無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
甲辰長月の晦日
長月も今日で晦日だ。
長い長い夏がまだ今月も衰えずに続いた印象です。
本当に暑かったですね。
暑さ寒さも彼岸まで・・・といいますが、文字通りの暑さでした。
本当にお彼岸の中日・・・秋分の日の前日まで続いてましたから。
今日で企業などでは上半期が終了します。
事業年度は今日が半分の折り返し地点。
でも、今年令和六年はもう四分の三が終了。
早いものです。
あっという間に、一年が過ぎていきますよ。
今年は辰年。
干支では「甲辰」です。
「甲」は草木などが生長していく様子、「辰」は草木の形が整っていく様子。
今年令和六年の甲辰は、成功という芽が生長して、形を整えていく年です。
いまはまだ実りはなくとも、これから力強く生長していきます。
これからの努力次第です。
残る三か月、暑さにめげず、一層の努力をして生長の芽を育てていきましょう。
長い長い夏がまだ今月も衰えずに続いた印象です。
本当に暑かったですね。
暑さ寒さも彼岸まで・・・といいますが、文字通りの暑さでした。
本当にお彼岸の中日・・・秋分の日の前日まで続いてましたから。
今日で企業などでは上半期が終了します。
事業年度は今日が半分の折り返し地点。
でも、今年令和六年はもう四分の三が終了。
早いものです。
あっという間に、一年が過ぎていきますよ。
今年は辰年。
干支では「甲辰」です。
「甲」は草木などが生長していく様子、「辰」は草木の形が整っていく様子。
今年令和六年の甲辰は、成功という芽が生長して、形を整えていく年です。
いまはまだ実りはなくとも、これから力強く生長していきます。
これからの努力次第です。
残る三か月、暑さにめげず、一層の努力をして生長の芽を育てていきましょう。
秋の味覚・サンマがお手頃に・・・
猛暑の続いた長月ではありますが、秋の味覚も店頭に並んでいて嬉しい限りです。
柿や梨、栗などの果物もそうですが、やっぱり秋の味覚の代表といえば「さんま」ですね。
幸いにも今年はなかなかの漁獲高との声も聞きます。
数年前に比べると3~4割くらい高値ですが、それでも去年よりも手の届く金額になっていました。
早速ですが、2匹いただきました。
塩焼きにして、大根おろしと白いご飯。
今年はサンマだけではなく、久しく手に入らなかったお米がようやく食べられるようになった。
うれしさ倍増です。
サンマはご飯と一緒に食べたいですからね。
どちらも庶民的な価格でいただける日が近いことを祈ります。
いやぁ、うまい!
合掌 (^∧^)
柿や梨、栗などの果物もそうですが、やっぱり秋の味覚の代表といえば「さんま」ですね。
幸いにも今年はなかなかの漁獲高との声も聞きます。
数年前に比べると3~4割くらい高値ですが、それでも去年よりも手の届く金額になっていました。
早速ですが、2匹いただきました。
塩焼きにして、大根おろしと白いご飯。
今年はサンマだけではなく、久しく手に入らなかったお米がようやく食べられるようになった。
うれしさ倍増です。
サンマはご飯と一緒に食べたいですからね。
どちらも庶民的な価格でいただける日が近いことを祈ります。
いやぁ、うまい!
合掌 (^∧^)
Tag : 文化
霊峰・富士と外国人観光客と・・・
動画をごらんください。
いろいろと複雑な問題を孕んでいると思いました。
当初、僕の思っていたのと少し違う展開でした。
特定外国人観光客と、普通の外国人観光客。
ベテラン登山客と軽装の登山客。
日本人と外国人・・・。
特定外国人の集団がここ、富士山でも迷惑行為を働きます。
やっていることは、どこの観光地でもやっていることと同じです。
それを富士山でまでやらかすとは・・・。
傍若無人な集団行動に、日本人登山者のみならず、富士山に憧れて準備万端で来た外国人登山眉を眉を潜めます。
極めつけは、頂上で特定外国人の国旗を拡げて、日本人に撮影させるというもの。
これには他の外国人も困惑したようです。
しかし、彼らに天罰が下る。
そう、軽装で登頂した彼らは体調異変が起こります。
周囲は見て見ぬ振り。
泣いて悔いる彼らの姿を見て、日本人登山ガイドはやむをえずレスキュー呼びます。
・・・・
このレスキュー(ヘリ)は無料で呼べるので、安直に外国人が利用するのだとか・・・。
そして、それは我ら日本人の税金で運用されているのです。
なんともやりきれません。
やっぱり僕は(日本人も含めて)入山禁止にするべきと思います。
ダメならば、せめて入山料を5万円くらいとるべきだ。
かつて、ウルルに登った自分への反省を込めて・・・・。
いろいろと複雑な問題を孕んでいると思いました。
当初、僕の思っていたのと少し違う展開でした。
特定外国人観光客と、普通の外国人観光客。
ベテラン登山客と軽装の登山客。
日本人と外国人・・・。
特定外国人の集団がここ、富士山でも迷惑行為を働きます。
やっていることは、どこの観光地でもやっていることと同じです。
それを富士山でまでやらかすとは・・・。
傍若無人な集団行動に、日本人登山者のみならず、富士山に憧れて準備万端で来た外国人登山眉を眉を潜めます。
極めつけは、頂上で特定外国人の国旗を拡げて、日本人に撮影させるというもの。
これには他の外国人も困惑したようです。
しかし、彼らに天罰が下る。
そう、軽装で登頂した彼らは体調異変が起こります。
周囲は見て見ぬ振り。
泣いて悔いる彼らの姿を見て、日本人登山ガイドはやむをえずレスキュー呼びます。
・・・・
このレスキュー(ヘリ)は無料で呼べるので、安直に外国人が利用するのだとか・・・。
そして、それは我ら日本人の税金で運用されているのです。
なんともやりきれません。
やっぱり僕は(日本人も含めて)入山禁止にするべきと思います。
ダメならば、せめて入山料を5万円くらいとるべきだ。
かつて、ウルルに登った自分への反省を込めて・・・・。
自民党最後の総統爆誕!沈み行く泥船に未来は無い!!
ついに自民党新総統が本日誕生しました。
9月27日投開票だった自総統総統選挙が行われました。
まぁ、こんなものじらしたって仕方ないのであっさりといきましょう。
なんと、石破茂氏が決戦投票を制して、新総統に選ばれたのでした。
いやはや、なんとも絶句しましたね・・・。
総統選の流れなどはこんなところで解説しても仕方ありませんが、簡単に言えば・・・。
党員票と議員票で9名の候補者を選びます。
こちらの本選は、一位が過半数を獲得すれば、そのまま決定です。
しかし、過半数を獲得した候補がいなければ、上位2名を決戦投票(主に議員票による)で決めます。
僕はたまたま本選の開票前、丁度議員が投票しているときに、ニュースを見ました。
全国の党員票の開票結果を流していたのですが、なかなか高市氏が頑張っているので「これ、高市さんくるんじゃないか?」と思いました。
事実、一位通過は高市さんでしたね。
作家で日本保守党の党首である百田尚樹氏も、この時点で「自民党まだやるやないか」と思ったそうです。
百田尚樹氏は、「決選投票で石破氏が残っても、もうひとりが高市でも小泉でも石破には勝てる。」と踏んでいたからです。
僕もそうかもな、と思っていましたので、くしくも百田氏と同じことを考えていました。
ところが、17時にスマホをみて、びっくり!
「石破新総裁」と文字が出ていたのですから!!
やっぱりですね。
自民党は安倍さんがお亡くなりになられて、その時点で終了していたのですね。
かすかにですが、期待した自分の愚かさが恥ずかしいです。
為替市場は、興味深い反応をしていていました。
石破氏の勝利と同時に3円以上も円高で急落していました。
株式市場は既に閉まっていたので、来週月曜日に投資家たちの阿鼻叫喚が始まるのでしょうか・・・。
なお、財務省は消費税15%と法人税増税に向けて意気上がっているようです。
・・・国民の阿鼻叫喚も始まってしまうかもしれません。
もう、自民党は議席数を大幅に減らすでしょう。
おさらば!
9月27日投開票だった自総統総統選挙が行われました。
まぁ、こんなものじらしたって仕方ないのであっさりといきましょう。
なんと、石破茂氏が決戦投票を制して、新総統に選ばれたのでした。
いやはや、なんとも絶句しましたね・・・。
総統選の流れなどはこんなところで解説しても仕方ありませんが、簡単に言えば・・・。
党員票と議員票で9名の候補者を選びます。
こちらの本選は、一位が過半数を獲得すれば、そのまま決定です。
しかし、過半数を獲得した候補がいなければ、上位2名を決戦投票(主に議員票による)で決めます。
僕はたまたま本選の開票前、丁度議員が投票しているときに、ニュースを見ました。
全国の党員票の開票結果を流していたのですが、なかなか高市氏が頑張っているので「これ、高市さんくるんじゃないか?」と思いました。
事実、一位通過は高市さんでしたね。
作家で日本保守党の党首である百田尚樹氏も、この時点で「自民党まだやるやないか」と思ったそうです。
百田尚樹氏は、「決選投票で石破氏が残っても、もうひとりが高市でも小泉でも石破には勝てる。」と踏んでいたからです。
僕もそうかもな、と思っていましたので、くしくも百田氏と同じことを考えていました。
ところが、17時にスマホをみて、びっくり!
「石破新総裁」と文字が出ていたのですから!!
やっぱりですね。
自民党は安倍さんがお亡くなりになられて、その時点で終了していたのですね。
かすかにですが、期待した自分の愚かさが恥ずかしいです。
為替市場は、興味深い反応をしていていました。
石破氏の勝利と同時に3円以上も円高で急落していました。
株式市場は既に閉まっていたので、来週月曜日に投資家たちの阿鼻叫喚が始まるのでしょうか・・・。
なお、財務省は消費税15%と法人税増税に向けて意気上がっているようです。
・・・国民の阿鼻叫喚も始まってしまうかもしれません。
もう、自民党は議席数を大幅に減らすでしょう。
おさらば!
「夫婦別姓」で『戸籍制度』を破壊せんとする輩
昨日は庚申講のことを少し書いた。
そのことで、ふと思い出したのが今月の十日放送の「虎ノ門ニュース」(夜とら)だった。
番組は自民党総裁選特番である。
このなかで、例のシンジローが主張している「夫婦別姓」に関する解説・コメントのなかで昨日の記事に呼応するところがあった。
コメンテーターは竹田恒泰氏と西田昌司氏だった。
西田氏曰く、戦後の日本を弱体化させるような政策はすべてGHQに帰結する。
この「夫婦別姓」についても、これは日本の戸籍制度を破壊するためのもので、これを推し進めることで日本では家庭や家族が崩壊する。
戸籍は「家族」というものを単位としているため、別姓にすることで単位は「個人」へと移行することになる。
すなわち、日本の家族を主体とした文化風習はこれもまた破壊される。
人は完全に個体化されて、バラバラになってしまうのだ。
無論、親子関係も崩壊する。
別姓の男女が子供を設けようとすると、その子供がいずれの姓に帰属するのかも判然としなくなる。
または問題化されていく。
我が国にはこの個々人の身分や背景を明確にすることのできる「戸籍」が破壊した方が都合の良い人々がいるのだ。
それは、「同和」であったり、半島系の特別永住者であったり、または「背乗り」と言って、他人の身分を乗っ取ってしまうスパイたちだ。
どうやら経団連などの企業も同じような意見らしい。
個人個人がバラバラで生活すれば、家族で生活したときに共同で利用できる生活具がすべて個々人ごとに必要となってくるためだ。
すると、それだけ多くのモノの需要が高まることになるからだ。
そこには、国家観や国民生活の向上などといった公益はまったく見られない。
いまどきは、政治家も経済界も見識を疑うような人間しかいないようだ。
だから、「夫婦別姓」だの、「女系天皇」「女性宮家」、そして「LGBT法案」のような国家を破壊するような主張をする輩が跋扈するのだ。
明日には新しい自民党総裁が決定するが、「新しく生まれ変わった自民党」はどんな選択をするのだろうか。
僕は自民党員ではないので、選挙投票権はもっていないが、党員の皆さんの見識に期待しようと思う。
いや、手出しはできないので、期待するしかないのである。
そのことで、ふと思い出したのが今月の十日放送の「虎ノ門ニュース」(夜とら)だった。
番組は自民党総裁選特番である。
このなかで、例のシンジローが主張している「夫婦別姓」に関する解説・コメントのなかで昨日の記事に呼応するところがあった。
コメンテーターは竹田恒泰氏と西田昌司氏だった。
西田氏曰く、戦後の日本を弱体化させるような政策はすべてGHQに帰結する。
この「夫婦別姓」についても、これは日本の戸籍制度を破壊するためのもので、これを推し進めることで日本では家庭や家族が崩壊する。
戸籍は「家族」というものを単位としているため、別姓にすることで単位は「個人」へと移行することになる。
すなわち、日本の家族を主体とした文化風習はこれもまた破壊される。
人は完全に個体化されて、バラバラになってしまうのだ。
無論、親子関係も崩壊する。
別姓の男女が子供を設けようとすると、その子供がいずれの姓に帰属するのかも判然としなくなる。
または問題化されていく。
我が国にはこの個々人の身分や背景を明確にすることのできる「戸籍」が破壊した方が都合の良い人々がいるのだ。
それは、「同和」であったり、半島系の特別永住者であったり、または「背乗り」と言って、他人の身分を乗っ取ってしまうスパイたちだ。
どうやら経団連などの企業も同じような意見らしい。
個人個人がバラバラで生活すれば、家族で生活したときに共同で利用できる生活具がすべて個々人ごとに必要となってくるためだ。
すると、それだけ多くのモノの需要が高まることになるからだ。
そこには、国家観や国民生活の向上などといった公益はまったく見られない。
いまどきは、政治家も経済界も見識を疑うような人間しかいないようだ。
だから、「夫婦別姓」だの、「女系天皇」「女性宮家」、そして「LGBT法案」のような国家を破壊するような主張をする輩が跋扈するのだ。
明日には新しい自民党総裁が決定するが、「新しく生まれ変わった自民党」はどんな選択をするのだろうか。
僕は自民党員ではないので、選挙投票権はもっていないが、党員の皆さんの見識に期待しようと思う。
いや、手出しはできないので、期待するしかないのである。
ギスギスとした現代にかつての風習を考える(その2)
かつての昔はそんなに悪い社会だったのだろうか・・・。
たとえば庚申信仰(こうしんしんこう)というものがある。
源流をたどると、道教に行き着くらしい。
中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗がごちゃ混ぜになったものだ。
庚申(かのえさる、こうしん)とは、干支、すなわち十干・十二支のひとつだ。
十五世紀中期頃から、60日ごとに会食談義を行って徹宵したり、神仏を礼拝したりしたらしい。
豊作、招福、厄除け、家族、和合・良縁、建築、健康長寿、病除け、土地・道、諸芸、の神とされ現生利益が求められ祈られた。
この際に、勤行や功徳を説いたりもしたようだ。
庚申講ともいう。
人間の頭と腹と足には三尸の虫がいて、いつもその人の悪事を監視しているという。
三尸の虫は庚申の日の夜の寝ている間に閻魔大王に日頃の行いを報告した。
罪状によっては寿命が縮められたり、その人の死後に地獄・餓鬼・畜生界に堕とされると言われていた。
そこで、三尸の虫が天に登れないようにするため、庚申の夜は村中の人達が集まって神々を祀り、その後、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かした。
ちょっと、おどろおどろしいが、そんな怖い話が人々を依り集めさせたのだろう。
動機はともかくとして、こんな風習の手助けもあって、地域社会は「輪」や「和」を強く持っていたのだろう。
こんな風習が子供の頃にあったら、やっぱり忌避したかもしれない。
一方で実は楽しいのかもしれないとも思う。
そういえば、子供の頃近所の商店街で大人が寄り集まって「無尽」と言う会合があった。
これは経済的な互助を目的としていたが、僕が子供の頃は形骸化していて、博打的な要素が強かったようだ。
テレビなんかをひとりで見ていないで、ふたつきに一度くらいは地域で集まる。
隣人同士が顔を見合わせ、家族ぐるみで社会に溶け込む。
・・・・
昔の風習は悪いことばかりじゃ無いのではないかと、ふと思った。
< おしまい >
たとえば庚申信仰(こうしんしんこう)というものがある。
源流をたどると、道教に行き着くらしい。
中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗がごちゃ混ぜになったものだ。
庚申(かのえさる、こうしん)とは、干支、すなわち十干・十二支のひとつだ。
十五世紀中期頃から、60日ごとに会食談義を行って徹宵したり、神仏を礼拝したりしたらしい。
豊作、招福、厄除け、家族、和合・良縁、建築、健康長寿、病除け、土地・道、諸芸、の神とされ現生利益が求められ祈られた。
この際に、勤行や功徳を説いたりもしたようだ。
庚申講ともいう。
人間の頭と腹と足には三尸の虫がいて、いつもその人の悪事を監視しているという。
三尸の虫は庚申の日の夜の寝ている間に閻魔大王に日頃の行いを報告した。
罪状によっては寿命が縮められたり、その人の死後に地獄・餓鬼・畜生界に堕とされると言われていた。
そこで、三尸の虫が天に登れないようにするため、庚申の夜は村中の人達が集まって神々を祀り、その後、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かした。
ちょっと、おどろおどろしいが、そんな怖い話が人々を依り集めさせたのだろう。
動機はともかくとして、こんな風習の手助けもあって、地域社会は「輪」や「和」を強く持っていたのだろう。
こんな風習が子供の頃にあったら、やっぱり忌避したかもしれない。
一方で実は楽しいのかもしれないとも思う。
そういえば、子供の頃近所の商店街で大人が寄り集まって「無尽」と言う会合があった。
これは経済的な互助を目的としていたが、僕が子供の頃は形骸化していて、博打的な要素が強かったようだ。
テレビなんかをひとりで見ていないで、ふたつきに一度くらいは地域で集まる。
隣人同士が顔を見合わせ、家族ぐるみで社会に溶け込む。
・・・・
昔の風習は悪いことばかりじゃ無いのではないかと、ふと思った。
< おしまい >
ギスギスとした現代にかつての風習を考える(その1)
西洋的な価値観が優勢になり、さらに輪をかけて左寄りの風潮がのさばる現代社会。
人間関係も社会もギスギスとして、隣の家の人とも会話できないような社会になってしまった。
個人的な価値が優先されて、社会や地域全体、ひいては国としての連帯も軽んじられている。
確かに、僕も一時期はそれらに対抗した。
もっとも強く感じたのが、社会に出てからの会社生活だった。
いまでは噓のようだが、土日の休日ですら拘束されることがあった。
飲み会や社員旅行、レクリエーションなど、いやでいやで仕方がなかった。
日本全体がそのような方向に向けられてしまっていたのか。
GHQは日本人の集団的な連帯の強さに驚愕した。
日本社会をバラバラにしてしまおうとしたのは、GHQだけではなく、戦後のアメリカや共産主義者も謀ったことだろう。
昔は子供の教育は地域全体で連帯していたところがある。
近所のおっかないおじさん、うるさいおばさんに叱られることが少なくはなかった。
いまでは、子供に注意をすることすら憚れる。
いったい誰が子供に社会道徳を教えきれるのだろうか。
だから、学級崩壊が起こるのだ。
< つづく >
人間関係も社会もギスギスとして、隣の家の人とも会話できないような社会になってしまった。
個人的な価値が優先されて、社会や地域全体、ひいては国としての連帯も軽んじられている。
確かに、僕も一時期はそれらに対抗した。
もっとも強く感じたのが、社会に出てからの会社生活だった。
いまでは噓のようだが、土日の休日ですら拘束されることがあった。
飲み会や社員旅行、レクリエーションなど、いやでいやで仕方がなかった。
日本全体がそのような方向に向けられてしまっていたのか。
GHQは日本人の集団的な連帯の強さに驚愕した。
日本社会をバラバラにしてしまおうとしたのは、GHQだけではなく、戦後のアメリカや共産主義者も謀ったことだろう。
昔は子供の教育は地域全体で連帯していたところがある。
近所のおっかないおじさん、うるさいおばさんに叱られることが少なくはなかった。
いまでは、子供に注意をすることすら憚れる。
いったい誰が子供に社会道徳を教えきれるのだろうか。
だから、学級崩壊が起こるのだ。
< つづく >
消された偉人・石原莞爾(その3)
日露戦争に勝利し、第一次世界大戦にてイギリスを援護し、我が国民はみな自国を過大評価したようだ。
おごり高ぶった心のまま、大東亜戦争になだれ込んでいくようになっていく。
戦の緒戦こそ、破竹の勢いであったわが大日本帝国は、ミッドウェー海戦を境に苦境に陥る。
空母を四隻すべてを失うという大損害と、拡大した戦線と補給路の確保に苦しんでいくようになる。
もとより大日本帝国の課題は当初より石油(油田)の確保であった。
自国に生産能力のない日本は、軍事用のエネルギーはもとより、国民生活にも甚大な影響が現われる。
次々に絶対防衛圏も突破されて、国土の保全もままならなくっていった。
この時局に在野の石原は何を思ったであろうか。
自らの手腕を生かせず、じり貧状態に陥っていく軍と国。
この間、石原は東条に招かれ意見を問われたというが、その際に石原は「戦争の指揮は君には出来ない。辞いたらどうか。君は総理大臣を辞めるべきだ。」と諫めたそうだ。
酒田で行われた(出張)東京裁判の訊問において、参考人として呼ばれた石原莞爾は
「もし、陛下が自分に参謀総長を命じたならば、日本はアメリカに絶対に負けなかった。その時は、君は敗戦国だから、我々の膝下にも及びつかないのだ。」
このように検事に言い放ち、唖然とさせた。
そして、この発言に関心を示した米国記者に「ジェネラルだったら、どんな戦争をしたでしょうか」と問われ、ミッドウェーの敗戦後に、資源確保のため戦線を縮小し、本国近隣のサイパンやグアム島を要塞化する等のプランを話した。
米国関係者は、事後であればなんとでもいえる、とは決して言わない。
なぜなら、それが実践可能であるだけの能力と実績が石原莞爾にはあったからだ。
かえずがえすもこの石原が在野の人であったことに安堵を覚えたことだろう。
ついでながら、法廷の終了後に石原莞爾のもとに走り寄った朝日新聞の記者は「胸のすく思いでした。この東京裁判の中で初めてのことです」と涙を流したそうである。
裏返せば、我が大日本帝国・・・日本はなんとも取り返しの付かないことをしたのだろうか。
石原の指揮により、よしんばアメリカに勝利、いや引き分けに持ち込んだとしても、その後の我が国が幸運に恵まれただろうかは不明だ。
アメリカは日本に勝利したことにより、共産主義の防波堤を失い、戦争に勝利するという宿命に縛られ朝鮮戦争、ベトナム、湾岸戦争、イラク・アフガン戦争などの泥沼に陥った。
立場が逆転した可能性もある。
我が国は才能を在野に埋もれさすことが宿痾のようなところがある。
現代においてそのような才能は埋もれているのかも怪しいのが近年の日本である。
いや、必ず埋もれていると見るべきだろう。
< おわり >
おごり高ぶった心のまま、大東亜戦争になだれ込んでいくようになっていく。
戦の緒戦こそ、破竹の勢いであったわが大日本帝国は、ミッドウェー海戦を境に苦境に陥る。
空母を四隻すべてを失うという大損害と、拡大した戦線と補給路の確保に苦しんでいくようになる。
もとより大日本帝国の課題は当初より石油(油田)の確保であった。
自国に生産能力のない日本は、軍事用のエネルギーはもとより、国民生活にも甚大な影響が現われる。
次々に絶対防衛圏も突破されて、国土の保全もままならなくっていった。
この時局に在野の石原は何を思ったであろうか。
自らの手腕を生かせず、じり貧状態に陥っていく軍と国。
この間、石原は東条に招かれ意見を問われたというが、その際に石原は「戦争の指揮は君には出来ない。辞いたらどうか。君は総理大臣を辞めるべきだ。」と諫めたそうだ。
酒田で行われた(出張)東京裁判の訊問において、参考人として呼ばれた石原莞爾は
「もし、陛下が自分に参謀総長を命じたならば、日本はアメリカに絶対に負けなかった。その時は、君は敗戦国だから、我々の膝下にも及びつかないのだ。」
このように検事に言い放ち、唖然とさせた。
そして、この発言に関心を示した米国記者に「ジェネラルだったら、どんな戦争をしたでしょうか」と問われ、ミッドウェーの敗戦後に、資源確保のため戦線を縮小し、本国近隣のサイパンやグアム島を要塞化する等のプランを話した。
米国関係者は、事後であればなんとでもいえる、とは決して言わない。
なぜなら、それが実践可能であるだけの能力と実績が石原莞爾にはあったからだ。
かえずがえすもこの石原が在野の人であったことに安堵を覚えたことだろう。
ついでながら、法廷の終了後に石原莞爾のもとに走り寄った朝日新聞の記者は「胸のすく思いでした。この東京裁判の中で初めてのことです」と涙を流したそうである。
裏返せば、我が大日本帝国・・・日本はなんとも取り返しの付かないことをしたのだろうか。
石原の指揮により、よしんばアメリカに勝利、いや引き分けに持ち込んだとしても、その後の我が国が幸運に恵まれただろうかは不明だ。
アメリカは日本に勝利したことにより、共産主義の防波堤を失い、戦争に勝利するという宿命に縛られ朝鮮戦争、ベトナム、湾岸戦争、イラク・アフガン戦争などの泥沼に陥った。
立場が逆転した可能性もある。
我が国は才能を在野に埋もれさすことが宿痾のようなところがある。
現代においてそのような才能は埋もれているのかも怪しいのが近年の日本である。
いや、必ず埋もれていると見るべきだろう。
< おわり >
【二十四節気】今日は「秋分」「秋季皇霊祭」
今日から二十四節気の「秋分」、そして祝日としての「秋季皇霊祭」です。
二十四節気の「秋分」は江戸時代の暦便覧では「陰陽の中分なればなり」と解説されています。
いうまでもなく、太陽が真東から昇り、真西に沈むため、太古の昔から「春分」とともに暦の基準日されてきました。
農作物の出来不出来、つまりその年の食糧を生産を左右するのですから、非常に重要な日です。
昼と夜の長さがほぼ同じになる日で、彼岸の中日です。
その年の太陽が秋分点を通過する日によって毎年日付を変える特殊な祝日です。
このように天文学的に祝日を決定するというのは実は世界的にも稀なそうです。
さて、祝日としての「秋分」ですが、この日は「秋季皇霊祭」と呼ばれてきました。
歴代天皇ならびに皇族の霊をまつる儀式を行う日のことですが、戦後のGHQによる占領政策により「秋季皇霊祭」は廃止されてしまいました。
しかし、現代でも宮廷では祭祀が執り行われているため、当日記では「秋季皇霊祭」としています。
カレンダー上の「秋分の日」の趣旨は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日ということになっています。
先にも書いたとおり、「秋分の日」を境に前後三日間を「お彼岸」といいます。
この期間にはお墓参りをする風習があります。
お彼岸は春にもありますが、この春秋ともにかつては親族が集まり祖先をしのぶ機会になっていました。
現代では核家族化がすすみ、かつてのように親族一同が集まるようなことは少なくなったようです。
お彼岸の行事食として「おはぎ」があります。
春のお彼岸には同じような行事食として「ぼたもち」があります。
いずれももち米とうるち米を炊いてまるめた周りに小豆餡で包んだお菓子です。
これはぞれぞれの季節の植物にちなみ、春は「牡丹」秋は「萩」の名前を付けたものです。
違いは、「ぼたもち」はこし餡を使い丸ぼったく作り、「おはぎ」はつぶ餡をつかってやや細長い形状に作ります。
昔は甘いものは貴重だったため、いずれもたいへんなご馳走でした。
「暑さ寒さも彼岸まで」といいます。
今年はたいへんな猛暑でしたが、どうやら落ち着いてきたように思います。
これから気温が下がりだすと腰痛やぎっくり腰に悩まされる人もすくなくありません。
くれぐれもご自愛専一にお願いいたします。
二十四節気の「秋分」は江戸時代の暦便覧では「陰陽の中分なればなり」と解説されています。
いうまでもなく、太陽が真東から昇り、真西に沈むため、太古の昔から「春分」とともに暦の基準日されてきました。
農作物の出来不出来、つまりその年の食糧を生産を左右するのですから、非常に重要な日です。
昼と夜の長さがほぼ同じになる日で、彼岸の中日です。
その年の太陽が秋分点を通過する日によって毎年日付を変える特殊な祝日です。
このように天文学的に祝日を決定するというのは実は世界的にも稀なそうです。
さて、祝日としての「秋分」ですが、この日は「秋季皇霊祭」と呼ばれてきました。
歴代天皇ならびに皇族の霊をまつる儀式を行う日のことですが、戦後のGHQによる占領政策により「秋季皇霊祭」は廃止されてしまいました。
しかし、現代でも宮廷では祭祀が執り行われているため、当日記では「秋季皇霊祭」としています。
カレンダー上の「秋分の日」の趣旨は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日ということになっています。
先にも書いたとおり、「秋分の日」を境に前後三日間を「お彼岸」といいます。
この期間にはお墓参りをする風習があります。
お彼岸は春にもありますが、この春秋ともにかつては親族が集まり祖先をしのぶ機会になっていました。
現代では核家族化がすすみ、かつてのように親族一同が集まるようなことは少なくなったようです。
お彼岸の行事食として「おはぎ」があります。
春のお彼岸には同じような行事食として「ぼたもち」があります。
いずれももち米とうるち米を炊いてまるめた周りに小豆餡で包んだお菓子です。
これはぞれぞれの季節の植物にちなみ、春は「牡丹」秋は「萩」の名前を付けたものです。
違いは、「ぼたもち」はこし餡を使い丸ぼったく作り、「おはぎ」はつぶ餡をつかってやや細長い形状に作ります。
昔は甘いものは貴重だったため、いずれもたいへんなご馳走でした。
「暑さ寒さも彼岸まで」といいます。
今年はたいへんな猛暑でしたが、どうやら落ち着いてきたように思います。
これから気温が下がりだすと腰痛やぎっくり腰に悩まされる人もすくなくありません。
くれぐれもご自愛専一にお願いいたします。
消された偉人・石原莞爾(その2)
石原莞爾。
旧日本陸軍きっての俊英であり、名将であり、兵学者であり、思想家・・・。
本人は連隊長こそが自己の最適な役割であると考え、自らの育成した部下たちを愛した。
大人物ほど、人から理解されがたいということがある。
見える人ほど見える人ほど、周囲からすれば異様に見えることもある。
石原莞爾はそのような人物であったようだ。
そして、輪をかけて人に理解されがたい発言や敵を作る発言も多かったようだ。
しかし、この石原莞爾をして、「戦争の天才」と称したのは世界である。
それほど満州事変は世界を驚愕させたのだった。
国内での評価を割れさせたのは、この事件の発端が陸軍・・・石原の独断専行と見る向きがあるからだ。
しかし、当時の満州の状況はまさしく火薬庫でタバコをするが如くであり、一触即発であったのだ。
石原の英断を無くして、満州国の制圧はなかった。
戦とは戦略や戦術よりもまして、好機をつかめるかどうかの方が重大事項である。
アメリカのスチムソン国務長官は「もし誰かが満州事変を計画していたとしたら最好機をつかんだものだ」と評している。
だが、かたや当の石原莞爾は苦悩したという。
「関東軍の行動が、天皇の御威徳を傷つけぬようにするには、そうすべきか」という一点に苦悩したとのことだ。
また、極東軍事裁判に参考人として招致された際に、冒頭に裁判官に「何かいいたいことはあるか」と問われ、石原は「ある。満州事変の中心は自分である。その自分が戦犯として呼ばれないのは実に不可解だ。」と言い放った。
立派な日本人、日本軍人ではないか。
現代の政権を担う政治家たちに石原の爪のアカでも飲ませたいものだ。
いみじくも、僕が「アメリカの戦争責任」の項で述べたと同じような文章がこの本にも書かれていた。
この大東亜戦争で、自らを戦犯指名せよと言った日本人は、畏れながら昭和天皇と、この石原莞爾のみであったのだ。
さて、大東亜戦争にあたり石原は、東条英機に忌避され、予備役に補され現職を去ることになった。
東条との政治抗争に敗れたのだった。
個人的な確執も大いにその決定を後押ししたようだ。
そして、歴史が語るとおり、日本は大東亜戦争に突入し、次第に国運を衰退させていくのである。
なにしろ、東条の戦下手は定評があるそうだ。
なぜにそのようなことになってしまったのだろうか。
< また、つづく >
*明日は祝日のため、つづきは一日スキップして掲載します
旧日本陸軍きっての俊英であり、名将であり、兵学者であり、思想家・・・。
本人は連隊長こそが自己の最適な役割であると考え、自らの育成した部下たちを愛した。
大人物ほど、人から理解されがたいということがある。
見える人ほど見える人ほど、周囲からすれば異様に見えることもある。
石原莞爾はそのような人物であったようだ。
そして、輪をかけて人に理解されがたい発言や敵を作る発言も多かったようだ。
しかし、この石原莞爾をして、「戦争の天才」と称したのは世界である。
それほど満州事変は世界を驚愕させたのだった。
国内での評価を割れさせたのは、この事件の発端が陸軍・・・石原の独断専行と見る向きがあるからだ。
しかし、当時の満州の状況はまさしく火薬庫でタバコをするが如くであり、一触即発であったのだ。
石原の英断を無くして、満州国の制圧はなかった。
戦とは戦略や戦術よりもまして、好機をつかめるかどうかの方が重大事項である。
アメリカのスチムソン国務長官は「もし誰かが満州事変を計画していたとしたら最好機をつかんだものだ」と評している。
だが、かたや当の石原莞爾は苦悩したという。
「関東軍の行動が、天皇の御威徳を傷つけぬようにするには、そうすべきか」という一点に苦悩したとのことだ。
また、極東軍事裁判に参考人として招致された際に、冒頭に裁判官に「何かいいたいことはあるか」と問われ、石原は「ある。満州事変の中心は自分である。その自分が戦犯として呼ばれないのは実に不可解だ。」と言い放った。
立派な日本人、日本軍人ではないか。
現代の政権を担う政治家たちに石原の爪のアカでも飲ませたいものだ。
いみじくも、僕が「アメリカの戦争責任」の項で述べたと同じような文章がこの本にも書かれていた。
この大東亜戦争で、自らを戦犯指名せよと言った日本人は、畏れながら昭和天皇と、この石原莞爾のみであったのだ。
さて、大東亜戦争にあたり石原は、東条英機に忌避され、予備役に補され現職を去ることになった。
東条との政治抗争に敗れたのだった。
個人的な確執も大いにその決定を後押ししたようだ。
そして、歴史が語るとおり、日本は大東亜戦争に突入し、次第に国運を衰退させていくのである。
なにしろ、東条の戦下手は定評があるそうだ。
なぜにそのようなことになってしまったのだろうか。
< また、つづく >
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