無心庵山居日記
市中にて心静かに山居生活を送る
令和二年は閏年・・・今日はうるう日
今年は閏年です。
「うるう年」と読みます。
4年に一度、カレンダーの二月を見ると今年のように一日多く、2月29日があります。
太陽暦では一年を365日としていますが、これは一年で太陽の周りを地球が公転していることを指します。
しかし、実際には1周にかかる時間は平均すると365.24219日なのです。
つまり、365日だと0.24219日足りていないことになります。
このため4年に一度、うるう年をつくり補正しているのです。
4年に一度の閏年は、オリンピックの年と符合しています。
このため、いずれかを覚えていれば他方は覚えられるので非常に便利です。
ところが、閏年は必ず4年に一度とは限りません。
100年に一度、閏年ではなく平年となることがあるのです。
例えば、2100年は4で割り切れるので閏年と思いきや、この年は平年になります。
さらにややこしいことに400で割り切れる年は、100で割り切れても閏年となるのです。
直近では2000年がありますが、やはり閏年でした。
それもこれも誤差修正のためです。
正確な暦を知るためには、結構ややこしいことも覚えておくと良いですね。
(ただし、400年に一度の補正はもう僕が生きてるうちはないですから・・・)
さて、4年に一度の閏年ではありますが、同時に今日は如月の末日。
新型コロナウィルスの騒ぎがまさしく国家非常事態の様相を呈してきました。
東京五輪のことを上述しましたが、我が国は現在数カ国に渡航制限をかけられています。
一昨日には異例の小中高校の休校要請がありました。
個々人の衛生観念と民度を問われています。
くれぐれも手洗い、うがい、マスク着用をお忘れなく、お大事にお過ごしください。
「うるう年」と読みます。
4年に一度、カレンダーの二月を見ると今年のように一日多く、2月29日があります。
太陽暦では一年を365日としていますが、これは一年で太陽の周りを地球が公転していることを指します。
しかし、実際には1周にかかる時間は平均すると365.24219日なのです。
つまり、365日だと0.24219日足りていないことになります。
このため4年に一度、うるう年をつくり補正しているのです。
4年に一度の閏年は、オリンピックの年と符合しています。
このため、いずれかを覚えていれば他方は覚えられるので非常に便利です。
ところが、閏年は必ず4年に一度とは限りません。
100年に一度、閏年ではなく平年となることがあるのです。
例えば、2100年は4で割り切れるので閏年と思いきや、この年は平年になります。
さらにややこしいことに400で割り切れる年は、100で割り切れても閏年となるのです。
直近では2000年がありますが、やはり閏年でした。
それもこれも誤差修正のためです。
正確な暦を知るためには、結構ややこしいことも覚えておくと良いですね。
(ただし、400年に一度の補正はもう僕が生きてるうちはないですから・・・)
さて、4年に一度の閏年ではありますが、同時に今日は如月の末日。
新型コロナウィルスの騒ぎがまさしく国家非常事態の様相を呈してきました。
東京五輪のことを上述しましたが、我が国は現在数カ国に渡航制限をかけられています。
一昨日には異例の小中高校の休校要請がありました。
個々人の衛生観念と民度を問われています。
くれぐれも手洗い、うがい、マスク着用をお忘れなく、お大事にお過ごしください。
Tag : 天文
寒さが苦手なうずまき天使
もう、16年も前のことになけど、「うず」を迎えたのはいまのこの頃の季節だ。
「うず」は12月生まれだけど、お店に出されて僕と出会ったのもこの頃だ。
心を病んでいた僕は心の救いを求めて「うず」を迎えた。
第三京浜を車で飛ばして行った先のお店で・・・。
僕の携帯電話のストラップに窓越しにじゃれついて、元気に遊んでいたこの子が良いと思った。
生まれてまだ二ヶ月で体重は800グラムとなっていた。
ちょっとお腹をくだしていたので、帰りにショップ指定の獣医さんでお薬をもらった。
春先とは言え、まだまだ寒い季節。
まだまだ赤ちゃんのこの子は、寒がりだった。
僕の半纏にくるまって暖をとっていたりした。
昔から寒がりだったんだね。
不思議なものだ。
春に生まれた「小うず」の方が寒さに強いよ。
「小うず」が赤ん坊のころは、もう暖かで5月の日差しは暑いくらいだったのに・・・。
真冬に生まれた「うず」の方が寒がりだなんてね・・・。
お布団に入れてって、僕の顔をなめた。
小さな「うず」を潰してしまわないか、心配で僕の方が身体がこってしまった。
小さな小さな、うずまき天使がうちにやってきたんだ。
もちろん、大きくなってからも可愛かったけど、赤ん坊のころの「うず」は可愛かった。
僕の両親は動物を飼うなんて発想すらなかったけど、「うず」には直ぐに虜になっていた。
君は愛されるためにこの世に生を受けたんだ。
なんて、幸せなネコなんだろうね。
僕に大切なものをもたらしてくれた天使。
小さな身体の、全存在をもって、僕に大切なことを教えてくれた。
言葉にするのは簡単だけど、なんだか違う。
もっともっと、あたたかくてやわらかくて、心がしめつけられるほど切なくて・・・。
こんなにちいさな命でも、かけがえのないものを持っている。
そしてそれを惜しみなく僕にも与えてくれた。
僕がこの子を愛したように、この子も僕を愛してくれた。
紆余曲折あったけど、僕は自分の感じ取ったものを信じている。
<注・画像はすべて「小うず」です>
「うず」は12月生まれだけど、お店に出されて僕と出会ったのもこの頃だ。
心を病んでいた僕は心の救いを求めて「うず」を迎えた。
第三京浜を車で飛ばして行った先のお店で・・・。
僕の携帯電話のストラップに窓越しにじゃれついて、元気に遊んでいたこの子が良いと思った。
生まれてまだ二ヶ月で体重は800グラムとなっていた。
ちょっとお腹をくだしていたので、帰りにショップ指定の獣医さんでお薬をもらった。
春先とは言え、まだまだ寒い季節。
まだまだ赤ちゃんのこの子は、寒がりだった。
僕の半纏にくるまって暖をとっていたりした。
昔から寒がりだったんだね。
不思議なものだ。
春に生まれた「小うず」の方が寒さに強いよ。
「小うず」が赤ん坊のころは、もう暖かで5月の日差しは暑いくらいだったのに・・・。
真冬に生まれた「うず」の方が寒がりだなんてね・・・。
お布団に入れてって、僕の顔をなめた。
小さな「うず」を潰してしまわないか、心配で僕の方が身体がこってしまった。
小さな小さな、うずまき天使がうちにやってきたんだ。
もちろん、大きくなってからも可愛かったけど、赤ん坊のころの「うず」は可愛かった。
僕の両親は動物を飼うなんて発想すらなかったけど、「うず」には直ぐに虜になっていた。
君は愛されるためにこの世に生を受けたんだ。
なんて、幸せなネコなんだろうね。
僕に大切なものをもたらしてくれた天使。
小さな身体の、全存在をもって、僕に大切なことを教えてくれた。
言葉にするのは簡単だけど、なんだか違う。
もっともっと、あたたかくてやわらかくて、心がしめつけられるほど切なくて・・・。
こんなにちいさな命でも、かけがえのないものを持っている。
そしてそれを惜しみなく僕にも与えてくれた。
僕がこの子を愛したように、この子も僕を愛してくれた。
紆余曲折あったけど、僕は自分の感じ取ったものを信じている。
<注・画像はすべて「小うず」です>
簡単、手羽元の甘辛煮
ぼちぼち暖かくもなってきましたが、まだ煮物がおいしい季節。
今日は、鶏の手羽元で甘辛煮をしてみました。
ひと昔は手羽元のことをチューリップなどと言っていたような気がします。
手羽先は違いますものね。
今更になって、これが「手羽元」などという名前を知りました。
正確にはチューリップは、手羽元から作られるようです。
手羽元の根元のスジをカットして、肉を裏返したものがチューリップ。
子供の頃は唐揚げにして食卓に並ぶと大喜びでした。
今回の甘辛煮は、簡単便利な調理法。
いや、僕だって唐揚げにして食べたいくらいですが、揚げ物は小庵ではいたしません。
醤油に料理酒、砂糖、水を加えて、手羽元とニンジン、キノコを加えて二十分くらい煮込みます。
それだけ、最後に水分がほとんどなくなるまで煮込むと味がよく馴染みます。
この料理は、ジムでトレーニング中に備え付けのテレビでやっていたのです。
あぁ、手羽元はよく安売りしているから、こんな料理にすればおいしく食べられそうだ・・・。
そんなことを思いましたが、いざ思い立つと安売りしていません。
うん、ご飯にも合う。
こいつはうまい。
9本あった手羽元を4本食べて、あとは明日のお楽しみ。
今日は、鶏の手羽元で甘辛煮をしてみました。
ひと昔は手羽元のことをチューリップなどと言っていたような気がします。
手羽先は違いますものね。
今更になって、これが「手羽元」などという名前を知りました。
正確にはチューリップは、手羽元から作られるようです。
手羽元の根元のスジをカットして、肉を裏返したものがチューリップ。
子供の頃は唐揚げにして食卓に並ぶと大喜びでした。
今回の甘辛煮は、簡単便利な調理法。
いや、僕だって唐揚げにして食べたいくらいですが、揚げ物は小庵ではいたしません。
醤油に料理酒、砂糖、水を加えて、手羽元とニンジン、キノコを加えて二十分くらい煮込みます。
それだけ、最後に水分がほとんどなくなるまで煮込むと味がよく馴染みます。
この料理は、ジムでトレーニング中に備え付けのテレビでやっていたのです。
あぁ、手羽元はよく安売りしているから、こんな料理にすればおいしく食べられそうだ・・・。
そんなことを思いましたが、いざ思い立つと安売りしていません。
うん、ご飯にも合う。
こいつはうまい。
9本あった手羽元を4本食べて、あとは明日のお楽しみ。
「長庚」(ちょうこう)・・・宵の明星
宵の明星といえば、ご存じ金星です。
太陽系の8つの惑星(冥王星は準惑星へ降格)のうち、もっとも内側の水星の外を回っています。
我らの住む地球のすぐ内側の惑星ですね。
昔から地球外生命体といえば火星人が言われていました。
蛸のような長い足を持つ想像上の火星人は「宇宙戦争」(H・G・ウェルズ)有名です。
金星に対して火星は地球の外側にある星。
運河の痕や極地の氷冠などは有名で、知的生命体のいる可能性が高いとされていました。
でも、惑星としての大きさなどは金星の方が地球に近いのです。
ただし、金星は分厚い大気に覆われていて、地表は灼熱地獄と言われています。
とてもじゃないが生命体がいる可能性は低い。
その代わり、分厚い大気のせいで光の反射率は高く、地球から見える天体としては三番目に明るい星なのです。
そう、太陽と月の次に明るい。
内側を回る星なので、みえる時期が限られてきます。
最も近い位置にいるときや、遠いときにいるときは太陽で見えない。
よって、斜めから見るときがもっとも明るいのですが、太陽から近い天体なので、明け方か夕方に見えることになります。
太陽が昇る前や、沈んだ後に輝く金星は、それぞれ「明けの明星」「宵の明星」と呼ばれています。
その美しい輝きのためか、西洋では「美の女神」「ヴィーナス」という名前です。
2019年11月ごろから2020年5月ごろまで、「宵の明星」として見えています
「宵の明星」は、「夕星」(ゆふづつ)ともいいます。
「長庚」(ちょうこう)ともいいます。
いろんな名前がありますが、それだけ親しまれた星だということです。
画家であり、俳人の与謝蕪村は画号を「長庚」(ちょうこう)として落款を残した作品もあります。
宵の明星は日が暮れた遅い時間に、中天ではなく地平線の近くで、強く輝く星です。
蕪村は人生の後半生に、頂点にはならないけれど、自分も地平の近くで強く光り輝きたい、という願いを画号に込めたのでしょうか。
「長庚」(ちょうこう)にはそんな意味があるようです。
太陽系の8つの惑星(冥王星は準惑星へ降格)のうち、もっとも内側の水星の外を回っています。
我らの住む地球のすぐ内側の惑星ですね。
昔から地球外生命体といえば火星人が言われていました。
蛸のような長い足を持つ想像上の火星人は「宇宙戦争」(H・G・ウェルズ)有名です。
金星に対して火星は地球の外側にある星。
運河の痕や極地の氷冠などは有名で、知的生命体のいる可能性が高いとされていました。
でも、惑星としての大きさなどは金星の方が地球に近いのです。
ただし、金星は分厚い大気に覆われていて、地表は灼熱地獄と言われています。
とてもじゃないが生命体がいる可能性は低い。
その代わり、分厚い大気のせいで光の反射率は高く、地球から見える天体としては三番目に明るい星なのです。
そう、太陽と月の次に明るい。
内側を回る星なので、みえる時期が限られてきます。
最も近い位置にいるときや、遠いときにいるときは太陽で見えない。
よって、斜めから見るときがもっとも明るいのですが、太陽から近い天体なので、明け方か夕方に見えることになります。
太陽が昇る前や、沈んだ後に輝く金星は、それぞれ「明けの明星」「宵の明星」と呼ばれています。
その美しい輝きのためか、西洋では「美の女神」「ヴィーナス」という名前です。
2019年11月ごろから2020年5月ごろまで、「宵の明星」として見えています
「宵の明星」は、「夕星」(ゆふづつ)ともいいます。
「長庚」(ちょうこう)ともいいます。
いろんな名前がありますが、それだけ親しまれた星だということです。
画家であり、俳人の与謝蕪村は画号を「長庚」(ちょうこう)として落款を残した作品もあります。
宵の明星は日が暮れた遅い時間に、中天ではなく地平線の近くで、強く輝く星です。
蕪村は人生の後半生に、頂点にはならないけれど、自分も地平の近くで強く光り輝きたい、という願いを画号に込めたのでしょうか。
「長庚」(ちょうこう)にはそんな意味があるようです。
ジャカルタ住民がイオン・モールを破壊
インドネシアの首都ジャカルタで、住民がイオン・モールに押し寄せて投石などをして破壊したという記事があった。
連日の大雨により洪水が起こり、住民の生活に被害が発生している。
住民によると、洪水の原因となったのがこのモールの建設なのだという。
イオン・モールには住民100人ほどが押し寄せて、投石でガラスを割ったり、防犯カメラを壊したりしたようだ。
洪水とモール建設についての関係性についてはわかっていないようで記事には書かれていない。
ご存じの通りイオン・モールとは日系企業である。
個人的には親しみを全く持てない企業であるが、日本が迷惑をかけているようでなんとも後味の悪い記事だ。
一方でこの企業はここでも憎しみや怒りを買っているのか、という印象を受ける。
かつてイオンは日本全国の地方を席巻した。
地方に出店すると資本力と集客力にモノを言わせてあちこちの商店街を潰していった。
そして、商店街が潰れた後に採算がとれないと撤退したのである。
買い物もできない地域では人が住むのは困難だ。
地方が衰退していった一因は、このイオン・モールにあるといっても過言ではない。
ジャカルタでイオン・モールが怒りを買っていることについては、僕もジャカルタの人の心情に肩入れしたい。
同時にこんな悪辣な企業が進出していることに僕も怒りを感じる。
その背景には、伊豆高原の自然を破壊している韓国企業があるからだ。
この韓国企業はメガ・ソーラーを建設しているエネルギー産業だ。
ソーラー発電は再生可能エネルギーでクリーンで地球に優しい・・・らしい。
だが、その地球に優しいメガ・ソーラーは、用地を確保するために大規模な自然破壊をしているのだ。
メガ・ソーラーは地盤を緩め、大雨などが発生すると土砂崩れや洪水を引き起こす。
「地球に優しい」などとは嘘っぱちである。
この韓国企業は地元住民の理解を得ようともせず、住民説明会などもおろそかに破壊を続けているようだ。
おそらくは数年後にも復興困難なほどの災害が発生すると思う。
僕の大好きな伊豆が壊されている・・・。
話をイオン・モールに戻そう。
地方の商店街を潰して、軒並みシャッター商店街にしてしまった。
競争原理を持ち出してしまえば、イオン・モールを一方的に責めることも出来ない。
だが、時代は変わった。
いま、イオン・モールはかつての商店街のような目に遭っている。
それは彼らが今度は自分が食われる時代になったからだ。
全国のイオン・モールを潰しているのはAmazonをはじめとするインタネット・モールだ。
人々はわざわざ車でショップまでいかずにインターネットで購買活動をする。
そして商品は宅配される。
カード決済をすれば現金のやりとりさえないのだ。
次に僕らが心配すべきは、外国資本に購買活動の主役を握られてしまうことだ。
連日の大雨により洪水が起こり、住民の生活に被害が発生している。
住民によると、洪水の原因となったのがこのモールの建設なのだという。
イオン・モールには住民100人ほどが押し寄せて、投石でガラスを割ったり、防犯カメラを壊したりしたようだ。
洪水とモール建設についての関係性についてはわかっていないようで記事には書かれていない。
ご存じの通りイオン・モールとは日系企業である。
個人的には親しみを全く持てない企業であるが、日本が迷惑をかけているようでなんとも後味の悪い記事だ。
一方でこの企業はここでも憎しみや怒りを買っているのか、という印象を受ける。
かつてイオンは日本全国の地方を席巻した。
地方に出店すると資本力と集客力にモノを言わせてあちこちの商店街を潰していった。
そして、商店街が潰れた後に採算がとれないと撤退したのである。
買い物もできない地域では人が住むのは困難だ。
地方が衰退していった一因は、このイオン・モールにあるといっても過言ではない。
ジャカルタでイオン・モールが怒りを買っていることについては、僕もジャカルタの人の心情に肩入れしたい。
同時にこんな悪辣な企業が進出していることに僕も怒りを感じる。
その背景には、伊豆高原の自然を破壊している韓国企業があるからだ。
この韓国企業はメガ・ソーラーを建設しているエネルギー産業だ。
ソーラー発電は再生可能エネルギーでクリーンで地球に優しい・・・らしい。
だが、その地球に優しいメガ・ソーラーは、用地を確保するために大規模な自然破壊をしているのだ。
メガ・ソーラーは地盤を緩め、大雨などが発生すると土砂崩れや洪水を引き起こす。
「地球に優しい」などとは嘘っぱちである。
この韓国企業は地元住民の理解を得ようともせず、住民説明会などもおろそかに破壊を続けているようだ。
おそらくは数年後にも復興困難なほどの災害が発生すると思う。
僕の大好きな伊豆が壊されている・・・。
話をイオン・モールに戻そう。
地方の商店街を潰して、軒並みシャッター商店街にしてしまった。
競争原理を持ち出してしまえば、イオン・モールを一方的に責めることも出来ない。
だが、時代は変わった。
いま、イオン・モールはかつての商店街のような目に遭っている。
それは彼らが今度は自分が食われる時代になったからだ。
全国のイオン・モールを潰しているのはAmazonをはじめとするインタネット・モールだ。
人々はわざわざ車でショップまでいかずにインターネットで購買活動をする。
そして商品は宅配される。
カード決済をすれば現金のやりとりさえないのだ。
次に僕らが心配すべきは、外国資本に購買活動の主役を握られてしまうことだ。
Tag : 文化
神回!これぞ武田節「寿命と長寿のサイエンス」
先週の金曜日に放映された「真相深入り!虎ノ門ニュース」で武田邦彦先生のコーナーが素晴らしかった。
武田先生のコーナーは「虎ノ門サイエンス」と銘打っているが、政治経済関係のジャーナリストが多く出演する同ニュースでは異色です。
あくまでも科学的見地から、原発や地球温暖化、国際政治から歴史問題まで言及されておられます。
歴史問題に科学的見地なんてあるの、って質問が来そうですが、歴史は政治でのみ説明できるものではありません。
当然のように科学的、学問的見地からの解説ってものがあるってことです。
従って、僕らには歯がゆいこともありますが、武田先生のご意見は保守派とも一線を画すこともあります。
まぁ、そんなことは置いておいて、今回のサイエンスは「寿命」に関するもの。
あくまでも科学の目で見たものですが、最初にお断りがありましたように、現在の科学では説明できないため、武田先生の考えが入っているとのことでした。
まぁ説明すると長くなりますので、動画をご覧ください。
如何でしょうか。
生命と寿命の話が、なんと宗教の分野まで踏み込んでいました。
鮭の受精と個体の消滅については、驚愕しました。
そうか、鮭は個体の死を認識していないのですね。
受精して生まれてきた稚魚はいずれも「私」として繋がっているわけですから、自らの遺骸を稚魚の食物として提供するのに抵抗はないのです。
それはあくまで「稚魚=私」なのだから、子のための自己犠牲ではないのです。
鮭を例にとりましたが、実は人間以外の動物はすべてこのように「個」を意識していないのです。
よって、すべては種の保存と言うよりも「個(?)の存続」のために行動しているのだとか。
そういえば、カマキリなんかも雌のエサになってしまうんですよね。
恐ろしい・・・。
そして脳についての解説もまた面白い。
人間の脳幹には5億年の記憶が詰まっているが、人間が頭で考えたものというのは新皮質を使ったもので、わずか百年程度の記憶でしかありません。
新皮質で考えたことと、脳幹で考えたことは矛盾することがあるため、人は葛藤して分裂症のようになったりするのです。
合理的な判断と、良心などの板挟みになるのはよくあることです。
この精神の分裂を取り払うために宗教では修行を行います。
脳幹だけの記憶に戻すために、人は宗教は修行をするのです。
座禅などで無心になるとは、新皮質を停止させることなのです。
なるほど、人間は進化の過程で得た大脳新皮質という部位のためにより大自然の理から外れてしまうのです。
それを廃するために修行するというのはなんとも滑稽というべきか、皮肉とも言えるかもしれません。
僕は日々朝晩に二十分づつ座禅タイムを作っていますが、そんなことはあまり考えずにやっていたのかも。
これよりは心して座ることにしましょう・・・。
武田先生のコーナーは「虎ノ門サイエンス」と銘打っているが、政治経済関係のジャーナリストが多く出演する同ニュースでは異色です。
あくまでも科学的見地から、原発や地球温暖化、国際政治から歴史問題まで言及されておられます。
歴史問題に科学的見地なんてあるの、って質問が来そうですが、歴史は政治でのみ説明できるものではありません。
当然のように科学的、学問的見地からの解説ってものがあるってことです。
従って、僕らには歯がゆいこともありますが、武田先生のご意見は保守派とも一線を画すこともあります。
まぁ、そんなことは置いておいて、今回のサイエンスは「寿命」に関するもの。
あくまでも科学の目で見たものですが、最初にお断りがありましたように、現在の科学では説明できないため、武田先生の考えが入っているとのことでした。
まぁ説明すると長くなりますので、動画をご覧ください。
如何でしょうか。
生命と寿命の話が、なんと宗教の分野まで踏み込んでいました。
鮭の受精と個体の消滅については、驚愕しました。
そうか、鮭は個体の死を認識していないのですね。
受精して生まれてきた稚魚はいずれも「私」として繋がっているわけですから、自らの遺骸を稚魚の食物として提供するのに抵抗はないのです。
それはあくまで「稚魚=私」なのだから、子のための自己犠牲ではないのです。
鮭を例にとりましたが、実は人間以外の動物はすべてこのように「個」を意識していないのです。
よって、すべては種の保存と言うよりも「個(?)の存続」のために行動しているのだとか。
そういえば、カマキリなんかも雌のエサになってしまうんですよね。
恐ろしい・・・。
そして脳についての解説もまた面白い。
人間の脳幹には5億年の記憶が詰まっているが、人間が頭で考えたものというのは新皮質を使ったもので、わずか百年程度の記憶でしかありません。
新皮質で考えたことと、脳幹で考えたことは矛盾することがあるため、人は葛藤して分裂症のようになったりするのです。
合理的な判断と、良心などの板挟みになるのはよくあることです。
この精神の分裂を取り払うために宗教では修行を行います。
脳幹だけの記憶に戻すために、人は宗教は修行をするのです。
座禅などで無心になるとは、新皮質を停止させることなのです。
なるほど、人間は進化の過程で得た大脳新皮質という部位のためにより大自然の理から外れてしまうのです。
それを廃するために修行するというのはなんとも滑稽というべきか、皮肉とも言えるかもしれません。
僕は日々朝晩に二十分づつ座禅タイムを作っていますが、そんなことはあまり考えずにやっていたのかも。
これよりは心して座ることにしましょう・・・。
今日は令和初めての『天長節』
奉祝!今上陛下、お誕生日心よりお慶び申し上げます。
今日は令和となって初めての「天長節」・・・つまりは今上陛下のお誕生日です。
今年は令和二年ですが、令和元年は5月から始まったため元年に天長節はなかったのです。
上皇陛下のお誕生日は12月なので平成30年の天長節が最後でした。
なんと3年越しの「天長節」です。
個人的には新年初参賀のお目見えには行きましたが、天長節はまだありません。
どうでしょうね。
きっと大勢の国民が列をなして、お姿を一目見るために集まるのでしょうね。
などと思っていましたが、なんと例のコロナウィルスの影響で一般参賀中止となってしまいました。
残念なことです。
上皇陛下がご即位されて初めての参賀のときは、参加者は減少したようです。
それまで国民と大変な苦楽をともにした昭和天皇のときとは比肩できません。
ですが、上皇陛下も年を経るとともに国民の信望を集められました。
阪神大震災や東日本大震災のような大災害に際して、見せた真摯な祈りは国民の心を打ちました。
そのようにして地道に信頼と敬慕を集めて行かれたのです。
今上陛下はご即位にあたり、即位礼正殿の儀では、ご登場とともにそれまで降っていた雨がやみ、皇居に虹が出るという信じられない奇跡が起きました。
ご即位されて間もない頃より、既に伝統、風格、威厳をお備えになられています。
今上陛下も明治天皇や昭和天皇のようなご存在となられるのかもしれません。
自分と同年代の天皇が令和の世に現れました。
ともに苦労と背負い、そしてよき日本を作るべく、我ら国民も奮わねばなりません。
今日は令和となって初めての「天長節」・・・つまりは今上陛下のお誕生日です。
今年は令和二年ですが、令和元年は5月から始まったため元年に天長節はなかったのです。
上皇陛下のお誕生日は12月なので平成30年の天長節が最後でした。
なんと3年越しの「天長節」です。
個人的には新年初参賀のお目見えには行きましたが、天長節はまだありません。
どうでしょうね。
きっと大勢の国民が列をなして、お姿を一目見るために集まるのでしょうね。
などと思っていましたが、なんと例のコロナウィルスの影響で一般参賀中止となってしまいました。
残念なことです。
上皇陛下がご即位されて初めての参賀のときは、参加者は減少したようです。
それまで国民と大変な苦楽をともにした昭和天皇のときとは比肩できません。
ですが、上皇陛下も年を経るとともに国民の信望を集められました。
阪神大震災や東日本大震災のような大災害に際して、見せた真摯な祈りは国民の心を打ちました。
そのようにして地道に信頼と敬慕を集めて行かれたのです。
今上陛下はご即位にあたり、即位礼正殿の儀では、ご登場とともにそれまで降っていた雨がやみ、皇居に虹が出るという信じられない奇跡が起きました。
ご即位されて間もない頃より、既に伝統、風格、威厳をお備えになられています。
今上陛下も明治天皇や昭和天皇のようなご存在となられるのかもしれません。
自分と同年代の天皇が令和の世に現れました。
ともに苦労と背負い、そしてよき日本を作るべく、我ら国民も奮わねばなりません。
郷土愛をより強い結束へ・・・地方創生の第一歩(その2)
人はそこで初めて自分に振り返り、自分は何者なのかという切実な問いかけに直面する。
僕は以前の稿で、それは「帰属意識」という人間の極めてプリミティブな承認欲求なのだと書いた。
職場からパージされた後でも、残る人と人のつながり。
それはよりゆるやかな紐帯である地域社会との関係が挙げられる。
無論、それだけではないと思う。
なかにはあくまでも職場を変えて、新たな主従関係を結ぶ人も居る。
だが、すべての人が等しく持つ繋がりは地域社会との関係だ。
地域社会や国家はもっともゆるい結束である。
企業は給料をくれるが、地域や国は給料をくれない。
それどころか、あろうことに税金を献上せねばならない。
まったくのアベコベの関係だ。
だが考えてもみよ。
こちらからカネ(税)を支払ってでも必要な繋がりでもあるのだ。
見方を変えれば、勤め先は企業仕事給料をくれるから関係をもつのだが、地域社会や国はカネを払ってでも所属したい集団なのだ。
むしろ、こちらの紐帯の方がより強固なのではないかとも言える。
どうしても見返りが欲しい、ギブ&テイクでないと嫌なら、行政サービスや医療・介護サービス、そしてセーフティ・ネットがあるではないか。
企業は僕らを見捨てて切り捨てるが、国や自治体は最後の砦となっている。
福祉というものは、極力世話にはなりたくはないが、やはり最後には頼れるのだ。
ちなみに国の最大の福祉とは、安全安心な暮らしを護ってくれる安全保障や軍隊、日本に於いては自衛隊の存在だと思う。
なお、もっともっと税金を納めたいという願望はまったくない。
IMFが財務省の差し金で15%まで消費増税をすべきと発言したらしいが冗談ではない。
もとい、見返りを求めるまでもなく、僕らは子供の頃から育まれ、成長し、暮らしを営んできた。
そんな郷土に愛情を持つのは本来自然なことだ。
だが、僕らの世代はそういう心の教育が疎まれてきたように思う。
まだこれからでも間に合う。
郷土愛に目覚めるのは、リタイヤ後でも充分に可能なのだ。
そして、いまの時代リタイヤ後にも次の人生ステージが幕を上げようとしているのだ。
僕は以前の稿で、それは「帰属意識」という人間の極めてプリミティブな承認欲求なのだと書いた。
職場からパージされた後でも、残る人と人のつながり。
それはよりゆるやかな紐帯である地域社会との関係が挙げられる。
無論、それだけではないと思う。
なかにはあくまでも職場を変えて、新たな主従関係を結ぶ人も居る。
だが、すべての人が等しく持つ繋がりは地域社会との関係だ。
地域社会や国家はもっともゆるい結束である。
企業は給料をくれるが、地域や国は給料をくれない。
それどころか、あろうことに税金を献上せねばならない。
まったくのアベコベの関係だ。
だが考えてもみよ。
こちらからカネ(税)を支払ってでも必要な繋がりでもあるのだ。
見方を変えれば、勤め先は企業仕事給料をくれるから関係をもつのだが、地域社会や国はカネを払ってでも所属したい集団なのだ。
むしろ、こちらの紐帯の方がより強固なのではないかとも言える。
どうしても見返りが欲しい、ギブ&テイクでないと嫌なら、行政サービスや医療・介護サービス、そしてセーフティ・ネットがあるではないか。
企業は僕らを見捨てて切り捨てるが、国や自治体は最後の砦となっている。
福祉というものは、極力世話にはなりたくはないが、やはり最後には頼れるのだ。
ちなみに国の最大の福祉とは、安全安心な暮らしを護ってくれる安全保障や軍隊、日本に於いては自衛隊の存在だと思う。
なお、もっともっと税金を納めたいという願望はまったくない。
IMFが財務省の差し金で15%まで消費増税をすべきと発言したらしいが冗談ではない。
もとい、見返りを求めるまでもなく、僕らは子供の頃から育まれ、成長し、暮らしを営んできた。
そんな郷土に愛情を持つのは本来自然なことだ。
だが、僕らの世代はそういう心の教育が疎まれてきたように思う。
まだこれからでも間に合う。
郷土愛に目覚めるのは、リタイヤ後でも充分に可能なのだ。
そして、いまの時代リタイヤ後にも次の人生ステージが幕を上げようとしているのだ。
郷土愛をより強い結束へ・・・地方創生の第一歩(その1)
過日、神奈川県立歴史博物館へ行って、郷土史と資料群を見学した。
改めて、このような地域の歴史を学ぶための展示や資料、それを学習することの重要性を認識した。
神奈川県という場所は、僕自身とはゆかりのない地域だ。
しかし、多摩川を隔てて川崎市などが拡がっているわけで、まったく縁もない地ではない。
かつては武蔵国も相模国も、現在の都道府県をまたがって入り組んでいたわけで、そんな意味では近接した共通の歴史を持つエリアなのだ。
縁やゆかりについて論じるつもりはなく、この稿での核心は「郷土愛」についてだ。
いま、政治の世界では地方創生が唱われ、特命大臣まで任命されている。
地方では高齢化により限界集落の増加や深刻化、人口流出、シャッター商店街、医療や教育環境の再整備、経済テコ入れなど様々な問題を抱えている。
長く言われ続けているものの、従来はハコモノなどと言われる一時的にしか使われないような施設などに税金を投入して、あとあと維持管理などのランニングコストを抱えるはめになり、さらに地方自治体は困窮するというような馬鹿げたことが行われてきた。
もっと自立自走し、持続的な発展が可能なように地方を活性化せねばならない。
おそらくは、地元企業などへの経済支援や投資、税制改正などを中心に行われているのだろう。
ここはさほど詳しくないので深入りしない。
これらの政策に異論を唱えたりはしないが、もっと肝要なことがあると思っている。
極めて精神論的ではあるが、それは「郷土アイデンティティー教育」だ。
要するに「郷土愛」を育むための教育である。
国を大切に思うことが人、国民にとって重要なことであるように、郷土に対しても郷土愛を持つ事が大切だ。
地元地域への愛情がない人間が、地元地域に何の貢献ができるのか?
これを抜きに地方創生など、仏を作って魂を入れず、に終わってしまう。
それではまたしても第二のグリーピアを量産することになりかねない。
仏に入れる魂こそが「郷土愛」なのだ。
労働力を提供することで、勤め先や企業からは給料がもらうことが出来る。
人はその収入でもって、人生を設計し家族を養い、日々の糧を得る。
だから、人は仕事や勤め先との関係が最重要になり、主従関係に近いロイヤリティを持つ。
ほとんどの人が、勤め先は異なれどそのように考えているはずだ。
しかし、年功序列も終身雇用も過去の遺物となった。
業績の悪化や健康問題など様々な理由で、ある日突然放逐されるかもしれないのだ。
労働者がいくら忠誠心があろうと関係がない。
役に立たないものはパージされる。
< 続く >
改めて、このような地域の歴史を学ぶための展示や資料、それを学習することの重要性を認識した。
神奈川県という場所は、僕自身とはゆかりのない地域だ。
しかし、多摩川を隔てて川崎市などが拡がっているわけで、まったく縁もない地ではない。
かつては武蔵国も相模国も、現在の都道府県をまたがって入り組んでいたわけで、そんな意味では近接した共通の歴史を持つエリアなのだ。
縁やゆかりについて論じるつもりはなく、この稿での核心は「郷土愛」についてだ。
いま、政治の世界では地方創生が唱われ、特命大臣まで任命されている。
地方では高齢化により限界集落の増加や深刻化、人口流出、シャッター商店街、医療や教育環境の再整備、経済テコ入れなど様々な問題を抱えている。
長く言われ続けているものの、従来はハコモノなどと言われる一時的にしか使われないような施設などに税金を投入して、あとあと維持管理などのランニングコストを抱えるはめになり、さらに地方自治体は困窮するというような馬鹿げたことが行われてきた。
もっと自立自走し、持続的な発展が可能なように地方を活性化せねばならない。
おそらくは、地元企業などへの経済支援や投資、税制改正などを中心に行われているのだろう。
ここはさほど詳しくないので深入りしない。
これらの政策に異論を唱えたりはしないが、もっと肝要なことがあると思っている。
極めて精神論的ではあるが、それは「郷土アイデンティティー教育」だ。
要するに「郷土愛」を育むための教育である。
国を大切に思うことが人、国民にとって重要なことであるように、郷土に対しても郷土愛を持つ事が大切だ。
地元地域への愛情がない人間が、地元地域に何の貢献ができるのか?
これを抜きに地方創生など、仏を作って魂を入れず、に終わってしまう。
それではまたしても第二のグリーピアを量産することになりかねない。
仏に入れる魂こそが「郷土愛」なのだ。
労働力を提供することで、勤め先や企業からは給料がもらうことが出来る。
人はその収入でもって、人生を設計し家族を養い、日々の糧を得る。
だから、人は仕事や勤め先との関係が最重要になり、主従関係に近いロイヤリティを持つ。
ほとんどの人が、勤め先は異なれどそのように考えているはずだ。
しかし、年功序列も終身雇用も過去の遺物となった。
業績の悪化や健康問題など様々な理由で、ある日突然放逐されるかもしれないのだ。
労働者がいくら忠誠心があろうと関係がない。
役に立たないものはパージされる。
< 続く >
ほっと一息。緑内障治療・・・
先日、緑内障治療で通っている病院で診察を受けました。
毎月、一回程度の通院で、目薬を三種類処方されています。
今月は視野検査をするためいつもより時間に余裕を持って欲しいとのことでした。
これまでの通院では、眼圧の下降は思ったほどではないものの、視神経に影響は少ないとのことで推移していました。
ちょっと眼圧が高めというのは僕も気になるところです。
普段は麦茶を飲んでいる僕としては、風呂上がりに飲むコーヒー(牛乳ではない)は我慢したくない。
でも、影響を及ぼすのであればやめねば・・・などと迷っています。
視野検査は、専門の検査機器で測定するのですが、中央にある的を凝視しながら周囲でランダムに出現する光点を把握するものです。
光が見えたら、スイッチを押すことで、見えているか居ないかの判定ができるというものです。
結構疲れるのですよ。
たまに的から焦点をずらして光点を観てしまうこともあります。
また、そんなことは織り込み済みで検査をしているものと思いますが・・・。
この日の検査は非常に疲れて、スイッチを押さない時間もあったのですが・・・。
検査結果は「非常に良い。改善しているくらい。」とのことでした。
「理論上は(緑内障が)改善することはない(あくまで数値上のもの)」ということですが、ともあれよかった。
ただ、ちょっと眼圧が高かったようです。
これは直前にコーヒーを飲んだためかもしれません。
うつ病だの、緑内障だの、一生付き合っていかなければならない病気ばかりです。
でも、年齢に伴ってなにかしら身体の不調は出てくるものです。
とりあえずは投薬などで抑えられるものなので、よしとしましょう。
健康第一です。
毎月、一回程度の通院で、目薬を三種類処方されています。
今月は視野検査をするためいつもより時間に余裕を持って欲しいとのことでした。
これまでの通院では、眼圧の下降は思ったほどではないものの、視神経に影響は少ないとのことで推移していました。
ちょっと眼圧が高めというのは僕も気になるところです。
普段は麦茶を飲んでいる僕としては、風呂上がりに飲むコーヒー(牛乳ではない)は我慢したくない。
でも、影響を及ぼすのであればやめねば・・・などと迷っています。
視野検査は、専門の検査機器で測定するのですが、中央にある的を凝視しながら周囲でランダムに出現する光点を把握するものです。
光が見えたら、スイッチを押すことで、見えているか居ないかの判定ができるというものです。
結構疲れるのですよ。
たまに的から焦点をずらして光点を観てしまうこともあります。
また、そんなことは織り込み済みで検査をしているものと思いますが・・・。
この日の検査は非常に疲れて、スイッチを押さない時間もあったのですが・・・。
検査結果は「非常に良い。改善しているくらい。」とのことでした。
「理論上は(緑内障が)改善することはない(あくまで数値上のもの)」ということですが、ともあれよかった。
ただ、ちょっと眼圧が高かったようです。
これは直前にコーヒーを飲んだためかもしれません。
うつ病だの、緑内障だの、一生付き合っていかなければならない病気ばかりです。
でも、年齢に伴ってなにかしら身体の不調は出てくるものです。
とりあえずは投薬などで抑えられるものなので、よしとしましょう。
健康第一です。