無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
今日で「如月」も終わり
今日で2月・・・「如月」も終わり。
あっという間に今年も2か月終わりです。
そのあっという間に色んな事が起こりましたなぁ。
まずはなんといっても北京冬季五輪。
なんとも盛り上がりに欠ける大会でした。
結局、ほとんど観ませんでした。
羽生結弦くんも前日にケガしていたとかで、成績も振るいませんでした。
訳ありげに記者会見の予告があったので、あぁ引退なのかなぁ、と思いましたが・・・。
それは杞憂のようです。
しかし、フィギュアは選手でやっていける年齢が低いので、どうなんでしょうね・・・。
どうもテレビなんかよりもネットの方が盛り上がっていたようですね。
某国の選手を勝たせるための様々な駆け引きがあったご様子です。
結局、誰も得しない五輪だったのではないでしょうか。
五輪委員会も開催国をどう決めるか、よくよく考えてほしいものですね。
選手のためにも、五輪の歴史のためにも・・・。
個人的には月の真ん中あたりからリモート・ワークが始まりました。
もうピーク・アウトしてきたかな、というタイミングですが、本音はもっと早く始めたかったようです。
これがいつまで続くのか、そこが気になりますね。
リモート・ワークでいいように思えますが、その実、光熱費やら個人の持ち出しになる可能性が高いです。
蓋を開けると、今月の電気代がかさんでいたりして・・・。
そして、通勤のための交通費は僕の職場では個人持ちなので、定期券を一旦解約しました。
通常の通勤日はSUICAで通うことになります。
唯一嬉しいのは、日がなニャンコくんと一緒に入れること・・・かな?
さて、関連してですが、武漢ウィルスがまだまだ続きますね。
もういい加減、、「ただの風邪」と認定すればよろしい。
だいたいエボラ出血熱やコレラと同じ分類の感染症が自宅療養っておかしいでしょ?
しかし、これもやっぱりカネの次第。
慢性赤字の病院が、政府から病床を買い上げてもらえるため、この武漢ウィルス禍で黒字反転したそうです。
冗談じゃありませんよ。
病院の経営を助けるために、街の飲食店がいくつも潰れてしまっているなんて・・・。
気候ですが、今年は大雪の警報がよくでましたが、終わってみればたいしたことがありませんでした。
来月になればいよいよ体感的にも春の到来を感じることができそうですね。
あっという間に今年も2か月終わりです。
そのあっという間に色んな事が起こりましたなぁ。
まずはなんといっても北京冬季五輪。
なんとも盛り上がりに欠ける大会でした。
結局、ほとんど観ませんでした。
羽生結弦くんも前日にケガしていたとかで、成績も振るいませんでした。
訳ありげに記者会見の予告があったので、あぁ引退なのかなぁ、と思いましたが・・・。
それは杞憂のようです。
しかし、フィギュアは選手でやっていける年齢が低いので、どうなんでしょうね・・・。
どうもテレビなんかよりもネットの方が盛り上がっていたようですね。
某国の選手を勝たせるための様々な駆け引きがあったご様子です。
結局、誰も得しない五輪だったのではないでしょうか。
五輪委員会も開催国をどう決めるか、よくよく考えてほしいものですね。
選手のためにも、五輪の歴史のためにも・・・。
個人的には月の真ん中あたりからリモート・ワークが始まりました。
もうピーク・アウトしてきたかな、というタイミングですが、本音はもっと早く始めたかったようです。
これがいつまで続くのか、そこが気になりますね。
リモート・ワークでいいように思えますが、その実、光熱費やら個人の持ち出しになる可能性が高いです。
蓋を開けると、今月の電気代がかさんでいたりして・・・。
そして、通勤のための交通費は僕の職場では個人持ちなので、定期券を一旦解約しました。
通常の通勤日はSUICAで通うことになります。
唯一嬉しいのは、日がなニャンコくんと一緒に入れること・・・かな?
さて、関連してですが、武漢ウィルスがまだまだ続きますね。
もういい加減、、「ただの風邪」と認定すればよろしい。
だいたいエボラ出血熱やコレラと同じ分類の感染症が自宅療養っておかしいでしょ?
しかし、これもやっぱりカネの次第。
慢性赤字の病院が、政府から病床を買い上げてもらえるため、この武漢ウィルス禍で黒字反転したそうです。
冗談じゃありませんよ。
病院の経営を助けるために、街の飲食店がいくつも潰れてしまっているなんて・・・。
気候ですが、今年は大雪の警報がよくでましたが、終わってみればたいしたことがありませんでした。
来月になればいよいよ体感的にも春の到来を感じることができそうですね。
トイレで一番聴きたい楽曲とは・・・?
この映画、覚えているだろうか・・・?
と、いっても僕自身この映画を観ていない。
ただし、このテーマ曲は驚くほど有名だ。
映画は1980年の頃のアメリカSF映画。
ウィキペディアの解説を見てもよくわからないが、悪の皇帝率いる惑星が地球に害をもたらそうとするが、和平交渉をしようとする科学者のロケットに乗り合わせたアメフトのスパースター選手と女性が一緒に惑星へ行き、皇帝と敵対する勢力と力を合わせて悪の皇帝を倒す・・・というものらしい。
フラッシュ・ゴードンは主人公のアメフト・スーパースターの名前だ。
映画の評価は惨憺たるものだったようだ。
動画を見ればわかるように、映像としてもとても陳腐で、仮面ライダーの悪役組織の集団へ潜り込んだみたいだ。
もっとも日本でも、アメフトのスーパースターが主人公ではあまり入れ込めないだろう。
歌の話に戻ろう。
この曲は映画の出来に比べて、非常に知名度が高い。
なにしろ、イギリスのロックバンド、クイーンが1980年に発表した楽曲だ。
日本でもCMほか野球選手の入場曲など、いろんな場面で使われたため知名度が抜群に高い。
と、いうよりもこの曲の冒頭のインパクトがすべてだと思う。
今頃になって、なぜこの曲を記事にするかというと、トイレに入っていたときに急に思い出したのだ。
この曲が流行って、数年後くらいだと思うが、ある雑誌でこの曲について書かれていた。
なんと、「トイレでもっとも聴きたい音楽」の第一位になっていたからだ。
たぶん、みんなもご納得されるだろう。
この曲がなんで「トイレで一番聴きたい」のか・・・。
ちなみに、僕がこれを思い出したのも、頑張って息んでいるときだった。
スッキリ出来るのだろうなぁ・・・・。
と、いっても僕自身この映画を観ていない。
ただし、このテーマ曲は驚くほど有名だ。
映画は1980年の頃のアメリカSF映画。
ウィキペディアの解説を見てもよくわからないが、悪の皇帝率いる惑星が地球に害をもたらそうとするが、和平交渉をしようとする科学者のロケットに乗り合わせたアメフトのスパースター選手と女性が一緒に惑星へ行き、皇帝と敵対する勢力と力を合わせて悪の皇帝を倒す・・・というものらしい。
フラッシュ・ゴードンは主人公のアメフト・スーパースターの名前だ。
映画の評価は惨憺たるものだったようだ。
動画を見ればわかるように、映像としてもとても陳腐で、仮面ライダーの悪役組織の集団へ潜り込んだみたいだ。
もっとも日本でも、アメフトのスーパースターが主人公ではあまり入れ込めないだろう。
歌の話に戻ろう。
この曲は映画の出来に比べて、非常に知名度が高い。
なにしろ、イギリスのロックバンド、クイーンが1980年に発表した楽曲だ。
日本でもCMほか野球選手の入場曲など、いろんな場面で使われたため知名度が抜群に高い。
と、いうよりもこの曲の冒頭のインパクトがすべてだと思う。
今頃になって、なぜこの曲を記事にするかというと、トイレに入っていたときに急に思い出したのだ。
この曲が流行って、数年後くらいだと思うが、ある雑誌でこの曲について書かれていた。
なんと、「トイレでもっとも聴きたい音楽」の第一位になっていたからだ。
たぶん、みんなもご納得されるだろう。
この曲がなんで「トイレで一番聴きたい」のか・・・。
ちなみに、僕がこれを思い出したのも、頑張って息んでいるときだった。
スッキリ出来るのだろうなぁ・・・・。
ついに始まったリモート・ワーク
今週になって、いよいよリモート・ワークが始まった。
先週は実は一回だけ試行のために自宅でやってみたが、今週はほぼすべて自宅での仕事である。
実のところ、すべての業務をリモートで、というわけにはいかない。
一部の仕事は普段の職場でなくてはできないので、ローテーションにはなるが交代で通勤も必要になる。
なかには自宅ではPC環境がないとか、仕事場のスペースがとれないとかの理由で、リモート不参加のメンバーもいる。
そのメンバーだけに任せることも出来ないので、やはり一週間に一回程度は通常勤務だ。
自宅で仕事をする上で、一番の障害・・・。
僕の場合は、やはり自宅環境の問題がある。
小庵にはPCがおける部屋にはエアコンがないのだ。
これが夏にもあったら大変だ。
逆にメリットもある。
まぁもともとの主旨で言えば、職場での密を回避することだ。
それにともなって、通勤がなくなるのはとてもよい。
まぁちょっと運動不足になるのは困りものだが・・・。
さて、最大のメリットは・・・。
そう、いわずもがな、「小うず」とすっと一緒にいられることだ。
PCにいたずらされたらイヤだな・・・とか思いましたが、さすが「小うず」。
きちんとお利口出来ていました。
横ちょのスツールに丸まって寝るニャンコ。
可愛らしいイビキも聞こえました。
「プ~」って感じで・・・。
いいなぁ、こいつと一緒に入れるって・・・。
先週は実は一回だけ試行のために自宅でやってみたが、今週はほぼすべて自宅での仕事である。
実のところ、すべての業務をリモートで、というわけにはいかない。
一部の仕事は普段の職場でなくてはできないので、ローテーションにはなるが交代で通勤も必要になる。
なかには自宅ではPC環境がないとか、仕事場のスペースがとれないとかの理由で、リモート不参加のメンバーもいる。
そのメンバーだけに任せることも出来ないので、やはり一週間に一回程度は通常勤務だ。
自宅で仕事をする上で、一番の障害・・・。
僕の場合は、やはり自宅環境の問題がある。
小庵にはPCがおける部屋にはエアコンがないのだ。
これが夏にもあったら大変だ。
逆にメリットもある。
まぁもともとの主旨で言えば、職場での密を回避することだ。
それにともなって、通勤がなくなるのはとてもよい。
まぁちょっと運動不足になるのは困りものだが・・・。
さて、最大のメリットは・・・。
そう、いわずもがな、「小うず」とすっと一緒にいられることだ。
PCにいたずらされたらイヤだな・・・とか思いましたが、さすが「小うず」。
きちんとお利口出来ていました。
横ちょのスツールに丸まって寝るニャンコ。
可愛らしいイビキも聞こえました。
「プ~」って感じで・・・。
いいなぁ、こいつと一緒に入れるって・・・。
ついに始まったロシアのウクライナ侵攻
現地時間で24日にロシアのウクライナ侵攻が始まったようだ。
ウクライナがNATOへの加盟を模索したところ、それに脅威を感じたロシアが反発したような形になっている。
もともと旧ソ連領であったウクライナはソ連崩壊後には独立していたが、その際にウクライナの核保有などに関して様々な欧米とロシア間でのやりとりがあった。
その際に、ウクライナが西洋諸国と連携を強めて西側陣営につくことを怖れ、NATOに加盟しないことを要求していたようだ。
しかし、ウクライナは独立して主権を持つ国家だ。
自らの安全保障について、主権を行使することに問題は無いはず。
NATO加盟を模索しているのは、そもそもロシアに対して脅威を持っていたからなのだ。
今現在進行形で、三方向から戦車部隊が侵攻をしており、首都キエフに向かっている。
数時間で制空権はロシアが確保したらしい。
このままいけば、キエフは陥落し、現政権は潰されて傀儡政権ができるという寸法だろう
ロシアのシナリオは着々と進められているようだ。
日本は対岸の火事ではない。
今現在の状況を見て、隣国の首脳はどのように思うだろうか。
アメリカやNATO諸国はウクライナと軍事同盟がないためでもあるが、ロシアの軍事侵攻に対して手出しが出来ず、指をくわえているだけだ。
北京五輪が終われば、某国は台湾へ侵攻を始めるのではないかと言われて久しい。
台湾は日本やアメリカ、、無論NATOとも同盟していないし、加盟もしていない。
なにか今回のウクライナ情勢と似ているではないか。
台湾海峡を失うことは、日本の生命線を失うことに等しい。
大げさな話ではない。
日本への貨物がこの海域を通るのである。
日本は経済的にも軍事的にも締め上げられるのである。
このウクライナ危機に際して、岸田政権の動きは鈍いと感じるのは僕だけだろうか。
西側諸国に比べて、我が日本は主権を持つ国家とは言いがたい発言を繰り返している。
「ロシアの侵攻が始まったら」という問いに対して、「日本はこう考え、このような制裁をする」といわず、「西側諸国と緊密に連携して・・・」と主体性がない。
果たして、尖閣諸島に危機が迫った場合、西側諸国は日本を援護してくれるだろうか?
「ウクライナの時に傍観していた」と捨てられても仕方がない。
そうならないためにも、我が国は責任ある大国として積極的にウクライナへも台湾へも積極的関与をすべきである。
ウクライナがNATOへの加盟を模索したところ、それに脅威を感じたロシアが反発したような形になっている。
もともと旧ソ連領であったウクライナはソ連崩壊後には独立していたが、その際にウクライナの核保有などに関して様々な欧米とロシア間でのやりとりがあった。
その際に、ウクライナが西洋諸国と連携を強めて西側陣営につくことを怖れ、NATOに加盟しないことを要求していたようだ。
しかし、ウクライナは独立して主権を持つ国家だ。
自らの安全保障について、主権を行使することに問題は無いはず。
NATO加盟を模索しているのは、そもそもロシアに対して脅威を持っていたからなのだ。
今現在進行形で、三方向から戦車部隊が侵攻をしており、首都キエフに向かっている。
数時間で制空権はロシアが確保したらしい。
このままいけば、キエフは陥落し、現政権は潰されて傀儡政権ができるという寸法だろう
ロシアのシナリオは着々と進められているようだ。
日本は対岸の火事ではない。
今現在の状況を見て、隣国の首脳はどのように思うだろうか。
アメリカやNATO諸国はウクライナと軍事同盟がないためでもあるが、ロシアの軍事侵攻に対して手出しが出来ず、指をくわえているだけだ。
北京五輪が終われば、某国は台湾へ侵攻を始めるのではないかと言われて久しい。
台湾は日本やアメリカ、、無論NATOとも同盟していないし、加盟もしていない。
なにか今回のウクライナ情勢と似ているではないか。
台湾海峡を失うことは、日本の生命線を失うことに等しい。
大げさな話ではない。
日本への貨物がこの海域を通るのである。
日本は経済的にも軍事的にも締め上げられるのである。
このウクライナ危機に際して、岸田政権の動きは鈍いと感じるのは僕だけだろうか。
西側諸国に比べて、我が日本は主権を持つ国家とは言いがたい発言を繰り返している。
「ロシアの侵攻が始まったら」という問いに対して、「日本はこう考え、このような制裁をする」といわず、「西側諸国と緊密に連携して・・・」と主体性がない。
果たして、尖閣諸島に危機が迫った場合、西側諸国は日本を援護してくれるだろうか?
「ウクライナの時に傍観していた」と捨てられても仕方がない。
そうならないためにも、我が国は責任ある大国として積極的にウクライナへも台湾へも積極的関与をすべきである。
猫は寝子・・・ねんねのときの可愛いボク
そりゃ、起きているときだって、遊んでいるときだって、甘えているときだって・・・いつだって可愛いさ。
でも、やっぱりニャンコは寝ているときが一番可愛いよね。
無邪気に、まるくなっスヤスヤ。
その顔が幸せそうだったりすれば尚更ね・・・。
夜の寝る前の時間、僕がパソコンを観ていると、「うず」みたいに退屈そうに寝ているボク。
いじらしい姿を見て、ついつい横ちょに座ってみました。
普段なら、撫でてもらおうとしてちゃっかりとゴロンして「なでて」のポーズ。
でもこの日は本当に眠ってしまったみたい。
まんまるのクッションみたいです。
そしてお顔は手で隠している。
隣の部屋の明るさがいやだったのかな。
・・・・
なんだか、お鍋の中にすっぽりと入ってしまうような姿。
ネコ鍋・・・とかいうらしいですね。
ナデナデすると、眠っているはずなのにグリグリ、グリグリ・・・。
半分しか寝ていないようです。
ねぇ、ボク・・・「小うず」・・・。
ボクはいま幸せかい?
退屈でつまんないかい?
それともお父ちゃんと一緒で嬉しいかい?
本当の気持ちを知りたいような、知るのが怖いような・・・。
たぶん、大丈夫だよね。
だって、お父ちゃんはボクがいて幸せなんだから・・・。
きっとボクだって同じように感じているはずだね・・・。
グリグリだってしてるんだから。
でも、やっぱりニャンコは寝ているときが一番可愛いよね。
無邪気に、まるくなっスヤスヤ。
その顔が幸せそうだったりすれば尚更ね・・・。
夜の寝る前の時間、僕がパソコンを観ていると、「うず」みたいに退屈そうに寝ているボク。
いじらしい姿を見て、ついつい横ちょに座ってみました。
普段なら、撫でてもらおうとしてちゃっかりとゴロンして「なでて」のポーズ。
でもこの日は本当に眠ってしまったみたい。
まんまるのクッションみたいです。
そしてお顔は手で隠している。
隣の部屋の明るさがいやだったのかな。
・・・・
なんだか、お鍋の中にすっぽりと入ってしまうような姿。
ネコ鍋・・・とかいうらしいですね。
ナデナデすると、眠っているはずなのにグリグリ、グリグリ・・・。
半分しか寝ていないようです。
ねぇ、ボク・・・「小うず」・・・。
ボクはいま幸せかい?
退屈でつまんないかい?
それともお父ちゃんと一緒で嬉しいかい?
本当の気持ちを知りたいような、知るのが怖いような・・・。
たぶん、大丈夫だよね。
だって、お父ちゃんはボクがいて幸せなんだから・・・。
きっとボクだって同じように感じているはずだね・・・。
グリグリだってしてるんだから。
今日は「天長節」
奉祝!天長節
今日は天長節・・・天皇誕生日である。
本日が天長節になったのは、令和の御代になり今上陛下がご即位されてからです。
しかし、令和元年には天長節がない年になりました。
なぜなら、ご即位が5月1日のためです。
今上陛下のお誕生日はとうに過ぎていましたし、ご譲位された上皇陛下のお誕生日は12月。
よって、令和元年は天長節がなく、初めて2月23日が天皇誕生日となったのは令和2年です。
まぁ過去を遡ればこのような年はいくらでもあったのでしょうが・・・。
実際、僕が知っている御代代りは昭和から平成のときだけです。
このときはご即位が1月でお誕生日は12月ですから、天長節はありました。
もっとも、この年は昭和天皇の崩御でもの凄い自粛ムードでしたのでお祝いといった感じはなかったと思います。
僕は以前に軽井沢で上皇陛下が天皇ご在位のときに、お見送りで遠巻きに手を振りましたし、新年初参賀にも行っています。
遠巻きながらも直に陛下のお姿を拝見していますが、今上陛下はまだありません。
まぁ、新年初参賀にはご参列されていましたのですが、当時は皇太子殿下でしたので・・・。
天皇陛下としてはまだ直にお目にかかっていないのです。
それでも、あのときは本当に驚いた。
ご即位のとき・・・「即位礼正殿の儀」のときのことです。
僕はちょうど仕事が休みの日でした。
雨の日でしたので、各国の賓客が集まっている会場の外は庭もびしょ濡れ。
上り旗がありましたが、水分を吸って重たそうでした。
しかし、高御座に陛下がお出ましになられるその直前に雨がやみだしたのです。
小庵でも雨がやんだ・・・・と気がつきました。
おそらく国賓客も我が日本の不思議な出来事に驚いたことでしょう。
ネットではその瞬間、皇居の上空に虹が出ていることが判明。
画像もあがっていました。
我が国の始まりから現代に至るまで、126代にわたり連綿と繋がれてきた皇室の伝統。
我が国の末永き弥栄をお祈りいたします。
今日は天長節・・・天皇誕生日である。
本日が天長節になったのは、令和の御代になり今上陛下がご即位されてからです。
しかし、令和元年には天長節がない年になりました。
なぜなら、ご即位が5月1日のためです。
今上陛下のお誕生日はとうに過ぎていましたし、ご譲位された上皇陛下のお誕生日は12月。
よって、令和元年は天長節がなく、初めて2月23日が天皇誕生日となったのは令和2年です。
まぁ過去を遡ればこのような年はいくらでもあったのでしょうが・・・。
実際、僕が知っている御代代りは昭和から平成のときだけです。
このときはご即位が1月でお誕生日は12月ですから、天長節はありました。
もっとも、この年は昭和天皇の崩御でもの凄い自粛ムードでしたのでお祝いといった感じはなかったと思います。
僕は以前に軽井沢で上皇陛下が天皇ご在位のときに、お見送りで遠巻きに手を振りましたし、新年初参賀にも行っています。
遠巻きながらも直に陛下のお姿を拝見していますが、今上陛下はまだありません。
まぁ、新年初参賀にはご参列されていましたのですが、当時は皇太子殿下でしたので・・・。
天皇陛下としてはまだ直にお目にかかっていないのです。
それでも、あのときは本当に驚いた。
ご即位のとき・・・「即位礼正殿の儀」のときのことです。
僕はちょうど仕事が休みの日でした。
雨の日でしたので、各国の賓客が集まっている会場の外は庭もびしょ濡れ。
上り旗がありましたが、水分を吸って重たそうでした。
しかし、高御座に陛下がお出ましになられるその直前に雨がやみだしたのです。
小庵でも雨がやんだ・・・・と気がつきました。
おそらく国賓客も我が日本の不思議な出来事に驚いたことでしょう。
ネットではその瞬間、皇居の上空に虹が出ていることが判明。
画像もあがっていました。
我が国の始まりから現代に至るまで、126代にわたり連綿と繋がれてきた皇室の伝統。
我が国の末永き弥栄をお祈りいたします。
「錨を上げよ」・・・日本の誇るピカレスク(その3)
ひとつには、百田尚樹の小説「永遠の0」「海賊と呼ばれた男」などの主人公にみられる高い精神性がまったくないからです。
これらの小説を読んだ後であれば、百田作品でこのことを期待するのは当然でしょう。
たしか各巻の巻末に解説が収録されていますが、いずれかの解説でも同じようなことが書かれていました。
しかし、読み続けているうちに、いつのまにか「しようが無いやつ」と思いつつも作田又三に同調している自分がいました。
なんとも不思議なことですが・・・この最悪な人物を温かく見守るような気持ちが芽生えていたのです。
温かく見守る・・・というのは高飛車ですね。
とにかく、この人物のダメさになんらかの自分を投影しているような気になっていたのです。
ところで、この話は作田又三という人物の半生を描いた作品ですが、時折この話は哲学的であったり思想的な場面があります。
例えば学生時代であれば左翼的な集団やサークルに所属してみたり、東京で右翼団体の仕事をしたり、最後のバンコクで出会う哲学者的な人物・影山との出会いであったりと多岐に亘ります。
このあたりの描写には百田尚樹の思想のようなものが垣間見られます。
主人公の精神的な成長があるとすれば、結婚後の真面目な生活ぶりや仕事ぶり、そして影山との対話により自分の人生を深掘りしたことが主因となっているように思えます。
また、大学の時の下宿の同僚や、作家仲間に小説家を目指す人物もいて作田又三の文学論も述べています。
この主人公は決して馬鹿ではないのが不思議なところです。
例えば、明らかに太宰治などを指していると思われますが、「ペシミスティック」で「日常の瑣末事を捉えた」ものほどくだらないものはない、というくだりだ。
「主人公がやたらいじいじしていて、人生のたいしたことでもない問題にオーバーに悩んで、挙げ句の果てに生きることにも絶望しかねへん」とか「芸術とは人生を生きるための勇気を与えるもん」という作田の台詞には大いに同調しました。
僕自身、過去に日本の近代の文学作品は悲嘆とか絶望のようなものを描いた作品が多くて、いささか病的・・・・そういう作家になるには心の病が必要なのかとすら思った。
僕自身もこの主人公ほど破天荒な人生ではありませんが、やはり病気になったり女性と別れたりしたことで人生を深く考えた時期があります。
ただ、惜しむらくは影山ほど哲学的な素養がなかったため、やや実利的な傾向を持ちすぎて、あまり深くは掘り下げられなかったかもしれません。
機会があれば、それが出来ればと思うのですが、果たして多くの人はどのくらい哲学的な堀り下げが出来ているのか知りたいところです。
なんだかんだいいながらも、全四巻読破しました。
最終的には読んで良かったと思います。
「永遠の0」「海賊と呼ばれた男」などとは違いますが、このあたりが百田尚樹という作家の懐の広さなのかもしれません。
< おしまい >
これらの小説を読んだ後であれば、百田作品でこのことを期待するのは当然でしょう。
たしか各巻の巻末に解説が収録されていますが、いずれかの解説でも同じようなことが書かれていました。
しかし、読み続けているうちに、いつのまにか「しようが無いやつ」と思いつつも作田又三に同調している自分がいました。
なんとも不思議なことですが・・・この最悪な人物を温かく見守るような気持ちが芽生えていたのです。
温かく見守る・・・というのは高飛車ですね。
とにかく、この人物のダメさになんらかの自分を投影しているような気になっていたのです。
ところで、この話は作田又三という人物の半生を描いた作品ですが、時折この話は哲学的であったり思想的な場面があります。
例えば学生時代であれば左翼的な集団やサークルに所属してみたり、東京で右翼団体の仕事をしたり、最後のバンコクで出会う哲学者的な人物・影山との出会いであったりと多岐に亘ります。
このあたりの描写には百田尚樹の思想のようなものが垣間見られます。
主人公の精神的な成長があるとすれば、結婚後の真面目な生活ぶりや仕事ぶり、そして影山との対話により自分の人生を深掘りしたことが主因となっているように思えます。
また、大学の時の下宿の同僚や、作家仲間に小説家を目指す人物もいて作田又三の文学論も述べています。
この主人公は決して馬鹿ではないのが不思議なところです。
例えば、明らかに太宰治などを指していると思われますが、「ペシミスティック」で「日常の瑣末事を捉えた」ものほどくだらないものはない、というくだりだ。
「主人公がやたらいじいじしていて、人生のたいしたことでもない問題にオーバーに悩んで、挙げ句の果てに生きることにも絶望しかねへん」とか「芸術とは人生を生きるための勇気を与えるもん」という作田の台詞には大いに同調しました。
僕自身、過去に日本の近代の文学作品は悲嘆とか絶望のようなものを描いた作品が多くて、いささか病的・・・・そういう作家になるには心の病が必要なのかとすら思った。
僕自身もこの主人公ほど破天荒な人生ではありませんが、やはり病気になったり女性と別れたりしたことで人生を深く考えた時期があります。
ただ、惜しむらくは影山ほど哲学的な素養がなかったため、やや実利的な傾向を持ちすぎて、あまり深くは掘り下げられなかったかもしれません。
機会があれば、それが出来ればと思うのですが、果たして多くの人はどのくらい哲学的な堀り下げが出来ているのか知りたいところです。
なんだかんだいいながらも、全四巻読破しました。
最終的には読んで良かったと思います。
「永遠の0」「海賊と呼ばれた男」などとは違いますが、このあたりが百田尚樹という作家の懐の広さなのかもしれません。
< おしまい >
「錨を上げよ」・・・日本の誇るピカレスク(その2)
さて、この作田又三の人生だが、ざっくりと書いてみたいと思う。
家族構成は、弟が3名。長男である.
高校を中退して、一時はスーパーマーケットに勤務するも数か月で退職。
その後、独学で大学受験をし学費の安い国立を狙うが落ちて、同志社大学へ入学。
・・・このあたりから作者とダブって見えてきました。
大学生の生活も破天荒な生活を続けるがやがて中退し、東京へ単身乗り込む。
そこで、職を転々としながらもレコード販売店で定着するかに見えたが、これもやがて退職。
次は北海道の漁港でウニの密漁船に乗り込み、やがて自ら船を所有して派手に稼ぐ。
やがて地元のヤクザともめて漁船を失い大阪へと帰る。
一時は放送作家(^▽^)になり、所帯を持つようになる。
しかし、妻の不倫が発覚すると離縁して放送作家の仕事も辞める。
作家時代の知り合いだった風俗営業の店主から、バンコクで売春女性の買い付けの仕事を引き受けるが、バンコクで麻薬密売が裏で行われている事を知り逃亡。
しばらくバンコクで暮らすがそこで哲学者的な不思議な人物と出会う。
最終的には大阪へ戻り、スーパーの店として細々と暮らすことになる。
・・・・
なんとも破天荒な生き様です。
ここでは省略しましたが、実はそれぞれの時期にはいろんな女性と恋愛をし、いろいろと失敗をやらかしています。
省略したのは大切ではないからではなくて、あまりにエピソードが多すぎて書いてられないからです。
ひとことでいうならば、この作田又三はとにかく周囲と調和することが出来ず、身勝手な価値判断で失敗を重ねます。
それは仕事でも恋愛でもそう。
しかし、ここまで血みどろになりながらも成長というか、学習しない人物もいません。
僕は学生時代のころのエピソードで途中、読み続けるのをやめようかと思いました。
< またつづく >
家族構成は、弟が3名。長男である.
高校を中退して、一時はスーパーマーケットに勤務するも数か月で退職。
その後、独学で大学受験をし学費の安い国立を狙うが落ちて、同志社大学へ入学。
・・・このあたりから作者とダブって見えてきました。
大学生の生活も破天荒な生活を続けるがやがて中退し、東京へ単身乗り込む。
そこで、職を転々としながらもレコード販売店で定着するかに見えたが、これもやがて退職。
次は北海道の漁港でウニの密漁船に乗り込み、やがて自ら船を所有して派手に稼ぐ。
やがて地元のヤクザともめて漁船を失い大阪へと帰る。
一時は放送作家(^▽^)になり、所帯を持つようになる。
しかし、妻の不倫が発覚すると離縁して放送作家の仕事も辞める。
作家時代の知り合いだった風俗営業の店主から、バンコクで売春女性の買い付けの仕事を引き受けるが、バンコクで麻薬密売が裏で行われている事を知り逃亡。
しばらくバンコクで暮らすがそこで哲学者的な不思議な人物と出会う。
最終的には大阪へ戻り、スーパーの店として細々と暮らすことになる。
・・・・
なんとも破天荒な生き様です。
ここでは省略しましたが、実はそれぞれの時期にはいろんな女性と恋愛をし、いろいろと失敗をやらかしています。
省略したのは大切ではないからではなくて、あまりにエピソードが多すぎて書いてられないからです。
ひとことでいうならば、この作田又三はとにかく周囲と調和することが出来ず、身勝手な価値判断で失敗を重ねます。
それは仕事でも恋愛でもそう。
しかし、ここまで血みどろになりながらも成長というか、学習しない人物もいません。
僕は学生時代のころのエピソードで途中、読み続けるのをやめようかと思いました。
< またつづく >
「錨を上げよ」・・・日本の誇るピカレスク(その1)
百田尚樹著「錨を上げよ」(幻冬舎文庫)を四冊読み終えた。
この作品は百田尚樹氏が小説家として筆を持つようになったころよりも早く、まったくの個人的な興味を持つことで生み出されたものだ。
処女作といってもよいが、実はこの作品は同氏のデビュー作「永遠の0」が出版されるよりも10年位前に書き、いろいろあって、屋根裏に保存されていたらしい。
デビュー前の作家が書いた長編小説をそうたやすく出版してくれるはずがない。
このため完成後に、百田氏はこの「処女作」を屋根裏部屋へ置き去りにしてしまったそうだ。
本が売れるようになってからというもののある出版社から、未発表の作品はないから聞かれたそうだ。
それが切っ掛けでハードカバーの本として世に出たわけだ。
第一巻の解説だったろうか、百田作品の「永遠の0」や「海賊とよばれた男」のように、精神性の高潔な主人公が登場することはない。
むしろ、その真逆で、この「錨をあげよ」に出てくる主人公・作田又三は怠け者で、口きたなくて、女性にはからきし弱い。
僕も最初はやはり「永遠の0」や「海賊とよばれた男」的な作品を期待していた。
だが、この本は読んでいて、第一巻で終わりにしようかと思ったくらいだ。
百田氏はこのストーリーをピカレスク小説といっている。
因みにタイトルの「錨を上げよ」は後につけられたもので、原題は「作田又三の冒険」らしい。
この本を手にしたときは「海賊と呼ばれた男」のように海に関するものかと期待した。
途中で北海道で密漁船に乗り込むが、かといって全編に通じるようなテーマとは言いがたい。
「錨を上げる」という表題は、人生におけるなんらかの比喩的表現のようである。
< つづく >
この作品は百田尚樹氏が小説家として筆を持つようになったころよりも早く、まったくの個人的な興味を持つことで生み出されたものだ。
処女作といってもよいが、実はこの作品は同氏のデビュー作「永遠の0」が出版されるよりも10年位前に書き、いろいろあって、屋根裏に保存されていたらしい。
デビュー前の作家が書いた長編小説をそうたやすく出版してくれるはずがない。
このため完成後に、百田氏はこの「処女作」を屋根裏部屋へ置き去りにしてしまったそうだ。
本が売れるようになってからというもののある出版社から、未発表の作品はないから聞かれたそうだ。
それが切っ掛けでハードカバーの本として世に出たわけだ。
第一巻の解説だったろうか、百田作品の「永遠の0」や「海賊とよばれた男」のように、精神性の高潔な主人公が登場することはない。
むしろ、その真逆で、この「錨をあげよ」に出てくる主人公・作田又三は怠け者で、口きたなくて、女性にはからきし弱い。
僕も最初はやはり「永遠の0」や「海賊とよばれた男」的な作品を期待していた。
だが、この本は読んでいて、第一巻で終わりにしようかと思ったくらいだ。
百田氏はこのストーリーをピカレスク小説といっている。
因みにタイトルの「錨を上げよ」は後につけられたもので、原題は「作田又三の冒険」らしい。
この本を手にしたときは「海賊と呼ばれた男」のように海に関するものかと期待した。
途中で北海道で密漁船に乗り込むが、かといって全編に通じるようなテーマとは言いがたい。
「錨を上げる」という表題は、人生におけるなんらかの比喩的表現のようである。
< つづく >
【二十四節気】今日から「雨水」
今日から二十四節気で「雨水」。
暦便覧では「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也」と紹介されています。
空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころということです。
雪解けが到来するという季節です。
関東ではあまり雪も積もらないため実感はないでしょうが、それでもやはりちょっと早いかな、と言う気になります。
この節気には「桃の節句」が含まれますが、このときにひな人形を飾る風習があります。
僕の実家は男兄弟のためよくわかりませんが、このひな人形をいつ飾るかが問題です。
前日になった慌てて飾るというのは御法度です。
二月中旬頃に飾るのが良いとされますが、この「雨水」の時期に飾ると良縁に恵まれるということです。
ひな祭とはもとは宮中の行事でしたが、当初は人形を川に流していたそうです。
その名残か水に縁のある行事であり、やはり水に関連した節気である「雨水」に飾るのをよしとしたそうです。
さて、この時期はまた、梅の咲く時期です。
各地で「梅まつり」が開催されます。
梅の花見もまたよしです。
ちょっとまだ寒いですけど、高貴な香りは桜の花見とはまた違った趣があります。
暦便覧では「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也」と紹介されています。
空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころということです。
雪解けが到来するという季節です。
関東ではあまり雪も積もらないため実感はないでしょうが、それでもやはりちょっと早いかな、と言う気になります。
この節気には「桃の節句」が含まれますが、このときにひな人形を飾る風習があります。
僕の実家は男兄弟のためよくわかりませんが、このひな人形をいつ飾るかが問題です。
前日になった慌てて飾るというのは御法度です。
二月中旬頃に飾るのが良いとされますが、この「雨水」の時期に飾ると良縁に恵まれるということです。
ひな祭とはもとは宮中の行事でしたが、当初は人形を川に流していたそうです。
その名残か水に縁のある行事であり、やはり水に関連した節気である「雨水」に飾るのをよしとしたそうです。
さて、この時期はまた、梅の咲く時期です。
各地で「梅まつり」が開催されます。
梅の花見もまたよしです。
ちょっとまだ寒いですけど、高貴な香りは桜の花見とはまた違った趣があります。