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「長月」も、今日は晦日日・・・・

今日で「長月」も終わり。
今月の晦日でありますが、同時に企業の会計年度の考えで行くと、年度の半ばが終わる日でもあります。
今年度も半分が終わった、と見るか、それとも通常の暦の感覚で今年もあと残すところ3か月と見るか?
なんにせよ、一区切りにはかわりありません。

巨大な勢力の台風も過ぎゆき、秋も深まる・・・。
そういえば、階下にみえる街路樹も色付き始めています。

紅葉井の頭池2

木々が一年間でもっと色づく、艶やかで美しい季節でもあります。
ようやく、暑さも落ち着いてきたかのように見えます。
ただ、まだまだ涼しいとまでいかない日も多かったと思います。
来月になれば、上着も必要になりましょう。
布団も替え時かもしれません。
ただ、先日、夜の冷え込みで鼻風邪をいただいてしまいました。

秋の味覚はまだ味わっていません。
さんまは今年も高価なようです。
柿がぼちぼち店頭に並んできたかもしれませんね。
今年は栗を買って、食べてみようかな、と思いました。
しかし、こんな自分が栗を煮てみようかな、などと思っています。

今月もお疲れさまでございます。

ABEMA TV 地方議会の惨状を拡散!(その2)

この人たちって、ひょっとしたらチャイナの手先ではないのではないでしょうか。
本当にこの人たちのなかでは「日本が悪い」と思っているのではないかという気がします。
正直、話がかみ合わないことだらけです。

史上最大の軍事訓練とやらが奄美で行われたというのですが、なんとそれがジャベリンの発射訓練・・・ということです。
いやはや、歩兵の携行兵器の訓練で「史上最大」の軍事訓練とか・・・。
いったい何万人で撃ったんだよ、とかね・・・。
しかも、それがロシアではなくチャイナへの侵略行為とかって・・・?
僕も彼ら出演者と同じように理解不能でした。

もっとも噴飯物の発言は「岸田政権は南西諸島に核ミサイルを配備する計画をしている」というもの。
出演者一同唖然として、「ソースは?」「どこの情報ですか?」「そんな話どこにあるんですか?」と質問すると、平然と「ありますよ」と回答。
ソースは・・・の質問には、さすがに窮したのか「中核派の機関誌」とのこと。
「想像の世界の話は置いておいて・・・」「一応、区議さんなんだから、いい加減な話はしないほうがよい」
みんな大人な対応だなぁ・・・。

結局、あれなんですね。
彼らの脳内では、論理とか事実をすっとばして結びついちゃっているんでしょうね。
周囲が理解できない、とかいうと「そうですかぁ?」と不思議そうな顔をしている・・・。

国葬にしろ、憲法改正にしろ、彼らとは議論をしても無駄。
結局は今回のように誰にも理解できないトンデモ理論を一方的に展開するだけ。
ネットでいう「基地外」というやつでしょうか・・・。

困ったことに、この人杉並区議会の議員さんなんです。
まぁ自分の住んでいるところの地方議員ではないんですが。
動画は笑えるけれども、これって結構笑えない話です。
実際、地方議員とか地方議会が異常事態であることが徐々に見えてきたようです。

以前にこの日記でも書いたように、東京都武蔵野市での外国人住民参加の住民投票を市長が議会に提出したということがありました。
あれって、市長さんご自身が左翼活動家くずれというのもありましたが、武蔵野市議会全体が左傾していたということがはっきりしました。
なんとかあの件はいったんは否決できましたが、かなりの比率で議会全体が左翼化しているのが明白になりました。
それでもノンポリの人が大勢いるわけで、これだけ危機的な状況があったにもかかわらず投票行動を変えない人が対多数でしょう。
なにしろ、こういうときに限ってメディアは両論併記で、危機感を薄めるのに懸命でしたから・・・。
地方議会はかなり危ない状態で有ると思います。

そういう危機意識を持って、僕らはいままで軽視してきた地方行政にも目を向ける必要があると思います。

< おしまい >

ABEMA TV 地方議会の惨状を拡散!(その1)

なかなかの動画でした。

この動画には杉並区議会議員になっている中核派の洞口朋子という女性議員が9月9日、ABEMA TVに出演しています。
この人物ですが、けっこうテレビ業界でも重用されているみたいで、よく一般人インタビューと称して何回も登場していたようです。
エキストラの仕事をしている人が街頭インタビューで使われているという話はよく聞きます。
おそらくはそれでしょう。

そのころは議員ではなく、一般人だったと思いますが・・・。
僕がよくチェックしているブログなどでも、当時から中核派として知られていました。
なるほど、テレビ業界っていうのは、そっちの界隈と親しいようですね。
道理でテロリストなどにシンパシーを感じているのがよくわかります。



この動画はもともと、この議員が安倍元首相の国葬に何で反対しているのか、ということで質問されています。
そこから、なんで国葬反対のチラシに「チャイナへの戦争戦争をやめろ」とあるのか、に焦点があたります。
この動画が秀逸なのは、この洞口議員の話が結構、目茶苦茶でまさしくパヨク目線で、失笑ものであることです。
同じく動画に出演しているひろゆき氏やつるの剛士氏らの表情も、注目です。
なにしろ、「何言っているのかわからない」ので顔をしかめるしかありません。

・国葬を行う=挙国一致の態勢を作り上げ、戦争へ向かう空気をつくりあげる・・・?
・日本と米軍が史上最大の軍事行動(軍事訓練)をとってチャイナを挑発している
・岸田政権は南西諸島に核ミサイルを配備する計画している・・・?
・だからチャイナが排他的経済水域へミサイルを撃ち込む事に対して日本政府に抗議を行っている

さてさて、どこから突っ込めば良いのやら、です。

< つづく >

国葬の一般献花に参列・・・安倍さん、長い間ありがとう

いうまでもなく、本日は故・安倍元総理大臣の国葬の日であった。

たまたま、ではあるが僕は今日は仕事がノーシフトの日だったので、今月のシフトが確定したときから献花に行くつもりだった。
7月にあの大事件があって、しかし機会を逸して自民党本部や国会へ弔問することができなかった。
場所は九段下・・・日本武道館と分かっていたし、場所も行き慣れたところである。
あいにくと献花場は武道館とはちょっと離れた九段下の道路沿いだったが・・・。

国葬については当初、賛意を示す人が大多数だったと思う。
白昼の惨劇に心を痛めた人がまこと多かった。
しかし、この二ヶ月あまり、メディアの報道がまさしく地に墜ちたかのように酷かった。
テロリストである容疑者の口にした動機を鵜呑みにしたメディアは、統一教会問題でヒートアップした。

統一教会自体がターゲットになったのは良いとして、なんとその矛先を被害者である安倍さんに剥くように仕掛けていたように思う。
「あのテロリストは統一教会の被害者だ。気の毒な人だ。」
「悪いのは統一教会だ。」
「統一教会に関係のあった議員は悪だ」
「安倍元首相も関係があった。だから殺されたのだ。」
こういった感じだろうか・・・。
この間は、近年流行りのワイドショー政治が「統一教会問題」を一気に盛り立てた。
そして、本来は統一教会とはほとんど関係もなく、テロリスト本人も勘違いで安倍元首相を殺害したのにも関わらず・・・である。

また、国葬儀に関して、「法的根拠がない」「安倍元首相の政治的成果はまだ確定しない」「弔意を強制するな」とのほとんど言いがかり的な反対論を煽り立てた。
ワイドショー政治にころりと騙された多くのDUPES・・・大多数は高齢者である・・・は、そんな空気に呑み込まれていった。
後日記事を上げようと思うが、僕のまわりにも空気感だけで判断している知能の足りない人がかなりいる。

なんたることか、今日までに世論調査では「国葬反対」が六割と報道されてきた。
メディアの腐った心根が、これほどまでに国論を歪めてしまったのである。
元来、我が国では「亡くなった人へのいたわり」というマナーがあった筈だ。
それが、いまや公然とこのDUPESたちは国葬反対を口にし、あたかも安倍元首相本人が悪かったかのような言動を口にする。
外国の大使にたしなめられるほど、礼節を欠いた日本人が大量発生しているのである。

そんなであったため、今日は行くつもりでいたが、ひょっとして閑散とまではいかないまでも参加者は少ないのではないか、と心配した。
それならそれまで、逆に空いてていいじゃないか、と居直っていた。
献花台は九段下にあるが、途中手荷物検査があるため半蔵門駅からアプローチした方が良い、と知ってその通りにした。

安倍さん国葬3

花は新宿駅の南口にある花屋さんで購入した。
「仏さん用の花か?」と問うと、店員さんが「献花用の花です」と僕の服装を見て察したのだろうか・・・。
お彼岸も近いため、仏花はどこでも売っているが、地元ではまだ十時前のため店が開いていなかったのだ。
地下鉄では九段下に近づくほどに、手に花を持つ人が増えていった。
半蔵門線では周囲はそんな人だらけだった。
僕は少し安心した。

安倍さん国葬1

十時半頃、半蔵門の駅を出て、僕の予想は脆くも裏切られた。
なんと駅前では既に大行列が出来ていたのだ。
それも全容を把握するのに相当時間がかかるほどだ。
警備しているおまわりさんですら、連携に手間取っていた。
下り坂をまっすぐ行くと千鳥ヶ淵緑道があるが、その手前で行列はUターンしている。
そして、一街区を二重に列が折り返して連なっているのだ。

並ぶこと1時間、ようやく皇居のお堀端に出たと思ったら、列ははるかかなた三宅坂まで伸びて、その交差点で折り返し、本当にお濠側で列をなしている。
行列は終始流れていたが、僕の後では半蔵門の駅側はさらに列が伸びていたため、どうやらお壕端で列を伸ばして三宅坂まで伸ばしたのだろう。(後で判明したが、最後尾はなんと四ッ谷まで伸びていたらしい)

安倍さん国葬2

参列者には若い人も女性もいた。
それどころか、電動車椅子の障害者や高齢者もいた。
列で待たされるというよりも、ひたすら歩かされた気がする。
高齢者にはつらかったのではないだろうか、おそらくふた駅分以上歩いたと思う。
だが、高齢者も多かったというのが僕には嬉しかった。
僕の周囲はテレビばかり見ているDUPESだらけだったのだ。

上空にはオスプレイよりもけたたましい音を立てているヘリコプターがずっと飛んでいた。
警視用のヘリもあっただろうが、多くはマスゴミのものだろう。
彼らはこの大行列を見て歯ぎしりしているのではないだろうか・・・。
国葬の参列者数の速報値では4183人、一般献花者数は約2万3千人だったとしている。
平日で、しかも都内で行われた葬儀への参加者である。
列も整然としていて、まったく礼に叶ったものだったと思う。

一方で、国会前でデモをしていた基地外は1万5千人(主催者発表)、報道によっては4000人とか2600人とかばらつきがある。
この手の主催者発表は「10倍に盛る」のが普通だ。
九段下でも大騒音を鳴らしていた基地外がたくさんいたようだ。
献花の列とは離れていたため見ていないが、おそらくはしょぼい数だろう。
暇人か、手当付きで動員されたものだろう。
長崎かどこかで事前に開催されたデモ隊はたった4人だったらしい。

並ぶこと約2時間。
ようやく献花台にたどり着いた。
用意した花を手向ける。
涙ぐむ女性の方もいて、僕も思わず目頭が熱くなった。
「長い間、日本をありがとうございました。」

安倍さん国葬5

そのあとは目と鼻の先だったため靖國神社にも参拝し、手を合わせてきました。

万葉集で親しむ大和ごころ(その3)

その昔、日本人はそんなとき代わりに「和歌」を詠むことによって、自分の感情や悲しさを表現していたのだ。
もちろんそれは「悲しさ」だけではない。
ときに「喜び」「不安」「恋心」「怒り」・・・様々な感情を歌にしたのだ。
のべつまくなしに感情を発露するよりも、文学性を持った「和歌」として他人に伝える。
これもまた、(出来が良ければ)他人のリスペクトを集めたであろう。

現代人は和歌を詠むことは、歌人でもなければあまりない。
だが、万葉の時代には多くの人が嗜んだ。
なにしろ乞食ですら、歌を残しているのだから・・・。
西洋ではこの時代、字を読み書きすら出来なかったであろう女性までも、我が国では歌を詠んでいるのだ。
ある意味、現代人は劣化しているといえまいか・・・。
僕はこの劣化ぶりに心を痛める。

相模人形芝居

僕はこの日本人の文化的劣化は教育とマスメディアの招いたものと思っている。
ともにおかしな思想を流布している代表的な分野と思う。
国や国歌を尊重しない。
伝統や慣習を軽視し、迫害する。
極端なまでの個人主義であり、「個」を至上のものと定義している。
どの結果、価値観の相違で個人個人が分裂・分断している。
とにかくおかしな思想に害されている。

直近では、ティムラズ・レジャバ駐日ジョージア大使がこのように発言している。
日本国内での国葬に対する批判に「残念に思います」とSNSに投稿している。
「たったひとりでも国外からの来賓があるならば、国民が一丸となって対応することが日本の懐ではないのでしょうか」
「故人に対する目に余る言動に心を締め付けられております」
「今は政治ではなく日本全体の姿が試される局面です」

このように書くと、「万葉集」になんで「アベの国葬が関係するんだ!と、言われるかもしれない。
だが、この大使が述べられるように「弔意に対して批判を行うような霊性の低い言動や行動は人としての品性を疑う」と言われても仕方がない。
今回もそれを助長しているのが、まさしくマスメディアなのである。
そんなものに載せられて、殺人者を擁護し、殺害された人を批判するような我が日本人も墜ちたものだ。

万葉の時代の大和心を取り戻せる日は来るのだろうか・・・。
昨今のワイドショー政治を見ていると、そんな日は来ない気がしてしまう。
だが僕はメディアに左右されない若い世代には希望を持っている。
いつの日にか・・・日がまた昇らんことを祈って・・・。

< おしまい >

Tag : 文化多摩武蔵野歴史読書和歌

万葉集で親しむ大和ごころ(その2)

さて、肝心なことは大概、冒頭や末尾のように書かれるものだ。
と、いうほど大げさなものではないが、僕が考えさせられた点が末尾の方に書かれていた。
それもまた現代の感覚に当てはめることがたやすいせいかもしれない。
それは、万葉ひとの・・いや、日本人の感情表現に関することだ。

日本人は公式の場では感情を押し殺す。
例えば、アナウンサーはどんなに悲しい出来事であったとしても、淡々と事実だけを報じねばならない。
そこに自己の感情をこめるなどもってのほかだ。
大相撲で横綱なるもの、勝利したからといってそこでガッツポーズととったり、にやけたり・・・は、非常にはしたないし、品格を疑われる。
既に引退したが、それを顕著に行う横綱がいて、大いに非難されていたとは記憶に新しい。
直近でも、奈良で選挙遊説中の安倍もと首相がテロリストに銃撃された事件がある。
その日の夕刻に現職の総理大臣である岸田氏は、安倍さん訃報を会見で知らせるときに涙を流したのは異例である。
政治家がそのようなときに感情を露わにするなど、精神の脆弱な証拠と叱咤する人もいた。

土俵

このように、我が日本の風習ではひとまえで感情を発露することは少なくともプラスではない。
だが、チャイナやコリアでは人が亡くなったときには、大げさに泣きわめくのがふつうらしい。
これと比較して感情を露わにしない日本人は心が冷たい、と彼らは思うらしい。

たしかに彼の国では、○○○ー、とかいって大泣きする風習があるようだ。
葬式ではないが、五輪競技で負けたときに悔しさのあまり、会場で大泣きして競技を長時間ストップさせた選手もいた。
だが、それは果たして賞賛されるべきものだろうか?
むしろはた迷惑と思う。
それこそ「公式の場」では自身の感情は押し殺して、競技の進行がスムーズにいくように協力すべきだ。
自分の感情で全体に迷惑をかけるのは「自己中心的」であることでしかない。

葬式にもどそう。
日本人であれば、葬式の場ですら自身は「主催者」であることから感情は押し殺すのが普通だ。
(無論、時折泣き崩れるようなことがあっても、それは許容されると思うが・・・)
つまりは、感情を抑制しているだけで悲しさは厳然としてあるのだ。
感情を無制限に発露して、演技過剰気味になっている状態の方が実は悲しさの比重は軽いように思う。
じっと耐える姿にこそ、他人は感銘したりリスペクトしたりするのだと思う。

< また、つづく >

Tag : 文化多摩武蔵野歴史読書和歌

万葉集で親しむ大和ごころ(その1)

以前に万葉集に関する本を借りて読んだら、著者がパヨクでくだらないアサヒ文学調で書かれていたため、下らなくて読むのをやめた、と書いた。

仕方ないので、ほかの本を借りた。
それが、「万葉集で親しむ大和ごころ」(上野誠著 角川ソフィア文庫)だ。
先の例があるだけに、恐る恐る本を開く。
また、くだらない本や著者だったらどうしよう・・・。

この本もやや砕けた感じ・・・よく言えば、一般人にもわかりやすく書いたものだ。
それだけに警戒心が生まれる。
この本の狙いのひとつは「現代の生活実感に引き寄せて読み解く」ようなことが序文に書かれている。
先の半藤一利みたいで危険な匂い・・・。

相模国国分僧寺

でも、どうやらセーフのようです。
全部読み終えて、趣旨はよく理解できたようだった。
そう、そもそもがこの万葉集を読み解くには当時の生活や風俗風習の実態が理解できていないと難しい。
いや、そもそも「理解できていない」との推定もできずに、勝手な解釈にいってしまうのかもしれない。
そんな気がした。

例えば万葉の時代の「雪景色」への思い、恋愛の仕方、金銭感覚、遊びやスポーツ、宴会などなど。
ちょっと強引かもしれないが、一方で現代にも通じることもある。
例えば、万葉びとたちは恋心を和歌に込めて相手に贈り、そして返す。
ラブレターなんて、ちょっと一昔前の世相に思えるが、そうだろうか・・・。
和歌のように三十一音の短文に思いを込めること考えれば、現代ではそれをSNSやメールでやりとりすることに相当しないか・・・。
短い文章や言葉に思いを託して、しかもそれが効果的に、そして文学的に相手に伝わるよう知力を振り絞る。
SNSやLINEなどを使う人がそこまで脳を使っているかは疑問ではあるが・・・。

宴会などと書いているが、これも現代的な感覚で忘年会などと一緒にしてはよろしくない。
そんなものもあれば、また公式行事の打ち上げできなものもある。
そんな席では、またしても和歌の歌比べが始まるのだ。
即興芸のように、誰かに「お題」を与えられて、即座に気の利いた歌を作り、披露できるか・・・。
そんな場で、絶妙な歌を即座に歌い上げる歌人がたくさんいたようだ。
著者曰く、まるで「笑点」の「大喜利」のようなものだ、という。
うまく出来たら、その場の雰囲気も盛り上がり拍手喝采だろう。

< つづく >

Tag : 文化多摩武蔵野歴史読書和歌

【二十四節気】今日は「秋分」「秋季皇霊祭」

今日は祭日「秋季皇霊祭」。

そして、二十四節気「秋分」の日でもあります。

一年で昼と夜の時間がほぼ等しい。
太古の昔より、「春分」「秋分」は農業を主産業とした我が「瑞穂の国」では、暦の上でもとても大切な日です。
そういうこともありまして、皇室行事でも「秋季皇霊祭」が行われています。
意味合いとしては「歴代天皇ならびに皇族の霊をまつる儀式を行う日」です。

稲穂3

近年の祝日法では「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」としています。
なるほど、この日は「お彼岸」の中日でもあります。
秋のお彼岸は、秋分の日と前後3日間を合わせた7日間のこと。

秋分の日は昼と夜の長さがほぼ等しくになることから、この日は彼岸とこの世の距離が最も近い日と考えられ、先祖への感謝の気持ちを表しやすい日としています。
このため、お墓参りをしたり仏前に供え物をしたりして祖先の供養を行います。

ぼたもち

お彼岸につきものの、行事食として「おはぎ」があります。
春は「ぼたもち」、秋は「おはぎ」。
いずれもあんこの違いはありますが、基本的には同じ食べ物。
ですがそれぞれの季節の花「牡丹」「萩」が言葉の由来のようです。

「暑さ寒さも彼岸まで」という、よく耳にする言葉があります。
春分の日や秋分の日を境に、暑さ寒さがだんだんとやわらぎ、次の季節の始まりを感じるようになります。
寝冷えして風邪を引かないように、気をつけてお過ごしください。

日章旗2

Tag : 文化多摩武蔵野自然

ジョジョの奇妙な冒険・ストーンオーシャン再開!(その3)

第一部でも驚異である「吸血鬼」をも食料としか見ていない生物。
しかし、吸血鬼と同じように「波紋」と「太陽」に弱いという弱点を持つ。
ジョセフは波紋法を訓練すること+トリッキーな戦法でこの「柱の男」に立ち向かう。
「柱の男」の最後のひとりカーズを追い詰めるが、「エイジャの赤石」と石仮面により究極生物に生まれ変わる。

この究極生物を倒すために、ジョセフは飛行機で体当たりをしてカーズを火山の溶岩に突き落とすが、なんと究極生物カーズはそれをも克服してしまったのだ。
肉体的、物理的にはカーズを倒すのは不可能。
最終的にはこのカーズは火山噴火により大気圏外へ追放される。

よくあることだが、ここで敵キャラの強さのインフレが極まってしまったのだが、そこで原作者の天才・荒木飛呂彦氏は「スタンド」という概念を生み出し連載を継続していったのだった。
(もっとも、スタンドも第五部でインフレを極めてしまった感がある)

ここで僕は思うし、多くの読者も同じように考えたようだ。

「果たしてスタンド能力で究極生物カーズを倒せるのか・・・?」

YOUTUBE動画などで、これに関して考察している動画がたしかあった。
カーズを倒すのは物理的な力では不可能。
強力なスタンドを持ってしてもカーズを対抗しようとしても、スタンドをいなして本体をやられてしまえばお仕舞い。
ただし、ヴァニラ・アイスや億泰のザ・ハンドみたいな空間毎切り取ってしまうタイプのスタンドなら対抗できる可能性がある。
こんな感じで、なかなか面白い考察だったのを憶えている。

僕は個人的には第一部~三部までは好きだ。
とりわけ、第二部のジョセフの物語は一番面白かった。
第三部のディオは第一部の時に比べて、化け物としてのスケール感がダウンしているし、それ以降のラスボスはいずれもスケールが小さい(空想的には強力かもしれないが、存在感が軽い感じ?)。
その点、究極生物カーズは絶望感が半端なかった。
そのカーズを倒したジョセフはエライ!
主人公キャラの人気としては第三部の空条承太郎が一番のようだが、ジョセフや初代のジョナサンの方が個人的には上だ。

まぁ、ともあれ学生時代に読んだ長編コミックが如何にして終わるのか、それはこの歳になっても気にかかる。
この一連の放映で見れるのは楽しみだ。

< おしまい >

Tag : 文化

ジョジョの奇妙な冒険・ストーンオーシャン再開!(その2)

第四部「ダイヤモンドは砕けない」
主人公はジョセフの隠し子の東方𠀋助。
承太郎と同じくスタンド能力(クレイジー・ダイヤモンド)を持つ。
杜王町という市街地で住民の失踪事件が多発することに不審をいだいた承太郎が調査のため町にやってくる。
そこで𠀋助と出会い、スタンド能力で住民を大量殺害している凶悪殺人犯を追跡する。

第五部「黄金の風」
主人公はジョルノ・ジョバーナ。
ジョナサンの肉体を乗っ取ったディオの落し胤、したがってジョースター家の血統を持っている。
物体に生命を与える能力を持つスタンド・ゴールドエクスペリエンスを持つ。
イタリアのギャングスターを目指し、ギャング集団に自ら望んで加入。
仲間であるチームに与えられた任務がギャングのボスの娘のボディガードだった。
しかし、ボスの本当の目的が娘を殺すことと知る、ボスとの抗争になる。
このギャング集団はスタンド使いが多いが、そのボス自身も危険なスタンド能力を持っていた。

そして、今回放映されるのが、第六部「ストーンオーシャン」である。
主人公は承太郎の娘であり、シリーズ唯一の女性主人公である空条徐倫。
無実の罪で刑務所に入れられたさいに、承太郎から差し入れられたスタンド能力を発現させることのできる「矢」によって、スタンド能力が発現する。
スタンド名はストーン・フリー。
刑務所という石で出来た海から脱出するという意味合いが込められている。

さて、詳細のストーリーは実はよく知らない。
ラストだけどうなるか知っているが・・・。



第一部と二部のみ「波紋法」という技で戦うが、三部以降は波紋法はすたれて「スタンド能力」で戦うようになる。
これは第二部で敵キャラの強さが極まってしまったためとも言える。
「戦闘潮流」では、「柱の男」という、しょっぱなから人間を遙かに凌駕する存在が登場したのだ。

< また、つづく >

Tag : 文化

プロフィール

無心庵ひょっとこ斎

Author:無心庵ひょっとこ斎
郷土と自然とネコをこよなく愛する多摩っこ。

愛猫:
「うず」(十一歳没)
→*「愛猫思い出」(↓カテゴリ)

「小うず」二代目。H27年生。♂
→*「ネコ煩悩」」(↓カテゴリ)

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