無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
今年も半分過ぎました・・・夏越の大祓
気が付いてみると、今年も半分過ぎたことになります。
いわれなくても、六月末はそうなんですが、普段どうも気が付きませんね。
なんだか、六月って目立たなくて・・・。
梅雨以外なんにもない気がして。
祝祭日もありません。
よく考えてみれば、六月は夏至だってあるし、晦日には夏越の祓いもある。
女性には憧れのジューン・ブライドとか言われています。
例に挙げると改めて地味ですね・・・。
毎日陽が落ちる時間が遅くなって、勤め帰りにはまだ空が明るい。
夕方家に帰ると、ニャンコと西空を眺めて、なんだかゆったりした気分になる。
ささやかな幸せです。
さて、神社へ行くと今年もやっぱり夏越の大祓で、茅の輪が編まれていました。
神社の境内に、茅の輪が組まれています。
孤の輪を左右交互に三回(→二回、左一回)潜り抜けてグルグルと廻りながら通り抜けると、心身についた穢れが落ちるそうです。
この儀式は僕は小さい頃は全く知らなかった。
知ったのは、ここ数年です。
以来、毎年この儀式を欠かしていません。
やったらどうか、やらなかったらどうかではありません。
そういう穢れを落とす儀式をすることを、心に落とし込むのです。
心はそうしていつでも穢れなく清浄にいることができるのです。
茅の輪もいいですよ。
くぐるときに、むせるような草の匂い。
七月に入ると、茅が枯れてきます。
僕は、これがあると、夏が来た実感が湧いてくる。
さて、今年残り半分。
清潔で清浄な心で迎えましょう。
いわれなくても、六月末はそうなんですが、普段どうも気が付きませんね。
なんだか、六月って目立たなくて・・・。
梅雨以外なんにもない気がして。
祝祭日もありません。
よく考えてみれば、六月は夏至だってあるし、晦日には夏越の祓いもある。
女性には憧れのジューン・ブライドとか言われています。
例に挙げると改めて地味ですね・・・。
毎日陽が落ちる時間が遅くなって、勤め帰りにはまだ空が明るい。
夕方家に帰ると、ニャンコと西空を眺めて、なんだかゆったりした気分になる。
ささやかな幸せです。
さて、神社へ行くと今年もやっぱり夏越の大祓で、茅の輪が編まれていました。
神社の境内に、茅の輪が組まれています。
孤の輪を左右交互に三回(→二回、左一回)潜り抜けてグルグルと廻りながら通り抜けると、心身についた穢れが落ちるそうです。
この儀式は僕は小さい頃は全く知らなかった。
知ったのは、ここ数年です。
以来、毎年この儀式を欠かしていません。
やったらどうか、やらなかったらどうかではありません。
そういう穢れを落とす儀式をすることを、心に落とし込むのです。
心はそうしていつでも穢れなく清浄にいることができるのです。
茅の輪もいいですよ。
くぐるときに、むせるような草の匂い。
七月に入ると、茅が枯れてきます。
僕は、これがあると、夏が来た実感が湧いてくる。
さて、今年残り半分。
清潔で清浄な心で迎えましょう。
曇りの日、朝シャンでいいオトコ
冬毛はまだまだ残っているのか、抜け毛がいっぱい。
毎日ブラシで撫で撫でしてますが、ごっそり抜けます。
曇り模様で気温も低めでしたが、休みでもあったのでシャンプーしてあげました。
朝起きて、一息ついたらすぐにした。
人の脚に噛みついて起こした罰だ。
朝シャンだ。
温かいお湯で全身を流してあげると、なんとも情けない鳴き声。
でも、比較的おとなしく、あまり手間はかけずに洗えました。
手間がかかるのは、水気を切るときですかね。
とにかく早く逃げ出したいので、タオルで拭いてあげるのが大変。
濡れているときは、あんまり抜けないのでしょうか。
乾いてくるほどに、手に体毛がべっとりくっついてくる。
もっと、暑い日だったら、さっぱりしていい気持だったかもしれません。
まぁ、水が嫌いなんだから関係ないか・・・。
毎日ブラシで撫で撫でしてますが、ごっそり抜けます。
曇り模様で気温も低めでしたが、休みでもあったのでシャンプーしてあげました。
朝起きて、一息ついたらすぐにした。
人の脚に噛みついて起こした罰だ。
朝シャンだ。
温かいお湯で全身を流してあげると、なんとも情けない鳴き声。
でも、比較的おとなしく、あまり手間はかけずに洗えました。
手間がかかるのは、水気を切るときですかね。
とにかく早く逃げ出したいので、タオルで拭いてあげるのが大変。
濡れているときは、あんまり抜けないのでしょうか。
乾いてくるほどに、手に体毛がべっとりくっついてくる。
もっと、暑い日だったら、さっぱりしていい気持だったかもしれません。
まぁ、水が嫌いなんだから関係ないか・・・。
ご飯の友・白菜漬物
独り暮らしだと食事で野菜を摂るのは大変・・・?
まぁ、そういう人もいるんでしょうね。
僕はそうでもないと思います。
どちらかというと、野菜だけしかおかずがないときもある。
昨日だって、茄子とピーマンのみそ炒めに枝豆、汁の代わりに
ラーメン・・・あとは白いご飯。
ヘルシーでしょう。
ちょっと塩気が多いでしょうか?
タンパク質がほとんんどありません。
普段は魚料理です。
そりゃ、たまには野菜を摂るのに苦労もあります。
そんなときには、大根おろし、じゃこおろし。
そして、白菜の漬物。
白菜も大根に負けないくらい万能。
冬はお鍋に大活躍。
余った時には中華丼の具にしちゃいます。
白菜の漬物はそれだけでも、一膳いけちゃう。
タクアンとみそ汁だけでもご飯は何杯もいけますが、白菜の漬物だって同レベル。
たっぱに詰めるときに、カットして入れますが、その時のあまりの芯がこれまたおいしい。
甘~い、甘い味がします。
お米が美味しいからですよね。
白菜も、タクアンも、なんでもおいしいのは。
やっぱり日本人に生まれてよかった。
まぁ、そういう人もいるんでしょうね。
僕はそうでもないと思います。
どちらかというと、野菜だけしかおかずがないときもある。
昨日だって、茄子とピーマンのみそ炒めに枝豆、汁の代わりに
ラーメン・・・あとは白いご飯。
ヘルシーでしょう。
ちょっと塩気が多いでしょうか?
タンパク質がほとんんどありません。
普段は魚料理です。
そりゃ、たまには野菜を摂るのに苦労もあります。
そんなときには、大根おろし、じゃこおろし。
そして、白菜の漬物。
白菜も大根に負けないくらい万能。
冬はお鍋に大活躍。
余った時には中華丼の具にしちゃいます。
白菜の漬物はそれだけでも、一膳いけちゃう。
タクアンとみそ汁だけでもご飯は何杯もいけますが、白菜の漬物だって同レベル。
たっぱに詰めるときに、カットして入れますが、その時のあまりの芯がこれまたおいしい。
甘~い、甘い味がします。
お米が美味しいからですよね。
白菜も、タクアンも、なんでもおいしいのは。
やっぱり日本人に生まれてよかった。
歴史の渦中にいるようだ
イギリスのEU離脱か残留かを決める国民投票の結果がでました。
大方の予想通り、か予想に反してか、それだけ拮抗していたようですが英国民の意志は「離脱」でした。
なんだか、この結果に為替も株式市場も大騒ぎのようです。
為替も株も僕はやらないので他人事ですが、円ドル相場が一時99円台に割れたのは4年前までの悪夢を想起しました。
日銀や財務省も動いていますので、一時的なもので収まるよう祈ります。
なんだかね。
なんだか、本当に歴史の渦中にいるようですね。
まぁ、僕たちは常に歴史の渦中にいるんですが、「その時歴史は動いた」みたいな。
ベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦の崩壊、冷戦の終結、とあのときも歴史の教科書の中にいるようでした。
いろんな見方があるようですが、イギリス国民のEU離脱はつまり「移民」への忌避が大きいようですね。
そりゃーそうでしょう。
自国の風土、歴史、文化に適合しない人たちが街中で軋轢を生みだし、公共福祉にフリーライド、生活空間はめちゃくちゃだ。
勝手に地域にコミュニティを創り出して、自分勝手な主張で騒ぎ出す。
「ローマにいるときは、ローマに従え」って、欧州の言葉ですよね。
いや、移民の人たちはローマの末裔じゃないかもしれませんが・・・。
移民の側の言い分だって、あるでしょう。
そもそもの元凶を創り出したのは、歴史的に欧米人とも言われてますし・・・。
ついひと昔までの多文化共生とか、世界をひとつに、みたいな考え方が実は理想論でしかなかったことの表れでしょうか。
みんな肌でうすうす気が付いているのだと思います。
僕も、境界を意識して個々別々に風俗、習慣が共通した文化圏を形成するのが、一番無理のない生き方と思います。
すっきりと統一された秩序よりも、まだら模様でも調和のとれた世の中が案外暮らしいい。
米国がグローバル・スタンダードとかいって、自国標準を世界に押し付けようとしたことは思い出されます。
当時、ビジネスマンだった僕は会社のエリート面した輩が口にするのを内心嫌悪してました。
大国の力が弱まって、これからは中規模クラスの国や地域ごとに文化圏が緩い紐帯で形成される。
「老子」でも、国の理想は「小国寡民」だそうです。
まぁ、いきなりそうなると、横暴をふるう国がありますので、強い結束が必要ですけど。
徐々に、徐々に、緩やかに移行していくのがいいのでしょうか。
全部、つながっているようですね。
横暴奮う某国も、国内では民族問題があるため不安定な状態にあるようです。
もう、すべて人類、民族、国家、社会・・・ぜんぶギリギリの我慢の限界まできたようです。
これって、歴史を俯瞰すると大きな流れになっているみたいに感じます。
さて、これからは面白い時代なのか、大変な時代なのか。
願わくば、苦難の後でも万民の願いが届いたような秩序が完成することを望みます。
大方の予想通り、か予想に反してか、それだけ拮抗していたようですが英国民の意志は「離脱」でした。
なんだか、この結果に為替も株式市場も大騒ぎのようです。
為替も株も僕はやらないので他人事ですが、円ドル相場が一時99円台に割れたのは4年前までの悪夢を想起しました。
日銀や財務省も動いていますので、一時的なもので収まるよう祈ります。
なんだかね。
なんだか、本当に歴史の渦中にいるようですね。
まぁ、僕たちは常に歴史の渦中にいるんですが、「その時歴史は動いた」みたいな。
ベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦の崩壊、冷戦の終結、とあのときも歴史の教科書の中にいるようでした。
いろんな見方があるようですが、イギリス国民のEU離脱はつまり「移民」への忌避が大きいようですね。
そりゃーそうでしょう。
自国の風土、歴史、文化に適合しない人たちが街中で軋轢を生みだし、公共福祉にフリーライド、生活空間はめちゃくちゃだ。
勝手に地域にコミュニティを創り出して、自分勝手な主張で騒ぎ出す。
「ローマにいるときは、ローマに従え」って、欧州の言葉ですよね。
いや、移民の人たちはローマの末裔じゃないかもしれませんが・・・。
移民の側の言い分だって、あるでしょう。
そもそもの元凶を創り出したのは、歴史的に欧米人とも言われてますし・・・。
ついひと昔までの多文化共生とか、世界をひとつに、みたいな考え方が実は理想論でしかなかったことの表れでしょうか。
みんな肌でうすうす気が付いているのだと思います。
僕も、境界を意識して個々別々に風俗、習慣が共通した文化圏を形成するのが、一番無理のない生き方と思います。
すっきりと統一された秩序よりも、まだら模様でも調和のとれた世の中が案外暮らしいい。
米国がグローバル・スタンダードとかいって、自国標準を世界に押し付けようとしたことは思い出されます。
当時、ビジネスマンだった僕は会社のエリート面した輩が口にするのを内心嫌悪してました。
大国の力が弱まって、これからは中規模クラスの国や地域ごとに文化圏が緩い紐帯で形成される。
「老子」でも、国の理想は「小国寡民」だそうです。
まぁ、いきなりそうなると、横暴をふるう国がありますので、強い結束が必要ですけど。
徐々に、徐々に、緩やかに移行していくのがいいのでしょうか。
全部、つながっているようですね。
横暴奮う某国も、国内では民族問題があるため不安定な状態にあるようです。
もう、すべて人類、民族、国家、社会・・・ぜんぶギリギリの我慢の限界まできたようです。
これって、歴史を俯瞰すると大きな流れになっているみたいに感じます。
さて、これからは面白い時代なのか、大変な時代なのか。
願わくば、苦難の後でも万民の願いが届いたような秩序が完成することを望みます。
Tag : 歴史
その時のことを思い・・・・(2)
僕ですら、自分の最期の時の処分については明確な結論を出せていない。
だが、甥に面倒を見てもらおうなど期待などしていない。
できれば、どこかでひっそりと消えていきたいと思っている。
僕の出番(?)のころには、たぶん老人の孤独死なんて日常のことになるだろう。
そんなニーズに応える業者もでてくるのではないだろうか。
などと深刻に考えたことはなかったかもしれない。
まぁ、70、80代ならともかく、この齢で深刻に考える人もあまりいないだろう。
自分がその時を迎えるに際して、理想的な「その時観」はもっていた。
以前にもちょっと書いたことがあるが、隆慶一郎氏の「一夢庵風流記」で、主人公の慶次郎が兄の利家に対して語った言葉だ。
「ふとくたびれて、道端に座る。ごろんと横になる。眠り込んでそのまま覚めない。俺はそんな風に死にたい。」
この一言に尽きる。
勿論、この言葉は隆氏の創作であると思う。
事実、慶次郎の晩年はそんなに単純なものではなかったように思う。
言い伝えでしょうが、身の回りの世話をしていた若い小僧につらい目に合わせて苦しんだような話もあった。
第一、そんな行き倒れみたいな死に方、平成のこの世でできるか?
まぁあくまでも言葉で語る理想の姿というだけだ。
これも以前に書いたが、日本画家の田中一村の生き様も心を打たれる。
中央画壇に死ぬまで見向きもされず、ただひたすらに自分の画境を描ききるために奄美大島の地で、朽ち果てた。
「朽ち果てた」という言葉は侮辱にあたるという人もいるだろう。
全てを投げ打ち、全身全霊で絵を窮めんと尽きた、前のめりな最期は「朽ち果てる」という表現以上の賛辞を僕は知らない。
一村の家は評伝に掲載されていた写真では非常に質素な感じだった。
そこで取材を受ける一村の姿も、とても一流の画家の姿に見えない。
痩せた体にランニングシャツ一枚、というような出立だった。
自分の最期の瞬間など、予見するどころか研究と製作に没頭し、考えもしなかったろう。
それを考えると僕はまだまだ甘い。
従兄の亡骸をみて、髪が黒いうちのものは痛々しいと感じた。
白髪の齢を取った亡骸は、生気が抜けきって仏様に近づいた感じがあると思う。
若さがある亡骸は、なんといってよいか途中で手折れたような痛々しさがある。
無念さが残っているのだ。
僕は心の病になって、疲れて職を辞して、なんだか人生を全力で走りきったと自己満足した感がある。
あんまり、この先名誉や栄達を望む気持ちはない。
実際にその時を迎えてみなければ勿論わからないが、少なくとも昔よりもこの世に対する執着はない。
いざ、その時を迎えて、じたばたしないように、今を精一杯生きる。
あの時をこれをしていればよかった、ということがないよう努めている。
さて、僕のその時はどんな気持ちでいるのだろうか。
たまには、こんなことを考えるべきだと思う。
だが、甥に面倒を見てもらおうなど期待などしていない。
できれば、どこかでひっそりと消えていきたいと思っている。
僕の出番(?)のころには、たぶん老人の孤独死なんて日常のことになるだろう。
そんなニーズに応える業者もでてくるのではないだろうか。
などと深刻に考えたことはなかったかもしれない。
まぁ、70、80代ならともかく、この齢で深刻に考える人もあまりいないだろう。
自分がその時を迎えるに際して、理想的な「その時観」はもっていた。
以前にもちょっと書いたことがあるが、隆慶一郎氏の「一夢庵風流記」で、主人公の慶次郎が
「ふとくたびれて、道端に座る。ごろんと横になる。眠り込んでそのまま覚めない。俺はそんな風に死にたい。」
この一言に尽きる。
勿論、この言葉は隆氏の創作であると思う。
事実、慶次郎の晩年はそんなに単純なものではなかったように思う。
言い伝えでしょうが、身の回りの世話をしていた若い小僧につらい目に合わせて苦しんだような話もあった。
第一、そんな行き倒れみたいな死に方、平成のこの世でできるか?
まぁあくまでも言葉で語る理想の姿というだけだ。
これも以前に書いたが、日本画家の田中一村の生き様も心を打たれる。
中央画壇に死ぬまで見向きもされず、ただひたすらに自分の画境を描ききるために奄美大島の地で、朽ち果てた。
「朽ち果てた」という言葉は侮辱にあたるという人もいるだろう。
全てを投げ打ち、全身全霊で絵を窮めんと尽きた、前のめりな最期は「朽ち果てる」という表現以上の賛辞を僕は知らない。
一村の家は評伝に掲載されていた写真では非常に質素な感じだった。
そこで取材を受ける一村の姿も、とても一流の画家の姿に見えない。
痩せた体にランニングシャツ一枚、というような出立だった。
自分の最期の瞬間など、予見するどころか研究と製作に没頭し、考えもしなかったろう。
それを考えると僕はまだまだ甘い。
従兄の亡骸をみて、髪が黒いうちのものは痛々しいと感じた。
白髪の齢を取った亡骸は、生気が抜けきって仏様に近づいた感じがあると思う。
若さがある亡骸は、なんといってよいか途中で手折れたような痛々しさがある。
無念さが残っているのだ。
僕は心の病になって、疲れて職を辞して、なんだか人生を全力で走りきったと自己満足した感がある。
あんまり、この先名誉や栄達を望む気持ちはない。
実際にその時を迎えてみなければ勿論わからないが、少なくとも昔よりもこの世に対する執着はない。
いざ、その時を迎えて、じたばたしないように、今を精一杯生きる。
あの時をこれをしていればよかった、ということがないよう努めている。
さて、僕のその時はどんな気持ちでいるのだろうか。
たまには、こんなことを考えるべきだと思う。
その時のことを思い・・・・(1)
つい先日のことだが、僕の従兄が亡くなった。
がんのため、普段は丸々とした体形だった従兄の亡骸は痩せこけていた。
なんの皮肉か、その日はちょうど父の日だった。
僕の叔父は病気がちで、決して健康な人ではなかった.
従兄もやはり見た目とは裏腹に病気がちだったらしい。
通夜の日に、気丈に振舞っていた叔母はどんな気持ちであったろう。
叔父、つまり亡くなった従兄の父親は数年前に先立っていた。
病床で従兄は「親父が連れて行きたがっているのかなぁ」などと言っていたらしい。
従兄と僕はわずか二歳違い。
彼の顔を見て、僕が最初に思ったのは「そういう齢になったんだなぁ」ということだ。
こんなことを思うのは初めてではない。
会社の同期入社の男が二十代で亡くなったとき。
地方で同じ支店の後輩が寮で突然死したとき。
齢が近い人間が亡くなると、少しづつそう思ってきた。
ただ、二十代の頃の、身近な人間の死はまだそれほど自分に密接なものではない。
ある意味「事故」的な感覚があったと思う。
だけど、最近は「事故」ではなく、「自然の帰結」の要素が増えてきた。
なにしろ、僕自身鏡を見ると、萎れてきた感じがする。
昔のような弾けるような生命力はいずこかへ行ってしまった。
あたかも、植物や野菜、魚などの食べ物が萎れたたり、腐っていくようにだ。
ちょっと前のことだが、母が孫(僕の甥)に「おじさんは結婚しないの?」などと言われたと聞いた。
僕の甥は、母にとってたったひとりの孫。
一族の先行きを危惧しているようだ。
よって、僕がこの世を去る時に、甥が面倒を見ることになるのかと、心配しているらしい。
これには少なからずショックを受けた。
<つづく>
がんのため、普段は丸々とした体形だった従兄の亡骸は痩せこけていた。
なんの皮肉か、その日はちょうど父の日だった。
僕の叔父は病気がちで、決して健康な人ではなかった.
従兄もやはり見た目とは裏腹に病気がちだったらしい。
通夜の日に、気丈に振舞っていた叔母はどんな気持ちであったろう。
叔父、つまり亡くなった従兄の父親は数年前に先立っていた。
病床で従兄は「親父が連れて行きたがっているのかなぁ」などと言っていたらしい。
従兄と僕はわずか二歳違い。
彼の顔を見て、僕が最初に思ったのは「そういう齢になったんだなぁ」ということだ。
こんなことを思うのは初めてではない。
会社の同期入社の男が二十代で亡くなったとき。
地方で同じ支店の後輩が寮で突然死したとき。
齢が近い人間が亡くなると、少しづつそう思ってきた。
ただ、二十代の頃の、身近な人間の死はまだそれほど自分に密接なものではない。
ある意味「事故」的な感覚があったと思う。
だけど、最近は「事故」ではなく、「自然の帰結」の要素が増えてきた。
なにしろ、僕自身鏡を見ると、萎れてきた感じがする。
昔のような弾けるような生命力はいずこかへ行ってしまった。
あたかも、植物や野菜、魚などの食べ物が萎れたたり、腐っていくようにだ。
ちょっと前のことだが、母が孫(僕の甥)に「おじさんは結婚しないの?」などと言われたと聞いた。
僕の甥は、母にとってたったひとりの孫。
一族の先行きを危惧しているようだ。
よって、僕がこの世を去る時に、甥が面倒を見ることになるのかと、心配しているらしい。
これには少なからずショックを受けた。
<つづく>
漢詩を詠む~竹里館
王維は唐の時代の官僚の詩です。
この人は詩人であり、また画家、書家、音楽家でもある
多彩な人物です。
草書、隷書に優れ、画は山水画を得意とし、文人画の祖
とも言われました。
獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照
独り坐す幽篁(ゆうこう)の裏(うち)
琴を弾じて復(また)長嘯(ちょうしょう)す
深林 人知らず
明月来たって相照らす
琴を鳴らすなど、できるものではありませんが、
できたらなんと風雅なことだろうかと思います。
竹林の中で月を見ながら、ひとり琴を弾き歌を
吟ずる・・・なんとも絵になるじゃありませんか。
琴は引けないけど、代わりに音楽をかけながら
夕刻、ひとり月見酒。
それくらいが精一杯ですけれど。
「「漢詩」の心」(著者多数 プレジデント社)より引用。
この人は詩人であり、また画家、書家、音楽家でもある
多彩な人物です。
草書、隷書に優れ、画は山水画を得意とし、文人画の祖
とも言われました。
獨坐幽篁裏
彈琴復長嘯
深林人不知
明月來相照
独り坐す幽篁(ゆうこう)の裏(うち)
琴を弾じて復(また)長嘯(ちょうしょう)す
深林 人知らず
明月来たって相照らす
琴を鳴らすなど、できるものではありませんが、
できたらなんと風雅なことだろうかと思います。
竹林の中で月を見ながら、ひとり琴を弾き歌を
吟ずる・・・なんとも絵になるじゃありませんか。
琴は引けないけど、代わりに音楽をかけながら
夕刻、ひとり月見酒。
それくらいが精一杯ですけれど。
「「漢詩」の心」(著者多数 プレジデント社)より引用。
権利を行使しよう!若者たち
いよいよ参議院選挙の公示が始まりました。
同時に、今回の国政選挙から18歳以上の若者に対して選挙権が与えられます。
選挙そのものもそうですけど、僕はこの改正がどのように影響を与えるかも注目してます。
いや、今回一回限りでそんな変化がみられるとは思いません。
国や自治体や教育がどのように旗を振ってみても、実際に権利を行使するのは一握りでしょう。
大体、既に権利を付与されている大人だって、行使しているのは約半分です。
愚かしい話ですが・・・。
だけれども、僕はある意味、この方が健全なのかも・・・なんて思います。
権利を行使している人は、個々に程度の差はあれど、政治に関して関心を持っているでしょう。
(無論、義務的に投票所へ行って、名簿に記載されている名前を思いつきで書いている人もいます)
残りの半分は個別の事情を除けば、はっきりいって政治に関心のない人ばかり。
意識レベルの低い人が投票して、その結果が大きく左右されるのはある意味怖い。
僕らはその「怖さ」というものを2008年に経験しています。
その後の悪夢の4年間は、財界人も、実業家も、一般的な庶民も充分わかっているでしょう。
(懲りていないひともいっぱいいるようですけど)
東京都知事選がただの人気投票になっているのは、現在こぞってメディアが取り上げています。
東京は、人が大勢ゴッチャにいすぎて、各人の生活が政治との繋がりが見えづらいからでしょうか。
都知事選ではないけど、かつて大河ドラマ出演のレベルの低い芸能人が、国会議員に選ばれているのは都民として恥ずかしい。
地方の人から東京都は「トンキン」なんていわれてるらしい。
さぁ、大人からしてそんな体たらくですが、若者には今後、選挙を変えてほしい。
最初は、どの候補を選べばいいか、手探りでしょう。
取りあえずは、知名度の高いタレント議員とかプロレスラーとか、発明家でもいいでしょう。
株をやる人だって、痛い目を見て徐々に運用できるようになっていく。
ただ、その人がどんな政策を挙げているかはしっかりと吟味してほしい。
なんだか、おかしな政党とか○教組とかが、学校の門前で政治活動をしているとか。
おかしな連中が跋扈していますが、ゆくゆく真っ当な国際感覚、政治感覚を持てるようになればいい。
僕らよりもはるかに早く正しく、権利を行使できるようになるはずです。
若者よ、選挙にいってらっしゃい!
僕は今年は初めての期日前投票かなぁ・・・。
同時に、今回の国政選挙から18歳以上の若者に対して選挙権が与えられます。
選挙そのものもそうですけど、僕はこの改正がどのように影響を与えるかも注目してます。
いや、今回一回限りでそんな変化がみられるとは思いません。
国や自治体や教育がどのように旗を振ってみても、実際に権利を行使するのは一握りでしょう。
大体、既に権利を付与されている大人だって、行使しているのは約半分です。
愚かしい話ですが・・・。
だけれども、僕はある意味、この方が健全なのかも・・・なんて思います。
権利を行使している人は、個々に程度の差はあれど、政治に関して関心を持っているでしょう。
(無論、義務的に投票所へ行って、名簿に記載されている名前を思いつきで書いている人もいます)
残りの半分は個別の事情を除けば、はっきりいって政治に関心のない人ばかり。
意識レベルの低い人が投票して、その結果が大きく左右されるのはある意味怖い。
僕らはその「怖さ」というものを2008年に経験しています。
その後の悪夢の4年間は、財界人も、実業家も、一般的な庶民も充分わかっているでしょう。
(懲りていないひともいっぱいいるようですけど)
東京都知事選がただの人気投票になっているのは、現在こぞってメディアが取り上げています。
東京は、人が大勢ゴッチャにいすぎて、各人の生活が政治との繋がりが見えづらいからでしょうか。
都知事選ではないけど、かつて大河ドラマ出演のレベルの低い芸能人が、国会議員に選ばれているのは都民として恥ずかしい。
地方の人から東京都は「トンキン」なんていわれてるらしい。
さぁ、大人からしてそんな体たらくですが、若者には今後、選挙を変えてほしい。
最初は、どの候補を選べばいいか、手探りでしょう。
取りあえずは、知名度の高いタレント議員とかプロレスラーとか、発明家でもいいでしょう。
株をやる人だって、痛い目を見て徐々に運用できるようになっていく。
ただ、その人がどんな政策を挙げているかはしっかりと吟味してほしい。
なんだか、おかしな政党とか○教組とかが、学校の門前で政治活動をしているとか。
おかしな連中が跋扈していますが、ゆくゆく真っ当な国際感覚、政治感覚を持てるようになればいい。
僕らよりもはるかに早く正しく、権利を行使できるようになるはずです。
若者よ、選挙にいってらっしゃい!
僕は今年は初めての期日前投票かなぁ・・・。
江戸~昭和の懐かしい佇まい・両国橋
両国橋です。
この橋は、かつて武蔵国と下総国との間にかかる橋であったことからこの名前があるそうです。
現在は、東京都の中央区と墨田区を結ぶ橋で、隅田川を渡る橋です。
この日は中央区の東日本橋側にいました。
川の向こうがいわゆる両国。
JR総武線の両国駅があって、真横に両国国技館があります。
お相撲さんの街、的な情緒があって、道沿いにはちゃんこ鍋を出す居酒屋なども多いです。
鍋好きな僕にはとても魅力的な感じ。
でも、わざわざここで食べませんが・・・。
国技館の先を少し歩くと、「横綱」なんて、地名が電信柱にあって・・・。
よく見ると、「横網(よこあみ)」だったなんて落ちも。
駅前には江戸東京博物館なんかもあって、なんだか下町江戸文化の発信地みたいです。
久しく言ってないけど、この博物館も好きです。
江戸時代の街並みや屋敷などのジオラマがたくさんあって面白い。
見学者も国際色豊かで、さすが国際都市の面目躍如といったところ。
従って、ガイド役のボランティアも多国語に対応した陣容。
ちょっと前までビジネス現場で活躍してました、みたいなご年輩が外国人の団体を案内しています。
秋には北斎の記念館が近隣でオープンするそうですね。
おっと、脇道にそれました。
橋から見渡すと現代のビル群がそそり立つ。
まぎれもなく現代の東京なのですが、ちょっと遠くを見るのをやめてみましょう。
東日本橋の岸には、隅田川に流れそそぐちいさな河川。
なんと、これ神田川です。
かかる橋は、柳橋。
この辺りの地名でもあります。
橋は鉄橋ですが、両岸には小料理屋や船着き場があったりして、なんともいい味を出しています。
神田川にはちいさな屋形船が浮かんでいました。
街路樹には地名のせいか柳が涼しげに風に揺れて・・・。
なんとも下町情緒溢れる光景。
僕は小さい頃は、二十三区内には会社しかなくて、人は住んでいないのだと半分思ってました。
だけれど、この辺を歩いていると、木造戸建ての家がひしめいています。
小料理屋や居酒屋、寿司屋など、なんだかつい入りたくなるような佇まいのお店がたくさんあります。
むしろ、郊外よりもこの辺の方がレトロで昭和的です。
この橋は、かつて武蔵国と下総国との間にかかる橋であったことからこの名前があるそうです。
現在は、東京都の中央区と墨田区を結ぶ橋で、隅田川を渡る橋です。
この日は中央区の東日本橋側にいました。
川の向こうがいわゆる両国。
JR総武線の両国駅があって、真横に両国国技館があります。
お相撲さんの街、的な情緒があって、道沿いにはちゃんこ鍋を出す居酒屋なども多いです。
鍋好きな僕にはとても魅力的な感じ。
でも、わざわざここで食べませんが・・・。
国技館の先を少し歩くと、「横綱」なんて、地名が電信柱にあって・・・。
よく見ると、「横網(よこあみ)」だったなんて落ちも。
駅前には江戸東京博物館なんかもあって、なんだか下町江戸文化の発信地みたいです。
久しく言ってないけど、この博物館も好きです。
江戸時代の街並みや屋敷などのジオラマがたくさんあって面白い。
見学者も国際色豊かで、さすが国際都市の面目躍如といったところ。
従って、ガイド役のボランティアも多国語に対応した陣容。
ちょっと前までビジネス現場で活躍してました、みたいなご年輩が外国人の団体を案内しています。
秋には北斎の記念館が近隣でオープンするそうですね。
おっと、脇道にそれました。
橋から見渡すと現代のビル群がそそり立つ。
まぎれもなく現代の東京なのですが、ちょっと遠くを見るのをやめてみましょう。
東日本橋の岸には、隅田川に流れそそぐちいさな河川。
なんと、これ神田川です。
かかる橋は、柳橋。
この辺りの地名でもあります。
橋は鉄橋ですが、両岸には小料理屋や船着き場があったりして、なんともいい味を出しています。
神田川にはちいさな屋形船が浮かんでいました。
街路樹には地名のせいか柳が涼しげに風に揺れて・・・。
なんとも下町情緒溢れる光景。
僕は小さい頃は、二十三区内には会社しかなくて、人は住んでいないのだと半分思ってました。
だけれど、この辺を歩いていると、木造戸建ての家がひしめいています。
小料理屋や居酒屋、寿司屋など、なんだかつい入りたくなるような佇まいのお店がたくさんあります。
むしろ、郊外よりもこの辺の方がレトロで昭和的です。