時期に種まきをすると冷えのため発芽がよろしくないことがある。
いつも来年はもっと早く撒こうと思っているのだが、5月はちょっと早いせいか、いつも手が遅れるのだ。
もうひとつは「小うず」のシャンプーだ。
例年、春と秋に天気の良い日を狙ってシャンプーする。
しかし、今年はシャンプーを切らしてしまっていた。
毎日、グルーミングをしていて、毛が少しゴワゴワした感じがあった。
きっと毎日なめているせいで、毛が硬くなっているのだ。
猫年齢で中年にさしかかっているからかもしれないが・・・。
ここまで書いてみて、なにか僕は太平楽な生活をしているように思われるかもしれない.
まぁ、必死に弁明する気もないが、少しは仕事の負担が減ったせいもあるのだろうか・・・。
来月は早いもので、もう一年が半分過ぎようとしている。
明日は「来月」だ・・・。
気候の良さはもちろんだが、何よりも「くらやみ祭」が三年ぶりに開催されたことが大きい。
久しく充実しない5月を過ごしてきたのだ。
仕事のシフトが都合良くて、連休中の三日間すべての行事を見に行けた。
こんなことは初めての経験だ。
各行事とも見に行ったことはあるが、その年はその日のみしか行っていない。
なんというか、郷土の良さや歴史と繋がっている自分を感じることが出来た。
とても元気が出る。
誰しもが、自分の生まれた、あるいは暮らしている土地との繋がりを実感することで心が豊かになる。
そして、郷土を誇りに思い、足元のこの生活から明日へと一歩を踏み出すのだ。
僕にとっては5月は「くらやみ祭」のお陰で、気候がよいだけではない一ヶ月なのだ。
その反動かはわからないが、一方で月の後半はさほどの充実感がなかった。
まぁ、これは月の前半の充実度のうら返しかもしれない。
実際には充実していない、とまではいかない。
ごく普通か、あるいはもう少し良かったくらいだ。
ただ、やり残したことがあり残念に思う。
大したことではないが、朝顔の種まきをできなかったことか・・・。
例年、朝顔が咲くのが8月の残暑の頃になってしまい花を楽しむのが遅い事が気になっていた。
ここは頭の痛い問題で、梅雨の時期に種まきをすると冷えのため発芽がよろしくないことがある。
いつも来年はもっと早く撒こうと思っているのだが、5月はちょっと早いせいか、いつも手が遅れるのだ。
もうひとつは「小うず」のシャンプーだ。
例年、春と秋に天気の良い日を狙ってシャンプーする。
しかし、今年はシャンプーを切らしてしまっていた。
毎日、グルーミングをしていて、毛が少しゴワゴワした感じがあった。
きっと毎日なめているせいで、毛が硬くなっているのだ。
猫年齢で中年にさしかかっているからかもしれないが・・・。
ここまで書いてみて、なにか僕は太平楽な生活をしているように思われるかもしれない.
まぁ、必死に弁明する気もないが、少しは仕事の負担が減ったせいもあるのだろうか・・・。
来月は早いもので、もう一年が半分過ぎようとしている。
明日は「来月」だ・・・。
40にして得た心境について語る(その3)
むずかしことはない。
なんでもいいのだ。
なんでもいいから感謝する。
「忙しいときに隣席の人が電話を取ってくれた」とか、「天気が良かったので、お空に感謝」でもよい。
こじつけでもいいから感謝する。
毎日、5つづつとか、10づつとかノルマも決める。
すると気がつくと、毎日感謝することを意識的に捜している自分に気がつく。
次第に、毎日が充実して幸せな気分になっていくのだ。
これは「認知療法」ともいわれているようだが、僕はこれを五木寛之さんに「あんがとノート」という形で教わったのだ。
「認知療法」とか、学問的に言われるとなにか抵抗感があるのだが、「あんがとノート」は入りやすかった。
「感謝をする」ことの大切さがよくわかる事例としては特筆すべきものだ。
人は歳をとると、感謝の気持ちを持つことの重要性を理解するようになる。
誰しも一人だけで生きている人はいない。
家族などいない人でも、直接・間接を問わず助け合っているのだ。
毎日食べるお米は農家の方が作っているのだ。
電車の運転は自分がしているわけではなかろう・・・。
自分以外のすべてのことに感謝をする。
それが人の心にプラスに作用するということを僕は身を持って体感したのだった。
< おしまい >
なんでもいいのだ。
なんでもいいから感謝する。
「忙しいときに隣席の人が電話を取ってくれた」とか、「天気が良かったので、お空に感謝」でもよい。
こじつけでもいいから感謝する。
毎日、5つづつとか、10づつとかノルマも決める。
すると気がつくと、毎日感謝することを意識的に捜している自分に気がつく。
次第に、毎日が充実して幸せな気分になっていくのだ。
これは「認知療法」ともいわれているようだが、僕はこれを五木寛之さんに「あんがとノート」という形で教わったのだ。
「認知療法」とか、学問的に言われるとなにか抵抗感があるのだが、「あんがとノート」は入りやすかった。
「感謝をする」ことの大切さがよくわかる事例としては特筆すべきものだ。
人は歳をとると、感謝の気持ちを持つことの重要性を理解するようになる。
誰しも一人だけで生きている人はいない。
家族などいない人でも、直接・間接を問わず助け合っているのだ。
毎日食べるお米は農家の方が作っているのだ。
電車の運転は自分がしているわけではなかろう・・・。
自分以外のすべてのことに感謝をする。
それが人の心にプラスに作用するということを僕は身を持って体感したのだった。
< おしまい >
40にして得た心境について語る(その2)
一昼夜ほど床についたろうか・・・。
なにか食事をしようと、当時住んでいた浦安の住宅街をひとり歩いて食事処を捜した。
・・・・なんか、おかしい。
身体が軽い、とても楽だ・・・。
憑きものが落ちたかのようにリラックスしていた。
肩こりも、腰痛も軽い・・・。
僕は心の中でなにかを諦めた。
それは会社でのご出世や栄達であっただろうか・・・。
もうどうでもよくなったのだ。
すると、なんだかとても楽になった。
夜道を歩いて、飛び跳ねたのを覚えている。
無論、それでメンタルが全快したとか、そんなことはない。
現在に至るもまだまだ投薬を続けているのだが・・・。
ただ、念のため書いておくと、このときは再度復帰しており会社を辞めたと言うことはない。
価値観とでもいおうか、何かやはり自分を縛り付けていた何かが落ちたのは確かだ。
いままで、あまりに普通すぎて、考えもしたことがない日常に意識が向きだしたということだ。
例えば、自動車で移動するよりも自転車で移動したときの景色に感動したり、歩いていると足元の草花に目が行くといったことだ。
このときに始めたことがひとつあった。
これは作家の五木寛之さんの本を読んで知ったことだ。
五木さんご自身がうつ病のときに行ったそうだ。
それは「あんがとノート」・・・。
< まだつづく >
なにか食事をしようと、当時住んでいた浦安の住宅街をひとり歩いて食事処を捜した。
・・・・なんか、おかしい。
身体が軽い、とても楽だ・・・。
憑きものが落ちたかのようにリラックスしていた。
肩こりも、腰痛も軽い・・・。
僕は心の中でなにかを諦めた。
それは会社でのご出世や栄達であっただろうか・・・。
もうどうでもよくなったのだ。
すると、なんだかとても楽になった。
夜道を歩いて、飛び跳ねたのを覚えている。
無論、それでメンタルが全快したとか、そんなことはない。
現在に至るもまだまだ投薬を続けているのだが・・・。
ただ、念のため書いておくと、このときは再度復帰しており会社を辞めたと言うことはない。
価値観とでもいおうか、何かやはり自分を縛り付けていた何かが落ちたのは確かだ。
いままで、あまりに普通すぎて、考えもしたことがない日常に意識が向きだしたということだ。
例えば、自動車で移動するよりも自転車で移動したときの景色に感動したり、歩いていると足元の草花に目が行くといったことだ。
このときに始めたことがひとつあった。
これは作家の五木寛之さんの本を読んで知ったことだ。
五木さんご自身がうつ病のときに行ったそうだ。
それは「あんがとノート」・・・。
< まだつづく >
40にして得た心境について語る(その1)
30代でメンタルを損ねて、それから立ち直ろうと病と格闘した。
それから、数年経って40代になって至った境地があった。
実はそのときも、ふたたびメンタルが再燃したのだ。
原因は繁忙ストレスと、はっきりいえば上司との人間関係である。
このときは、決して「いわゆるパワハラ」ではなかった。
・・・正直なところ、はっきりとしたことはわからない。
なぜなら人事に関わる部分もあり、当然に部下である僕は全容を知り得ない立場だったからだ。
だが、結果的には猛烈な仕事のストレスを感じているなかで、はしごを外されたようなものだ。
再起への努力も虚しく、僕は撃沈された。
・・・人生というものはおかしなものだ.
必死に求めているときには得られない物が、諦めた途端手に入ることもある。
倒れたときは、とてもキツかったのを覚えている。
会社を休むために電話をしたときは、言葉もたどたどしいくらいだった。
おそらく僕の声を聞いて、その上司は肝を冷やしたことだろう。
< つづく >
それから、数年経って40代になって至った境地があった。
実はそのときも、ふたたびメンタルが再燃したのだ。
原因は繁忙ストレスと、はっきりいえば上司との人間関係である。
このときは、決して「いわゆるパワハラ」ではなかった。
・・・正直なところ、はっきりとしたことはわからない。
なぜなら人事に関わる部分もあり、当然に部下である僕は全容を知り得ない立場だったからだ。
だが、結果的には猛烈な仕事のストレスを感じているなかで、はしごを外されたようなものだ。
再起への努力も虚しく、僕は撃沈された。
・・・人生というものはおかしなものだ.
必死に求めているときには得られない物が、諦めた途端手に入ることもある。
倒れたときは、とてもキツかったのを覚えている。
会社を休むために電話をしたときは、言葉もたどたどしいくらいだった。
おそらく僕の声を聞いて、その上司は肝を冷やしたことだろう。
< つづく >
食卓を彩る・・・ランチョンマット
さて、ジャンルはグルメなのですが、お食事や料理がテーマではありません。
ちょっとテーマに迷うところですが、敢えてグルメのジャンルに入れました。
まぁ、食事に関わるテーマではあります。
小庵にはダイニング・テーブルがありません。
僕はいつもリビングのテーブルで食事をしています。
ガラスで透明なテーブルなので、真下が丸見え。
にゃんこくんが下にいればそれはそれで良い眺めですが、自分の足の裏なんかみながら美味しい物はいただけません。
以前からランチョンマットを使っていたのですが、だいぶ年季が入っていたので破損した。
良い機会だから、買替えました。
・・・・とかいっても、ダイソーですけどね・・・。
食べ物で汚れたりは頻発するんだそうから、簡単に洗ったり拭いたりできるものを・・・。
そんなで選んだのがこれです。
汚れはさっと取れそうですね。
食事は大切。
いつも気分良く食べられるようにしましょう。
ちょっとテーマに迷うところですが、敢えてグルメのジャンルに入れました。
まぁ、食事に関わるテーマではあります。
小庵にはダイニング・テーブルがありません。
僕はいつもリビングのテーブルで食事をしています。
ガラスで透明なテーブルなので、真下が丸見え。
にゃんこくんが下にいればそれはそれで良い眺めですが、自分の足の裏なんかみながら美味しい物はいただけません。
以前からランチョンマットを使っていたのですが、だいぶ年季が入っていたので破損した。
良い機会だから、買替えました。
・・・・とかいっても、ダイソーですけどね・・・。
食べ物で汚れたりは頻発するんだそうから、簡単に洗ったり拭いたりできるものを・・・。
そんなで選んだのがこれです。
汚れはさっと取れそうですね。
食事は大切。
いつも気分良く食べられるようにしましょう。
花鳥も思へば夢の一字かな
「花鳥も思へば夢の一字かな」
夏目成美の俳句です。
実はまだこの作品は裏打ちをしていません。
なので、画像を見ておわかりのように紙に皺が寄っています。
その点、どうかご了承ください。
夏目成美は江戸時代の俳人です。
「俳諧は文人らしい風雅感と繊細さを特徴とする」との評がWikipediaにも載っています。
まぁ、正直なところ僕はあまりこの俳人には詳しくありません。
しかし、この句を見る限りは「風雅感と繊細さ」について当たっている様な気がします。
「花鳥」は水墨画のジャンルにもあるように、この世の中の美しい物の総称といるかもしれません。
牡丹や梅のような花、鷹や、鶴のような気品ある鳥、これらを射して「花鳥」として観ています。
うたた寝してそんな気品ある花鳥を夢に見たのでしょうか・・・。
夏目成美の俳句です。
実はまだこの作品は裏打ちをしていません。
なので、画像を見ておわかりのように紙に皺が寄っています。
その点、どうかご了承ください。
夏目成美は江戸時代の俳人です。
「俳諧は文人らしい風雅感と繊細さを特徴とする」との評がWikipediaにも載っています。
まぁ、正直なところ僕はあまりこの俳人には詳しくありません。
しかし、この句を見る限りは「風雅感と繊細さ」について当たっている様な気がします。
「花鳥」は水墨画のジャンルにもあるように、この世の中の美しい物の総称といるかもしれません。
牡丹や梅のような花、鷹や、鶴のような気品ある鳥、これらを射して「花鳥」として観ています。
うたた寝してそんな気品ある花鳥を夢に見たのでしょうか・・・。
よいカウンセラーに出会うには・・・?
カウンセリングって受けたことがありますか?
僕自身はメンタルをかつてやられているので、何回も受けました。
でも、それ以外でもカウンセリングは受けることがあります。
僕も仕事で受けたことがあります。
ちょっとわかりづらい言い方ですね。
会社負担で職場全員が受けるよう指示があったのです。
詳しいことは知りませんが、臨床心理士の有資格者が患者と面談を通じてメンタルサポートをします。
その際には、おもに対面で会話やヒヤリングなどで施術されますが、ときには道具を使ったり薬を投与したりすることもあるようです。
やっかいなことに、このカウンセリングというものはなかなか効果が見えにくい。
そしてカウンセラーとの相性なんてものにも依存しています。
よいカウンセリングを受けることが出来る、というのは余程のラッキーがなければなりません。
先にちょこっと触れた職場で全員が受けたときのことです。
まぁ、これってよくよく考えたら結構酷かった気もします。
会社全員が受けるものだから、時間もかかるし、カウンセラーの数も揃えるのに苦労があったでしょう。
僕があたったカウンセラーはおそらく初級者だったのでしょうね。」
カウンセラー(以下、C)「何を困っていますか?」
僕(以下、B)「業務が逼迫していて、肩や腰に凝りが溜まるのが困る」
C「それを解決するにはどうすればよいですか」
B「知りません。運動すると多少改善します」
C「それをすれば解消しますか」
B「知りません。もういいです。」
この手の会話は初学者の臨床心理士がよくやる間違いと思う。
心理学のお勉強をすると「答えは相手の心の中にある」とされているため、被験者に問いかけばかり繰り返す。
僕がカウンセラーをよく思わないのは、この手の初心者に担当されたことが多いからだ。
それでもやはり人はいる。
この人ならば是非受けたい、と思った人が会社指定のカウンセラーにいた。
本当にこの人になら何を話しても理解してもらえるし、と信頼していた。
ちょっと失礼だが、年輩の女性カウンセラーでした。
このカウンセリングという仕事、目に見えないもので効果もわかりづらい。
でも確かな人はいるものなのだ・・・と、今になって思い出す。
しかし、そこに行き着く前には多大なる自己負担と無駄な時間がかかる。
まっこと頭の痛いカウンセラー事情である・・・。
僕自身はメンタルをかつてやられているので、何回も受けました。
でも、それ以外でもカウンセリングは受けることがあります。
僕も仕事で受けたことがあります。
ちょっとわかりづらい言い方ですね。
会社負担で職場全員が受けるよう指示があったのです。
詳しいことは知りませんが、臨床心理士の有資格者が患者と面談を通じてメンタルサポートをします。
その際には、おもに対面で会話やヒヤリングなどで施術されますが、ときには道具を使ったり薬を投与したりすることもあるようです。
やっかいなことに、このカウンセリングというものはなかなか効果が見えにくい。
そしてカウンセラーとの相性なんてものにも依存しています。
よいカウンセリングを受けることが出来る、というのは余程のラッキーがなければなりません。
先にちょこっと触れた職場で全員が受けたときのことです。
まぁ、これってよくよく考えたら結構酷かった気もします。
会社全員が受けるものだから、時間もかかるし、カウンセラーの数も揃えるのに苦労があったでしょう。
僕があたったカウンセラーはおそらく初級者だったのでしょうね。」
カウンセラー(以下、C)「何を困っていますか?」
僕(以下、B)「業務が逼迫していて、肩や腰に凝りが溜まるのが困る」
C「それを解決するにはどうすればよいですか」
B「知りません。運動すると多少改善します」
C「それをすれば解消しますか」
B「知りません。もういいです。」
この手の会話は初学者の臨床心理士がよくやる間違いと思う。
心理学のお勉強をすると「答えは相手の心の中にある」とされているため、被験者に問いかけばかり繰り返す。
僕がカウンセラーをよく思わないのは、この手の初心者に担当されたことが多いからだ。
それでもやはり人はいる。
この人ならば是非受けたい、と思った人が会社指定のカウンセラーにいた。
本当にこの人になら何を話しても理解してもらえるし、と信頼していた。
ちょっと失礼だが、年輩の女性カウンセラーでした。
このカウンセリングという仕事、目に見えないもので効果もわかりづらい。
でも確かな人はいるものなのだ・・・と、今になって思い出す。
しかし、そこに行き着く前には多大なる自己負担と無駄な時間がかかる。
まっこと頭の痛いカウンセラー事情である・・・。
辛くて最高!台湾麻婆豆腐
僕は甘くても、酸っぱくても、苦くても、しょっぱくても大概平気。
好き嫌いはないとはいいきれないけど、これだけはイヤという食べ物はありません。
・・・・
噓!アボガドだけは大嫌い。
ま、まぁ、そんなで辛い物でも大丈夫です。
レトルトで売っていまして、豆腐と混ぜて温めれば直ぐに美味しくいただけます。
麻婆豆腐というのは、なんといってもご飯に合うのがとても嬉しい。
正直言って、この台湾風の麻婆のどこが台湾風なのかわかりません。
まぁ四川風と比べて赤みがあるので唐辛子が多いのかな?
四川風ほど山椒が効いてないし、辛さもややマイルドかもね。
僕としては台湾との友好にこの麻婆豆腐と、台湾パイナップルを贔屓にしています。
台湾パインも最近、徐々にお安く手に入るものがでてきました。
芯まで食べられるので無駄がなくてとてもいい。
台湾、友好!台湾、加油!!ヽ(´∀`)ノ
好き嫌いはないとはいいきれないけど、これだけはイヤという食べ物はありません。
・・・・
噓!アボガドだけは大嫌い。
ま、まぁ、そんなで辛い物でも大丈夫です。
レトルトで売っていまして、豆腐と混ぜて温めれば直ぐに美味しくいただけます。
麻婆豆腐というのは、なんといってもご飯に合うのがとても嬉しい。
正直言って、この台湾風の麻婆のどこが台湾風なのかわかりません。
まぁ四川風と比べて赤みがあるので唐辛子が多いのかな?
四川風ほど山椒が効いてないし、辛さもややマイルドかもね。
僕としては台湾との友好にこの麻婆豆腐と、台湾パイナップルを贔屓にしています。
台湾パインも最近、徐々にお安く手に入るものがでてきました。
芯まで食べられるので無駄がなくてとてもいい。
台湾、友好!台湾、加油!!ヽ(´∀`)ノ
人はみな、大河の一滴
歌ではありませんが、作家の五木寛之さんの本「大河の一滴」から、一節のみ近代詩文書風に作品にしました。
「大河の一滴」は一昔前に、僕も心が病んでいたころに読みました。
この五木寛之さんご自身も同じように病を抱えた経験がおありのようです。
そのあたりに僕も共感したのかもしれません。
一読して思うのは、やはり「方丈記」(鴨長明)なのでしょうね。
「行く川の流れは絶えずして・・・」というやつです。
大河に流れる水の一滴を思い、この世の無常観を垣間見る。
自分自身があの川の流れの一滴の水であるという喩えに、無常観を感じるのか、それとも人知を遙かに超えた存在に繋がる自分を発見してさらなる成長をしていくのか・・・。
僕自身、病を経てやはり無常観や無力感、心が虚空をさまよい歩いた経験があります。
それから立ち直れたのは、無常観の中にいる自分が、それでも大きな歴史や土地・風土に結びついているということに気がついたためかもしれません。
失職して自分が何者かということに、改めて考え直す時期がある。
おそらく多くの人は会社などへの帰属意識の喪失が第二のモラトリアムを引き起こします。
僕はそのとき、地元郷土の歴史の中にいる自分を再発見したことで、自己アイデンティティを取り戻しました。
僕は郷土の長い歴史のなかに息づく「大河の一滴」だったのです。
「大河の一滴」は一昔前に、僕も心が病んでいたころに読みました。
この五木寛之さんご自身も同じように病を抱えた経験がおありのようです。
そのあたりに僕も共感したのかもしれません。
一読して思うのは、やはり「方丈記」(鴨長明)なのでしょうね。
「行く川の流れは絶えずして・・・」というやつです。
大河に流れる水の一滴を思い、この世の無常観を垣間見る。
自分自身があの川の流れの一滴の水であるという喩えに、無常観を感じるのか、それとも人知を遙かに超えた存在に繋がる自分を発見してさらなる成長をしていくのか・・・。
僕自身、病を経てやはり無常観や無力感、心が虚空をさまよい歩いた経験があります。
それから立ち直れたのは、無常観の中にいる自分が、それでも大きな歴史や土地・風土に結びついているということに気がついたためかもしれません。
失職して自分が何者かということに、改めて考え直す時期がある。
おそらく多くの人は会社などへの帰属意識の喪失が第二のモラトリアムを引き起こします。
僕はそのとき、地元郷土の歴史の中にいる自分を再発見したことで、自己アイデンティティを取り戻しました。
僕は郷土の長い歴史のなかに息づく「大河の一滴」だったのです。
いまが一年で最高の季節
さわやかな五月の陽気。
日差しも暑くなって、真夏日になった日もあったほどですが、それでも一年でもっともいい季節だと思う。
それもこれも、「湿度」のせいでしょうね。
日本の夏は湿気が酷い。
日射病よりも熱中症の方が多いと思う。
来月、6月は梅雨の季節。
ここから湿気対策が必要となってきます。
それでも6月はまだ雨がちで気温がさほど上昇しません。
梅雨が明けると、もうノーマルな人間には耐えきれないほどの気候になります。
とは、いいながら僕は自分のためにはあんまり冷房を入れないのですけどね・・・。
猛暑日の酷い日には「小うず」のために冷房を入れる。
僕自身は夏は風呂に入らず、水シャワーで身体を冷やして、寝るときもアイスノンで眠ります。
あぁ、この気持ちのいい季節がもっと続くと良いのに・・・。
湿気のイヤさは海外旅行でも経験した。
オーストラリアへ行ったときだ。
エアーズロック・リゾート→ケアンズという行程で旅行したときだ。
僕は砂漠より海の方が好きなので、海辺のケアンスを後にしたのだったがこれが大失敗だった。
砂漠は意外にも過ごしやすかったのだ。
ひとえに湿気のせいだ。
砂漠の後に、ケアンズへ行ったときは湿気が酷く感じた。
おそらくケアンズは日本よりも過ごしやすいはずだ。
でも、その直前に快適な砂漠の気候を経験してしまったものだから・・・。
まぁまぁ、それでもあと少し、この日本のさわやかで快適な季節を楽しもうじゃありませんか・・・。
日差しも暑くなって、真夏日になった日もあったほどですが、それでも一年でもっともいい季節だと思う。
それもこれも、「湿度」のせいでしょうね。
日本の夏は湿気が酷い。
日射病よりも熱中症の方が多いと思う。
来月、6月は梅雨の季節。
ここから湿気対策が必要となってきます。
それでも6月はまだ雨がちで気温がさほど上昇しません。
梅雨が明けると、もうノーマルな人間には耐えきれないほどの気候になります。
とは、いいながら僕は自分のためにはあんまり冷房を入れないのですけどね・・・。
猛暑日の酷い日には「小うず」のために冷房を入れる。
僕自身は夏は風呂に入らず、水シャワーで身体を冷やして、寝るときもアイスノンで眠ります。
あぁ、この気持ちのいい季節がもっと続くと良いのに・・・。
湿気のイヤさは海外旅行でも経験した。
オーストラリアへ行ったときだ。
エアーズロック・リゾート→ケアンズという行程で旅行したときだ。
僕は砂漠より海の方が好きなので、海辺のケアンスを後にしたのだったがこれが大失敗だった。
砂漠は意外にも過ごしやすかったのだ。
ひとえに湿気のせいだ。
砂漠の後に、ケアンズへ行ったときは湿気が酷く感じた。
おそらくケアンズは日本よりも過ごしやすいはずだ。
でも、その直前に快適な砂漠の気候を経験してしまったものだから・・・。
まぁまぁ、それでもあと少し、この日本のさわやかで快適な季節を楽しもうじゃありませんか・・・。