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今月は「睦月」でした

月初の一日には必ず和風月名を紹介しているのですが、今月はお正月と言うこともありそれができていません。
毎年のことですが、月の末日である今日そのご紹介をします。

1月の和風月名は「睦月」(むつき)といいます。

言葉の由来はもっとも有力な説は「睦び月(むすびつき)が「睦月」に転じた」というものです。
お正月ということで、家族や親族が集まって仲睦まじく過ごす・・・そんな月であるということです。
新年早々言い名前じゃないですか。
日本らしいですね。

お正月飾り2020

ほかにも「元月」・・・もとつきという呼び名から変化したという説もあります。
これもまた元旦のあるお正月らしい名前ですね。

そんな新春を迎えた月ですが、あっという間にひと月経ってしまいました。
もう一年の十二分の一が終わってしまったのですよ。
なんとも勿体ないような気もします。
今年は元旦から仕事だったしなぁ・・・。

さて、中旬辺りからオミクロン株という武漢ウィルスがはた流行し出しました。
どうも観ているとテレビやら新聞が意気込んで煽り立てているように聞こえます。
ただ、重傷者数は一向に伸びませんね。
これまでとは違って、この株は軽症の風邪のようです。
と、いうよりもただの風邪でしょう・・・。

東京都知事はそれにもかかわらず「仕事している感」を出すために、蔓延防止や緊急事態宣言に前のめりです。
まったくポピュリズムの女王・・・。
何件の飲食店を潰す気でしょうか・・・。
この馬鹿は都内の新築物件をすべてソーラーパネル付きにしようとしています。
そんなことしたら東京で家を買う人いなくなりますよ。

お正月早々、武漢ウィルス」がまた増え出すだなんて、今年もやっかいな年になりそうですが、明日から2月です。
また、新しい気持ちで2月を迎えることにしましょう。

チャットで「イイネ!」・・・・これってお礼?

僕の職場では、全員の認識共有やコミュニケーション・ツールとしてとあるチャットを使っている。

メンバー間での情報共有のため、質問事項であるとか報告や、時には「席を外します」などのようなこともチャットされる。
最初は抵抗があった。
「つまらな質問をして他のメンバーに陰で笑われたりしたらどうしよう」とか「声かけた方が早い」とか、理由はいろいろだ。
しかし、これも長く使っていると慣れてくるものだ。
なかなか便利に思うこともある。

いまのチャット・ソフトは三世代目であるが、新しい機能が追加されている。
SNSなんかを使っているような人には分かると思うが、「イイネ!」などのようなマークを他人のコメントにつけられるのだ。

スマホ

当初は、みんなあまり使っていなかった。
ちょっと砕けた感じがするので、専ら使うのはチーム・リーダー格のメンバーだった。
メンバーのよい発言や、ルール通りにチャットを使っていたりすると、リーダーに「イイネ!」マークがくることがある。
正直、ほぼ無用な機能だと思う。

しかし、これって考えの浅い人間が使ったりすると、かなりに無礼を図ることになりかねない。
僕はつい先日、次のようなチャットを受けた。
頼まれ仕事には違いないが、とあるメンバーのチェックをもうしつかった。
チェックを負えると、僕はチャットで「チェック終わりました」と書いた。
すると、年下のメンバーから そのお礼を言われるのではなく、「イイネ!」がつけられたのだ。

僕は既に若者ではないのでよくわかっていないのかもしれないが、これってかなり失礼ではなかろうか。
仕事とは言え、頼まれてやったことに対し、お礼ではなく「イイネ!」?
まるで上から目線ではないか。
唖然とした。
ちなみにこの彼は若者とは言え、おそらく30代くらいであろう。
普段から自分から朝晩の挨拶もしない(できない?)子だ。

はじめてスマホ

やれやれ。
そもそも職場にまで「イイネ!」などというものが持ち込まれ、使い方の標準も確定していない状況だ。
年上の人間としては、こんな細かいことに目くじらを建てるのもよろしくない。
しかし、かつて僕の上司も「最近は若いやつが”了解しました”とかいうんだよ。なんで俺が”了解”されなきゃいけないんだ」・・・とぼやいていた。
まったくもって、この先、礼儀やらマナーというものはどうなっていくのだろう?                                                                                                                     

Tag : 文化

わっしょい吉祥寺!創刊号

うちのポストに小冊子が入っていた。
そんなことは珍しくもないのだが、やはり郷土愛をくすぐるようなタイトルに目が引かれた。
小冊子の名前は

『わっしょい吉祥寺』

わっしょい吉祥寺

というもの。
いくあるフリーペパーの類いだ。
この手のものはいまどき世にたくさん出回っている。
都営地下鉄の駅にも沿線の情報が入った冊子があるし、我が町のJR駅にも独自のがある。

僕はこの手の冊子が嫌いではない。
なししろお値段が0円というのが魅力だ。
広告収入が財源で発行されていると思われる。
中身は飲食店などの案内がメインだが、おすすめの店というよりもお金を出している店なのだろう。

それでもやはり特色を出すために記事も書かれている。
この冊子では吉祥寺にある老舗の喫茶店が取り上げられていた。
まぁ正直この手の冊子の読みたいところはこんな部分だけだ。

だが、それまでは店の広告なんていうと、駅で配布するチラシとかティッシュなどしかなかった時代に比べれば格段の進歩だ。
ちなみに飲食店だけではなく、広告主になるお店は幅広い。
お稽古スクールとか、ビューティサロンなども多く出稿しているようだ。

創刊号とあるが、今後もこんなふうにポスティングされてくるのだろうか?
いまのところは大歓迎である。

因みにこの冊子の中で吉祥寺・井の頭公園の入り口にある「金の猿」というお店が閉店になったと書いてあった。
直近で公園へ行ったのは大晦日だったが、なんとなくあのお店が寂れた感じがしていた。
なんと潰れたのかぁ・・・。
ちょっとショック。
あのお店にはちょっとしたほろ苦い思い出があったりする・・・。
残念なことである・・・。


Tag : 多摩武蔵野散策

迫り来る武漢ウィルスの波!オミクロンの驚異

もういい加減にして欲しいと思うが、またしても武漢ウィルスの波がやってきた。
お正月を無事に楽しく過ごせたと思った途端に、全国で万人単位の感染者が出てきた。
年末年始を密になったり、旅行へ出たりで油断が合ったとも言い切れない。
みんなちゃんと手洗いうがいはしていた筈だ。

くらやみ祭13

今度の波は「オミクロン株」と呼ばれる変異型で、感染力が強いのが特徴らしい。
しかし、一方で感染しても重症に至るケースは極めて稀とのことだ。
ウィルスというのものは、変種が生まれる度に感染力が高くなるケースが多い。
これはウィルスの持つ毒性と反比例しているという。

なぜなら毒性が強いと、宿主である人間が死んでしまう。
すると自分自身も死んでしまうのである。
そこでウィルスは生き延びるために、宿主を殺さないような程度に毒性を弱めていくのだ。
つまりは、この「オミクロン株」はもはや風邪といっていいのではなかろうか。


マスメディアは感染爆発・・・などと煽っているが、考えてみれば上記の理由以外にも大きな要素がある。
それは全国津々浦々で検査を無料で実施しているからだ。
つまり、今回の五万人、六万人という数値はいままでスクリーニングされていた無症状の感染者も掘り起こしているのだ。
これだけの数がでるのはむしろ健全で、これを問題だ、驚異だ、と大騒ぎしているメディアは、ハメルーンの笛吹きと同じだ。

ジワジワと町の商店や飲食店は廃業に追い込まれていく・・・。
武漢ウィルスをいまだに五類にしないのは、医療界の利得者が握っているからだという。
僕はこの2年程度政治の世界に医者が跋扈していることに非常に違和感を感じている。

今年になってから、通勤列車はまたしても混雑してきた。
皆が着ぶくれしている影響もあろうが、それでも人と人の接触は避けられない。、
これでまた、蔓延防止や緊急事態宣言などが出されるようになるだろう。
するとまたテレワークへ回帰していき、混雑も解消してゆくのか・・・

中央線快速

職場でも、お隣のフロアで感染者がでたようだ。
幸いにして僕の周辺にはまだいない。
ここは東京・・・。
そりゃ、探せば感染者がでるだろう。
「オミクロン 検査しなけりゃ ただの風邪」
とはよく言ったもんだ。

そうはいっても高齢者は気をつけた方が良い。
もともと高齢者は体力も免疫力も減退しているのだから。
ただの風邪でも危ないのだ。

なにしろ普通に社会生活が過ごせる日が来ることを待ち望んでいる。
  

吉祥寺の歴史と由来とは?

たまたまですが、タイトルにあるような動画を発見しました。
おそらくのところ、個人ブロガーが作成したものと思います。
なかなかの出来なのでちょっとご紹介します。

「【吉祥寺の昔、歴史】吉祥寺という寺がないのに吉祥寺という名前の由来とは?井の頭公園を作ったのはあの超大物だった?吉祥寺が発展した悲しい理由とは…」



さて、みなさんご存じでしたか?
僕は詳細は置いといて、知っていました。
中央線沿線には高円寺・吉祥寺・国分寺の三寺で「中央線三寺文化」・・・ですか。
名称までは知りませんでしたね。
ただ、それぞれに由来するお寺の存在もよく知られたところと思います。

吉祥寺のもとの場所までは正確には知りませんでした。
僕は駒込と思っていましたので・・・・まさか水道橋とは・・・。
お寺だけ駒込へ行って、門前町の人々が(武蔵野市の)吉祥寺へ来たのですね。

そう、この地は移住者が入植した場所だったのです。
そして、玉川上水によって新田開発が行われていた場所。
それだけに、この辺りは区画整備がよくされています。
いまでも、この辺りへいけばよく分かりますよ。
碁盤の目・・・というよりも、細長いうなぎの寝床みたいな土地を各戸が所有していたのです。

大晦日の井の頭公園4


いまでも井の頭公園は吉祥寺へ集まる人々の憩いの場。
緑豊かで湧き水も綺麗な公園です。
年末の記事でもお知らせしたとおり、池の水が本当に綺麗になっています。
これなら家康公がお茶の水として使った由来が理解できます。

しかし公園の設立に渋沢栄一がからんでいたとは。
僕は皇室の御料地が、戦後の皇室典範の改正で皇室財産が没収されたときに、公園として一般に提供されたのだと思っておりました。
むろん、由来がそうあれ、皇室から下賜された土地ですから、感謝の気持ちは忘れておりません。

こんな動画がUPされていて、再生されているのがいいですね。
多くの人に知ってもらいたい由来や歴史です。

皐月井の頭公園1

Tag : 文化多摩武蔵野歴史

梅の咲く春の山里に庵を結ぶ

もうじき梅の季節ですね。

春が近づく印として梅の花がやっぱり思い浮かべられます。
梅と言えば、「令和」の元号ですっかりと有名になった万葉集の梅の巻。
でも梅を和歌に詠んだのは、なにも万葉の時代のひとだけではありません。

「梅が香にたぐへてきけばうぐひすの聲懐かしき春の山さと」

梅が香にたぐへてきけば鶯の聲懐かしき春の山さと

西行の歌です。
「梅の香りにたぐり寄せられて来た鶯の鳴くのを聞けば、その声は懐かしい春の山里を思い出す。」
という感じでしょう。
かつて昔に庵をむすんだ山里の様子を梅の香りから記憶を呼び起こしたのでしょうか・・・。

西行は平安時代から鎌倉時代の初頭の人物で、武士でありその後出家して僧侶となりました
かなりの歌の上手であり数々の秀歌を残しています。

文京の梅3


Tag : 文化武蔵野多摩歴史和歌芸術

「ぎこちない」芸術家?・与謝蕪村(その2)

加えて、蕪村の絵画はいたるところに計算されたと思われるものが少なくない。
例えば国宝の「夜色楼台図」などは、無骨なようでありながら夜景には白色の絵の具(胡粉)を下塗りしたりして、技巧をこらしている。
その効果か不明だが、雪の降る静かで温かな京都の夜景をよく表現している。
同じように「富岳列松図」も同様の手法を使い富士山の圧倒的な存在感を表現しようとしている。

円山応挙筆雪中老松図

応挙のようなこれみよがしな技術・技巧的な作品とは一線を画しているようだ。
僕は写実的な絵画作品はどこか魅力を感じることは出来ない。
写実を追求したところで、所詮「写実」は写真にはどう転んでも叶わないのである。
ただ、時代の流れで写実を作品に取り入れた応挙は芸術家たりうるが、現代のひたすら写実を追求している画家はもはや芸術家ではない。
欧州では写実の限界をみたからこそ、ピカソがキュービズムを生み、ゴッホが浮世絵を取り入れたのである。

話がちょっと脇道にそれた。
蕪村であった。
さて、現代に生きる僕らの持つ「蕪村」のイメージは画家と言うよりもむしろ「俳人」としてであろう。
なるほど、教科書に俳人・蕪村は出ているが、画家・蕪村はでていない。
これほどの力量を持った画家(なにしろ国宝が2つもある・・・前述の「夜色楼台図」と、池大雅と共作で「十便十宜図」)がなぜに画家としての知名度が低いのか?

うがった見方ではあるが、その画風にあるのかもしれない。
素人目には蕪村画よりも応挙の絵の方が価値が見いだしやすい。
喩えで応挙を出して申し訳ないが、決して応挙を軽んじているわけではない。
あくまで素人目に芸術を評価したときに、より受け入れやすいのがそうだというに過ぎない。

「ぎこちない」を芸術に昇華させた芸術家・与謝蕪村。
親しみやすそうでありながら、その実を捉えづらい画風であるのかもしれない。

Tag : 文化歴史芸術日本画美術

「ぎこちない」芸術家?・与謝蕪村(その1)

近所の図書館でたまたま年末に借りた本がなかなか良かった。

『「ぎこちない」を芸術にした画家 与謝蕪村』(府中美術館編・著 東京美術)

画集のような、論評のような・・・おそらくはこの美術館で開催された企画展の図録みたいなものだろう。
しかし、いままで僕が集めたり観たことのない作品が、かなり掲載されている。
中身の充実した本である。
いや、手に入れたいくらいだ。
今度、この美術館へ行く機会があれば購入してこようと思う。

さて、このテーマでもある「ぎこちない」。
おそらく蕪村の絵画を見た人なら感覚的には納得できると思う。
蕪村の作品というのは、同時代の円山応挙のような画風とは打って異なり庶民的だ。

蕪村は独学で絵を学んだと言うことだ。
この時代にしてみればさほど珍しいことでもないようだ。
伊藤若冲なども基礎は師から学んだようだが、あとは臨画や模写から技術を身につけたようだ。
日本画を代表する狩野派などを学んだわけではない。

蕪村の絵画はどちらかというと、職人的な感じはなくむしろ素朴で簡略化された俳画のような持ち味である。
ただ、これは一面的な見方であり、実際には宋の時代の画法である「芥子園画伝」から学んだ形跡がある。
作品によっては技術は身につけていることを証明しているものもある。
要は蕪村はわざと「ぎこちなく」画いているのである。

書の世界で言えば、良寛和尚などの文字は「ウマヘタ流」などというようだ。
もとは実に修練を積んでうまい描き手なのだが、わざと崩して画いているのだ。
ヘタクソが下手に画くのと、上手がわざと下手に画くのでは大きな違いがある。
わかりやすく言えば、崩れた絵と崩した絵の違いである。
それは理不尽に聞こえるが「味がある」絵なのだ。

与謝蕪村「蘭亭曲水宴」1

Tag : 文化歴史読書芸術日本画美術

初場所千秋楽・御嶽海優勝おめでとう!

本日、初場所の千秋楽。

単独トップの御嶽海(12勝)と横綱・照ノ富士(11勝)の一番。
御嶽海が勝てば、その場で優勝決定、負ければ巴戦で優勝決定戦が行われるという一番。
気合いの入った両者・・・だが、膝を痛めた照ノ富士はやや精彩を欠いた感じがする。



ぶちかましたのちに、一度離れもう一度組み合う際に御嶽海がうまく下手をとってそのまま寄り切った。
照ノ富士はあっさりと土俵を割ってしまった。
御嶽海優勝。
おめでとうございます。

いや、よかった。
久しぶりにクリーン・グッド・ファイトの大相撲を観た気がする。
これも白鵬が引退したお陰と言える。
やっぱり相撲はこうでなくっちゃ。
ビンタやエルボーで相手のケガや不意打ちを狙うような卑怯技を観たいわけじゃない。

負けはしたものの、僕は照ノ富士は嫌いではない。
彼もまた大相撲を復活させてくれる横綱であって欲しい。
いまのところ、ちゃんとした相撲を取っているし、真面目そうな性格もとてもよい。
是非ともお手本となるような横綱になって欲しいと思う。

御嶽海は来場所は大関に復帰することがほぼ確定とのことだ。
大いに盛り上げて欲しいと思う。
願わくば、いまは小粒だらけな印象があるので、スケールの大きな関取が出て欲しい。

Tag : 文化

我が町に野生のたぬきかな?

先日、自転車で実家に帰っての、自宅への戻り道。
時間は夜9時くらいのことでした。

道路を横切る素早い動き。
小動物が目の前を駆け足で走り抜けました。
「犬か・・・・ん?」

なにやら胴がちょっと長いようだ。
犬じゃないと即時に理解、フェレットかもしれない・・・。
いや、フェレットにしては大型だ。

頭の部分に注目すると
首の辺りに模様があった。
「まさか・・・タヌキ???」

むさしのタヌキ

模様がタヌキのような、アライグマのような・・・。
アライグマはあるまいから、やっぱりタヌキだろう。
しかし、・・・・どんな田舎だよ!
まぁ、この辺りは「お犬様信仰」があって、昔は狼がいたらしい。には有り難い存在だったようだ。
タヌキだっていてもおかしくはない。
・・・ただし、現代でなければの話だ。

以前に日記に掲載した武蔵野説話のなかにはタヌキの出てくるエピソードも幾つもあった。
僕は北海道に住んでいるときに、室蘭市内で道路端にキタキツネがいるのを見つけたことがある。
しかし、現代の東京に野生のタヌキがいるとは・・・いや、決していないとは言っていない。
自分の目ではなかなか見られないものは、信じがたい。
だが見てしまったからには信じるしかあるまい・・・。

Tag : 文化多摩武蔵野自然

プロフィール

無心庵ひょっとこ斎

Author:無心庵ひょっとこ斎
郷土と自然とネコをこよなく愛する多摩っこ。

愛猫:
「うず」(十一歳没)
→*「愛猫思い出」(↓カテゴリ)

「小うず」二代目。H27年生。♂
→*「ネコ煩悩」」(↓カテゴリ)

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