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今年は「閏年」

今年は「閏年(うるうどし)」。
そして、今日は「閏日」・・・今月は「閏月」です。

グレゴリオ暦では四年に一回、この閏年があります。
平年では2月は28日までですが、今年は今日のように29日があるのです。
オリンピック(夏季大会)がある年、と覚えると覚えやすいです。
まぁ、前回の東京五輪は武漢肺炎のせいで一年遅らせたため、2021年に実施していますが・・・。
今年はパリ五輪、おそらくは開催されるでしょうけど。

令和六年靖國神社辰絵馬

オリンピックは西暦を四で割り切れる年をオリンピック・イヤーとしてます。
一方でグレゴリオ暦では以下のような規則があります。

西暦年が4で割り切れる年は(原則として)閏年。
ただし、西暦年が100で割り切れる年は(原則として)平年。
ただし、西暦年が400で割り切れる年は必ず閏年。

深大寺1

このため、1900年や2100年は四で割り切れるけれども、平年ということになります。
上記の年はオリンピック・イヤーにも関わらず平年という扱いだそうです。

意外にも、日本の暦では閏年の算出は西暦ではなくて、皇紀で算出しているそうです。

ところで、この閏日に生まれた人は4年に一回しか歳をとらないのでしょうか・・・。
まぁ、誰でも知っているでしょうけど、平年は3月1日が誕生日となるため、、毎年人と同じように歳はとるのです。

4年に一回の閏日・・・大切な一日にできたでしょうか?

Tag : 文化歴史自然天文

【下田紀行】下田市街をウォーキング(その1)・・・歴史の小径

2日目の中日ですが、そこそこ天気もよかったので、送迎バスで下田駅まで出掛けて市街を歩き回りました。

まぁ、名所史跡の目玉はやっぱりペリー来航にゆかりのあるお寺とかなんですが、もう既に行ったことがあります。
でも、僕はペリーロードという柳並木がある通りが好きなので、観に行きました。

伊豆急下田駅から、市役所のある方向へ歩いて行くとまぁ中心市街に出るのですが、ペリーロードとか了仙寺なんかはそっちにあります。

下田了仙寺

まぁ、市街のもっとも奥の方にあるのが了仙寺です。
こちらはペリーと幕府の交渉に使われた場所ですね。
この時代ですから、会議室などもありませんので、もっぱらそういった場所としては神社仏閣がよく使われました。
いま観に行ったからといって、取り立てて面白いモノとかがあるわけでなく、お寺の建物があるだけです。

下田ペリーロード

ただ、お寺の門を出ると、いきなり用水路というかちいさな運河があります。
この運河沿いにあるのがペリーロードになります。
両岸に柳並木があって懐かしい情緒が湧き出てきました。



日本なんだけど、なんなく「蘇州夜曲」を口ずさんだりします。
橋のよこちょには「じゅん散歩」で紹介されたお店もありました。
ご当地では有名な「なまこ壁」が人目を引きます。
こういう、川とか用水路の脇の道っていいですよね。
国分寺のお鷹の道なんかもこんな良い感じ。

この界隈がもっとも下田の歴史を感じさせる場所ですね・・・たぶん。

下田柳橋

Tag : 文化武蔵野歴史自然散策多摩

マリンバでパッヘルベル「カノン」

パッヘルベル( J.Pachelbel)のカノン (Canon)。

何を思い出しますか?

僕はこの曲と出会ったのは、「コスモス(COSMOS)」という番組でした。
カール・せーガン博士の宇宙の解説ですね。
子供心に科学的探究心をくすぐられました。



音楽的にも気に入って、LPをレンタルして聴きました。
そのなかに入っていたのがこの曲です。
セーガン博士の案内で登場する「想像の宇宙船」で、光の速さで宇宙空間をすすむと宇宙船のなかの時間は地球での進み方とまるで違う早さになる・・・なんて説明を聞いてましたね。
アインシュタインの相対性理論の説明なんかも含まれていました。

次に思い出すのは、「キミとボク」(やまがらしげと作)。



作者とその飼い猫であった銀王号との出会い、暮らし、そして別れを描いた短編動画です。
この作品は自主製作のフラッシュ・アニメで、まだそれほどyoutubeに影響力がなかったころに公開したものです。
5年以上かけて口づてに人気を博して、ついには実写映画化までされた作品です。
話の内容はごくありふれた、飼い猫との生活を描いたもので、「猫好きあるある」なんていわれるほど平凡なものです。
しかし、主人公である猫の銀王号との別れには多くの人が共鳴を受けて、いったい何百万人の涙を誘ったか、と思います。
もちろん僕も、そしてこれをすすめて見た僕の両親も涙が止まらなかったといいます。

いうまでもなく、このアニメのBGMがパッヘルベルのカノンでした。
なので、僕はこの当時はこの曲を聴くと自然と涙がこみ上げたものでした。



さて、この動画ではマリンバという打楽器が使われています。
なかなか優しくていい響きですね。
心が癒やされるようです。
またいつか、この曲を聴いて涙するときがくるのかもしれません・・・。

Tag : 文化ネコねこアメショー映画ペットロス

昭和の物干し台エレジー

僕が子供の頃に住んでいた実家は、かつて平屋建て一階の木造住宅だった。

商売柄、大きな畳張りの座敷と縁側があり、小さいながらも池のある庭があった。
昔の家屋は、そんなであるから室内はいまのような密閉空間ではなく、風が素通りできるような開放感があった。
玄関をあがると正面がそのお座敷だったが、その手前・・・玄関の左手に子供部屋があって、兄弟でそこを勉強部屋や寝床にしていた。

郷土の森復元建物1
*画像は江戸東京博物館の展示です

僕が小学生の頃に、建て替えをして鉄筋コンクリの3階建てになったが、今思うと平屋建ての方が広さを感じた気がする。
子供で身体もまだ小さかったから、印象でそう思うのかもしれない。

子供部屋から外にでると、隣家の駐車場があって、おじさんの車がおいてある。
そのうえには屋根のように物干し台があった。

母屋が平屋だったからか、子供の僕なんかにしてみればとても高い場所に感じた。
周囲を上から見下ろしている。
当時のころだから、あんまり高い建物は近所にもなかったし。
子供にとって、なかなかの遊び場だっただろう。

洗濯ハンガー

昔はあんな雨ざらしのところに洗濯ものを干していたんだ。
雨が降ったら大変なのに・・・。

何もかも、おおらかだったんだなぁ。
昭和の時代は・・・。
あのおんぼろの物干し台に昇ったら、いったい何を思うことだろう・・・?

Tag : 文化多摩武蔵野

【下田紀行】旅のお宿は・・・(その5)

さて、そのほかに施設としては、次のようなものがあります。
ビリヤード、卓球室、トレーニングルーム、ライブラリー、売店、ゲームコーナー、カラオケラウンジ・・・。

下田ホテルゲーセン

そうですね・・・いままで使ったのは、ビリヤードとゲームコーナーでエアホッケーをやったくらいかな?

下田ホテルビリヤード

意外とよいのがライブラリーです。
図鑑や本、資料、DVDなどの視聴覚室もありますが、夏休みに子供が宿題をやったり自由研究をしたり・・・するわけないよな。
でも、何日も自由に過ごせるのだったら、ここでゆっくり読書や学習DVDを見たりしたいですね。

下田ホテルプール

おっと、忘れてました。
このホテルはトロピカル・リゾートなのですが、最後にプールについて触れましょう。
至近距離にビーチがあるのに、これって必要?ってな感じですが、屋外と屋内にプールがあります。
まぁ、沖縄のホテルでも海辺にプールありますからね。
屋外は結構大きめなプールです。
僕も最初に夏ハイシーズンに泊まったときには泳ぎました。
子供用もあって、定番の滑り台(ウォータースライダーではない)もあります。
夏には久しく行ってないので分かりませんが、プールサイドにはドリンクやカキ氷などを提供するバーもあります(たしか)。

下田ホテル屋内プール

屋内には開閉ドーム式の温水プールもあります。
夏には昼間このドーム開くんですよね。
なので、表のプールもよし、屋内も良し。
夏以外でも屋内で泳げるので、たまに水着を持っていって泳いだりしました。
なお、今回は当然泳いでいません。
もう、泳いで遊ぶことができる歳じゃないなぁ・・・。

まぁ、以上でこんな感じで楽しめる充実したホテルです。

Tag : 文化多摩武蔵野散策温泉

【下田紀行】旅のお宿は・・・(その4)

さて、ここが僕としては最大の魅力であるのがお風呂です。
ただ、さすがにお風呂については写真画像なしです。

風呂
*この画像はこのホテルの風呂とは無関係です

大浴場として、青珊瑚(男湯)、白珊瑚(女湯)。
三層の湯船(上がり湯、普通、ぬるま湯)、ラドン泉、サウナ、水風呂があります。
お湯はこの地で湧き出た温泉で透明なお湯です。
外は珊瑚の築山があって、湯につかりながら眺めることが出来ます。

下田ホテル洞窟1

もうひとつ、洞窟風呂~朝凪(男湯)・夕凪(女湯)があります。
こちらはビーチに出るときに使う地下へのエレベータで行ける風呂です。
岸壁の途中にはかつて石材の採掘場だった洞窟があり、そこをホテル建築のさい活用して作られたモノです。
風呂場は本当に洞窟のようなつくりになっていて、多々戸浜を眺めながら湯につかれます。
朝日が入るため、僕は朝一番の湯にはこの洞窟風呂を使います。

下田ホテル洞窟2

これらの温泉が本当に好きで、このホテルに泊まると、一日六~七回くらいは入りますね。
僕のルーティンは、到着してひと風呂、食事前にひと風呂、食後にひと風呂、就寝前にひと風呂ってとこです。
そして、朝は起きたらひと風呂、朝食後にひと風呂、出掛ける前にひと風呂って感じです。
ほんとに、まるで親の仇みたいに風呂三昧します。

Tag : 文化多摩武蔵野散策温泉

今日は「天長節」

今日は『天長節』です。

つまりは今上陛下のお誕生日です。
世間的には天皇誕生日といいます。

そのときそのときの(今上)天皇のお誕生日のため、日付は一定ではありません。
平成の御代での天長節は12月23日、昭和天皇は4月29日でした。

主旨として、当然のことながら天皇陛下のお誕生日を祝う国民の休日です。
この日には宮中では、祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀が行われます。
伊勢神宮を始め、各地の神道神社では天長祭が行なわれます。
そして海上自衛隊では、基地・一般港湾等に停泊している自衛艦において満艦飾が行われる。

九段下4

いろいろと行われていますが、実際に僕らが目にすることができるのは一般参賀くらいですね。
こんなに行われているとは知りませんでした。
自分の無知を恥じるものではありますが、やはりこういった祝日に関してだけではなく、皇室や日本の歴史に関しての教育に問題があると思います。
とりわけ、天皇・皇室と日本の歴史はもっともっと日本人が学ばねばなりません。

つい先日ですが、僕の書道の稽古のときに、女性がこのようなことを言っていました。
「日本もはやく女性が天皇になれるようにしなきゃ。欧州やオランダみたいにすればいいのよ。きっとまもなくそうなるわ。」
頭がくらくらしてきます。
なんで、日本が欧州の真似をしなければならないのか。
我が国の天皇、皇室の歴史を何も知らないからこのようなデタラメな発想になるのです。

我が国の天皇と皇室は長き歴史のなかで、例えば和気清麻呂、楠木正成などのような忠臣が守ってきました。
そして君臣一体で国を存続させてきました。
歴史上、天皇にとってかわろうなどという大それた事を考えたのは、弓削道鏡や足利義満くらいのものです。
源の頼朝も、織田信長や徳川家康もだれも天皇になってかわろうと思わず、あるいは皇室の存続のために尽力しています。
いまの時代、一般大衆でそのようなことを考えている人は一握りです。
先述の女性のような考えの国民が多数であることは嘆かわしいことです。

日章旗2

Tag : 文化歴史

【下田紀行】旅のお宿は・・・(その3)

食堂は和食と洋食があり、いずれかをチョイスできます。
勿論、今回の僕のようにひと晩目は洋食、ふた晩目は和食という感じにもできます。
食事に関しては、また別の記事を立てるつもりです。

下田ホテルトップギャラン

あと、食堂ではありませんが、ラウンジもエントランスの正面にあります。
滅多に使いませんが、当初はコーヒ-・紅茶は無料だったのですが、時代とともにそんな裕福な制度は無くなっていきました。
そんな風に無くなっていったものは結構ありますが、このラウンジ前では毎朝朝市が実施されていました。
近くの農家などが毎朝果物や土産物を販売に来ていたのですが・・・いまではもうやっていないそうです。
これって、我が国が貧しくなっている証拠のようで、悲しい限りです。

下田ホテル客室

客室は和室、洋室、コネクトやスウィートがありますが、最近になって海辺のビーチハウスができたようです。
こちらには、わんちゃんも一緒に泊まれるようですが・・・僕は洋室とレギュラーの和室しか泊まったことはありません。

下田ホテルビーチハウス

これらの部屋はいずれもオーシャン・ビューで波の音を聞きながら過ごせるのがとてもよい。
今回は多々戸浜側の和室に泊まりました。
ホテル自体が岬(岸壁の上)に立地しているため、部屋階数に関わらず高所から海が見下ろせます。
なんというか・・・いいですね。
畳の部屋にオーシャン・ビューってのが・・・日本的で。

下田ホテルからの海1

Tag : 文化多摩武蔵野散策温泉

【下田紀行】旅のお宿は・・・(その2)

下田ホテルジオラマ

ではちょっとこのホテルの鳥瞰図・・・いや、ジオラマをお見せします。
これはホテルのライブラリーにあります。
なかなか便利なホテルですね・・・。
さて、立地ですが、両翼に砂浜の海岸(入田浜と多々戸浜)がある小さな岬・・・岸壁とでもいいましょうか。
そんな場所にホテルがあります。
入り口から見て本館の反対側にプールや展望台などが拡がっています。
そして、地下にエレベーターで降りると両翼の砂浜を繋ぐ通路があり、そこへ出ることが出来ます。
なんと入田浜と多々戸浜のいずれのビーチへも出ることが出来る最高の立地です。
これもこのホテルの魅力ですね。
ただ、僕はハイシーズンにここに泊まったのは最初の一回だけですが・・・。

下田ホテル咸臨丸1

ホテルに入るとロビーがありますが、そこで圧倒されるのは蒸気帆船のスケールモデルがあることです。
この模型があまりにも立派なため宿の格も上がるという感じがします。
ご存じ「咸臨丸」です。

下田ホテル咸臨丸2

これは幕末の開国期に建造された軍艦で、アメリカなどへ岩倉具視などの使節団を送り込んだりするのに使われました。
当然、尺は縮めてありますが、それでもこの大きさは圧倒されます。
海のホテルにふさわしい帆船模型です。
夜になるとライトアップされますが、それもまたよしです。

下田ホテル咸臨丸3

ここ下田はやたらと歴史に関連する名所史跡が多いのですが、それもそのはず。
江戸時代の開国期にアメリカのペリー提督が黒船でやってきたのが、ここ下田だからです。
観光地としての魅力もそうですが、やはりここでその時代の人々が如何にして弱肉強食の国際社会に出て行ったのか・・・その勇気を学びたいです。
圧倒的な科学力と軍事力を誇る欧米列強・・・。
日本人は持ち前の探究心と武勇、そして世界に誇る学力(識字率は世界一だったと言われています)で立ち向かった。
ここで長々と語りませんが、当時の日本人は欧米人が驚くほどの礼儀正しさや基礎科学力や技術力がありました。
そして、精神性の面でも彼らの一目を置くような振る舞いをしたという記録があります。
そこには咸臨丸も関わっていますが、以前にこの日記でも紹介しています。

Tag : 文化多摩武蔵野散策温泉

【下田紀行】旅のお宿は・・・(その1)

下田に逗留するときのお宿は決まっています。
と、いうよりもこの宿が目当てで行くわけですが、今回の記事はその宿についてです。

この下田の街は観光地でもあるため、宿は多いようです。
僕がこれまでにざっと眺めた範囲でも、ホテルあり旅館あり、そして民宿などもあるようです。

そんななかで僕の宿泊するホテルは会員制で、メンバーおよびそのゲストしか泊まれません。
僕がなんでそんなところに泊まれるかというと、母親が代表会員だからです。
その母もだいぶ高齢になりましたので、まもなくこのホテルには来れなくなってしまうかもしれません。
今回の旅は、そうなる前に、とそんな事情もあります。
とにもかくにも僕は二十代の頃から来てますので、もうリピーターですね。

下田ホテル2

駅からはだいぶ離れていますので、送迎バスで行きます。
車で7~8分くらいのところです。
なんでも踊り子号の発着時間に合わせて運行しているそうです。
下の写真は従業員宿舎・・・街道沿いにあって目立ちます。

下田ホテル3

以前は自家用車で来てたんですけどね。
自動車で向かうと、国道沿いに入り口が見えます。
左折して進むと、途中で検問所(のような・・・)があるので、会員証を見せると入れるようになっています。
実はこの会員制のホテルはほかにも関東周辺に何カ所か施設がありますが、この下田は屈指の施設です。
南国風のトロピカルリゾートを敷地内では満喫できます。

下田ホテル1

Tag : 文化武蔵野多摩自然散策温泉

プロフィール

無心庵ひょっとこ斎

Author:無心庵ひょっとこ斎
郷土と自然とネコをこよなく愛する多摩っこ。

愛猫:
「うず」(十一歳没)
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「小うず」二代目。H27年生。♂
→*「ネコ煩悩」」(↓カテゴリ)

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