■ ガーナとの2連戦「上」で記述したとおり、ファルカンジャパンの通算成績は9試合で3勝2敗4分けだったが、9試合全てがホームゲームだった。その中で、よく語られるのは、1対4で大敗した5月のフランス戦と、ファルカンジャパンのラストマッチとなったアジア大会の準々決勝の韓国戦(2対3で敗戦)の2つであるが、個人的には、7月に行われたアシックスカップ(ガーナとの2連戦)も印象に残っている。
5月のキリンカップで0勝1敗1分けに終わったファルカンジャパンにとっては、3試合目と4試合目の試合だったが、FW三浦知のジェノア移籍が決まって、「カズをいい形でイタリアに送り出そう。」という雰囲気が生まれた。壮行試合のような感じになったが、その期待に応えて、FW三浦知は2試合で3ゴールを挙げる活躍を見せた。Jリーグでも結果を残しており、イタリアでの成功を予感させた。
7月8日に行われた第1戦は3対2で日本が勝利して、7月14日に行われた第2戦も日本が2対1で勝利するが、ガーナとの2連戦では、若手の活躍が光った。初戦は平塚の守備の要のDF名塚が代表初ゴールを決めて勝利に大きく貢献し、2戦目はMF岩本(平塚)とMF山口敏(G大阪)の2人が躍動した。それ以外でも、DF森山(広島)とDF遠藤(磐田)が好プレーを見せるなど、たくさんの収穫を得た大会だった。
ちなみに、アシックスカップは、2試合ともカズとFW小倉(名古屋)の2トップが先発だったが、日本代表でFW小倉が先発出場したのは、アシックスカップのガーナ戦の2試合のみである。また、FW小倉はAマッチは通算5試合に出場しているが、5試合とも、すべてファルカン体制での出場だった。(※ 唯一のゴールが5月のキリンカップのフランス戦であることは、御承知のとおりである。)
■ ランプティの成功と挫折対戦相手のガーナは、強烈なチームだった。ガーナもアメリカW杯出場を逃して、若手中心のメンバー構成になっており、18歳や19歳や20歳の選手がほとんどだったと記憶しているが、もっとも注目を集めたのは、エースのMFニイ・ランプティという選手である。1974年12月生まれで、このときは、19歳だったが、サッカーファンの誰もが注目するスーパースター候補だった。
改めて、WikipediaでMFニイ・ランプティの10代の頃の活躍を見ると凄まじいものがある。1991年に行われたU-17世界選手権では、大会最優秀選手と得点王をW受賞して世界制覇を成し遂げると、1992年のバルセロナ五輪は、飛び級でU-23ガーナ代表に選ばれて、銅メダルを獲得。さらに、1993年のU-20世界選手権でも準優勝して、1992年にはフル代表のレギュラーとしてアフリカ選手権の準優勝に貢献している。
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