無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
歳末に経済を活性化させるには・・・
昔からの慣行で、夏にはお中元、暮れにはお歳暮を贈るという習慣がありました。
いまでは若い人を中心にすっかりなじみのない習慣です。
ですが、高齢者などでは相変わらず贈っている人もいるようで、事実デパートやスーパーの催事場では季節になるとコーナーが出来ます。
並んでいるものは相変わらずな気がします。
洗剤や缶詰、お菓子、ハムなどの加工品・・・。
いただいてもあんまり嬉しいものかな?と疑問に思います。
会社などでも、社員同士贈り合うのを禁止している方が多いのではないでしょうか。
上司などは部下からたくさんいただいて、お返しで破綻してしまうことはないでしょうか・・・?
それに、そんなことが人事考課に影響するなんて噂だけでも立とうものなら・・・。
僕自身、もといた会社では禁止していたので一度も贈ったことはありません。
しかし、この頃思うのです。
あれはあれでそれなりに意味があったのではないか・・・と。
いまどきはデフレが続いているせいで、財布の紐も皆堅いです。
おまけに消費税はどんどん上がっていきますので、消費マインドは冷え切っています。
おかげさまで政府はおバカなことに、低所得者の給付金の一部を期間限定つきの金券にするとか、余計なコストをかけねばバラマキもままならない状況です。
それ以前の話で、このお中元とかお歳暮とか言う慣行は、人々に購買活動を活発にするための意味合いがあったのではないか・・・。
そりゃ、いまどきハムとか洗剤とか、いらないものはいらないとは思います。
だけど、何か商品を買わせてお金を回し、経済を活性化させる効果はあったのではないか・・・と。
その前に消費税をナントカして欲しい。
人々に購買活動を促すには、実はお歳暮・中元よりも効果のある政策があります。
それが消費税減税だ。
打ち出の小槌もふらなきゃ効果は出てきません。
まぁ、いまの首相はバリバリの財務省一家ということだから期待はできないが・・・。
いまでは若い人を中心にすっかりなじみのない習慣です。
ですが、高齢者などでは相変わらず贈っている人もいるようで、事実デパートやスーパーの催事場では季節になるとコーナーが出来ます。
並んでいるものは相変わらずな気がします。
洗剤や缶詰、お菓子、ハムなどの加工品・・・。
いただいてもあんまり嬉しいものかな?と疑問に思います。
会社などでも、社員同士贈り合うのを禁止している方が多いのではないでしょうか。
上司などは部下からたくさんいただいて、お返しで破綻してしまうことはないでしょうか・・・?
それに、そんなことが人事考課に影響するなんて噂だけでも立とうものなら・・・。
僕自身、もといた会社では禁止していたので一度も贈ったことはありません。
しかし、この頃思うのです。
あれはあれでそれなりに意味があったのではないか・・・と。
いまどきはデフレが続いているせいで、財布の紐も皆堅いです。
おまけに消費税はどんどん上がっていきますので、消費マインドは冷え切っています。
おかげさまで政府はおバカなことに、低所得者の給付金の一部を期間限定つきの金券にするとか、余計なコストをかけねばバラマキもままならない状況です。
それ以前の話で、このお中元とかお歳暮とか言う慣行は、人々に購買活動を活発にするための意味合いがあったのではないか・・・。
そりゃ、いまどきハムとか洗剤とか、いらないものはいらないとは思います。
だけど、何か商品を買わせてお金を回し、経済を活性化させる効果はあったのではないか・・・と。
その前に消費税をナントカして欲しい。
人々に購買活動を促すには、実はお歳暮・中元よりも効果のある政策があります。
それが消費税減税だ。
打ち出の小槌もふらなきゃ効果は出てきません。
まぁ、いまの首相はバリバリの財務省一家ということだから期待はできないが・・・。
武蔵野市の「住民投票条例」を廃案に!青山繁晴議員・長島昭久議員
昨日のことですが、武蔵野市で行われた街頭演説です。
国政から青山繁晴議員、そして長島昭久議員の参議院コンビが武蔵野市へ来てくれました。
このふたりともに「日本の尊厳を護る会」の議員さんです。
ほかにももと武蔵野市長から国政に進出した土屋正忠氏もいます。
「2021.11.28 青山繁晴議員・長島昭久議員 武蔵野市外国人住民投票条例に反対する緊急演説」(ニコニコ動画)
*動画の埋め込みがうまく出来ていないかもしれないため、上記の動画名をクリックして動画へたどり着いてください。
日曜日のことですが、あいにくと僕は仕事の日だったので、その場にいれず残念でした。
動画を見ていると、多くの人の声援や拍手が聞えて頼もしいです。
どのくらいいたんだろう。
「2021.11.28 オミノ安弘市議 土屋正忠元衆院議員 外国人住民投票条例に反対する緊急演説」(ニコニコ動画)
*動画の埋め込みがうまく出来ていないかもしれないため、上記の動画名をクリックして動画へたどり着いてください。
僕はこの長島議員のHPに意見を投稿したため、この応援演説会があることを知らせるメールを貰った。
いやぁ、本当に行きたかった。
先だって、市議会議員から反対の意見表明をするための署名用紙が各住戸に投函されていた。
裏面には「住民投票は必要なのか?」ということが書かれていた。
だが、中身は非常に生ぬるいものだった。
もっとも危惧すべきは「外国人参政権に繋がる危険な条例案だ」ということの筈だ。
しかし、そこはストレートには書かれていない。
おそらくは外国人やパヨクの家に投函されたら、大騒ぎになるからだろう。
そして、市議会議員は糾弾されるに違いない。
「外国人差別だ!」とね。
大手マスゴミもここぞとばかりに自民党系の市議会議員を叩くだろう。
まったく、本当にどこの国のメディアなのか・・・。
武蔵野市民よ。
いまこそ正しく理解すべきだ。
このように我が国では、正しいこともろくに言えない状況にあるのだということを。
正しいことを言えば、ヘイトスピーチとレッテルを貼られ封じられてしまうのだ。
我が日本ではf言論の自由さえ、この条例案がなくても制限されているのだと言うことを!
国政から青山繁晴議員、そして長島昭久議員の参議院コンビが武蔵野市へ来てくれました。
このふたりともに「日本の尊厳を護る会」の議員さんです。
ほかにももと武蔵野市長から国政に進出した土屋正忠氏もいます。
「2021.11.28 青山繁晴議員・長島昭久議員 武蔵野市外国人住民投票条例に反対する緊急演説」(ニコニコ動画)
*動画の埋め込みがうまく出来ていないかもしれないため、上記の動画名をクリックして動画へたどり着いてください。
日曜日のことですが、あいにくと僕は仕事の日だったので、その場にいれず残念でした。
動画を見ていると、多くの人の声援や拍手が聞えて頼もしいです。
どのくらいいたんだろう。
「2021.11.28 オミノ安弘市議 土屋正忠元衆院議員 外国人住民投票条例に反対する緊急演説」(ニコニコ動画)
*動画の埋め込みがうまく出来ていないかもしれないため、上記の動画名をクリックして動画へたどり着いてください。
僕はこの長島議員のHPに意見を投稿したため、この応援演説会があることを知らせるメールを貰った。
いやぁ、本当に行きたかった。
先だって、市議会議員から反対の意見表明をするための署名用紙が各住戸に投函されていた。
裏面には「住民投票は必要なのか?」ということが書かれていた。
だが、中身は非常に生ぬるいものだった。
もっとも危惧すべきは「外国人参政権に繋がる危険な条例案だ」ということの筈だ。
しかし、そこはストレートには書かれていない。
おそらくは外国人やパヨクの家に投函されたら、大騒ぎになるからだろう。
そして、市議会議員は糾弾されるに違いない。
「外国人差別だ!」とね。
大手マスゴミもここぞとばかりに自民党系の市議会議員を叩くだろう。
まったく、本当にどこの国のメディアなのか・・・。
武蔵野市民よ。
いまこそ正しく理解すべきだ。
このように我が国では、正しいこともろくに言えない状況にあるのだということを。
正しいことを言えば、ヘイトスピーチとレッテルを貼られ封じられてしまうのだ。
我が日本ではf言論の自由さえ、この条例案がなくても制限されているのだと言うことを!
いまどきの歴史書・歴史教科書事情のもの申す
このところ、万葉集に関する本を読み続けている。
「万葉古代学」(中西進編 大和書房)、「万葉集を読む」(古橋信孝編 吉川弘文館)などだ。
かな書道の心得として、和歌を学ぶことは必須と思うからで、和歌の原点としてあるのが日本最初の歌集であり文学作品である万葉集は避けて通れないと思うからだ。
ただ、これは歌集であるからには一句一句を分析・学習するなど到底無理難題である。
ここでは万葉の時代背景などを学ぶために読んでいる。
時代的には奈良時代で持統天皇や柿本人麻呂などのころである。
さて、この時代で僕らはひとりだけ突出した歴史の大人物がいることを知っているだろう。
いわずもがな、『聖徳太子』である。
だが、これらの本を読んで非常に違和感を感じるのである。
まず『聖徳太子』という人名は出てこないのだ。
『聖徳太子』という名前は、謚(おくりな)であり死後つけられた尊称だ。
聖徳太子は皇族であるが、天皇にはなっていないが、謚とは例えば「明治天皇」とか「昭和天皇」のようなものである。
天皇はご在位のときには「今上陛下」と呼ばれるが、崩御されると謚として「昭和天皇」「明治天皇」という尊称がつくことになる。
『聖徳太子』とはそれと同じなのだ。
ところが今どきの研究所や教科書では『聖徳太子』という尊称は記載が無い。
いずれも「厩戸皇子」などと書かれている。
これは生前のお名前とされているが、太子がお生まれになられたのが馬小屋であった、などという説もあり、そこから来た名前のようだ。
ウィキペディアでは、「厩戸皇子」という名前の方が根拠が希薄なようである。
どうも聞える範囲では、この『聖徳太子』を歴史から抹殺しようという動きもあるらしい。
これらの本でのしつこいくらいの「厩戸皇子」という呼称の連発は、こういった運動に加担している学者が扇動しているように思える。
実は『聖徳太子』は近隣諸国としては非常に面白くない名前なのである。
有名な話だが、チャイナの隋という帝国が我が日本に朝貢を促した際に例の「「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)」という親書は聖徳太子によるもの、といわれている。
チャイナでは「中華思想」なるものがあり、世界の中心は皇帝ただひとりなのである。
これに対して、太子は「日出處天子」(=天皇)、日沒處天子(=隋皇帝)として対等であることを明白に意思表示した。
彼ら中華思想の持ち主からすれば、あり得ない暴言なのである。
ここから「聖徳太子」の卓越した外交手腕が垣間見れる。
この時期、「隋」は高句麗との戦争に手を獲られているため、日本に攻め込むことは困難である。
その絶妙なタイミングでの使節派遣だったのだ。
かくして、我が日本はこの古代の時代より独立国としての立場を現在に至っているのである。
我が国のやっかいな周辺諸国が「超弦戦」といってそれこそ歴史カードまで戦略物資として扱っている。
とすれば、彼らから観れば『聖徳太子』は魔の上のたんこぶなのである。
やれやれ・・・。
このような日本の歴史史上、空前の大人物・大政治家をリベラルの学者は否定し、亡きものにしようとしている。
かつては一万円札の肖像が『聖徳太子』であった。
僕らはリベラルの企みを潰して、歴史的大偉人『聖徳太子』の尊称を教科書や歴史書に残して欲しいのである。
「万葉古代学」(中西進編 大和書房)、「万葉集を読む」(古橋信孝編 吉川弘文館)などだ。
かな書道の心得として、和歌を学ぶことは必須と思うからで、和歌の原点としてあるのが日本最初の歌集であり文学作品である万葉集は避けて通れないと思うからだ。
ただ、これは歌集であるからには一句一句を分析・学習するなど到底無理難題である。
ここでは万葉の時代背景などを学ぶために読んでいる。
時代的には奈良時代で持統天皇や柿本人麻呂などのころである。
さて、この時代で僕らはひとりだけ突出した歴史の大人物がいることを知っているだろう。
いわずもがな、『聖徳太子』である。
だが、これらの本を読んで非常に違和感を感じるのである。
まず『聖徳太子』という人名は出てこないのだ。
『聖徳太子』という名前は、謚(おくりな)であり死後つけられた尊称だ。
聖徳太子は皇族であるが、天皇にはなっていないが、謚とは例えば「明治天皇」とか「昭和天皇」のようなものである。
天皇はご在位のときには「今上陛下」と呼ばれるが、崩御されると謚として「昭和天皇」「明治天皇」という尊称がつくことになる。
『聖徳太子』とはそれと同じなのだ。
ところが今どきの研究所や教科書では『聖徳太子』という尊称は記載が無い。
いずれも「厩戸皇子」などと書かれている。
これは生前のお名前とされているが、太子がお生まれになられたのが馬小屋であった、などという説もあり、そこから来た名前のようだ。
ウィキペディアでは、「厩戸皇子」という名前の方が根拠が希薄なようである。
どうも聞える範囲では、この『聖徳太子』を歴史から抹殺しようという動きもあるらしい。
これらの本でのしつこいくらいの「厩戸皇子」という呼称の連発は、こういった運動に加担している学者が扇動しているように思える。
実は『聖徳太子』は近隣諸国としては非常に面白くない名前なのである。
有名な話だが、チャイナの隋という帝国が我が日本に朝貢を促した際に例の「「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)」という親書は聖徳太子によるもの、といわれている。
チャイナでは「中華思想」なるものがあり、世界の中心は皇帝ただひとりなのである。
これに対して、太子は「日出處天子」(=天皇)、日沒處天子(=隋皇帝)として対等であることを明白に意思表示した。
彼ら中華思想の持ち主からすれば、あり得ない暴言なのである。
ここから「聖徳太子」の卓越した外交手腕が垣間見れる。
この時期、「隋」は高句麗との戦争に手を獲られているため、日本に攻め込むことは困難である。
その絶妙なタイミングでの使節派遣だったのだ。
かくして、我が日本はこの古代の時代より独立国としての立場を現在に至っているのである。
我が国のやっかいな周辺諸国が「超弦戦」といってそれこそ歴史カードまで戦略物資として扱っている。
とすれば、彼らから観れば『聖徳太子』は魔の上のたんこぶなのである。
やれやれ・・・。
このような日本の歴史史上、空前の大人物・大政治家をリベラルの学者は否定し、亡きものにしようとしている。
かつては一万円札の肖像が『聖徳太子』であった。
僕らはリベラルの企みを潰して、歴史的大偉人『聖徳太子』の尊称を教科書や歴史書に残して欲しいのである。
はやく準備をしなくちゃね!年賀状の季節です
もうじき師走になる。
今年最後の一ヶ月だ。
あっという間に過ぎてゆく。
その前にしなくちゃいけないことも山ほどある。
年賀状もそのうちのひとつだ。
他の人はお金を掛けて、表も裏も印刷だ。
なんかひと言だけボールペンでこちょこちょ書いてそれでおしまい。
僕は墨客である以上、そうはいかない。
宛名も本文もちゃんと手で書くようにしている。
・・・・お金がないだけだが( ; 。 ; )
忘却の彼方の友人へはもう送らないことにしている。
僕が病気の時に悪ふざけしたような連中だ。
そんなやつらは友人ではない。
忘却の彼方へさようなら・・・。
出す数は絞りに絞り込んで少なくなった。
だが手書きなのだからそんなに無理は出来ないのだし仕方ない。
身の丈にあった生活をしていれば、さほどの苦では全くない。
来年は寅年だ。
なんとも力強く勇ましいことだ。
牛のようにのんびりして暮らしたいものだけどね・・・。
今年最後の一ヶ月だ。
あっという間に過ぎてゆく。
その前にしなくちゃいけないことも山ほどある。
年賀状もそのうちのひとつだ。
他の人はお金を掛けて、表も裏も印刷だ。
なんかひと言だけボールペンでこちょこちょ書いてそれでおしまい。
僕は墨客である以上、そうはいかない。
宛名も本文もちゃんと手で書くようにしている。
・・・・お金がないだけだが( ; 。 ; )
忘却の彼方の友人へはもう送らないことにしている。
僕が病気の時に悪ふざけしたような連中だ。
そんなやつらは友人ではない。
忘却の彼方へさようなら・・・。
出す数は絞りに絞り込んで少なくなった。
だが手書きなのだからそんなに無理は出来ないのだし仕方ない。
身の丈にあった生活をしていれば、さほどの苦では全くない。
来年は寅年だ。
なんとも力強く勇ましいことだ。
牛のようにのんびりして暮らしたいものだけどね・・・。
Tag : 文化
風吹いてそれから雁の鳴きにけり
「風吹いてそれから雁の鳴きにけり」
小林一茶の俳句です。
雁はかもより大きく、白鳥ほどは大きくありません。
伊藤若冲のまっさかさまに墜ちるような黒い雁の絵が「動植綵絵」にありますが、僕は雁といえばあの絵です。
僕自身、実際の事前の風景の中で観ることは少ないのではないかと思います。
昔は食用としてよく捕食されたようですが、いまでは個体数の減少から禁猟となっているようです。
雁と言えば「雁行」といって、直列になって飛行する様子が思い浮かべられます。
八幡太郎義家は、雁行が乱れているのをみて、敵がいることを察知したという逸話が残っています。
かつてはそこらで観た鳥なのでしょうね。
秋になって、乾燥した秋空に雁の群れが飛んでいく。
風とともに去りゆく雁をみてこの句を詠んだのでしょうか・・・。
たんに絵になる光景を詠んだ句に見えますが、これが正岡子規のいう写生の効いた句なのでしょうか・・・。
小林一茶の俳句です。
雁はかもより大きく、白鳥ほどは大きくありません。
伊藤若冲のまっさかさまに墜ちるような黒い雁の絵が「動植綵絵」にありますが、僕は雁といえばあの絵です。
僕自身、実際の事前の風景の中で観ることは少ないのではないかと思います。
昔は食用としてよく捕食されたようですが、いまでは個体数の減少から禁猟となっているようです。
雁と言えば「雁行」といって、直列になって飛行する様子が思い浮かべられます。
八幡太郎義家は、雁行が乱れているのをみて、敵がいることを察知したという逸話が残っています。
かつてはそこらで観た鳥なのでしょうね。
秋になって、乾燥した秋空に雁の群れが飛んでいく。
風とともに去りゆく雁をみてこの句を詠んだのでしょうか・・・。
たんに絵になる光景を詠んだ句に見えますが、これが正岡子規のいう写生の効いた句なのでしょうか・・・。
『袖振りの歌』に繋がる現代と未来
先日紹介した「ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集」に関する記事で紹介した大伴旅人の和歌・・・そのつづきだ。
これは旅人が出世して本朝へ戻る際に、見送る女性と交わした和歌ということだった。
記事では歌の内容を紹介していなかった。
以下がその四首である。
児島:
「凡(おほ)ならば かもかもせむを畏(かしこ)みと 振りたき袖を忍びてあるかも」
「大和道は 雲隠りたり しかれども 我が振る袖を 無礼(むれ)と思ふな 」
旅人:
「大和道の 吉備(きび)の児島を 過ぎて行かば 筑紫の児島 思はえむかも」
「大夫(ますらを)と 思へる我や 水くきの 水城の上に 涙拭(のご)はむ」
児島は遊行女婦(うかれめ)という神様のために舞うことを生業とした女性だ。
そのため、高貴な旅人に対して、袖を振るなど許されないため、分かれに際しての気持ちを詠んだものとされている。
そして、旅人もまたその返歌で気持ちのたけを伝えたものというのが一般的な解釈だ。
だが、「ねずさん」では、そのような高貴な身分の旅人が衆人環視の中でそのような歌を詠むはずがないとしている。
なるほど、たしかに許されない行為を我慢しているのであれば、歌の交換などそんな中で出来るはずもない。
これは、深い関係のふたりの恋歌ではなく、むしろ精神的な交流を図ったものなのだ。
これは軍歌「ズンドコ節」で、航海に出発する海軍兵が、さほど関係も深くはないけど見送ってくれている女性を気に掛ける情景と相似しているということだ。
なるほど、男女の深い関係よりも、そんな空想上の交流の方がより心に深く残るものだ。
汽車の窓から手をにぎり
送ってくれた人よりも
ホームの陰で泣いていた
可愛いあの娘(こ)が忘られぬ
トコズンドコ ズンドコ
花は桜木(さくらぎ)人は武士
語ってくれた人よりも
港のすみで泣いていた
可愛いあの娘が目に浮かぶ
トコズンドコ ズンドコ
元気でいるかと言う便り
送ってくれた人よりも
涙のにじむ筆のあと
いとしいあの娘が忘られぬ
トコズンドコ ズンドコ
万葉集の頃に詠まれた和歌に通じる歌がなんと近代の軍歌に反映している。
僕はこの事に非常な感動を覚える・・・。
そして、未来にもまたこの和歌の精神は繋がれているのだ。
まぁ、ここでいる未来とは2199年の空想の未来ではあるが・・・。
「真っ赤なスカーフ」である。
あの娘がふっていた
真赤なスカーフ
誰のためだと 思っているか
誰のためでも いいじゃないか
みんなその気でいればいい
旅立つ男の胸には
ロマンのかけらがほしいのさ
ラララ……
ラララ…… 真赤なスカーフ
Source: https://animesongz.com/lyric/428/1227
この歌でも、さほど親しい間柄でもない女性が振っていたスカーフに旅立つ男の心が揺さぶられているのだ。
あぁ、なんということか過去と現代と未来に通じる心の交流・・・素晴らしい発見である。
これは旅人が出世して本朝へ戻る際に、見送る女性と交わした和歌ということだった。
記事では歌の内容を紹介していなかった。
以下がその四首である。
児島:
「凡(おほ)ならば かもかもせむを畏(かしこ)みと 振りたき袖を忍びてあるかも」
「大和道は 雲隠りたり しかれども 我が振る袖を 無礼(むれ)と思ふな 」
旅人:
「大和道の 吉備(きび)の児島を 過ぎて行かば 筑紫の児島 思はえむかも」
「大夫(ますらを)と 思へる我や 水くきの 水城の上に 涙拭(のご)はむ」
児島は遊行女婦(うかれめ)という神様のために舞うことを生業とした女性だ。
そのため、高貴な旅人に対して、袖を振るなど許されないため、分かれに際しての気持ちを詠んだものとされている。
そして、旅人もまたその返歌で気持ちのたけを伝えたものというのが一般的な解釈だ。
だが、「ねずさん」では、そのような高貴な身分の旅人が衆人環視の中でそのような歌を詠むはずがないとしている。
なるほど、たしかに許されない行為を我慢しているのであれば、歌の交換などそんな中で出来るはずもない。
これは、深い関係のふたりの恋歌ではなく、むしろ精神的な交流を図ったものなのだ。
これは軍歌「ズンドコ節」で、航海に出発する海軍兵が、さほど関係も深くはないけど見送ってくれている女性を気に掛ける情景と相似しているということだ。
なるほど、男女の深い関係よりも、そんな空想上の交流の方がより心に深く残るものだ。
汽車の窓から手をにぎり
送ってくれた人よりも
ホームの陰で泣いていた
可愛いあの娘(こ)が忘られぬ
トコズンドコ ズンドコ
花は桜木(さくらぎ)人は武士
語ってくれた人よりも
港のすみで泣いていた
可愛いあの娘が目に浮かぶ
トコズンドコ ズンドコ
元気でいるかと言う便り
送ってくれた人よりも
涙のにじむ筆のあと
いとしいあの娘が忘られぬ
トコズンドコ ズンドコ
万葉集の頃に詠まれた和歌に通じる歌がなんと近代の軍歌に反映している。
僕はこの事に非常な感動を覚える・・・。
そして、未来にもまたこの和歌の精神は繋がれているのだ。
まぁ、ここでいる未来とは2199年の空想の未来ではあるが・・・。
「真っ赤なスカーフ」である。
あの娘がふっていた
真赤なスカーフ
誰のためだと 思っているか
誰のためでも いいじゃないか
みんなその気でいればいい
旅立つ男の胸には
ロマンのかけらがほしいのさ
ラララ……
ラララ…… 真赤なスカーフ
Source: https://animesongz.com/lyric/428/1227
この歌でも、さほど親しい間柄でもない女性が振っていたスカーフに旅立つ男の心が揺さぶられているのだ。
あぁ、なんということか過去と現代と未来に通じる心の交流・・・素晴らしい発見である。
はやばやと煌々と光るイルミネーション
霜月も下旬になり師走も近い。
年末年始が近いと様々なイベントも多い。
忘年会にクリスマス・・・・。
忘年会は今年も低調なのだろう。
おそらくまだまだ人々の習慣は武漢ウィルス蔓延していた頃のものから抜け出ない。
ひょっとすると、もう生活パターンはすっかり変わってしまったのかもしれない。
飲食業界には災難の日々がまだ続きそうである。
さて、クリスマス・・・。
こちらは盛り上がり方にもいろんなスタイルがある。
大規模なパーティで祝う集団もあれば、家族だけでホームパーティをする、教会でミサに参加する・・・。
こちらはひとつかみには言えそうにない。
クリスマスといえば、町にはいまどき何処でもイルミネーションを見かけることが出来る。
僕がまだ学生の頃は原宿の表参道と新宿の高層ビル街くらいしかみなかった。
それもライトの熱で街路樹が傷む、との理由で一時期衰退した。
しかしLEDライトの出現がイルミネーションをまた復活させたようだ。
それも、それまで以上に席巻している。
野暮ったい町として有名だった僕の最寄り駅前でも派手な電飾が冬を彩る。
ちょっと、やりすぎだ。
ここまでやり過ぎると、むしろ闇夜が恋しくなる。
雪の降る夜に、家の中でローソクの灯で静かにラジオでも聞いているほうがよい。
表参道のイルミネーションが恋しかった時代が懐かしく思える・・・。
年末年始が近いと様々なイベントも多い。
忘年会にクリスマス・・・・。
忘年会は今年も低調なのだろう。
おそらくまだまだ人々の習慣は武漢ウィルス蔓延していた頃のものから抜け出ない。
ひょっとすると、もう生活パターンはすっかり変わってしまったのかもしれない。
飲食業界には災難の日々がまだ続きそうである。
さて、クリスマス・・・。
こちらは盛り上がり方にもいろんなスタイルがある。
大規模なパーティで祝う集団もあれば、家族だけでホームパーティをする、教会でミサに参加する・・・。
こちらはひとつかみには言えそうにない。
クリスマスといえば、町にはいまどき何処でもイルミネーションを見かけることが出来る。
僕がまだ学生の頃は原宿の表参道と新宿の高層ビル街くらいしかみなかった。
それもライトの熱で街路樹が傷む、との理由で一時期衰退した。
しかしLEDライトの出現がイルミネーションをまた復活させたようだ。
それも、それまで以上に席巻している。
野暮ったい町として有名だった僕の最寄り駅前でも派手な電飾が冬を彩る。
ちょっと、やりすぎだ。
ここまでやり過ぎると、むしろ闇夜が恋しくなる。
雪の降る夜に、家の中でローソクの灯で静かにラジオでも聞いているほうがよい。
表参道のイルミネーションが恋しかった時代が懐かしく思える・・・。
今日は『新嘗祭』
今日は1年でももっとも重要な日のひとつ、『新嘗祭』です。
「新嘗祭」とは、天皇がその年に収穫された新穀などを天神地祇に供えて感謝の奉告をし、これらを神からの賜りものとして自らも食される儀式です。
宮中祭祀の中で最も重要な祭事として古代から行われています。
我が国では皆が腹一杯食べ物をいただけるよう、五穀豊穣の祈りを捧げることがもっとも重要なのです。
宮中で執り行われる祭事は、夕方から翌日まで行われるそうです。
ただし、前日に行われる鎮魂祭を含めると三日間に亘る祭事といえそうです。
また、新嘗祭が天照大御神や天神地祇(てんじんちぎ)といわれる天や地の神々へ捧げる行事ですが、10月17日には「神嘗祭」という祭事がまたあります。
こちらは、天照大御神のみに捧げるものであり、その点が新嘗祭と違います。
天皇は上述の通り、その年に収穫された新穀をいただくことになっており、したがって新嘗祭まで新米を食されないそうです。
僕もまさか陛下の前にいただくべきではないと思いつつ、新米が流通してしまっているなかで古米を備蓄しておくこともなかなかできず、毎年不遜なことをしています。
ただ、気持ちだけは忘れずにいようと思ってます。
そして、今日は「勤労感謝の日」ともいいます。
戦後に制定された祝日のひとつで、毎年この新嘗祭の日がそうなります。
GHQは宮中行事としての新嘗祭を残しつつ、国民の祝日から切り離す政策をとりました。
宮中行事であった「新嘗祭」の日は、「勤労感謝の日」に装いを改めて国民の祝日になりました。
「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」ことを趣旨としていますが、なんともピンときませんね。
やはり、今日は『新嘗祭』の日です。
「新嘗祭」とは、天皇がその年に収穫された新穀などを天神地祇に供えて感謝の奉告をし、これらを神からの賜りものとして自らも食される儀式です。
宮中祭祀の中で最も重要な祭事として古代から行われています。
我が国では皆が腹一杯食べ物をいただけるよう、五穀豊穣の祈りを捧げることがもっとも重要なのです。
宮中で執り行われる祭事は、夕方から翌日まで行われるそうです。
ただし、前日に行われる鎮魂祭を含めると三日間に亘る祭事といえそうです。
また、新嘗祭が天照大御神や天神地祇(てんじんちぎ)といわれる天や地の神々へ捧げる行事ですが、10月17日には「神嘗祭」という祭事がまたあります。
こちらは、天照大御神のみに捧げるものであり、その点が新嘗祭と違います。
天皇は上述の通り、その年に収穫された新穀をいただくことになっており、したがって新嘗祭まで新米を食されないそうです。
僕もまさか陛下の前にいただくべきではないと思いつつ、新米が流通してしまっているなかで古米を備蓄しておくこともなかなかできず、毎年不遜なことをしています。
ただ、気持ちだけは忘れずにいようと思ってます。
そして、今日は「勤労感謝の日」ともいいます。
戦後に制定された祝日のひとつで、毎年この新嘗祭の日がそうなります。
GHQは宮中行事としての新嘗祭を残しつつ、国民の祝日から切り離す政策をとりました。
宮中行事であった「新嘗祭」の日は、「勤労感謝の日」に装いを改めて国民の祝日になりました。
「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」ことを趣旨としていますが、なんともピンときませんね。
やはり、今日は『新嘗祭』の日です。
【二十四節気】今日から「小雪」
今日から二十四節気の『小雪』です。
「暦便覧」には、「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」と記されています。
一つ前の節気「立冬」は更新するのを忘れてしまいましたが、この節気は冬にふくまれます。
実際には、まだ落葉・紅葉の季節であり、まだ冬というのは気が早い感じがします。
「小雪」の意味からすれば、雪が降り始めることになりますが、関東ではまだ早いですね。
僕が札幌に住んでいた頃は、通っているスポーツジムで初雪の日を当てるゲームをしていました。
いまは知りませんが、当時は11月が初雪シーズンだったのです。
そこから一気に雪景色に変わっていくのが北海道でした。
「小雪」の次の節気が「大雪」です。
この季節の花は、シクラメン・寒椿・サザンカがあります。
寒い季節でも花が咲くのはよいことですが、僕の周りではあまり見る花ではありませんね。
旬の食べ物はほうれん草やカニ。
鍋物の具にカニとか、ちょっと贅沢ですね。
ミカンも旬の果物です。
年末の大掃除には欠かせないミカンの皮。
鍋で煮てクエン酸たっぷりの煮汁を使えば、台所の汚れも取れてピカピカになります。
明日は、「新嘗祭」です。
「暦便覧」には、「冷ゆるが故に雨も雪と也てくだるが故也」と記されています。
一つ前の節気「立冬」は更新するのを忘れてしまいましたが、この節気は冬にふくまれます。
実際には、まだ落葉・紅葉の季節であり、まだ冬というのは気が早い感じがします。
「小雪」の意味からすれば、雪が降り始めることになりますが、関東ではまだ早いですね。
僕が札幌に住んでいた頃は、通っているスポーツジムで初雪の日を当てるゲームをしていました。
いまは知りませんが、当時は11月が初雪シーズンだったのです。
そこから一気に雪景色に変わっていくのが北海道でした。
「小雪」の次の節気が「大雪」です。
この季節の花は、シクラメン・寒椿・サザンカがあります。
寒い季節でも花が咲くのはよいことですが、僕の周りではあまり見る花ではありませんね。
旬の食べ物はほうれん草やカニ。
鍋物の具にカニとか、ちょっと贅沢ですね。
ミカンも旬の果物です。
年末の大掃除には欠かせないミカンの皮。
鍋で煮てクエン酸たっぷりの煮汁を使えば、台所の汚れも取れてピカピカになります。
明日は、「新嘗祭」です。
【むさしの民話伝承】⑰武蔵野の伝承まとめ
「武蔵野の民話と伝説」(原田重久著 有峯書店新社)より多くの伝承・民話の類いを挙げてきた。
なかには時代が非常に現代に近く、民話とは到底いえないものもある。
僕自身、当初はもっと民俗学的な、あるいは水木しげるの漫画のような妖怪が出てくるようなものを考えていた。
しかし、意外にもこの本で紹介しているものが、もっと現実的でどこかで聞いたようなものが多かったのだ。
そして、僕が直接足を運んだことがあるような場所も多かった。
実際にはこの本には、「でいだらぼっち」のような妖怪の話も出てくる。
しかし、逆にそういった話ほど地域との関連性は希薄な気がした。
ようはどこでもありそうな妖怪談なのだ。
このブログで紹介したのは実質15エピソードだが、ご一読いただいて如何だったろう。
これは本の中の四分の一にも満たない程度だ。
だが、それでもやはり地域色が豊かにでていると思われる。
出てくる地名、街道、名刹古刹があるからとも言える。
やはり、名刹・古刹は地域にとって大切な資源なのだ。
地名もやたらと変えてはいけないのである。
なぜなら地名にはいわれがあったり、その場所の特色が色濃く反映しているからだ。
田無や保谷がなくなり、西東京市などという無機質な名前の自治体が出来た。
業平橋駅がとうきょうスカイツリー駅などという名前になった。
後世の同郷人の嘆きが聞えてくるようだ。
地方創生などというが、政府の立案するような横一線な創生などではなく、地域の独自色の強い地方をつくりたいのだ。
そこが魅力的な・・・住んでいる人が笑顔で暮らせて、周辺住民が遊びに来たくなるような、そんな地方を作り出したいのだ。
もっと歴史や習慣、風習や風俗を後世にも伝えられるように僕らも何かすべきでではなかろうか・・・・。
我々日本人はみな、祖国が大切で大事で、そして愛しているのだ。
なかには時代が非常に現代に近く、民話とは到底いえないものもある。
僕自身、当初はもっと民俗学的な、あるいは水木しげるの漫画のような妖怪が出てくるようなものを考えていた。
しかし、意外にもこの本で紹介しているものが、もっと現実的でどこかで聞いたようなものが多かったのだ。
そして、僕が直接足を運んだことがあるような場所も多かった。
実際にはこの本には、「でいだらぼっち」のような妖怪の話も出てくる。
しかし、逆にそういった話ほど地域との関連性は希薄な気がした。
ようはどこでもありそうな妖怪談なのだ。
このブログで紹介したのは実質15エピソードだが、ご一読いただいて如何だったろう。
これは本の中の四分の一にも満たない程度だ。
だが、それでもやはり地域色が豊かにでていると思われる。
出てくる地名、街道、名刹古刹があるからとも言える。
やはり、名刹・古刹は地域にとって大切な資源なのだ。
地名もやたらと変えてはいけないのである。
なぜなら地名にはいわれがあったり、その場所の特色が色濃く反映しているからだ。
田無や保谷がなくなり、西東京市などという無機質な名前の自治体が出来た。
業平橋駅がとうきょうスカイツリー駅などという名前になった。
後世の同郷人の嘆きが聞えてくるようだ。
地方創生などというが、政府の立案するような横一線な創生などではなく、地域の独自色の強い地方をつくりたいのだ。
そこが魅力的な・・・住んでいる人が笑顔で暮らせて、周辺住民が遊びに来たくなるような、そんな地方を作り出したいのだ。
もっと歴史や習慣、風習や風俗を後世にも伝えられるように僕らも何かすべきでではなかろうか・・・・。
我々日本人はみな、祖国が大切で大事で、そして愛しているのだ。