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上半期の締めくくり・・・「夏越の大祓」

今日は6月、水無月の晦日です。

「夏越の大祓」という儀式が各地の神社では行われています。

この行事は1月から6月までの半年間の穢れを落とすための神事です。
そして同時に残りの半年の無病息災を祈願します。



穢れを落とすために「茅の輪くぐり」を行います。
神社には直径数メートルの「茅の輪」が飾られています。
この輪を3回左右にくぐり抜けることで、穢れを落とすのです。
作法は詳しくは神社などで聞いてください。

由来としては「イザナギノミコト」まで遡ることが出来るようです。
しかし一時期は途絶えていたらしく、明治になって神仏分離が行われた際に、復活したそうです。
もとは宮中で行われていたそうです。

「夏越の大祓」は6月までの穢れを落とす儀式と説明しましたが、さて、残りの半年はどうなるのでしょうか?
実は「年越の大祓」という儀式もあるそうです。
勿論、この行事は大晦日に行われます。
しかし、残念なことに滅多に見かけませんね。

田中訥言筆十二ヶ月風俗図屏風 《部分)1

恐らくは翌日が元旦で一番のかき入れ時。
神社の方も手が回らないのでしょう。
僕は上野公園の近くのとある神社で「年越の大祓」を見かけました。
本当にあるんだなぁ、という感じ。

この行事では、「人形(ひとがた)・形代(かたしろ)」を用いて祓をします。
この人形に自分の名前と年齢を書き、そして身体にこすりつけて厄を落とします。
おわかりのとおり、この人形は僕らの「身代わり」で病気や不幸を引き受けてくれるのです。
最後に焚き上げを行ったり、川に流したりするそうです。
いまのご時世じゃ流すのは無理そうですね。
人権派の意識高い系もうじゃうじゃ言いそうですしね・・・。

夏越の大祓い6

さて、梅雨明けはまだのようですが、恐らくは遡って開けそうな気がします。
なんたって、観測史上初めての猛暑が六月にやってきたんですから・・・。
電力需要も逼迫していて、物価も電気料金も高騰しています。
それどころか、節電と「熱中症予防で冷房を使いましょう」という掛け声が同時にかまびすしく響く今日この頃。
電気自動車を普及させるんじゃなかったんですか~?

Tag : 文化多摩武蔵野歴史芸術映画

ニューレシピ・「餃子」はとってもうまいのだ!


僕のウチのレシピに新しいメニューが登場した。

いままでなんでやらなかったんだろうと思うくらい身近な食事だ。
それは・・・。

「餃子」

餃子と焼売は買うものとの固定観念があったろうか・・・。
あの芸術的な包み方は自分にはできないと避けていたのだろうか・・・?

案外簡単にできるものだ。
仕込みだって楽ちん。
最初だから、ちょっと楽してみた。
刻み野菜はできたものが売っている。
自分でやればもっとやすかろうが、それほど高価でもない。

皮と挽肉と刻み野菜とニンニクがあれば充分。
調味料はそんなに特別なものは使っていない。

挽肉に調味料を合わせたのとニンニクを刻んで混ぜる。
さらに刻み野菜を混ぜ合わせて、冷蔵庫で1時間ほど寝かせる。
皮にくるんでできあがり。

手作り餃子

意外と簡単です。
ただ、数作らなきゃなので時間がかかるだけ。
焼くのはいつものことだから大丈夫!

うん、なかなかうまい。
今度はもっとニンニクを一杯入れてしまおう。
・・・まぁ今回もかなりいれたけどね・・・。

Tag : 文化

「国防こそ最大の福祉」・・・月刊 正論7月号(その3)

僕のような素人でも分かる。
ウクライナは戦車がないから、歩兵が危険を顧みずにジャベリンで対抗しているのだ。
ロシアの戦車を一両破壊するために、どれだけの犠牲を払っているのか・・・。
なんと、自衛隊員は全員歩兵になってミサイルを担いで戦車と戦え、といっているのである。
「竹槍でB-29を墜とせ」と、いうのは先の戦争を揶揄するのによく使われるが、財務省は現代においてそれをいっていることになる。

僕が愕然としたのは航空戦力に関することだ。
我が国、自衛隊とその整備部隊は非常にレベルが高く、例えば米軍なども沖縄に配備されるとパイロットは大喜びするらしい。
機体の整備がとてもよいからだ。
航空自衛隊の戦闘機などの稼働率は世界一だ。
米軍でもこの点は自衛隊には及ばない。

航空自衛隊

YOUTUBEの動画でもこの点はよく情報として取り上げられている。
比較して、チャイナや南朝鮮の稼働率は酷いくらい低い。
原因のひとつとして、整備の不良もあるが、装備部品の購入予算が使い込まれているため、機体同士で不良品となった部品を使い回す「共食い」ということがよく行われているためと言われていた。
今回、僕が愕然としたのは、なんと我が航空自衛隊でもその「共食い」が行われているということだった。
我が日本では予算が使い込まれているためではない。
予算が確保できないからなのだ。

財務省に対して怒りすら覚える。
彼らは我が国の国防をなんと思っているのか。
国の領土と国民の生命よりも、財務省の省益の方を優先しているのだ。
財務省はエリート中のエリートで、東大などのハイパーインテリが揃っているらしいが、まさしく「頭の良い大馬鹿者」の集団ではないか。

いっそのこと、すわ戦時になったら、彼ら財務官僚の責任ある立場の連中は、最前線に「軍属として」配備すれば良い。
一般人としてではない、軍属なのだから特別な配慮は不要だ。
ジャベリンを片手に存分に活躍して頂こう。
いや、どうせかれらは当てることが出来ないのだから、コストパフォーマンスを鑑みて、自動小銃と手榴弾のみ持たせれば十分だ。
さすれば、かような馬鹿な口出しはしなくなるであろう。

頭の良い馬鹿は、国にとって害悪を振りまくばかりである。

< おしまい >

「国防こそ最大の福祉」・・・月刊 正論7月号(その2)

そうはいえ、世論の後押しあってのことであるが、国防費をGDP2%相当まで5年以内に、というのは全力で取り組んで欲しい。
だが、一見前向きそうに見えても、やはりこの人は身内に財務省官僚が多いというのが難点だ。
その財務省だが、とんでもない事を発表している。
なんとたかが財務官僚ごときが国防予算やその使い道に口出しをしているそうなのだ。

我が日本の省庁にはやはりといっていいが、上下関係がある。
その最上位にあるのが財務省である。
やはりカネを握っている省庁がもっとも権力が強い。
防衛省などは、歯牙にもかけていない。

だが、いざ国の大事となれば防衛省は責任重大である。
とりわけ昨今の情勢を鑑みれば、我が国民の生命と財産、国土を護り抜かねばならない。
そのための防衛予算の拡張が叫ばれているのだが・・・。

陸上自衛隊

なんと、財務省はこの後に及んでも緊縮路線をひた走っているようだ。
そして、あろうことか防衛装備品などにも口出しをしているらしい。

もっとも驚きなのが、戦車や機動装甲車に関するものだ。
ウクライナ情勢でご存じの通り、今般西側諸国より供与のあったジャベリンという歩兵の使用する対戦車ミサイルが大戦果を挙げている。
それを持ち出して、財務省は「戦闘車両を購入するよりも、ジャベリンを代わりに購入した方がコスト・パフォーマンスがよい」とのたまっているらしい。

< また、つづく >

陸上自衛隊ヘリ

「国防こそ最大の福祉」・・・月刊 正論7月号(その1)

今月の「月刊 正論」(7月号)がアツい!

特集がズバリ、「国防こそ最大の福祉」だ。

これは以前僕が社会福祉の勉強をしていたころに考えた言葉でもある。
いまこうして本の表紙を飾る言葉になろうとは・・・。

国民の最低限の人間らしい生活を守るために社会福祉が整備されている。
例えば、年金・介護・教育・医療・・・生活保護などもそうだ。
しかし、最低限の人間らしい生活を守るには、それ以前に「安全保障」なしには語れない。
高齢者福祉や年金制度が仮にどんなに整備されていようが、侵略してくる国家があれば、それこそ、元も子もない。

だからこその「国防こそ最大の福祉だ」なのである。
ウクライナ戦争が始まってから、3か月近くになっている。
これは対岸の火事ではないことを国民が幅広く認識している。

護衛艦1

最近では防衛費をGDP比を今までの倍、2%へ引き上げすることに国民の9割近くが賛成。
核保有の議論も進めるべきだ、との声もある。
憲法改正、とりわけ九条の改正。

これに対して政府の反応は鈍い。
とりわけ、現政権である岸田政権は及び腰だ。
この首相は広島出身であることや、自分の所属派閥である宏池会への帰属意識が恐ろしいほど強い。
自分が「日本人」であることよりも強いようで、海外でのスピーチでも「宏池会」について言及している。
海外の人から見れば「は?何それ」というほど、場違いな発言なのだ。

話をもとに戻すと、この広島出身のこの首相は日本の核武装や核シェアリングにも否定的だ。
なぜかというと、広島出身だからである。
広島は世界最初の被爆地でもあり、核へのアレルギーは大きい。
よって自分の支持母体である地元の意見を聞くのはあたりまえかもしれない。

だが、いま論ずるべきなのは「日本全体の安全保障」であり、広島の県民意識ではない。
早いところ、おやめになって広島県知事にでもなっていただきたい。

< つづく >

『山水思想』・・・我が画境の果てに何があるのか(その10)

筆者はこの近代日本の迷走は、奇しくも天心やフェノロサが「文人画」に見られる「あそび」の要素を排除したためではないかと提議している。
「文人画」の「あそび」の要素を切り捨てたこと日本画を日本画を雪舟・等伯から遠ざけてしまったのである。
天心はフェノロサの頑迷なところに引きづられることなく、「あそび」についても研究すべきだったのだ、と。

この本の最終章とでも言うべき部分に登場するのが「富岡鉄斎」である。
江戸時代末期から明治初頭に活躍した文人画家。
「最後の文人画家」ともいわれる。

身体が虚弱であったこともあり、商人には向かないと学問を修めた。
その範囲たるや、まさしく万巻の書を読む、とされるほどである。
自らを画家とはせず儒学者であると自称した。
自分の絵を見るのであれば、まず賛を読んで欲しい、と鑑賞者に注文する。
鉄斎の絵はほとんどが独学であるらしい。

斉白石「尋旧図」

八十歳で大成するという遅咲きの人物であるが、その果てに融通無碍の境地を表現するに至ったのだ。
「万巻の書を読んで」会得した含蓄と、流派をものとせず取り込んだ。
筆者曰く「山水とはここまで到達できるのか」と思わせるらしい。

僕自身、当初はその「円熟した境地」の頃に書いた作品を正しく理解することができなかった。
なんとも醜悪で雑な仕事に見えたのである・・・・恥ずかしながら・・・。
だが、出光美術館で開催された「鉄斎」という企画展で、若き日の頃の作品を観て、確かな伝統的画法の習熟に驚いた。
そしてようやく、目を覆っていたフィルターが外されて、鉄斎画を鑑賞することができるようになった。

「文人画」とはこのように、迂闊に近寄る人間は突き放すようなところがある。
おそらくフェノロサや天心もその落とし穴に嵌まったのだろう。

因みに「鉄斎」の作品は、美術品として超一級であり、流通価格が億を軽く超えるほどである。
無論、金額が作品への評価と一致するとは限らないことは、いうまでもないことだ。

※ちくま学芸文庫『山水思想 ~「負」の想像力』(松岡正剛著)

Tag : 文化歴史読書芸術日本画美術

『山水思想』・・・我が画境の果てに何があるのか(その9)

だが、この「俳画」とか「文人画」というものは近代の日本画の世界では切り捨てられた文化であった。
これらはあまりにも身辺的なもので、私生活的なものであったため、「つくね芋山水」などと軽蔑されていた。
本来、文人画はその作者のもつ文化性を詰め込んだ上で省略などをきかせた含蓄のあるものであるべきだ。
しかし、この侮蔑された「つくね芋山水」は含蓄も何もない簡素なお絵かきであったためだろう。

あたかも芭蕉や蕪村の俳句が五七五七七の和歌をさらに凝縮させたものであることに近しい。
極限まで省略した俳句であればこそ、読み手の想像力をかき立て、無限の広がりを喚起するのである。
文人画とはそのようなものである筈で、バックグラウンドには膨大な知識の蓄積があるのが本来だ。

斉白石「菊花群鶏図」

残念なことに、岡倉天心やフェノロサにより拓かれた近代日本画は、このような文人画や俳画をいとも簡単に切り捨ててしまったのである。
これはある程度、やむを得ない事情があるようだ。
それはその時代には、「つくね芋山水」とやらが大量に出回っていたためである。
この本には書かれていないが、しかしフェノロサはまったくの一方的に「つくね芋山水」を断罪してしまったわけではない、と思う。
真に良品たる文人画には、価値を認めていたと、なにかの本で読んだ記憶があるが、それは確かな記憶ではない。

こうして、岡倉天心とフェノロサは文人画を日本画の主流から外してしまった。
フェノロサは「油絵が流行し、手慰みのような文人画の戯れがよろこばれているようでは、かつての日本美術の「真誠ノ画術」は磴砕してしまうだろう」と嘆いたとある。
このことが逆に天心ら、そしてのちの日本画の道を苦しめることになったのかもしれない。

※ちくま学芸文庫『山水思想 ~「負」の想像力』(松岡正剛著)

Tag : 文化歴史読書芸術日本画美術

『山水思想』・・・我が画境の果てに何があるのか(その8)

長谷川等伯の「松林図屏風」について論じられた後、この本では様々なジャンルに亘って「山水」について思索を続けることになる。
その範囲たるや、老荘思想から、和漢朗詠集、禅宗や庭園の枯山水に至るまで非常に多岐に亘る。
筆者の構想と、思索の厚みにただ、ただ驚くばかりだ。

だが、本の順を追わずにここでは日本における水墨画の大家について並べていこうと思う。
ここで与謝蕪村が登場する。
これは唐突に出してきたものとは言えない。
実はこの本の各章で、蕪村の芭蕉の句を対比して紹介していたのだ。

斉白石「和平図」

これはこの直前で和漢朗詠集が和歌と漢詩の対比を行うことを通じて、「漢」から我が国独自の「和」を生み出してきた経緯を、「山水」に当てはめて共通点を見いだしている。
蕪村は画家としての一面と、俳諧師としての一面を兼ね備えた文人である。
蕪村の描く山水や俳画から、和風の絵画世界が形成されるとともに、日本においてもチャイナと同じように「文人画」というジャンルが発生する。
ここに名を連ねるのは池大雅や田能村竹田、相阿弥などである。

※ちくま学芸文庫『山水思想 ~「負」の想像力』(松岡正剛著)

Tag : 文化多摩武蔵野歴史読書自然芸術日本画美術

「遠浅に兵船や夏の月」・・・与謝蕪村

「遠浅に兵船や夏の月」

遠浅に兵舟や夏の月

与謝蕪村の俳句を近代詩風に散らしてみました。

蕪村は松尾芭蕉・小林一茶とともに「江戸の三大俳人」に数えられた人物です。
俳句で有名なのは、教科書などでもおなじみだからですが、実は蕪村は書画にも堪能でした。
むしろ、書画で生計を立てていたのです。

この俳句と書画という二つの道はお互いに補完しあっているようです。
蕪村の俳句はあたかも、その臨場感ある画像を思いうかべることができるような句だといわれます。
絵画によって磨かれた感性が、俳句の創作に生かされています。
と、同時にこの非常に短い17語という短詩形にこめられた思いを、絵に託すような「俳画」を生み出しました。

俳句に戻ります。
これもまたさほど想像するに難くない句です。
「兵舟」・・・これは「つはものふね」と読みます。
文字通り「軍船」のことと思われます。
あとはそのままの情景を思い浮かべればよいでしょう。
遠浅の海にいくさ船が浮かぶ・・・その頭上には夏の月が光っているのだ。
なんとも絵画的ではありませんか・・・・。

秋の弧月3

Tag : 文化多摩武蔵野

【二十四節気】今日は「夏至」

今年の「夏至」は本日、21日。

「今日は」・・・としましたが、二十四節気の夏至の期間は今日から、次の節気である「小暑」までの期間です。
敢えて「今日は」としたのは、通常「夏至」といえば一年でもっとも正午の太陽の位置が高い日だからです。
そのもっとも高い位置に太陽がくるのが本日「夏至」なのです。

夏空

この太陽の位置の高さは、今いる場所の「緯度」によって決まります。
緯度が高いほど、太陽の位置は低くなり、昼の長さも長くなるのです。
九州よりも、関東。
関東よりも北海道の方が昼が長いのです。

そして、緯度66°以上になると、夜がなくなります。
「白夜」です。
極地では地平線すれすれのところを太陽が一日掛けて一周します。

夏至にちなんだ風習はあまりありません。
実際、聞きませんね。
一説によれば、この時期は田植えなどの農作業がとても忙しいからだそうです。
まぁ、お祭などやってる暇ありませんね。

そんな感じですが、この田植えの時期に「半夏生餅」を食べた、という風習があるそうです。
これも忙しい田植えの合間に食べたらしいので、やっぱり農作業にちなんでいるところがポイントですね。

ただ、関西では豊作を祈って、半夏生にタコを食べる習慣があるそうです。
作物がタコの足のように、大地にしっかり根を張るようにとの願いが込められているそうです。
僕も4年ほど大阪で暮らしましたが、聞きませんね~。
たこ焼きは大好きだったので、いっぱい食べましたが・・・。

「夏至」を祝うのは、むしろ欧米の方が盛んらしいです。

田中訥言筆十二ヶ月風俗図屏風 《部分)1

Tag : 文化多摩武蔵野天文

プロフィール

無心庵ひょっとこ斎

Author:無心庵ひょっとこ斎
郷土と自然とネコをこよなく愛する多摩っこ。

愛猫:
「うず」(十一歳没)
→*「愛猫思い出」(↓カテゴリ)

「小うず」二代目。H27年生。♂
→*「ネコ煩悩」」(↓カテゴリ)

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