無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
変化する垢ぬけない特快停車駅
日本一住みたい街・吉祥寺の隣の駅のJR三鷹。
そのまばゆいばかりのスーパーローカルのせいで
目立ちませんが、最近注目を集めてきているようです。
吉祥寺にくらべてなんだか野暮な雰囲気の街でしたが、
潜在力はあるようです。
そもそも、三鷹駅はターミナル駅ではありませんが、
JR中央線は特別快速や通勤特快の停車駅。
JR総武線や、地下鉄東西線の始発駅であり、利便は
高いです。
車も、武蔵境駅以西が高架化する前から、地上駅にも
かかわらず三鷹通りが南北を貫いていました。
三鷹駅は周辺が少し変わっていて、北口方面は武蔵野市、
南口方面は三鷹市が行政となっています
両市を三鷹通りが繋いでいたのですね。
南北で雰囲気も違います。
北側がどちらかというと、オフィスビルや商業ビルが多いのに
対して、南は商店街を抜けると住宅地です。
もっともこれは印象であって、実際はそんなに綺麗な線引きは
ありません。
南北をつないでいるのは道路だけではありません。
駅の真下を玉川上水が流れています。
そう、線路に対して斜めにですが玉川上水が潜り抜けている
のです。
上水に沿って緑が豊かに茂っていますので、住宅地も南北に
昔からありました。玉川上水を東に行けば、井の頭公園に
突き当たり、周辺は御殿山という高級住宅街です。
西方向は境浄水場や五日市街道へ合流します。
閑静でとてもいい環境です。
御殿山という高級住宅地がある一方で、駅前の商店街は
とても庶民的。
駅前通りは石畳風でお洒落ですが、個人商店が多くて
ほっとするお買いものスポットです。
南口駅前にスーパーが3か所もあるうえに様々なジャンルの
個人商店があります。文房具、輸入食料品、日用雑貨・・・。
僕的には、ちょっと充実した酒屋さんがあって嬉しい。
僕個人の印象ですが、なんだか年中お祭りやってるんです
よね。この商店街。
先にいくと禅林寺とか野崎八幡宮とかあるのですが、
それ以外にもしょちゅうお祭りしてるような・・・。
日曜日は歩行者天国の区域に、出店がでてきます。
ともあれ、元気な商店街ではないでしょうか。
商店街が元気なのは町の活性度が高いしるしです。
ジブリ美術館や山本有三記念館などの文化施設への
アクセスもよいです。太宰治関連の施設もある文化的な
土地柄でしょうか。
古くて野暮ったい街ですが、また光があたって成長して
ゆくのかもしれませんね。
そのまばゆいばかりのスーパーローカルのせいで
目立ちませんが、最近注目を集めてきているようです。
吉祥寺にくらべてなんだか野暮な雰囲気の街でしたが、
潜在力はあるようです。
そもそも、三鷹駅はターミナル駅ではありませんが、
JR中央線は特別快速や通勤特快の停車駅。
JR総武線や、地下鉄東西線の始発駅であり、利便は
高いです。
車も、武蔵境駅以西が高架化する前から、地上駅にも
かかわらず三鷹通りが南北を貫いていました。
三鷹駅は周辺が少し変わっていて、北口方面は武蔵野市、
南口方面は三鷹市が行政となっています
両市を三鷹通りが繋いでいたのですね。
南北で雰囲気も違います。
北側がどちらかというと、オフィスビルや商業ビルが多いのに
対して、南は商店街を抜けると住宅地です。
もっともこれは印象であって、実際はそんなに綺麗な線引きは
ありません。
南北をつないでいるのは道路だけではありません。
駅の真下を玉川上水が流れています。
そう、線路に対して斜めにですが玉川上水が潜り抜けている
のです。
上水に沿って緑が豊かに茂っていますので、住宅地も南北に
昔からありました。玉川上水を東に行けば、井の頭公園に
突き当たり、周辺は御殿山という高級住宅街です。
西方向は境浄水場や五日市街道へ合流します。
閑静でとてもいい環境です。
御殿山という高級住宅地がある一方で、駅前の商店街は
とても庶民的。
駅前通りは石畳風でお洒落ですが、個人商店が多くて
ほっとするお買いものスポットです。
南口駅前にスーパーが3か所もあるうえに様々なジャンルの
個人商店があります。文房具、輸入食料品、日用雑貨・・・。
僕的には、ちょっと充実した酒屋さんがあって嬉しい。
僕個人の印象ですが、なんだか年中お祭りやってるんです
よね。この商店街。
先にいくと禅林寺とか野崎八幡宮とかあるのですが、
それ以外にもしょちゅうお祭りしてるような・・・。
日曜日は歩行者天国の区域に、出店がでてきます。
ともあれ、元気な商店街ではないでしょうか。
商店街が元気なのは町の活性度が高いしるしです。
ジブリ美術館や山本有三記念館などの文化施設への
アクセスもよいです。太宰治関連の施設もある文化的な
土地柄でしょうか。
古くて野暮ったい街ですが、また光があたって成長して
ゆくのかもしれませんね。
和の心を読み解く・百人一首(3)
和歌には様々な勅撰歌集があって、代表的なものが
万葉集や古今和歌集です。
百人一首も、同系列に考えていました。
これらは当代の知識人が集めて編したものですから、
一級品の価値ある伝統文化です。
だけど、百人一首は単に名歌を集めたものではなく、
ある意図をもって作り上げたものだというのが、この本
「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」の主張、
解説です。
勿論、百人一首にそのような根拠となる記述はありません
し、お偉い学者さん達は、否定するかもしれません。
ここで、聖徳太子の「明察功過」が必要とされる。
書かれた文や単語にのみ真意を見出すのではなく、もっと
周りの情報やニュアンスを総合して、裏の意図を読み解く
のが「和の心」なのです。
(なんだか、ノストラダムスの「諸世紀」みたいですね。
勿論、日本の方が古いですが)
藤原定家は、荒みゆく日本の伝統を憂いて、百首を壮大な
ひとつの叙述詩になるように編まれたものだというのです。
そして、和歌が「みそひと文字」の限られた字数に思いを
込めたように、その歌の配列、そして詠み人の名、役職に
も、その意図を込めて編集されているということです。
なぜ、この順なのか。
なぜ、あえてこの役職や名(出家後の名であったり、女性で
あれば親や夫の名を冠したりしています)
なのか。
そうして読み解くと、百人一首は「日本の国柄を示したり、
また崩壊しつつある(貴族)社会を憂いた」叙述詩である
ことがわかる、ということです。
なるほどなぁ、と思います。
勿論、これは解釈のひとつに過ぎません。
お偉い学者さんには、その人なりの解釈もあるでしょう。
だけど、その解釈で僕はとても百人一首が好きになった。
藤原定家が、ただの歌人ではなくて、政治家であり国士
なのだと知りました。
感動があって、初めて文学が心に残る。
小難しい記号のような試験古文ではなく、生きた時代人
の心が伝わってくる。
日本は万世一系の天皇を中心とした平等な社会。
世界最古の民主主義を生み出した国。
そして、大昔から男性も女性も平等だった。
なんたって、世界最古の女流文学がいくつもあるんです
から・・・。
ほんの少しだけ、欧米とは価値観が異なるため、遅れた
文化と思い込まされていたけど、日本は素晴らしい国
だったんだ。
暑い夏の間に少しづつ読み込んでいったけど、とてもよい
本に出会えたと思います。
本当に、良い本との出会いは、良い人との出会いに匹敵
しますね。
ありがとうございました。
万葉集や古今和歌集です。
百人一首も、同系列に考えていました。
これらは当代の知識人が集めて編したものですから、
一級品の価値ある伝統文化です。
だけど、百人一首は単に名歌を集めたものではなく、
ある意図をもって作り上げたものだというのが、この本
「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」の主張、
解説です。
勿論、百人一首にそのような根拠となる記述はありません
し、お偉い学者さん達は、否定するかもしれません。
ここで、聖徳太子の「明察功過」が必要とされる。
書かれた文や単語にのみ真意を見出すのではなく、もっと
周りの情報やニュアンスを総合して、裏の意図を読み解く
のが「和の心」なのです。
(なんだか、ノストラダムスの「諸世紀」みたいですね。
勿論、日本の方が古いですが)
藤原定家は、荒みゆく日本の伝統を憂いて、百首を壮大な
ひとつの叙述詩になるように編まれたものだというのです。
そして、和歌が「みそひと文字」の限られた字数に思いを
込めたように、その歌の配列、そして詠み人の名、役職に
も、その意図を込めて編集されているということです。
なぜ、この順なのか。
なぜ、あえてこの役職や名(出家後の名であったり、女性で
あれば親や夫の名を冠したりしています)
なのか。
そうして読み解くと、百人一首は「日本の国柄を示したり、
また崩壊しつつある(貴族)社会を憂いた」叙述詩である
ことがわかる、ということです。
なるほどなぁ、と思います。
勿論、これは解釈のひとつに過ぎません。
お偉い学者さんには、その人なりの解釈もあるでしょう。
だけど、その解釈で僕はとても百人一首が好きになった。
藤原定家が、ただの歌人ではなくて、政治家であり国士
なのだと知りました。
感動があって、初めて文学が心に残る。
小難しい記号のような試験古文ではなく、生きた時代人
の心が伝わってくる。
日本は万世一系の天皇を中心とした平等な社会。
世界最古の民主主義を生み出した国。
そして、大昔から男性も女性も平等だった。
なんたって、世界最古の女流文学がいくつもあるんです
から・・・。
ほんの少しだけ、欧米とは価値観が異なるため、遅れた
文化と思い込まされていたけど、日本は素晴らしい国
だったんだ。
暑い夏の間に少しづつ読み込んでいったけど、とてもよい
本に出会えたと思います。
本当に、良い本との出会いは、良い人との出会いに匹敵
しますね。
ありがとうございました。
成長街道ばく進中!
すっかり大きくなった自称(?)「お利口」の「小うず」。
毎日、玄関までお迎えに来て、抱っこされるとご満悦。
一緒に、「うず」の祭壇に帰宅の報告をします。
僕の食事を作るのを待たせるのは可哀想なので、先に
夕ごはんをあげるとあっという間のイッキ食い。
ちっちゃいときは、ちびちびとダラダラ食いでした。、
胃が大きくなったのでしょうね。
20分くらいカリカリ、カリカリ夢中になって完食。
お腹がいっぱいになると、俄然元気になって調理の邪魔
ばかり。
火を使っているときに足元をうろちょろするので大変です。
マンションなのであんまり大きな声ばかり出せないので
最近は霧吹きなどでお仕置きします。
元気なボクはオモチャが大好き。
噛みつくオモチャに紐をつけて動かしたり、飛んでる虫を
模したオモチャで遊んでやります。
そういえば、最近、噛みキズが少なくなったかもしれません。
ほとんど飼い主虐待でしたが、ネットで噛み癖の矯正の
事例を読んで、ずいぶん苦労しました。
まだ噛みつこうとはするのですが、最近は思いとどまる
そぶりがあります。
成長したじゃないか!「小うず」!
網戸を爪でこじ開けたり、ベランダにわずかな隙を見て
出てしまったり、とんでもないバカモノでしたが・・・。
ちょっとは進歩するんですね。こいつも。
「うず」みたいにお手々を憶えてほしい。
ずーっと教えているんですが、なかなか覚えてくれません。
早くできるようになるといいなぁ。
耳ダニもだいぶよくなってきました。
もうすぐ、この子も大人の儀式が待っている。
獣医さんに相談したところ、あとひと月ほど様子を
みましょうとのことでした。
あそこが多少パンパンになってから。
「この子は、片キンかも」
お腹の中にまだ入っているかもしれませんが・・・。
まぁ、健康に害はないそうで、ほっとしました。
毎日、玄関までお迎えに来て、抱っこされるとご満悦。
一緒に、「うず」の祭壇に帰宅の報告をします。
僕の食事を作るのを待たせるのは可哀想なので、先に
夕ごはんをあげるとあっという間のイッキ食い。
ちっちゃいときは、ちびちびとダラダラ食いでした。、
胃が大きくなったのでしょうね。
20分くらいカリカリ、カリカリ夢中になって完食。
お腹がいっぱいになると、俄然元気になって調理の邪魔
ばかり。
火を使っているときに足元をうろちょろするので大変です。
マンションなのであんまり大きな声ばかり出せないので
最近は霧吹きなどでお仕置きします。
元気なボクはオモチャが大好き。
噛みつくオモチャに紐をつけて動かしたり、飛んでる虫を
模したオモチャで遊んでやります。
そういえば、最近、噛みキズが少なくなったかもしれません。
ほとんど飼い主虐待でしたが、ネットで噛み癖の矯正の
事例を読んで、ずいぶん苦労しました。
まだ噛みつこうとはするのですが、最近は思いとどまる
そぶりがあります。
成長したじゃないか!「小うず」!
網戸を爪でこじ開けたり、ベランダにわずかな隙を見て
出てしまったり、とんでもないバカモノでしたが・・・。
ちょっとは進歩するんですね。こいつも。
「うず」みたいにお手々を憶えてほしい。
ずーっと教えているんですが、なかなか覚えてくれません。
早くできるようになるといいなぁ。
耳ダニもだいぶよくなってきました。
もうすぐ、この子も大人の儀式が待っている。
獣医さんに相談したところ、あとひと月ほど様子を
みましょうとのことでした。
あそこが多少パンパンになってから。
「この子は、片キンかも」
お腹の中にまだ入っているかもしれませんが・・・。
まぁ、健康に害はないそうで、ほっとしました。
やっときた秋の味覚
スーパーで特大の秋の味覚を手に入れました。
待ちに待った秋の味覚・柿。
先日、柿よりも先にリンゴを口にしたことを書きました。
本当はもう八百屋さんの店頭に並んでいたけど、まだ
見た目がこぶりだったりで手を出さずにいました。
今日、手にしたものはちょっと大きめ。
種なしですが、ずっしりくる。
リンゴみたいにぷんぷんと芳香を放ちませんが、形と
いい、重さといい、味が手に取るようにわかります。
去年か、おととしか忘れましたが、近所の道路を
ボランティアゴミ袋を持ってゴミ拾いしていたら、果樹園
のご主人が柿をくださいました。
遠慮したのですが、「不揃い品ですから」と。
有り難くいただきました。
とっても美味しかった。
硬さも、甘味もちょうどよかった。
近所でこんなにおいしい柿ができているのに驚きました。
探せば近所に果樹園はあるんですよね。
栗の木や、ブルーベリー、キウィなんかもあります。
今日の柿は思ったより、少し柔らかめ。
僕的にはもっとしゃりしゃりしてていい。
でも、甘くて美味しかった。
今宵は中秋の名月、十五夜です。
月見団子は用意しませんでしたが、代わりに秋を堪能。
秋が深まってきたことを実感した。
待ちに待った秋の味覚・柿。
先日、柿よりも先にリンゴを口にしたことを書きました。
本当はもう八百屋さんの店頭に並んでいたけど、まだ
見た目がこぶりだったりで手を出さずにいました。
今日、手にしたものはちょっと大きめ。
種なしですが、ずっしりくる。
リンゴみたいにぷんぷんと芳香を放ちませんが、形と
いい、重さといい、味が手に取るようにわかります。
去年か、おととしか忘れましたが、近所の道路を
ボランティアゴミ袋を持ってゴミ拾いしていたら、果樹園
のご主人が柿をくださいました。
遠慮したのですが、「不揃い品ですから」と。
有り難くいただきました。
とっても美味しかった。
硬さも、甘味もちょうどよかった。
近所でこんなにおいしい柿ができているのに驚きました。
探せば近所に果樹園はあるんですよね。
栗の木や、ブルーベリー、キウィなんかもあります。
今日の柿は思ったより、少し柔らかめ。
僕的にはもっとしゃりしゃりしてていい。
でも、甘くて美味しかった。
今宵は中秋の名月、十五夜です。
月見団子は用意しませんでしたが、代わりに秋を堪能。
秋が深まってきたことを実感した。
和の心を読み解く・百人一首(2)
前回書いた通り、僕の中では学校教育や世間に広まる
おかしな印象操作によって、「小倉百人一首」の認識は
非常に程度の低いものでした。
書道で和歌を勉強し始めてからも、なんとなく貴族的な
印象の薄い万葉集などの方が好きで、古今和歌集や
百人一首は苦手でした。
同じ歌だって選歌されているのに変ですよね。
百人一首だって、なんかカルタ遊びの印象が強くて・・・。
学校教育がまるで記号のような読み方しか教えないから?
なんだか、字面だけでしかとらえていない。
書かれたとおりの情景描写、風景描写、心理描写。
なんで、そんなのが名歌なの、っていうと昔は表現力が
まだまだ発展途上だから、みたいな上から目線。
だけど、この本はそんな現代人の奢りを吹き飛ばして
くれます。
なんと、和歌の心は聖徳太子の十七条憲法にまで遡る。
第十一条の「明察功過」が真髄である、と。
そう、昔から日本人は阿吽の呼吸というものがありました。
社会にでると、国際化の時代だから日本人同士でしか
通じない阿吽なんてものは捨てなさい。
明確に、簡潔に、網羅的な論理的思考が大切だぁ!
・・・みたいな。
僕自身、それに染まっていたのですが、近年なんだか
こんな風に思うようになってきました。
論理的思考が大切だ、みたいな考え方って、頭を悪くする
だけじゃないか?
だって、物事を簡潔にシンプルにまとめて整理して、網羅的
でわかりやすく・・・はいいのですが、受け手はものを考えなく
なる。表面的にしかとらえない。
相手に通じるものはあくまで一側面です。
その裏や、深みのある部分には触れずじまいです。
現に、合理主義、論理思考を窮めた米国社会は行き詰まり
を見せています。そして、日本社会も息苦しく夢も希望もない。
日本では、昔からもっとも大切なことは隠す文化、察する文化
がありました。
もっとも大切な貴人である天皇は御簾の奥のご存在だった。
府中のくらやみ祭りは、尊いものを隠すために夜行われた。
大切なことは目に見えにくいところにある。
考えてみれば、奥義や秘伝は隠されている。
そして大切なのは結果ではなく、事前に察知して手を打つ事。
そんな力を養うために、皇室も平安貴族も武人や平民までも
和歌を詠んだ。
だから、単なる色恋の歌じゃない。その裏に隠されたメッセージ
があるんだ、と。(勿論、恋愛の歌もあります)
第一、和歌が恋愛の歌だらけだからといって、平安時代の人が
色情狂みたいな言い草も変ですよね。
現代の歌謡曲だってラブ・ソングばかりなんだから。
(因みに現代の方が乱れてますし・・・)
「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」は、僕のなかで
和歌に対する偏見を拭い去ってくれたようです。
もう、少し書きます。
おかしな印象操作によって、「小倉百人一首」の認識は
非常に程度の低いものでした。
書道で和歌を勉強し始めてからも、なんとなく貴族的な
印象の薄い万葉集などの方が好きで、古今和歌集や
百人一首は苦手でした。
同じ歌だって選歌されているのに変ですよね。
百人一首だって、なんかカルタ遊びの印象が強くて・・・。
学校教育がまるで記号のような読み方しか教えないから?
なんだか、字面だけでしかとらえていない。
書かれたとおりの情景描写、風景描写、心理描写。
なんで、そんなのが名歌なの、っていうと昔は表現力が
まだまだ発展途上だから、みたいな上から目線。
だけど、この本はそんな現代人の奢りを吹き飛ばして
くれます。
なんと、和歌の心は聖徳太子の十七条憲法にまで遡る。
第十一条の「明察功過」が真髄である、と。
そう、昔から日本人は阿吽の呼吸というものがありました。
社会にでると、国際化の時代だから日本人同士でしか
通じない阿吽なんてものは捨てなさい。
明確に、簡潔に、網羅的な論理的思考が大切だぁ!
・・・みたいな。
僕自身、それに染まっていたのですが、近年なんだか
こんな風に思うようになってきました。
論理的思考が大切だ、みたいな考え方って、頭を悪くする
だけじゃないか?
だって、物事を簡潔にシンプルにまとめて整理して、網羅的
でわかりやすく・・・はいいのですが、受け手はものを考えなく
なる。表面的にしかとらえない。
相手に通じるものはあくまで一側面です。
その裏や、深みのある部分には触れずじまいです。
現に、合理主義、論理思考を窮めた米国社会は行き詰まり
を見せています。そして、日本社会も息苦しく夢も希望もない。
日本では、昔からもっとも大切なことは隠す文化、察する文化
がありました。
もっとも大切な貴人である天皇は御簾の奥のご存在だった。
府中のくらやみ祭りは、尊いものを隠すために夜行われた。
大切なことは目に見えにくいところにある。
考えてみれば、奥義や秘伝は隠されている。
そして大切なのは結果ではなく、事前に察知して手を打つ事。
そんな力を養うために、皇室も平安貴族も武人や平民までも
和歌を詠んだ。
だから、単なる色恋の歌じゃない。その裏に隠されたメッセージ
があるんだ、と。(勿論、恋愛の歌もあります)
第一、和歌が恋愛の歌だらけだからといって、平安時代の人が
色情狂みたいな言い草も変ですよね。
現代の歌謡曲だってラブ・ソングばかりなんだから。
(因みに現代の方が乱れてますし・・・)
「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」は、僕のなかで
和歌に対する偏見を拭い去ってくれたようです。
もう、少し書きます。
深まる秋に濃紺のブレザー
ほんとうにあっという間に秋めいてきました。
なんと、今日は10月中旬の気候とか。
雨に空気も大地も冷やされました。
夏の間から上着をほとんど着ないで、ワイシャツだけ
で過ごしましたが、いよいよそれでは耐えられなくなり
ます。
夏から冬の間の、中間的な気候の時に活躍するのが
濃紺のブレザー。
いまどきは短い期間限定(春・秋)の衣服になってしまい
ましたが、それでも重宝します。
愛用のブレザーとの付き合いは十年以上になります。
ここ十年くらいで徐々に体重が減って、スリムになった
ので、多少ブカブカになった感じですが、まだ着れる。
ブレザーって好きです。
完全なフォーマルではないけど使い勝手が良い。
クールビズにも、ビジネスカジュアルにも使える。
僕はネクタイが大嫌いだから、なおよい。
白っぽいのと、濃紺と両方ありますが、白っぽいのは
ちょっとキザにも見えるし、着こなすのがちょっと難しい。
そんなにお洒落に気を使う方じゃないのでそれでいい。
清潔に見えるように皺を伸ばしたりはするようにして
います。
もうひと月もすれば、ジャケットの季節になってしまうの
でしょうね・・・。秋は短い。
それだけに何を着るか悩む時期でもあります。
なんと、今日は10月中旬の気候とか。
雨に空気も大地も冷やされました。
夏の間から上着をほとんど着ないで、ワイシャツだけ
で過ごしましたが、いよいよそれでは耐えられなくなり
ます。
夏から冬の間の、中間的な気候の時に活躍するのが
濃紺のブレザー。
いまどきは短い期間限定(春・秋)の衣服になってしまい
ましたが、それでも重宝します。
愛用のブレザーとの付き合いは十年以上になります。
ここ十年くらいで徐々に体重が減って、スリムになった
ので、多少ブカブカになった感じですが、まだ着れる。
ブレザーって好きです。
完全なフォーマルではないけど使い勝手が良い。
クールビズにも、ビジネスカジュアルにも使える。
僕はネクタイが大嫌いだから、なおよい。
白っぽいのと、濃紺と両方ありますが、白っぽいのは
ちょっとキザにも見えるし、着こなすのがちょっと難しい。
そんなにお洒落に気を使う方じゃないのでそれでいい。
清潔に見えるように皺を伸ばしたりはするようにして
います。
もうひと月もすれば、ジャケットの季節になってしまうの
でしょうね・・・。秋は短い。
それだけに何を着るか悩む時期でもあります。
和の心を読み解く・百人一首(1)
秋もだんだん深まってきました。
というか、なんだか災害続きで秋が深まったとか、
夏が終わりだとか、そんな雰囲気ではありませんね。
一日も早い復旧と、生活を取り戻していただきたいと思います。
敢えて、これから季節は秋。
秋と言えば、食欲の秋、スポーツの秋、そして読書の秋。
僕は本を読むのはとても好きです。
以前は、新刊本というと月に何冊も買ってはむさぼり読んだ。
最近は、近所に図書館ができたため借りて読むことの方が
多いです。
便利ですもの。
ネットで蔵書を検索できるし、予約もできる。
さらには、市内の図書館から最寄りの図書館へ取り寄せもできる。
図書館の本を読むようになってから、なんて無駄なことをしていた
のかと思います。
お金もそうですが、新刊で買って読んでいた本の内容の薄いこと。
自分のチョイスが悪かったのもありますが、そもそも読みたい
テーマが薄っぺらだったのだ。
それでも、久しぶりに新刊を買いました。
小名木善行著「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」彩雲出版
という本です。
この著者は人気ブログ「ねずさんのひとり言」を書いている人です。
保守系のブログということになるのでしょうが、政治や歴史に関して
自虐史観に染まらない視点で解説してくれるので、近年僕に非常に
大きな影響を与えてくれました。
百人一首について書いてみたところ、非常に反響が大きかったので
なんと一冊の本ができてしまったということです。
僕は書道もやるので、和歌や俳句も勉強中ですが、この本を読んで
恥ずかしくなりました。
自虐史観や、戦後のおかしな思想にすっかりと印象を刷り込まれて
いたことに気づきました。
正直、和歌よりも漢詩の方が好きで、李白や陶淵明などを読んで
ました。このブログのタイトルも陶淵明の「帰去来の辞」から来てます。
だからといって、漢詩に詳しいわけではなく、読み下し文の独特の
テンポとか世界観が好きなだけですけどね。
書道を始める前、百人一首、というよりも、和歌とか平安時代、貴族
社会、そういったものにあまり好感を持っていなかったのです。
この本でも書かれているように、学校で教える平安貴族の印象って
「特権階級の貴族が、暇を持て余して日がな和歌に興じて遊び、
色恋のことばかり考えていた自堕落な時代」・・・みたいな。
漫画「ドラゴン桜」(三田紀房・作)の桜木先生も「昔はテレビもゲーム
もない、みんな暇だから女のことばかり考えている」と言っていました。
教育者がそれじゃだめですよね。
話を戻しますが、読書の秋というより、夏の間に読んでいたこの本に
ついてちょっと書いてみたいと思います。
というか、なんだか災害続きで秋が深まったとか、
夏が終わりだとか、そんな雰囲気ではありませんね。
一日も早い復旧と、生活を取り戻していただきたいと思います。
敢えて、これから季節は秋。
秋と言えば、食欲の秋、スポーツの秋、そして読書の秋。
僕は本を読むのはとても好きです。
以前は、新刊本というと月に何冊も買ってはむさぼり読んだ。
最近は、近所に図書館ができたため借りて読むことの方が
多いです。
便利ですもの。
ネットで蔵書を検索できるし、予約もできる。
さらには、市内の図書館から最寄りの図書館へ取り寄せもできる。
図書館の本を読むようになってから、なんて無駄なことをしていた
のかと思います。
お金もそうですが、新刊で買って読んでいた本の内容の薄いこと。
自分のチョイスが悪かったのもありますが、そもそも読みたい
テーマが薄っぺらだったのだ。
それでも、久しぶりに新刊を買いました。
小名木善行著「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」彩雲出版
という本です。
この著者は人気ブログ「ねずさんのひとり言」を書いている人です。
保守系のブログということになるのでしょうが、政治や歴史に関して
自虐史観に染まらない視点で解説してくれるので、近年僕に非常に
大きな影響を与えてくれました。
百人一首について書いてみたところ、非常に反響が大きかったので
なんと一冊の本ができてしまったということです。
僕は書道もやるので、和歌や俳句も勉強中ですが、この本を読んで
恥ずかしくなりました。
自虐史観や、戦後のおかしな思想にすっかりと印象を刷り込まれて
いたことに気づきました。
正直、和歌よりも漢詩の方が好きで、李白や陶淵明などを読んで
ました。このブログのタイトルも陶淵明の「帰去来の辞」から来てます。
だからといって、漢詩に詳しいわけではなく、読み下し文の独特の
テンポとか世界観が好きなだけですけどね。
書道を始める前、百人一首、というよりも、和歌とか平安時代、貴族
社会、そういったものにあまり好感を持っていなかったのです。
この本でも書かれているように、学校で教える平安貴族の印象って
「特権階級の貴族が、暇を持て余して日がな和歌に興じて遊び、
色恋のことばかり考えていた自堕落な時代」・・・みたいな。
漫画「ドラゴン桜」(三田紀房・作)の桜木先生も「昔はテレビもゲーム
もない、みんな暇だから女のことばかり考えている」と言っていました。
教育者がそれじゃだめですよね。
話を戻しますが、読書の秋というより、夏の間に読んでいたこの本に
ついてちょっと書いてみたいと思います。
祝祭日に日章旗を
2年ほど前から、小庵では祝祭日に日章旗を掲げています。
日本の一般家庭で当たり前の慣習。
それなのに、昨今では日章旗を掲げる家庭は非常に少ない。
無理もないです。
僕だって、2年前まで掲げていなかった。
いつも自転車で通る道に一軒だけ、大きな日章旗を掲げる
お宅がありますが、その一軒かぎりみません。
小庵はマンションの一室ですが、日章旗を出しているのは
我が家だけです。
住人から変な目で見られているのかな。
どう思われているのかな。
真似するお宅があってもいいんじゃない?
よく考えたら、これって異常なことです。
僕の実家も平屋だった頃は昔は掲げていた。
日章旗を掲げると、特定の思想があると思われる・・・?
学校で国家斉唱や国旗掲揚を反対する教師や組合がある。
馬鹿馬鹿しい。
近所のイタリアン・レストランではイタリアの旗を掲げてますよ。
外国の旗はよくて、日本の旗はなんでダメなの?
ただ、面倒だから掲げなくなった・・・という家庭が多いでしょう。
でも、お休みの日に面倒くさいって?
マンションタイプの小ぶりの旗だってありますよ。
磁石で、扉や給湯器の扉にくっつくものが。
僕は、祝日は小ぶりの旗。祭日は靖国で買った大きな旗。
使い分けています。
いいですよ。
すがすがしくなる。
日本の旗って、世界で一番シンプルで美しい旗。
明治のころ、この旗の意匠を外国が欲しくて「売って」と
頼まれたのを断ったそうだ。
お金よりも大切な、大切な日本の誇り。
掲げましょうよ。
清潔で誇り高い日章旗を。
余談だけど、昔の東京五輪のエンブレムは美しくて
カッコよかったですね。
ああいうのにしてほしいなぁ。
日本の一般家庭で当たり前の慣習。
それなのに、昨今では日章旗を掲げる家庭は非常に少ない。
無理もないです。
僕だって、2年前まで掲げていなかった。
いつも自転車で通る道に一軒だけ、大きな日章旗を掲げる
お宅がありますが、その一軒かぎりみません。
小庵はマンションの一室ですが、日章旗を出しているのは
我が家だけです。
住人から変な目で見られているのかな。
どう思われているのかな。
真似するお宅があってもいいんじゃない?
よく考えたら、これって異常なことです。
僕の実家も平屋だった頃は昔は掲げていた。
日章旗を掲げると、特定の思想があると思われる・・・?
学校で国家斉唱や国旗掲揚を反対する教師や組合がある。
馬鹿馬鹿しい。
近所のイタリアン・レストランではイタリアの旗を掲げてますよ。
外国の旗はよくて、日本の旗はなんでダメなの?
ただ、面倒だから掲げなくなった・・・という家庭が多いでしょう。
でも、お休みの日に面倒くさいって?
マンションタイプの小ぶりの旗だってありますよ。
磁石で、扉や給湯器の扉にくっつくものが。
僕は、祝日は小ぶりの旗。祭日は靖国で買った大きな旗。
使い分けています。
いいですよ。
すがすがしくなる。
日本の旗って、世界で一番シンプルで美しい旗。
明治のころ、この旗の意匠を外国が欲しくて「売って」と
頼まれたのを断ったそうだ。
お金よりも大切な、大切な日本の誇り。
掲げましょうよ。
清潔で誇り高い日章旗を。
余談だけど、昔の東京五輪のエンブレムは美しくて
カッコよかったですね。
ああいうのにしてほしいなぁ。
Tag : 文化
超絶技巧の漆喰細工・伊豆の長八(2)
伊豆の長八は静岡県伊豆半島にある松崎町出身です。
僕は、下田に旅行した時に半島の反対側にある松崎まで
足を延ばして、地元の美術館で初めて見ました。
伊豆・松崎は画像のように漁港が近くにある海の街。
まぁ、伊豆ですから海は近いのはあたりまえですが。
静かで、潮の香りのするいい街ですよ。
街の中の細い路地を通り抜けてゆくと、港にでます。
シーズンオフだったせいか、昼過ぎだったせいか、
船の浮かぶ小さな湾内は、とっても静かでした。
独特の雰囲気のある街並みには、「なまこ壁通り」という
長八の街ならではの風景も残されています。
漆喰をかまぼこ型に盛り上げた模様が特徴の壁塗り
様式だそうです。
なんだか、いまでも長八が生きていたころ時間の流れ
に感じました。
伊豆の長八美術館は、この松崎にあります。
町をあげて保存しようとしているそうです。
ただ、残念なことにこの漆喰細工の技術は、国内でも
数十人にしか伝えられていないそうです。
消えてほしくない技術ですね。
美術館の近くには、伊那下神社がありますが、ここも
独特の世界が広がっています。
いろんな木彫りの象があり、楽しめます。
長八を生み出した町。
吉祥寺美術館の展示は10月18日(日)までです。
僕は、下田に旅行した時に半島の反対側にある松崎まで
足を延ばして、地元の美術館で初めて見ました。
伊豆・松崎は画像のように漁港が近くにある海の街。
まぁ、伊豆ですから海は近いのはあたりまえですが。
静かで、潮の香りのするいい街ですよ。
街の中の細い路地を通り抜けてゆくと、港にでます。
シーズンオフだったせいか、昼過ぎだったせいか、
船の浮かぶ小さな湾内は、とっても静かでした。
独特の雰囲気のある街並みには、「なまこ壁通り」という
長八の街ならではの風景も残されています。
漆喰をかまぼこ型に盛り上げた模様が特徴の壁塗り
様式だそうです。
なんだか、いまでも長八が生きていたころ時間の流れ
に感じました。
伊豆の長八美術館は、この松崎にあります。
町をあげて保存しようとしているそうです。
ただ、残念なことにこの漆喰細工の技術は、国内でも
数十人にしか伝えられていないそうです。
消えてほしくない技術ですね。
美術館の近くには、伊那下神社がありますが、ここも
独特の世界が広がっています。
いろんな木彫りの象があり、楽しめます。
長八を生み出した町。
吉祥寺美術館の展示は10月18日(日)までです。
お彼岸の寂しさ、哀しさ
今日はお彼岸の入りですね。
世間はシルバーウィークということですが、お休みを取れる
人達は、お墓参りにも行くのでしょう。
最近は、すこし様子がかわりましたが、僕の実家は大きな
霊園の近くで、お彼岸の人が大勢通っていました。
駅前にはなんだか屋台がでていて、焼きそばやら綿あめ
のような、なんだかお祭りみたいな妙な雰囲気が。
少子高齢化、核家族化がすすんで、親戚一同でお参りして
・・・というスタイルが廃れてきたようです。
徐々にお参りの人が少なくなってきたみたいです。
昨年、父が亡くなり、今年は一周忌。
実家の予定に合わせたので、僕は仕事ででれませんでした
が法要も行いました。
お彼岸には…と思いましたが、こっちも一人で行くことになり
そうです。しかもお彼岸明けに。
人間の慣習であるお彼岸や墓参りですが、僕にとっては愛猫
の「うず」も供養したいです。
もっとも、「うず」のお墓はなくて、お骨は僕のうちの祭壇に
あります。毎日、手を合わせているから今更ですけど・・・。
昨日、「小うず」がついに「うず」の祭壇のお供えに手を出して
しまいました。
小さな枡にドライフードを入れ、ラップでくるんでいたのですが。
うちに帰ったら、ラップがほどかれて枡が空になって横に転が
っていました。
今日はお供えもないのに、祭壇は荒らされて、「うず」の写真
立てや水の入った器まで落とされてました。
なんだか、哀しい気持ちに・・・。
わかっているんです。ぜんぶ、僕のせいだって。
いままで、よく手を出さずにいてくれたと思った方がいいの
かもしれません。
でも、「うず」のごはんに手を出して欲しくなかった。
「小うず」に罪はないけど、心の中の繊細な部分を荒らされた
気分で悲しくなった。怒りもあった。
馬鹿馬鹿しいけど、お祈りするときに「小うず」が近くにいたら
一緒に拝ませてた。
この子も、理解できなくてもなんだか大切なものなのだと、
感じてくれていたら・・・なんて思っていたのかもしれません。
ごめんね。「うず」
お彼岸なのに、お供えもなくて・・・。
代わりにちいさな花をそなえたから、・・・許してね。
いつも腹ペコで食いしん坊だった「うず」。
天国のごはんは美味しいかい?
・・・今日も一緒に寝ようね。
「うず」と「小うず」と、三人で・・・。
世間はシルバーウィークということですが、お休みを取れる
人達は、お墓参りにも行くのでしょう。
最近は、すこし様子がかわりましたが、僕の実家は大きな
霊園の近くで、お彼岸の人が大勢通っていました。
駅前にはなんだか屋台がでていて、焼きそばやら綿あめ
のような、なんだかお祭りみたいな妙な雰囲気が。
少子高齢化、核家族化がすすんで、親戚一同でお参りして
・・・というスタイルが廃れてきたようです。
徐々にお参りの人が少なくなってきたみたいです。
昨年、父が亡くなり、今年は一周忌。
実家の予定に合わせたので、僕は仕事ででれませんでした
が法要も行いました。
お彼岸には…と思いましたが、こっちも一人で行くことになり
そうです。しかもお彼岸明けに。
人間の慣習であるお彼岸や墓参りですが、僕にとっては愛猫
の「うず」も供養したいです。
もっとも、「うず」のお墓はなくて、お骨は僕のうちの祭壇に
あります。毎日、手を合わせているから今更ですけど・・・。
昨日、「小うず」がついに「うず」の祭壇のお供えに手を出して
しまいました。
小さな枡にドライフードを入れ、ラップでくるんでいたのですが。
うちに帰ったら、ラップがほどかれて枡が空になって横に転が
っていました。
今日はお供えもないのに、祭壇は荒らされて、「うず」の写真
立てや水の入った器まで落とされてました。
なんだか、哀しい気持ちに・・・。
わかっているんです。ぜんぶ、僕のせいだって。
いままで、よく手を出さずにいてくれたと思った方がいいの
かもしれません。
でも、「うず」のごはんに手を出して欲しくなかった。
「小うず」に罪はないけど、心の中の繊細な部分を荒らされた
気分で悲しくなった。怒りもあった。
馬鹿馬鹿しいけど、お祈りするときに「小うず」が近くにいたら
一緒に拝ませてた。
この子も、理解できなくてもなんだか大切なものなのだと、
感じてくれていたら・・・なんて思っていたのかもしれません。
ごめんね。「うず」
お彼岸なのに、お供えもなくて・・・。
代わりにちいさな花をそなえたから、・・・許してね。
いつも腹ペコで食いしん坊だった「うず」。
天国のごはんは美味しいかい?
・・・今日も一緒に寝ようね。
「うず」と「小うず」と、三人で・・・。