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神恵内村清川

神恵内村清川 (平成27年4月25日探訪)

神恵内村清川は、道道998号古平神恵内線 当丸(トーマル)峠の道中にある戦後開拓集落である。

道路情報で「当丸峠」と耳にする機会があると思うが、そこに「清川」という集落があった。

トーマルの開拓そのものは大正7年頃、森本愛吉らが入植したことに始まる。
しかし、開拓されて幾年も月日が流れ、原生林に覆われてしまっていた。

昭和23年 白鳥録太郎を団長とする樺太 留多加からの引揚者17戸が入植した。
この年の12月22日 神恵内小学校清川分校が設置された。

昭和24年 開発道路トーマル殖民地線が着工された。
lこの年、 トーマルは30町歩が開墾された。

清川は北海道内の戦後開拓地域でも「模範的」な開拓集落であった。

それは、入植者のすべてが「共同体」として、神恵内開拓農業協同組合を組織し組合長の統率のもとに進められていった事業の結果である。

昭和26年 フローリング工場、搾油、精穀設備、ラジオ共同聴取が実施される。

昭和27年 バター工場完成。乳牛の飼育も始まった。

昭和28年 清川小学校が独立する。
また、同年開発道路トーマル殖民地線(神恵内 古平間)は二級国道に昇格する。

昭和29年 清川小学校増築工事が落成した。
同年、製パン工場が完成する。

また、他の地域に先駆けてパンと牛乳を中心にした「完全給食」が実施された。
私見であるが、昭和30年以前に「へき地」の学校で「完全給食」を実施したところは極めて稀である。

昭和29年の洞爺丸台風(台風15号)が北海道内を襲った。

北海道内も倒木被害や岩内町の大火を引き起こす要因となったが、トーマルも水力発電施設が壊滅的状態に陥ってしまった。

それでも、昭和30年 澱粉工場が完成する。

だが、昭和31年は冷害で期待できるような収穫量ではなかった。

昭和33年 清川小学校敷地内に風力発電施設が完成。

昭和36年 集中豪雨により神恵内橋以外全部流出。

気が付けば、借金も二千万円を越え、見切りをつけた農家は転出していった。

昭和40年10月30日 神恵内村立清川小学校・神恵内中学校清川分校の閉校式が挙行された。

閉校当時、9戸の農家が生活していたが明年に集団離農することとなった。

子供たちは、神恵内小・中学校の寄宿舎に入居することが決まっていたので、12月には寄宿舎に行った。

北海道新聞 小樽市内板 昭和42年9月26日付の「山の秋 海の秋」シリーズ第8回目に『幽気漂う無人部落 水のアワ、開拓民の努力』としてトーマルが掲載されているが、抜粋して紹介する。

『(前略)軒の傾いたバター工場、雑草になかばおおわれたデンプン工場の廃液捨て場、どろんとにごった水面をのぞかせる養魚池。さびついたのか、発電風車はコトリとも音を立てない。くずれたサイロ、庭先に置かれたままの荷車。まだ取りこわさないで残っている民家が五軒。その一軒の軒先に"滝沢留三郎″と記した表札が打ち付けてあった。』

『案内役をしてくれた神恵内村の村木総務課長が、ポツリ、ポツリと話す『清川開拓部落』の興亡は、救いがたい暗いものであった。いまは土台しかない小、中学校跡を見て、開通間もない国道二二九号線積丹横断道路を通って帰途についたとき『この道路さえ早くできていましたらね』とひとこと。(中略)』

『神恵内市街から約十キロ。当丸峠のふもとを流れる清川沿いに人煙が立ちのぼったのは昭和二十三年。樺太引き揚げ者三十二戸の(注1)緊急入植による清川開拓部落のはじめての夕げのしたくであった。(中略)このとし(昭和24年)、部落と神恵内を結ぶ開拓道路が開通、荷馬車一台がやっと通れる細々とした山道だったが、部落民にとっては、これからの開拓を進めるいのちの綱。さっそく乳牛を入れ、バター生産が始まった。間もなく清川上流にダムができ、水力発電の灯がともった。バターは知事表彰されるほど品質優良。子どもたちのために小、中学校もできた。入植者の顔にやっと笑いが浮かぶようになった。』

『だが、二十七年(注2)この地方を襲った集中豪雨はダムを決壊させ、開拓道路をズタズタに寸断、部落の機能をマヒさせて去った。バター生産は一時ストップ。操業を再開したと思ったら、こんどは委託販売先の営業不振で代金がこげつき、打つ手はすべて裏目と出た。』

『もともと道路が悪く、牛乳が運び出せないから、バター生産に活路を求めたのだ。バターもダメなら牛を持っていても仕方がない。借金のかたに乳牛を手放す人も出始めた。追ってくるのは離農。デンプン生産、ニジマスの養殖など離農歯止め策も徒労に終わった。クシの歯が欠けるように離農者が相次ぎ、四十一年三月、小、中学校閉鎖。そして十月、最後まで踏みとどまっていた滝口清七さん(68)もついに部落を去った。清川の灯はまったく消えたのである。(中略)』

※(注1) 北海道新聞の記事と『郷土かもえない』では入植者の人数に差異がみられる。
※(注2) 昭和27年の集中豪雨であるが、昭和29年の台風15号(洞爺丸台風)の誤りではないかと思われる。

児童・生徒数の変遷が村政要覧に掲載されていたので抜粋する。

『神恵内村政要覧 昭和26年度版』の「清川分教場」(当時)の児童数
学級数 1 教員数 2 児童数 男 29 女 16 計45

『かもえない1958』(昭和33年)の児童・生徒数
小学校 学級数 1 教員数 2 児童数 男 7 女 11 計18
中学校(神恵内中学校清川分校) 学級数 1 教員数 2 生徒数 男 6 女 4 計10
※昭和33年4月1日現在

『かもえない1964』(昭和39年)の児童・生徒数
小学校 学級数 1 教員数 2 児童数 男 5 女 6 計11
中学校(分校) 学級数 1 教員数 2 生徒数 男 1 女 1 計2
※昭和39年5月1日現在

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鉱山跡地調査の帰路、清川へ立ち寄った。
4月下旬でも、残雪が残っている。

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清川小中学校跡地と思われる場所である。
「記念碑」の真下にあったみたいだが、残雪が多くて決め手に欠けた。
残雪の中、集落の痕跡を探すため周囲を散策する。

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不自然な「松」の防風林。学校の防風林と思われる。
斜面を下っていく。

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下った先の風景。
昭和40年まで、ここに学校を含めた様々な施設、そして人びとが暮らしていた。

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サイロの基礎があった。
人々が暮らしていた名残である。

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よく見れば、野生化した松の木があちこちある。

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集落の一部はミズバショウの花が咲く、湿地帯と化していた。

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人工のコンクリート構造物を見つけた。
しかし、どのような用途で使われていたかは分からなかった。

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建物の基礎。
昭和40年以前でコンクリートの基礎がはっきり残っているところは、公的な建物(学校など)以外では珍しい。

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石垣も残っている。
夏場なら笹薮に覆われて観ることができない。

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学校跡地付近で見かけたコンクリート。
雪を掘ろうと試みるも、堅くなっており諦めた。

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集落に点在する松の木。
残雪のため、建物の基礎は僅かしか見つけることができなかった。

昭和40年11月30日付の『清川小中校さびしく閉校式』に掲載されていた一文を掲載する。

『…最後に、゛ホタルの光り"が歌われたが、悲しみは涙からおえつにかわった。オルガンをひいている宮崎先生のホオをいくすじも白いものが光る。十余人の父母たちも、かつて同校に奉職、閉校式に参列した元の先生たちもみんな泣いた。戸外は荒れ果てた畑と、貧しい農家、そしてきびしい冬。(以下略)』

今回の調査に当たり、調査にご協力いただきましたふゆをさま(「人形廃墟別館 仮想博物館」管理人)に厚く御礼申し上げます。

引用・参考文献

2万5千分の1地形図 両古美山 昭和43年7月30日発行
    同     ポンネアンチシ山 昭和43年4月30日発行

5万分の1地形図  古平 昭和22年2月28日発行
   同         余別 昭和22年2月28日発行

「神恵内村政要覧 昭和26年度版」 昭和26年発行
「かもえない1958」 神恵内村役場 昭和33年7月1日発行
「かもえない1964」 神恵内村役場 昭和39年7月25日発行
郷土かもえない 神恵内村長 北井七太郎編 昭和47年11月2日発行
北海道新聞 後志版 昭和40年11月30日付 『清川小中校さびしく閉校式 涙ぐむ学童十二人』
北海道新聞 市内版(後志版) 昭和42年9月26日付 『山の秋海の秋 第8回目/幽気漂う無人部落のアワ、開拓民の努力』

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びっくり

私の祖父の家です!瀧澤留三郎

有難うございます

瀧澤留三郎さま
お返事ありがとうございました。また、遅くなってしまい申し訳ございません。
お祖父様の家と知り、私も驚きました。
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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