無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
猛暑の葉月も今日が晦日
おっと、なんだか漢字だらけのタイトルになった。
今日は葉月の晦日ということもあり、漠然とした内容にしたい。
いよいよ夏休みが終わって、明日から・・・あるいはもう数日くらいあるのかもしれないが、二学期が始まるのだろう。
夏休みの宿題に大慌てで取り組んでいる学生も少なくはあるまい。
それにしても、僕は学生のころどうだったろう・・・。
すっかり忘れてしまった。
宿題に追われていた気もするし、ある程度終わっていた気もするし。
もう覚えてすらいない。
遠い昔だなぁ・・・学生時代なんて。
もの凄く暑い夏だったけど、少しづつ落ち着いてきた気がする。
下旬になってからは、夕立というかスコールというか、集中豪雨のような雨が多かった。
酷い雨だったが、これだけ降ると夕方以降、暑気が吹き飛んでしまった。
なかなか夜が過ごしやすくなった気がした。
ここ一週間は台風で大騒ぎだ。
けれども、今年の長期予報は10月くらいまで暑い、などとしている。
お彼岸過ぎたら、すっかり秋がふつうだろう。
暑さも心配だけれども、今年の米を収穫はどうなんだろう。
食料品売り場に米の袋がなくなった久しい。
新米までは、商品がでないなんてことがあるのだろうか・・・?
ともあれ、明日から9月。
新しい季節の始めになんてなるのだろうか・・・?
今日は葉月の晦日ということもあり、漠然とした内容にしたい。
いよいよ夏休みが終わって、明日から・・・あるいはもう数日くらいあるのかもしれないが、二学期が始まるのだろう。
夏休みの宿題に大慌てで取り組んでいる学生も少なくはあるまい。
それにしても、僕は学生のころどうだったろう・・・。
すっかり忘れてしまった。
宿題に追われていた気もするし、ある程度終わっていた気もするし。
もう覚えてすらいない。
遠い昔だなぁ・・・学生時代なんて。
もの凄く暑い夏だったけど、少しづつ落ち着いてきた気がする。
下旬になってからは、夕立というかスコールというか、集中豪雨のような雨が多かった。
酷い雨だったが、これだけ降ると夕方以降、暑気が吹き飛んでしまった。
なかなか夜が過ごしやすくなった気がした。
ここ一週間は台風で大騒ぎだ。
けれども、今年の長期予報は10月くらいまで暑い、などとしている。
お彼岸過ぎたら、すっかり秋がふつうだろう。
暑さも心配だけれども、今年の米を収穫はどうなんだろう。
食料品売り場に米の袋がなくなった久しい。
新米までは、商品がでないなんてことがあるのだろうか・・・?
ともあれ、明日から9月。
新しい季節の始めになんてなるのだろうか・・・?
秋の虫の聲が聞こえる
まだまだ暑い日が続きますが、夜になる秋の到来する予感がします。
いよいよ秋の虫の鳴き声が優勢になってきましたね。
僕らよりも虫の方が季節には敏感なようです。
実際には、「立秋」から少し経ったくらいから虫の聲が聞こえてきました。
スズムシやコオロギなど、おなじみの声が聞こえてくる。
それも住宅街にいても聞こえるのです。
いったい何処にいるのやら。
庭先の小さな木陰や葉陰にいるんでしょうね。
コメント欄にはいまではもう聞こえてこないと言っている人がいます。
ほんとうかな?
テレビやエアコンの室外機の音を消せば聞こえるんじゃ・・・?
小庵のあるところが、よっぽど田舎だということ・・・かな?
いよいよ秋の虫の鳴き声が優勢になってきましたね。
僕らよりも虫の方が季節には敏感なようです。
実際には、「立秋」から少し経ったくらいから虫の聲が聞こえてきました。
スズムシやコオロギなど、おなじみの声が聞こえてくる。
それも住宅街にいても聞こえるのです。
いったい何処にいるのやら。
庭先の小さな木陰や葉陰にいるんでしょうね。
コメント欄にはいまではもう聞こえてこないと言っている人がいます。
ほんとうかな?
テレビやエアコンの室外機の音を消せば聞こえるんじゃ・・・?
小庵のあるところが、よっぽど田舎だということ・・・かな?
お米が足りない!のメカニズム
いまの米の品薄状態・・・非常に困っています。
ふだんからパン食や麺類を多く取っている人にはあまり影響はないのかもしれませんが。
僕はここ二週間くらい麺類一辺倒の生活になっています。
なんでこんなことに?
いろいろと原因は思いつきます。
まずは酷暑で米の収穫量が減ったのでは・・・?
というもの。
次に、新米が出る前なので、もともと品薄の時期なのでは・・・?
ほかにも列挙していきますね。
南海トラフの地震注意報により、買い占めが起こっているのではないか?
同じく政府が備蓄優先で流通させる量を抑制しているのでないか?
・・・・
まぁ正解は不明ですが、どうやらここに挙げてきた理由の複合的なものかもしれません。
こちらの番組でも説明していますので、ごらんください。
この番組、8月19日放送分のようですが、あと3週間程度で問題なくなる、としています。
徐々に新米が流通し始めるから、だそうです。
つまりは、来月の中旬にさしかかる頃に解消する・・・のかもしれません。
僕んちにも一応、数キロ残っています。
たまにお米を炊いて、ご飯食の回数を増やしてもよさそうですが・・・。
なにぶんテレビの情報ですから、そこは気をつけねばなりませんね・・・。
ふだんからパン食や麺類を多く取っている人にはあまり影響はないのかもしれませんが。
僕はここ二週間くらい麺類一辺倒の生活になっています。
なんでこんなことに?
いろいろと原因は思いつきます。
まずは酷暑で米の収穫量が減ったのでは・・・?
というもの。
次に、新米が出る前なので、もともと品薄の時期なのでは・・・?
ほかにも列挙していきますね。
南海トラフの地震注意報により、買い占めが起こっているのではないか?
同じく政府が備蓄優先で流通させる量を抑制しているのでないか?
・・・・
まぁ正解は不明ですが、どうやらここに挙げてきた理由の複合的なものかもしれません。
こちらの番組でも説明していますので、ごらんください。
この番組、8月19日放送分のようですが、あと3週間程度で問題なくなる、としています。
徐々に新米が流通し始めるから、だそうです。
つまりは、来月の中旬にさしかかる頃に解消する・・・のかもしれません。
僕んちにも一応、数キロ残っています。
たまにお米を炊いて、ご飯食の回数を増やしてもよさそうですが・・・。
なにぶんテレビの情報ですから、そこは気をつけねばなりませんね・・・。
Tag : 文化
夏休みの課題図書~アメリカの戦争責任(その2)
「アメリカの戦争責任 戦後最大のタブーに挑む」(竹田恒泰著 PHP新書)の読後感想の続きである。
石原莞爾のいうとおり、米大統領・トルーマンこそ国際法を無視した第一級の戦犯であると思う。
よくアメリカ人は、原爆投下に対抗するために、真珠湾攻撃を引き合いに出す。
オバマ大統領が広島を訪問した際にも、「かわりに安倍(総理)も真珠湾へ行くべき」などという人がいた。
しかし、真珠湾と広島・長崎(これに東京大空襲も含めたい)との違いを理解していない。
多少の飛び火くらいはあったろうが、真珠湾のターゲットは軍事施設・船舶なのである。
広島・長崎のメインターゲットは、民間人であることだ。
戦時には民間人や民間施設への攻撃は明白な国際法違反なのである。
併せて、宣戦布告なしの奇襲攻撃であることを批判する向きもある。
しかし、当時の慣習では、宣戦布告は必須ではなかった。
(実際には日本は宣戦布告をしようとしていたが、駐アメリカ大使館の不手際で届いていなかった)
そもそもが、奇襲は一般的な軍事作戦行動だと思うのだが・・・。
これらのアメリカ人の知識というものは、アメリカのプロパガンダそのものなのだ。
しかも、騙そうとしているのが当のアメリカ人であることが酷い。
本書では、アメリカが正当化しようとしてきた原爆投下について、竹田氏が論理的に否定している。
それをここで伝えるよりも、実際に本を手にして欲しいと思うが、不思議にも日本や日本人の間においても、原爆投下をまともに否定できない空気があることである。
これは戦後のアメリカが統治下において実施した言論統制の結果である。
言論統制のなかの最たるモノは「プレスコード」(新聞などのニュース媒体への自主規制)だと思う。
統治下において行われた言論統制にとどまらず、主権回復したあと・・・現代に至ってもメディアの自主規制は相変わらずなのである。
この誰も不可思議に思わないクラスの言論統制こそが、戦後のアメリカの屈折した精神構造をよく示していると思う。
要すれば、「世界中にも、アメリカ社会においても、そして日本においても」誰にも非難してほしくないのだ。
好意的に見れば、アメリカは直接か間接かは不明なれど、実際には広島・長崎での原爆投下の大罪をうすうすにでも感じているからなのかもしれない。
つまりは、もうすでにアメリカの精神は耐えがたいほどナーバスになっているのだと思う。
日本は果たして大東亜戦争に敗北したのであろうか。
無論、物理的には敗北しているし、国土も占領され、憲法まで書き換えられた。
国民はすさまじい言論統制下において精神は骨抜きにされ、占領軍司令マッカーサー元帥の帰国に涙したという者までいた。
だが、太平洋戦争に敗北はしたが大東亜戦争においては実質勝利したという言説もある。
その証拠に、戦後の社会は人種差別は撤廃され、アジア諸国は過酷な植民地支配から解放、自立を果たした。
日本は戦争行為には負けたが、戦争目標は達成したといえる。
国民は自虐史観を植え付けられ、精神を踏みにじられたが、かたや石原莞爾ただひとりは矜持を護り抜いた。
いや、国家元首としての責任ゆえに、石原のごとく奔放な発言こそしていないが、昭和天皇は見事にGHQやアメリカを御されたと思う。
いまこそ、昭和天皇、そして石原莞爾のごとく日本国民が取り戻さねば成らないのだと思う。
< おわり >
石原莞爾のいうとおり、米大統領・トルーマンこそ国際法を無視した第一級の戦犯であると思う。
よくアメリカ人は、原爆投下に対抗するために、真珠湾攻撃を引き合いに出す。
オバマ大統領が広島を訪問した際にも、「かわりに安倍(総理)も真珠湾へ行くべき」などという人がいた。
しかし、真珠湾と広島・長崎(これに東京大空襲も含めたい)との違いを理解していない。
多少の飛び火くらいはあったろうが、真珠湾のターゲットは軍事施設・船舶なのである。
広島・長崎のメインターゲットは、民間人であることだ。
戦時には民間人や民間施設への攻撃は明白な国際法違反なのである。
併せて、宣戦布告なしの奇襲攻撃であることを批判する向きもある。
しかし、当時の慣習では、宣戦布告は必須ではなかった。
(実際には日本は宣戦布告をしようとしていたが、駐アメリカ大使館の不手際で届いていなかった)
そもそもが、奇襲は一般的な軍事作戦行動だと思うのだが・・・。
これらのアメリカ人の知識というものは、アメリカのプロパガンダそのものなのだ。
しかも、騙そうとしているのが当のアメリカ人であることが酷い。
本書では、アメリカが正当化しようとしてきた原爆投下について、竹田氏が論理的に否定している。
それをここで伝えるよりも、実際に本を手にして欲しいと思うが、不思議にも日本や日本人の間においても、原爆投下をまともに否定できない空気があることである。
これは戦後のアメリカが統治下において実施した言論統制の結果である。
言論統制のなかの最たるモノは「プレスコード」(新聞などのニュース媒体への自主規制)だと思う。
統治下において行われた言論統制にとどまらず、主権回復したあと・・・現代に至ってもメディアの自主規制は相変わらずなのである。
この誰も不可思議に思わないクラスの言論統制こそが、戦後のアメリカの屈折した精神構造をよく示していると思う。
要すれば、「世界中にも、アメリカ社会においても、そして日本においても」誰にも非難してほしくないのだ。
好意的に見れば、アメリカは直接か間接かは不明なれど、実際には広島・長崎での原爆投下の大罪をうすうすにでも感じているからなのかもしれない。
つまりは、もうすでにアメリカの精神は耐えがたいほどナーバスになっているのだと思う。
日本は果たして大東亜戦争に敗北したのであろうか。
無論、物理的には敗北しているし、国土も占領され、憲法まで書き換えられた。
国民はすさまじい言論統制下において精神は骨抜きにされ、占領軍司令マッカーサー元帥の帰国に涙したという者までいた。
だが、太平洋戦争に敗北はしたが大東亜戦争においては実質勝利したという言説もある。
その証拠に、戦後の社会は人種差別は撤廃され、アジア諸国は過酷な植民地支配から解放、自立を果たした。
日本は戦争行為には負けたが、戦争目標は達成したといえる。
国民は自虐史観を植え付けられ、精神を踏みにじられたが、かたや石原莞爾ただひとりは矜持を護り抜いた。
いや、国家元首としての責任ゆえに、石原のごとく奔放な発言こそしていないが、昭和天皇は見事にGHQやアメリカを御されたと思う。
いまこそ、昭和天皇、そして石原莞爾のごとく日本国民が取り戻さねば成らないのだと思う。
< おわり >
夏休みの課題図書~アメリカの戦争責任(その1)
夏のこの時期のことである。
今年も休みをとって終戦の日に靖国神社まで参拝できた。
ついては、読書もこの時期らしくあろうじゃないか。
「アメリカの戦争責任 戦後最大のタブーに挑む」(竹田恒泰著 PHP新書)
夏休みの課題図書のようなものだ。
とはいえ、夏休みなど僕にはないのだけれども・・・。
「虎ノ門ニュース」で、この本について解説があった。
もちろん竹田恒泰さんの解説だった。
とりわけ冒頭の石原莞爾の話を聞いて、即刻この本を手にしたくなりました。
むろん、僕だって石原莞爾の名前くらいは知っていた。
しかし、その内実までは知らなかった。
恥ずかしながら、この人物に関しての「思い込み」はそこらの印象操作の類と同程度だったと思う。
この本の冒頭の・・・というか、序文に早速、この人物に関する記述があった。
石原莞爾・・・旧日本陸軍きっての英才にして「戦争の天才」として世界中にその名を知られていた。
日露戦争でも、陸軍には児玉源太郎、海軍においては秋山真之という天才参謀がいた。
しかし、この石原莞爾の比ではない。
当時、関東軍1万人で、張学良の22万人の近代化装備された軍を3か月で駆逐してしまい、広大な満州を支配下に置いてしまった。
これに世界中が驚愕し、一躍世界的な有名人となり、「戦争の天才」と呼ばれた。
残念ながら、陸軍内での政争にて(東条英機に)破れてしまい下野することになったが、もしも石原がアメリカとの戦いにおいて戦争指揮を執っていれば、この戦争の帰趨は大幅に変わっていただろう。
この石原が再び世間の耳目を集めるようになったのは、極東軍事裁判・・・いわゆる東京裁判である。
彼は結局、戦犯にはならなかったのだが、米国としては東條を第一級の戦犯としたかったために、石原を利用しようと謀ったのである。
裁判に参考人として出廷させ、発言をさせたのである。
(石原は当時、膀胱がんを患っていたため、裁判が出向いた形となった)
日本中がアメリカ、連合軍やGHQに低頭していたなか、石原の発言は裁判官も連合国側も耳を疑うようなものであった。
「もし、陛下が自分に参謀総長を命じたならば、日本はアメリカに絶対に負けなかった。その時は、君は敗戦国だから、我々の膝下にも及びつかないのだ。」
このように検事に言い放ち、唖然とさせたのだ。
そして、検事がこの戦争において第一級の戦犯は誰か問うと、石原は自信満々に「それはトルーマンだ」と答えた。
理由として、東京空襲をはじめとする都市爆撃や、広島・長崎への原爆投下により一般人婦女子や子供をも大量に殺害したからだと滔々と論じたという。
さらには、この裁判にて石原の発言に関心を示した米国記者に「ジェネラルだったら、どんな戦争をしたでしょうか」と問われ、ミッドウェーの敗戦後に、資源確保のため戦線を縮小し、本国近隣のサイパンやグアム島を要塞化する等のプランを話した。
これらの記者たちは、いちいち納得し、石原莞爾が戦争を指揮しなかったことに安堵したという。
当時はおろか、現代にいたってもこのような発言ができる政府関係者はいないだろう。
それをあの時代に、戦勝国に対して堂々と言い放つことのできたこの日本人の存在に、僕も驚いた。
わが国には野に放たれた傑物が必ずいるのだと、希望すら覚えてしまうのだった。
< つづく >
今年も休みをとって終戦の日に靖国神社まで参拝できた。
ついては、読書もこの時期らしくあろうじゃないか。
「アメリカの戦争責任 戦後最大のタブーに挑む」(竹田恒泰著 PHP新書)
夏休みの課題図書のようなものだ。
とはいえ、夏休みなど僕にはないのだけれども・・・。
「虎ノ門ニュース」で、この本について解説があった。
もちろん竹田恒泰さんの解説だった。
とりわけ冒頭の石原莞爾の話を聞いて、即刻この本を手にしたくなりました。
むろん、僕だって石原莞爾の名前くらいは知っていた。
しかし、その内実までは知らなかった。
恥ずかしながら、この人物に関しての「思い込み」はそこらの印象操作の類と同程度だったと思う。
この本の冒頭の・・・というか、序文に早速、この人物に関する記述があった。
石原莞爾・・・旧日本陸軍きっての英才にして「戦争の天才」として世界中にその名を知られていた。
日露戦争でも、陸軍には児玉源太郎、海軍においては秋山真之という天才参謀がいた。
しかし、この石原莞爾の比ではない。
当時、関東軍1万人で、張学良の22万人の近代化装備された軍を3か月で駆逐してしまい、広大な満州を支配下に置いてしまった。
これに世界中が驚愕し、一躍世界的な有名人となり、「戦争の天才」と呼ばれた。
残念ながら、陸軍内での政争にて(東条英機に)破れてしまい下野することになったが、もしも石原がアメリカとの戦いにおいて戦争指揮を執っていれば、この戦争の帰趨は大幅に変わっていただろう。
この石原が再び世間の耳目を集めるようになったのは、極東軍事裁判・・・いわゆる東京裁判である。
彼は結局、戦犯にはならなかったのだが、米国としては東條を第一級の戦犯としたかったために、石原を利用しようと謀ったのである。
裁判に参考人として出廷させ、発言をさせたのである。
(石原は当時、膀胱がんを患っていたため、裁判が出向いた形となった)
日本中がアメリカ、連合軍やGHQに低頭していたなか、石原の発言は裁判官も連合国側も耳を疑うようなものであった。
「もし、陛下が自分に参謀総長を命じたならば、日本はアメリカに絶対に負けなかった。その時は、君は敗戦国だから、我々の膝下にも及びつかないのだ。」
このように検事に言い放ち、唖然とさせたのだ。
そして、検事がこの戦争において第一級の戦犯は誰か問うと、石原は自信満々に「それはトルーマンだ」と答えた。
理由として、東京空襲をはじめとする都市爆撃や、広島・長崎への原爆投下により一般人婦女子や子供をも大量に殺害したからだと滔々と論じたという。
さらには、この裁判にて石原の発言に関心を示した米国記者に「ジェネラルだったら、どんな戦争をしたでしょうか」と問われ、ミッドウェーの敗戦後に、資源確保のため戦線を縮小し、本国近隣のサイパンやグアム島を要塞化する等のプランを話した。
これらの記者たちは、いちいち納得し、石原莞爾が戦争を指揮しなかったことに安堵したという。
当時はおろか、現代にいたってもこのような発言ができる政府関係者はいないだろう。
それをあの時代に、戦勝国に対して堂々と言い放つことのできたこの日本人の存在に、僕も驚いた。
わが国には野に放たれた傑物が必ずいるのだと、希望すら覚えてしまうのだった。
< つづく >
麺類のお弁当が新登場!
米不足への対応から、お弁当に新しい試みを始めました。
僕はこれまで、お米が大好きなこともあり、弁当は二段重のものと、またはバスケットにおにぎりを入れた2パターンを交互に作っていました。
このため、お弁当が必要な日の前日はかならず米食というサイクルができあがってました。
前日の晩にお米を炊いていたのです。
今回、導入したのは、麺類バージョンのお弁当。
二段重に入れるという手もあるが、やむなく新しい弁当箱を用意。
中身はがっぽりと麺類のお弁当を作れます。
麺類とひと言で言っても、焼きそば、焼きうどん、パスタなどなど。
これだと、翌日が仕事の日でも、前夜のお食事にバリエーションが追加されるようになりました。
なんだかんだいっても、お米の方が良いのですが、勤務日のお食事にも変化がつけられるように・・・。
これはこれでいいものです。
ただ、やっぱりお昼のお弁当はちょこっと物足りない気もします。
気持ちの問題であるようにも思えます。
はっきりいって、よくわからないです。
僕はこれまで、お米が大好きなこともあり、弁当は二段重のものと、またはバスケットにおにぎりを入れた2パターンを交互に作っていました。
このため、お弁当が必要な日の前日はかならず米食というサイクルができあがってました。
前日の晩にお米を炊いていたのです。
今回、導入したのは、麺類バージョンのお弁当。
二段重に入れるという手もあるが、やむなく新しい弁当箱を用意。
中身はがっぽりと麺類のお弁当を作れます。
麺類とひと言で言っても、焼きそば、焼きうどん、パスタなどなど。
これだと、翌日が仕事の日でも、前夜のお食事にバリエーションが追加されるようになりました。
なんだかんだいっても、お米の方が良いのですが、勤務日のお食事にも変化がつけられるように・・・。
これはこれでいいものです。
ただ、やっぱりお昼のお弁当はちょこっと物足りない気もします。
気持ちの問題であるようにも思えます。
はっきりいって、よくわからないです。
Tag : 文化
我が庵は都の辰巳しかぞ住む・・・喜撰法師
「わが庵(いほ)は 都のたつみ しかぞすむ
世をうぢ山と 人はいふなり」
百人一首の8番歌で、喜撰法師の詠んだものです。
喜撰法師は六歌仙の一人。
宇治山の僧という他は経歴不明です。
庵(いほ)というのは、自身の住む家で、粗末で小さな家を指します。
辰巳は東南の方角のことです。
「しかぞ住む」というのは、掛詞で「然ぞ」と「鹿」の両方の意味があると考えられています。
「このように心静かに」という意味合いと、鹿の住むような山奥であることを掛けているのでしょう。
「うぢ山」とは「宇治」という意味と、「憂し」を掛けているのです。
これも掛詞です。
私は都の東南にある山奥に隠棲して心静かに暮らしている。
いまは憂いの多い世の中だ。
だから、世捨て人のように暮らしているのだ・・・。
自分はそんな風には思っていないけれども、人はそう自分のことを思っているようだ、という解釈です。
これが一般的にいわれる歌意です。
色紙に散らしてみました。
ちょっと安っぽい紙なので、つぎは紙をちょっと考えようと思います。
ただ、色紙のときは半懐紙を切ると捨てる部分が多くなります。
この紙はもともと半紙サイズなので、色紙サイズにするのに便利です。
まぁ、「宇治山」という言葉が出てきますので、歌にはあった色合いかもしれません。
世をうぢ山と 人はいふなり」
百人一首の8番歌で、喜撰法師の詠んだものです。
喜撰法師は六歌仙の一人。
宇治山の僧という他は経歴不明です。
庵(いほ)というのは、自身の住む家で、粗末で小さな家を指します。
辰巳は東南の方角のことです。
「しかぞ住む」というのは、掛詞で「然ぞ」と「鹿」の両方の意味があると考えられています。
「このように心静かに」という意味合いと、鹿の住むような山奥であることを掛けているのでしょう。
「うぢ山」とは「宇治」という意味と、「憂し」を掛けているのです。
これも掛詞です。
私は都の東南にある山奥に隠棲して心静かに暮らしている。
いまは憂いの多い世の中だ。
だから、世捨て人のように暮らしているのだ・・・。
自分はそんな風には思っていないけれども、人はそう自分のことを思っているようだ、という解釈です。
これが一般的にいわれる歌意です。
色紙に散らしてみました。
ちょっと安っぽい紙なので、つぎは紙をちょっと考えようと思います。
ただ、色紙のときは半懐紙を切ると捨てる部分が多くなります。
この紙はもともと半紙サイズなので、色紙サイズにするのに便利です。
まぁ、「宇治山」という言葉が出てきますので、歌にはあった色合いかもしれません。
日本が貧しい国になっていく
日本がどんどん貧しい国になっていく気がする。
実感としてある。
僕らの生活がそのようにダウングレードしていってるのだ。
街を見よ。
なんと自転車に乗っている人が多いことよ。
一昔前の北京には大勢の自転車乗りが一斉に走っていたと思う。
あれはチャイナが貧しかったからだ。
いまでは北京や上海で自転車を見かけることも少なくなっている。
反対に我が国では自転車乗りが激増している。
バブルの頃に自転車を乗っている人はそんなにいたか?
みんな自動車を乗り回していた筈だ。
フリーマーケットなんかで買い物する人はいたか?
当時、そんな言葉すら無かったが、バブルの頃に中古品を使う人などいなかった。
みんな新品を使っていた。
車だって3年で新車に乗り換えていた。
伊豆の下田にいったときのことだ。
なんとなく駅前も街も寂れてきていた。
初めて来たときは・・・30年前くらいだが、街はキレイだった。
外国に来た、とまではいかないが、それなりの観光地だった筈だ。
街の入り口にある橋の人魚の像も古びて哀しそうだった。
我が国が、僕たちがどんどん貧しくなっている。
政治の無策のせいだ。
官僚のおかしなイデオロギーのせいだ。
原発停止や再エネを推進する活動家たちのせいだ。
政治家は再エネや裏金だの自分たちの私腹を肥やすことにのみ腐心している。
このままじゃいけない。
僕らがまずは変わらなくては・・・。
実感としてある。
僕らの生活がそのようにダウングレードしていってるのだ。
街を見よ。
なんと自転車に乗っている人が多いことよ。
一昔前の北京には大勢の自転車乗りが一斉に走っていたと思う。
あれはチャイナが貧しかったからだ。
いまでは北京や上海で自転車を見かけることも少なくなっている。
反対に我が国では自転車乗りが激増している。
バブルの頃に自転車を乗っている人はそんなにいたか?
みんな自動車を乗り回していた筈だ。
フリーマーケットなんかで買い物する人はいたか?
当時、そんな言葉すら無かったが、バブルの頃に中古品を使う人などいなかった。
みんな新品を使っていた。
車だって3年で新車に乗り換えていた。
伊豆の下田にいったときのことだ。
なんとなく駅前も街も寂れてきていた。
初めて来たときは・・・30年前くらいだが、街はキレイだった。
外国に来た、とまではいかないが、それなりの観光地だった筈だ。
街の入り口にある橋の人魚の像も古びて哀しそうだった。
我が国が、僕たちがどんどん貧しくなっている。
政治の無策のせいだ。
官僚のおかしなイデオロギーのせいだ。
原発停止や再エネを推進する活動家たちのせいだ。
政治家は再エネや裏金だの自分たちの私腹を肥やすことにのみ腐心している。
このままじゃいけない。
僕らがまずは変わらなくては・・・。
日本式邸宅のもつ文化性
毎年こんなことを書いているように思います。
それもこれもひたすらに暑いからですが・・・。
日本の住宅事情についてです。
僕が子供の頃は、僕の実家がそうであったように日本式住宅が多かった。
畳敷きで、縁側があって、家の周囲は窓・・・それもてっぺんから足元まであけすけで、そして雨戸なんかがあったりして。
密閉性は低いのですが、かわりに通気はとてもよくって、いまの住宅の比ではありません。
これは防犯とかも考える必要が無いくらい治安がよかった証拠です。
通気性が良くて、あけすけなためクーラーやエアコンなど入れようにも入れられないくらい。
でも、そのかわりに風が入ってきました。
つまりは冷房なんて必要なかったのです。
考えてみれば、あのころは気温が30℃いくことも少なかったような・・・。
密閉性の高い造りになって、防犯意識も高くなって、みんながみんなクーラーをガンガン使うようになって・・・。
その結果、ヒートアイランド現象で都会を皮切りに日本中が猛暑日になりました。
一時期住んでいた札幌なんて、暑いのはお盆を挟んで2週間だけ。
だから、扇風機しかもっていなかった。
彼の地のタクシーには冷房はついていないのです。
かわりに住宅もタクシーも冬は暖房をガンガン焚いていましたが・・・。
でもいまは札幌もとっても暑くなっているようです。
もともと日本は高温多湿で、そのため日本式住宅は冬よりも夏を過ごしやすくするための造りになっていました。
おまけに治安の良さがあって、そんな開放的な家でもなんの問題もなかったのです。
住宅の造りもやはり我が日本の独特の風土や習慣が合わさってできていたのですね。
昔の通りの暮らしには決して戻ることはできないでしょうが、自然を身近に感じることのできる日本式邸宅は、僕らが失いつつある大切な文化なのでしょう。
それもこれもひたすらに暑いからですが・・・。
日本の住宅事情についてです。
僕が子供の頃は、僕の実家がそうであったように日本式住宅が多かった。
畳敷きで、縁側があって、家の周囲は窓・・・それもてっぺんから足元まであけすけで、そして雨戸なんかがあったりして。
密閉性は低いのですが、かわりに通気はとてもよくって、いまの住宅の比ではありません。
これは防犯とかも考える必要が無いくらい治安がよかった証拠です。
通気性が良くて、あけすけなためクーラーやエアコンなど入れようにも入れられないくらい。
でも、そのかわりに風が入ってきました。
つまりは冷房なんて必要なかったのです。
考えてみれば、あのころは気温が30℃いくことも少なかったような・・・。
密閉性の高い造りになって、防犯意識も高くなって、みんながみんなクーラーをガンガン使うようになって・・・。
その結果、ヒートアイランド現象で都会を皮切りに日本中が猛暑日になりました。
一時期住んでいた札幌なんて、暑いのはお盆を挟んで2週間だけ。
だから、扇風機しかもっていなかった。
彼の地のタクシーには冷房はついていないのです。
かわりに住宅もタクシーも冬は暖房をガンガン焚いていましたが・・・。
でもいまは札幌もとっても暑くなっているようです。
もともと日本は高温多湿で、そのため日本式住宅は冬よりも夏を過ごしやすくするための造りになっていました。
おまけに治安の良さがあって、そんな開放的な家でもなんの問題もなかったのです。
住宅の造りもやはり我が日本の独特の風土や習慣が合わさってできていたのですね。
昔の通りの暮らしには決して戻ることはできないでしょうが、自然を身近に感じることのできる日本式邸宅は、僕らが失いつつある大切な文化なのでしょう。
【二十四節気】今日から「処暑」
今日から二十四節気の「立秋」に続く節気である。
「処暑」(しょしょ)となります。
江戸時代の暦の専門解説書である『暦便欄』では、「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすればなり」と書かれています。
まだまだ、残暑の厳しい日々が続きますが、夕方や早朝などには涼しい空気を感じ始めます。
虫の聲も夜には聞こえ始めてくるでしょう。
過ごしやすくなっていく一方で、台風のシーズン到来でもあります。
早々と関東にも台風が接近したばかりです。
また、31日は「二百十日」で台風を警戒する日です。
充分にお気をつけください。
その翌日、9月1日は「防災の日」です。
なんだか災難続きのシーズンですが、台風のみならず南海トラフでの地震発生確率が大きくなったとのことで、いま警戒するよう呼び掛けられてます、
来るか来ないかは、当たるも八卦ではありますが、充分な備えを日頃から心懸けましょう。
この時期、旬の食べ物はサツマイモやイチジク、魚ではサンマです。
サツマイモは食物繊維も豊富で美容や便通にもよい食べ物です。
僕などは年間を通じてふかして食べていますが、たまには石焼きもいいですね。
サンマは漁獲量が減少して、庶民の食卓から遠ざかりつつあるのが残念です。
今年も少ないようですが、シーズン中一度はいただきたいですね。
「処暑」(しょしょ)となります。
江戸時代の暦の専門解説書である『暦便欄』では、「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすればなり」と書かれています。
まだまだ、残暑の厳しい日々が続きますが、夕方や早朝などには涼しい空気を感じ始めます。
虫の聲も夜には聞こえ始めてくるでしょう。
過ごしやすくなっていく一方で、台風のシーズン到来でもあります。
早々と関東にも台風が接近したばかりです。
また、31日は「二百十日」で台風を警戒する日です。
充分にお気をつけください。
その翌日、9月1日は「防災の日」です。
なんだか災難続きのシーズンですが、台風のみならず南海トラフでの地震発生確率が大きくなったとのことで、いま警戒するよう呼び掛けられてます、
来るか来ないかは、当たるも八卦ではありますが、充分な備えを日頃から心懸けましょう。
この時期、旬の食べ物はサツマイモやイチジク、魚ではサンマです。
サツマイモは食物繊維も豊富で美容や便通にもよい食べ物です。
僕などは年間を通じてふかして食べていますが、たまには石焼きもいいですね。
サンマは漁獲量が減少して、庶民の食卓から遠ざかりつつあるのが残念です。
今年も少ないようですが、シーズン中一度はいただきたいですね。