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共和町下ビラ

共和町下ビラ(平成30年6月10日・9月24日探訪)

共和町下ビラは農村集落である。

下ビラ地区を含めた幌似原野は高原地帯で起伏傾斜が多く平坦地が少ない地域である。
下ビラには明治41年から44年、大正8年から12年にかけて『第三小沢尋常小学校』があった。しかし、第三小沢尋常小学校閉校後、下ビラの子どもたちは小沢第一尋常小学校へ通学していた。

戦後、樺太からの引揚者13戸、静岡県の6戸の開拓農家を主体とし、既存農家9戸、計28戸の子どもたちの通学遠距離や児童教育の必要性を痛感し、学校設置の請願を続けた。
開拓集落の生みの親でもあり、村会議員であった山田清美は自ら耕地1200坪を提供して校地とし、昭和26年10月小沢第三小学校(旭小学校)が開校した。
しかし、自然条件の厳しさから離農者が相次ぎ、児童数も減少したことから昭和44年3月に閉校した。

学校の沿革は以下の通りである。

明治41年~44年・大正8年~大正12年 第三小沢尋常小学校

昭和26年 小沢村立小沢第三小学校として設置認可(10月)
  同年  開校(11月)
昭和27年 集落住民によるグラウンド地均し工事(7月)
昭和30年 共和村立旭小学校と改称(4月)
  同年   風力発電施設(12月)
昭和32年 耕地1,5反寄贈を受ける(11月)
昭和33年 農村公衆電話架設(9月)
昭和44年 閉校(3月)

昭和33年の『北海道新聞』より、旭小学校卒業式の記事を掲載する。

たった2人の卒業生 旭小 電灯もない山奥の学校
「【岩内】卒業生がたった2人という小学校が岩内地方には3校あった。その1つは共和村の旭小学校と陸の孤島といわれる積丹半島の神恵内村安内小学校と清川小学校でいずれも電灯もない辺地校である。
国鉄岩内戦の国富駅で降り南へ約5キロ上りばかりの雪路をたどっていくとニセコの麓に教室が一つそれに校長先生の住宅がついた小さな学校がある。ここが共和村立旭小学校(校長三浦茂氏)だ。校下は昭和22年ごろから入植した樺太引揚者の開拓第1と静岡県からの疎開者が入っている開拓第2それに9号線の3部落32戸である。
22日この旭小学校で7回目の卒業式が行われた。全校生徒26人。このうち卒業するのは大場吉郎君と塩山フジ子さんだった。
5間半に3間半という教室がその式場である。1年生から6年生までの生徒が並んでもまだまだ余裕がある。後の方には部落のお母さん達が並び、来賓としてPT会長さんや教育長小沢中学と国富小学校の校長先生も列席した。大倉先生のオルガンでみんなで〝君が代〟を歌い、晴れの卒業生大場君と塩山さんの名前が呼ばれて校長先生から卒業証書をもらう。つづいて24人が一人々々校長先生の前へ出て終了証書をもらった。
校長先生は2人の卒業生へ〝卒業お目出とう。いまことさらに何も話しすることはないが、ここから4キロもあるところを雨の日も雪の日も中学へ通うことになるんだから身体を丈夫にすること、そして一生懸命勉強して下さい〟とお別れの言葉を贈る。教育長さんや小沢中学の校長先生からもお祝いの言葉があり、在校生24人を代表して金安政弘君から〝雨につけ風につけほんとうにありがとうございました〟とお別れの言葉。卒業生を代表した大場君の謝辞もあった。そして卒業生から学校へ記念品の花びんが贈られ、最後にみんなで〝蛍の光〟を歌った。歌詞が2番目のころになると塩山さんはときどき下を向いて目を押えていたが、歌い終るやハンケチを出してうずくまってしまった。大場君はこの学校ができてから22人目、塩山さんは23人目の卒業生だという。4月から約4キロ離れた小沢中学校へ通うことになるが、これと入替りに旭小学校へは6人の1年生が入ってくる。」
(『北海道新聞後志版昭和33年3月25日』

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平成30年6月 HEYANEKO氏らと訪れた。

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道路右手には、戦後開拓で入植した屋敷が残っていた。

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外壁だけとなってしまったが、いつ頃まで住まわれていたのだろうか。

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旭小学校へ向かう道は今も残っている。

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グラウンドは草木が生い茂っている。

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そして、一段高くなったところに校舎があった。
周囲を探すが、基礎などは見当たらなかった。

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学校そばの牧草畑。
人々が暮らした営みは学校手前の屋敷だけであった。

9月24日、A.D.1600氏と訪れた。

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学校跡地は変わらなかったが道中、草が生い茂り、草を倒しながらの再訪であった。


参考文献

共和町史編さん委員会1972『共和町史』共和町
共和町史編さん委員会2007『新共和町史』共和町
北海道新聞1958「たった2人の卒業生 旭小 電灯もない山奥の学校」『北海道新聞後志版』昭和33年3月25日
プロフィール

成瀬健太

Author:成瀬健太
北海道旭川市出身。札幌市在住。
元陸上自衛官。
北海道の地方史や文芸を中心としたサークル『北海道郷土史研究会』主宰。

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