■ 2010年からずっと10番を背負った来た。2010年にチームに加入してからずっと10番を背負ってきたMF金民友が今シーズン限りで鳥栖を退団することになった。2ndステージの16節の横浜FM戦(H)がホームでのラストゲームとなったが、前半22分に惜別のゴールを決めた。試合は2点をリードされた横浜FMが後半に2ゴールを奪って2対2のドロー。鳥栖はホーム最終戦を勝利で飾ることは出来なかったがMF金民友のゴールは多くの人の記憶に残るゴールになった。
よく知られているとおりで、韓国には兵役の義務がある。五輪でメダルを獲得したり、サッカーのW杯でベスト16以上に入るなどといった目覚ましい活躍をしない限り、サッカー選手も例外ではない。兵役期間中に尚州尚武という軍隊のチームに入団するためにはKリーガーであることが絶対条件となるので、兵役に就く前にどこかのKリーグのクラブでプレーしなければいけない。Kリーグ入りとなるのは確実と言える。
尚州尚武に所属する選手は「軍事訓練などはほとんど行わずにサッカーの練習に打ち込める。」と言われている。なので力を維持したり、成長するためには尚州尚武に所属することが必須の条件になる。MF金民友の他にも最近は20代の韓国人プレーヤーがたくさん来日しているがほとんど全ての選手は兵役の問題を抱えている。こういう形でJリーグを去らなければいけない選手は今後も継続的に出てくるだろう。
■ 鳥栖に加入したのは激動のオフとなった2009年のオフ横浜FM戦(H)の後は退団セレモニーが行われたが、この日のベストアメニティスタジアムは16,676人という大観衆で埋まった。もちろん、ホーム最終戦ということもスタンドが埋まった1つの理由だと言えるが、「長い間、鳥栖を支えてきたMF金民友とお別れをしたい。」いう気持ちで足を運んだ人が多かったと思う。それだけ鳥栖にとっては特別な選手であり、MF金民友にとっても鳥栖は特別なクラブと言える。
鳥栖に加入したのは2010年だったがこの年の2月25日に20歳の誕生日を迎えている。なので加入が決まったときは19歳だった。当時の鳥栖はJ2に所属していたが2009年は25勝13敗13分けという成績で5位だった。1位が仙台、2位がC大阪、3位が湘南、4位が甲府という順位だったがJ1経験のないクラブだった。正直なところ、「鳥栖というクラブがJ1でプレーするところは全く想像できない。」というクラブだった。
この時期の鳥栖は「J2のオリジナル10のクラブの中では唯一J1経験のないクラブ」だったこともあって、「J2の番人」的な立ち位置だったが、MF金民友が入団することになる2009年のオフは「クラブ史上最も厳しいオフ」になった。3年間、チームを指導してきた岸野監督が退任することになったがそのまま横浜FCの監督に就任。しかも、教え子であるMF武岡やDF渡邉将やMF高地などを引き連れての転身だった。
その後も岸野監督は鳥栖時代の教え子を積極的に横浜FCに勧誘した。それもあって鳥栖サポーターの大多数は岸野監督に対して複雑な感情を抱いている。岸野監督のトレードマークが赤い帽子であることにちなんで一連の騒動は「赤帽の乱」と言われて鳥栖の歴史を振り返る上では絶対に外せないエピソードになっているが、2009年に15ゴールを挙げたFWハーフナー・マイクも期限付き移籍が満了。チームを離れた。
2009/12/22
前サガン鳥栖監督 岸野靖之の乱 2014/12/25
鳥栖のサポーターが岸野靖之監督を感情抜きに振り返る。