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大空にあまねくおほふ雲の心

「大空にあまねくおほふ雲の心 国つち潤う雨くだすなり」

大空にあまねくおほふ雲の心国土うるほふ雨くだすなり

京極為兼の和歌です。

「大空をすみずみまでいきわたる雲の大いなる心よ、国土を潤す雨はお前の心が降らせるのだ。」という意味です。

なんというスケールでしょうか。
雨は「天」とも音が同じでもあり、なんとも天が命の恵みである雨を降らせて、国中を潤している。
そして国土を潤しているのは、雲の心なのだ・・・。
僕の知り合いは「天皇の御製?」と思ったようです。

そうですよね。
天皇や空海のような超絶的な立場の人にしか、詠めないようなスケールの歌です。

今回は半壊紙にまとめてみました。

夏空1

Tag : 文化多摩武蔵野歴史自然和歌

「Feel The Moon」「 燕になりたい」 二胡奏者 チェン・ミンの調べ

チャイナは危険な国であることは、いまやズベテの日本人の知るところになったとは思う。
急激な安全保障への意識の高まりや、防衛費の対GDP1%枠の撤廃が多くの国民の賛意を得るところとなった。
我が国に仇なす危険な国・・・それがしれてきたことは非常に喜ばしいとことである。

一方で文化の面では非常に魅力のある国であることも確かだ。
そこがやっかいなのだ。
「文化と政治は別」という人がいるが、それは非常に危うい認識だ。
はっきりいってその人は「騙されやすいお馬鹿さん」といえる。

チャイナ共産党は「ありとあらゆる方面から敵国を攻める」として「超限戦」を標榜しているのだ。
これは戦争のフィールドを「軍事」や「政治」のみに限定せずに、「文化」「学問」「歴史」・・・などなどありとあらゆる分野から攻めるという考え方だ。
例えば、学術会議などを通じて日本の先端技術を横流ししているし、大学には「孔子学院」なるものを設立し工作活動を行っているようだ。
その証拠に欧米各国では「孔子学院」の排除を進められている。

要するに彼の国とは距離を置かねば、愚かにも気づかぬうちに拙い立場に追い込まれてしまうのだ。
僕自身、要注意である。

さて、前置きが長くなったが、彼の国の文化に関する記事だ。
文化に関しても防衛と同じレベルの知識を国民が持たねばならないと思っている。
・・・・・・
そうではあってもやはり良いものは良い。
この音楽もそうだ。
二胡奏者のチェン・ミン氏である。



僕も数枚だがアルバムを持っている。
思わず聞き惚れてしまうだろう。
なんともいえない、この二胡の響き。
哀切とか懐かしさ、温かさを感じる気がするのは僕だけだろうか・・・。




Tag : 文化

新しい枠なしのジョン・レノン

眼鏡をちょっとバージョン・アップしました。

といっても、レンズは新調していません。
眼鏡のフレームを新しいものに変えたのです。

以前に購入したときに、ラウンド・タイプの・・・つまりは丸眼鏡・・・ジョン・レノンの枠ありのものでした。

あたらしい眼鏡

ただ、残念なことに購入してひと月もしないうちに、自転車で転倒してフレームが真っ二つになっちゃったんです。
購入した眼鏡店がハンダ付けしてなんとか使えるようにしてくれました。
ただ変形した部分はどうしようもなく。
・・・あと、一回マタ同じところからポキリとしてしまい再度ハンダ付け。
繰り返すと折れやすくなります、と言われていました。

今回購入したのは、また同じようにジョン・レノンの枠なしフレーム。
レンズに穴を開けて、枠なしのフレームをつけて貰いました。
眼鏡フレームって、結構高いんですよね・・・。
レンズも一緒に作ると、さらに同じくらいの価格がのっかりますから・・・。

新しい枠なしフレームの眼鏡

別にジョン・レノンに憧れているわけじゃないんですよ。
いまどき丸眼鏡なんて、ジョン・レノンとか、その他はあんまり種類がないです。
明治の文豪とか、昭和天皇がしていたお眼鏡とか、素敵じゃないですか・・・。

僕はもともと顔が四角だと思うので・・・丸眼鏡が向いていると思うのです。
なかなか気に入っていますよ。
文豪がつけると理知的ですが、僕がつけるとマヌケかもしれませんけどね。

Tag : 文化

五月の爽やかで、明るい休日

いまは皐月。

季節的には陰暦では「夏」。
しかし、昨今の状況ではもはや5月も夏で納得ですね。
日差しが高いし、暑い。

夏空1

ただ、それでも湿気があまりないので気候はよろしい。
とても過ごしやすいです。
気温が30度を超したって、このような湿度であればあまり深いではありません。
オアフ島だって、そんなだから快適なんだ。
日陰で休んだり、スコールが降ってくればあっというまに涼しくなりますもの。
しばらくいっていないなぁ。
一人旅でもできればいきたいくらいです。

吉祥寺元町通り1

今日は仕事はオフでした。
習い事も今日はなし。
久しぶりのオフの週末で用事のないのんびり過ごせた一日。
心に羽根が伸びているせいか、いろんなことに気がつきました。

駅前を歩いてますと、なんとなくですが行き交う人が浮き足立っているようです。
みんな心が伸びやかになっているようで、楽しそうなんです。
もう武漢ウィルスだ、自粛だなんだって感じじゃなく。
そう、子供がはしゃいでいるのが何よりの証拠です。
みんなの心が普通の生活にもどることを予感しているからでしょう。

初夏の暑い日差しの下で、ざわめいている街ナカ。
とても良い感じでした。

小庵では、羽毛布団を一日中ベランダで干して、ついに収納バッグのなかにしまいました。
使ってはいませんでしたが、干す機会がなかったので、ウォークイン・クローゼットの中で眠っていたのです。
ふっくらしたかな?
僕がしまうのを不思議そうに眺めていた「小うず」。
また寒くなったら、一緒に暖かいお布団で寝ようね。

ソファーカバー1

そして夜になって、風呂上がり、フローリングに寝そべると涼しい風が入ってきた。
流れるように、肌を撫でるように、爽やかに過ぎ去る涼風。
あぁ、なんと今日のこの日は豊かな日なんだろう・・・。

こんな日が一年中つづいてくれたら最高なんだけどなぁ・・・。
まぁ贅沢言うのはこのあたりにしましょう・・・。

Tag : 多摩武蔵野

腰痛になってしまっただ・・・

あぁ、イタタ。

ひさしぶり・・・・?
いや、またしても腰痛を患ってしまいました。

ぎっくり腰ではありません。
ただの腰痛。
どう違うのかはわかりませんが・・・。

まんまる寝子3

この時期になるなんて・・・僕も筋力が衰えた証拠かなぁ・・・?
以前に、カイロプラクティックで、腰痛やぎっくり腰になりやすいのは9~10月頃と聞きました。
やっぱり急激な気温差が発生するから。
さらには気温が下降期に入るからとも聞きます。

この時期にあわせて、一時期は腰痛予防のストレッチなどしていました。
結構効くんですよ。
「猫のポーズ」
ニャンんこくんがいつも背中を弓なりに曲げて、全身を伸ばすのって、わかります?
これと同じように、四つん這いになって、背中を弓なりにして、それからその逆の方向へも曲げます。

怠っていたって言うよりも、この時期にはあまりないんだがなぁ・・・。
なんにしても、痛い目に遭ってしまったのだ。

腰痛とか肩こりとかって、夏目漱石が寝前をつけたらしいです。
それまで、日本には腰痛も肩こりもなかったらしいです。
病気の概念が出来ると病気が多くなるそうですね。

まぁ、なんにしてもみなさんくれぐれもお気をつけて・・・。

三回目のワクチン接種へ行きました

いまさら、という感じだが、三回目のワクチン接種を受けてきた。

本当に今更感だが、申し込んだのは3月だ。
仕方があるまい。

これまた今更なのであるが、一昨日くらいに政府がマスク着用似関するガイドラインを緩和した。
屋外で他人との拒否が確保しているときにはマスク着用を義務づけないというものだ。
なんとも遅いではないか。
はしこい人はもうとっくにやっている。

だいたい屋外でジョギングをしているときにまでマスクは必要か?
人が近づいてくるのが見えたらマスクすればよいだろう。
こんな阿呆なことをしているから、自粛警察が暗躍するのだ。
なにはともあれ、そこまでは緩和されたようだ。

さて、僕はこれまでも、そして今回も職域接種である。
このため、ワクチンはモデルナ。
すべてモデルナ。

モデルなのワクチンは接種後の副反応が大きいと聞く。
注射した方の腕がはれてしまう「モデルナ・アーム」が有名だ。
多くは一時的に高熱をだしてしまうこともあるようだ。

メルダーズ

僕はあまりワクチン接種をしてもさほどの副反応はでない。
一回目も二回目も、微熱がでたくらいだ。
なかには高熱で苦しんだ人もいたらしい。

三回目はどうなのか・・・。
なんとより副反応が出やすいらしい。
今風呂上がりで恐々としている。

でもまぁ、これで感染症の対策がそれなりにできた。
実質の抗体量の分析や、効き目などは二の次だ。
しかしまぁ、本当に 役だっているのだろうか・・・。

飛行機雲を赤く染めた五月の空

五月晴れなんていいますように、五月の空はとてもスッキリしています。
空だけに限った話でもありません。
なんといっても、空気が澄んでいて、湿気がないためこんなに良い季節はありません。

そうはいいつつ、時折雨が降っていますね。
お陰で安心して羽毛布団を干せないのが難点です。
中旬くらいまで、夜はちょっと冷え込んだのだけどなぁ・・・・。

実家へ国分寺崖線を下って行く途中、空が大きく見えた。
街ナカにいると、みるのは大きなビルばかり、空のなんと窮屈なことよ。

西空はもう日が沈んで、紅い色が空に初めたみたい。
飛行機雲・・・だろうなあ。
見事に長い綺麗な雲が日が差している。

皐月夕空飛行機雲

こんな光景を見ると、なんでだろう。
昔の自分のセンチメンタルな思い出が浮かんだり、学生の頃の思い出がよぎったりする。
綺麗な景色だからなのか、なんなのかやたらと心に刺さるような・・・。

武蔵野・多摩の夕焼け空・・・。
思い出のよぎる美しい空・・・。

Tag : 多摩武蔵野

今年も中止で僕も啼くなり「くらやみ祭」

おしあうて蛙啼くなり五月闇

「おしあうて蛙啼くなり五月闇」 蓼太

五月闇という言葉がありますがこれは季語で「梅雨時のころの鬱蒼とした暗さをいう。昼間の厚い雲に覆われた暗
さでもあるが、月のない闇夜のことでもある。」とのことです。
説明によれば、曇り空の暗さ・・・つまりは晴れた空との対比で暗さ・・・ということですが、一方でこの時期の闇夜の暗さも意味するようです。
これまた、雲などで星も月もなくて暗い闇をさしているようです。
梅雨時とのことですから、アマガエルが闇夜か曇りの天気の日にケロケロ啼いている状況でしょう。

上野公園のカエル

あまりにも度が過ぎると騒々しいでしょうけど、可愛らしく啼いている声を静かに聴いているのもよさそうな・・・。
僕たち日本人はこのようなカエルや秋の虫の鳴き声を愉しむことが出来ますが、欧米の人の耳には騒音としか聞こえないようです。
自然と格闘してきた西洋人と、自然を愛でともに生きてきた日本人とでは感性が違うようです。
聞こえる音域なんかも違うらしいですね。

さて、僕個人としては「五月闇」と聞くと、ここ3年ほど中止になっている「くらやみ祭」なんかを連想してしまいます。
来年こそは・・・・、と願いつつケロケロと・・・。

くらやみ祭6

Tag : 文化多摩武蔵野自然俳句

「グレート・ギャッツビー」・・・トム・ブキャナンという男(その2)

文学的なことはさっぱりなので、この小説のどのようなところが評価を押しあげたものなのかはわからない。
むやみに感動を呼ぶようなものでもなく、どちらかというと少なくとも日本人である僕としては理解不能なハイクラスの生活やトラブルを描いているようにも見える。
結末は理不尽なようにも思えるし、ある意味因果応報なのもしれないが、なにか特定の学びを得るようなことでもない。
ただ、この頃の話であろうとは思うが、アメリカ社会の歪んだ部分をも描かれている気がする。
銃社会であるアメリカ、クルマ社会のアメリカ・・・、そしてサクセスストーリーの国、アメリカ・・・。

さて、トム・ブキャナンである。
この人物はシカゴの莫大な資産家の出で、学生時代にはアメリカン・フットボール選手として全米で名を馳せた。
30代の壮健で横柄な男性で、家族には妻のディジーがいた。
この妻・ディジーがギャッツビーと大いに関係してくるのだが、最後は理不尽なまでに身勝手で、罪をギャッツビーに押しつけてしまった。

僕がこの脇役であるトム・ブキャナンに関心を寄せる意味・・・。
それは30年近く前になるが、あるスポーツ新聞のコラムに寄稿した人物が書いた文章を思い出すのだ。
そのコラムはあるスポーツのクラブチームが、長年苦渋嘗めながらも、ついに頂点に達したことに関して書かれたものだった。

波打ち際

かつては経済的に、あるいは信用性でバックボーンのないクラブが頂点を決定する試合への参加が認められず、そのスポーツは実業団が幅をきかせていた。
そのクラブ・チームは一時期は廃部の危機となったこともある。
しかし、その数年前に日本一への道がクラブにも認められて、ようやく頂点までたどり着いた歴史があった。
実業団とは違って、職業の異なる選手たちがみな自主的に集まって練習を行っている。
それを評して、その筆者は"『「グレート・ギャッツビー」のトム・ブキャナン』となること断固として拒否した男たち”と書いた。

ここで「トム・ブキャナン」が出てきたのだ。
20代前半(大学時代)に全米に名を馳せた名選手だが、人生の早い時期に栄華の絶頂を掴んだこの人物は、あとは下り坂を転げ落ちるような人生であった。
このクラブチームの選手たちはみな、大学を卒業後も見果てぬ夢を追いかけ続けた。
あたかもそれが、トム・ブキャナンと対称をなすかのように思えたのだろう。
僕はこの『トム・ブキャナンとなること断固として拒否した男たち』という言葉が好きだ。

実を言うと、この当時僕はトム・ブキャナンを知らなかったし、「グレート・ギャッツビー」を読んでもいなかった。
今回、改めてこのコラムの意味を本当に正確に知りたくなった、といっても的外れではない。
ただ、実際に読んで、トム・ブキャナンはもっと過酷な転落人生を生きているのかと思っていた。
小説のなかではかれは、鼻持ちならない人物といった具合で、なにかドラマティックな人生を送っているわけではなかった。

だが、読んでみて、実際に知ってみて、良かったと思う。
とても好きな文章でありながら、その核心部分を不勉強なままでいたことは残念であった。

・・・・さて、果たして僕自身は「トム・ブキャナン」となることを断固として拒否できたのだろうか。
かの文章を好きであった僕自身がそれを果たしていないとすれば、なんと皮肉なことであろうかと思う。

人工芝

Tag : 文化歴史読書

「グレート・ギャッツビー」・・・トム・ブキャナンという男(その1)

アメリカの近代小説「グレート・ギャッツビー」(フィッツジェラルド著 小川高義訳 光文社文庫)を手にした。
邦訳では「華麗なるギャッツビー」という方がよく知られているかもしれない。

フィッツジェラルドの代表作であると同時に、現在ではアメリカ文学を代表する作品の一つであると評価されているようだ。
というのは、フィッツジェラルドが出版した当初は好意的に評価はされたものの、商業的にはあまり成功した作品とはいえなかったらしい。
この作品が近代アメリカ文学の古典的な作品としての地位を取得するのは、フィッツジェラルドの死後10年以上経過してからのようで、途中絶版になったりもしている。

若葉萌える2

僕がこんなアメリカ文学の本を読むなんて珍しいと思うかもしれない。
(いや、誰も興味ないかな・・・(^_^;))
いやいや、これでも僕は英米文学を専攻していて卒論も書いているのだ・・・ただし、卒論は日本語で書いて、原文も読まずに日本語訳で読んでいるのだが・・・・。

まぁ、そんなことはどうでもよい。
僕はこの話のなかに登場するひとりの人物に興味を持っていたのだ。
それは主人公で語り手のニックでも、中心的人物であるギャッツビーその人でもない。
ニックの友人でもあるトム・ブキャナンという脇役についてなのだ。
そのことはあとで説明する。

下田のビーチ

この「グレート・ギャッツビー」という話は、大筋以下の通りである。
ギャッツビーは海辺の豪邸で夜な夜な大パーティを開いている若くして謎の多い人物である。
30代の年齢で、以前は多くの勲章を授与された将官クラスの軍人であった。
戦後になって、酒の密造などを行って、一代で財をなした、つまりは成金である。
ニックはある日、近所のよしみでギャッツビーから招待状を貰い、パーティに参加した。
そして、次第にこのギャッツビーと親交を深めていくうちに、この男性の内面を知らされる。
と、いうよりも、すべてギャッツビーが仕組んだことであったのだ・・・。

< つづく >

Tag : 文化読書小説

プロフィール

無心庵ひょっとこ斎

Author:無心庵ひょっとこ斎
郷土と自然とネコをこよなく愛する多摩っこ。

愛猫:
「うず」(十一歳没)
→*「愛猫思い出」(↓カテゴリ)

「小うず」二代目。H27年生。♂
→*「ネコ煩悩」」(↓カテゴリ)

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