無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
筆と硯という佳き友を得た
「筆硯得佳友」
筆硯佳友(ひっけんかゆう)を得(う)、と読みます。
比較的意味は捉えやすいと思います。
つまるところ、「筆と硯という佳き友を得た」という意味です。
うんうん。
なるほど、書の心得のない人には分かりづらいと思いますが、たしかにそうなんです。
筆と硯があれば、いくらだって時間があっても暇しません。
気持ちは落ち着くし、いいことばかりです。
ただ、最近はこの言葉が理解できる人も少ないのでは。
だって、パソコンやスマホがあれば自分の手で文字を書くことすらしない人も多いのです。
「字を書く」という行為自体が馴染みない人が多いのではないでしょうか。
書道がユネスコの文化遺産登録ができた、とか聞きますが多くの人は無関心。
いや、僕ですらさほどの喜びは無いです。
僕はユネスコ自体に価値を見いだしていませんし、そんなことしようがしまいが人々は書道に関心など持たないでしょう。
残念なことではありますが・・・。
時代の流れというものは、なかなか掴みづらいものです。
近い将来、文化や伝統に対するリスペクトが醸成されていくこと期待しております。
筆硯佳友(ひっけんかゆう)を得(う)、と読みます。
比較的意味は捉えやすいと思います。
つまるところ、「筆と硯という佳き友を得た」という意味です。
うんうん。
なるほど、書の心得のない人には分かりづらいと思いますが、たしかにそうなんです。
筆と硯があれば、いくらだって時間があっても暇しません。
気持ちは落ち着くし、いいことばかりです。
ただ、最近はこの言葉が理解できる人も少ないのでは。
だって、パソコンやスマホがあれば自分の手で文字を書くことすらしない人も多いのです。
「字を書く」という行為自体が馴染みない人が多いのではないでしょうか。
書道がユネスコの文化遺産登録ができた、とか聞きますが多くの人は無関心。
いや、僕ですらさほどの喜びは無いです。
僕はユネスコ自体に価値を見いだしていませんし、そんなことしようがしまいが人々は書道に関心など持たないでしょう。
残念なことではありますが・・・。
時代の流れというものは、なかなか掴みづらいものです。
近い将来、文化や伝統に対するリスペクトが醸成されていくこと期待しております。
没後300年記念 英一蝶 ―風流才子、浮き世を写す―(その2)
特別展は多賀朝湖時代→島一蝶→英一蝶時代と、人生の順を追って作品を見ていく構成です。
狩野派の技術を持ち合わせているため、その作品群は非常に高いクオリティを持っていると思いました。
当然のように狩野派の屏風絵などにある山水画や唐獅子なども描きますが、花鳥画や仏画も素晴らしいです。
もっとも多いジャンルは風俗絵であり、庶民、というか人間がとても好きだったのでしょうね。
真面目くさったようなでもなし、格式ぶったものでもなく、ユーモラスに市井の人々を描いた作品はとても洒落た感じに思えます。
不謹慎ともいえるのですが、寺社の門や鳥居に落書きをする人、急な雨降りに困って雨宿りする人々、イタズラをする子供達など、その時代を等身大に描いたような印象を受けました。
20、30代の頃に松尾芭蕉に学び、自らをも暁雲(ぎょううん)という号で複数の句を残しています。
画作品のなかには、自身の詠んだ俳句をもとに絵画化したものもありました。
画家と俳句の取り合わせも、与謝蕪村を彷彿させます。
ただ、技術・技巧的には蕪村は一蝶の足元にも及びませんが、その作品価値や俳諧師としての知名度も一蝶は蕪村には到底及びません。
これがなかなか面白いところです。
時間が限られていたため、足早に見て回ったのですが、個人的にはなかなか充実した時間でした。
とりわけ時代の風俗が参考になると思いましたので、図録を入手しました。
思った以上の収穫だったと思います。
また観てみたい気がしますが、残念なことにこの展示は11月10日(日)までとなります。
あと僅かですが、是非ご覧頂きたいと思います。
< おわり >
*画像は唯一撮影許可されていた「舞楽図・唐獅子図屛風」です。
狩野派の技術を持ち合わせているため、その作品群は非常に高いクオリティを持っていると思いました。
当然のように狩野派の屏風絵などにある山水画や唐獅子なども描きますが、花鳥画や仏画も素晴らしいです。
もっとも多いジャンルは風俗絵であり、庶民、というか人間がとても好きだったのでしょうね。
真面目くさったようなでもなし、格式ぶったものでもなく、ユーモラスに市井の人々を描いた作品はとても洒落た感じに思えます。
不謹慎ともいえるのですが、寺社の門や鳥居に落書きをする人、急な雨降りに困って雨宿りする人々、イタズラをする子供達など、その時代を等身大に描いたような印象を受けました。
20、30代の頃に松尾芭蕉に学び、自らをも暁雲(ぎょううん)という号で複数の句を残しています。
画作品のなかには、自身の詠んだ俳句をもとに絵画化したものもありました。
画家と俳句の取り合わせも、与謝蕪村を彷彿させます。
ただ、技術・技巧的には蕪村は一蝶の足元にも及びませんが、その作品価値や俳諧師としての知名度も一蝶は蕪村には到底及びません。
これがなかなか面白いところです。
時間が限られていたため、足早に見て回ったのですが、個人的にはなかなか充実した時間でした。
とりわけ時代の風俗が参考になると思いましたので、図録を入手しました。
思った以上の収穫だったと思います。
また観てみたい気がしますが、残念なことにこの展示は11月10日(日)までとなります。
あと僅かですが、是非ご覧頂きたいと思います。
< おわり >
*画像は唯一撮影許可されていた「舞楽図・唐獅子図屛風」です。
没後300年記念 英一蝶―風流才子、浮き世を写す―(その1)
六本木にあるサントリー美術館で開催されている展示です。
『没後300年記念 英一蝶―風流才子、浮き世を写す―』
「えいいっちょう?誰?」・・・僕はそうでした。
英(はなぶさ)一蝶と読みます。
母方の名字が「花房」だったそうで、ここからこの読みも来ているのではないかと言われているそうです。
英一蝶(はなぶさいっちょう・1652~1724)は元禄年間(1688~1704)前後に、江戸を中心に活躍した絵師です。
狩野派を学び、市井の人々を描いた風俗画で知られています。
松尾芭蕉に学び俳諧をたしなむなどの一面もあります。
一方で、波乱の人生でもあり、元禄11年(1698)、数え47歳で三宅島へ流罪になりました。
第五代将軍・徳川綱吉による「生類憐みの令」を皮肉った流言に関わった疑いとされたそうですが、これは真犯人が直後に確定したため、別の理由ではないかということです。
将軍の代替わりの時に徳政令がでて赦免され、江戸に再帰しました。
江戸狩野派の高い絵画技術と、古典に関する幅広い教養を身に付けた一蝶は、仏画、風景画、花鳥画のような王道の主題に加えて、古典画題にひねりを加えた戯画も多く、実力派の画家でした。
版画の作品はないが、肉筆浮世絵に近い風俗画に優れた作品を残しています。
僕は毎年、書道展のために国立新美術館へ足を運びますが、そのときにこの特別展のチラシを手にしました。
絵柄を見てちょっだけ関心が向いたのが切っ掛けです。
実際、英一蝶の名は知りませんでした。
< つづく >
*画像は唯一撮影許可されていた「舞楽図・唐獅子図屛風」です。
『没後300年記念 英一蝶―風流才子、浮き世を写す―』
「えいいっちょう?誰?」・・・僕はそうでした。
英(はなぶさ)一蝶と読みます。
母方の名字が「花房」だったそうで、ここからこの読みも来ているのではないかと言われているそうです。
英一蝶(はなぶさいっちょう・1652~1724)は元禄年間(1688~1704)前後に、江戸を中心に活躍した絵師です。
狩野派を学び、市井の人々を描いた風俗画で知られています。
松尾芭蕉に学び俳諧をたしなむなどの一面もあります。
一方で、波乱の人生でもあり、元禄11年(1698)、数え47歳で三宅島へ流罪になりました。
第五代将軍・徳川綱吉による「生類憐みの令」を皮肉った流言に関わった疑いとされたそうですが、これは真犯人が直後に確定したため、別の理由ではないかということです。
将軍の代替わりの時に徳政令がでて赦免され、江戸に再帰しました。
江戸狩野派の高い絵画技術と、古典に関する幅広い教養を身に付けた一蝶は、仏画、風景画、花鳥画のような王道の主題に加えて、古典画題にひねりを加えた戯画も多く、実力派の画家でした。
版画の作品はないが、肉筆浮世絵に近い風俗画に優れた作品を残しています。
僕は毎年、書道展のために国立新美術館へ足を運びますが、そのときにこの特別展のチラシを手にしました。
絵柄を見てちょっだけ関心が向いたのが切っ掛けです。
実際、英一蝶の名は知りませんでした。
< つづく >
*画像は唯一撮影許可されていた「舞楽図・唐獅子図屛風」です。
霜降に描く一字書「霧」
季節は「霜降」。
二十四節気のこの時期の名称です。
文字通り、霜が降りるような寒い季節になった・・・はずなのですが、今年は様子が違いますね。
10月はいつまでたっても、夏日が続いていました。
関東では統計上もっとも遅い真夏日も記録しました。
僕自身も、そろそろかな?と思ってスラックスを衣替えしたのですが、暑くてたまらない。
とりわけその日は湿気が凄かったので、もうその日限りで夏用のスラックスにまた替えてしまいました。
さて、書いた一字書は「霧(きり)」です。
霜ではありません。
まぁ、これもやはり気象現象で寒くなると発生するものです。
とりわけ山の峠道などではよくある現象です。
危険ですから、車に乗っているときはスピードを落としてください。
草書で書いています。
草書でもなかなか形がよいので、格好がとりやすい文字です。
今回は四角くして、さらにお行儀の良い「霧」になりました。
最終画を伸ばすと格好よくなるのですが、今回は比較的おとなしめにしています。
今年はいつまでも暑かったり、暖かかったりと、それはそれでやっかいですね。
温度調節を上手にして、体調管理もしっかりとお過ごしください。
この時期、本当にぎっくり腰になりやすいですから。
二十四節気のこの時期の名称です。
文字通り、霜が降りるような寒い季節になった・・・はずなのですが、今年は様子が違いますね。
10月はいつまでたっても、夏日が続いていました。
関東では統計上もっとも遅い真夏日も記録しました。
僕自身も、そろそろかな?と思ってスラックスを衣替えしたのですが、暑くてたまらない。
とりわけその日は湿気が凄かったので、もうその日限りで夏用のスラックスにまた替えてしまいました。
さて、書いた一字書は「霧(きり)」です。
霜ではありません。
まぁ、これもやはり気象現象で寒くなると発生するものです。
とりわけ山の峠道などではよくある現象です。
危険ですから、車に乗っているときはスピードを落としてください。
草書で書いています。
草書でもなかなか形がよいので、格好がとりやすい文字です。
今回は四角くして、さらにお行儀の良い「霧」になりました。
最終画を伸ばすと格好よくなるのですが、今回は比較的おとなしめにしています。
今年はいつまでも暑かったり、暖かかったりと、それはそれでやっかいですね。
温度調節を上手にして、体調管理もしっかりとお過ごしください。
この時期、本当にぎっくり腰になりやすいですから。
「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」鑑賞録(その3)
一村は、奄美時代に大画面での作品作りを主にしますが、それまでの作品は半切条幅や屏風・襖絵が多くありました。
しかし、いわゆる日本画画壇を活動の場としなかったことから、作品の発表機会も恵まれなかったようです。
このためか、この画家は色紙サイズの作品を大量に残されています。
地元の人や支援者、縁者などへの寄贈作品が多いようです。
これらは特別展でも多く展示されていました。
僕はここには非常に関心を寄せられました。
色紙というものは、ほぼ正方形に近い四辺で、画面としてはあまりに手狭なうえに拡がりを持たない形式です。
ただ、近代日本画は山水画の趣をほぼ残していないこともあり、恐らくは一村もさほど苦にはならなかったでしょう。
もっとも、山水画を熟知している一村なればこそ、苦にしなかったのかもしれません。
僕も書道では色紙サイズの紙に和歌や俳句、あるいは漢字書を作品にする機会があります。
最近になって、改めてこの色紙作品を寄贈品とする手軽さに気がつきました。
大画面の大作はやはり作者としては腕の見せ所ではありますが、この手軽さも捨てがたいものに思えてきました。
若書きの南画作品は、八大山人に傾倒したといわれているが、やはり省筆を多用した大写意が多くみられるように思います。
二十代以下の作者にしては、洒脱でまるで人生を極めた大人が描くような画風ですが、これが次第に変遷していきます。
さすがに日本画作品として制作された作品は、「写意」そのものが封じられ、線書きの細密畫となります。
しかしながら、一村の特徴でもある画面一杯に植物などの枝葉や花卉を配する構成は、若書きの南画時代から見られました。
このように、生涯貫徹した美意識を持っていたことが窺えます。
< まだ、つづく >
しかし、いわゆる日本画画壇を活動の場としなかったことから、作品の発表機会も恵まれなかったようです。
このためか、この画家は色紙サイズの作品を大量に残されています。
地元の人や支援者、縁者などへの寄贈作品が多いようです。
これらは特別展でも多く展示されていました。
僕はここには非常に関心を寄せられました。
色紙というものは、ほぼ正方形に近い四辺で、画面としてはあまりに手狭なうえに拡がりを持たない形式です。
ただ、近代日本画は山水画の趣をほぼ残していないこともあり、恐らくは一村もさほど苦にはならなかったでしょう。
もっとも、山水画を熟知している一村なればこそ、苦にしなかったのかもしれません。
僕も書道では色紙サイズの紙に和歌や俳句、あるいは漢字書を作品にする機会があります。
最近になって、改めてこの色紙作品を寄贈品とする手軽さに気がつきました。
大画面の大作はやはり作者としては腕の見せ所ではありますが、この手軽さも捨てがたいものに思えてきました。
若書きの南画作品は、八大山人に傾倒したといわれているが、やはり省筆を多用した大写意が多くみられるように思います。
二十代以下の作者にしては、洒脱でまるで人生を極めた大人が描くような画風ですが、これが次第に変遷していきます。
さすがに日本画作品として制作された作品は、「写意」そのものが封じられ、線書きの細密畫となります。
しかしながら、一村の特徴でもある画面一杯に植物などの枝葉や花卉を配する構成は、若書きの南画時代から見られました。
このように、生涯貫徹した美意識を持っていたことが窺えます。
< まだ、つづく >